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日本の高校生二年生――木村健太郎は異世界のナギカケ帝国にトリップした。
時は帝国歴二七九年、アセンドス三世が王の座に就き、すでに三十五年の月日が経っていた。
七台の馬車が列をなして道を進んでいる。
中央の一台から身を乗り出した少女が、楽しげな様子で声を上げる。
「綺麗なところですね~」
声の主は帝国の第四王女セリーダ。
ナギカケ帝国の辺境、そのまた辺境に視察へ訪れていた。
ドがつくほどの辺境にあるハテノ鉱山にて、多量の魔鉄鋼が発見されたと報告が上がったためである。
通常であれば、このような視察を王女にやらせることなどまずない。
しかし、末っ子であるセリーダが活躍の場を求めていたので、アセンドス三世が父の情を出した結果と言える。
他の理由もある、近々、隣国の王国と戦争になる。
城の内部も物々しい気配になり、末っ子をそのような場に置いておきたくなかった。
こちらが大きい。
他の王子や王女らも王の決定に口を出すことはなかった。
第四王女のセリーダは、王位継承権で最も下、さらに下から二番目の第五王子と比べても十以上歳が離れている。
アセンドス三世の最後の子と言われ、他の兄弟からも息子や娘かというようにかわいがられている。
王位争いには巻き込みたくないという王の意志が、他の王子や王女にも伝わっており、歯牙にもかけられていなかったというのが正しい。
要するに「忙しくて子守りができないから、しばらく安全なところで遊んできてくれ」というのが城の総意である。
それなりの警護と、主目的である魔鉄鋼の専門家、王女の世話係とが辺境の地を進んでいた。
王女の胸元で揺れるブローチは守護の魔法が幾十に織り込んであるものだ。
過保護な父親が持たせた紛れもない国宝である。
彼らの行き先であるハテノ鉱山では、魔鉄鋼が生み出した魔物たちが彼らを待ち構えている。
一方、場所と時間は移り、異世界に迷いこんだ木村である。
彼はすでにハテノ鉱山の中にいた。しかし、木村はここがどこかなど知らない。
木村は新しく配信されたゲームをストアからダウンロードし、インストール待ちで寝落ちした。
そして、異世界にいた。
木村は、夢か何かだと思っている。
まさか異世界に本当に来ているとは思っていない。
目が覚めたら、殺風景な岩に囲まれ、隣に謎のおっさんが立っていた。
日本人ではない。体格が無駄によく、背も高い、彫りの深い顔で腕を組んで木村を見下ろしている。
「よう。目が覚めたか? さっそくだが、お前さんの名前を教えてくれ」
おっさんはいきなり木村に声をかける。
どこかで聞いたことのある声だ、と木村は感じた。
アニメか何かで聞いたことがある。しかし、何のキャラだったがなかなか思い出せない。
「おい。聞こえているか。お前さんの名前を聞かせてくれ」
おっさんが木村の肩に手をかけ軽く揺さぶる。
「木村です」
「キィムラァか。良い名前だ」
うんうんとおっさんは頷く。
そうだろうかと木村は思うが、おっさんは話を続ける。
「キィムラァ。お前さんも知っているように、この世界は今、大変な状況におかれている」
「いや、知らないけど……」
「力強いな。お前さんには世界の危機など些事と言うことか。いかにも、お前さんには不思議な力があるからな。さすが俺が見込んだ男だ」
木村の話などお構いなしでおっさんは話を続ける。
見込んだ男と言いつつ、名前も知らないとはどういうことかと木村は突っ込みたかった。
「なんだ! 叫び声がしたな! 行くぞ、キィムラァ!」
おっさんが突如声を張り上げ、振り返ってどこかへ走って行く。
木村には叫び声などまったく聞こえなかった。
「どうしたんだ! 急げ!」
おっさんが道の奥から木村へ声をかける。
木村は不承不承ながらも、おっさんの方へと歩いていった。
その後も、おっさんが走って行く方に歩いてついて行くと木村にも声が聞こえてきた。
金属のぶつかる硬い音、何か重たい物が落ちる音、テレビやスマホの中でしか聞いたことがないような炸裂音。
そして、人間の叫び声だ。
「近いな!」
おっさんはドンドンと走るが、木村の足どりは重くなっていく。
音が近づき、より大きくなるほど体がこわばっていくのを木村は感じていた。
「見ろ! 人が魔物に襲われているぞ!」
岩の道の先へ出ると、少し開けた場に出た。
木村やおっさんが居る場所は高台で、その下には鎧を着込んだ人間と、見たことがないような大きさの狼が戦っている。
「助けに行くぞ!」
おっさんがすぐさま高台から下りた。
空中でなぜか一回転してから地上にふわりと着地する。
「キィムラァ! 速く飛び降りるんだ!」
木村は高所恐怖症というわけではない。
しかし、彼のいる高台からおっさんが下りた場所は五メートルは優にある。
校舎三階から見下ろした景色を想像して欲しい。人は小さく映り、声も遠く感じる。
着地する床はクッションではない。もろに地面、地面と言うより岩肌である。間違いなく痛い。
「心配するな! お前ならいける!」
おっさんが根拠もなく、木村に発破をかける。
「怖いなら目を瞑って飛べ! 飛ぶんだ、木村! 男を見せろ! さぁ、来い!」
おっさんが両腕を広げる。
俺が受け止めてやるから、と言わんばかりだ。
このときばかりは木村は謎のおっさんの体格の良さに安心感を覚えていた。
――このおっさんなら受け止めてくれる、と。
木村は飛んだ。
「うわああああ!」
木村は大声を出すことで恐怖心を紛らわした。
おっさんは木村が飛ぶと腕を引っ込めて距離を取った。
予想される木村の着地点には誰もいない。
「おまっ! ええええぇぇぇ!」
地面が近づき、足から着地する。
足だけで勢いは到底殺せず、膝、腰、手、腕、頭と地面に次々と打ちつける。
痛みが全身をくまなく襲い、立ち上がることすらできない。
「何者だ?!」」
戦闘中の兵士が木村たちに声を上げた。
兵士の声は大きい。彼らにとって、木村とおっさんが敵か味方が大きな問題になる。
この確認は最優先にすべきことであった。声が大きくなっても無理はない。
「よくぞ聞いてくれた! この男の名はキィムラァ! 仁義により、お前たちの加勢をさせていただく!」
おっさんは兵士たちの声をさらに数倍にした声で木村を紹介した。
あまりの音声で対峙していた獣たちも驚き、その場を退いていってしまう。
「さすがキィムラァだな。場に現れるだけで獣どもが逃げていったぞ」
フハハ、と笑うおっさんに対し、木村は痛みに囚われ地面の上を転がっている。
「じょ、助力に感謝する。我々は姫様の元に行くゆえ、先ほどの獣をここで足止めしていただきたい」
「あいわかった! 必ずや、キィムラァがこの道を死守するゆえ、どうか貴殿らも自身の役目を果たしあられたい!」
兵士が腕を胸の高さに掲げ、おっさんに敬意を示す。
おっさんは兵士に背中を見せることで、彼らが立ち去るのを見送った。
木村はなおも地面で蹲っている。
2.10連召喚
木村がやっとのことで立ち上がると、おっさんと獣たちが対峙していた。
おっさんの立ち姿はあまりにも雄々しい。腕を組んで立っているだけなのに巨像か何かかと木村は錯覚するほどだ。
木村だけではない。獣たちもまた、おっさんただ一人を前に動けずいる。
「ようやく起きたか。見てのとおり、状況は良くない。なんとか抑えているが、このままでは突破される」
木村は突破される光景が思い描けなかったが、とりあえず「はぁ」と気のない返事をする。
「キィムラァ。もう良いだろう。お前の力を見せるときだ。俺が見込んだお前の不思議な力を見せてくれ」
「不思議な力なんてないけど……」
「いや。ある。お前には力がある。まだ、気づいていないだけだ。目を凝らしてありのままに世界を見てみるんだ」
木村は不思議な力を感じた。
まるで本当に自分には何か力があるんじゃないかと感じた、……ないのに。
「キィムラァ、目を閉じろ」
「え、でも」
「いいから目を瞑れ」
否応なしに目を瞑らされる。
「ゆっくりだ。ゆっくり目を開け、お前なら見えるはずだ」
木村が目を開くと本当にあり得ないものが見えた。
目の前にいたおっさんを塞ぐように、四角い枠が出ている。
“10連召喚!”
でかでかと、しかも派手派手しい装飾でそう書かれている。
「見えたな。それがお前さんの力だ」
「えぇ、何これ?」
「さあ、力を行使するんだ!」
木村が「10連召喚!」と書かれた枠をタッチする。
周囲の時が止まった。
木村を囲むように十の扉が虚空から次々と現れる。
九個目の扉まではボロボロの扉だったが、十個の扉は虹色に輝き、神秘的な扉であった。
まんまソシャゲの高レア確定演出だったが、木村は口に出さなかった。
…………木村は待っているが、扉は開く様子がない。
「何をぼんやりしているんだ? 早く開けないか。運命の扉は自らの手で開くものだぞ」
時間が止まっていると木村は思っていたが、おっさんは普通に動いて側にやってきていた。
なお、デカい狼の方は停止しているので、このおっさんが特別なのだ。
「さあ」
おっさんの声に導かれ、木村は虹色の扉へと近づく。
まさに扉に手をかけようとしていたとき、おっさんが声をかけた。
「なぁ、キィムラァよ。物事には順序ってもんがある。その扉は最後にするべきだと俺は思うぞ」
「……あ、はい」
静かな圧力を受け、木村は隣の木の扉へと移動した。
木の扉を押すと、蝶番がいかれたような「キィィ」と耳障りな音がして扉が開く。
逆光だった。
扉の中に人影が見えるが、眩しくて誰かはわからない。
光が徐々に収まり、ようやく木村はその人物を見ることができた。
体格は良い。背も高い。彫りの深い顔で腕を組んで木村を見下ろしている。
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
木の扉から出てきたのは、木村のすぐ後ろにいたはずのおっさんだった。
木村がすぐさま振り返って見るが、彼の後ろにいたはずのおっさんは消えてしまっている。
「えっ? ……ええっ?」
「どうしたんだ、後ろを振り返ったりして。次の扉を開くんだぞ」
木村は首を捻りながら、次の木の扉を戦々恐々と開く。
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
光が収まるとまたしてもおっさんが出てきた。
木村の後ろにいたはずのおっさんは、やはりどこかに行ってしまってもういない。
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
九回ほど同じ声と挨拶を聞き、木村は頭がおかしくなりそうだった。
自分はソシャゲの夢を見ていると思っていたが、世にも奇○な物語の夢かと思ったほどだ。
しかし、まだ木村には希望があった。
最後の扉だけは、明らかに見た目が違う。ボロボロの木の扉ではない。
すなわち謎のおっさんは出てこないはずだ。
「最後の扉だぞ。すごい力を感じるな」
木村が扉に近づくと、扉の煌めきはさらに増した。
手を扉にかけて、ゆっくりと押し開く。
逆光も今までの比ではない。
光自体が力を持っているようで、木村は思わず後ずさる。
「儂を呼び寄せるとは愚かな人の子がいたものよ」
妖艶な女の声が木村の耳を撫でた。
同時に、甘ったるい嗅いだことのない臭いが彼の鼻をくすぐる。
「おやぁ、まだ乳臭い坊やじゃないかぁ。儂がかわいガッ――」
あと一歩で扉から出てくるというところで、謎の存在は見えない壁にぶつかって止まった。
謎の存在が持っていたと思われる棒が地面に転がる。
「痛っつ……、なんだぁ、これはぁ! は? 待――」
虹色の扉がパタンと閉まった。
全ての扉が消え去る。
「お、これはすごいな! ☆5の装備品だぞ!」
おっさんが謎の棒を拾い、木村に見せてくる。
木村はまだ状況が理解できずにいた。
確かに謎の存在はいた。おそらく女だったと思う。
謎の女が扉から出る途中で何かに阻まれて、扉から出てこなかった。
謎の女が持っていたであろう棒だけが地面に転がり、女はもはや現れることはない。
「ほれ、どうした木村。お前が持っておくんだぞ」
おっさんが差し出してきた小さな棒を木村は手にした。
同時に不可解な情報が木村へと流れ込んでくる。
『
どうやら先ほどの存在は菫狐アコニトというらしい。
棒は煙管だったようで、見た目よりもずっと重く、木村の素人目で見ても作りがしっかりとしていた。
時は動き出す。
狼の唸り声が聞こえ、状況はおっさんと木村、そして新たな武器の煙管である。
「おいおい、キィムラァ。その煙管は専用装備だ。お前さんじゃ使えないぞ」
「駄目じゃないか」
駄目だった。10連を回して、九人のおっさんとレア度☆5の煙管(使えない)が出ただけ。
つまるところ状況は何も変化していない。
「駄目駄目じゃん」
木村は二回言った。
しかも二回目は駄目を重ねた。
ダメダメすぎた。
糞ガチャだ。リセマラのやり方を教えて欲しい。
それかアンインストールの方法でも良い、木村は心からそう思った。
「どうすりゃいいの?」
「待て。焦るな。まだ手はある」
おっさんがポケットに手を入れ、抜き出すとそこにはしわくちゃになった封筒が握られていた。
ほれ、とおっさんが木村に差し出す。
「俺には読めなかったが、お前なら読めるだろう」
しわくちゃになった封筒を軽く伸ばし、封を開けて手紙を取り出す。
“カゲルギ=テイルズ リリース記念の10連ガチャチケット”
名前に見覚えがあった。
カゲルギ=テイルズは木村がタブレットにダウンロードしたゲームのはずだ。
そんなことはどうでもいいかと木村は10連ガチャチケットの方に目が行く。
手紙がそのまま消え、木村の目の前には先ほどのように「10連召喚!」の文字がでかでかと浮かんでいる。
木村は力強く、その文字を押した。
先ほどのように扉が次々と現れる。
九個の扉が全てボロボロの木の扉で、十個目だけが金色の扉だった。
ひとまず、おっさん以外のキャラが出てくれれば、木村はそう願って扉を押していく。
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「クソがッ!」
木村は激怒した。
手に持っていた煙管を地面に叩きつけた。
煙管は頑丈であり、折れるどころか傷一つ付くことはない。
自らの非力さが、彼をさらに怒らせる。
「何でだよ! 『俺の出番だな』どころか、お前の出番しかねぇじゃんか!」
「キィムラァ、なぁ、落ち着け。世の中、何でもかんでも自分の思ったとおりになるわけじゃないぞ。それに、まだ最後の扉が残ってる。希望はある。まだ希望は潰えていない。だろ」
誰のせいだ、とおっさんをにらみつけるが確かに扉はあと一つ残っている。
木村は深く息を吸い、扉に手をかける。
もしも先ほどのように専用装備品だったら……。
嫌な思いにとらわれて手は止まったが、体重をかけ、なんとか体で金の扉をこじ開けた。
まばゆいほど逆光。
扉の内側に倒れかけた木村を細い腕が支える。
腕こそ細いが、支える側の体はぶれることがない。まるで大樹に身を預けているようだった。
「私を呼んだのは貴殿か。よろしい。ともに進もうではないか」
凜々しい声が木村の耳を打つ。
女性の声だ。顔立ちも声のように格好良く、それでいて女性らしさもある。
「ようやく当たりを引いた」、木村の目頭には涙が溜まっていた。
「行こう。我が主よ」
「……はい」
女性に支えられつつ扉を出る。
出ると同時に金色の光が、虹色の光へと変わった。
「どこへ行くか。その坊やは儂の獲物じゃ」
扉の外に出た木村が振り返ると、凜々しい女性の背後から怪しい影が忍び寄っていた。
「何者ッ?!」
凜々しい女性が振り返り、しかし、その体はすぐにふらりと倒れた。
「やぁやぁ、坊やぁ。先ほどぶりだなぁ」
倒れた女を足蹴にして、気持ち悪い笑みを浮かべた女が扉から出てきた。
顔は女である。頭に狐のような耳がついている。顔立ちは綺麗だがどこか歪んでおり不気味さを感じさせた。
薄紫色の地面まで届く髪を引きずりながら、木村へと歩み寄ってくる。
彼女の背後には、彼女よりも背の高い毛の生えた尾が何本も見えている。
ふへ、ふへへぇと女は笑いながら、地面に落ちた煙管を拾い上げ口にあてた。
「紹介が遅れたなぁ。儂はアコニト。菫狐アコニトだぁ。久方ぶりの現世。楽しませてもらうぞぉ」
アコニトが、紅を塗った唇から円になった煙を吐き出す。
扉は全て消え、またしても動き出した狼たちとの戦闘が再開された。
3.スキルテーブル
狼たちの標的が突如現れた菫狐アコニトに移る。
「儂は野良犬が嫌いだぁ」
アコニトは煙管から吸い込んだ煙を「ふぅ~」と狼の方へと吹きかける。
にたりと笑うアコニトに対し、狼は一瞬だけ嫌そうな顔を見せたが、すぐに体勢を戻し、アコニトに襲いかかった。
「ふぁっ? はっ?」
アコニトは再び息を狼に吹きかける。
狼は何の反応も示さず、勢いのままアコニトに襲いかかった。
アコニトは狼にあっさりと組み伏せられ、その襲い来る牙を両手で必死に抑え込んでいる。
「どういうことだぁ! なぜ儂の毒が通じん!」
「なるほどな。どうやらキィムラァに召喚された存在は扉から出た直後に、力が初期化されるようだ」
おっさんが説明し、菫狐はポカンと口を開く。
「ふ、ふざけるなよ! 儂のだぞぉ! 返せ! 儂の力を返せッ!」
おっさんは無慈悲に首を横に振った。
「俺には無理だ。しかし、キィムラァならできるかもしれない。見せてくれ、キィムラァ。お前さんの力を」
「できないよ」
「諦めるな。目を凝らせ。あの女狐をよく見るんだ」
おっさんの声に従い、木村はアコニトを見る。
狼の牙を全力で避けている彼女に木村は視線を移した。
木村の視界の中にぼんやりと文字が浮かんでくる。
ぼんやりとした文字に焦点を当てていくと文字がくっきりと見えてきた。
“スキルテーブル”
浮かんで来た文字を木村は指で押す。
まるで星座のように微かな光が無数の線で結ばれている。
その中で唯一強く光る点を木村は見た。
強く光る点から伸びる微かな光の点を見ると、“ステータスアップ”とあった。
ただし、聞き覚えのない必要素材も書いてある。
「駄目だね。素材がいるんだって」
「どうにかしろッ! 化けて出るぞッ!」
今まさに食いちぎられようとしていたアコニトが血走った目で木村を見る。
そんな恐ろしい目で見られてもないものはない。木村は困ったようにおっさんを見た。
「任せておけ」
おっさんがまたしてもポケットに手を入れた。
取り出したのは小さな袋である。
ほい、と先ほどのように小さな袋を木村に渡す。
小さな袋を開くとどこに入っていたのかさっぱりわからないが次から次へと見たことのない物体が出てくる。
最後に小さな手紙がヒラヒラと木村の顔の前を飛ぶ。
木村はキャッチして、その手紙を読む。
“事前登録三千人突破の報酬です”
……少なかった。
通常は数万とか数十万突破の報酬だろう。
どれだけ期待されてなかったかがベンダー目線でもわかる数字であった。
ともあれアイテムはアイテムである。
木村は再び意識してスキルテーブルを呼び出す。
微かに光る点を選び、そこを光らせると意識する。
どんどんと点が光り始め、周囲のアイテムも消えていった。
「褒めてつかわすぞ、坊やぁ! お前は最後に殺してやる!」
アコニトに乗っかかっていた狼が倒れ、その狼をアコニトは軽くはね除けた。
周囲にいた狼たちにも口から煙を一吹きすると、瞬く間に狼たちは苦悶にあえぎ崩れ落ちる。
「ふむ。まだまだ足らぬが良いだろう」
「さすがキィムラァだ。あっという間に戦力を増したな」
おっさんがうんうんと満足そうに頷いている。
「なんだぁ、うぬは? 見ておるだけで何の役にも立たぬではないかぁ。儂を愚弄した報いを受けよ」
アコニトがおっさんへ近づき、ツバを吐くように口から煙を吹きかけた。
白い煙がおっさんの顔を包んでいく。
煙が晴れ、おっさんは何事もないかのように立っている。
おっさんは右手をすーっと肩の高さまであげた。
「息が臭い!」
あげた右手が今度は横に振られ、アコニトの頬を強く打った。
バチンというすごい音がして、アコニトが頬を抑えて体をよろめかす。
「き、きさま、この儂をぶっ――」
「人の前で葉っぱを吸うな。大馬鹿狐が!」
続けてあげられていた左手が、今度は逆からアコニトを叩いた。
左にふらついていたアコニトの体が、今度は右にふらつき、そのまま地面に倒れた。
叩かれる姿を呆然と見ていた木村は、アコニトが倒れてもやはり呆然としたままだった。
「む! 聞こえたかキィムラァ? 外の状況が良くないようだぞ。ここの魔物は全て倒した。外の応援に行こう」
「はい」
先ほどよりも従順におっさんの声に従う。
ちなみにおっさんが聞こえたという何かは、木村にはまったく聞こえていない。
「はい」と返事はしたものの、ここにアコニトをおいていくのもどうかと木村は思った。
可哀相だという感傷的な気持ちからきたものではない。
もったいないという気持ちだ。敵意こそあれど、せっかくの素材をつぎ込んだ戦力である。
いざとなればこのおっさんが戦えそうだが、いまいち当てにできない。
「キィムラァは優しいな」
おっさんも木村の真意はともかく、やって欲しいことを悟った。
「俺が女狐を運ぼう」
「助かる」
おっさんが間抜け顔で倒れたアコニトに寄り、彼女の立派な尻尾を掴む。
尻尾を掴んだまま、彼女を引きずっておっさんは道を進んでいく。
「んがっ、うがっ、ガッ」
地面の岩肌に顔をぶつける度にアコニトが声を漏らす。
そのささやかな声を木村は追いかけていった。
4.スペシャルスキル
おっさんと木村、あとアコニトが鉱山の外に出る。
鉱山の中も殺風景だったが、外も同様に殺風景だ。木や草が見当たらない。
むき出しになった岩肌と、石を運ぶためのトロッコがところどころに見受けられる。
さらに、目立つのが人である。
兵士には見えない男達があちらこちらで血を流して倒れていた。
「もう死んでいる。行くぞ。キィムラァ」
おっさんはすぐに走り始める。
木村もなけなしの体力でおっさんを追いかける。
アコニトはまだ引きずられている。
叫び声がようやく木村にも聞こえてきた。
同時に獣の死体と兵士の死体が目立ち始める。
おっさんに敬礼をした兵士も獣と一緒に地面を転がっていた。
「……うっ、おえぇ」
あまりの臭いに、木村は自らの胃からせり上がってくるものを抑えきれなかった。
「む、ここはどこだぁ? 儂はなぜ倒れておる? ん、なんじゃ坊やじゃあないかぁ。顔色がずいぶんと……おま、待て! ふがぁあああああ!」
木村の戻した物体がアコニトを襲い、アコニトは悶絶している。
「ギリギリで間に合ったようだな」
おっさんの視線の先には、数台の馬車と数人の兵士、それに魔法使いもいた。
彼らを取り巻くように獣たちも集まっている。群れの中にはひときわ大きな個体が見受けられる。
「わかるか? 大きいぞ」
見たまんまである。大きさより強さをどうこう言って欲しいと木村は感じた。
いわゆるボス戦というやつだろう。
「キィムラァ。お前さんのさらなる力が必要だ」
「まだあるの?」
「必殺技を使うときだ。あの女狐を見るんだ」
アコニトは顔についた木村のゲロを近くの土で拭いていた。
かけた側の木村が思うのもアレだが、ゲロを土で拭いて綺麗になるのかと考えている。
“スペシャルスキル 発動可能!”
「見えたか? 押してみろ。お前さんならこの状況を打開することができるはずだ」
浮かび上がってきた文字を木村は指で押さえる。
「……は? 坊や。うぬは、儂の深淵まで引き出せるのか」
ポカンとした顔でアコニトが木村を見る。
「儂は良いが、――後悔するんじゃあないぞぉ」
木村は押した指を枠から離した。
アコニトの姿が徐々に薄くなっていく。
そして、周囲は薄紫色の霧に飲み込まれる。
獣たちや兵士達、魔法使い、地面に転がる死体や他の何もかもが薄紫色に包まれた。
木村は霧に包まれ、安易に動くこともできず、周囲の音も聞こえない。
ただただその場で動かずに立ち尽くす。
やがて紫色の霧は晴れ、四つの影だけが残った。
木村、おっさん、アコニト、帝国の第四王女セリーダである。
死体も、ボスも、他の魔物たち、馬車ですら、もはやこの場には残っていない。
何もなくなってしまった中で、反省会がおこなわれている。
「女狐は加減の一つもできんのか?」
「勝手に儂の深淵を引き出しておいて何を言うか! 見ることができただけでも一生の宝とするが良いわ! それより、なぜお主らは溶けておらんのだぁ? ありえんぞ」
おっさんが女狐をなじり、アコニトが反論する。
残った人間二人は何も発言しない。
一人はやってしまったことの重大さをようやくわかり始めたから。
もう一人は起きたことの重大さがまったく理解できていないから。
「ほぉ。人の子に付けるにはもったいない呪具だぁ」
ぽつねんと地面に座り込んでいる王女セリーダにアコニトが近寄る。
「カレイラ。チャールストン。どこに行ったの?」
セリーダは左右を見渡している。
まるで迷子になった子供のようであった。
「ふひひぃ、みぃんな溶けてなくなったよぉ」
「……嘘です。みなが私の側から離れることなどあり得ません」
アコニトはセリーダの言を聞きゲラゲラと笑った。
「嘘です。あり得ません。お父様に言わなくては。みんなを探さなければ……」
ぶつぶつと口にしてセリーダは立ち上がる。
彼女の背後におっさんが立ち、王女の首にぶら下がるブローチを抜き取った。
「やれ、女狐」
「ほぅれ」
アコニトが正面からセリーダに煙を吹きかける。
おっさんとアコニトの連携は無駄がなかった。
セリーダの顔が虚ろになる。何も言わず、目がとろんと垂れる。
「質問に答えてもらおうかぁ。まず、お嬢ちゃんの名前は?」
「セリーナ・アルテスノ=ロイエンカルナ、です」
「知らんぞぉ。そもそもここは何て国だぁ?」
「ナギカケ帝国、です」
アコニトはこれにも首をかしげた。
「どこにある国だぁ?
「ぁ……」
「知らない、だとぉ?」
ふざけ半分だったアコニトの顔が徐々に引き締まっていく。
横で見ていた木村ですら、何か想定外のことが起きていることを察した。
「今は、いつだぁ?」
「帝国歴二七九年、です」
「儂の聞き方が悪かった。……この世界にいる神の名を片っ端から言ってみろぉ」
セリーダが次々と彼女の知る神の名を言っていく。
木村はそれをぼんやりと聞いていた。彼にとっては聞いたこともないものばかりだ。
ただ、アコニトにとっても同じだった。
「おぉい、坊やぁ! ここはいったいどこだぁ?」
その答えは木村にとっても知りたいところだった。
彼は彼が推測している中でもっとも正しいと思う解答を告げた。
「カゲルギ=テイルズというゲームの中、だと思う」
「げぇむってのは知らんが、儂もカゲルギ世界は知ってるぞぉ。だがなぁ、儂の知るカゲルギ世界にナギカケ帝国なんてないんだぁ。一国の王女が東日向の国を知らないなんてことはあり得ないなぁ。それにだぁ。東日向の三大影神第一柱である儂ですら、神々の名前にどれ一つとして心あたりがないってのはどういうことだぁ? なぁ、坊や。教えてくれぇ。儂はいったいどこに呼ばれたぁ?」
木村はわからないと首を横に振った。彼だって知りたいところだ。
そして、彼は、この場で唯一、全ての答えを知っていそうな人物を見る。
二人から注目の視線を受けたおっさんは目を逸らさない。
堂々と木村を、そしてアコニトを見つめ返す。
沈黙の後に、おっさんは口を開いた。
「最初に言ったとおりだ。キィムラァ。この世界は今、大変な状況におかれている。だが、俺は信じてるぞ。お前さんの力なら世界を救える、と――」
おっさんは親指を立てて木村に示した。
何の答えにもなってなかった。
5.曜日クエスト
帝都の最も標高が高い部屋でアセンドス三世は頭を抱えていた。
王国との戦争が近く、頭を悩ませている中で、まさかまったく別の私的な案件が入ってくるとは想定外だった。
帝都から保養に出した第四王女セリーダと連絡が取れない。
正確を期すならば、セリーダに付けている宮廷魔法師三名と定時連絡が取れない。
一昨日の夜の時点では連絡が取れていた。
ハテノ鉱山近くにあるサイハテ村に到着し、翌日に鉱山を視察するという旨であった。
セリーダも初めて見る光景に心を躍らせ、見るもの全てに感動し、歓喜の声を度々あげている、とアセンドスの聞きたかった話もきちんと連絡に含まれていた。
昨日は視察だけでなく、周囲の散策もすると連絡に含まれていた。
昨夜の連絡がないことは、セリーダのお守りで疲労があったのだろうと推測をしていた。
あるいは、報告書をまとめるのに時間がかかっているのだ、と王の側近は判断し、アセンドスもこれを是とした。
そして今日だ。
朝にセリーダ側と連絡を取ろうとしたが、反応がまったくない。
昼近くになっても、音沙汰がないため、何かに巻き込まれたと王と側近は判断した。
どのような可能性があるかを一通り議論し、無駄に時間をかけた後、見に行かねばわからないという凡庸な結論に達した。
「飛龍騎士団に行かせよ。セリーダを救い出すのだ」
王の言葉に、側近達は一瞬だけざわめいたが、すぐに落ち着き行動を開始する。
すでに何かに巻き込まれたことは確実だ。
王は祈る。
――セリーダ。どうか無事であってくれ、と。
願いは叶わなかった。
一方、時と場所は移って木村である。
よくわからないことに巻き込まれたなぁと木村は考えている。
異世界に行く話は、本やネットでも読んだことがあるし、アニメでも見たことがある。
ただ、まさか自分が巻き込まれる側になるとは思ってもみなかった。
しかも、カゲルギ=テイルズというゲームの中かと思っていたら、さらに別の世界だと菫狐アコニトは話す。
最初からいた謎のおっさんもほぼ謎のままだ。
とりあえず情報が欲しいと言うことで、アコニトの煙で催眠状態になった王女とともにナギカケ帝国の帝都を目指している。
勝手に頂戴した馬車に揺られていたのは最初だけだった。
「キィムラァ、遅れているぞ。お前さんならできる」
木村は馬車と並走している。
魔法の練習ということで走らされているが、何のためなのかが木村にはわかっていない。
おそらくスタミナが不足と見受けられての特訓なのだろう程度に考えていた。
木村に補助の魔法をかけたのは王女セリーダである。
この補助魔法のおかげで、影でもやしと評される木村でも馬車と並走できるほどになっている。
しかし、補助魔法をかけてくれているセリーダはどこを見ているのかわからない目で手を叩いていた。
「キームラー、キームラー、走りさぁーい。あははは」
控えめに言って、セリーダは催眠で精神が壊れていた。
催眠を解いても精神が壊れると考えられるので、今の状態の方が幸せかもしれない。
なぜかセリーダのスキルテーブルもいじることができたので、アコニトでは使わなかった素材をセリーダにつぎ込んだ。
補助の魔法がいくつか使えるようになって、木村もその恩恵に浴している。
主戦力のアコニトはどうか?
「空が落ちてくるぞぉ。見よ、卑小なる豚の子らよ。狸の尾が剣を持って月の湖で踊っておる。ふひぃ、ふひひっ、ひっひひひひ」
葉っぱを吸って頭がぶっとんだアコニトは笑い続けていた。
ときどきおっさんに首を絞められて幸せそうに眠る。
「二人の、笑い声で、頭が、どうにかなりそう」
補助の魔法をかけているにもかかわらず、木村の息は絶え絶えで今にも倒れそうだ。
しかし、おっさんがペースを絶妙に変え、なかなか倒れさせてくれない。
「キィムラァ、今日はスキルダンジョンに行くぞ!」
「は?」
「スキルダンジョンだ。今日は素材が落ちる日だ」
「そうなの?」
うむ、とおっさんは頷く。
ソシャゲでよくある曜日クエストというやつだ、と木村は理解した。
この世界はカゲルギ=テイルズの世界ではないが、ゲームシステムとしてのカゲルギ=テイルズは適用されるらしい。
木村にもよくわかっていないのだが、自らがプレイヤーとなっていることは、自身に与えられた力からもなんとなくわかる。
「そのスキルダンジョンは、どこにあるの?」
「そこだ」
おっさんが指をさす。
指の示す方向には湖があり、その中央の離れ島に祠がある。
「あの祠がスキルダンジョンだぞ」
都合が良すぎではないかと木村は思ったが口には出さない。
昨日も同じ流れがあった。
ちなみに昨日は上限突破素材とやらを集めた。
アコニトや他のキャラの成長限界値を上げるための素材だ。
試練の塔とか言うのが、地上からタケノコのように生えていて、挑めるところまで挑んでみた。
「おい、女狐。スキルダンジョンへ行くぞ」
「よーしよし。いけ、飛ぶぞ、泳ぐぞ、負けないぞ、儂も行くのだ! ハイ、ヨーイドーン!」
頭がトンでいるアコニトが、ブリッジをしたままの四足歩行で湖へ突っ走り、水の中へ迷いなく入っていった。
「セリーダは水魔法の特訓だ。水面と足の裏に魔法をかけて祠まで行くぞ」
「やっふー、いけますっ! おじさま! わたくしならできまぁす!」
「いいぞ。その意気だ。日々の積み重ねこそ力になるからな。しっかり挑むんだぞ」
狂ったセリーダと謎のおっさんは相性が良い。
プラス思考とプラス思考が掛け合わさり誰も止める人間がいない。
少なくとも木村は止める側に回りたくなかったし、もう一柱は水の底から浮いてこない。
途中で何度か沈みそうになったものの、何とか湖の中央の祠にやってきた。
ちなみに何の魔法もかけられていないはずのおっさんは、木村とセリーダの横で水面を蹴って走っていた。
昨日は試練の塔内部の壁や天井も走っていたので、もう驚きがなくなった。
ちなみにこのおっさんの詳細なステータスは木村でも見ることができない。
見ようとはしたのだが、「あまりジロジロと人のことをねめつけるものじゃないぞ」と諭され諦めた。
なお、同じ口から「もっとよく見ろ。相手の力を意識するんだ。相手の体に穴を開けるつもりで見るんだぞ」という言も出ている。
木村はもうわからなくなっていた。
おっさんの詳しいステータスはわからないが、わずかにわかったことはある。
――レア度と名前だ。
ガチャの演出でわかってはいたがおっさんは最低レアだった。
☆が一つという間違いなく最低レア。ちなみにアコニトは☆が五つである。
正式な名前は「チュートリアルおじさん――プロトステラ」だが、呼びづらいので木村はおっさんで通している。
アコニトは中年と呼び、セリーダはおじさまと呼んでいたが、本人はどうでも良さそうであった。
おっさんが湖の底から女狐を網で引き上げ、四人は祠の中に入る。
祠の入口から地下へ伸びる階段を降りていくと、扇状に広がる空間にたどり着いた。
木村達の立つ地点から奥へ行くほど広がっている。
奥の方から大小様々な魔物が現れた。
「ふむ。どうやら防衛戦のようだな。魔物がこちら側へ向かってくるから、防げるだけ防げという趣旨のようだ」
おっさんが解説をおこなう。
魔物達はおっさんの説明など無視してどんどんこちらに寄ってきている。
昨日の塔は時間制限がある中で、魔物を倒すというものだったので、こちらの方が人数的に難しいそうだ、と木村は感じた。
「要は全て殺してしまえば良いのだろぉ」
木村の考えなど知ることのないアコニトは、退屈そうに煙を口から吐いている。
珍しく正気に戻り、セリーダの頭に自らの顎を乗せてつまらなさそうに魔物を見ていた。
アコニトが息を吐けば、魔物達がすぐにバタバタと倒れていく。
「どうだぁ、儂の技は」とドヤ顔でアコニトが木村を見る。
もちろん木村もすごいと思うのだが、普段のトンでいる様子と、今も鼻から勢いよく煙を出している姿を見て素直にその力を認められないでいる。
「第二波が来るぞ。どんどん煙を吐いていけよ、女狐」
加湿器扱いだな、と木村は思った。
あるいは燻製機か。
褒められ調子に乗ったアコニトが煙をどんどん吐いていき、魔物の波を次々に倒していく。
セリーダの補助も受けており、アコニトの煙は魔物の波をさらに大きな煙の魔物と化して飲み込む。
第六波目でようやく倒し切れない魔物がでてきた。
木村はもちろん魔物と抑えきれず、セリーダも抑えることはできない。
おっさんはと言えば、腕を組んで状況を見るだけだ。このおっさんはまったく戦いに参加しない。
ときどき木村を襲おうとする魔物をにらみつけるだけで止めるので、絶対強いと木村は確信しているのだが戦う意志はないようである。
基本的に、名前の通りチュートリアルというか案内役兼説明役に徹している。
第六波目をなんとかクリアしたが第七波で魔物の通過を許し、スキル素材のデイリーは終わった。
アコニトのスキルは運営(?)からの特典で強化しており、☆5もあって必要素材が多く、まだまだ次の強化はできないが、セリーダの強化はできる。
セリーダは☆2の扱いらしい。
ひとまずセリーダを強化して祠を出た。
祠を出て、ご飯を食べて帝都へ進む。
木村がふと空を見上げると、鳥とは別に十体近くの何か大きい影が見えた。
「飛び蜥蜴だな。よく訓練してある。たいしたものだ」
おっさんが満足そうにうなずく。
「あれぇ! 飛龍騎士団じゃないですかぁ! おーい!」
セリーダが楽しげな様子で、飛び蜥蜴に向かって手を振る。
手を振られた方も気づき、木村達の方へと飛び蜥蜴が方向を変えた。
「でっか……」
テレビで出てくるようなドデカい竜が木村達を囲むように下りてきた。
竜の上にいる人間はみな鎧を着込み、手には杖や槍といった武器を備えている。
「動くな! 我らは飛龍騎士団! 勅命を受けてこの場にいる! 動けば王への叛逆とみなす!」
「ケインじゃないですかぁ!」
動くな、と言われたばかりなのに、セリーダは名乗りをあげた騎士に大きく手を振った。
「姫様! ご無事で!」
「はぁい! わたくしはこのようにとぉっても元気です!」
元気だが無事ではなかった。
「姫様……、何かご様子が」
周囲の騎士達も安堵の様子から、怪訝な雰囲気を示し始める。
木村は困っていた。
何と説明すべきか言葉が見つからない。
怪しい煙で頭がトンでますなどと言えば、そのまま殺されそうである。
「貴様ら、事情を説明してもらおうか」
飛龍騎士団がセリーダを背後に匿うと、彼らは武器をかまえ、木村達を囲む。
「無礼者! ハテノ鉱山にて、数多の魔物に襲われ、命からがらとなった貴公らの姫を救ったのは誰か?! さらには、魔物まで討伐し、帝都まで姫を送り届けようとしたのは誰か?! 全てこのキィムラァである! 貴公らは、姫の命の恩人ともいうべき人物に武器を向けるのか! 騎士団の誇りはどこにあるか?!」
おっさんがお得意の大音声で吠えた。
あまりの声に騎士団員だけではなく、彼らの乗っていた飛龍すらも恐れおののいている。
「ほんとですよぉ~。送ってもらいましたぁ。楽しいですぅ~」
セリーダもおっさんの言葉を援護する。
騎士団の長が、武器を引くと周囲もそれに倣う。
「姫様のこの状態はどういうことか」
それでも騎士団長は聞くべきことを再度口にした。
「後ろにいる女狐がやったぞ」
「えっ」
木村が間抜けな声を出す。そんな声などお構いなしにおっさんは続ける。
なお、女狐はあまりにも葉っぱ臭いので後ろの幌の中に隔離している。
「女狐?」
「うむ。ハテノ鉱山に住み着いていた魔物だろうな。人を誑かす不思議な妖術を用いる。我らでは手が付けられん。見てみよ」
騎士団が馬車の後ろにあった幌をあげて覗くと、横になって葉っぱを吸う女狐が現れる。
頭から上に伸びる耳、臀部から出ている無数の巨大な尻尾。
怪しい臭いをただよわせ、焦点の合わない目がどこか別の世界を見つめている。
「動くなッ!」
騎士団の行動は迅速だった。
全員が再び武器を構え、馬車をすぐさま包囲する。
女狐は体を起こしたが、意識が月あたりを旅行中のため状況を理解できてない。
「ふへっ、ふへへ、蜥蜴の臭いが凄まじいなぁ。ヤモリは炙って食うとうまいぞぉ! 持ってこぉい! 今日は黒焼きだぁ! ヘムジネの焔で炙るが良いぞぉ、ぞっぞっぞぞ」
口から吐かれた煙で、周囲の騎士がぐらりと崩れた。
この煙は有害じゃないかと木村は思っていたが、自分に効かないだけで相当やばい煙だったのだとわかり、冷たい汗が彼の背中を流れる。。
おっさんが無言でアコニトの背後に回り、彼女の首を絞める。
絞められるアコニトの顔は苦悶から恍惚に変わっていき、意識をそのまま宇宙の果てに持っていった。
「捕らえてくれ。危険な魔物だ、くれぐれも油断をするんじゃないぞ」
「協力に感謝する」
こうして木村達は、飛龍騎士団とともに帝都へ向かうことになった。
6.信頼度レベル
アセンドス三世は、変わり果てたセリーダを見て膝から崩れ落ちた。
変わり果てたと言っても死んでいるわけではない。
きちんと鼻と口で呼吸しているし、手と足も全て揃っている。
ただ、アコニトが拘束され、セリーダを汚染していた毒が抜けた。
催眠が切れ、セリーダはハテノ鉱山で彼女が何を失ったのかを思い出した。
生まれてから甘やかされ尽くした彼女は、悲しみに耐える術を持っていなかった。
天真爛漫が代名詞だったセリーダの陰鬱な現状を、アセンドスは直視できずにいた。
何かをしてやりたいが、何もしてやることができない。
家臣相手であれば、気持ちのこもらない励ましをいくらでもかけられる。
しかし、最愛の娘に心ない対応をしたくはなかった。
帝国でもっとも大きな力を持つ王は、娘相手にできることがない。
それどころか彼女を窮地に立たせてしまったのはアセンドス自身だった。
自らが視察に行ってみよ、などと言わなければ……。
後悔がアセンドスを支配している。
しかし、後悔に苛まれど彼は一国の王である。
王としての責務を果たさねばならない。
さしあたり、セリーダと同行していたという人物と話す必要があった。
謁見の間には、王と数人の文官、武官が並ぶ。
広さに対して人の数が足りていないのは客観的な事実であるが、忙しい時期にしてはよく集まった方と言って良い。
ただ、集まった高官たちは戦争前ということで、余裕がなく剣呑な面持ちである。
一方、立場を入れ替えて木村である。
元々が陰キャな帰宅部なので、こういった公式の場には慣れていない。
運動部の壮行会でも、応援サイドでぼんやりしていた。
木村の緊張は誰から見ても明らかだった。
逆に木村の側に立つおっさんはあまりにも堂々としすぎている。
もしも彼が玉座に腰掛けたとしても、風格だけは認められるだろう。
なおアコニトもいる。
口には猿ぐつわを噛まされ、両手、両足に魔法を付与した枷を嵌められ、両隣に兵士が付いていた。
兵士の手には剣が握られており、その刃はアコニトの首にかかっている。
まごうことなき罪人である。
「此度の一件はすでにケインから聞いておる。大義であったな」
アセンドス三世が労いの言葉をかけた。
この場を借りての質問もいくつかあったが、全ておっさんが返答した。
「なぜあの場にいたのか?」
「キィムラァと修行中であった」
「魔物を倒したのは誰か」
「キィムラァでございます」
「セリーダをあのような状態にしたのは誰か」
「女狐でございます」
このような質疑応答が淀みなくおこなわれている。
回答の度に、女狐が暴れるので抑える兵士達は気が気ではなかった。
おっさんの言にいくつかの嘘が混ざっていることを王は感じたし、知ってもいた。
まず、おっさんと木村が修行でハテノ鉱山にいたのは疑問だ。
あの鉱山一帯は、魔鉄鋼が産出されたと聞いてから立ち入りを封鎖していた。
ただ、その前からいたと言われれば、そうかとしか言えない。
魔物を倒したのは木村とおっさんは言ったがこれは嘘だと王も側近も結論づけていた。
魔物が出たのは間違いないだろう。
ハテノ鉱山に魔物の痕跡はあった。セリーダの口からも同様の言が出ている。
ただ、木村からは魔力反応がほぼない。武器も持っておらず戦えるようには見えない。魔物を倒す術はない。
彼の師を豪語するおっさんの方は、ただ者ではない気配があり、ケイン騎士団長も実力が測りきれないと評価している。
実際に魔物の大半を倒したのは、このおっさんであり、弟子か何かである木村に箔をつけたいがための言だと、王は判断した。
セリーダについては説明を受けるまでもなかった。
「セリーダの護衛に関して、二人には褒美を出そう」
「ありがとうございます」
おっさんは美しい動作で礼を示した。
木村も倣って礼をする。
「そこの魔物は処刑し、死骸を街中に晒すこととする」
「ありがとうございます」
こちらもおっさんは美しい動作で礼を示した。
女狐は体をよじらせ暴れる。
これには木村も困惑する。
「キィムラァよ。何か言いたいことがあるなら申してみよ」
木村の困惑を見た王が、彼に発言する機会を振った。
「えーと、あの……」
こう言った場に慣れてない人間特有の「えーと」で始まった。
発言のたびに「えー」が出てきてしまう。
このような冗長語をフィラーと呼ぶ。
フィラーが多いと、話がまとまらず、聞き手に自信のなさや話の虚偽を感じさせてしまう。
「えーと、アコニトは確かに変な葉っぱを吸ってるんですが、魔物の大半を倒したのは彼女なんです」
王は黙って聞く。
ハテノ鉱山で死んでいた魔物から、女狐と同様の毒が検出されていたことから実はわかっている。
なお、護衛の大半を殺したのもアコニトということを木村は伏せていた。
「えーと、それと彼女が王女に毒をかけていたのは、えー、兵士や魔法使いの人たちが死んでしまって、セリーダ様の心が壊れるのを防ごうとしてのことなんです」
王もこの言葉に理解を示した。
今のセリーダは近いうちに壊れてしまうのでは……、と王も感じていたところである。
一方で擁護される女狐は木村の言葉に理解を示さなかった。
彼女がセリーダを毒牙にかけたのは、王女の心などどうでもよく、そのほうがおもしろそうだったからだ。
純真な少女が汚れ、堕落していく様を見るのはアコニトの数多くある楽しみの一つであった。
「えー、王女を帝都へ送る途中でもアコニトの力が必要になりました。えっと、道で出た魔物も彼女が倒しましたから」
しどろもどろではあるが、木村は言葉を紡いでいく。
ちなみに道で出た魔物とは、道ばたの「試練の塔」や「祠」で出た魔物であり、普通の道に魔物が出てきたわけではない。
「えー、アコニトの言動はとても擁護できるものではないんですが、えっと、僕自身も彼女に何度か助けてもらいました」
これは事実である。
アコニトの言動は擁護できるものではない。
王女に催眠をかけ、自身は葉っぱを吸い頭がくるくるぱーだ。
しかし、☆5の力は確かで、魔物を倒すことだけはちゃんとしている。
本当にそこだけだったが……。
「えー、その、だからですね、――なんとか彼女を助けてあげられませんか。僕には彼女が必要なんです」
主に彼女の力が――と続くのだが、そこは言葉になっていない。
ようやく木村は彼の言いたいことを言うことができた。
言ったものの王からの返答はない。長い沈黙が続いている。
まるで時が止まっているかのようだった。
「おい、キィムラァ。アコニトの信頼レベルが上がったぞ」
先ほどまで直立していたおっさんがすたすたと歩いている。
周囲は誰も何も言わず、見とがめるものすらいない。全員が直立不動だ。
時は本当に止まっていた。
「あの間抜け顔の女狐を見るんだ」
木村が振り返ってアコニトを見る。
彼女はポカンとした表情で木村の方を見たまま固まっていた。珍しい表情だ。
「意識しろ。お前さんなら見えるはずだぞ」
いつもの感覚だ。
一度目を塞ぎ、ゆっくりと開く。
“信頼度レベル”と書かれた枠が表示され、枠の隅に赤い点が付いている。
変更があったことを示す点だと木村は判断した。
信頼度レベルをタッチすると、ゲージが出てきた。
ゲージが右端まで一気に達し、レベルアップという文字とともにゲージがリセットされる。
下の方には別の文字が書かれている。
“信頼度レベル5で次の報酬をゲット
「アコニトの安めの葉っぱ」”
木村は心の底から要らないと思った。
信頼度のゲージが消え、おっさんが元の位置にすたすたと戻っていく。
「…………どこを見ておるのだ、キィムラァよ。」
王が木村の名を呼んだ。
慌てて、木村は視線をアコニトから王へと戻す。
「魔物は全て処刑――帝国の方針だ。お主はセリーダを案じてくれておるな」
「えっ……、あ、はい」
急に話が変わったので、木村は理解するのにゆっくり一秒はかかった。
セリーダの心が閉ざされるきっかけを作ったのが、木村自身であったことも大きい。
木村もセリーダの心については心配している。しかし、積極的に何かをしようとは思っていない。
「余は、お主が魔物の肩を持ったことは聞かなかったこととする。良いな」
王の周囲に控えている人物はみな目を軽く伏せて肯定を示した。
これ以上は詮索してやるなと、暗に王は部下へ伝えている。
「王の寛大なるご配慮に、私も木村同様に深く感謝いたします。どうかこの女狐はひと思いに処分してしまってください」
王の気遣いにおっさんが応えた。
「むぐがっ! がげががっごがが!」
アコニトが暴れ回る。
「貴様! 化けて出るからな!」と木村は聞こえた。
「連れ出せ!」
「むごっ! むがご!」
暴れるアコニトが謁見の間から連れ出されようとしていた。
木村は何かできないかと思ったが何もできないと悟ってしまっていた。無力である。
ピッピコーン!
文字にすればそんな音が謁見の間に鳴り響いた。
王を始め、部屋の全員が動きを止め、音のした方を見る。おっさんである。
「お、手紙が来たぞ」
おっさんの気の抜ける声が謁見の間に響いた。
いつものようにポケットからしわくちゃになった封筒を木村によこした。
ここで見ても良いものなのかと思ったが、おっさんは読めという目で見る。
王も何かあったのかという目で木村を見る。
木村は衆人環視の中で手紙を開け、書かれている文字を読む。
「“本日から討滅クエストが開催されます。強大な敵に挑んで貴重なアイテムをゲットしましょう”」
木村によって告知された内容の意味を、正しく理解できた帝国の人間はいない。
7.討滅クエスト
木村は討滅クエストを知っている。
討伐、討滅、チャレンジなどと名は変われど、様々なソシャゲでよく見かけた。
文中に書いてあるとおりで、強めのボス格モンスターと戦ってみようというイベントである。
「お、討滅クエストが今日からなのか。キィムラァ、力を試すチャンスだぞ」
おっさんは拳をグッと握り、全力で取りかかろうぜとアピールしてくる。
だが、謁見の間の誰もおっさんの話についていけていない。
かろうじて木村が追いすがっている程度だ。
とてつもなく嫌な予感がしたのは、木村の成長と言って良いだろう。
今までの流れでいけば、場所と時間は推定できる。
念のため彼は聞かざるをえなかった。
「討滅クエストはどこでおこなわれるの?」
「ここだ」
木村の嫌な予感のまず一つ目が的中した。
まだチャンスはある。時間がずれていれば良い。
「……いつの話?」
「もう始まっているようだぞ」
木村は目を細めて天を仰ぎ見た。
もう遅かった。本当にどうしようもない。
小さな地響きとともに、見上げた天井から埃が落ちてくる。
時間と場所は予想どおりであった。
残る問題は規模だ。最初のイベントである。
そこまで強いのは出さないだろう、木村はそう考えた。
異変をしかと知らせた第一報は扉の音である。
慌てた様子で兵士が謁見の間に駆け込んできた。
通常ならあまりの非常識に怒鳴られるだけでは済まないところだが、誰も何も言わない。
木村以外の全員が異変に感づいていたからだ。
彼らのすぐ近くで膨大な魔力反応が生じたことに。
「申し上げます! 帝都中心部に竜が現れました!」
謁見は一瞬でお開きとなった。
地響きと廊下の外からの慌てふためく声が交錯する。
「きひひ、やぁっと解放されたわぁ」
竜出現のどさくさに紛れておっさんと木村はアコニトの拘束を解除した。
解除というよりは、木村に頼まれたおっさんが拘束具を紙のように千切っただけである。
アコニトも顔を引きつらせていたので、かなりすごい芸当だということだけは木村でも理解できた。
「よし、行くぞ。討滅クエストの開始だ!」
「……うん」
「あぁあぁー、めんどくさいぞぉ」
おっさんの声に木村と、さほど乗り気でないアコニトも続いた。
城は帝都のいっとう高いところに築かれており、帝都の様子が隅々まで一望できる。
小さく見える帝都の中心に、大きく見える赤い竜が四方八方に火を吐いていた。
比喩ではなく地獄絵図だった。
元の帝都がどんなものか木村は詳しく知らない。
それでも今のこの状況の悲惨さは彼にもはっきりと理解できた。
「すごい。本当に竜だ」
映画やゲームでしか見たことのない巨大生物が建造物をおもちゃのように破壊している。
ところどころで魔法の光が煌めくが、竜に効いているとは思えない。
「おい、キィムラァ。あれは竜じゃないぞ。火を吐く大きめの蜥蜴だ」
「いやいや、それを竜と呼ぶんじゃないの」
「うん? キィムラァは本物の竜を見たことがないんだな。――しかし、そうか。火を吐くだけの竜がいても悪くはないか」
木村は竜が何かの議論をここでする気はない。
とりあえず、あの火を吐く生物の近くに行ってみることになった。
わかってはいたが、木村たちが竜の近くに来るころには、帝都の市街地はすでに半壊のありさまだった。
騎士団やその他の武力部隊が出たが、時間稼ぎになっているのかどうかも怪しい。
「よし。それじゃあ、さっそく挑んでみるとするか。行け、女狐」
「無理だぁ! 無理だろぉ! ふざけておるのか! 貴様が行けよぉ、中年!」
「俺にできるのはチュートリアルだけだ。戦闘はお前に任せる。大丈夫だ。倒せなくても挑戦報酬は手に入るからな。たとえ敗れても、挑んでみることこそ大切だぞ」
「訳のわからん報酬や安い達成感なんてどうでもよかろうがぁ! 儂は命の話をしておるんだぁ! ただ一つの大切なモノの話をなぁ!」
異世界の命の軽さに慣れてきつつあった木村も、さすがにアコニトに「あの竜へ突撃しろ」とは言えなかった。
彼女は貴重な戦力である。ここで失うわけにはいかない。
「離れたところから毒でワンチャンいけたりしないの?」
「本来の儂ならできるぞぉ。あれが数体いようとも余裕だぁ。だが、今は無理だぁ。命がいくつあっても足らんわぁ」
アコニトの力が本来の実力から大きく欠けていることは木村も理解している。
あの竜に反撃されたら本当に死んでしまうだろう。
「命の心配なら無用だぞ。討滅クエストは倒されても復活するからな」
「そうなの?」
「ああ、まずは気軽に挑んでみるんだぞ」
アコニトがこいつらは何を言ってるんだと、木村とおっさんを見る。
木村もアコニトの視線に気づき、自らの浅はかさに気づいた。
「でも、やっぱりあんな竜に一人で挑ませるの良くないと思う」
「そうだそうだぁ! さすが坊やだぁ。後で儂のとっておきを吸わせてやるぞ」
「遠慮しとく」
アコニトはご機嫌な様子で煙管を取り出し口につける。
挑む必要がなくなり安堵の一服だ。
「ちなみに挑まない場合、あの竜はどうなるの?」
「……そのうち消えるんじゃないか」
おっさんにもはっきりとはわかってないようだ。
それでも下手につついて被害を被るよりは、時間が解決してくれるのを待った方が良いだろう。
「そうか。やめておくか。まあ、キィムラァがやめると言うなら、お前さんの意志を尊重しよう」
「うん。悪いけどそうして」
「ガチャチケットも手に入る、お得なイベントなんだがな」
「……アコニト、やっぱり頼むよ」
アコニトの口から煙管が落ちた。
彼女は何かを言おうとしたが、決定が覆らないことをなぜか悟った。
その悟りは召喚された側に刻み込まれた強制プログラムとも言える悪質なものなのだが、アコニトが理解することはできない。
どう戦いを拒否するかではなく、どう戦うかに頭が切り替わっていくのを彼女は感じた。
距離を取り、遠距離から毒を浴びせ持久戦に持ち込むしかない。
アコニトが地を走る。
近接戦闘は得意ではないが、種族の特性か素早さはそれなりである。
風上から毒の煙を吐き出して、赤い竜にありったけの毒煙を浴びせた。アコニトは上手くいったとニタァと笑う。
“毒無効”
木村には赤竜の上に浮かぶ無慈悲な三文字が見えた。
しかも赤竜は、毒を無効化するのに攻撃されたとは認識するらしい。
攻撃された方向――すなわちアコニトを向き、竜は口を開いた。
竜の口が赤く光り始め、次の瞬間には容赦のない炎の波動がアコニトと周囲の街を焼いた。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……………っ……ぃ」
火と絶叫が収まり、炭化して細く黒くなったアコニトがぽとりと倒れる。
淡い光となってアコニトは消えた。
アコニトが消えると、赤い竜も消え去った。
戦闘メンバーがいなくなったことを見て自動的にイベントが終了したのだ。
「おっ、挑戦報酬が手に入ったな。開けてみるんだぞ」
木村の前に小さな宝箱が現れる。
開けてみると中には強化素材やガチャチケット、お金と様々なものが入っていた。
「すごい! 大量だ!」
ガチャチケットは何よりも嬉しい。
さすがにアコニトの強化も素材が辛くなっていたので、新しい前衛キャラが欲しいところだった。
アコニトの毒は長期戦向けだ。毒で倒れるまでの時間を稼げる奴がいれば、戦力はさらに上昇を望める。
ただし毒無効の相手は除く。
「ぎゃあああああああああ! ふぁあああああああぁあああ!」
叫び声とともにアコニトが復活した。
息を激しく吸ったり吐いたりしながら自身の体を確かめている。
復活するとは聞いていたが、本当に焦げ痕一つもない状態でアコニトは立っていた。
ただ、火を浴びて死んだという経験だけはあるらしい。
「な、なな、なんだぁ。大した火ではなかったぞぉ。我が同胞の焔のがよほど熱いわ」
声は気丈だが、煙管を持つ手は激しく震えている。
ごめん、と木村はアコニトに謝った。
さすがにあの黒焦げの状態を見たときは冷や汗をかいた。
その冷や汗もガチャチケットを見てすぐに収まったのだが、そこは言わないでおく。
「なめるなよ坊や。儂にかかればあの程度の炎など余裕だぁ」
強がりであることは明白だ。
しかし、木村は首をひねらざるをえない。
アコニトはまだまだ成長の半ばだが、素材を優先的に投入している☆5である。
相性の問題もあるのだろうが、その彼女をあそこまで一方的に倒すというのは、あまりにも強すぎるのではないか。
難易度の調整をミスっていると木村は疑う。
「あの蜥蜴めが、図に乗りおってからに。次は儂の毒で跡形もなく溶かしてやる」
あの竜が毒無効というのをアコニトは知らない。
次があってもアコニトでは勝てない。
「その意気だ。討滅クエストの第二回目がまもなく始まるようだぞ」
「え?」
「は?」
木村とアコニトがおっさんを見る。
「言ってなかったか。討滅クエストは一日に三回まで挑戦できるんだ。――お、始まったな」
帝都の一番高い場所。
城の上に大きな影が舞い降りる。
今度は赤ではなく青い竜だ。青竜は城を容赦なく踏み潰した。
「心配するんじゃない。二回目と三回目も、一回目と同様に報酬が手に入るぞ。三回全て挑んだ場合は10連召喚チケットが初回報酬としてもらえるようだ」
木村は確かに心配しているが、不安な点は報酬ではなかった。
帝都である。
彼の心配への回答は二行で済む。
後の歴史書の年表に今日のことが書かれているので引用する。
“帝国歴二七九年 アクラートの月 第五の日
ナギカケ帝国 帝都ガラハティーン 堕つ”
帝都の陥落と、帝国の崩壊はすぐさまイコールで結びつけられるわけではない。
ただ、着実に帝国の歴史は終幕へと向かっている。
8.詫び石
帝都ガラハティーンは壊滅した。
順々に現れた三匹の竜により、帝国は為す術なく蹂躙された。
荘厳さで名高いアレクトマール中央広場は、赤竜の炎で灰と瓦礫に埋もれた。
帝都を二百年以上も見下ろしていたカレドア城は、青竜により中央から崩され、その後、氷に覆われた。
都を囲う高く頑強な城壁は、黄竜が起こした突発的かつ局地的な地震により崩れ、周囲の建物や守るべき人民を押しつぶした。
崩壊した帝都の中心に木村達はいた。
異世界に来てから人の死に慣れつつあった木村であったが、あまりの惨状に言葉がでない。
木村から距離を取って、アコニトが葉っぱを吸い始めた。
普段ならわずかに見咎めるが、木村は今の彼女を直視できない。
アコニトは三度も悲惨な死に様を晒した。
一度目は、赤竜の炎で炭になるまで燃やされた。
二度目は、青竜により氷漬けにされ、爪で割られバラバラに砕かれた。
三度目は、黄竜が起こした地割れに飲み込まれ、地下深くの断層に圧し潰された。
彼女の目はまだ葉っぱが回っていないのにどこか焦点が合っていない。
仕事帰りのサラリーマンが、電車の座席で今の彼女と同じような顔で座っていたなぁ、と木村は感じた。
彼らもまた死地を潜ってきたのかもしれない。あるいは生への実感が薄れているのか。
おっさんはどこかへ行って、なかなか戻ってこない。
追う気力も木村にはなかった。
「仲間を連れてきたぞ」
しばらくして、元気な声でおっさんが帰ってきた。
背中に担がれているのは、一昨日まで一緒にいたセリーダである。
目を閉じ、ピクリとも動かないところを見るに、眠っているか意識を失っているかだ。
「城でただ一人生き残っていたぞ。凍死した後で復活したようだ。木村の戦闘メンバーだったのが幸いした。良かったな」
木村は後半の話より、前半の「城でただ一人生き残っていた」という部分が重く心にのしかかった。
真偽を確かめることはしないがおそらく事実なのだろう。
つまりセリーダ以外は全滅だ。
そして、セリーダが生き残ったことを「幸い」とおっさんは言った。
あの城で家族や見知った人とともに死なせてやる方が、セリーダにとって幸せだったのではないか。
ピッピコーン!
木村とアコニトの体がびくりと震えた。
間違いなく二人のトラウマとして刻まれた音である。
なお、この音はプッシュ通知でありオフにもできるのだが、設定画面は開けないので実質消せない。
ただし、深夜や戦闘状態の時は、音がなくなるサイレンスモードになる。
「お、また手紙が来たぞ」
おっさんがまたしても封筒を差し出してきた。しかも二通。
木村は読みたくなかった。しかし、おそらく読まなくても起こるべくことは起こる。
彼は決心して手紙を受け取り、目を通した。
文面はいつもよりも長い。手紙の題名でまずは安堵の息が漏れる。
“討滅クエストのお詫び”
“ガチャ排出率のお詫び”
二通ともだらだらと文が書いてあるが、要は件名どおり二点のことに書かれていた。
1.討滅クエストの難易度調整をミスって難しくしすぎちゃった。ごめんね
2.ガチャの排出率がおかしくて、一部キャラが異常に出やすくなってたみたい。ごめんね
1はごめんで済まない惨状なのだが、過ぎたことを言っても仕方がない。
2については対応が遅いと言うしかない。優良誤認で消費者庁コラボ待ったなしだ。
お詫びとして大量のガチャチケットやら、有料アイテム、素材アイテムやらが付いてきていた。
もちろん最初に引いた分のチケットも返ってきている。
一点目のお詫びは、本来、木村ではなく生き残った帝都の人に配られるべきであろうが、木村はそんなことを思う余裕はなかった。
木村はまっさきにガチャチケットを取り出し、“10連召喚!”の枠を押した。
結果をじっくり見る気力も、扉を押す気力もわかないので、前回から視界の端に見えていた“演出スキップ”を指で押す。
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
ボロボロの木の扉が自動で開き、タイミングをじゃっかんずらしておっさんが九回現れる。
おっさんの声と顔が9.1chでトッカータとフーガだった。
「あああああぁぁ!」
悪夢だった。
大量のおっさんが同時に現れ、最後の声が終わると同時に一人に戻る。
「あああぁ。ああぁ……」
運営は何も学習していない。
お詫びのお詫びが約束された。長期メンテも視野に入れるべきだろう。
心をやられた木村の前で、最後の扉が開かれる。
色は純白。虹が☆5で、金がおそらく☆4、それならこの純白の扉は☆3か☆2。外れだ。
10連召喚なら最後だけ☆4以上が確定なのかと思ったが☆3もあるようだ。
糞ガチャである。逆光から覗く影を木村は見ようともしなかった。
しばらくして何かが出てきたが何も喋らない。
無口キャラか、と木村が見上げると、そこにはロボットがいた。
失敗作と断言して良いロボットだ。細い骨格というかフレームが丸見えで装甲がまったくない。
顔とか、顔文字もびっくりの○二つの目に、△の口だ。
○ ○
△
これである。
木村は唸る。
ひたすら唸る。
「キャラデザ、どうにかしろよ。小学生の夏休みの自由工作じゃないんだから」
はて……?
前に木村はこのロボと似たものをネットの海で見たことがある気がした。
名前はなんだったか……? 先行者(?)だったろうか。
「やったな。新しい仲間だぞ。……新しい仲間だな。……ああ、木村の新たな仲間だ」
おっさんも珍しく言葉の語彙が少ない。
何かを褒めようとした気配を感じたが、すぐに同じ言葉を繰り返すだけだった。
おっさんをして褒める点が何もなかったということだ。
とりあえずお詫びのお詫びは間違いなさそうなので、返金があると考え、今のうちにガチャを引けるだけ引くことにした。
“10連召喚!”をまたしてもポチッと押す。すぐさま演出スキップ。
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。フィルクだ。盾でみんなを守るぜ」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「よう。キィムラァ。また、俺の出番だな」
「はいはい」
知ってた、と木村は頷く。
見慣れてきた景色をもはやほぼ意識せず、木村は10連目の扉を期待する。
「…………えっ!」
10連目の白い外れの扉を前にして、彼は遅れて気づいた。
途中でおっさんの声に紛れて別の男性の声が聞こえた気がしたのだ。
10連目の扉を無視して、振り返るとその盾をもった男がいた。気のせいではなかった。
盾を持った男の背後には金の扉がある。☆4だった。
背は高い。おっさんよりも高い。横幅もずっとデカい。デブというわけではない。
盾を持っているから間違いなく戦士タイプ。しかも割と欲しかった防御系で間違いないだろう。
「初めましてだな。よろしく頼むぜ、大将」
大きな図体の割に、その笑顔は朗らかだ。
常識的な挨拶に柔らかそうな物腰、これだけでも大当たり。しかも☆4。
辛いことばかりの異世界生活に光が射した気がした。
後は可愛いくて優しい女の子キャラが欲しい。できれば直接攻撃系か回復系だ。
セリーダも可愛いのだが、一緒にいたいキャラではない。元が姫で、今は薬中なので近寄りがたい。
そういえば10連目の白の扉をまだ確認してなかったと木村は振り返る。
見覚えのある手抜きデザインのロボが背後に立っていた。
無言で木村に手を振ってくる。
木村は現実から目を逸らして、再び“10連召喚!”のボタンを押した。
9.拠点
ガチャでの収穫は多かった。
キャラだけでなく、専用武器もそこそこ出た。
新たなキャラが十体近く増えた。もしかしたら排出率は正常だったのかも知れないと木村は嫌な汗をだらだらと流している。
☆5が出なかったのは残念だが、☆4も出たので育成の素材コストを考えると現状では妥協すべきだろう。
またチャンスはある。しかもおそらく近いうちにある。詫びの詫びが来るだろう……。
それまで素材を溜めておくべきだと木村は割り切った。
「仲間が増えたな」
「増えたんだけど……」
増えたのはいいが、急激に増えすぎたことは問題である。
災禍の残滓が甚だしい帝国の中心に、種族も性別もバラバラの訳のわからない集団がいる。
ちなみに召喚したキャラもご飯を食べる。これらのキャラの食事も木村は考えなくてはならない。
この廃墟寸前の帝都でだ。
「キィムラァ、仲間が増えたことでカクレガが解放されたぞ」
「隠れ家?」
「違う。カクレガだ」
発音が微妙に違うという話だろう。
迷い家とマヨヒガの違いくらいのものなのか。
ひとまず発音のことはおき、木村はカクレガが何かを尋ねる。
「カクレガとは?」
「一言で言えば俺達みんなの秘密基地だな」
「……隠れ家じゃん」
「カクレガだ」
どうも発音はおっさんにとって譲れないポイントらしい。
「もうカクレガでいいよ」
木村も呼び方に特にこだわりがあるわけではない。
これはソシャゲでもよくある。
名前はともあれ、要は主人公達の拠点とする建物周辺のことだろう。
他のソシャゲであれば母港、基地、戦艦にいろいろな個別名が付いている。
今回の場合は「カクレガ」というだけの話だ。
呼び方や場所はさほど重要ではない。
拠点は機能こそが重要だ。
「それで、カクレガはどこにあるの?」
さすがに「ここ」――帝都の中心にはないだろう。
一刻も早くこの場を立ち去りたかった。早く場所を教えて欲しい。
「ここだ」
「ここ!? ここ? ……どこ?」
おっさんはしゃがみ、手を地面に突き刺す。
突き刺した手が地面をガシッと握って地面を引っ張り上げた。
地面が板のようにパカリと開き、地下へと伸びる階段が現れる。地面の裏側には「カクレガ」と大きく書かれていた。
「ここだ。さあ、入れ入れ。遠慮なんていらないぞ。俺達のカクレガだからな」
木村は一瞬だけ驚いたが、すぐに順応した。
討滅クエストの後では驚くには値しなかったし、ソシャゲで似たようなのがあるのでそんなものだと理解した。
周囲のキャラは驚きや感動、恐れ、無言と三者三様のリアクションで木村の後に続いた。
最後におっさんが続き、入口の扉は閉まった。
中は広いが殺風景だ。
教室ほど狭くはなく、体育館ほど大きくはない。
セミナー室や、体育で選択授業の柔道でしか入ったことがない武道館がこれくらいだったか。
何もない部屋の奥に、見たことのないマシンが置かれている。
「侘しいところだぁ」
木村も同感であるが、最初はこういったものだ。
家具を購入してどんどん賑やかにしていく。置けば置くほどキャラの疲労度が回復しやすくなったり、好感度が上がりやすくなるという仕組みだろう。
おそらく、武器の強化やアイテムの製造といった部屋も拡張できると木村は考えていた。
おっさんがまさにそのあたりの説明を、奥にある謎の装置の前でしていた。
木村も話半分に装置の説明を聞き、意識の半分は新しく増えたキャラ達を見ている。
「せめて何か欲しいぞぉ……。そうだなぁ、香でも焚くかぁ」
「わあ、良いですねぇ。素敵だと思います」
アコニトの言に☆3のテイが同意した。
テイはリスの獣人らしい。小柄で無垢な笑みを見せている。
さっそくキャラ同士が仲良くできているようで木村もほっと安堵した。
「よっこいせい」
アコニトは腰を落とし、尻尾から取り出した上品な壺に、粒の細かい粉を入れていく。
線香のような細い棒に、専用の道具で火を付け、手慣れた動作で火だけを消し、煙だけをくぐもらせる。
壺に短く折った火付棒を入れ、静かに蓋を閉めた。
あまりにも一連の所作が美しく、木村は見惚れてしまっていた。
おっさんが「聞いているのか」と木村を見て、その後、木村が見ている方向を見た。
見てのち、すぐさまおっさんは説明を放棄し、アコニトへと駆けていく。
駆けるというより滑空、縮地、瞬間移動に近いものだった。
「馬鹿狐ッ! 密室で葉っぱを炙るな!」
「んゴォア!」
おっさんの容赦のない膝蹴りが、アコニトの顔面にめり込んだ。
アコニトの顔が、漫画のようにぐしゃりと潰れたのを木村はたしかに見た。
「ガああああァ! んぎょおおお!」
アコニトが地面を叫びながら転げ回る。
その間にも壺から出る薄紫色の煙は周囲のキャラを毒す。
近くにいた☆3のテイが真っ先に座り込んだ。苦しむアコニトを見てヘラヘラと笑っている。
先ほどまで見せていた純粋な笑顔ではない。どこか大事な芯が一本なくなってしまったような崩れた笑みだ。
木村はクスリの怖さを改めて理解した。
「クスリやめますか? 人間やめますか?」――過去にどこかで聞いたそんな標語の意味を今ようやく実感できた気がする
ちなみにこのキャッチコピーのオリジナルは「依存症患者の人格を否定する」として人権問題になり、今では使われていないのだが、木村はそんなことを知るよしもない。
アコニトを除く全員がただちに外へ出ることになった。
おっさんが避難行動を主導し、木村が指示を受けつつ避難の補佐に回る。
避難した全員を外で待機させた状態で、おくすりの影響を受けない木村とおっさんがカクレガに突入する。
アコニトはすでに痛みから復帰し、硬い床の上で大の字になりトリップしつつある。
おっさんが問題の壺を、どこかから取り出した箱に投げ入れ、堅く封をした。
「キィムラァ、先ほどの説明を続けるぞ」
おっさんが奥のマシンに近づき、木村もその横に並ぶ。
説明するに、このマシンでカクレガの内部構造やインテリアを変えることができるようだ。
「触ってみろ。お前さんならできる」
できると言われても、木村は自信がなかった。
見るからに意味不明なマシンだ。まずどこを触ればいいのかすらわからない。
もしも変なところを押したら大変なことになるのではないか……。
「心配するな。失敗しても、馬鹿狐がどこか別の空間に飛ばされるだけだ。気を楽にするんだぞ」
不思議と気が軽くなってくるのを木村は感じた。
木村がマシンにおそるおそる手を伸ばすと、手の先にモニターが現れた。
ソシャゲによくある編集画面であり、カクレガの拡張、部屋の改装、インテリアの編集といった項目が出てくる。
なんだろうか……、項目が大きく出てきてわかりやすくはあるが、パワーポ○ントで作ったかのような手抜きデザインだと木村は感じた。
手抜きではあるがわかりやすいと言えばわかりやすいのでありがたい。
シニア向けのらく○らくスマホがこんな感じなのかと木村は納得するところである。
リリース記念やお詫びでもらった大量の建築素材を投入し、カクレガの拡張を行い、新たな休憩室、製造室、訓練室といった施設を難なく配置していく。
殺風景だった部屋も、安上がりではあるが最低限の家具が整えられた。
「たいしたものだな。あっという間にカクレガが刷新されたぞ」
木村も褒められて悪い気はしない。
「他に何か必要なものはある?」
「換気システムがいるな」
おっさんの言葉に木村も頷いた。
間違いなく必要だ。そのために他のキャラを隔離していた。
木村はソシャゲとの違いを新鮮に感じた。
換気システムなどを考える必要があるソシャゲなどほぼない。
ウイルスを次から次へと駆逐するゲームでちらりと見た気がする程度だ。
空気清浄機もあった方が良さそうだな、と木村はそのあたりの設備も導入していく。
「他には?」
「わしのへあぁ! わしのへやがぁ、欲っしいのじゃああ! なぁぁよいじゃろ、ぼーや。儂のへぁで二人っきり、あぁんなことやこぉんなこともできうぞぉ! 坊やも溜まっておるんじゃろぉ。ぎへ、ぎへへへ。――ギィィ!」
呂律の回っていないアコニトの首に、おっさんの五本貫手がストンと刺さった。
アコニトの顔が見ていられないものとなり、すぐさま倒れ、ビクンビクン痙攣し始める。
「ゴミ捨て場を作ったらどうだ。生活する上でどうしてもゴミは出るものだ。ゴミ捨て場から直で外部へ排出できる機構があるとなお良いな」
おっさんがアコニトの首を鷲掴みしつつリクエストを出した。
木村は一理あると考え、モニターを操作してゴミ捨て場を作った。
「できた」
「よし。キィムラァは外の仲間を、この生まれ変わった新生カクレガに案内してやってくれ」
わかった、と木村はうなずく。
おっさんはアコニトの首根っこを掴んだまま廊下へ出た。
木村は、おっさんとは別にカクレガの外に出て、仲間達をカクレガの中に導く。
彼らとカクレガの内部を見て回って、ところどころで設備の説明も軽く加え、解散にしようとした。
「大将。そこの部屋だけ説明されてないぞ」
「ゴミ捨て場だね。何か捨てるモノがあったらそこに捨てて。ある程度ゴミがまとまったら、カクレガの外に排出されるようになってるから気をつけてね」
他のキャラもうなずき、中を見なかった。
「他に何かある?」
「各部屋・各施設の責任者を決めておくべきだな。持ち回りで良いだろう」
おっさんの案に木村も賛同し、おっさんがキャラを各部屋に責任者として割り当てていく。
誰もその割り当てに反対することはない。
ただ、数人のキャラは気づいた。
一通り案内されたどの部屋にも、煙テロの実行犯がいなかったということに。
唯一、内部を見ることも、責任者を決めることもなかったゴミ捨て場の主は――。
10.キャラ重ね
カクレガは地面を潜行する機能もついているようで、安全に移動することができた。
途中で外に出て、曜日クエストを片付けたのだが問題が発覚した。
「キィムラァ、パーティー編成を見直すべきだぞ」
同時に外へ連れて行けるのが四人とわかり、木村はバランス良く編成をおこなった。
なお、この四人の中におっさんは含まれていない。
一人目は主戦力のアコニトである。
専用武器も手に入っており、間違いなく一番強い彼女を中心にパーティーを組み立てていく。
アコニトとセットにしておかないと危ういセリーダが二人目だ。
彼女の補助魔法は、効果が微妙ではあるものの種類が多いため意外に汎用性が高い。
☆2のためか成長に費やす素材が少なく、スキルテーブルが一番進んでいるキャラでもある。
最初は目を離せなかったためパーティーに入れていたが、普通に使えるキャラなので重宝している。
三人目は防御役のフィルクだ。
動きこそ遅いものの、彼の防御スキルで敵の足止めができるようになるのは大きい……はずだった。
さらに四人目には攻撃役☆3の戦士ベイを試しにいれてみていた。
これで挑んだのだが前衛二人はまったくいる意味がなかった。
アコニトの毒にやられて戦闘不能に陥り、消滅し、カクレガで復活していた。
カクレガで復活できたことに木村はひとまず安堵の息をもらす。
もしかして永久消滅なんじゃないかと考えたほどだ。
「あやつら、なぁんの役にもたたんのぅ」
戦犯アコニトは何の反省もしていない。
木村もまさか味方の攻撃にも当たり判定があるとは思っていなかった。
「毒煙の範囲をコントロールできたりしないの?」
「向きくらいしかできんな。無論、風の影響も受けるぞ」
いっそアコニトをパーティーから外すことも木村は考えたが、投資したコストを考えれば、その選択肢を選ぶ踏ん切りが付かない。
それに、ただの毒ダメージかと思っていたが、弱体化の効果もあり、デバフとしても使えるのは大きい。
むしろ味方に毒の耐性を付けることのほうが良さそうだ。
セリーダが持っていたはず。
さっそくカクレガの訓練室でやってみた。
駄目だった。アコニトの毒があまりにも強く、セリーダの補助魔法では耐えきれない。
ちなみにセリーダは王家のアクセサリーをつけることで、毒から彼女の身を守っている。
ただし、催眠状態の上から付けているので、催眠状態が固定され常にテンションが突き抜けていた。
「毒に強い耐性を持つキャラがいないのかな……」
いっそ全員を後衛にして、やられる前にやる戦法でも良いのだが、バランスが悪いことは否めない。
陣形ボーナスで攻撃力は上がるようだが、耐えきれる敵と戦えば一瞬で壊滅だろう。
まさに現状で苦戦している相手というのが、そういった強敵なのだ。
もちろん雑魚を殲滅するときには全員後衛攻撃陣形でいける。
ボス戦用にせめて一体でも敵の注意を引きつけ、耐える足止め要因が欲しかった。
攻撃もできればなお良いが、そこまで期待するのは欲が深すぎるというものだろう。
木村はカクレガ内を歩き回り、一体ずつキャラを見ていく。
☆の数と見た目だけでパーティーを組んでいたが、セリーダのように実は使えるキャラがいるかもしれない。
素材の問題もあるので、注目していなかった☆の低いキャラが案外盲点だ。
機械的に片っ端からキャラのステータスを確認していく。
やはり条件に合ったキャラは見つからないものだ。やっぱり無理か。
木村が諦めかけたそのときである。
“毒無効”、“麻痺無効”、“精神攻撃無効”
「うおっ! いた!」
木村は思わす歓声をもらした。
要件にぴったりのキャラが見つかった。
ステータスを閉じてキャラを見る。
キャラの方も○の目でジッと木村を見つめ返していた。
「……お前かぁ。よりにもよってお前なのかぁ」
☆3の手抜きロボだった。
名前はボロー。
詳しくステータスを見てみると、いちおう防御タイプのようだ。
スキルテーブルを見ても、防御アップや味方単体を守る防御スキルがある。
名前も、デザインも間違いなく手抜きだが、ステータスはなかなかのものだと木村は感心した。
詳しくステータス一覧を調べて、高ステータスの謎が解けた。
「覚醒」の項目で、他のキャラよりも数値が大きい。
どうやら覚醒というのは、ソシャゲでよくある二体目以上の同キャラが重なり、スキルやステータスが強化される類いのものだ。
突破とか潜在、星アップとか呼ばれ方は様々だが、覚醒がそういったシステムであることは間違いない。
記憶は定かではないが、このボローはけっこう出てイライラさせられたなと木村は朧気に覚えている。
さらに専用武器まで手に入っているので能力がさらに上乗せされ、挑発スキルすら手に入れている。
なおこの専用武器は股間につける棒状のパーツで、つけてみるとどうみても男性器にしか見えない。
見た目はとてつもなく最悪だが、前衛防御役としては優秀だ。
さっそく訓練室で、仮想モンスターを相手に戦闘シミュをしてみることにした。
この訓練室では戦闘シミュ以外でも、キャラのスキル熟練度を上げることもできるようだ。
ボローとアコニト、セリーダのひとまず三人で戦闘をしてみる。
「おぉい、坊や。ほんとにこんなガラクタを使うつもりなのかぁ。儂の知るぼんくらカラクリ遣いのがよほどマシなものを扱うぞぉ」
「女狐よ。見た目で力を判断するのは三流のすることだぞ。自分を省みろ。お前だって戦闘以外はゴミそのものだろう」
おっさんがアコニトの悪口を諫め、さらに上乗せして返している。
なお、このおっさんもボローがガチャで出たとき、言葉を濁していたことを木村は忘れていない。
ただ、おっさんは何も言ってなかったが、木村は心の中でボローをクソミソに言ったので責める権利など微塵もない。
木村は忘れているようだが、心の中どころか実際に口に出していた。
「ふん。良いわぁ。坊や、さっさと支度をせんか。儂が見極めてやるぞぉ」
「わかった。……うーん、どれにしよう」
訓練室は、やろうと思えばかなり細かい設定ができる。
ただしそのぶん設定が煩雑になってしまう。
「悩んでいるな。俺が選んでやろう」
「任せた」
おっさんは訓練室で、木村や他のキャラの特訓にもよく付き合っている。
木村もおっさんの設定なら問題ないと判断した。
「よし。行くぞ」
「遅いわ! はようせんか! 何をやっておる」
アコニトは鼻息荒く、像を結んでいく仮想敵に向かう。
像が結ばれていくにつれ、アコニトの鼻息はか細くなり、顔色は青に変化していく。
「わ……、わわわ」
彼女たちの目の前に現れたのは、帝都を滅ぼした竜の一匹。赤竜だった。
訓練室用の大きさに合わせてサイズは小さくなっているものの、炭にされた経験が消え去ったわけではない。
「それじゃあ戦闘を開始するぞ」
「待てい! 葉っぱを吸ってからにしてくれぇ! 後生だぁ!」
おっさんは首を横に振った。木村もそれは認められない。
カクレガ内は全面禁煙である。このルールに喫煙派が立った一人でデモを起こしている。
赤竜はすでに口を開け、かつてのように口の周囲が赤く光を放ち始める。
その様子をみて、ボローが守るようにパーティーの先頭に立った。
ボローのスキル発動の光と、赤竜の火のブレスは同時だった。
赤竜のブレスをボローが受け、その体……体と言うよりフレームが熱により赤く色づいている。
ボローの後ろにいるセリーダはボローにより熱波が分かれているためか、ブレスの直撃は免れていた。
――セリーダは、である。
「きさまっ! なっ! あ、ああああぁぁぁぁ……っ」
ボローの防御対象は一人である。
セリーダが守られたなら、当然のこととしてアコニトは守られない。丸焼きの黒焼きだ。
赤竜の見た目は以前よりも小さいが、炎の威力は変わっていない。
またしても炭となってアコニトは光に消える。
「素晴らしい防御だな。耐えきったぞ」
半壊ではあるが、ボローはまだ戦闘不能になっていない。
もう一撃は防ぎきれないだろうが、壮絶な一撃には耐え、後ろにいるセリーダは無傷である。
ボローはなおも赤竜と向き合っている。
「すっご……」
ゲームの画面越しでは防御スキルなんだから攻撃を防いで当然だ、と木村は思っただろう。
目の当たりにすると印象は変わる。
赤竜の炎は、都を焼き払うのに十分なものだった。十分どころかオーバーキルも良いところだ。
あの炎に耐えきった存在は、帝都ですら誰一人、何一つとしてなかった。
そのイカレた威力の炎を、あの骨格だけの手抜きデザインで守り抜いたのだ。
たとえ、
――防御スキルがあったにせよ。
――竜が小型だったにせよ。
――戦闘シミュにせよ。
ボローは極限の炎の前に屹然として立ちはだかり、最後まで耐えぬいた。
あまつさえ次の攻撃も防いでみせるといった体で、ボロボロなままセリーダの前に立っている。
木村の足は自然とボローへ動いた。
すぐ近くまで行って、しばし無言でボローと向かい合う。
「……ごめん。僕、君のことを馬鹿にしてた。ダサすぎだろって。でも、間違ってた。かっこいい、本当にかっこよかった。――これからも僕達の前衛として一緒に戦ってくれる?」
ボローは迷いなく頷いた。
木村とボローは互いに手を握り合う。
おっさんも木村とボローのやりとりを見やり満足げに頷いている。
アコニトが絶叫とともに復活し、その様子を見てセリーダがゲラゲラ笑う。
ボローとの信頼度レベルが一つ上がった。
11.遠征
待ちかねていた詫びの詫びが入り、ガチャチケットがまたしても返ってきた。
木村は躊躇いなくガチャを回した。
ガチャからおっさんがまったく出なくなり、☆3以上のみの排出となった。
素晴らしい調整がおこなわれたと木村は感激している。
「やぁっはー!」
しかも最初の10連でいきなり虹色の扉が出たのである。
☆5だ。幸先が良い。木村は誰が出てくれるかとうきうきで待っている。
最悪、アコニトや専用武器でも重ねられるし、他のキャラや武器でも良い。何でもウェルカムだ。
木村は性能を求めているのではなく、最高レアという価値を求めていた。
虹色の扉が開き、木村の目の前に何かがズドンと落ちてきて、木村の視界は真っ黒になる。
その何かは文字通り木村の目と鼻の先に落ちた。壁かと木村は思った。
「なんで壁が急に?」
またバグかと木村は壁を避けて扉を見る。
控えめに言って、超絶な美少女が虹色の扉の先にいた。
現実にもいるのかもしれないが、少なくとも陰キャの木村が接点を持つことはない。
少女は目に見えない壁に阻まれ、その壁を怖そうと叩いているようだがびくともしない。
彼女の目に、みるみるうちに大粒の涙が浮かんでくる。
「どういうこと? どうして? 返してよぉ……! お父さんからもらった私の剣! 持って行かないでっ! お願――」
虹色の扉が閉まった。
☆5らしきキャラは最後まで扉の向こう側にいた。
漆黒の鎧を着た黒髪の美少女は、泣きながらこちら側に来ようとあがいていた。
どうやら専用装備の演出だったらしく、名も知らぬ少女の武器だけがこちら側にやってきたようだ。
後味の悪さに木村は思わず立ち尽くした。
なお落ちてきたのは壁ではなく剣だった。
飾り気の一切ない無骨な剣が床に突き刺さっている。
ちなみにここは訓練室であり、今までここの床を壊すどころか傷を付けることができた奴すらいない。
本当にこれは剣なのか、と木村はペタペタ触ってみる。ひんやりと冷たいが、どこかぬくもりを感じた。
大きさは木村の身長よりもなお高い。彼の頭より上にある柄を握るが、ピクリとも動かない。
校舎の鉄骨と説明されても納得してしまうところだ。
『ゾルの剣』
剣の情報が木村へ流れ込んだ。
名前もシンプルすぎて逆に怖さがある。
ゾルという名にも、剣の方にも余計な修飾が一切ない。
「名前など飾り、実さえあればいい。違うか?」という力強い主張を感じる。
「立派な剣だ。いつか彼女を出迎えたときのため、大事に取っておくべきだぞ」
「そうだな」
しかし、この剣はどうすればいいのか。
よくある便利な収納アイテム箱に入れれば体積は関係ない。
あくまで入れればだ。入れることすらできそうにない。持てないどころか動かせない。
「俺が運ぼう」
おっさんが片手で剣を引き抜いた。
移動のために横にして両手へと持ち替える。
そのまま廊下へ出て、アイテム箱のある部屋へ向かう。
途中でゴミ捨て場から出てきたアコニトの顔に剣をぶつけつつも、なんとか部屋にたどり着き、アイテム箱に無事収納された。
その後も木村は10連ガチャを何度か引き、ゾルこそ手に入らないものの☆5を二体手に入れた。
嬉しいのは常に一瞬で、問題はその後から付いてくる。
――素材がない。
育てたいキャラはたくさんいるのに、素材が追いつかない。
ソシャゲのあるあるだ。ちなみにこれは中盤でも終盤でも起こりえる。
素材が足りないと感じているうちが、楽しみどころとも言われているくらいだ。
問題は素材不足にとどまらない。
部屋がキャラでいっぱいである。さらに食糧問題も出てきた。
「悩んでいるな。キィムラァ、あいつらを遠征に出してみないか。見ろ。みんな、外に出たくてうずうずしているぞ」
みんな部屋の中でごろごろしている。
とてもうずうずしているようには客観的にも見えない。
「こっちへ来てみろ。俺が地図をかけておいたぞ」
おっさんは部屋の壁へと向かう。
そこには前から何かがかかっていると木村は知っていた。
地図だったらしい。地図はほとんど埋まっておらず、白地図も良いところであった。
「今いるのがこのあたりだな」
おっさんが中心からやや右の部分を指で示す。赤い点があった。どうやらこれが現在位置のようである。
少し左に帝都と書いてあり、×で文字が潰されている。帝都の実状をよく示していた。
「地図が埋まってない地域に仲間を送り込むことができるぞ。仲間達は遠征した地域で経験を積み、成長してくれるからな」
よくあるシステムだな、と木村はうんうんと頷く。
おっさんの話はまだ続く。
「それにだ。彼らがその地域のアイテムを手に入れてくれる」
それもあるあるだ、と木村は頷いた。
むしろ、その機能の方がどのソシャゲでもメインかもしれない。
ある程度、キャラが育てばあとは消耗アイテム回収という役割が遠征システムに残される。
「しかも地図を埋めたり、地域の情報を集めてくれるぞ」
木村はそういうこともあるのかと、こちらにはじっくりと深く頷いた。
この世界の情報が木村達には欠如している。仲間達がそれを補ってくれるというのはありがたい。
情報の確保、アイテムゲット、材料無しでの成長、カクレガの飽和状態の解消と良いこと尽くめである。
木村はさっそくおっさんの指導の下、遠征チームを決めていく。
キャラには戦闘スキルの他に、カクレガ用のスキルというものが設定されていた。
遠征で特殊ボーナスがつく奴もいる。
特に☆が低い奴に多い。完全に使われないキャラとなるのを防ぐ役目もあるのだろう。
遠征スキル持ちの奴に加えて、☆5や将来的に使えそうな奴を入れていく。
五体一組として二組を遠征に出せるようなので、さっそく遠征へ向かわせる。
「キィムラァ、期間はどうするんだ?」
壁の地図にチームのリーダの顔印が現れている。
さらにその横に数字が出た。これを変更すると期間が変更できるとおっさんは言う。
よくわからないが、しばらく使えそうな余裕もないので、木村は数字を設定できうる最大値にしておいた。
「よし。それじゃあ見送るとしよう」
基地の外に出ると、時刻は朝であった。
夜のうちに雨が降ったのか地面がほんのりと濡れている。
周囲に人もいない中で、木村とおっさん、遠征に出る十人の仲間達、また、彼らを見送る多くの仲間が集まった。
「頼んだよ」
「任された。役目を果たすとしよう」
「そこそこにやってみせるさ~」
木村の声にそれぞれのリーダーが応えた。
「長旅になる。途中で飲むと良い」
おっさんが二組に持たせたのは、好感度がアップする酒だった。
大げさなと木村は思ったが、見送られた二組はおっさんに一言感謝を告げる。
キャラ達がそれぞれの別れを済ませていく。
☆3のテイは留守番組だが、旅立つ彼らに泣きながら抱きついていた。
彼らは去った。
別々の方角へ向かう二組を木村達は見送る。
「寂しくなるな。心が引き裂かれるようだ」
「……うん」
大げさなと思いつつも木村は言葉短く返答する。
木村も初☆4のフィルクが遠征でいなくなるのは、もの悲しいと思う部分もある。
彼はカクレガでも木村にちょこちょこ話をしてくれていた。
漢詩の授業で友人を見送る詩があったな、とふと思い出した。
詳しくは思い出せないが、あれも雨が降った朝ではなかったか。
「渭城の朝雨……」
その後が木村には思い出せなかった。
もっと授業を真面目に聞いていれば、と悔やむ気持ちを抱いたのはテスト以外では初めてだった。
「彼らが帰るまでの一年間。俺達も彼らに恥じないよう強くなるとしよう」
「うん。…………は?」
木村はぼんやりと聞いていた。
話の後半部分から理解していき、強くなろうという部分は理解した
前半の部分に戻ったところで、理解できない部分に突き当たった。
「一年?」
「そうだぞ。遠征だからな。しっかり情報を集めてくるに違いない」
「途中で帰って来たりはしないの?」
「キィムラァ。別れた直後で寂しいのはわかる。だがな、見送ってしまった以上は『途中で帰らせる』などと、軽々に口にすべきではないぞ。決心して旅立った彼らへの侮辱だ」
そんな話ではない。
いや、おっさん達にとってはそうだったのか。
木村にとっては数日くらいの感覚だったのだが、彼らにとっては一年だった。
なぜここまで大げさに見送りをしたのかようやく木村にも理解できた。
一年の別れならこれくらいはするだろう。
しかし一年……、もうサービス終了してるんじゃないかと木村は思った。
そして、「サービスが終了したとき、自分はどうなるのか?」という命題を、今の木村が心に抱くことはなかった。
12.イベント「暗澹たる凪の刻 式微の跫音」1
遠征組を見送り、木村達はカクレガに戻った。
先ほどよりも人数が減り、さっそく木村は寂しさを覚えた。
人数が減って見た目がまばらになっただけでなく、音としての賑やかさも失われていた。
見送りに来ていなかったアコニトが、ソファを占領しイビキをかいて寝ていたのだが、今だけは目を瞑っておいた。
木村はおっさんと肩を並べて地図の前に立っている。
先ほど旅だった二組が、カクレガを表す赤点から徐々に離れていくのがわかる。
二組はそれぞれ北西と南西に向かっている。
そして、赤点も東へとゆっくりだが進んでいるらしい。
「……カクレガは、どこに向かってるの?」
赤点をぼんやり見ていて浮かんできた疑問を木村は口にする。
滅びた帝都から逃げるように移動したが、肝心の移動先をまったく聞いてなかった。
「わからないぞ」
「は?」
木村はおっさんを見た。
おっさんはいたって真面目な表情で地図を見ている。
「カクレガが自動で進み始めたからな」
おっさんの指が赤点を示し、そこから東へと動いていく。
地図の東は、ほぼ真っ白である。
「カクレガは察しているのだろう――東で何かが起きる、と」
「なに、その嫌な機能……」
ピッピコーン!
突如の通知。
木村がビクリと震える。
「ひょわっ! ぴえぃいい!」
アコニトも奇声をあげて目を覚ました。
最悪の目覚めだったのだろう。尻尾が逆立っている。
木村はだいぶ慣れてきたがやはり驚く。
緊急地震速報と同じような感覚になりつつあった。
もう、この音自体が一種の恐怖だ。一斉になり出さないだけまだマシか。
アコニトも恐々とした様子で木村たちをソファの隅から顔を半分だけ出して覗く。
聞きたくないのだが、聞かずにやばいことに巻き込まれるのはこりごりだという彼女なりの覚悟の現れである。
木村やアコニトの思いなどおっさんが知るわけもない。
彼はにこやかに木村に手紙を差しだした。
「“イベント「
木村はとりあえず題名を読んだ。
ふりがなに従い読みはしたが、後半は意味がわからない。
見たこともない字もある。文字面からなんとなく暗さだけは感じとることができた。
「イベントストーリーか。楽しみだな。――おっ、地図が更新されたぞ」
ちょうど目の前の地図の表示が一部変わった。
ナギカケ帝国の国境を越え、別の国に入ったらしい。
未だ真っ白な地図に、国名だけが表示される。
「グランツ神聖国」
名前だけではどんな国なのか、はっきりとわからない。
異世界らしい宗教的な国なんだろうと木村は考えた。
ついにイベントストーリーが始まる。
だらだらとした異世界でのデイリークエスト生活に、ようやく刺激的なものが投入されるはずだ。
リリース当日からイベントストーリーを開催するソシャゲもある。
木村も連続ログイン10日目の特典をすでに受け取っているので、この開催は遅いと言えるだろう。手遅れかもしれない。
あるいはメインストーリーが充実しているかだ。
メインが重厚なら、イベントストーリーを遅らせたことはわかる。
しかし、異世界のためか木村達にメインストーリーはない。
実はあるのかもしれないが、少なくともまだ木村達はそれらしき話に首を突っ込んではいない。
デイリークエストや中止された討滅クエストだけだったが、ついにイベントストーリーがおこなわれる。
異世界が関わっていることも、木村には嫌な予感しかさせない。
イベントストーリーのキャラが、異世界で暴れ回る光景が浮かんでくる。
通常は問題を解決するのがプレイヤー側である。
しかし、果たしてそうなるかも怪しい。すでに帝都で実証済みだ。
なるほどイベントストーリー上の問題は解決するのかもしれない。
ただし、解決にあたり、この世界にどれだけ爪痕を残すのか、それこそが一番の問題だ。
しかも、最初のイベントストーリーだ。
運営は間違いなく力を入れてくるであろう。
木村はこのゲームの運営をまったく信用していない。
ここの運営は、すでにいろいろとやらかしている。
イベントストーリーでも何かやらかしてくる可能性が高い。
こういう運営は力を入れれば入れるほど、何か大きなことをしでかす。
木村は、ソシャゲの運営と彼らが催すイベントを異世界に投下する爆弾と捉えている。
木村は思い違いをしていた。
彼が見てきた多くの異世界転生もので、猛威を振るうのは多くのケースで主人公側だった。
過去の事例に則り木村も当然の如く、強大なソシャゲのモンスターやイベントが、無力な異世界の人間や環境に災禍をもたらすと考えている。
彼が思い違いをするのも無理はない。すでに帝都での前例があったのだから。
ただ、このパターンに例外があることを彼は失念している。
そして、例外的な存在が常に主人公が強くなるのを待ってから出るわけでもない。
ここは異世界であり彼らの世界だ。彼らは自然と世界に存在する。
異世界の法則に、より詳しいのも異世界人側である。
彼らの世界に無闇に飛び込んでいった木村達側に問題があると言える。
何はともあれイベントはじきに開催される。
木村は嫌な予感を覚えつつも、楽しみな気持ちがあるのも自覚していた。
とりあえず、あのやばかったバランス崩壊の竜はもう出てこない。
そのため、前よりはマシだろうと彼は高をくくっていた。
木村の予想は、前半は当たっているが、後半は外れである。
終焉の跫音は、彼のすぐ近くに迫っていた。
―― ―― ――
グランツ神聖国は、今でこそ「神聖国」と御大層な名前で呼ばれているが、元は神聖術の一研究機関である。
その名も――グランツ神聖術学園。
神聖術は魔法と捉えてもらえば良い。
人の、人による、人のための、「神より授かった聖なる術式」を追究する機関は、次第に勢力を増し、母体であった国を逆に支配するまでとなった。
その際に規模が縮小したため、他国と比べて領地は狭い。
それでも狭い範囲ではあるが、彼らは自分たちの力を他国に認めさせている。
彼らの頂点はかつての名残で学長と呼ばれており、その下に二人の副学長、さらにその下に十名の教授がいる。
教授より下にも、多くの階級と呼べるものが存在するが、実質的に神聖国を支配するのは学長、副学長、教授までの十三名だ。
学長、副学長ともなると権力の使い方を弁えている必要がある。
しかし、教授までなら神聖術への理解の深さだけでも就くことができる。元が学園であったことの名残だろう。
神聖国の一室に、まさに神聖術への理解の深さだけで教授になった男がいた。ルルイエである。
ルルイエは派閥争いにも参加せず、教育にも力を入れず、研究にも消極的で、極めて無気力であった。
「教授。学長の遣いの方が、『今年度の教材を早く提出してくれ』と仰ってましたよ」
研究室に入ってきた助手のウィルが、ソファで寝そべっているルルイエに声をかけた。
声をかけられた無気力側はゆっくりと指を上げ、離れた机を示す。
「あ、もう作られてたんですか。それじゃあ、僕が渡して――」
優男が机の前に行き、薄い冊子を手に取ろうとしたところで動きを止めた。
冊子の表紙にあり得ない文字が書かれていたのだ。
「教授! これはまずいですよ! 以前もお叱りを受けたでしょう!」
ウィルは切羽詰まった様子でルルイエに詰め寄った。
表紙に書かれた文字は、この学園では読むことすら憚られるものだ。
“魔/法”
表紙にはシンプルにこれだけが書かれている。
他国は神聖術を、妖術だの奇術、方術などと好き勝手に読んでいるが、ここグランツ神聖国において、神聖術は「神聖術」のみ呼称が許されている。
神から授かった聖なる術式。
この思想が、この学園、ひいてはこの国の基礎にあるからだ。
「君は――君の言う神聖術が本当に『神から授かった聖なる術式』と思っているのか。幸せ者だな。私には悪魔の法則に感じるがね。歪みしか感じられないよ」
ソファに寝転んでいたルルイエがようやく声を出した。見た目通りのだるそうな声である。
もしもこの発言を、彼以外の者が口にしたなら学園からの追放、あるいは謹慎が約束される。
ルルイエであれば黙認される理由は、彼が行使する神聖術が一種の悪魔的な力に基づいていると周囲も感ずるところであるためだ。
かつてルルイエが着任一ヶ月目の教授会で同様の発言をした際に、副学長および他教授からお叱りを受け、売り言葉に買い言葉で口論となり、実力を以て言葉の表すところを示すこととなった。
結果として、ルルイエ一人に副学長および当該教授は完敗を喫した。
その後、副学長は退任に追い込まれ、教授の枠も一つ空いた。
ルルイエ事変とも呼ばれている。
「ルルイエは神聖術を扱わない」とまで囁かれるほどだ。
それほどまでにルルイエの神聖術は、他者の神聖術とは別格であった。
下手につつくとやぶ蛇なので、可能な限り関わらないと全教授は心に刻み込んでいる。
ルルイエに面と向かって口が出せるのは、口が本体と言われるほど口うるさい副学長と、過去に当代一の神聖術使いと評された現学長くらいである。
ちなみに、「現在の当代一の使い手はルルイエ」と、学長本人が公言したのでやはりルルイエの実力だけは誰もが認めざるを得ないところではあった。
それとルルイエ研究室、ただ一人の助手であるウィルも平気で口を出している。
最初は遠慮していたのだが、遠慮していてはやっていけなくなり、今では立派にルルイエと他部署を繋ぐ連絡役兼お目付役である。
「ともかく私は書いたぞ。『魔法』は絶対に駄目だと言うから、ちゃんと分けた」
「間に“/”を入れれば良いってもんじゃないですよ。せめて魔だけでも別な言葉に変えられませんか」
「いいや、魔は魔で良い。これこそが私の言いたかったことだ。魔と法、この二つは別物なんだ。読めばわかる」
「読めという割に薄すぎますよ」
ルルイエの作ったという冊子は薄い。
数ページあるかどうかだ。
「いいから読め」
ルルイエの言葉少なめの説得を前に、ウィルは冊子をめくって読もうとする。
しかし、冊子のページは堅く貼り付いており、めくることができない。
「まさか……。あっ、またやってる! これも『もう絶対するな!』って言われたばかりじゃないですか!」
冊子には魔法がかかっていた。
魔法を読み解かなければ、めくることすらできない無駄に手の込んだ仕掛けだ。
数日前に、副学長への決算報告で同じ仕掛けを施し、彼らを激怒させた。
渡した段階ではただ困惑させただけだったが、めくろうと四苦八苦する彼らに対して「読み解けないんですか? 副学長なのに? うちの助手でも読めたのに?」と挑発したためだ。
「まったく。……表紙から難しすぎませんか。読ませる気がないでしょう」
「難しいと言うわりに、君はあっさり表紙をめくっているね。前書きもすらすら読んでいる。私の見込んだとおりだ。やはり君は『魔法』の才能があるよ」
ルルイエにすれば最大の賛辞なのだが、喜びがたい言葉にウィルは顔を引き攣らせて応えるだけだ。
ウィルは見開き一ページをさらりと読み解き、次ページへ進まず冊子を閉じた。
「いちおう持っては行きますが、どうなっても知りませんからね」
「学長なら受け取るだろう」
「そうでしょうか」とウィルは首を捻りつつも、冊子を手に研究室を出ようとする。
「例の二人はどうなった?」
ルルイエがぽつりと質問を投げかけた。
「例の二人……? ああ、あの二人ですね。一人はベイスラー教授が引き取って、もう一人は地下送りにされたようです」
ウィルは二人が誰を指すのかすぐに察した。
二日前、学園に密偵が潜り込んでいたのをルルイエが指摘し、すぐさま捕らえられた二人のことだ。
二人は別々の組織にいたようだ。
互いのことは知らず、仲間ではない様子だった。
どちらも手練れで、神聖術に助教授以上の才覚を示し、捕らえる際に被害が出たという。
一人はベイスラー教授の目に留まり、彼に引き取られた。
ベイスラー教授は北にある古遺跡の研究をしている。遺跡にかけられた封印術式に苦戦していた。
捕まった人間は、封印を解除する何らかの手段か情報を持っていたのだろう。
そうでもないとベイスラー教授の目に留まるはずはない。
もう一人は地下送り――牢に入れられている。
追放されず、処分もされていないということは一定の実力があるということだ。
追放するには神聖国にとって危険すぎ、処分するには同様に惜しい。
あるいは、手が付けられたものじゃないかだろう。
ちなみにこの二人はイベントストーリーの重要キャラであり、異世界に出現後、暗躍および活躍する間もなく捕らえらた。
そのため、イベントストーリーは始まる前からすでに破綻している。
もちろん学園側の誰もそんなことを知るよしもない。
一人は研究室に入り、もう一人は地下送り。
少なくともウィルにとってはそれまでの話だった。今このときまでは。
「ふぅん。じゃあ、地下の方はうちで引き取ろう。手続きをしておいて」
「はい?」
「――ああ、冊子を渡すついでだ。『西から変な気配が学園に向かってきている。明日にでも何か来る』と学長に伝えておいてくれ」
「…………はい?」
ルルイエはもう言うことは言ったと、ソファに寝そべり目を瞑る。
各部署への連絡と事務処理、地下の人間の解放請求で、ウィルは一日を消費することになる。
無価値な一日だったと彼は振り返るのだが、このときの彼はまだ知らない。
明日は今日よりも最悪、最低であることを。
13.イベント「暗澹たる凪の刻 式微の跫音」2
問題の日、ルルイエはいつもどおり研究室にいた。
先日から感じていた不穏な気配が、学園内に入ってきたのを感じている。
ルルイエは、魔力を人よりも遙かに強く感じ取ることができる。
学園の言葉を用いるなら神気であるのだが、彼は帝国人と同様に魔力と呼んでいた。
学園に入る気配は、魔力をうまく隠している。
ただ、隠す動作は大きな違和感を生む。土と魔力を同化させるならまだしも、消そうとすればかえって異常な魔力反応が生じてしまうのだ。
不思議な気配は、消すほどの違和感を出していないが、同化するほどには隠しきれてもいない。
気配は明確になり、大きな気配の中から何か不気味な魔力が学園内に侵入してくる。
ルルイエもこれほど魔力反応がぶれている存在を感じるのは初めてだ。
数は一。
魔力を隠す操作をしていない。
姿を隠す魔法すら何一つ行使していない。
それどころか動きに迷いはなく、堂々と構内を歩いている。
よほど自信があるのか、ただの馬鹿なのか。前者だろう。
ルルイエは、魔法を行使し、警備室に備えられている警報板に見回り要請の信号を発した。
抵抗も考えて、警報の度合いは高としておいた。
大まかな場所も伝えていたのですぐに駆けつけるだろう。
教授や助教授と違って、警備室の兵士達は勤勉かつ優秀だと、ルルイエは考えている。
彼の思惑通り、警備兵はすぐさま不審者へとチームで駆けだした。
抵抗はなかったようである。対象は大人しく警備棟に連れられていった。
予想していた展開とは少し違った。前回と違い、ルルイエが援護をする必要もなかった。
しばらく注意をむけていたが、警備の一人が学長室に向かった。
どうやら騒ぎを起こすのではなく、学長と話をしに来たようだとルルイエは判断した。
その後、不気味な魔力の持ち主は、警備兵に連れられ学長室に入る。
学長室の中は学長自身の魔力と、張り巡らされた罠の魔力が混ざり合いヘドロのようだ。
謎の存在はおびただしい魔力や魔法の罠にかまわず席に座り変化がない。話をしているようだ。なかなかの胆力である。
ルルイエは先ほどから何か違和感を覚えているのだが、それが何かはっきりしない。
「おはようございます」
ルルイエが何をしているか、まったくわかっていない様子でウィルがやってきた。
今日こそは自分の研究をするんだと意気込んでいる。
「教授。そういえば警備の人が、変わった人たちを連れていましたけど、もしかして昨日のあれですか」
「そうだ。……人たち? 一人だろう」
「大きなおじさんと、自分よりも若そうな子が一緒でしたよ」
ルルイエは体を起こした。
意識を集中させ、学長室の対象を観察する。
どうやってもルルイエには一人しか感じ取ることができない。
魔力の範囲を計測するに、これは大きなおじさんと呼ばれたほうだろう。
「ウィル、本当にもう一人いたのか?」
「見間違いでなければ」
問われたウィルも驚いている。
ルルイエがソファで起き上がることなど滅多にないし、ルルイエは学園内の全ての存在を感じているはずだ。
問われていることの確認など、ウィルが応えずともルルイエにはわかるはずとウィルは考えていた。
「なるほど、たしかに周囲の物の魔力に歪みはあるか。しかし、魔力がゼロではないな。魔力を透過させている? この世の法則の干渉外? あるいは別次元の存在。……何だこれは? ぜひともこの目で見てみたい」
ついにルルイエがソファから立った。
ルルイエはそのまま研究室から出て行く。
ソファからルルイエが自発的に立ち上がるのは、トイレや食事以外でウィルは見た記憶がない。
絶対参加の教授会ですら、ウィルが背中を極めて強く押さなければ出ていかないほどだ。
初めての出来事にウィルは何か大きなことが起きていると察した。
―― ―― ――
一方、場所は同じで、時はわずかに戻っての木村である。
彼はグランツ神聖国に到着した。
カクレガは、神聖国の総本山であるグランツ神聖術学園でようやく進行を止めたのであった。
グランツ神聖国を散策してみようとおっさんが提言し、木村も賛同した。
周囲の様子をカクレガから覗き見たところ、人間以外の姿がないため、ひとまず木村とおっさんだけで外に出た。
そして、国の中枢たるグランツ神聖術学園の敷地を歩き、警備の人にあっさりつかまった。
周囲が一様な制服を着ている中で、木村は日本の服、おっさんは暑いからとタンクトップに短パンを着ている。どうやっても目立つ。
なぜ、これで散策しても大丈夫だと判断したのかが、つかまった木村でもわからない。
行ってみようぜ! という場の雰囲気に飲まれていたのかもしれない。
ただ捕らえられると言うよりは、不審者として事情を説明させられている状態だ。
木村は困惑し役に立たず、おっさんが対応している。
「見学だ。許可はもらっているぞ」
「許可証は?」
「落としてしまったようだな。最高責任者に聞いてもらえばわかる」
「学長の?」
「ああ、学長だ。聞いてみてくれ」
それで大丈夫なのか、と木村はハラハラしつつおっさんを見ている。
警備兵たちも明らかにおっさんの言が嘘だと感じているのだが、万が一、事実だった場合、これ以上の拘束は非礼にあたる。
情報の出所がルルイエだったことも大きい。
不審者の情報をくれるのはありがたいが、過去にお忍びで来ていた学長の客――国外の要人を見つけ出して、地下送りにした前例があった。
今回の場合も過去の例に近い雰囲気を警備兵は感じている。
服装が異国のもので、不審者は抵抗する様子もなく堂々と受け答えをしている。
しかも、片方が明らかに弱そうであった。要人とお付きのものと言われれば、その可能性を排除しきれない警備兵である。
「確認してくる」
警備兵はひとまず不審者二人の勝手な移動を制限し、不審者の言が事実かどうか、確認をすることにした。
「“帝都を知る者”と言えば、わかってもらえるはずだ」
おっさんの一言に、木村は心の中で感心した。
大抵の人間が帝都で死に、何が起きたのかを明確に知る者はほぼいないだろう。
それにテレビやインターネットどころか電話もない世界だ。あそこで何が起きたのか知っている人間は重宝される。
ただ、自分たちが問題を起こした張本人であることは黙っておくべきだ。
事実確認をした兵士が帰ってきて、おっさんと木村を見張っていた兵士達を集めて声をかけた。
彼らはすぐに二人の側に駆け寄ってくる。
「学長の客とは知らず、ご無礼を致しました」
「いや、諸君らは諸君らの仕事をしたにすぎないぞ。次からは許可証をかけて見学するからな。気にしないでくれ」
おっさんが朗らかな笑みで応えると、兵士達も頷き施設を案内してくれる。
木村は、一番偉い人の部屋はだいたい高いところにあると考えていたのだが、そうではないこともあるらしい。
案内された部屋は、やや離れた建物の一階である。
それも奥にあるわけでもない。よく考えれば、木村の高校でも校長室は一階にあるし、一番奥という訳でもない。むしろ入口に近かった。
客を迎えることが多いのならば、入口近くに居室をもった方が合理的なのかもしれない。
「ようこそ。――どうぞ。遠慮せずかけたまえ」
学長とは聞いていたが、まさか本当に映画の中で見るような魔法学校の校長みたいなのが出てくるとは思ってなかった。
長くぱさついた白髪に、日本ではまず見ないほどの長い髭、丸い眼鏡に、ローブまで着ている。
木村は自分が映画の中に入り込んだのではないかと錯覚したほどだ。
赤い服ととんがり帽ならサンタクロースでもある。
「キィムラァ。椅子を勧められているんだ。立ったままでは失礼にあたるぞ」
ちょっとした感動で動きを止めていたが、おっさんは木村に声をかけ着席をうながす。
木村が慌てた様子で座り、髭の学長もそれを見てから椅子にかけた。
「それで――帝都の一件をご存じだと」
学長は寄り道せず、さっそく本題に入った。
彼はすでにルルイエから何かが来ることを聞いていたので、余裕をもって対応することができている。
もしも聞いていなくても帝都の一件を知ると聞けば、対応はしていただろうが、彼本人がここまで丁寧に対応していたとは限らない。
「そのとおりだ。我々は帝都陥落の場に居合わせた」
おっさんの言葉に学長は目を瞠った。
グランツ神聖国として、帝都にスパイはもちろん入れていた。
しかし、全員が帝都陥落に際し、命を落としたようで不確かな伝聞情報しか聞けていない。
「事の始まりは、――赤い竜の出現だ」
おっさんの説明は、現地で目の当たりにした人間のみが持つ情報の重み、あるいは生々しさが含まれていた。
火で焼かれる街の臭い、逃げ惑う民の叫び、凍った城を見上げ絶望する人々、割れた地に飲まれ、城壁にも潰された人であったモノの姿。
さらに陥落した帝都で、茫然自失としていた生存者の顔。
隣で聞いていた木村も当時のことをまざまざと思いだし、震えが出たほどだ。
学長は、おっさんの話を聞き、木村の様子も見て、これが事実だと悟った。
後から聞いた情報とどれも一致する。さらに三匹の竜についても詳細に語られている。
竜の大きさ、攻撃の手段、神聖術に対する耐性の有無、出現の仕方と行方のくらまし方、どれもがグランツ神聖国として知りたかった情報だ。
「情報の提供に感謝する。さて、今さらだが貴殿らはいったい何者だ?」
これほどの情報を得て、しかも密入国を今日の今日まで悟らせなかった。
ただ者ではない。グランツ神聖国と敵対するのなら、今ここで処理する必要がある。
すでにこの部屋は学長の魔法領域である。
たとえ、副長他九名の教授がここで学長に反旗を翻すことがあろうと彼は対処できる。
一名の例外はこそあるが、それ以外の何者がここで暴れようとも学長に指一本触れることはできないだろう。
学長はそう考えている。
傲慢ではあるが、間違っているわけでもない。
それほどまでにグランツ神聖国の「学長」という地位は、世界でも確固たる実力を示すものなのだ。
「私や、このキィムラァは今回帝都で起きたような世界の異変を追いかけている」
「このたび、こちらのグランツ神聖国でも同様の事態が起きると察知し、馳せ参じた」
「ここでか?」
「そうだ」
「あの竜がここに出るのか?」
「いや、今回は竜とは違うかと思われる。もっと静かに、水面下で事態が進行しているのかもしれない」
「すでに起きていると?」
おっさんは無言で木村を見た。
学長が木村を見ると、木村は頷いてみせた。
学長の魔法は発動されることはなかった。
この二人が、グランツ神聖国に警鐘を鳴らしに来たと学長は悟ったのだ。
味方かどうかはまだ不明だが、少なくとも敵ではない。
「どうやってそれを知り得たのだ?」
「こちらのキィムラァにはそういった力がある。前回の帝都でも事前に異常を察知致した。しかし、力及ばず……」
結果は陥落だったと学長も頷いた。
学長はこの二人をすでに信用しつつある。
大柄の男は力量を測りづらいが、嘘を言っているような口ぶりには見えない。
隣の少年は、まだまだ可愛げが残る年齢だ。この年頃の子を多く見てきた学長は、少年が嘘を言っていないと判断した。
神聖国と敵対する意志は見えず、むしろ協力的である。
一部の情報を隠している様子はあるが、全てを開示しろとも言えない。
見返りがあるかどうかもわからないのに、これほどの情報を出してくれただけでも御の字だ。
そう、学長はまだ彼らに見返りの話を聞いていなかった。
彼らはこの情報をグランツ神聖国に流し、いったい何を得ようとしているのか。
「貴公らはその情報を我々に知らせ、いったい何を望む?」
「異変の解決だな。まず、神聖国内を動き回れる許可証をいただきたいと考えている」
「当然だ。手配しよう。他には?」
「キィムラァ、他に何かあるか?」
「えっと、仲間の分の許可証がいただければと、戦闘も考えられますので、僕は戦えないですし」
「仲間がいるのか?」
「ええ。その、仲間が人間ではないのですが、良いでしょうか……」
木村が遠慮がちに告げた。
どうやらこのグランツ神聖国がどんな国かをわかっている。
故に学長もすぐに頷くことができない。
グランツ神聖国は人間以外立ち入り禁止だ。
「すまんが、仲間の立ち入りは許可できんな。代わりにこちらから戦力を提供しよう」
戦力は、この二人の監視役でもある。
「ありがとうございます。ただ、彼らを表には出しませんが、こっそり潜ませておくことはお許しいただきたい」
「儂ですらどこに隠れておるのかわからん。出てこないなら目を瞑ろう」
ちなみにカクレガはすでに学長室の真下につけている。
「感謝致します。また、不測の事態があった際には彼らの力が必要になるやもしれません」
「そういったことが起こった際は儂が擁護しよう」
「失礼ですが、その旨、一筆書いていただいても」
「良いだろう。ただ、命の危機が明確な場合に限らせてもらうぞ」
「重ねて感謝致します」
「他には?」
おっさんは木村をみて、木村は首を横に振った。
あまりにも求めるものが少なすぎる。
学長は、彼らが本当にただ異変を追い続けているのかとやや驚いている。
「さっそくだが事態の対応に当たりたいと思う。水面下で異変が進行していると話されたが、どのような異変が起きていると考えられるか?」
「キィムラァ、何かわかるか?」
話が急に振られ、木村は少し戸惑った。
こういったイベントストーリーを、木村はだいたいスキップしてしまうのであまり共通要因が出てこない。
それでも何かないかと木村は考える。
「あ、そうだ。キャラだ」
木村は思いつき、言葉に出した。
イベントストーリーなら、イベント専用のキャラが出る。
だいたいそういったキャラが裏か表かで、何かとこそこそ動き回っているものだ。
「最近、急に現れたキャラ――不審な人物はいませんでしたか。僕たち以外で」
「おったな」
学長もすぐにあたりが付いた。
学長は、彼らに直接出会ったわけではない。
ルルイエから指摘を受けた警備兵が捕らえたと聞いている。
こういった間諜は別に珍しくもないので、副長以下に対応を任せていた。
「二人おる」
一名は事情を落ち着いた後は敵対する意志もなく、協力的だったのでベイスラー教授が引き取った。
もう一名は、完全に黙秘を貫いているので地下の牢にいる。
ベイスラーは北の古遺跡に行っているだろう。
そうすると地下にいる方から話を聞いた方が良いと学長は判断した。
「入るぞ」
学長室の扉を男が無造作に開けて入ってきた。
来客中の学長室にこんな無作法な真似ができるのは、学園でも一人しかいない。
たとえ来客中じゃなくても一人だけだ。ルルイエである。
「駄目ですって教授! すみません! 教授は疲れてるみたいです! すぐに引き取りますから!」
ルルイエの脇に控えていた青年が、無作法な男の腰を掴むがびくともしていない。
無精髭を伸ばしたルルイエは、学長室の主を見ることもなく、おっさんを見ることもなく、ただの少年をみて歓喜の声を上げた。
「素晴らしい! 素晴らしいぞ!」
ルルイエの顔には声どおりの喜びと驚きが貼り付いている。
ルルイエを知る学長とウィルは、彼の歓喜する顔を見たことなどない。
いつもつまらなさそうな顔、あるいは面倒そうな顔で皮肉をぶつぶつ言っている姿しか思い浮かばない。
「えっ……、なに?」
見つめられている木村も驚いている。
いきなり変なおじさんが部屋に入ってきて、自分を見つめて喜んでいるのだ。
「お、どうやらキィムラァのすごさをわかる人物が現れたな。キィムラァ、特訓の成果が出ているぞ」
一人だけ方向性が違う言葉を発したが、誰も気に留めなかった。
14.イベント「暗澹たる凪の刻 式微の跫音」3
木村は困惑していた。
いきなり現れた無精髭の男が木村を見入っているのだ。
無精髭の男は目を爛々と輝かせている。
「ルルイエ、待て」
犬を落ち着かせるように、学長は手の平を見せるが効果はなかった。
ルルイエはズカズカと学長室の中に入り込み、木村をいろいろな角度から観察し、体の部位を指で押したり引いたりしている。
木村とウィルはそれぞれ固まっているが、固まっている事情はそれぞれ異なる。
木村はいきなり現れた変なおっさんに絡まれ、訳もわからず為すがままにされているだけである。
対して、部屋の入口にいたウィルはあまりの魔法に動くことができなかった。
ルルイエが学長室に入ったとき、学長の仕込んでいたであろう幾十もの魔法が、ルルイエを敵対者として行使された。
学長の「待て」はけっして手の平で犬を止めるような安易な行動ではなかったのだ。
しかし、学長の行使した全ての魔法が一瞬でルルイエに無力化された。
学長が行使していた魔法は人一人に対するものとしてはあまりにも強大だった。
もしも、ウィルがルルイエと同じ立ち位置にいれば、魔法の圧だけで心臓を止めていたかも知れない。
学長の圧倒的な魔法を全て同時に解除したルルイエには、尊敬を通り越してもはや畏怖の念しか抱くことができない。
ときどきこの人についていって大丈夫なのかとウィルは思うのだが、こういった場面に出くわすとやはり自分の選択は間違っていなかったと感じる。
他の教授は神聖術を行使する者、理解する者としてもちろん尊敬に値するが、ルルイエは神聖術そのものだ。崇敬など生ぬるい。
そんなことなど露知らず、木村がおっさんに助けを求めて視線で合図を送るのだが、まったく伝わる様子はない。
無精髭男と一緒に入ってきた青年や、学長も最初だけ止めていたが諦めていた。
木村に「悪いけどもう少しこのままで」と伝えるだけだ。
「君はどこから来た? ――この世界のモノではないだろう」
自己紹介など一切なく、ルルイエは木村の出自を尋ねる。
しかも、木村がこの世界の人間ではないことも理解している様子だ。
ルルイエは木村が困惑する様子を見て、すでに答えを得ている。そして納得した。
「美しい。これこそ世界の本来あるべき姿だ。美しいぞ、少年!」
台詞だけだと男色家と疑われるものだ。
顔もセットにするとマッドサイエンティストのそれである。
さらに手や足の動きも含めるなら、もはや彼が何なのかわからない。
「良かったな、キィムラァ。褒められているぞ」
まったく良くなかった。
早くどうにかして欲しいと木村は願うのみである。
ルルイエからいくつかの質問をされ、木村は諦め半分で答える。
異質な質問もあったが、さっさと解放されたい一心に木村は答えていった。
ルルイエもようやく落ち着いたようで、学長の椅子に座り、物思いにふけっている。
ちなみに本来の主は、応接セットの椅子に座って木村たちと対面していた。
空いた席にウィルが座り、「僕はここにいていいの?」と見回す。
「話を戻すとしよう」
学長がゴホンと一つ咳をして、ようやく話を戻した。
木村は何の話をしていたか、もうすでに思い出せないでいる。
「三日前に不審な人物が神聖国に現れた。二名だ」
そういえば、その話だった。
イベントに関連するキャラを探していたことを木村は思い出した。
謎の無精髭男があまりにも強烈すぎて、他のことがどうでもよくなりかけていたのだ。
「一名はスィミアとかいったな。女性だ。こちらはベイスラー教授が連れているので、すぐに引き合わせることはできん。もう一名は捕らえておる。先にこちらから話を聞くことにしよう。名は確か……」
「ズェーダです。昨日、教授が『うちの研究室に呼んでくれ』と言われたので申請手続きをしました」
「そうじゃったか。まだ、儂のところまで書類が上がってきておらんな。今後にもよるが、承認することになろう」
頼むからやめてくれ、とウィルは言いたかった。
教授一人でも面倒なのに、この上さらに面倒なものまで押しつけられたくない。
「申請は取り下げる」
ルルイエが声を出した。
言い出しっぺが撤回し、ウィルは「昨日の手間はなんだったんだよ、こんちくしょう」と拳を握っている。
どっちにしろウィルが困ることになる話であった。
「もう必要ない。君たちの仲間だろう、そちらで回収してくれ。私は少年だけいてくれれば良い」
「全ッ然、良くないです」
木村は首を激しく横にふった。
可愛い女の子キャラならまだしも、こんな意味不明な男とは一緒にいたくない。
そもそもズェーダという人物に木村は会ったこともないし、名前も知らない。
ソシャゲのキャラと考えられるので、こちらの仲間かと問われれば、分類上はそうなるとも言える。
「カクレガで相談してみたらどうだ?」
おっさんが助け船を出してくれた。
「そうだね。知ってる仲間がいるかもしれない」
「すまないが席を外すぞ。申し訳ないがズェーダというのを連れてきてもらえるか」
学長が、ポワッと光る小さな使い魔を呼び寄せ、何かを囁いた後にどこかへ飛ばせた。
「わぁ、本当に魔法の世界だぁ~」とどこか現実逃避気味に木村はその光景を見ていた。
「よし、開けるぞ」
おっさんが学長室の床に指をさしこむと、切れ目が入り床が持ち上がった。
学長の眼鏡がずり落ち、ウィルも目をしぱしぱと瞬きをしている。
彼らも神聖術に関しては素人ではない。
むしろ、異世界全域で見ても詳しい側に入る。
その彼らがカクレガに気づくことすらできなかった。
「階段を降りて、三叉路を右に進んだ部屋。入口から見て左側の椅子に座っている女が関係者だな。連れてくると良い」
とっくに床のカクレガの存在に気づいていたルルイエが、先ほどとは打って変わってつまらなさそうに告げる。
今度は木村が呆気にとられる番だった。
カクレガに驚かれることもなく、ましてや中を見てすらいないのに、ルルイエは中の構造を口にした。
さらに、ズェーダとやらの関係者がどこにいるのかも、どうやってかわかっている様子だ。
木村が階段を下りて、右の部屋に行き、椅子に座っていた☆3のスメラを見る。
彼女も木村に気づいたようで、何事かと木村を見る。
「ズェーダって名前に、心あたりある?」
「兄です。……どうしてそれを?」
本当にスメラが関係者だったことに木村はひるんだ。
スメラの見た目は人だが、正確には地人族と言い、人間とはまた別の人種らしい。
肌の色が浅黒く、日光に弱い。カゲルギ=テイルズ内では地面の下に王国を築く人種という位置づけのようだ。
木村が簡単に事情を説明すると、スメラは外に出ると言った。
念のため、学長に事情を話してみると「良い」ということで、スメラを連れて上がり、学長室でズェーダが登場するのを待つ。
「兄さん」
「……スメラ。どうしてここに」
兄弟の再会はありきたりな台詞で始まった。
さほどストーリーに興味がない木村は話をぼんやりと聞いている。
要約すると、彼らの地底王国で発掘されたやばい箱の一つが、何者かに盗まれた。
その箱はかつて地底王国を闇に落とし、彼らの父もその箱から出た闇に飲まれたらしい。
兄のズェーダは国の重要なポジションについており、箱を探索する特命を受け、地下の王国を離れていたと話す。
家族には内緒で国を出たため、それが兄妹の不和になったとか。
カゲルギ世界での都市モルデンにて、箱の手がかりを得たところで、この学園――異世界に迷い込んでしまったとのこと。
木村はイベントの内容が読めた。
もう一人の不審者が、箱を持っている暗躍側だと。
本来なら都市モルデンなる地で、怪しい箱が開かれストーリーのボスとなったに違いない。
そして、この木村の予想は当たっていた。
やたら重い題名の割にはありきたりなストーリーであり、ネットの板では「サ終の跫音」とささやかに盛り上がっている。
実際、木村の予想を裏付けるように、学園の取り調べを担当した警備兵から「奇妙な箱を持っていた」という証言が取れた。
大筋がわかればズェーダの人となりは、もはや木村には興味がない。肝心なのは性能だ。
流れとしてはズェーダがイベントキャラで仲間になるはず。ステータスを見れば☆4の特殊型である。
☆5で特殊型のエースはいるのだが、特殊型自体まだ数が少なく、役割もキャラごとに大きく違うのでありがたい。
最初のイベントストーリーキャラは多くのケースで、かなり使えるキャラのことが多いものだ。
今後の活躍に期待ができる。
「やるべきことは明解だな。俺達でそのスィミアなる不審者を倒し、箱を回収するんだ。そうだろ、キィムラァ?」
「え、あ……、うん」
まるでおっさんが主人公のようである。
別におっさんが主人公でも良いのだが、イベントがいきなりボス戦で、あっさり解決しそうなことに木村は戸惑いをいだいていた。
初回のイベントストーリーというのはもっと、無駄に長いイベントがあり、意味のないムービーが入り、同じ姿をしたレベルが1だけ変化する雑魚戦が途中に十以上はあり、ボスとはその先に鎮座するものはずだ。
そのはずがあっさりと解決に向かっている。
なんだこれは? 初めてのイベントストーリーとは一体何なのか。
木村にはわからない。
「さあ、行くぞ。キィムラァ。早くカクレガに入るんだ」
「私も同行しよう」
ルルイエが学長の椅子からようやく腰を上げた。
「えっ? なんで?」
「
そういう台詞は格好いい女の子キャラに言われたいと木村は思った。
この男の場合は、木村を実験体としてしか見ていないような気がしてならない。
最初に出た☆4のキャラが思い出される。あの凜々しかった彼女にまた会いたい。一緒に戦ってもらいたい。
木村がルルイエに感じた思いは間違っていた。
ルルイエは木村の存在を含めたより広い、異世界人ひいては異世界に興味があるのだ。
研究対象でこそあれ、ルルイエは木村にも興味はあるし、木村に何かがあったら困るというのも彼の本心から出た言葉だ。
だからこそルルイエが自発的に動いている。そうでもなければ彼は学外はおろか、研究室外にすら出ない。
木村はルルイエでなく、召喚されたキャラに関しても思い違いをしている。
召喚された格好良い女の子キャラが木村を見る目も「木村」を見ている訳ではなく、「召喚者」としか見ていない。
彼らは召喚者に対して事務的に台詞を吐いているだけだが、木村はそれが本心だと勘違いしている。キャバクラに行ったら良いカモになるだろう。
召還後に、召喚者としての関係を続けるか、木村として仲良くなるかが信頼度に顕れてくるのだが、木村は信頼度をプレゼントをもらえるゲージにしか考えていなかった。
「じゃあ、僕も行きますよ。教授を一人で行かせたら、迷惑をかけますからね」
なぜか青年も手を挙げる。
男ばかりが増えていく。木村はうんざりしていた。
「儂も行こう」
学長も腰を上げた。
これには木村も意外な面持ちである。
「爺さんは留守番。ほら、椅子は返すぞ」
「儂もそのカクレガとやらに入りたい。お主らだけずるい、ずるいぞ」
学長はカクレガに興味津々だった。
学長という立場を忘れ、一研究者としての興味が勝っている。
元来、学長の分野は神聖術による長距離集団移動の効率化である。
転移術式は便利な判明、魔力を食うし、学長でも無詠唱は難しく、魔法陣を描き短縮化する必要がある。
召喚獣や、自然にいる獣の従順化は、やはり魔力を食うし、技術も要る。
なかなか良い答えにたどり着いていなかった。
そして、このカクレガが現れた。
「儂も力になれるであろう。ひとまずそのカクレガの中に入り、古遺跡に向かいながら中を見学させてくれ」
「ほら、爺さん。無理を言わない。大人しく留守番しとくんだ。腰を悪くするぞ」
「老人扱いするなよ、若造! お主が生まれたときから儂は学長やってんだぞ!」
学長と無精髭が言い合っているのをみて、木村は緊張感を失いつつある。
彼らはわかっているんだろうか、これから挑むのはボス戦だと。
バランス調整に失敗した竜と同じ程度の強さのボスが出てきてもおかしくない。
それどころかもっと強いボスが出るかもしれない。
老人扱いされている学長が強いことは木村にもわかる。
彼なら付いてきても足手まといにはならないだろうし、むしろボス戦の力になるかもしれない。
しかしだ――。
「あの、すみません……、この教授さんは強いんですか? かなりの危険が予想されますよ。無理に来ない方が」
木村としては、無精髭の教授に気をつかったつもりだった。
見るからに戦えなさそうだし、これから数学か化学の授業でもしに行くと言われた方がまだ理解できる。
言ったは良いものの、学園側の三人はそれぞれ動きを止めて木村を見つめていた。
まずウィルは、先ほどの神聖術がこの少年には見えていなかったのかと不思議がっている。
次いで学長は、戦えないと少年本人から聞かされてはいたが、本当に神聖術を使えないのだなと納得しつつある。
ルルイエについて言えば、まともに心配されたことなどここ十数年はなかったので、どう反応すればいいかわからず思案にくれている。
「強いぞ。まだまだ見る目が足りていないな、キィムラァ」
三人が何も言わない中で、おっさんだけが無精髭の男の強さを認める。
このときの木村は、やはりまだ無精髭の男の強さがわからず、おっさんが言うのならいいかくらいにしか思っていなかった。
おっさんは「強そう」だとか「よく鍛えてある」などと半ばお世辞に近い評価はするが、明確に「強い」と断言したのは初めてだったことに木村は気づいていない。
カクレガに乗り込み、木村とおっさんが地図の前で目的地を確認する。
学長はけっきょく留守番となった。
カクレガに後で乗せてもらう約束を取り付け、無精髭と青年の二人を送り出した。
学長はすでに問題のことなど気にしていない。ルルイエが動くなら問題は解決どころか壊滅するだろう。
カクレガに乗ることを自分の椅子に座り夢見ている。
一方、カクレガの木村たちである。
☆3のテイが興味津々で青年に声をかけており、青年もリスの獣人が珍しいようでお互いに楽しそうに話をしている。
無精髭の男はご機嫌な様子で木村を見てきていて、木村は気が触れそうだった。
意識しないよう地図をジッと見ていると、目的地の付近に変わったマークがあることに気づく。
四角形を縦に分割するように線が一本。さらにそれぞれの長方形の真ん中縦線付近に小さな丸が描かれている。
両開きの扉だろうと木村は推測した。
でも、なぜ扉のマークが地図にあるのかはわからない。
しかも扉マークは、帝都のように×で潰されている。
この扉はそもそも何の目印だったのだろうか。
「この扉のマークは? ×で消されているようだけど」
おっさんは、しばらく地図を見つめ、返事をするまでにわずかな時間があった。
「扉は、扉だな。見たところ、今は使い物にならなくなっているようだ」
本当に見たまんま過ぎて木村は「そう」としか言えなかった。
遺跡か何かがあるとは聞いているので、扉に関連した遺跡なのかもしれない。
ただ、場所が古遺跡と言うだけで別に気にすることはない。
カクレガは、ボス戦となる×印の扉へとゆっくり近づいている。
初めてのイベントボス戦が近いことに、木村は自身がわずかな緊張と楽しみを抱いていることを自覚した。
今回のイベントボスはさほど異世界に傷痕を残すことはなさそうだと木村は判断している。
――甘かった。
なるほどイベントボス戦そのものは大きな問題もなく終わるだろう。
しかし、ボス戦を呼び水として何が現れ、どうなるかが今回の場合は重要なのであった。
終焉の跫音は、扉一枚を隔てた向こう側で鳴り止んだ。
後は扉が開かれるのを待つのみである。
15.イベント「暗澹たる凪の刻 式微の跫音」4
カクレガはまもなく目的地である古遺跡に到着する。
木村は地図の前で深呼吸を一つした。
「君の世界は、どんなところなのかな?」
木村の息が間違いなく止まった。
横にはおっさんがいるかと思っていたが、いつの間にか無精髭の男に入れ替わっていた。
「ずいぶんと楽しそうに見えるが、この世界の何がそんなに楽しい?」
無精髭の男――ルルイエはどこか馬鹿にしたような笑みで、続けて木村に問いを投げた。
なお、姿を消したおっさんはウィルという青年や、☆3のテイと楽しげな会話に花を咲かせている。
なんだろうか……、明るい人間は明るい人間と、暗い人間は暗い人間とで会話を弾ませろと言うことか、このときの木村はやや陰キャ的な思考に走っていた。
木村は高校生だったが、高校生とは数ヶ月ほど私的な会話ができていない。
「教えてくれないか。私は知りたいんだ」
高校生と話すのは難しいにせよ、この無精髭と二人で会話をするのも辛いものがある。
どうでも良いときに現れるアコニトも現れてくれない。
木村は諦めて会話をすることにした。
「僕の世界には、魔法がなかったです」
一つ目と二つ目の質問にまとめて答えた。
魔法はないが科学はあった。しかし原理は別物だろう。
木村の答えは問いに対してはどちらも婉曲的な回答であったが、ルルイエは理解した。
「素晴らしいな。君がいたのは魔法のまったくない世界か。故に、君はこの世界で魔法を見て楽しんでいるわけだ」
「何が素晴らしいんですか?」
「魔法というのはね。歪みの現れだよ。魔法に満ちたこの世界は歪みきっている。しかし、君にはその歪みがまったくない。あまりにも自然だ。君のいた世界も歪んではいないだろう。――美しいな」
ルルイエが、木村の世界を夢想し恍惚としている。
一方で、木村はつまらない顔をするだけだ。
「美しいかはわかりませんが、おもしろい世界ではありませんよ」
「おもしろい世界とは何だ? 歪みきった法則の中で、歪んでいく様がおもしろいと? 君は傍観者だな。自らが純粋であるが故に、周囲の捻れていく様がおもしろいのだろう」
「わかりません」
木村にはルルイエが何を言っているのか本当にわからない。
歪みだの、捻れだのと言われても木村にはさっぱりだ。
「この地図を見るに、君は帝都を通ったようだが、崩壊にも関与しているんだろう」
「……さあ」
ルルイエが×印のついた帝都を指で示す。
木村は、どきりとしたが知らんふりをした。
「勘違いしないでくれ。帝都がどうなろうが私の知ったことではない。私が知りたいのは、――君たちの世界で、帝都が崩壊したときのようなことが起こりえるのか、ということだ。私の言う『歪み』とはまさにそれだ。君たちの世界で、人の意志や、世界に本来あるべき法則、それらを一切合切無視した現象が起こりえるか?」
起こりえない、木村は思う。
核ミサイルの発射や大地震、隕石の落下が起きれば別だろうが、それでも人の意志や自然法則、あるいは化学反応の結果だ。
木村の世界を支配していた法則は科学であり、その中に、竜がどこかから現れ、都市や人を焼き尽くすなどということは現実に生じない。
この世界に木村が来たということを考えれば生じているのだが、今の木村がその点にたどり着くことはなかった。
「起こらないだろう? 故に、私は君たちの世界が、君たちの存在が美しいと思える」
「そうでしょうか?」
「そうとも」
ルルイエは迷いなく頷いた。
木村は、彼が教授と呼ばれていたことを思いだし、彼の研究が何かがようやくわかった気がした。
「教授の研究は、世界の歪みを修整することなんですか?」
「初めはそうだった。しかし、無理だとわかった」
「なぜです? 魔法にはお詳しいんでしょう? 強いとも聞いています」
いまいち強さを理解していない木村は軽い気持ちで話をしている。
「全ての歪みを正せると思い込んでいた時分もあった。しかしだ。歪みでは歪みを修整できない、と結論を得た。基準がわからないんだ。魔法が卓越する故に、歪みきった私には『歪みのまったくない存在』という基準が、どんなものか想像すらできなかった。そこからの私に、生きる気力は湧いてこなかったよ。だがね。私は今日。希望の光を見た――答えは近いぞ」
光を見たという言葉とは裏腹に、ルルイエの光をまったく感じさせない目が木村を捉える。
木村はルルイエの眼の奥深くに沈み込みそうになり、底なしの恐怖を感じ、逃げるように目を逸らした。
「着いたようだぞ」
おっさんが今さら木村に近づいてきた。
「わかった」
木村はルルイエから離れるように、扉の方へと向かう。
とうとうイベントのボス戦が始まる。
カクレガから出ると、周囲は茶色の世界が広がっていた。
テレビで見たエジプトのピラミッドが色としてはこんな感じだったが、遺跡の形としてはアンコールワットに近いだろうか。
土色の世界に、木村がまさに想像したようなThe・遺跡が広がっている。
「ウィル。わかるか?」
「これは、さすがに僕でもわかります。良くないですね」
学園側の二人は遺跡を見て、何かわかったように呟いている。
木村にはさっぱり何が良くないのかわからない。
「良いか悪いかはどうでもいい。面白い『魔力』の構造をしている」
ウィルがルルイエの言葉の前半・後半の両方を窘める目つきで見るのだが、見られる側は何も反応を示さない。
「学園ではまず見られない魔法だ。よく見ておくと良い」
魔法という言葉に眉をひそめるが、貴重な提言なのでウィルは展開されている魔法に集中した。
古遺跡一帯に、精神を蝕む類いの魔法が張り巡らせている。入った者の精神を無差別に侵すものだとウィルは読み取った。
たしかに規模、効果、作用対象ともに学園では見られない。
こんなものを学園で使えば謹慎は確実だ。
一方の木村も、これはおそらく危険だから仲間を呼んでも良いと判断した。
アコニト、ボロー、セリーダ、☆4で遠距離攻撃もできるプーシャンで挑むことにする。
最近のメインパーティーがこれだ。ボス戦を考慮すれば本当は回復役を入れたいのだが、あまり良いキャラに恵まれていない。
「キィムラァ、連れて行けるのは二人までだぞ」
「えっ?」
連れて行く直前でおっさんからストップがかかる。
「もうルルイエとウィルがいるだろう」
「この二人もカウントされるの?」
当然とばかりにおっさんは頷いた。
この二人がどの程度強いのかが木村にはわからない。
ひとまず攻撃役のアコニトと防御役のボローを連れていくことにした。
古遺跡に入り、何度か魔物が現れた。
人型の魔物だ。
グランツ神聖国で見たような服を着ていた。木村は嫌な予感を覚えている。
「教授。この人たちはベイスラー研究室の……」
ウィルは、自分たちに襲いかかってきたモノたちに心あたりがあった。
話したことのある人もいた。彼らの話が聞こえ、木村も「やはりか」と予感が当たっていることを認識した。
「ベイスラー? どんな人物だったか」
真面目に知らない様子のルルイエに、ウィルは呆れている。木村も呆れた。
ルルイエの記憶には、彼以外の他九人の教授などまったく刻まれていない。
学園でも彼が記憶に刻んでいる人物は、両手の指があれば足りる。
助手のウィル、学長とうるさい方の副学長、それに腕が立つ警備兵をいくらか。
ルルイエにとってなにより一番重要なのは学食のおばちゃんである。
彼はまともな料理ができないので、おばちゃんがいなければ生きていけない。
たまに食事を忘れて、時間外に行っても作ってもらえるので学園においての最重要人物は誰を差し置きまず彼女であった。
「操られてるの?」
「違うなぁ、坊や。何かに取り憑かれておるぞぉ」
木村の意見を否定したのはアコニト。珍しく意識がはっきりしている。
クスリで意志をねじ曲げ操る側として見れば、彼らの様子は操られているものではない。
彼らの意志が何者かに乗っ取られている、あるいは完全に支配されているときの様子であるとアコニトは勘づいている。
「どうにか、できないでしょうか?」
ウィルが、乗っ取りを解除する術がないかと声に出す。
「どうして先ほどは、どうにかする前に攻撃した?」
ルルイエがウィルの疑問に対して疑問で返した。
皮肉ってるわけではない。自身の心理状態がおかしいことを認識しろというルルイエなりの気遣いである。
「……いや、それは急に攻撃を仕掛けられたからであって、考える余裕がありませんでした」
「君には余裕があったように見えた。助けたいと思うならやってみると良い」
気遣いこそすれどルルイエとしてはどうでも良かった。
ウィルがしたいなら勝手にすればいいだろうくらいの感覚だ。
問われた側のウィルとしては、余裕があったかもしれないと反芻し、動きを鈍らせている。
他の研究室の人間を助けたいと思う一方で、倒さなければならないと思いつつある。
木村やアコニト、ボローはまったく容赦がない。
魔物は経験値であり、素材であり、イベントクリアへの障害物である。倒すのみだ。
ウィルは戦闘パーティーに組み込まれ、無意識下で木村に支配されつつあった。
通常であれば、無意識下の侵食にウィルは気づくことができたであろう。
しかし、場に充満する別の侵食――ベイスラー教授の研究員を侵食している精神攻撃を防ぐのに気を取られ、木村側の侵食に気づくことができなかった。
ちなみに木村もまた無自覚であるので、彼が悪いとは一概に言えない。
ルルイエもウィルが支配下に置かれつつあることを気づいているが止めようとはしない。
支配の攻撃が確かに木村から放たれているにもかかわらず、木村自身に魔力の流れがないことを興味深そうに観察している。
ちなみにアコニトとボローにも周囲から精神攻撃が飛んでいるのだが、二人は耐性を持っているため効いていない。
木村やおっさん、ルルイエもそれぞれ別のやり口で無効化している。
古遺跡の奥へ進むと、探していた人物が立っていた。
さらにその隣には別の人物もいて、壁と向かい合っている。
それと体が人並みに大きい鼠が壁の側にいた。鼠の輪郭が煙のようにぶれている。
「ほら! もう来ちゃったじゃない! いい加減、諦めなさいよ!」
「待ってくれ! もう少しだ! もう少しで解けるはずなんだ! あー、クソ! これじゃないのか!」
急かしているのは女性だった。
長い髪を揺らしながら木村たちと壁に向かう男を交互に見ている。
聞いていた服装や髪型、体型といった特徴からこちらが、不審者の一人であるスィミアと木村は判断した。
壁に向かっている男を木村は知らない。
背中から見ても土で汚れた服に、白い帽子を被り、わずかに見える肌は日に焼け黒っぽくなっている。
「ベイスラー教授! ご無事ですか?」
ウィルが、壁に向かっていた男に声をかける。
彼がベイスラー教授だったようだ。
「ん? げ! ルルイエ! ――とそのおまけ。……あとは、誰だ? ん? おい! どうして魔物がここにいる? お前が呼んだのか!」
ベイスラーと呼ばれた男が、アコニトを見た後に、背後に立っていたスィミアを睨んだ。
スィミアは「はぁ?!」とベイスラーを睨み返す。
スィミアは激怒していた。
彼女はカゲルギ世界の都市モルデンに潜り込み、「箱」の起動準備に入っていたら、訳のわからない世界に飛ばされた。
自らの実力に自信はあったが、謎の武装集団にあっさりと捕らえられた。
その後は、これまた訳のわからない教授が彼女の技能を買って、なんとか牢には入れられなかったものの、古い遺跡に押し込められ、土まみれの埃まみれだ。
切り札である「箱」も都市モルデンを陥落させるために取っておいたのに、まさか人もわずかな古遺跡で開けることとなった。
開けて、ようやく解放されると思いつつも、「あの方」に何と言い訳すれば、と彼女はほとほと困っていた。
だが、さらなる追い打ちがあった。
ベイスラーと呼ばれている人物には「箱」の効果がなかった。
なんでも「遺跡を調査するときは罠を意識して防御壁を何重にもかけている」かららしい。
大鼠の攻撃もまったく効かず、スィミアの攻撃も無論効かない。ひたすら壁にかけられた封印術式と向き合っている。
「箱」を開けた者――スィミアは「箱」の中身の煙型の鼠を処理しなければ動くこともできない。
近くにいる人物が全滅するまで鼠は活動し続けるとスィミアは聞かされていた。
煙の鼠は今でこそベイスラーを狙っているが、生きている対象がまだいるにも関わらず、開封者が移動した場合は開けた者を狙うと聞いている。
すなわち、スィミアが距離を取ると鼠はスィミアを狙うことになる。
彼女の魔法や武器は特殊寄りの攻撃方式だが、煙の鼠を処理することはできない。
ましてやその煙の鼠が、攻撃を諦めてしまうほどの防壁を張り巡らせるベイスラーを破ることなどもってのほかだ。
逃げることすらスィミアには許されない。
訳のわからない世界、どこかもわからない遺跡、ヘンテコな人物、最悪の魔物、おそらく自身の敵と見受けられる訪問者――スィミアの頭は理解の限界に達していた。
スィミアは泣きかけている。
ありとあらゆることが上手くいかない。
他の仲間は次々と功績をあげ、「あの方」に認められている。
スィミアはこの作戦が最後のチャンスと見て、大がかりな作戦を組んだのに、何一つ思い通りにならない。
「何でも良い! とりあえず待ってくれ! もうちょっとだ! もうちょっとで解ける! ついに神聖術の祖とも言われるメシアン様の神聖封印に、私が終わりを告げることができるのだ! この私がだぞ!」
ベイスラーはすぐに壁に向き直る。
彼にはスィミアも、煙のよくわからん鼠も、ルルイエも、魔物やそれと一緒の人間などもどうでも良かった。
幾十にも封印されている、おそらく最後の障壁がスィミアの衰退特化の神聖術により弱まった。
彼が人生をかけて向き合ってきた壁が今、解かれようとしている。
彼の頭の中では脳内麻薬が湧き出て、座っているだけイキかけていた。
パキン、と魔法の砕ける音がした。
正確には音ではなく、魔力を感じるものの錯覚であり、木村以外にしか聞こえていない。
見えていた壁が音を立てて動き、新たな道を作っていく。
「来た……、来た! 来たぞッ! やったぞ! ひゃあああああ! ついに俺はやったんだぁああああ! やぁああああ!」
ベイスラーは達した。
目からは涙、鼻から鼻水、口から涎と泡、股間からは白い粘性のある液体をこぼしながらガッツポーズをする。
パチンコで言えば、連日預金していた台に生活費を切り詰めて作った諭吉を投入し、確変が起きたおっさんのような反応である。
その場で勢いよく立ち上がり、近くにいたスィミアと煙の鼠とで円陣を組み、ぐるぐると踊っていた。
スィミアもなぜか目に涙が浮かび、煙の鼠はベイスラーの腕をガジガジ噛んでいる。
「あやつ、狂っておるぞぉ」
アコニトの呟きには「お前が言うな」状態だったが、木村も同じ事を思った。
「おい、坊や。『お前も狂ってるだろ』と思うたろぉ、ん?」
「……思った」
「坊やは素直じゃのぉ。覚えておけぃ。クスリでラリるのと、狂うのは別物となぁ。儂は狂うてはおらんぞ。ラリっておるだけじゃ」
その二つを区別する必要あるのかと木村は思ったが、とりあえず頷いておく。
「うっひゃあああ、一番乗りだあああ! へははははは!」
ベイスラーが年甲斐もなく雄叫びを上げながら、新たに開かれた道を突き進んでいく。
彼が離れたことで煙の鼠の攻撃対象が移った。
箱を開けた本人はひとまず例外なので、次の標的はよくわからない集団――木村たちである。
スィミアはようやく逃げるチャンスが訪れたと感じ、訪問者を撃退することにした。
「いきなさい、デザチュー! こうなったらもうやれるところまでやってやるわ!」
スィミアがやけっぱちに煙の大鼠――デザチューに命令した。
木村は、そのネーミングはあまりにもグレーすぎないかと心の中で突っ込んでいる。
ひとまず大鼠が木村たちに敵意を向けてきたのは間違いない。
イベントのボス戦がようやく始まったのだが、木村は詳しい話が見えていないので首をかしげるのみである。
長年にわたり、行く手を遮ってきた壁の鍵は破られた。
閉ざされていた空間に魔力が流れ込み、終焉が姿を見せようとしている。
16.イベント「暗澹たる凪の刻 式微の跫音」5
イベントボス戦が始まった。
煙の大鼠ことデザチューは何というか地味に強い。
めちゃくちゃ強いと木村は考えていたので、そこは拍子抜けではある。
ただ弱いわけではない。
まず、体が真っ黒の煙なので直接攻撃が効かない。
パーティーに直接攻撃するキャラがいないので問題はなかった。
しかしながら、もしも全員が物理キャラなら詰んでいた状況である。
これには木村も反省し、次回はもう少しバランス良くパーティーを組もうと意識をあらたにする。
煙の大鼠の攻撃は噛みついてきたり、体当たりである。
ボローの股間についた専用装備の挑発が効果を奏し、一人で鼠の攻撃を引き受けている。
実際のところは接触による状態異常の付与だけでなく、精神攻撃もおこなっているのだが木村は気づいていない。
ただし、木村たちの攻撃も効いているとは言えない。
アコニトの毒は無効化されないまでも耐性があるようで微妙だ。
真に厄介なのはスィミアである。
彼女は魔法だけでなく、ナイフを投げて邪魔をしてくる。
しかもナイフには、魔法の壁を貫通する効果も仕込んでいるようだ。
デザチューに、唯一まともな攻撃ができるウィルを重点的に狙ってくるのでやりづらい。
彼女の方がむしろ強敵かも知れない。デザチューこそいれど、ウィルやアコニトの攻撃をほぼ彼女一人で凌いでいることに、なかなか強いなぁと木村は驚いていた。
初回のイベントボスとしては、そこそこ難易度が高いのではないだろうか。
状態異常メインと物理・魔法のバランスが取れたもう一人。
体力は低そうだが、地味にいやらしい組み合わせだ。
火力が足りなければ回復役が必須だろう。
さらに二体の攻撃を引き受ける防御役もいるかもしれない。
そうすると攻撃役が二人。火力不足でじり貧に追い込まれる可能性もある。
木村としては、ウィルが普通に使えるキャラだったことに驚いている。
下手に今のカクレガの仲間を突っ込むよりも、彼の方が戦力としては上だろう。
異世界の人でも戦えるキャラはいるんだなと木村は認識をあらためている。
問題は残る一人だ。ルルイエは何もしていない。
彼はつまらなさそうに遠くを見ている、と木村は考えている。
ルルイエが戦闘に参加していないのはそのとおりだが、何もしていないわけではない。
奥に、叫びながら一人走って行ったベイスラーの魔力を彼は追跡していた。
さらに、ベイスラーの行く先にある扉に注目している。
実はルルイエは過去にここを訪れたことがあった。
その際、奥までこっそり入り込み、謎の扉があることは確認済みである。
過去に入り込んだときは結界を破壊せず、中和して潜り込んだので魔力が極めて薄い場所だとしか感じなかった。
扉もおかしな挙動をしておらず、魔法的にも無価値なものであった。
しかし、今は扉の性質が異常だ。周囲の魔力を恐ろしい勢いで吸い込んでいる。
今まであった結界が消え去ったことにより、結界が遮っていた周囲の魔力が扉へと流れ込んでいるとルルイエは察した。
もともと、この遺跡付近は地脈であり、魔力が流れ込む場所ではあった。
本来、その魔力はこの扉に流れ込んでいたのだとルルイエは推察した。
そして魔力を吸って、謎の扉が作動したと話を繋げた。
さて、今までは結界により、吸い込まれるはずの魔力が滞っていた。
その行き場を失った魔力を学園側に引き込むことで、グランツ神聖術学園は魔法で繁栄していた。
これは今後の学園にも大きな影響が出そうだとルルイエは考える。
ただ、今回の場合は他にもっと考えるべきことがあった。
この扉が何なのかだ。
とりあえず後で調べればいいかとルルイエは思考をいったん止める。
ちょうどそこへ、木村が苛つきの混じった声でルルイエに声をかけた。
「あの、何か手伝ってもらえませんか」
戦闘はやや状況が悪い。このままではこちらが負けそうだと木村は判断していた。
仮にルルイエが他のキャラなら、一キャラ分こちらが優勢になっている。
何もせず突っ立たれては、まさしく何の役にも立たない。
「まだやっていたのか」
ルルイエが煙の鼠を見た。
彼が見ただけで大鼠が苦しみもがき地に伏す。
「――これで良いだろう」
木村には、ルルイエが何かをしているようには見えなかった。
本当にただ大鼠を見ただけ。今までまともなダメージが通らなかったのが嘘のように、鼠はダメージにより行動を止めている。
ルルイエには魔物の正体が詳細に見えていた。
様々な状態異常をもたらす効果を付与した煙の中に、魔物の核となる部分がある。
動きや密度を変え、場所を特定させないようにしているようだが、ルルイエにとっては意味がない。
隠そうとするぶんだけ、動きが生じてかえって目立つ。
その不格好な核に向かって、魔力をぶつけてやっただけだ。
もはや魔法とすら言えなかった。
核を穿たれた煙鼠は、追撃を避けるために形態を変化させた。
煙を分裂させ、おびただしい数の小さな鼠を出すことで本体を隠そうとする。
「なんだぁ! ばらけたぞ!」
無意味な抵抗である。
すでに先の魔力当てでルルイエは魔物の核にマーキング済みだ。
どれだけの数に分裂しようとも、核を瞬時に見分けられるし、外すこともない。
ルルイエはトドメとして魔力をもう一度撃つ。
「終わった。――ほう、初めて見る現象だな」
鼠があっという間に消滅し、宝箱が現れる。
「え? 何をやっ、やられたんですか?」
あまりにも一瞬で全てが終わり、木村も思わず敬語になるし言い淀む。
木村には、最初から最後までルルイエが煙の鼠をただ見つめていただけにしか見えなかった。
だが大鼠は倒れ、倒した証とばかりに宝箱が木村を待っている。
周囲も絶句し、ルルイエを見る目が変わりつつある。
ウィルだけは自らの担当教授を嬉しそうに見つめていた。
「まだやるのか?」
いかにも面倒そうな顔でルルイエは、呆然としているスィミアに問いかけた。
「あ、あり得ない。あり得ない。あり得ない。――あり得ない!」
スィミアは目の前の光景が理解できない。
「あの方」からいただいた箱は、都市モルデンを壊滅させるに十分な魔物が入っていた。
事実として、過去に地底王国を再起不能の数歩手前まで追い込んだ。
もちろんあの時とは事情が異なることはスィミアも承知している。
周囲に人の数が多いほど猛威を振るうと聞かされていたが、今回は周囲に人が少なすぎた。
それでも猛威こそ減れど、魔物としての力が減るわけではない。
デザチューは彼らを殺すはずだったのだ。
そのデザチューが一瞬でやられた。
何をされたのかもスィミアにはまったくわからない。
ただ「まだやるか」というからには、やる気の感じられない無精髭の男がやったに違いない。
男はスィミアの対応を待っている。
スィミアを見ているようだが、もっと別のどこかを見ている気もする。
デザチューがやられた以上、彼女としては何もせずに白旗を揚げるわけにもいかない。
せめて一矢報いなければ。
スィミアは右腕を伸ばし、袖に隠していたナイフを手に出す。
そして――、
「右手のナイフに弱体化を付与し、加速させ投擲。ナイフに目が行った隙に左手に仕込んだナイフに着色を付与しを背後から見えないように投げ、軌道を曲げて私の首へ横から突き刺す」
スィミアの手が止まった。
彼女のやろうとしたことが、そのまま男の口から出てきた。
「お前は人の心が――」
「読めない。魔力の流れが読める。君は優秀だな。発動前から明確に魔法の軌跡を描けている。それ故に流れがとてもわかりやすい」
男の言っている意味がスィミアにはわからないが、読めるからといって止められるわけではない。
スィミアは魔法を行使しようとした。
「っぁ!」
スィミアが魔法の行使をしようとした瞬間に、彼女は右手に鋭い痛みを覚えた。
手かこぼれ落ちたナイフが、地面とぶつかり硬い音を立てて転がる。
彼女は右手を貫かれたように感じたが、見ても何も変化はない。
血の染みすら出てきていない。それでもまだ右手にはしびれが残っている。
「これ、あの時の――」
彼女はこの鋭い痛みに覚えがあった。
スィミアが異世界にやってきたとき、彼女は学園の警備兵と戦った。
あのときもこれで魔法が発動せず、彼女はあっさりと捕らえられてしまうことになったのだ。
「あんただったのね……。いったい何をしたの?」
「魔法が発動される瞬間、魔力の流れは淀み、歪みを生じる。魔法発動寸前に、歪みの中心を魔力で突いた。魔力が抜け、魔法は発動されなかった」
「それだけだ」と締めたが、彼以外の誰にも真似はできない。
木村はよくわからない。風船の空気を抜いたくらいに思っている。
他は理解すらできない人間と、理解ができても実行ができない人間に分かれた。
スィミアは近接戦に持ち込もうとしたが、力を入れた足の裏にまたしても同じ痛みが走る。
彼女は声こそ出さなかったが、足を踏み出すことをできなかった。
手も足も出ない、――出せないということに彼女は気づいた。
「サシなら私だってそこそこできるのよ。幹部連中とだって同条件ならやり合える。どうしてその私が手も足もでないのよ」
スィミアの強さは木村も認めるところである。
鼠が仲間にいたにせよ、アコニトとボロー、それにウィルという三人を相手に互角以上の戦いを見せた。
ただ、ルルイエが異端過ぎた。
はっきり言って、相手が悪いとしか言いようがない。
魔法のことがよくわかっていない木村ですら、ルルイエが別格だと理解し始めている。
「『あの方』から頂戴した肝いりの箱ですら、相手にならないなんてどうなってるのよ!」
木村もスィミアに同情し始めている。
箱と言えば、まだドロップした宝箱を開けてないと木村は思いだし、宝箱へと向かう。
「『あの方』にいったい……、ちょっとあんた! 私が話してるんだから、せめてこっちを向きなさいよ。なんでデザチューがやられて、見たこともない箱が出てきて、しかもあんたが中身を漁ってるのよ。私のデザチューなんだから、その箱も私のでしょ! もう訳がわからないわよ!」
木村は宝箱を開けて、ボスのドロップに喜んでいた。
素材や装備のみならず、ガチャチケットまでもが中に入っていたのだ。
「キィムラァ、人の話はちゃんと聞くべきだぞ」
おっさんにも注意されてしまった。
さすがに空気を読んでなかったと木村も反省する。
だが、宝箱の権利を譲るつもりは毛頭ない。
「こんなのどう報告しろって言うのよ」
ついに左手に持っていたナイフを、地面に叩きつけた。
叩きつけられたナイフは、跳ね返ってスィミアの脚を切り付け、どこかへ跳ねていく。
「いっつ……。何なのよぉ。何なのよこれは! 何だってのよ! どうしろってのよ。報告しようがないじゃない……」
木村も沈黙で肯定する。
スィミアはもう心が限界だった。涙が勝手に目からこぼれ始めている。
「『箱を開けましたが私は生きています』と報告すれば良い」
ルルイエが助け船を出したが、スィミアは激高するだけだ。
「そんなこと言えるわけないでしょ! どうして開けたのにのうのうと生きているんだって言われるだけよ!」
「いかにも、君が生きていることが『あの方』とやらにとって、聞くに値する報告だろう。君は死んでいるべきなのだから」
「…………どういうこと?」
「先ほどの鼠は、周囲に人がいなくなれば、最後は開封者である君を襲うよう設定されていた。箱を開けているにも関わらず君は生きている――どうやって生き延びたかは重要な情報になるだろう。肝いりの鼠が倒されたところを君は見たのだしな。鼠が倒された方法も先に話したとおりだ」
スィミアは理解に時間がかかった。
ようやく理解が追いついたが、彼女はそれを口にできない。
口にしてしまえば、彼女は自身がもう立ち上がれなくなると自覚した。
彼女の自覚を鋭敏にも悟っている存在がいた。
アコニトである。彼女が今まで笑いを必死に堪えていたのは、全てこの瞬間のためだ。
スィミアの心は崖っぷち。最後の一押しこそアコニトの数ある楽しみの一つ。
彼女は魔物らしい歪な笑みを以て、スィミアに這い寄る。
「うぬは――」
それだけ言って、アコニトは溜める。
次に口にする言葉をスィミアがきちんと受け止めるよう、逃げられないよう彼女の心を焦らしていく。
そして、スィミアの口となってアコニトは告げた。
「使い捨てられた、ということだなぁ」
スィミアが呆けた顔でゆっくりとアコニトを見る。
信じられないという表情だ。
「嘘よ……。嘘、どうしてこの私が」
スィミアの表情を見たアコニトの体に愉悦という名の電流が走る。
アコニトはまだ落とせると判断し、さらに追い打ちをかけた。
「なぁぜ、そこまで己に自信が持てるんだぁ? うぬは先ほどのネズミで、どこぞの都を落とすつもりだったんだろぉ。それなら、なぜうぬはここにおる? どうしてここで箱を開いたぁ? ん~?」
アコニトがスィミアへさらに近づき、触れないぎりぎりの距離を保ち、ゆっくりと回りながら言葉をかけていく。
木村は、アコニトがとても楽しそうだと気づいた。最近はひどい目にあってリアクション芸を磨いていたが、本来の彼女はこんなのだったなと思い出しつつある。
「『あの方』とやらに与えられた役割の一つもこなせぬ、根拠のない自信に満ちたうぬだからこそ使い捨てにされたのじゃないかぁ。話が飲み込めたかぁ? お使いすら禄にこなせないお嬢ちゃぁん」
スィミアは崩れ落ちた。ここまで溜まっていた不満がついに爆発した。
周囲に爆発できたならまだ良かったが、責める対象がなくなりできることは一つだけだ。
ギャン泣きである。
スィミアは声を上げて、ただただ泣きわめく。
木村は、女性のギャン泣きがここまで見るに堪えないと知らなかった。
もはや彼では手の施しようがない。
アコニトはかつてないほどの好機嫌でスィミアの周囲をクルクル回り、ギヘギヘと不快な声を出して楽しんでいるし、ボローは感情がまるで読めない。
木村とウィルがどうしたら良いのかと途方に暮れている。
木村がおっさんを、ウィルがルルイエを見ると二人とも真顔だった。
なんだこいつら、と若い二人は感じたのだが、異変が起きていることに気づいたのはウィルの方が早かった。
ルルイエは遺跡の奥にあった扉が開いたことを確認している。
扉から現れた何かは魔力反応が極めて薄い。そこだけぽっかりと穴が空いたようだ。
穴に向かって、周囲の魔力が流れ込み、また魔力だけでなく近くの物体もその穴に飲み込まれていた。
魔力の穴は出現した直後にベイスラーを消し去り、ルルイエたちの方へ向かって移動を始め、すでに壁一枚を隔てたところにいる。
『どうしたの?』
子供のようなあどけない声が木村には聞こえた。
心配が声に出ている。心から彼女を気にかけているような無垢な声だった。
声は耳ではなく木村の頭に響いた気がした。
声の主はどこにも見えない。
ただ、奥の壁にぽっかりと穴が空いている。
『ねえ、キミ。どうして泣いてるの?』
またしても声が聞こえた。
やはり声の主はどこにも見えない。
ボス戦は終わった。
ドロップアイテムも回収された。
イベントは、幕を閉じようとしている。
17.メインストーリー
木村には声が聞こえた。
子供のような幼げな声だった。
どこから聞こえたかも木村にはわからない。
ウィルを見るが、彼はスィミアをジッと見つめている。
『悲しいの? 怒られたの? 虐められたの?』
「誰?」
やはり木村には声が聞こえる。耳ではない。頭に直接語りかけてくるようだった。
声をかけて周囲を見るが、喋っている人物はいない。
「聞こえたのか、キィムラァ」
「え、うん。いったい今のは誰の声? 頭の中に聞こえてきたようだけど」
どうやらおっさんにも聞こえていたようである。
空耳でないことに安堵し、おっさんに聞き返した。しかし答えは別のところから返ってきた。
「おぉ、ついに坊やも聞こえるようになったかぁ。儂もよく聞こえておるぞぁ」
アコニトのは葉っぱのキメすぎによる幻聴だろうが、木村は違うと強く表明するところである。
ただ、おっさんの様子がいつになく真剣なことに気づいた。
『泣かないで。キミが泣いてると、ボクも悲しくなってくるよ』
謎の声も泣きそうに声を震わせ始めている。
『ほら、顔を上げて。涙を拭いてよ』
スィミアの啜り声が少しずつだが収まりつつあった。
謎の声の語りかけが、効果を示しているのだろうと木村は判断する。
「ほぉれ、どうしたぁ、もう泣かんのかぁ? 顔を上げてみぃ。泣き顔を儂に見せるんだぁ。ぎへへぇ、ぎひぃ」
いまだに異変に気づいていない様子のアコニトが、蹲っていたスィミアに顔を近づけている。
葉っぱも吸っていないのに顔がひどく歪んでいるのは、心の歪みの現れだろう。
『キミをいじめていたのはコレかな?』
「………ぅん」
スィミアが腕で泣き顔を隠しながら、小さく頷いた。
『嫌なヤツだな。――消しちゃおう』
声と同時に、アコニトの頭が消えた。
かんに障る笑い声の発生源が失せ、残響だけが遺跡の中をこだまする。
アコニトの首からは、彼女の血とも言える紫の煙が、全開にした蛇口から出る水のように噴き出している。
「ぅわっ! ……うゎぁ」
木村の無意識からの声は二つの驚きを秘めている。
最初の「ぅわっ!」は、アコニトの頭が突如として消え去ったことへの驚き。
次の「うゎぁ」は、頭が消え去ったにもかかわらず、アコニトの体がまだ動いている事への恐怖。
頭をなくしたアコニトは、スィミアを指さしている。
泣き顔を馬鹿にしているアコニトがそこにまだいるかのようだった。
声が出るはずもないのに、なぜかアコニトの下卑た笑い声が木村には聞こえてきた。これこそ幻聴である。
『しつこいヤツ! いなくなっちゃえ!』
アコニトの腕や、尾が、次から次へとどこかに消えさっていく。
限界が訪れたようでアコニトは地面に倒れた。倒れてからも消失は止まらず、最後は跡形もなくなった。
『ほら、虐めてたヤツはもういなくなったよ。元気出してよ。悲しいことも、怒られたことも、虐められてたことも消え去るくらい目いっぱい遊んじゃおう。ボクたちはもうトモダチ。そうだよね?』
「……うん」
スィミアは今度は首をより強く頷かせる。
『――良かった! 一緒に遊んで楽しもう! ボクに聞かせてよ。キミはどんな遊びがしたい?』
「……こんな世界、間違ってる。みんな、みんな。みんな! 消えてしまえばいいんだ!」
『ステキだね! やっぱりキミと遊ぶのはとっても楽しそうだよ! じゃあ行こう! ほら、一緒に!』
スィミアが立ち上がった。
泣きはらした顔には、怒りや悲しみ、憎しみといろいろな感情が混ざり合っている。
スィミアのすぐ側に何かがいる。
姿が見えず、魔力の察知もできない木村にはそれが何なのかはわからない。
ただ、とてつもなく良くないものだと感じ取った。
『さあ、ボクも手を貸すからね。邪魔するヤツは消していこう。ほら、あいつらを意識して』
スィミアが木村を見たが、その後すぐに視線をボローに移した。
異変を察知したボローが挑発スキルを使い、スィミアの対象を変更させていたのだった。
「消えろ!」
スィミアが叫び、手を向けるとボローの股間についていた棒が消え去る。
「消えろ。消えろっ! 消え去ってしまえ!」
ボローの体が先ほどのアコニトと同様に消え去った。
その勢いは先ほどよりも凄まじく、あっという間に体全体が消滅した。
彼の防御スキルは発動していたのだが意味をなさない。スキルそのものが消し去られてしまったいる。
「退くべきだろう」
ルルイエが木村の肩を掴んだ。
木村は不思議な光景を見た。目の前にいたスィミアが高速で遠ざかり、気づけば点になっている。
その点も消失したと思えば、周囲の景色が変わっていた。
古遺跡の中に立っていたはずなのに、次の瞬間には古遺跡の外でいたはずの遺跡を眺めていた。
隣にウィルはいるが、彼も木村と同じく唖然と古遺跡を見ている。
その古遺跡からおっさんが走って出てきた。
「追って来るぞ。カクレガに避難するんだ」
おっさんがすぐさま地面に手を突っ込んでカクレガの入口を開く。
木村やウィル、それにルルイエも乗り込んだ。
木村はカクレガに入るとき、古遺跡がちらりと視界に入った。
古遺跡の入口横の壁に穴が無数に空いていくのが見えたが、スィミアはまだ出てきていなかった。
カクレガが急発進し、謎の攻撃が来るんじゃないかと木村は怯えていたが追撃はなかなか来ない。
ルルイエが部屋の方へおもむろに歩き出したので、ひとまずの危険は去ったと理解し、木村たちも彼の後を追う。
部屋に入り、木村はボローが部屋の隅に立っているのを見て、とりあえず復活できたようで安心した。
アコニトの姿は見えないが、おそらく彼女の居室で復活しているのだろう。
ルルイエは地図の前に立った。
その後、彼は指である一点を示す。
「ここに向かえ」
木村がおっさんを見ると、おっさんが頷く。
カクレガの赤い点がゆっくりと、ルルイエの示した地点へと移動していく。
「いったい何がどうなってるの?」
木村がルルイエを見る。
ルルイエは答えず、ウィルを見るだけだ。
まるで「あれが何だったか当ててみせろ」と、教師が生徒に促しているようである。
「スィミアのすぐ近くに、異常な魔力の流れを感じました。その流れの中心点には魔力がありませんでした。まるで、そう――穴のようです」
ウィルは感じたことをそのまま述べる。
ルルイエは小さく首肯した。及第点だったようでウィルもほっと息をつく。
木村は首をかしげるだけだ。魔力を感じない彼には流れだの、魔力がないだのと言われてもさっぱりわからない。
「あの声は?」
「声?」
ウィルはわからないと首を振り、ルルイエを見た。
「君はあのときも声と言っていたな。私にも声は聞こえなかった。どんな声かな?」
「えっと、子供のような幼い声で、無邪気で、無垢で、どこか不気味な感じ。あ、それと耳じゃなくて頭に響いてた、と思う。あんなのは初めてだった」
ウィルはわかっていない様子だ。
ルルイエは口をつぐんでいる。
『こんな具合かな』
口を閉ざしたルルイエの声が木村にも聞こえた。
しかも古遺跡と同様に、頭の中に直で響いてきている。
「あ、これです。こんな感じ」
「……何をやってるんですか、これ?」
ウィルが指で頭を押さえている。彼にも聞こえているようだ。
彼の顔が今までで一番気持ち悪そうな顔になっていた。
『相手の頭に声を送り込んでいる。正確には声と言うよりは、声を示す魔力波のシグナルだろう。頭が声と錯覚しているだけだ。しかし、魔力の痕跡は見えなかった。別のやり方だろう』
「もうやめてください」
ウィルにしては珍しく強い口調である。
彼にもルルイエの声が頭に響いているのだが、声と共に頭を強く揺さぶられる感覚も味わっていた。
「普通はそうなるだろうな。君は何も感じないだろう」
「感じる? 何を?」
ルルイエに問われた意味が木村にはわからない。
木村がわからないことにルルイエは満足そうに頷いていた。
「声の主を穴と呼ぶなら、穴が彼女と何らかのパスを繋いだ」
「パスを繋ぐ?」
「一種の契約だ。君は聞いていたんだろう。彼女が何かに『うん』と答えた瞬間、穴と彼女との間に契約が結ばれた」
木村は思い出す。
幼い声が「トモダチだよね?」と尋ね、スィミアがそれに「うん」と答えていた。
「穴の性質を彼女も受け継ぎ、彼女もまた消失の力を得た」
「あれが消失なんですか? もっと違うものに感じましたが」
「いかにも。通常の消失であれば、わずかな時間だけ世界から魔力と存在を隠すだけのものだが、あれは消失の到達点とも言える。全てを隠し通し、世界から存在を消し去っていた。もはや――消滅と言って差し支えない」
木村はルルイエのテンションがよくわからない。
解説する口ぶりだけは楽しそうなのだが、顔はどんどん嫌そうな表情になっている。
「あの穴は触れた存在を否応なく消滅させる。周囲の魔力を自らに取り込み、消滅させることで自らを保っている。魔力が薄いところでは消滅させるものがないため存在を維持できない。おおよそこの世界では存続できない代物だ。あらゆるものを消滅させるが故に、消滅以外の力も行使できないはずだ。だが、契約をおこなっていた。消滅以外に唯一できることが他者との契約だとすれば、あの穴が彼女と契約を結んだ理由も推測ができる。まず、力を分け与えることで自らの消滅の力を低減する。さらに、契約者に力を行使させ周囲の魔力を奪い、自らの存在の継続をより安定させるためだろう」
ルルイエが一気に喋るが、木村は理解が追いついていない。
「要するに、穴と彼女は周囲を消滅させ続けるということですね」
ウィルのまとめに、ルルイエも「いかにも」と頷いた。
ようやく木村も理解できたが、ずいぶんと物騒な話だと感じた。
「彼女たちは追ってきてるのか?」
「いいや、こちらには気づいていない。より魔力が多い方へ移動している」
木村は安堵した。
しかしウィルは愕然としてルルイエを見た。
「教授……。まさか彼女たちは?」
「学園に向かっている」
ルルイエが地図の遺跡から学園へと指を這わせた。
その指を見ていた木村は、地図が以前と変わっていることに気づいた。
「扉の×が消えてる」
「どうやら結界を解いたことで扉が戻ったようだな」
しばらくぶりにおっさんが会話に復帰した。
緊迫感が一気に消え失せる。
「けっきょく扉ってなんだったの?」
「結界の奥に扉があった。結界を解き、魔力が流れ込み扉が起動した」
「そのとおりだ」
「素晴らしい理解だ」と、おっさんもルルイエの言を認める。
「……書物で、メシアン様が異界より出でし終焉なる魔物と戦ったと記載がありました。もしや終焉なる魔物とはあの穴のことだったのでしょうか」
「可能性は高い。終焉が無を示すのなら、全てを飲み込み消滅させるあの穴と契約者が該当するだろう」
あの穴が、終焉なる魔物と呼ばれていることは木村にもわかった。
「で、けっきょく扉は何なの? あの声は一体?」
「扉は扉だな。あの声は竜だ」
「…………竜?」
予想外の答えが返ってきて木村も聞き返すのに時間をかけた。
「ああ、竜だ。恐ろしい存在だ」
「竜って、帝都で見たやつじゃないのか」
「あれは大きい蜥蜴だ」
そういえば、あのときもこのおっさんは同じことを言ってたなと木村は思い出す。
あのときは議論をしている余裕はなかった。
「あんなの竜じゃない。何か、もっと違う化物だ」
今さら竜の議論をするとは、木村も思っていなかった。
古遺跡で出てきたような意味不明な化物を竜と考えているのなら、確かに帝都で出てきた竜は竜じゃないのかもしれない。
「ところで教授。僕たちはどこへ向かっているんですか?」
そういえば、目的地がおかしいと木村も感じていた。
学園とはまったく関係ない地点にカクレガは進んでおり、もうじき指定された地点に着く。
「爺さんが隠していた転移魔法陣がある。君を安全な地点に転移させる」
木村にとってありがたい話ではある。
消滅だかを使う化物などとは戦いたくなどない。
アコニトはおろか、ボローの防御すら一瞬で消されていた。
しかし、あの化物を無視して良いのか疑問が残る。
それに学園へ向かっているのなら、そちらが危険なのではないだろうか。
「教授、学園を見捨てるんですか?」
「学園には、君たちを送った後で私が行く。万が一にも
ルルイエはしっかりと木村を見て告げた。
木村は釈然としないものを感じたが、礼は言っておくべきだと判断した。
「ありがとうございます」
「ウィル。君も彼についていけ」
「いえ、僕は――」
「こちらに来ても足手まといだ。彼を守るために力を尽くせ」
「えぇ……」
木村は少しだけウィルに同情した。
彼の拠点である学園には帰れず、訳のわからない自分たちに同行させられ、しかも守れとまで言われている。
「私はあの竜とやらに興味が湧いた。試してみたいこともある。近くにはいない方が良い」
「あぁ……」
ウィルは何か納得するように頷いた。
ちょっと残念そうに木村は見えたのだが、諦めているようにも見える。
指定された目的地にカクレガが着くと、ルルイエは部屋から出た。
「転移先は覚えていないが、爺さんが隠しているくらいだ。安全な地点だろう」
少なくとも今のここよりは安全だろうと木村も思う。
「私が外に出て、転移魔法陣を起動させる。君たちはここで待機していてくれ」
「わかった」
おっさんが開けた出入り口で彼は木村たちに告げる。
木村もすぐに返答した。
「教授。あまり無茶をしないでくださいよ」
「そうです。勝てそうになかったら、退いてください」
ウィルの声に便乗し、木村もルルイエを気遣ったつもりだった。
しかし、ルルイエとウィルが木村を見つめてくる。
見つめられて木村も「あれ?」と思う。これ、前にもあったやつだ。
自分が何か思い違いをしているのではないかと思い至った。
「また会おう」
ルルイエは木村の思い違いを正すこともなく外に出た。
閉まるカクレガの扉、徐々に消えていくルルイエの背を見て、木村は嫌な予感を覚えた。
ここまでの話の流れに、ある既視感を抱いたのだった。
パーティーに場違いなほど強い仲間がいて、敵にも負けず劣らずの化物がいる。
その化物から主人公たちが逃げる時間を稼ぐため、強い仲間が単身でパーティーから離れ、命がけで化物と戦う。
まるでシナリオの一場面――序盤でよく見かけるやつではないか。
そして、単身で残った奴はだいたい生き残る。
しかも、そいつが次に現れるときは、主人公たちの敵として現れるのだ。
木村はイベントストーリーにおいて大切なことを忘れていた。
大抵のソシャゲで、イベントはボスを倒してからが本番なのである。
ソシャゲならばアイテムを入手するため周回に次ぐ周回が始まるのだが、ここは異世界であった。
イベントボスが倒され、短い会話もあって、イベントはとっくに終わっている。
イベント終了後、木村が以前に思案した異世界版メインストーリーがシームレスに展開されていた。
メインストーリーの序章は、後にこう呼ばれることになる。
――グランツ神聖国消失事変、と。