男と女がオトナ帝国を築くずっと前の話。
東京に暮らす2人は、安アパートで昭和時代の日々を過ごしていた。
木造建築のアパートは現在夕焼けに包まれていた。
夕焼けは人を振り返らせる。
仕事帰りのサラリーマンも、買い物を済ませた主婦も、友達とはしゃいだ後にそれぞれの家に向かう子供達も。
一日の終わりを告げる太陽はどこか哀愁を漂わせる。
男と女は窓ガラスに照らされるそんな暖かい光を目にしていた。
『銭湯は後にしてご飯を先に取ろうかと思っているのだけれど、あなたはそれでいい?』
女は男に問いかける。
『ああ。』
男は女の顔を見て返事をし、当時「三種の神器」と呼ばれていたブラウン管テレビに視線を移す。
そこには、白黒から抜け出し色のついた世界が映し出されていた。
男はニュースを見ていたが、あまり内容が頭に入ってこない。
今日は6月25日・・・、明日はいよいよ大物プロレスラーの試合が行われる日である。
男はもちろんのこと、女もどこかそわそわしているのが見て取れる。
『なあ、チャコ。明日の試合だが―――。』
『えっ!?もしかして中止!?虎の狂気が試合前から記者か一般人をおそってしまったの?』
女は普段静かな佇まいをしているのだが、今日は興奮していた。
『いや、違う。お前も家事をしながら視聴するのは苦になるだろうと思って試合前に外食でもとろうかと思ったんだが・・・。』
『あっ・・・、えっ、ええ、そうね!そうしてもらえると私も助かります。』
『・・・1つ聞きたかったんだが、最近2人で選んで買った炊飯ジャーがあったよな?』
『ええ。』
『俺が虎印の炊飯ジャーを選ぼうとしたらお前はエレファントがいいと言っていたな。あれはなぜなんだ?』
『だって、明日の試合を考えるなら虎の字が入ったものを買って、相手にゲンを担ぐようなことはしたくなかったもの。』
『気持ちは分かるが、あの日店では虎印の炊飯ジャーが安かったんだ。
試合は明日で終わるが予定より使い込んだ金は今後の生活に響くんだぞ。』
男は女の意見に賛同しかなかったが、涙を飲む思いで2人の生活のため、常識的な意見を出した。
すると、女は白けた目をして言った。
『あなたもこの5日間、ずっと赤いマフラーを身につけて生活しているけれど、いい加減外して洗ったらどう?試合は明日で終わるけどもあなたの不潔なイメージは今後の生活に響くと思うわよ?』
男は涙をこらえながら「三種の神器」の一つである脱水機能のない洗濯機でマフラーを洗うことにした。
それを見ていた女は突然
『フフッ。』
と笑い出した。
『・・・何がおかしいんだ?』
男は初め、自分の情けない姿を見て笑われたのかと思い、少々不愉快なトーンで尋ねてしまった。
女はそれを察したのか、広げた両手を肩の高さまで上げて誤解を解くように言った。
『いえ、ごめんなさい。悪気はないの。ただ・・・、ミスと思えるミスのなかったあなたが、熱中するものがあるとこんなにもなりふり構わくなってしまうなんて、それが何だかおかしいやら嬉しいやらで・・・。』
男は何だそんなことかと鼻を鳴らす。
『それを言うならお前も俺と同類だぞ?正直俺以上に感情の起伏がないやつだと思っていたくらいだ。』
この女はきっとスカートの中をのぞかれても動揺しないのだろう。
『フフッ。ええ、そうね。私たち似た者同士だから気が合ったのね?この昭和の時代にあなたと出会えて本当に良かったと思っているわ。』
『大げさだな。何か立派な大志を抱いたわけでもあるまいし。』
『あら、私たちの昭和を愛する熱意があれば、いずれこの東京を揺るがすような大志を抱くかもしれないわよ?』
『くだらん。はやく飯をよそってくれ。』
『ええ、今すぐに用意するわ。』
2人の変わらない日常のなかに、真っ赤で燃え上がるような闘魂が渦巻く一日であった。
終わり