「……とある失踪事件の真相を突き止めて欲しい?」
吉良は今しがた依頼されたその依頼内容を反芻する。吉良はその依頼主である彼女をまじまじと見つめた。
……この女尼僧。
都内某所のとある寺で修行に励む彼女。他の尼の例に漏れず、その頭は丁寧に剃髪しており、黒い法衣を身に着けている。彼女は境内に配置されている灯籠の淵に座り込んでいる吉良に向かって不徳者だと注意を促すような真似は一切せずに、彼女は境内に参拝客によって持ち込まれたであろう、埃や塵をせっせとその箒で掃いている。
この世に仏というものがいるとするならば、きっと仏は彼女を清く正しい信徒であるとは見なすまい。否、そもそも自分にこのような依頼をしている時点でそのような議論すらもバカげていると言っていい。くたばった後に極楽浄土に行くことができずに苦しむこいつの顔を見てやりたい気もするが、何となく、自分はこの目の前の女よりも生前は酷い行いをしている気がする。恐らく成仏するとなれば、彼女よりも過酷な試練が自分の前に立ちはだかることだろう。
吉良は灯籠の上から箒を掃く彼女のことをじっと見つめるが、彼女はこちらを見向きもせずに作業に講じている。やがて彼女は今しがた吉良の発した反芻に対して同意の意を示した。
「そうです……そもそもこの事件は、表立っていません。そもそもここ日本では年間7~8万人の人が行方不明になっています。その内の一人や二人いなくなったところで、誰も気が付きません」
「……おいおい。そもそもその事件が世間に認知されていないっていうのに、どうしたって君のところに依頼が来るんだよ?」
「その失踪者の家族から依頼が来たのです。どのような経緯で私を知ったのかはわかりませんが……1年前に失踪した娘を探して欲しいと。当初は事件性があるとは思わなかったので私だけで調査をしていましたが、少々厄介だということがわかりましたので」
「それは一体どういう?」
「……失踪者の自宅付近の地縛霊に失踪日の当日に、彼女の身に一体なにが起こったのかを聞きました。どうやら、彼女は何者かによって連れ去られてしまったようです。」
彼女が言っていた「厄介」という意味がここにあるようだ。
「…おいおい。オレは『掃除屋』ではあるが、『便利屋』じゃあないぞ。そんな事件について解明しろなんて言われても、どうしようもない」
吉良は肩をすくめて、彼女に抗議する。確かに犯人の顔が分かっていれば幽霊なりのネットワークを駆使して探し出すこともできなくはないが、犯人の性別や年齢、顔さえも分かっておらず、また事件が表出していない以上それは困難を極める。
「……解明しろという表現をしましたが、既に被害者の両親も1年前に誘拐され、身代金も要求されていない。そんな状態で娘が生きているとは殆ど思っていないとおっしゃっていました。犯人を見つけ娘の居場所を聞き、事の次第によっては「掃除」をお願いしたいとのことです」
「なるほどねぇ……報酬は?」
「今回は25万に必要経費別です」
……毎度のこと思っているが、あまりにも報酬が安すぎる。こんな仕事をさせられているというのに、あまりにも安すぎる。
「掃除」承知の仕事であれば、依頼者からは10倍以上の金額をもらっていてもおかしくないというのに、自分の手元に渡るのは正に雀の涙だ。とどのつまり仲介者であるこいつによって相当な金額を中抜きされているということになる。
そもそも幽霊に金が必要であるか、と問われれば別に必要ではない。腹が減るわけでもないし、喉も乾かず、そして服や車やらを欲しがる必要すらない。それでも吉良が安請け合いの仕事を受け続けるのにはある理由があった。
「心休まる自分だけの家が欲しい」
実体を失った幽霊と成れ果て、記憶すらも失った自分に残された唯一の思念。それは偏に心の平穏を追い求めるというものだった。いつか自分だけの部屋で夜風に吹かれることのない、落ち着いて本や音楽を嗜むことができる、そんな部屋にいつか住むためにはある程度まとまった金がいる。
といっても幽霊である自分自身が不動産屋に行って住宅を見ることもできなければ、ローンを組むことすらできない。そんなことは分かっていたが、吉良はその僅かな希望を、現世に留まるその活力を捨てきれずにいられなかった。
……以前に太平洋戦争によるアメリカ軍の爆撃によって焼失した屋敷が幽霊化したという奇妙な現象に直面したが、その家で遭遇した奇妙な卵から産まれた生物によって片腕を持ってかれ、その屋敷に住まうことは叶わなかった。(なくなった腕は次の依頼のターゲットから頂いたが)
幽霊化した部屋にまた出会うことができる可能性はあるが、それはあまり現実的な方法ではないだろう。同じように家を持ちたいと思う輩が既に発見し、住んでいるという可能性もないわけではない。
「……分かった。とりあえず調べるだけ調べてみよう」
目下はこの女の言う通りに行動するしかない。吉良はようやく灯籠から降り、彼女から被害者の家の住所を聞きだすと足早に境内から立ち去った。
都内某所。
被害者の家の前に着いた吉良は、尼に被害者が誘拐されたと証言した地縛霊を探すことからその仕事を開始した。
あたりを見渡すと、家から10メートル離れた塀の上に頭だけになった男の幽霊の姿があった。
男の姿は、首から下が無くなっているという何とも不憫なものになっていた。
幽霊というものは、生きている人間や動物に自分の意思を持って触れることはできるが、自分の意思に依らない状態で生物に触れられると、その触れられた箇所が千切れるというなんとも不便な性質を持っていた。大方あの男も不注意で首以外は全て犬や何やらに触れられて無くなってしまったのだろう。
吉良はゆっくりと男の方へと歩み寄ると、塀の上にいる彼を見上げながら口を開いた。
「……誘拐事件を目撃したっていうのはお前か?」
「……あぁ」
無表情のまま、男はそう言葉を告げる。既に長い時を首のまま、何もすることができずに過ごして気力が起きないのだろう。
「それなら話は早い。当日の事件の様子について、詳しく教えてくれ」
「……」
吉良の問いに対して、男が答える様子はない。しばらく時を経ても返事がないことにうんざりとした様子で吉良はぐるりとその目を回すと、再度同じ質問をするために口を開いた。
「……聞こえなかったのか?事件当日に何か見たかと……」
「……言いたくない。」
……は?
吉良は男が今しがた口にした内容に驚愕した。言いたくないとは一体どういった了見なのだろうか?吉良はため息を一つ付くと、口を開いた。
「……いやいやいや。だったらどうしてあの女に誘拐されたと言ったんだ?言いたくない理由がないのであればハナからそんな話をしなければいいじゃあないか」
「それは彼女が聖職者だったからだ。こんな身にはなったが、仏に仕えている彼女に嘘はつきたくない。」
「……オレはその彼女の使いで来たんだ。面倒な手間は省きたいからさっさと教えてくれ」
「とにもかくにも、君に話すことは何もない!帰ってくれ!」
いつもであれば、首だけで大声をまくし立てるその珍妙な姿を多少なりともユーモラスだと感じたかもしれないが、今の吉良は既に虫の居所が悪く、そんな彼の姿を見てもその怒りがますます湧いてくるだけだった。
「……ならば仕方ないな。」
吉良は塀の上にまるでチェシャ猫のように身軽な様子で上ると、男の髪を掴んでその頭を持ち上げた。
「おい!何をするんだ!放せ!」
吉良はその頭を掴んだまま、先程自分がいた方とは逆の方の、塀の向こうを覗き込む。そこは一軒家の庭になっていた。
……いいものを見つけた。
吉良の視界の先には、庭の端に拵えられた木製の小屋が見える。吉良は塀の上に置かれていた小石を取って、その小屋の屋根に向かって放り投げた。
何かが小屋から飛び出し、吉良たちの方へと視線を向けると勢い良くそちらへと走り寄って彼らに向かって勢いよく吠えたてた。
ワン!ワンワン!
それは家で飼育されているであろう柴犬だった。吉良たちのいる塀の真下で前足を搔きながら、しきりに彼らに向かって吠えたてている。
「ヒッ……」
男の口から悲鳴が漏れ出る。この男に既に足はない。もしもこの犬に捕まってしまえば、それこそ強制的にこの世からその魂が消失することになる。そんな男に視線をやると、吉良はその口角をにやりと引き上げながら口を開いた。
「……そういえば君。さっき離してくれと言っていたな……ずっと髪を掴んで済まなかったな。放してやるよ」
吉良はそう言って男の頭を柴犬の真上に移動させ、一瞬放す素振りを見せる。男の口からは遂に溢れんばかりの悲鳴が漏れ出た。
「……あぁぁぁぁ!分かった、分かった!全部言うから!放すな!放さないでください!」
「さっきから放せだの放すなだのややこしいなぁ……まぁいい、もう一度だけ質問する。その日、起きたことを全て話してもらおう」
男の口から告げられた真実。それは事件の解決、そして犯人の捜索を目指している吉良にとっては非常に有益なものだった。
……犯人は1人の男。深夜の犯行だったためその顔を見ることはできなかったが、腕をまくった際に特徴的な傷があったようだ。男は女の傍に車を乗りつけると非常に手慣れた様子で女を気絶させると、車に女を押し込んでそのまま現場を立ち去った。
恐らくだが、犯人は初犯ではない。同じような事件を何度か起こし、そして足が付くことなく、否そもそも事件として認知することなく今日に至っている。
そして男が犯行に使ったという車の車種、そしてナンバーも男の口から聞き出すことができた。普通ならば1年前のことなら覚えていないだろうが、彼は身動きが取れず、移ろわぬ日々を過ごさざるを得なかった幽霊だ。目のまえで起こった突然のイレギュラーな出来事は、彼の退屈で満たされていた記憶に細部までこびり付いていたということだろう。
……これならば殆ど犯人は割り出したも同然だ。
「……なるほど。貴重な証言をありがとう」
吉良は空いている方の手で山高帽のツバを少しだけ上げて感謝の意を示すと、首だけの男の顔をじっと覗き込んだ。
「……おい、何しているんだ!知っていることは全部話した!早く放してくれ!」
「……そうだな。協力感謝する」
そうつぶやくと吉良は男の髪を掴んでいたその手をパッと放す。支えられていた手から離れ、男の頭が落下していくと、犬がすかさずその頭に飛び掛かっていった。
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男の絶叫と犬のうなり声が辺りに響き渡る中、吉良は塀から降りてその場を立ち去る。あたりはすっかりと暗くなっている。そろそろこの家の家主が一体何の用かと起きてくる頃合いだ。
さて、今日の仕事はもう終わりだ。明日にでも陸運局に忍び込んでナンバーを照会すれば犯人の居場所もつかめることだろう。
「……さてはて、今日は何処で眠ろうかな」
吉良はぶらぶらとその場から立ち去ろうとする。その時だった。
「……貴方、結構いい性格してるわね」
その声に、吉良は訝し気にその方向へと首を向ける。そこには一人の少女……夜の闇に溶け込むようなロングの黒髪に、その頭の上には特徴的な耳が覗かせていた。
……直感でわかる。彼女はオレと同類だ。
「ウマ娘の幽霊とは、いやはや珍しいじゃあないか。君、名前はなんて言うんだい?」
「…………」
吉良の質問に、彼女は答えない。しばしの沈黙の後に彼女は徐に口を開いたが、それは吉良の質問に答えるためではなかった。
「……どうしてあんな話をあの幽霊から聞いてたの?」
「……君に関係ないだろう」
別に守秘義務というものはないが、どこのウマ娘の骨とも分からぬ、ましてや自分の名前すら名乗ろうとしない見ず知らずの彼女に対して教えてやる義理もない。吉良はさっさと立ち去ろうとすると、その背中に再び声を掛けられた。
「もし話を聞かせてくれたら、貴方に今日泊まる場所をあげる」
その言葉に、吉良はぴたりと立ち止まる。それは吉良によって、願ってもない提案だった。先程の自分の独り言を、聞かれていたということだろう。それは今の吉良にとって、この上ない馳走だった。
……それでも。
いくらなんでも都合がよすぎる。何か裏があるのではないかと吉良はその提案に食いつく直前に踏みとどまった。
「……一体なんのつもりだ」
「………それは秘密」
……名前に加え、目的さえも明かさない。これはいよいよ雲行きが怪しくなってきた。こんな相手の提案を易々と受け入れるほどこの吉良吉影は間抜けじゃあない。
「……いいだろう」
……え?
今オレはなんて言った?いいだろう、そう言ったのか?吉良は自分自身の発したその発言に驚愕した。今オレはこの提案を受け入れたのか?それほどまでにあの提案は、自分自身にとって魅力的この上ない代物だったというわけか。
動揺する吉良を余所に、彼女はクスっと微笑むと夜の道を進み始める。彼女は吉良の方へと顔を向けると、クスっと微笑みながら口を開いた。
「……じゃあ行こうか。場所まで案内するわ……彼女ならきっと、貴方のことも受け入れたくれるはずだから」
「……彼女?」
「えぇ。彼女は私たち『この世ならざる者』の姿を見ることができるから……きっと貴方の力になってくれるはずよ」