18.召喚者スキル
転移がおこなわれたせいか、カクレガは大きな揺れに襲われた。
「キィムラァ。どうやら転移は成功したようだぞ」
おっさんが転移の成功を知らせてくれる。
「時間も進んでしまったようだな。半日近く経過している」
感覚としては一瞬だったが、どうやら時間をかけて移動したらしい。
飛行機のようなものだろうか。
「今の俺達はここにいるようだな」
おっさんが地図の左上付近を指で示した。
真ん中右付近だったので、大きく移動していることがわかる。
「パーンライゼ区域」
地図にはそう表示されている。
どんなところなのかはさっぱりわからない。
外に出てみるかと、木村は意識を地図から外した。
隣にいたウィルが地図を凝視している。
木村も地図に視線を戻し、彼が見つめている地点を見た。
転移前のグランツ神聖国と古遺跡の辺りだ。
「え……」
木村も思わず声が出てしまった。
古遺跡の扉に×が付けられている。これはまだわかる。
ただ、グランツ神聖国にも大きく×印が付いていた。学園だけでなく国全体が×だ。
「何が起きたの?」
木村の疑問には誰も答えることができない。
沈黙の後、おっさんが口を開いた。
「キィムラァ、召喚者レベルの上限が解放されたぞ。召喚者スキルも手に入れたな。さっそく見てみるんだ」
グランツ神聖国とか、もはやどうでも良いかの如く、おっさんが嬉々として報告してくる。
やや呆れつつも目を瞑り、開き直すと「召喚者レベル」という項目があるので選択してみる。
「レベルが11になってる」
表示されているレベルは11。ゲージはゼロだ。
今までは10だったのだろう。召喚者レベルの存在に驚きはない。
むしろやはりあったのかという印象だ。今まで出てこなかったのが不思議なくらいであった。
多くのソシャゲではプレイヤーレベルがある。
レベルを上げれば、戦闘をおこなうためのスタミナや燃料の最大値が上がる。
また、キャラのレベル上限も、プレイヤーの最大レベルに制限されるものもあった。
さらに言えば、コンテンツの制限もプレイヤーレベルに関わるものがある。
キャラのステータスに関しては、スキルテーブルがあるが、もしかするとキャラのレベルも見えないだけで設定されているかもしれないと木村は考えた。
仮にキャラにもレベルがあるとして、スキルテーブルが追加で解放されるのか、単純にステータスがアップしていくのかは現時点ではわからない。
召喚者についての情報に目を通す。
召喚者スキルの欄に、一つだけスキルが浮かび上がっている。
これもそれなりに見られる。一度の戦闘に一回だけ使えるとかそういうやつだ。
最初は攻撃力や防御力のアップ、回復といったものが多い。直接、攻撃するスキルもある。
レベルが上がるにつれ、ドロップ率のアップや、効果の上がり幅が増加とかが追加されることが多かった。
“自爆”
スキル名はただ二文字。
「じ、自爆?!」
浮かび上がるスキル名は「自爆」、あまりのスキル名に木村は声をうわずらせる。
名前からして物騒なスキルだ。最初のスキルとしてこんなのはまずない。
「お、自爆か。良いスキルを手に入れたな。戦略が広がるぞ」
おっさんは朗らかである。
朗らかに言って良い台詞ではないだろうと木村は思う。
効果を見てみる。
“☆3以上の仲間一人を自爆させ敵味方全体に大ダメージ。ダメージはキャラの性能に依存。自爆させたキャラの好感度はやや下がる”
名前通りと言えば名前通りだ。
なかなかピーキーなスキルだと木村は考えた。
使えるかどうかはダメージしだいだろう。さっそく威力のほどを試してみたい。
「遺跡にいたはずだがなぁ。なぁぜ儂はここにおるんだぁ? それに揺れたようだがぁ、何かあったのかぁ?」
奥の扉が開き、アコニトが現れた。
最後に見たのが、首無しからの全身消滅だったので少しドキリとした。
今はピンピンしている。どうやら自分がやられた時の記憶はないようである。幸せだ。
しかし、これからも幸せかどうかはわからない。
「場所を移動したんだ。それよりアコニト。ちょっとクエストに付き合ってよ。新しいスキルを試してみたいんだ」
「はぁぁあああ、めんどうだぁあああ。まぁ、外でなら葉っぱも吸えるから良いかぁ」
外でも吸って欲しくないが、試すスキルを考えると目を瞑らざるを得ない木村である。
とてつもなく面倒そうではあるが、ちゃっかり付いてきた。
転移したとは聞いたが、本当に外の景色が一変している。
土っぽい景色だったのが、緑色に溢れる景色となった。
周囲に丘や山も見えず、かなり平坦な場所が周囲に広がっている。
一つだけ例外があった。
「試練の塔はどこでも生えてくるんだね」
「どこにいても挑めるようになっているぞ」
前向きな回答が返ってきた。
そういう回答が欲しかったのでは無論ない。
「ここがパーンライゼ区域。本当に本で読んだような景色ですね」
一緒に外に出てきていたウィルが呟いた。
どうやら本でここのことを知っているらしい。
「どういうところと書いてあったの?」
「平野がどこまでも広がる地域とは聞いています」
「住みやすそうなところだ」
「人はほとんどいないはずです」
「そうなの?」
聞き返しはしたが、見た目からしてそうかもしれない。
平野が広がっているのに人の気配がまったくない。道という道すらない状態だ。
アコニトは塔や場所のことなど気にせず煙管をふかしている。
最近は周囲を気にかける心遣いを覚えたようで、風下に移動してから吸っている。
かなり良い葉っぱを使っているんだろう。顔のとろけ方と、こうなるまでの早さがまるで違う。
安いやつだとこうはならない。酔っ払いみたいになり、呂律も回らなくなり、普通にラリる。
塔に入り、敵が出てきて木村はすぐに異変に気づいた。
「キィムラァ、気づいたか?」
「うん。ここは一階じゃない」
出てくる敵が違っている。
今まで試練の塔に挑むときは、必ず一階からで上るのが億劫だった。
「改善されてる」
ここは前回クリアした最終地点だ。
この階の敵は倒せたが、次の階で倒せずギブアップしていた。
ガチャのアップデートに加えて、この塔までもが改善されている。
最初こそやらかしていたが、もしかしてここの運営はなかなか優秀じゃないかと木村は思い始めている。
もちろんそんなことはない。
最初にひどすぎる状態だと、それなりの状態になっただけでもよく見えるという心理効果である。
現に一階層からこの階までの報酬が得られなくなっているので、アップデート必須の状態だ。
アコニトが葉っぱでおかしくなっているが、なんとかこの階の敵を倒すことができた。
制限時間があったはずだが、かなりギリギリだろう。
ウィルの力が大きいと言わざるを得ない。
次の階層に進み、アコニトがもうダメダメだったが、なんとかスキルを使った。
おっさんに向かって毒霧を吐いたのだが、さすがの彼も試練の棟内部では彼女に反撃を加えなかった。
最後までおっさんが無言だったのが、かなり怖いと木村は感じている。
カクレガに戻ったら膝蹴りはありえるだろう。
毒霧が周囲に広がり、モンスターを襲う。
この塔の敵は耐久力が高い。時間制限内での撃破を狙うクエストなのでそういう特徴だろう。
逆に言えば攻撃はそれほどでもないので、ボローの挑発が全員に効き、彼一人だけでもなんとか耐えることはできる。
「残り30秒だ」
おっさんが残り時間を知らせる。
ウィルもアコニトの毒を防ぐための魔法にリソースを割かれるようで、攻撃魔法が微妙である。
それでも相手の弱点属性を探って、攻撃をするあたりは優秀だ。
「20秒」
おっさんのカウントが減っていく。
残り20秒を切ったにも関わらず、敵三体は一体も倒すことができていない。前回と同じだ。
「見るのだぁ! 三匹のカメが! 星の基地をめがけて疾走してるぞぉ! 革命の時は近い! 同士諸君! 世界に滅亡の光あれ! 敬礼!」
アコニトは完全に使い物にならない。どこかのSF世界を巡っている。
「キィムラァ、召喚者スキルを使わないのか? あいつに使うべきだぞ。なぁに、あのトリップの仕方では記憶には残らない。遠慮することなんかないんだぞ」
さすがに可哀相だからやめようかな、と逡巡していたが薄れつつある。
おっさんも、声音はいつもどおりだが、アコニトを処理したくてうずうずしている気配をひしひしと感じさせる。
「……やるか」
「よく決意したな。俺はお前さんの選択を尊重するぞ。使い方はわかるか? 戦闘コマンドから使いたい召喚者スキルを選択するんだぞ」
意識をすれば“戦闘コマンド”という文字が浮かんでくる。
文字を選択すると、召喚者スキル以外にもキャラの行動やアイテム利用などもここで選べるようになっていた。
ひとまず今は出てきたスキルへ進み、“自爆”をさらに選択。
キャラを選べと言わんばかりに周囲の時が緩やかになり、選べるキャラが白く目立ち表示される。
瞳孔を完全開放し、泡を吹きながら彼方を眺めていたアコニトを意識する。
「よっし! 行くぞ! 飛ぶぞ! 儂も星の基地に一緒に行くのじゃ! ふぅぅぅっ!」
久々に見た四足歩行モードで、突如、アコニトはボローへと走って行く。
どうやら自爆モードに入ったらしい。あるいはただトンでいるだけなのかもしれない。
「ボロー。ウィルを守ってあげて」
伝令が通じたようで、ボローとアコニトがすれ違うように入れ替わる。
敵味方にダメージと書いてあったので、ウィルがやられないようにしておく。
木村の前にはおっさんが動いてくるので、彼が防いでくれるのだろう。
敵三体の対象がボローからアコニトに移った。
アコニトは敵の脅威など気にせず、どんどん進撃していく。
アコニトの体が淡く光る。
彼女の体の各部が蜂に刺されたかのようにボコボコと膨らんでいく。
「きひひひひいひぃ! うっ、があっ、いぃ、ぎゃ!」
痛みすらも別の感覚に変わっているようだ。
元からおかしいアコニトの様子が、さらにおかしくなっている。
そして、おっさんがそこから先の景色を遮った。
木村はあまりの光に目を閉じた。音もよく聞こえなくなっている。
次に視界が映ると、地面や壁は真っ黒であった。
木村とウィルが立っているところだけが、おっさんとボローに遮られ元の色だ。
敵三体とアコニトが消え、宝箱が出現している。
どれだけのダメージが出たのかが正確にはわからないが、少なくとも正攻法では倒せない敵も倒せることがわかった。
ただ、こちらのダメージも大きい。
ボローですらボロボロになり、戦闘の継続は難しそうだ。
もしかしたら防御値を一部無視してダメージを与えているのかもしれない。
次の階層に進まず、試練の塔を出る。
召喚者スキルの使いどころは限られるだろう。
デイリークエストの強敵か、よほどやばい状況のときでしか使えなさそうだ。
街中といった人の多いところでも使うことは憚られる。
召喚者スキルの力を確認できたので木村たちはカクレガに戻った。
19.拠点の拡張
試練の塔からカクレガに戻り、次の目的地をどうするかの話になった。
ウィルがグランツ神聖国の状況を知りたいと話し、木村も同意見であったのでグランツ神聖国を目指して移動することにした。
ただ、地図で見ても遠いので、軽く一ヶ月はかかりそうである。
途中で別のイベントが挟まれば、さらに遅くなるだろうし、別の場所にカクレガが向かうかもしれない。
デイリーをこなしつつ、途中の街や都市で情報を集めつつ気長に向かうことになった。
「ルルイエ教授が心配だね」
「ええ、本当に」
木村が今さらながらに、自分を逃がしてくれた教授を心配した。
「無事に生き延びてくれれば良いんだけど」
ウィルはぽかんとして木村を見てくる。
また、この顔だと木村は思った。
「何かおかしい?」
「教授が無事かの心配なら無用ですよ」
「どうして? あの化物にやられてるかもしれないでしょ」
「教授が? あの穴に?」
ウィルは笑い声をあげた。
木村は何がおかしいのかわからない。
「教授はあの穴にはやられないでしょう」
「なぜ?」
「教授は、あの穴が周囲の魔力を吸わないと生きていられないと話していました。現に魔力を遮る結界で、長期にわたって活動を停止させられていましたよね。僕でもわかるくらいに弱点が明確です」
魔力だの、消滅がどうのこうのと話していた。
木村には理解できていなかったが、それがなぜ負けないことになるのかわからない。
「教授は、魔力を遮る結界が作れます。魔力を操作する関係は教授の得意分野ですから。倒そうと思えば、おそらくあっという間に片付けていたはずなんです」
「そうなの? どうして倒さなかったんだろう」
「興味を持たれていました。試したいことがあるとも話されていましたので、いろいろと実験をするつもりなんでしょう」
木村はますますわからない。
倒せるのに倒さず、自分たちを逃がしたというのはどういうことか。
「グランツ神聖国の南東には、五年ほど前まで魔法の実験場が並んでいたんです。しかし、教授の新しく考えられた実験魔法で全て塗りつぶされました。今は立ち入りすらできません。実験されることがまずいんです」
木村はようやく話が見えてきた。
たびたびウィルがルルイエを気にかけていたが、あれはルルイエがやられることを気にかけていたのではなく、ルルイエが周囲に害を及ぼさないか気にかけていたのだと。
「じゃあ、これって」
木村がグランツ神聖国の×を示す。
これはおっさんが竜と呼ぶ化物がやったと考えていた。
「……教授かもしれません。あなたを転移させたのも、魔法の実験に巻き込まないための可能性が高いです」
ウィルがすごく申し訳なさそうに口にした。
もちろん木村ではなく、実験の近くにいた人たちに向かってだろう。
「この扉の×も? 竜が倒されると扉はどうなるの?」
「基本的には機能が停止するな」
おっさんは当然のように話す。
そもそも扉にどんな機能があるのかすら木村は知らない。
「えっ、教授があの化物を倒して、国もこうした?」
「……僕としてはあの穴が神聖国を壊滅させて、その後で教授が穴を倒したと考えたいところなんですが――とにかく何が起きたのかを知りたいんです。家族や友人もいますから」
喋っているうちにどんどんウィルのトーンが下がっていく。
彼も被害者の一人に違いない。せめて学園の人が無事であることを木村は祈った。
カクレガは部屋こそ増えたが、まだまだ一人が一部屋とはいかず問題が起こっていた。
「どうして儂が部屋に入っちゃいかんのだぁ!」
「入るだけなら良いですよ。部屋の中でタバコを吸わないでって言ってるんです」
煙管をくわえ、部屋の真ん中で声を荒げるのは、カクレガ問題の九割を担うアコニトである。
室内での喫煙を注意した☆4のプーシャンが彼女と向き合っていた。
どう見てもアコニトが悪い。
そもそもカクレガ内は全面禁煙である。
ただ危ない葉っぱは論外だが、香りを楽しむだけのものもあり、今はそれを吸っているらしい。
木村が安全だと判断したのは周囲に影響がなく、アコニト本人もいたってまともだからだ。
まともでコレだから良くないというのもある。ヤニカスの悪い見本である。
「外で吸ってください」
「なんだなんだぁ! なぜだぁ。なぜ儂ばっかりこんな目にあうんだぁ!」
周囲の目が厳しくなり、おっさんもアコニトに歩を進めたため逃げるようにして彼女は部屋から出て行った。
木村も彼女を自爆させたので、やや申し訳なさを感じている。
でも、この部屋での喫煙は認めない。
よくない、と木村は思っている。
作ったときはその場のノリでゴミ捨て場をアコニトの居室にしたが、彼女の臭いや、隠れて吸っての失火問題も出てきた。
ゴミと一緒にアコニトもカクレガの外に排出され、そのたびにカクレガの移動が止まるのも問題だ。
言い争いは日に日に増えてきて、木村の気を重くしていたのである。
みんな仲良くというのが理想だが、そこまでは求めていない。
せめてあからさまな喧嘩は避けて欲しい。
「そういえばキィムラァ。イベントをクリアしたことでカクレガの拡張が可能になったぞ」
故に、おっさんのこの言葉は渡りに船であった。
木村はさっそくおっさんと一緒に設備変更のマシン前へ移動する。
モニターを呼び出し、部屋の拡張ができることを確認した。
「拡張にあたり、リストを仲間に回してある。書いてもらった要望を言っていくぞ」
おっさんがタンクトップの中からメモを取り出した。
なんでそこに入れたんだと木村は突っ込みたかったが、笑ってごまかされるなと感じスルーする。
「料理ができる厨房部屋を作って欲しいとのことだ」
「リン・リーだね」
☆3のカクレガ専用スキルで料理ができるキャラだ。
厨房と食堂は木村も必要だと思っていた。アイテムによる異世界版缶詰食は飽き飽きだ。
さっそくカクレガ用資材を投入し、厨房と食堂を併設するように作っていく。
「他には、地上に近い部屋で作物を育てたいという意見もあるな」
「ゴードンと、……いや、ペイラーフかな」
「両方だな。テイも手伝うと手伝うと言っているぞ」
こちらも必要性は理解できる。
地下ではあるが、どうやってか採光もできるので、雨水さえ取り込めれば作物も育てられるだろう。
食料の入手が難しくなったときには役に立つだろう。
花に関して、門外漢なのでなんとも言えないが、まとめてできるならそれで良いという認識だ。
「部屋の配置変換は必要だけど作ろう」
既存の部屋の移動と、作物部屋の配置を済ませ、他にも小さな家具の要望を聞いていく。
音楽部屋や賭博場といった娯楽部屋は、まだポイントが足りずにできなかったが、小物については可能な限り配置していくようにする。
「……けっこう増やしたな。もう終わり?」
おっさんの言葉が途切れたので、これで終了かを木村は尋ねた。
「あと一つある。いや、二つだな。まず一つ。ボローに潤滑液を与えてやってくれ。一番良いやつを頼む。製作室に配置すれば良い」
「それくらいならもちろん」
キィムラァは快諾する。おっさんも「うむ」と一言で頷いた。
ボローは主力メンバーだ。いつも文句一つ言わず前線で攻撃を引き受けてくれている。
潤滑液程度で彼の働きをねぎらえるなら、木村としてもそれに越したことはない。
「あと一つはキィムラァ。お前に任せよう。俺は要らないと思っているがな」
おっさんが木村にメモを渡し、部屋の出口へ向かう。
「俺は先に行って仲間たちを新しい部屋に案内してくるぞ」
木村はメモを見ていく。仲間の書いた文字がそれぞれ違う。
すぐには読めなかったが、意識を集中すれば日本語の訳がうっすらと現れる。
誰がどんな字を書くのかがわかってなかなかおもしろい。
すごい達筆で“香を焚く部屋”とあり、書いたであろう本人とのギャップに困惑する。
他の仲間たちが横線でその文字を潰していた。おっさんも読む必要がないと判断して飛ばしていたのだろう。
上から順に見ていき、最後の一文が目にとまった。
外宇宙の文明が使うような、カクカクの記号が書かれている。
誰が書いたのかもわかる。いかにもロボット的な字だ。ボローに違いない。
おっさんが最後に言った「油が欲しい」がこれだろうと木村は考えた。
そのため、書いてある文字の翻訳に、わずかな時間だけ意識を止めてしまう。
木村は「ふぅ」と一息吐いた。
息を吐き終え、モニターを静かに操作していく。
木村がゴミ捨て場に行くと、アコニトがゴミの山に埋もれている。
ゴミの臭いと、彼女の焚く比較的マイルドな香が混ざり、もはや地獄だった。
臭いでは臭いを消すことはできないを示す最悪な手本だ。
「アコニト」
「あぁ? 坊やか。ここはうぬが来るところではないぞぉ。儂の城だぁ、立ち去れぇ!」
どうも自爆をさせたのが悪かったのか、好感度が下がっていると木村は感じていた。
信頼度ゲージではさほども変わっていないので、ただアコニトがやさぐれているだけである。
「喫煙室を作ったからそっちに移動して。この階層の一番奥ね。今日からそこがアコニトの管理部屋になるから」
アコニトが耳をピンと立てた。
ゴミの山からヒタヒタと化物のように出てくる。
「おぉおぉ、坊やはまっこと良い子だなぁ。ほぅれ、スリスリしてやろう」
間違いなく好感度がワンランクは上がったと木村は感じた。
ただ、ゴミと香の臭いをブレンドし、ノミ・ダニ・シラミの混じった体ですり寄ってくるのはやめて欲しい。
「先に体を洗ってから行ってよ!」
「わかっておる。わかっておるよ。どうじゃ坊や、一緒に水浴びをするか?」
木村はその言葉にドキリとした。
アコニトが目ざとくも木村の緊張に気づく。
「儂はかまわんぞぉ。ん~?」
アコニトがまたしても体を近寄らせてくる。
やたら胸元を強調し、木村はそこから目が離せない。
「ふひひぃ、体は素直なようだなぁ」
アコニトの言葉よりも、寄せられた谷間に意識が行ってしまう。男子高校生のサガだ。
魅惑の隙間から、黒い生き物がカサカサッと出てきた。
「おっと、不埒な奴だぁ。深淵たる儂に這い寄りおって」
アコニトがゴキ○リを手で掴んでゴミ山に捨てる。
木村は一気に冷静さを取り戻す。下半身も急転直下で萎えた。
「綺麗にしてから行ってね。喫煙室でも危ない葉っぱは駄目だよ」
「無論だぁ。おい、坊やぁ。――礼を言うぞ」
アコニトがようやく居城たるゴミ捨て場から出て行った。
そして、ここは廃城になる。
「お礼なら、ボローに言うべきだよ」
滅多にないアコニトの礼に、木村は言葉を返すのが遅れてしまった。すでに彼女には聞こえていない。
アコニトが出て行き、木村は手に握っていたメモを捨てようとする。
“アコニトに喫煙室を作ってあげて欲しい”
メモの最後の行には、機械的な文字でそう書かれていた。
木村は、メモを捨てられなかった。
皺を伸ばし、四つ折りにしてポケットにしまう。
遠くで喧噪の声が聞こえた。
廊下を歩いていたアコニトと他の仲間たちが出会い、問題を起こしたようだ。
木村もゴミ捨て場から出て彼女たちのところへ向かう。
彼の気持ちは先ほどよりも軽やかだった。
20.製作室
カクレガはパーンライゼ区域を南東に進んでいる。
どこまで進んでも平野ばかりだったが、ようやく景色が変わってきた。
木村の視界の隅に小さく木々が見えてきている。
今までは獣型の魔物が目立っていたが、中型の動物や小動物も見えるようになった。
魔物を倒すことでわずかながら素材が手に入るので、中型の群れが見えたときはまとめて倒している。
成長用の素材以外にも、武器製作用や限界突破用、食用などといろいろなアイテムが手に入った。
「これでどうでしょう」
木村たちはカクレガの製造室にいた。
製造室、製作室、加工室などキャラによって呼び方は変わるが、要するにアイテムや装備を作ったり、加工したりする部屋のようだ。
製造室に対応するスキルをもっているキャラがおらず、ボローの自己メンテナンス部屋だったのだが、ウィルが使用に手を挙げた。
「杖として認識されてる」
なんとかという木の枝のアイテムに、これまたなんとかという水晶玉を雑にくっつけただけだ。
加工と呼ぶのもおこがましい取り付けだが、これだけで杖として木村には認識されている。
さっそくウィルが装備して、訓練室で魔法を撃つ。
なんとなく強くなってはいる気がするが、はっきりとはわからない。
HPゲージが付いていれば、装備の前と後でダメージ量がわかるのだが、残念ながらステータス値でしか確認ができない。
「すごく良くなってますね。速さやコントロールが体感でわかるほどに増しています」
本人が言うならそれで良いかと木村も納得する。
それに杖と言ってもやっつけの杖だ。これで実感ができるほどである。
もしもスキル持ちのキャラが、良い素材を使って作ったり、強化するならかなりの物になるだろう。
「やはり装飾品は重要ですね」
「……当然じゃないの?」
ウィルの話す装飾品というのを装備と木村は捉えている。
装備がステータスアップにおいて重要だということはあまりにも当然のことだ。
「当然と言われれば当然なのですが……、作製はとても難しいんです。通常であれば、特殊な技術者が、貴重な材料を用いて、何日もかけなければ、これほどの杖を作ることができません」
これほどの杖と呼ばれる枝と水晶玉の工作を木村は見る。
とてもじゃないが、この杖がそんなに難しいものだとは思えない。
ゲームでなら序盤の序盤で入手できるモノなら妥当かなというくらいだ。
「そんなものかなぁ……」
「僕の収入だと数年分は溜めないと買えないでしょう」
「これが!?」
杖の材料はまだまだあまっている。
もう少し見映えをよくしてやれば、良い稼ぎになりそうだ。
木村はふと思い出した。
セリーダのブローチはかなり良い効果だった。
もしかしてあのブローチは凄まじい値が付くものではないだろうか、と。
「キィムラァ。魔物と原住民との戦闘が確認されたぞ。ブリッジに来てみてくれ」
おっさんが話題とともにやってきたので、木村はブローチのことは後回しにした。
やっと、魔物と動物以外の生物が見られるようだ。
ブリッジと格好良く呼んでいるが、外の光景が見える休憩室である。
いちおうブリッジ専用の調度品もあるようだが、現時点ではまだまだ高くて購入の目処が立たない。
まずは住環境を良くしてから、装備関係や機能の強化を追加していく方向性にしている。
キャラたちと一緒に生活していないなら、この順序は逆になっていただろう。
ゲームであればキャラのライフスタイルなど知ったことではない。
プレイがより効率的になるよう、カクレガや装備関係の機能から強化していたに違いない。
実際にキャラたちのライフスタイルと接し、彼らの生き方を目の当たりにしたからこその住環境強化である。
外の様子を見れば、大型の魔物と人型の生物が戦っている。
魔物は人型の生物より数倍以上は大きく、暴れているようにも見える。
一方で、人型の方は完全に人とは言えない姿だ。
「獣人ですね」
「獣人?」
「はい。僕もここ以外では初めて見るのですが、獣人で間違いないでしょう。パーンライゼ区域は、人ではなく、彼ら獣人によって支配されていると聞いています」
木村も、獣人はゲームやアニメでなら見たことがある。
現にアコニトやテイなどがそれだ。
しかしながら木村が思っているよりも獣だ。
ちょっとケモミミが生えている人間ってレベルじゃない。
アコニトやテイのように耳生やして、尻尾を付けましたじゃ済まない。
もう完全に獣が二足歩行で歩いているという段階だ。
ケモ度指数が高すぎてちょっと怖い。
「どうするんだ、キィムラァ。苦戦しているようだぞ」
おっさんの言うように、大型の魔物の方が優勢だ。
魔物にも傷はあるが、それ以上に獣人たちの負傷が目立つ。
獣人たちもこのままではまずいということがわかったようで撤退し始める。
撤退は素早かった。それぞれが散らばり、一目散に駆けていく。
魔物もどれを追うか悩んでいたが諦めてしまった。
「あ、チャンスだ」
獣人たちは撤退してしまっている。
逃げたのならもらってしまっても良いだろう。
この大型はまだ倒していないので、ドロップが気になる。
負傷して弱っているのも追い風だ。
「アコニトとウィル、セリーダ、ボローで行こう」
最近のお気に入りメンバーである。
セリーダのブローチをウィルに付け替えて、セリーダをパーティーから外し、攻撃役か回復役をもう一人入れたいが、なかなか良いキャラに恵まれない。
アコニト以外は☆3以下なのだが、現状ではこのメンバーが一番戦闘力が高い。
おそらく装備が整ったり、レベルの開放が進むことで高レアの方が強くなるのだろうがまだまだ先の話だろう。
外に出る直前に、セリーダで残りの三人に補助をかける。
出た直後にアコニトとウィルの攻撃を、一方的に大型魔物の背後から浴びせた。
さらに、振り向いた直後でボローが挑発し、ターゲットをずらし、さらにアコニトとウィルの攻撃でたたみかける。
さすがに大型ということがあり、なかなかしぶとい。
それでも試練の塔ほどの耐久力があることもなく、自爆を選択肢に入れることもなく倒すことができた。
損傷も特になく、宝箱からは新しい素材も入手できた。
奇襲からの完勝である。
しかし、問題が一つ残った。
「うっ、ぐぅ、ミィナ……」
魔物にやられ、まだ死んでいない獣人が残っている。
素人の木村から見ても非常に良くない状況だ。血だらけだし、骨すら見えている。
あまりの痛みに汗が出ており、毛がしっとりと濡れ、白く固まっているようにすら見える。
「どうするんだ、キィムラァ」
横取りや奇襲はできても、怪我人を見捨てることは木村にはできなかった。
譫言のように誰かの名前を呼んでいるのも見ていて心苦しいものがある。
「殺してやった方が、楽だと思うぞぉ」
アコニトがニタァと木村を見て微笑む。
木村が迷っている様子を見て楽しんでいる様子だった。
「開放骨折しています。下手に動かしてはいけません。ペイラーフさんを呼んできてください。それまでは僕が応急処置をします」
ウィルが獣人の側により、魔法を唱え始める。
普段は詠唱もせずに魔法を撃っているのだが、回復魔法は難しいのだろうかと木村は思った。
ペイラーフは回復スキルを持つ☆4キャラである。
回復能力は優秀だ。単体回復で、状態異常の除去すらも持っている。
しかし、回復能力が高いためかクールダウンも比例して長いため、現状ではやや扱いづらい。
ただ医療の知識があり、こういう重傷者一名を回復する場合ならうってつけだろう。
「俺が呼んでこよう。ちゃんと生きて待ってるんだぞ」
おっさんがカクレガを開けて中に入る。
獣人に聞こえているかは怪しい。ウィルの魔法も効果がいまいち見えない。
「ほぅれぇ、儂が楽にしてやるぞぉ」
アコニトが煙管から口を離し、煙を込めた息を重傷者に吹きかけた。
もしもこの場におっさんがいたら顔面が潰れていたに違いない。
まさか殺したのかと木村は思ったが、獣人は生きている。
「……どうしてそんなことができるの?」
心ない行動に思わず木村も口が出た。
さすがの彼も、このアコニトの行為は看過できなかった。
彼も大概なのだが、自らのことは棚に置いている。
「どうしたぁ、坊やぁ。顔が怖いことになっておるぞぉ? 怖くて泣いちゃいそうだぁ」
アコニトに反省の色はない。
キヒヒィと笑って、木村の様子を見て楽しんでいる。
それが余計に木村を苛立たせた。
「どいて! どいて! あたしが通るよ!」
やたら大きい声の女性が木村の背後からやってきた。
ペイラーフである。声は大きいが背は低い。木村の半分ほどだ。
ミニィ族と呼ばれ、身長があまり伸びない種族である。
「んー?」
ペイラーフが重傷者の容態を診てから、アコニトに視線を移した。
「やるじゃん! 見直したよ!」
「見上げることも許すぞぉ」
ペイラーフが「馬鹿言ってんなよ!」と治療スキルを使う態勢に入る。
二人がバチバチやり合う流れだと木村は考えていたので、何がどうなってるのかわからない。
スキル対象の重傷者を見ると先ほどよりも、落ち着いた顔をしていた。痛みで苦しむ様子が見られない。
「あ……」
木村もようやく思い至った。
病院では痛みを和らげるために麻薬を使うこともある、と。
「坊やの反応は正しいぞぉ。だがなぁ、用法と用量を守れば、こういう使い方もできるということだぁ」
アコニトが重傷者に煙を吹きかけたのは、痛みを取り除くためだった。
木村は、バツが悪そうな顔でアコニトを見るが、彼女は木村の顔を見てニタニタと楽しそうである。
「何も言うことはないぞぉ。儂が坊やの反応を見て楽しんでいたのは事実だからなぁ」
ケヒケヒと笑いながらアコニトは煙管を吸っている。
横ではペイラーフと、彼女の補佐をするウィルが重傷者の処置をひとまず終えたところだった。
獣人は一命を取り留めたようだ。
そもそも命に別状があるわけでもなかったかもしれない。
それでも彼が助かったことは、ひとまず良かったとすべきだろう。
「まだ熱が引かない! 連れて入るよ!」
ペイラーフが木村を見た。
ここに放置しておくわけにもいかない。
せっかく助けたのに魔物に襲われて死なれては、それこそ無駄な労力というものだ。
「わかった。頼むよ」
ウィルとおっさんが獣人を連れてカクレガに入る。
ペイラーフもその横をついて行く。
「儂らも行くぞぉ、坊やぁ」
おっさんの背を見送っていた木村にアコニトが声をかけた。
彼女は煙を空に向かって吐き、入口をくぐっていく。
「待って」
「待たぬ。早う来んか」
「いや、違くて。煙管はまずい」
「んぁ? 少しだけだぁ、おおめに――ふぁっ!」
アコニトがカクレガの中に入ったと思ったら、次の瞬間には上向きに勢いよく排出された。
「……うっわ、すごい飛ぶ」
アコニトは空高く飛ばされ、空中で無意味にパタパタもがき、地面にベチャッと叩きつけられる。
木村が近寄るとアコニトは瀕死の状態だった。もしかしたら先ほどの獣人よりもひどい状態かもしれない。
「えっと、喫煙室以外で吸ったら、外にはじき出されるようにしたって言わなかったっけ」
「聞いて……、おらんぞぉ……」
アコニトはそのまま力尽きた。
力は尽きたが死なない程度に意識を失っただけで、その場に倒れ続けている。
面白い仕掛けだったので、素材も少ないから導入してみたのはいいが、思った以上に飛んだ。
せいぜい地面から数メートルだと思ったが、数十メートルは飛んだかも知れない。
その後、様子を見に来たおっさんに、アコニトを引きずってカクレガに連れて帰ってもらった。
脚を掴んで階段から引きずり下ろしていたのでけっこう痛そうだ。
そんなこんなでカクレガは進んでいった。
木々を潜り、獣人の住む地域へと。
21.医務室
原住民と魔物との戦闘から一夜が明け、重症の獣人が目を覚ました。
「ここはどこだ」や「俺は死んだのか」などと一通りのありきたりな台詞があったようだが、木村は聞いていない。
すでにペイラーフやテイらが事情を説明している。
獣人の名がギシンジということは木村も聞いた。
名乗りはもっと長かったようだ。ルーオだかグギだかのギシンジだったか。
木村にとっては「あっ、そう」くらいの話である。
男の時点でさほども彼には興味がないし、ましてやあまりにも獣すぎて近寄りがたい。
ケガで倒れていたときは小さく見えたが、今は横になっているにも関わらず迫力がある。
かなり大きめのベッドのはずだが、足がはみ出しかけていた。
「貴方がここの代表者か。命を救っていただき、感謝するばかりだ」
改めて代表者かと問われれば、そうなのかもしれない。
委員会や部活もろくに経験していない木村には、代表者という立場に実感が沸かない。
「体は起こさないで!」
ギシンジは体を起こそうとしたが、ペイラーフに止められた。
身長も幅も倍以上違うが、ギシンジはペイラーフの声に大人しく従っている。
ちなみにここは医務室ではあるが、ペイラーフが管理しているわけではない。
木村も必要だろうと思って作ったのだが、そもそもキャラたちは病気をしないし、ケガもすぐに治る。
次の改装のタイミングでなくそうとしている部屋だった。
どうやら役に立ったようでなによりだ。
「明日には熱も引いて起き上がれると思う。頑丈だね!」
カクレガはギシンジを助けた位置で停留している。
他の獣人たちを追おうにも場所がわからなかったためだ。
大型の魔獣は倒したもの以外は出てこず、小さな魔物を倒すだけにとどめた。
翌日まで待つかと思ったが、昼頃に動きがあった。
数人の獣人たちが、カクレガの近くまでやってきていたのだ。
木村も、おっさんやウィルと一緒にブリッジで様子を見る。
「ギシンジは見つかったか?」
「いや、やはりもう――。せめて形見だけでも探さねば」
どうやらギシンジを探しに来たらしい。
ほぼ戦死扱いだが、形見を探しているだけ義理があるというものだ。
「……ん? 見ろ。俺達以外の戦闘の痕跡があるぞ」
「こっちにも残っている」
獣人たちは、木村たちが魔物を襲った痕跡を見つけた。
「焼け跡だ。炎の魔法だが、ガナヴェルのものではない。ここまで高度な魔法はあいつらには使えん」
「こちらは毒だな。危険な香りだ。近寄らない方が良い」
さすが獣人というべきか鼻がきくらしい。
次々に戦闘がどうおこなわれたのかを分析していく。
「見ろ。この足跡は我々のものではない。人族のものと、何かよくわからない足跡もある。数は……、六か」
「人族がいたなんて報告はないぞ」
「臭いは薄れているが、いたことは間違いなさそうだぞ。だが、臭いがここにしか残っていないのどういうことだ」
獣人たちは不気味がっている。
戦闘痕や臭い、足跡は確認できるのに姿がない。
細かい疑問は数多くあるが、とてつもなく大きな疑問が残る。
「そいつらは――どこから来て、どこに消えたんだ?」
獣人の誰もこの問いに答えられない。
平原を見つめるもの、空をみつめるものと分かれている。
なお、今、カクレガは獣人たちのまさに真下にいる。
答えは単純で、「足下から来て、足下に消えた」だが、事情を知らなければ一種のホラーだ。
「出て行くべきかな?」
「少なくとも今は止めた方が良いでしょう。ギシンジさんに説明をしていただかなければ、僕たち人間は獣人たちにとって敵でしょうから」
種族問題もあるようだ。
テイもどちらかと言えば人間に近い。
どちらにしてもこちらが何者かと問われれば説明がしづらい。
ウィルの言に従い、木村は大人しくギシンジが回復するのを待つことにした。
翌朝、ギシンジは立ち上がれるようになっていた。
背は高い。☆4のフィルクと同じぐらいか。木村が見上げるほどだ。
丸っこい小さな耳に、ピンと張った硬そうな髭、体は黒と金色の毛が交互に入り、目つきも鋭い。
それでいて横幅もあり、過去に動物園で見た虎を大きくして、立ち上がらせたらまさにこれだなと木村は思った。
「それじゃあ、ここでお別れにしよう」
「待たれよ。郷にて礼をさせていただきたい」
挨拶やらなんやらを述べた後で、礼をしたいと言われてしまった。
木村としても気持ちはわからんでもないのだが、そもそもグランツ神聖国に向かっている途上である。
獣人を助けるところまではウィルも合意してくれているが、これ以上の遅延はいかがなものかと木村としては思うところだった。
「キィムラァ。命を助けられ、礼をしたいと思うことは人として当然の心情だ。ギシンジは義理を果たそうとしているんだぞ。ここで一方的に別れを告げて、義理を固辞するのは残酷というものだぞ」
なんかよくわからん理屈で、おっさんがギシンジの側についた。
木村としては、礼を受けても受けなくてもどっちでも良い。
ここは急ぎの用件があるウィルの意見を聞いてみるとした。
実質、今回は彼の判断が最終決定になる。
「お招きいただけるなら行ってみたいです。獣人の郷なんて本ですら書かれていないですからね」
「いいのか、急がなくても」
「一日二日でどうこうなる事態じゃないですから。せっかくの機会は活かしておくべきでしょう」
最初の数日はウィルも気が沈んでいたが、すでにカクレガの空気に馴染んでしまっている。
テイやペイラーフから、ソシャゲ世界での魔法の在り方を聞いたり、外の光景を見たり、実際に外で草や石を採取して楽しんでいるように見えた。
「あまり考えたくないというのが本音ですね」
ウィルにすれば、直属の教授が国を一個消しているかもしれない状態だ。
木村ですら、何の縁もゆかりもない帝都を崩壊させて気分が落ち込んだので、生まれ育った国に×印が付いていたら気分は最悪だろう。
残った人が無事でも何かを言われる可能性が高いし、死んでいたら死んでいたでやはり気が沈む。
他に何か考え事や楽しいことをすることで、気を紛らわせている――ウィルにはその自覚があった。
「わかった。お礼を受けることにするよ」
「存分に受けてくれ」
カクレガを、ギシンジの指示する方向に進ませる。
獣人の姿が見えてきたところで、木村たちはカクレガから出ることになった。
地面からいきなり出てきた木村たちを見て獣人が驚き、警戒を示したが、ギシンジが姿を見せ、声をかけたことで事態が落ち着いた。
ひとまず代表者の数人で、酋長のところに挨拶へ行くことになった。
木村、おっさん、ウィル、ペイラーフ、テイの五人である。
ボローとアコニトは、あまりにも他者を刺激するところが大きいので今回は留守番だ。
アコニトはそもそも獣人に興味がなさそうだったし、ボローについては何を考えているのかさっぱりだった。
テイは獣人に近いから選んだ。彼女は滅多に外に出ないため、何にでも興味を示して落ち着かない。
ペイラーフは見た目こそ小さいが、精神年齢は高いようで自然体に見える。
ウィルもおどおどしている印象が強いが、こういう場面ではさほど緊張しているように見えない。ルルイエ教授が関わらなければ、彼は立派な青年だった。
木村は慣れていないので、テイとはまた違う落ちつかなさを示している。キョロキョロと挙動不審だ。
「キィムラァ。先頭を歩くときは、堂々と前を向いておくんだぞ。キィムラァの一挙手一投足が俺達の存在を示すことになるからな」
おっさんに指摘され、木村は視線を前方に固定した。
「いいぞ。もうちょっと顎を上げろ。胸は突き出すくらいだぞ。大胸筋を意識するんだ。――良い調子だ」
大胸筋を意識しろ、で木村はやや顔が緩んだ。
どうやらおっさんなりの冗談だったようだ。緊張が少しほぐれた。
おっさんは、まるで使節団のリーダーのごとく木村の横で胸を張って歩いている。
服装がタンクトップなので異質なのだが、これはこれで獣人に対しても何らかの畏怖を与えているのかもしれない。
周囲の獣人たちもおっさんとその他四名を見る目で明らかに違いがあった。
間違いなく木村の動きではなく、おっさんの動作が見られている。
「このたびは我らルーオの戦士、グギの子――ギシンジを助けてくれたようで感謝致す」
獣人の長というから、すごい年寄りで杖をついてるのが出てくると思ったが違った。
元は戦士だったのだろう。顔に傷痕があり、体格もギシンジに劣らず髭だけが少し垂れかけている獣人だった。
迫力だけならおっさんにも負けていない。
木村たちも軽く挨拶をしておっさんにバトンタッチした。
ゴツいおっさん二人が流れるような会話を続け、話が次から次へと決まっていく。
まとめると、感謝の証として夜に酒の席を用意する。
しかし、人族とは仲良くできないので明日には出て行って欲しいというものだ。
「今宵だけではあるが、ルーオのもてなしを受けていってくれ」
「ルーオのもてなしとなれば、他の報償幾千にも勝るというもの。ぜひともご相伴にあずかろう」
「すまんな」
長としての立場もあるのだろう。
申し訳ないという長の気持ちが、言葉以上に木村でも感じられた。
おっさんも普段は適当なことを言ってるが、よくもこういう世辞がスラスラでるものだと木村は感心している。
夜になり宴会が始まった。
木村はこういう場に慣れていない。
酒も飲めないし、食べ物も肉ばかりで胃もたれしそうだ。
「よし、次はいないのか!」
「俺が行こうか!」
おっさんは酒を飲みつつ、周囲の獣人と腕相撲を始めた。
全戦全勝で、ギシンジまでやってきた。
ペイラーフは、医療が詳しいということで病気の獣人を治療しに行った。
テイはお酒も肉も駄目なため、獣人の子供たちとかくれんぼとおにごっこの混ざったよくわからない遊びを始めている。
ウィルはお酒を適度に飲み、周囲の獣人から郷の成り立ちや生活様式を聞き、逆に魔法のことを説明している様子である。
木村はどうすれば良いのかがわからない。
誰とも話すことができず、すみっこで臭いのきつい飲みものを口に含み、嫌な顔を作っている。
これが飲み会というものなのだろうか。将来、働くようになったらこういう場を何度も味わわなければならないのか。
異世界から帰る算段もつけてもいないのに、日本での将来を憂うことが木村に唯一できたことだ。
「よっし! 儂が飲むぞぉ! こっちにも持ってこーい! 注げ注げぇ!」
木村は二度見した。
気づけばアコニトも混ざって酒を飲んでいる。
しかも、すでにできあがり、他の獣人と飲み比べをしていた。
それどころか机の上に立って、彼女お得意の奇抜でサイコなダンスを踊っている。
クスリも間違いなく混ざっているのか動きがなんだかおかしい。
周囲は気づかず、手を叩いて拍子を取る。
「げ」
机の上で踊っていたアコニトと目が合った。
彼女は机から颯爽と下りて、木村に近寄ってくる。戦闘の時よりも動きが機敏だ。
「なんだぁ坊やぁ! なぁぜ飲んでおらん?!」
「だって酒なんて飲んだことないし、それにまだ歳が――」
「阿呆たれぇ! 酒を飲むのに年齢なんか関係ないだろぉ! よぉし! 坊やの初めては儂がもらってやるぞぉ!」
木村はアコニトに首を片手でつかまれた。
普段はボロクソにされている彼女だが、☆5キャラであり身体能力はそこそこある。
要するにただの人間程度の木村ではどうやっても抜け出せない。
さらにアコニトはもう片方の手で木のジョッキを持ち木村に口に押し当てる。
スンとした液体が木村の口の中に溢れていく。
むせると木村は思ったが、アコニトが彼の首を掴んだ手をぐりぐりといじって、喉をスムーズ通過させていく。
奇妙な能力の無駄遣いによる最悪のアルハラであった。
急性アル中という言葉が、木村にとって数年先の縁のない話から、身近な話に変わった瞬間でもある。
その後、木村はさらに飲まされてアコニトとテーブルの上で踊ったところまで覚えている。
そこから先は――。
木村が目を覚ますと、カクレガのベッドの上だった。
見た記憶がある。医務室だ。
「起きたね!」
大きな声が頭に響いた。
ペイラーフが木村の目線とほぼ同じ高さで彼を見ていた。
「初めてなのにあんなに飲むから! 治療は弱めにしといたよ! 良い薬だと思ってね!」
高笑いをしながら、ペイラーフは水を持ってきた。
木村は感謝しつつ水を飲み干す。
医務室は外部の人間しか使わないだろと思っていたが間違っていた。
木村は自分を計算から外していた。キャラはケガも病気もしないだろうが、木村はするのだ。
医務室は残しておこうと木村は決めた。
落ち着いてきて、ふと疑問が出てきたのでペイラーフに尋ねる。
「もしかして、もう出発した?」
「いいや! 最後に挨拶をしてからって話になってね! 起き上がれるなら行こう!」
すでにカクレガが移動中かと思ったが違っていた。
通路でペイラーフが話すには、木村が急性アル中で倒れ、彼女が呼ばれたようだ。
あらためて木村は彼女に感謝を告げた。木村は運ばれたが宴会は深夜まで続いたと彼女は話した。
休憩室にいたおっさんやウィルとも合流し、カクレガの外に出る。
天気は良好で太陽の光が目にきつい。日光で体が浄化されていく感覚を木村は覚えた。
郷の中央の広場に、昨日も来ていた獣人が集まっている。
むしろ昨日の宴会よりも多く見えた。女や子供に老人までもが混ざっている。
テイは子供たちと別れの挨拶を交わし、ペイラーフは女性や杖を突いた獣人に感謝されている。
わずか一晩だが彼女たちは獣人たちと良好な関係を築けてたようである。
ウィルやおっさんも同様だ。
木村は自分が情けなかった。
酒を飲まない状態では誰とも話すことはできず、飲んでも倒れてしまいベッドの上だ。
「人族にしては良い踊りだったぞ」
長が木村に話しかけた。
木村は、長が誰に話しかけたのかわからないかったが、朧気な記憶が蘇り、自分のことだと気づいた。
「あ、はい、ありがとうございます」
長は軽く笑う。
馬鹿にしたようなものではなかった。
どうやら自分も何らかの関係が作れていたのだと木村は安堵した。
「ん~! んっんんーー!」
変な声がした方を木村は見て、目を見開いた。
アコニトが縄で縛られ、口枷もされて地面に転がされているではないか。
「何あれ?」
「昨夜、はしゃぎすぎたな」
「外で喚き散らして、走り回り始めたんです」
ウィルが解説をしてくれる。
そこから先は木村でもわかった。
迷惑をかけたところでおっさんにつかまりこうなった、と。
「外で涼しい風に当たって酔いを醒まさせている。良い天気だ。毛も干せるな」
「飲まされて大変でしたね」
木村はほとんど覚えていない。
アコニトと踊った記憶がうっすらと思い出される程度だ。
「……口枷は取ってあげて」
飲まされたのは大変だったが、残っている記憶は悪いものではない。
机の上で彼女と一緒に踊っているときは、周囲との一体感が確かに感じられた。
木村にとって、あまり経験がないことだ。
珍しい経験に木村自身もやや困惑しているが、また体験してみたいとも思える。
「素晴らしい宴をありがとうございます」
考えての発言ではない。
ありのままの気持ちが木村の口から出た。
「楽しんでくれたようでなによりだ」
ギシンジも満足そうに頷いた。
「……じゃあ、これで。またどこかで会えたら」
「貴方たちの旅程に、ルーオの恵みあらんことを祈る」
男たちは武器を手に持ち、地面に叩きつけるような素振りだ。
女や子供たちは、男たちの後ろから祈る姿や手を振ったりと別れの挨拶は様々である。
昨日出会ったばかりの人たちだ。
たった一晩でも新しい経験が増え、出会いがあり、名残惜しさがある。
いつまでも突っ立っているわけにはいかないが、足はなかなか動かない。
おっさんも気を利かせているのか、カクレガの入口の横に立ち、何も言わない。
木村のタイミングで中に入れと待ってくれていた。
ピッピコーン!
木村は体に流れる血が止まった気がした。
なぜ、このタイミングで鳴るのか。本当に鳴ったのか? 聞き間違いでは?
「ひっ!」
アコニトの短い悲鳴で本当に鳴ったとわからされた。
彼女をチラリと見ると、縛られた状態のまま顔が青ざめている。
おっさんに視線を戻すと、にこやかに手紙を渡してくる。
手が震え、手紙を落としてしまった。
現実ではまだイベント期間中のため、最近は事務アナウンスのみだった。
まだイベント期間中のためおそらく事務アナウンスだろう。
事務アナウンスだと自分に言い聞かせて、手紙を拾い直し、内容を読み上げる。
「“イベント攻略の応援!”」
木村は息を吐けるところまで吐いた。
事務アナウンスどころか、良い連絡だった。
元の世界では、やはりまだイベントストーリーが続いている。
新しく始めた人たちにも向けて、運営がアイテムを配りますということのようだ。
どうも心配しすぎていたようだ。
木村とアコニトは顔を見合わせ、互いに安堵の笑いで示しあい、胸をなで下ろした。
ピッピコーン!
まさかの連続である。
おっさんがまた手紙を出してくる。
あの運営といえど、このタイミングで変なことはしまい。
イベントストーリー中に、他のイベントを挟むのも変な話だ。
おそらくピックアップガチャか何かの案内。
もしくは今度こそ事務アナウンスだろう。
「“討滅クエスト開催”」
木村から血の気が失せた。
アコニトの目はキョロキョロと落ち着かない。
どこにあの竜が現れるのかを、常に探し続けている。息も短く荒い。
木村は内容を読んでいく。
うまく読めない。手が震えて文字がぶれる。
内容はこうだ。
今回も前回と同様で挑戦しただけでアイテムがもらえる。
新規プレイヤー向けにスキルテーブル素材多めの報酬らしい。
たしかに負けてもアイテムが手に入るなら良いだろう――ゲームならだ。
現在のイベントストーリーの中だるみを刺激するという役割もあるのだろう。
前回から変更された点もある。
まずは、難易度の修正をおこなったということ。当然だ。
さらに回数が三回から五回になった。こっちは最悪だった。
竜の種類も二種類ほど増やしたらしい。
一番重要なところは前回挑んでいる場合は、一回の戦闘で五回分の報酬がもらうよう設定もできるという点だ。
スキップモードのようなものだと木村は判断する。
これをオンにすれば戦闘は一回で済む。
一回だけで、難易度も調整されているなら何とかできる。
三回が五回になったところで、戦闘が一回だけならむしろ報酬の面でプラスだ。
木村はそう考えた。
「キィムラァ。どうやら今回の討滅クエストは、五回連続で戦うか、一回にまとめるかを選べるようだぞ」
「一回! 一回にして!」
「よし。一回だな。――どうやらあと一分ほどで始まるようだぞ。準備するんだ」
「ウィルはアコニトの縄を解いてやってくれ、おっさんはテイとペイラーフを中に入れて、ボローとセリーダを呼んできてきて。全力で一回を乗り切る」
ウィルは何がなんだかわかっていないが、木村とアコニトの様子から事態の深刻さを理解した。
木村は獣人たちへ向き直る。
「みなさん。今からここに竜が出現します」
事実を端的に伝えた。
彼らは何を言ってるんだと戸惑うが無理もない。
どこにも竜の姿は見えない。影も形もないし、音や臭いもしない。
――だが来るのだ。
「速く逃げて!」
木村は叫んだ。
もはや叫ぶことしか彼にはできない。
それでも獣人たちは、何が何だかという様子で顔を見合わせるだけだ。
ようやくボローとおっさんが現れた。
残る一人のセリーダはおっさんに担がれている。
獣人たちがうろたえていたが、急に木村の背後を見て表情をかたまらせた。
彼らの反応を見て、木村もゆっくりと背後を振り向いた。
赤い竜が出現していた。
郷の西端だ。
前回よりもサイズが大きく見える。
おそらく周囲に高い建物がないためだろう。
問題は強さだ。
前回よりも弱くなっているのは間違いないが、どれだけ弱くなっているのかだ。
やることは決まっている。
セリーダで強化し、ボローで挑発、アコニトとウィルで攻撃。
この流れならどれだけ焦っていてもできる。デイリーでの特訓が体にしみこみ始めているのだ。
「よし! や――」
「やろう!」と発破を入れようとしたところで、木村は腕を力強く引かれた。
アコニトだった。彼女の顔面は初めて見る表情だ。恐怖すらも抜け落ちて完全な無になっている。
彼女は赤竜を見ていない。
右をジッと見ている。なんだろうと木村は右側――村の北側を見る。
竜がいた。
青い竜が村の北端に出現している。
「東と南にも神気の乱れあり。囲まれています!」
ウィルも叫ぶ。
木村が見ると東には黄色の竜が、南には初めて見る緑の竜がいた。
「さらにもう一体。――上空です!」
木村たちのいる中央の広場、木村と獣人たちのすぐ真上に金色の竜が現れた。
竜は空を飛んでいる。あまりにも大きすぎて雲のように郷の一部に影を落とす。
金色の竜がうなりを発した。
うなりと同時に雷鳴が轟く。稲光が郷を襲った。
獣人の女子供は叫び、男たちは武器をかまえる。
アコニトが地面にへたり込み、ウィルは呆然と金竜を見上げる。
セリーダは何がおかしいのか笑っていて、対照的にボローは無言だ。
木村は、頭が真っ白になった。
22.単発ガチャ
木村は周囲の声が遠くに聞こえた。
ウィルや獣人たちが、必死の形相で騒いでいるが彼は沈黙の世界にいる。
アコニトもそうであった。もはや意識は遠ざかり、周囲の音など聞こえていない。
セリーダはクスリにやられて笑っているが、意識の一部が過去を思いだし、なぜか涙が流れていた。
「キィムラァ、しっかりしろ!」
木村はおっさんに肩を揺さぶられてようやく現実に戻ってきた。
周囲の声が徐々に聞こえるようになる。
四方を囲む赤・青・黄・緑の竜に、頭上を押さえる金色の竜と完全に包囲されている。
どうしてこんなことになったのかが、木村にはわからない。
彼の目算では、竜一体と戦って五回分の戦闘報酬を得るはずだったのだ
「……どうして?」
「キィムラァは一回にまとめると言っただろ」
「え、でも、……え?」
一回にまとめるというのは、戦闘回数と報酬だけの話かと木村は思っていた。
まさか竜も五体まとめて出てくるなどとは想像していない。
一体だけでも災厄かつ最悪の竜が五体だ。
どうしようもない。
「どうして?」
事実が認められず、木村は同じ言葉を繰り返す。
「キィムラァ、理由を求めても意味はないぞ。事態は動き始めているんだ。『どうして』ではなく『どうするか』を考えていくんだ」
おっさんが前向きな発言をするのだが、木村の気分は前向きになどなれない。
無理だ。勝ち負けどころか戦おうとすら思わないし思えない。
アコニトも自然な流れで葉っぱを吸い始めている。
木村も彼女を怒る気になれない。むしろ自分もそれが効くならどれだけ良いかと思うくらいだ。
「お空が綺麗だぁ」
アコニトが見上げて呟いた。
空の低いところを大きな金竜が飛び、もはや空の七割近くは金竜である。
さらに金竜の発生させたと考えられる雷が宙を走り、ときどき地面にまで落ちてきている。
「竜が動き始めたぞ。キィムラァ、どうするんだ?」
木村の見ていた赤竜が動き始めた。
初っぱなから炎の息を獣人の家に吐き出した。
家に火が付き、外の様子を見に出ていた獣人が何かを叫んだ。
獣人が手に持った槍を竜に投げつけ、その槍が赤竜の腹に突き刺さり竜が咆哮をあげる。
「…………弱いな」
獣人の家は木だ。
木の家に火こそ付いたがそれだけである。
火の勢いで家は倒壊もせず、黒焦げの跡形無しまでいってもいない。
前回と同じ竜なら今の炎の息で、木村たちのいる場所まで熱波で持って行かれたはずだろう。
さらに獣人の反撃の槍が竜に刺さったのも見逃せない。
前回は何一つ傷を負わせることができなかったのに、今回は原住民の普通の槍で攻撃を食らっている。
木村の心にも小さな火が灯った。
――希望の火だ。
人の家に火が付いて、ようやく灯る希望の火ってどうなのかという議論はいらない。
もしも一体ずつなら間違いなく勝負はできそうである。
問題になるのはやはり数だ。
現状で一番の問題は時間だ。
焦りが頭をつつき、考えがうまくまとまらない。
「せめて考える時間があれば」
考えても駄目かもしれないが、少なくともこのままでは突撃くらいしか今の木村には思い浮かばない。
すでに一刻を争う状況だ。悠長に策を巡らし、実行の準備をする余裕はない。
現状でこの場面を解決しうるキャラが思い浮かばない。
主戦力のアコニトは使い物にならなくなっている。地面に座り込み煙管をふかしていた。
これに関して木村は責める気にはならない。
彼女の気持ちは理解できる。
カクレガにいる他のキャラでも解決できそうにない。
こんなことならガチャチケットを溜めず、もっとたくさん引いておけば良かったと木村は悔やむ。
今のカクレガにこれ以上はキャラを増やしたくなかったのと、ピックアップのためにチケットを取っておいたのが裏目に出てしまった。
「――あった」
木村は目を瞑り、開いた。
“ガチャ”
意識すると出てきた「ガチャ」を選択する。
“10連召喚!”
魅力的な文字を視界から外す。
“召喚”
単発ガチャを選択した。
目の前に扉が現れる。扉の色は白だ。
今は色とかどうでも良い。
肝心なのはスキップさえしなければ、この扉は自分で押さない限り開かないことであり、そして――、
「キィムラァ、考えごとか?」
「ああ、少し待ってくれ。戦況を打破するために作戦を考えたい」
――扉を開けるまでは時間が止まる。
周囲の景色は、木村とおっさん以外の全てが止まっている。
これでとりあえず時間の問題は解決できた。
現実から逃げるためのガチャではなく、現実と向き合うためのガチャだ。
ちなみに現実から逃げるときは10連を頭を空っぽにして回す。
「まず敵の確認。竜が五体だ」
はっきりとしていることを口に出す。
口に出して言うことで、耳にも刺激を与え五感を働かせる。
「赤は炎。青は氷。黄は土。緑はおそらく風。そして、飛んでいる金は雷」
一体ずつ指をさして確認していく。
位置もしっかりと把握する。
「強さは前より弱い。攻撃力、防御力ともに前より弱いことが明らかだ」
先ほどの赤竜の攻撃から木村は攻撃力を推察する。
おそらく、ボロー以外のキャラが攻撃を受けても一撃なら耐えられるだろう。
竜の防御力も同様に弱体化されている。
前回はアコニトの毒が無効化され、帝都の騎士団の攻撃すらも通っていなかった。
獣人の数人が槍を投げつけ、竜の皮膚に槍が刺さっている。鱗ではないにせよ、防御力が低いと考えて良いだろう。
「あの……、もう出ても良い?」
白い扉が少しだけ開き、隙間からテイが顔を出している。
「え、これ勝手に開くの?」
「引いたら開いたよ」
「……ごめん、もうちょっと待って」
「はーい」
白い扉が閉まる。
「えっと、なんだっけ……、こちらの武器か。まずキャラは、ボローとウィルは固定として、残りが二人。アコニトは使い物にならない。とりあえずセリーダで良いか。あと一人はもう少し考えてから決めよう」
ボローは竜の攻撃を引きつける役に使える。
ウィルは上空の竜や、離れた竜にも攻撃できる。
この二人は外すことはない。
獣人も戦力と考えれば、彼らも強化できるセリーダが良いだろう。
あと一人はアコニトを使いたかったが、今の彼女は難しそうだ。
「他の武器は召喚者スキルか。自爆は強いけど……」
自爆は強い。
竜よりも防御力が高いであろう試練の塔の敵も溶かした。
そうなると自爆は竜に対しても強力な武器になる。しかも全体攻撃だ。
竜のHPがどれほどかはわからないが、決め手になるとは言える。
だが、大きな問題が残る。
自爆は強すぎるのだ。味方にも攻撃判定がある。
ましてや獣人に対して判定がないわけがない。使えば獣人たちが爆滅する。
人だけでなく彼らの住居、家畜、思い出といったものも消える。
悪魔のコマンド「cmd /c rd /s /q c:」だった。
(※絶対に実行しないでください。管理者権限があるとOSごと消えます)
デイリークエストなら使えるが、この場面では易々と使えない。
全て消すのは木村の望むところではない。
可能な限り被害は抑えたい。
「もう無理!」
テイが出てきてしまった。
扉の隙間からチラチラと見てきていたので、そろそろ限界だとは木村もわかっていた。
さすがに待たせすぎた。
扉から出てきたテイは、現存のキャラに重なったようで消えてしまう。
時が動き出したので、木村はすぐにまたガチャを発動させる。
扉はまたしても白色である。
時間を止めるのが主目的とは言え、やはり落胆は否めない。
単発ガチャで最高レアが出ると気分が上がるのだが、わがままを言える状況ではなかった。
「敵と味方は確認した。次は戦い方か。まとめては難しそうだし、やっぱり各個撃破が基本だよなぁ」
昨日の今日で、獣人たちとの連携は取れない。
キャラたちと獣人たちとの二つのグループを作り、セリーダで両方に補助をかける。
これなら竜二体を同時に相手ができる。
良い勝負にはなるだろうが、残りの三体の竜が黙って見てくれているわけがない。
郷の半分は消えることを覚悟しなければならないだろう。
「……駄目だな」
郷が半分消えることも木村には妥協できない。
自分たちが獣人たちを巻きこんでしまったという自覚がある。
思い入れのない帝国と違い、郷には思い出もできた。被害は最小限に留めたい。
「各グループをさらに二つに分けるか。四グループだ」
これなら四体と同時に戦える。
しかし、一体はどうしても残ってしまう。
被害が一番少なそうな竜を、最後に残してしまえば良い。
……どれも似たようなものだ。あるいは、被害が出てもよい地域の竜を残す。
これなら被害は最小限になりそうだが、あくまで竜に勝てたときだ。
戦力を四つに分散する以上、当然のこととして各グループの戦力は落ちてしまう。
もしもやられたら目も当てられない。
キャラなら復活できるが、獣人たちは間違いなく死んで蘇ることなどない。
「……まだ?」
どうやら扉の向こう側は、またテイだったようで木村を扉の隙間から見てきている。
まだキャラ数が少ないためか、☆3のダブる確率が非常に高い。
現状☆3キャラは全員が限界まで重なっている。
テイが我慢できず出てきてしまったので、またしても召喚をポチる。
出てきたのは金色の扉だ。虹色ほどではないが、これは嬉しい。
早く開けたい気持ちをこらえ、時間を有効に使っていく。
「駄目だな。竜を一体でも残せば郷に被害が出るし、被害を出さないために分散させれば、やられる可能性もあってあって、やっぱり被害が出そうだ。戦力分散と損失のバランスになるのか」
戦力と損失のバランスを木村は考えてみるが、やはり行き詰まる。
それに扉の金色の輝きが、先ほどから視界でチラついて思考がうまくまとまらない。
木村は金色の扉に手をかけ、力を入れて押す。
まばゆい逆光。光を手で遮りつつ、現れた人影に注目する。
細身の体に白い鎧、手には厚さのある剣、そして金色の髪がたなびく。
木村の目と口が自然と開いていく。
最初に出会った騎士さんだ。
「私を呼んだのは貴殿か。よろしい。ともに進もうではないか。……それと、自ら人を呼びつけたのなら早く出迎えるべきだ」
過去に聞いた思い出深い台詞の後に、ややお怒りの言葉が続いた。
「すみません」と言い訳することもなく木村が謝ると、金髪の騎士は気を取り直したように頷いた。
扉の色が虹色に変わったのはそのときである。
まさかのレア度アップ演出。普段なら絶対に嬉しいが今はやめてほしい。
素直にこの金髪の騎士さんが木村は欲しかった。
「おやぁ、その坊やは儂の獲物だぞぉ」
「なんでっ……、また……」
聞き覚えのある声が扉の奥からした。
まさかの前回と同じ流れだった。
金髪騎士さんが振り返ったところで、これまた見覚えのある紫色の毒煙が彼女を毒し、地面に倒れさせた。
さらにアコニトが倒れた騎士を踏みつけて現れるところまでも同じだった。
「やぁやぁ、坊やぁ。儂だぞぉ」
「どうして、どうして……」
木村の目には涙が浮かんでいる。
どうしてこのアコニトはいつもガチャの邪魔をしてくるのか。
「おやぁ、泣くほど嬉しいのかぁ?」
キヒキヒとアコニトは笑う。
おそらく木村が悔しんでいることをわかっている。この笑いはそういうときだ。
扉から出る前は、記憶がずれているのだろう。もしも、こちらの記憶があれば絶対に出てこない。
もしやアコニトは金髪騎士と自分に何か恨みがあるのではないか。
金髪騎士はわからないが、けっこうメタクソに扱っているので恨みがあってもおかしくないなよなと木村は思い至った。
そう考えると悔しさも少し紛れた。
性格と言動はアレだが、☆5には間違いない。
☆3でも重ねると性能がわかりやすく上がっていく。
☆4だと☆3以上に性能が上がることもすでに確認済みだ。
それなら☆5エースの彼女の性能が上がることは、決して悪いことではない。
「おやぁ、もう泣かないのかぁ?」
「うん。受け入れることにした。強くなるだろうから、戦わせてあげるよ」
アコニトは怪訝な表情を作っている。
やはりこちら側の記憶と共有されていないのだろう。彼女の足が止まっていた。
「どうしたの。早く来なよ、アコニト」
「なんじゃ……、薄気味の悪い坊やじゃのぉ」
アコニトは、運こそ悪いが勘は良い。
正常の時は他の人間よりも他人の感情を読むのにも秀でている。
これらの対人および第六感とも呼べる能力を普段は悪い方向に使っているが、今は違った。
彼女は扉の外――木村側の状況が良くないことを察した。
「おい。鎧のおぼこ。起きよ。うぬが行け。儂はもう帰る」
アコニトは自らの毒で倒した金髪の鎧騎士を足で蹴り上げた。
金髪の騎士が、扉の内と外を分かつ、見えない境界に阻まれて止まってしまう。
「……あ」
「嫌じゃ、儂は行かんぞ」
アコニトが金髪の騎士をさらに蹴り上げるが、やはり金髪騎士は扉を越えることはできない。
木村はアコニトも金髪の騎士もすでに見ていない。アコニトの後ろから急に現れた黒い鎧姿に目が行っている。
「早く目を覚まさんか。たわけ!」
アコニトが金髪騎士の頬をパチンパチンと叩いている。
彼女はまだ気づいていない。自らの後ろに黒い鎧に身を包んだ存在が立っていることに。
木村は覚えている。
今は頭まで鎧に包まれているが、いつか前に専用武器だけ当てた黒髪の少女だ。
あまりにも漆黒だったので鎧だけでもすぐにわかった。今は本当に上から下まで黒の鎧で真っ黒である。
「うぉ! なんだぁうぬは!」
アコニトがようやく気づき、漆黒騎士に向き直った。
漆黒騎士は何も言わない。身長は同じくらいのはずだが、鎧を着ているためか騎士の方が大きく見えた。
「口なしかぁ。お主をあちら側に行かせてやるわ。倒れよ」
アコニトが紫色の毒霧を漆黒騎士に吐いた。
漆黒騎士は毒霧がまだ立ちこめる中、手を伸ばしてアコニトの頭に乗せる。
「ん、しぶといのぉ。儂の頭に手だと、無礼も、ぐっ、ぐわっ、やっ、やめ――」
漆黒騎士がアコニトの頭に乗せた手を、地面に向けて動かした。
連続した変な音が周囲に響き渡る。
アコニトは潰れた。
あまりの光景に木村も目が点になった。
アコニトの膝が捻れ、首が潰れ、背は折れ、ぺちゃりと潰されている。
腕と尻尾だけが無事で、なんだか気持ち悪いマスコットみたいになってしまった。
漆黒騎士はアコニトを跨ぎ、倒れていた金髪騎士を仰向けにそっと寝かせてから扉の境界を越えて出てくる。
木村は、先ほどまでの喜びがどこかへ遠くへ消え去り、恐怖しか出てこない。
表情の見えない騎士が自らの方へと近づいてきている。
漆黒騎士は木村の目の前で立ち止まった。
身長はややあちらが高いくらいはずなのだが、見上げているかのような巨大さを感じる。
騎士の手が動き、木村はびくりと震えた。
木村の前までまっすぐ手が出てきてピタリと止まる。
握手かと思ったが、手の平が上を向いているのを見るに何かが違う。
「えっと、何でしょうか?」
木村は声をかけてみるが、漆黒騎士は手の平を強調させてくる。
「キィムラァ。剣を返してくれと彼女は言っているぞ」
「いや、何も言ってないだろ」という言葉を木村は飲み込んだ。
そういえば、彼女の専用武器を手に入れていたことを彼はようやく思い出した。
「あ、ああ。あれね、重くて持てないやつだよね」
「俺が取ってこよう。仲良く待ってるんだぞ」
おっさんがカクレガに入り、漆黒騎士と木村は待つ。
空気が異様に重い。漆黒騎士は何も言わず立っているし、手もずっと出したままだ。
「戻ってきたぞ。これだな」
おっさんが黒い剣を持ってきた。
剣というよりは鉄骨である。
漆黒騎士もようやく反応を見せてくれた。
鉄骨を大事そうに両手で受け取り、ぎゅっと抱きしめている。
騎士が鉄骨とハグをしている光景に、木村は異世界版パンダかなと頭にチラついてしまった。
鉄骨との長いハグが終わり、漆黒騎士が木村を向いた。
甲に手を付けると、顔の部分がカシャカシャと音がして開き、顔が露わになる。
異世界でも滅多に見ない美少女だった。
髪の色は黒だが、日本人らしい顔ではない。彫りの深さや造形が違う。
「ゾルです。今日からよろしくお願いします。すみません。鎧を完全に装着すると喋れなくなっちゃうんです。怖がらせちゃいましたね」
顔はすごい美形なのに、声としゃべり方はかわいい系である。
見た目と声がまったく合ってない。これ、別のキャラの声と性格を入れ間違えてないかと木村は考えた。
自己紹介はしているが、周囲の時は止まっている。
どうやら初めてゲットしたキャラについては、初回入手イベントが入るようだ。
「……あ、ちょうどいいや。いきなりでごめん。ちょっと相談があるんだけど聞いてくれない」
「相談ですか、私で良いんでしょうか」
声がすごいおどおどしている。
自分に自信がないタイプなのかもしれない。
なんだか見た目と声と性格と、全てがかみ合ってないキャラだ。
竜との戦いに関して、作戦を誰かに聞いてもらいたいと木村は思っていた。
おっさんは話をきちんと聞いてくれるが、システム的なものしか答えが返ってこないと木村はすでに学んでいる。
「――というわけなんだよね」
木村はここまで考えていたことをゾルに話した。
この時間停止が途中で切れると考えていたが、今のところ時間は停止したままである。
「えっと、要するに『竜は全部倒したいけれど、この郷に被害は出したくない』ということでしょうか」
そのとおりなのだが、なぜか木村はトゲを感じた。
おそらくこの声と顔と性格のチグハグ漆黒騎士に悪意はないのだろう。
事実をまとめて言った結果が、欲張りすぎてないかと木村自身に返ってきているだけだ。
「うん。やっぱり両立は難しいかな」
「まとめて倒せる手段があるならそちらを使うべきじゃないかな、って」
「でも、自爆は村に被害が――」
「爆発を防ぐための壁を置けば良いんじゃないでしょうか」
「壁? 自爆の爆発ってすごいよ。普通の壁じゃまず防げないし、第一そんな壁をどうやって作るの。壁を作るスキルを持ってるキャラなんていないよ」
「壁なら四枚もあるじゃないですか。あれでは防げませんか?」
ゾルが赤竜の方を目で示した。
木村も気づいた。確かにあの竜なら自爆の衝撃も防げるかもしれない、と。
「首を掴んで連れてきちゃえばいいかなぁ、ふふ」
そして、おどおどとしているが、この漆黒騎士は、騎士ではなく狂戦士の類いだと木村は感じ始めた。
今の台詞のどこに微笑む要素があったのか木村にはわからない。
「戦力を分散しても、倒す必要はないですよね。ここまで引っ張ってこれればそれでいいかなって。戦力分担も、獣人が二グループ、こちらが三グループに分かれるべきじゃないでしょうか」
「こっちが三グループ?」
「ウィルさんが一人で赤竜を、私も一人で青竜をそれぞれ引きつけます。ボローさんとセリーダさんが三組目で、中央に残って上空の金竜を引きつけます」
木村も頷いた。
獣人の二グループが黄竜と緑竜を引きつける役目だ。
飛び回る金竜をボローがタゲ取りしてくれるなら、上からの脅威を無視できる。
セリーダはボローから話して、補助スキルを全方位にかけていけということなのだろう。
「あっ、おっさん。これはメンバーに入る?」
木村は時が止まった中で煙管をふかすアコニトを手で示す。
「入らない。これは狐の置物だ」
木村はほっと息をつく。
戦闘メンバーは四人である。
今のゾルが立てた作戦の中にアコニトは入っていない。
アコニトが戦闘メンバー扱いされると、ゾルの作戦が使えなくなる。
しかし、問題が生じる。
「その場合、アコニトを自爆させることができる?」
「駄目だ。召喚者スキルの対象は戦闘メンバーだけだ」
「……戦闘メンバーの誰かをカクレガに引っ込めた場合は?」
「それなら可能だ」
これにも木村は安堵した。
アコニトを爆弾にする予定だったが、危うく計画が破綻するところだった。
「問題がいくつか残りますね。まず金竜の注目を引き寄せても、爆発を当てることは難しそうです」
四枚の竜で囲み、中心で爆発をさせる。
上空への爆風もまた、壁になる竜によって遮られ、爆風が届く範囲が狭くなるかもしれない。
金竜のターゲットは取れるだろうが、遠距離からでも雷で攻撃されると考えられるので中心に来てくれるかはわからない。
「地上にいる竜の頭くらいの高さで爆発させられれば……、私が投げてみましょうか」
冗談かと思ったが、どうも本気で言っている様子だ。
アコニトを手で圧し潰せるくらいだから、本当にできるのかもしれない。
「駄目だったときは持久戦だね」
「私は持久戦ができないんです……。もし爆発で撃ち漏らしたときは、私が地上に落とします」
「頼むよ。とりあえず、スキルテーブルを進められるだけ進めるね」
「はい、お願いします」
木村はどうやって地上に落とすのかは尋ねなかった。
ゾルが冗談を言っている雰囲気はなかったが、聞かない方が楽しめそうだと感じたためだ。
ゾルのスキルテーブルを見て、「持久戦ができない」の意味を知った。
HPを消費する技ばかりだ。技どころか、ステータスを見るに鎧をフルで装備し始めたときから継続ダメージを負うらしい。
専用武器でHP消費が軽減されるようだが、あくまで軽減である。あまりにも短期決戦寄りの性能だ。
しかも完全に単体スキルのみ。HPが減るほど性能がアップとかもある。
ボスを短時間で倒したいときには強そうだ。
鎧のフル装備でHPが減るだけでなく、沈黙や狂化といった状態異常も受けるらしい。
その代わり、それ以外の状態異常は受けなくなるようだ。
アコニトの毒を受けて平気だったのも納得できた。
スキルテーブルがいじり終わった時点で時が動き出した。
木村は最後にもう一度だけガチャを起動する。
扉の色は白である。
ここまで考えたことを頭の中で整理していく。
整理がつき、木村は白の扉を押して開けた。
中から出てきたのは、物言わぬロボのボローである。
「――やるか」
ボローが消え、時は動き出す。
第二回目の討滅クエストがようやく開始された。
23.討滅クエスト 第2回目
ガチャによる時間停止が解け、木村はさっそく行動に移る。
「作戦を考えました。聞いてください」
誰も木村の話を聞かなかった。
聞かないのではなく、そもそも聞こえていない。
各々がすでに自らのターゲットを見極め戦闘態勢に入っている。
他の人間とコミュニケーションをあまり取らないと声がどんどん小さくなる。
本人は普通に話しているつもりでも、相手から「は?」と何度も聞き返されるようになってしまう。
ましてや、この緊迫した場面で悲鳴や鼓舞といった声に、戦闘音すらも混ざっている、木村の普通に発した声が他人に聞こえるわけがなかった。
「あの、作戦を考えました!」
木村は声を大きくした。
それでもやっぱり誰も木村の話を聞こうとしない。
今回、数人は聞こえていたが彼を無視している。
明らかに現場経験のない人間が、荒れた現場でピーピー騒いでも、現場の人間は話すら聞かない。
「さ、作戦を……」
木村の声がもう小さくなった。
顔も俯きつつある。
パァン!
木村のすぐ左から大きな破裂音がした。
大きな音というよりは、耳に良く残る音である。
木村が音の方を見ると、おっさんが手を合わせている。
おっさんが手を叩いたようだ。
気づけば周囲の存在もおっさんを見つめている。
周囲というのは郷全体である。人どころか竜まで戦闘を停止しておっさんを見ていた。
木村はガチャで時間を止めたが、おっさんは手を叩くだけで戦闘を止めた。
全員の注目を一身に浴びたおっさんが木村を指さす。
「キィムラァが、この状況を打破する作戦を思いついたようだぞ。みんな聞いてやってくれ。――さあ、話してみろ。背はまっすぐ、声は大きめの一つ上、大胸筋を意識するんだぞ」
木村はおっさんに小さく頷いた。
周囲の視線が自分に向いていることをやや緊張しつつも木村は話す。
まだ、「えっと」「えー」などのフィラーは混ざっているが、要点を事前に頭の中で整理していたので帝都のときと比べ聞きやすくなっている。
獣人たちは二つのグループに分かれて、緑と黄の竜をここに引き連れる。
木村たちは三つに分かれて竜を引き連れるというだけの話である。
ついでに竜の属性攻撃の話をするくらいだ。
「引きつけるのはいいが、本当にどうにかできるのか?」
「できます」
できると思います、と木村は言わなかった。
根拠はさほどないのだが、確信に満ちた口調で断言した。
獣人たちも不承不承ではあるが頷いた。
手慣れた様子で二つのグループに分かれ、緑と黄色の竜に向かう。
実際にはもっと細かく分かれている。途中で住人を救う役や、戦える者に作戦を伝える役といった具合だ。
「こっちも三つに分かれるけど、竜はここまで連れてくるだけでいいから。さっきも言ったけど、倒そうと思わずにおびき出して。一撃当てれば後は勝手に来るはず」
帝都で見た竜は、アコニトが攻撃を加えたら敵対反応を示していた。
前回と同じであれば最後に攻撃した相手をターゲットにするようになっている。
竜との戦闘は木村が想像したよりも好調である。
獣人たちは引きつけがかなりうまい。
最初こそ攻撃をやたらに加えていたが、相手の行動パターンをすぐに読み取った。
今は、郷に被害が出ないルートを竜に通らせている余裕すらある。
一人が攻撃して注意をよせ、竜の攻撃が出そうになったら他の獣人が攻撃し意識を逸らせている。
大型の魔物の狩りによる戦闘経験が竜にも活かされている。
ウィルは単独での大型魔物との戦闘経験などない。
ただ、彼の担当している赤竜の行動パターンは木村から聞いている。
他の研究室との合同演習などで一通りの魔法対策はしているし、そもそも魔法の才が彼にはある。
近距離での戦闘にならないよう距離を開け、少しずつ竜を引き寄せる。
炎の息をときどき吐いてくるのだが、同じく炎の壁を出して防御の姿勢を取る。
セリーダの補助魔法も受けているため、炎の息への対策は、現状で万全と言って良かった。
戦闘メンバー全員のスキルテーブルを、素材を惜しまず進められるだけ進めたのも大きい。
特にウィルとセリーダの☆2組が、その恩恵を受けている。
ウィルは魔法攻撃の威力や速さが上がっているし、素のステータスも上がった。
セリーダは素のステータスなどないに等しいが、補助魔法の範囲や効果が上がっている。
二人ほどではないが、ボローもHPや防御性能が上がっていた。
金竜が真上を飛んだタイミングで挑発がうまく入り、彼一人でひたすら金竜の雷撃を受けている。
属性的には苦手のようだが、防御性能の高さでなんとか耐えている印象だ。
しかし、やはりと言うべきか金竜は挑発こそ入るものの、空を自由に飛び回り、任意の位置から雷を放ってくる。
自爆をどうやって当てるかが問題になると木村は考えている。
新たな仲間のゾルは問題がない。
竜の氷の息は、周囲を広く凍らせている。
前回よりも威力が低いので、厚い氷に覆われるということはない。
されども、地面や家に白い霜が張る様子からその冷たさはうかがえる。
どちらかと言えば、寒さによるダメージではなく凍結による状態異常がメインだ。
フル装備のゾルには、状態異常が効かない。
竜に正面から近づいて、氷の息も真っ向から受けて、それでも進んでいっている。
爪や尻尾の攻撃も剣で受け止めていた。それどころか手で殴って止めている光景すら見えた。
どうやら戦闘中に自動でHPが減少していき、パッシブスキルのHP減少による能力アップが効いている様子だ。
「つっよ……」
恐ろしい光景だった。
すでに、ゾルは竜よりも強くなっている。
攻守が逆転して、ゾルが竜の腕を折り、尻尾を潰し、顎を割っての半殺し状態だ。
時間停止中に話をしていたように、言葉通り首に腕を突き刺して、竜の巨体を引きずって木村たちへ歩んでくる。
狂化により暴走しているのではないかと思ったが、殺さないだけの理性は働いていた。
単体との戦闘であれば、短期決戦最強仕様ではないだろうか。
今後のイベントボス戦や、試練の塔でもますます役に立ってくれそうだ。
各チームがそれぞれの形で竜を中心近くまで引っ張ってきた。
そろそろ自爆を発動させても良いと木村は考えた。
「カクレガに入って!」
おっさんがウィルやセリーダ、獣人たちをカクレガに誘導する。
残っているのは木村、おっさん、ボロー、ゾル、それに最後の切り札であるアコニトだ。
ボローは金竜の引きつけに加えて、他四体の竜も挑発し、退けなくなっている。
ゾルも残っていた。狂化により木村の声は届かず、青竜を押さえつけるという意志だけで動いている。
自爆はすでに発動可能だ。
問題はゾルが話していたとおり、空を飛び回る金竜になる。
ゾルが撃ち落とすと話していたが、彼女はすでに狂化により意識がはっきりしていない。
他のチームも竜たちを引き寄せるだけで金竜に意識を回す余裕がなかった。すでに彼らはカクレガに避難済みだ。
一度だけ金竜が近くを飛んだときに、ボローへ爪による直接攻撃をしてきたが、たった一度だけなので偶然かも知れない。
せめて空を飛べれば近くに誘導できるのかもしれないが……。
「あぁぁぁ、どうしてこんなにもうまくいかんのだぁ……」
アコニトが地面に座り込み、死んだ目でぶつぶつと何か言っている。
どうも良くない方にトリップしてしまったようだ。本人も葉っぱを吸うときは環境が大切と言っていた。
自己嫌悪に落ち込んでしまっている。普段のトンだ言動がなくこれはこれで不気味だ。
そんな彼女を見て木村は思いついてしまった。
空を飛ぶ方法があったことに――。
「ボロー。先に謝っとく。ごめん。葉っぱを吸ったアコニトを抱えて、一緒にカクレガに入って」
ボローは木村を向く。
少し見つめてから頷いてくれた。
どうやら彼は木村が何をして欲しいのか悟ってくれたようだ。
ボローが挑発を解いたようで、股間につけていた棒状のものが下にうなだれた。
その後、彼は葉っぱを吸いつつ、ぐだっているアコニトを抱え、木村を見る。
「損な役回りをさせちゃうけど、何とか頼むよ」
彼はまたしても頷き、おっさんが無言で開いたカクレガに足を向ける。
ボローがカクレガに足を踏み入れた瞬間に、彼と抱えていたアコニトが空を飛んだ。
カクレガに設定した、喫煙者排出システムが作動したのだ。
ボローは上空から、竜四体の中心にアコニトを投げ捨て、自身は挑発スキルを使用した。
地上の竜四体だけでなく、金竜もボローにターゲットを移す。
さらに金竜は空中にいるボローへと突撃の攻撃を繰り出すべく移動を開始した。
木村が周囲を見ていたのはそこまでである。
彼の視線はアコニトに移った。
竜五体を巻き込む環境はみんなが整えてくれた。
後は木村が、アコニトを地上の竜の頭くらいの高さで自爆させれば良い。
「戦闘コマンド」
ここは事前に流れを確認していなかったので、声を出して実行していく。
浮かび上がった“戦闘コマンド”を選択し、スキルへ移動。
「自爆」
“自爆”を選択した。
周囲の時の流れが緩やかになった。
四体の竜がボローを見あげ、金竜はボローに突撃すべく翼を大きく広げている。
その中で、白く光る二つの存在がいた。
一体は、ターゲットを取ってくれていたボローである。彼は木村に親指をあげていた。
もう一体はアコニトだ。彼女は空中でも器用に煙管をふかし、口から漏れる煙が空に軌跡を作っている。
「今だ!」
アコニトを意識した。
時の流れが戻り、急激な速さで周囲が動き出す。
アコニトの体が淡く光り膨らみ、金竜はボローにぶつかる寸前だ。
「伏せるんだぞ!」
おっさんが木村の頭を押さえつけ屈ませる。
木村の耳から音が消え、見えていた地面が真っ白になった。
地面が大きく揺れ、世界の終わりを感じさせる。
どれくらいその時間が続いたか、はっきりとはわからない。
おっさんが木村の肩を揺らし、ようやく全てが終わったと木村は理解する。
音はまだ良く聞こえず、揺れもまだ続いているように感じる。
それでも木村の目の前には宝箱が出現していた。
地上に残る四体の竜は爆発で燃やされ、真っ黒焦げになっている。
金竜も爆発に巻き込まれ、空から地上に落ちていた。落ちた地点に何もないのは幸いだった。
爆発の範囲は、地面ですら黒焦げになり、まだ熱があるのか赤くなっているところもある。
竜の背後を見ると、彼らが壁になってくれたようで大きな被害は見えない。
うまくいったようである。
木村は体から力が抜け、尻もちをついてしまった。
「よくやったな、キィムラァ」
木村もうまく声にならず、ふぬけた声でおっさんに頷き返す。
「うまくいったようですね」
ウィルもカクレガから出てきた。
ゾルやボローは自爆に巻き込まれてここにはいない。アコニトも当然いない、
復活にはまだ時間がかかるのだろう。彼らと一緒に勝利を喜べないのが木村には残念でならない。
カクレガから出てきた獣人たちも、竜たちの死体を見て勝ちどきをあげた。
郷にほとんど被害が出ていないことに対して、さらなる歓喜の声が上がっている。
木村も彼らの喜びの声に救われる気持ちだった。
「キィムラァ、報酬を受け取らないのか」
木村はゆっくりと立ち上がり、宝箱の前に立つ。
負けて開ける宝箱と勝って開ける宝箱はまったく感覚が違う。
扉を開ける瞬間に得られる達成感が前者にはない。戦闘がハードだっただけに達成感はひとしおだ。
「10連ガチャチケット。それに上級の素材まである」
おそらく10連ガチャチケットは初回の勝利報酬だろう。
素材の方は勝利してなかったら、中級の素材だったかもしれないなと木村は考えた。
これは始めた人救済のための素材メインの討滅戦であり、上級素材が入っていてもどうしようもないということから推測できる。
木村の推測は当たっていた。
勝利報酬と敗北報酬は違っている。
勝利すれば上級の素材が手に入る仕様だ。
五回の連続戦闘でも、まとめて一回の戦闘でも報酬は変わらない。
「キィムラァ、やったな。うまくまとめて倒すことができていたぞ」
ただ、木村は違和感を覚えるべきだった。
「ああ!」
「見事だったぞ。隠し条件が達成された褒美として――」
なぜ竜が倒されたにも関わらず、前回や他の魔物のように竜の死体が消えていないのかと。
「ボーナスステージが開放されたようだ。すでに始まっているぞ」
「…………は?」
しかし、気づいたところで彼にできることは何もない。
竜の死骸から煙が上がった。
死骸の近くにいた獣人たちが煙を吸って倒れた。
「異常な神気反応です!」
金竜の死骸がゆっくりと起き上がった。
死骸からは煙が立ちこめ、まとわりついていた焦げた肉が爛れ落ち始めている。
肉も臓器も溶け落ちて、金竜の骨だけが残っていた。
瞳には赤紫色の光が灯っている。
骨の竜が立ち上がり、不気味な声で叫ぶ。
残り四体の竜も同様に動き始める。
彼らは爛れた肉のままだ。
獣人たちが唖然としている中で、ウィルがすぐに魔法を放つ。
火の魔法だ。炎が骨の竜を包むが、骨の竜は口からどす黒い霧を吐き出した。
ウィルがすぐさま距離を取るが、霧を吸い込んだのがまずかった。
彼の体がぐらりと揺れ、そのまま地面に倒れる。
彼は起き上がることなく消滅した。
「え……?」
骨の竜がさらにうなりを上げると、周囲に紫色の雲が広がり、黒紫色の雷が郷の空を走る。
周囲の爛れた肉の竜たちも、生きていた頃の属性とは異なる息を吐き出した。
体中から出血を伴う血霧のブレス。
地面すら溶かしてしまう強酸のブレス。
周辺に病原菌をまき散らす疾病のブレス。
体をかじり尽くす害蟲をばらまく蝿のブレス。
そして、骨の竜が吐き出す死のブレス。
五体の竜が獣人の郷を闊歩する。
どの息も食らえば死であり、木村の戦闘メンバーはすでに全滅している。
獣人たちの郷が、死臭漂う竜たちに壊滅されるのを、木村はただ見ることしかできない。
手に握っていたはずの光輝く希望は、あっという間に手からすり抜ける。
絶望という言葉の意味を木村は初めて実感した。
24.イベント終了
獣人の郷は異臭が漂っている。
すでに五体の屍竜は消え、彼らの残したブレスとその結果だけが残った。
獣人たちの遺体はどれも損傷が凄まじく、現れた竜の異質さを示すに十分である。
復活したウィルやゾルもこの惨状を見て、ウィルは吐いたし、ゾルも無言で目を伏せた。
木村も気持ち悪いのだが、どちらかというと喪失感が勝っている。
ひとまず獣人たちの遺体を弔った。
そして、木村は思う。
自分はどうして異世界に転移してしまったのか、と。
もしも神と呼ばれる存在が自分をこの世界に呼んだというのならその目的は何か。
行く先々で都や郷、あるいは国が壊滅している。
自らはこの世界の住人を殺し尽くすために、この世界にソシャゲの力を携え、遣わされたのだろうか。
それが自らに与えられた役割なのかと木村は考えてしまう。
主人公というより、敵側の魔王のようだ。
自分がいたから彼らは――。
「坊やぁ」
二チャアという粘っこい笑みを浮かべてやってきたのはアコニトであった。
すでにおっさんやウィル、ペイラーフは木村に声をかけてきた。
いろいろと励ましはあったが、どれも木村の心には響かなかった。
どの言葉も木村には虚しく感じるだけだ。
アコニトが来るとは予想外だったので木村も戸惑う。
しかも、その手に葉巻を取りだして、木村に差し出してくるではないか。
ちなみにすでにアコニトは葉巻をくわえて、ぷかぷか煙を吹き出している。珍しく煙管ではない。
「ほぉれ、吸うんだぁ。なぁに、危険はないやつだぁ。安いが儂のお気にだぞぉ。嗜んでみぃ」
「まだ、吸っていい歳じゃないんだけど」
木村の発言に、アコニトが心底つまらなそうな顔を作った。
やれやれと言わんばかりに首を横に振る。
木村もわずかばかりに苛つき、火をつけることなく、葉巻を口にくわえた。
吸っている振りをしてみる。
「なにやっとるんだぁ、坊やぁ?」
ポカンと訳がわからんといった表情をアコニトにされ、木村も馬鹿らしくなった。
もうやめようと、くわえた葉巻に手をかけようとするがアコニトに止められてしまう。
「葉巻ってのはなぁ。火をつけて楽しむもんだぞぉ」
んなこたぁ木村だってわかっている。
ただ、吸ってる振りでごまかそうとしていただけだ。
「はぁ、坊やは葉巻の吸い方も知らんのかぁ。ほぉれ、くわえたまま息を吸えぇ」
アコニトの顔が徐々に、木村へ近づいてくる。
彼女がくわえた葉巻の赤く灯る先端を、木村のくわえた葉巻の先端にくっつけた。
木村は緊張で固まっていたが、アコニトは気にする様子がない。
なかなかつかんのぉともごもご喋っている。
ようやく木村の葉巻にも火が付いた。
息を吸っていたので、彼の口内から喉へ一気に煙が流れ込む。
予想外の奔流に木村は思わず咳き込んだ。
アコニトがその様子を見て、ニタニタと笑っている。ご機嫌である。
おっさんが木村へと形相を変えて寄ってきたのだが、大丈夫だと手で示し、距離を取らせた。
アコニトもささっと木村の背に隠れていたが、すぐに余裕の面持ちで出てくる。どうもおっさんが怖いらしい。
「坊やぁ。あの中年や若造、
「げほッ、ゴフッ、……え、うん」
中年はおっさんで、若造がウィル、杏林はペイラーフのことだ。
杏林は医者の別称であるが、木村はなぜペイラーフが杏林と呼ばれるのかわかっていない。
「あやつらの言の葉など何も坊やには響かんかっただろぉ、ん~?」
「……うん」
「素直だなぁ、ちぃとつまらんぞぉ」
アコニトは楽しそうな顔から、すぐにまたつまらないという顔に戻る。
「それで良い。『君は悪くない』、『元気出しなよ』など煙よりも軽い言葉じゃ。心どころか肺にすらガツンとこんであろぉ。儂がもっと心に残る言葉を贈ってやるぞぉ」
「はぁ、どうぞ」
木村は葉巻が心配になってきた。
臭いが同じだから、アコニトと木村が吸っているのは同じものだ。
危険はないと言っていたが、彼女の発言がけっこうおかしくなっている。大丈夫だろうか。
「坊やがこの郷の住人を殺した」
木村の呼吸が止まった。ヒュと変な音が喉から出てきた。
アコニトを見ると、アコニトも初めて見るほどの真顔で木村を見ている。
彼女の真剣な顔が恐ろしくなり、木村は息がなかなかできない。彼女はさらに続けて口を開く。
「帝都の人間も、神聖国の人間も坊やが殺した。『僕は悪くない?』 いいやぁ違うぞぉ。坊やがあの場にいなければ、あやつらは死ななかった。坊やが殺したんだぁ。自覚があるだろぉ。ん?」
「…………うん」
時間をかけて木村は肯定する。
まさに先ほど思っていたことだった。
「素直だなぁ。気にする必要はないぞぉ」
「え?」
「気にする必要なぞない。人など勝手にポクポク死んでいくものだぁ」
「いや、でも……」
「だがなぁ、忘れてはやるなぁ。わずかでも一緒にいたんだぁ。どんな奴だったかだけは覚えておけぇ」
アコニトは顔を逸らして煙を口から漏らしている。
どこか遠くを見て何か懐かしんでいる様子だ。
これが彼女なりの慰めだと木村も気づいた。
「うん。わかった。でも、意外だった。アコニトがそんなことを言うなんて」
「……坊やぁ。おぬし、狙われておるぞぉ」
アコニトがやや迷いがちに言葉を紡いだ。
思いがけない言葉に木村も黙って続きを待つ。
「坊やはこの世界の住人ではないだろぉ。元来、儂らを使役するような力だって持っていないはずだぁ。力を与えた存在がいることは間違いない。そのあたりは坊やだって気づいているだろぉ」
木村は言葉に出さず、ただ頷いてアコニトの言葉を肯定する。
小説サイトで出てくるような神の存在を、無神論者の木村ですら認めざるを得ないところだ。
異世界に飛ばされ、ソシャゲの力を与えられ、いわゆる魔法だってこの目で見てきた。獣人だっていたのだ。
「そろそろ自分がこの世界に連れてこられた目的なぞを、まじめくさって考えているんじゃないかぁ?」
木村はこれにも肯定する。
アコニトは人の感情に鋭いと思っていたが、鋭すぎて不気味になってきた。
「いいかぁ、言っておくぞぉ。連れてこられた目的なぞ真面目に考えるなぁ。考えてもいいが、絶対に『これこそが自らの役目だ!』なぞと思い込むなよぉ。それこそ、連れてきた奴の思うつぼだぁ」
まさに思いかけていた木村であった。
もしかして自分は「この世界の魔王的ポジションとして降臨させられたのではないか」と。
「どうしてわかるの?」
「儂がそうだったからだぁ」
ニタァとアコニトは嗤った。
体験談だった。一気に話の真剣さが薄まっていく。
「儂も東日向の神の一柱だからなぁ。力や地位を求める無知蒙昧な人間がわさわさ集まってくるんだぁ。選定という形で力を与えることだってあった。どういう奴を選ぶかわかるかぁ? 虚栄心が強く、声だけ異様に大きい奴だ。こういう奴はなぁ。よぉく踊ってくれる。『俺が選ばれた。俺が正義で、俺は偉く、俺以外みんな馬鹿。だから俺は何をやってもいいんだぁ!』となぁ」
何か思い出したようにアコニトはゲラゲラと笑い始めた。
「ひたすら自由気ままに力を振るわせてなぁ、最後に力を没収してやるんだぁ。面白いぞぉ。本人も周囲も予想を裏切らない!」
良くない神だろうなと木村は考えていたのだが、想像よりもずっと邪悪だった。
ただの薬中とかじゃなくクソだった。封神されて然るべき神だ。
「おい、他人事じゃないんだぁ。良く聞け。今の坊やが、そのときの人間に近いぞぉ。いいか、絶対に『自分の役目はこれだ』など思い込むなぁ。坊やはつまらなくて良い。坊やにやれる小さなことを淡々とやっていけぇ。それが踊らせる側に一番効く。儂が言うんだから間違いない。馬鹿な踊りをするのは、酒を飲んだり、葉っぱを吸った一時で良い。坊やは今のまま素直で面白みのないままでいろぉ」
アコニトなりの、おそらく彼女しかできない忠告でありアドバイスだった。
木村の薄情とも言える心がわずかに動かされた。
「ありがとう。でも、やっぱり意外だ。アコニトがそこまで気をつかってくれるなんて」
「なぁに。言っただろぉ。坊やは儂の獲物だぁ。儂が思ったように踊ってくれないとなぁ。訳のわからん奴に、慣れん踊りをさせられては横で見る儂がげんなりするんだぁ」
なんだか素直に喜べない木村だが、なぜか気持ちが落ち着いたことは確かだ。
葉巻をもう一度だけ口にくわえ、やはりむせかえる。
アコニトの下卑た笑い声が、初めて心地よく耳に残った。
獣人の郷が地図から消えて二週間が経った。
カクレガは寄り道しながらも少しずつ南東へ進んでいっている。
現実世界ではようやく第一回のイベントストーリーが終了になったと告知が来た。
木村としてはイベントストーリーよりもむしろ先週終わった第二回討滅クエストの方が記憶に鮮明だ。
鮮明と言っても嫌な方に鮮明だった。
討滅戦も二日目からは一体ずつの戦闘に変更し、行動パターンを研究しつつ、余裕を持って勝つことができた。
五連続で戦う場合は、あのやばい竜は出てこないことも確認した。
討滅クエストの最終日に、まとめて倒すことでまたもや出現させたが、力不足を実感させられる結果となった。
特にウィルが悔しがっていたのが木村には印象的である。
「神聖術はこういう相手にこそ有効であるはずなのに」と自らの力量の低さに拳を握っていた。
落ち込んでいた木村も、あろうことかアコニトに諭され、強くなることを決意した。
実際のところ強くなるのはキャラなのだが、木村も戦う意志を強くもつことが大切だと感じ始めている。
次の討滅クエストまでにコツコツと力を付け、彼なりに獣人たちの弔い合戦とすることを決めた。
さて、異世界ではすでに一週間前からイベントがなく非常に退屈だ。
デイリークエストも回数の制限があるし、訓練室は対策とシミュこそできるが、目に見えて力が付くわけでもない。
イベントとイベントの狭間。
ユーザーの離脱の大半がここでおこなわれるという――魔の空白期間である。
長すぎると当然やめてしまい戻ってこず、短すぎると疲れが出てやっぱりやめてしまう。
目安は一週間から二週間であるが、二週間はガチ勢が退屈になってやめる。
金を落とす層に合わせてこの期間は調整される。
運営の決めることに異世界にいる木村ができることなど何もない。
そうなると彼にできることと言えば、外に出て魔物を倒すことや食料の採取と散歩くらいである。
魔物もあちらこちらにいるわけではない。むしろパーンライゼ区域が異常だったくらいだ。
あの区域でもっと魔物を倒しておけばとやや後悔してすらしている。
「ダンジョンや迷宮みたいなものがあればいいんだけどな」
「ダンジョンとはなんだ?」
「ダンジョンは……、階層がたくさんあって、魔物がいっぱいいるところかな。道中でアイテムが落ちていたり、最奥にボスがいたりして。倒すと報酬が手に入るんだ」
「なるほど、試練の塔みたいなものか。――この世界にはないな」
「だよねー」
おっさんの返答に木村も少し落胆するが、予想はできていた。
しかし、横で聞いていたウィルが話に乗ってきた。
「ボスがいるかはわかりませんが、魔物がたくさんいる場所ならいくつか知っていますね」
例えば――とウィルがいくつか遺跡や洞窟の名前を出した。
木村も知っているバーンライゼ区域も出てきた。
「キィムラァ、ブリッジにアンテナを設置できるか? 魔物がいる地点を地図に表示できるようになるかもしれないぞ」
木村はさっそくカクレガの変更をするマシンへ移動した。
ブリッジの全面改装は無理だが、一部を改装するだけなら討滅クエストでも手に入った素材を投入すればいける。
さっそく一番安い索敵用のアンテナをブリッジに設置した。
丸いパラボラアンテナを考えていたが、最安はもっとしょぼかった。
家の屋根の上によくある魚の骨っぽいアンテナだ。それがぐらぐらと方向を変えている。
今にも倒れるか、折れてしまいそうで木村は心配になった。
性能もまったく期待できない。地上波すら受信できなさそうだ。
ちなみに良く見かけるこの魚の骨みたいなアンテナは八木式アンテナという。
見た目は悪いが、百年近く使われていることからも性能の良さがわかるというものだろう。
そんなことも露知らず木村は休憩室に戻り、おっさんやウィルのいる地図前に向かう。
「表示されるようになったぞ」
「おぉ、けっこういる」
おっさんが地図を示す。
デフォルメされた可愛げな熊のマークが地図のあちらこちらに出ている。
特にルートから少し外れた南側に大量の熊マークがあった。
「ここ、すごいいるね。ちょっと行ってみよう」
カクレガの進路が変わり、ゆっくりと熊マークに近づいていく。
木村がメンバーに声をかけ、彼らも準備を始めた。
魔物狩りの時間はまもなくだ。
25.狩り
木村はカクレガから出た。
大量の熊マークの中心で周囲を見渡す。
「いないね」
場所は渓谷である。左右を異様に高い崖に挟まれていた。
谷間の部分を川が通り、やや暗めの雰囲気を感じる場所である。
「陰気なところだのぉ」
アコニトが口にして、ゾルも無言で頷いた。
今回はアコニト、ゾル、セリーダ、ウィルの攻撃三、補助一だ。
セリーダが全員に補助をかけ、各々が得意な攻撃に専念し、大量の魔物を一気に狩りつくす寸法である。
「こんな陰気なところに住まう魔物なぞ、気性も暗く、図体の小さな臆病者に違いないぞぉ」
アコニトは一人でゲラゲラ笑って先に進む。
木村も進もうとしたが、ウィルが手で木村の行く手を遮り、おっさんが木村の肩に手を置いて動きを止めた。
「すぐに戻りましょう。神気が異常です。屍竜より遙かに大きい」
「そうだな。帰るべきだぞ、キィムラァ。ここはまだ早いな」
この二人が戻れというなら木村としても反対などない。
一方で女性陣は話を聞かずどんどん突き進む。
「ほぅれ! 出てこんか根暗どもぉ! 儂の遊び相手になってくれぇ!」
風を切る音が聞こえたと思うと、アコニトの正面に岩が落ちてきた。
よく見ると岩ではない。毛も生えており、動いているし、丸くぎょろりとした目がこちらを見ている。
大きな――とても大きな熊だった。
足どころか爪だけで木村と同じくらいの大きさがある。
「……おおっとぉ。いかんなぁ。儂、ちぃと用事があったんだったぞぉ」
アコニトが振り返り、木村たちの方へと歩いてくる。
木村としては「こっち来んな」だが、彼女はそんなことにかまいはしない。
「なぁんてなぁ! 隙ありぃ!」
アコニトが巨熊と距離を取ってから、全力と思われる毒霧を吐き出した。
“毒無効”
久々に見た文字列である。
アコニトにとっての絶望だが、彼女にこの文字列は見えない。
巨熊が腕を上げた。木村は一歩後ずさる。
アコニトは熊が腕を上げたのを、苦しみの合図と判断し、顔に笑みを浮かべた。
ここから先は書く必要もないと思われるが、彼らの反省を活かすべきとしてあえて書き記しておく。
常にプレイヤーが狩りを楽しめる立場にいると考えるべきではない。
時に、ひたすら楽しく暴れるのがモンスター側のときもあるのだ。作者も最近体験した。
上げられた巨熊の腕が、アコニトを薙いだ。
あまりにも一瞬過ぎて木村にはよく見えてなかった。
気づいたら腕は振られ、アコニトも姿を消してしまっている。
なお、アコニトは川の水面を水切り石のように小刻みに飛び跳ねながら対岸へ行き、さらにそのまま崖にぶつかり埋まった。
木村が気づいたときには、崖から彼女の尻尾が生えている状態だった。
「カクレガに入るんだ」
すでにおっさんがカクレガを開き、逃げる準備を整えている。
木村とウィルが、やや離れていたセリーダの腕を両側から引っ張って一目散に逃げ出す。
熊が雄叫びを上げた。
あまりの音に木村とウィルが足を止める。
わずかな沈黙の後に、岩のような巨熊が雨のように次々と地上に落ちてきた。
カクレガは完全に包囲された。
全ての熊が叫びを上げて、カクレガに向かってきている。
大きな図体に似合わず、動きが速すぎる。
「行って! 時間を稼ぎます!」
ゾルが叫び、鎧をフルにして熊に向かう。
木村がふりかえって彼女を見ると、ちょうど彼女の鉄骨剣が熊を殴ったところだった。
熊は鉄骨を体に受けてもびくともしていない。
そのまま巨熊が腕を振るい、ゾルが地面に潰された。執拗に攻撃を加えられている。
木村たちは間一髪で逃げることができた。
熊たちは臭いどころか魔力まで辿っているのか、ひたすらカクレガを追跡し、地面を攻撃してきていた。
渓谷が見えなくなるようになって、ようやく熊は追跡をやめた。
木村は生きた心地がしなかった。
反省会である。
地図の前に立って、熊のシンボルを見ると、シンボルが真っ赤に染まっている。
色はどぎついのだが、可愛げなマークなのがずるいと木村は思う。
地図に名前が書き込まれていた。
ダ・グマガ渓谷と呼ばれるところだったらしい。
「めちゃくちゃ強かったね。なんだあれ」
「あんな場所は僕も初めて知りました」
あんなに強いのに知られてないってのは不思議だと木村は感じる。
一匹だけでもやばいのに数十匹はいた。しかも群れになって襲いかかってくる。
「おそらく近づいた人は全て殺されているんじゃないでしょうか」
さもありなんと木村も納得する。
鼻もかなりよさそうだったし、執念深さを感じた。
問題はこのマップだ。
魔物の位置はわかるが、強さが出会うまでわからない。
たまにソシャゲでも序盤マップに終盤並の強敵が配置されているのだが、まさにそれを体験した。
ちゃんと距離を取って確認して、強さを見極めてからじゃなければ駄目だ。
怠るとこちらが狩られる側になる。先ほどのように。
「儂、熊に会ってからの記憶がないぞぉ」
アコニトが首を捻って、休憩室にやってきた。
崖に埋まったまま無事に死ねたようだ。彼女にとって幸せなことである。
「一番危険なのが儂と判断したかぁ、敵ながら良い判断だぁ」
熊は毒無効なので、アコニトは何の脅威にもならない。
せいぜい自爆くらいか。
「……すみません。一体も倒せませんでした」
「あれは相手が強すぎたよ」
ゾルが申し訳なさそうに謝ってきたので、木村も慰めておく。
慰めるというよりは、ただの事実確認であった。
「あいつらを集めてから自爆ならいけるかな?」
「倒しきれないでしょう。神気の密度が桁違いでした。一体一体が試練の塔にいたどの魔物よりも遙かに上です。奥からはうっすらですがもっと強い神気を感じました。僕たちでは手が付けられません。教授案件です」
試練の塔で、現状挑める最上階の魔物も、スペシャルスキルと自爆を入れても倒しきれない。
あれよりも上となれば、今の段階では諦めるしかなさそうだ。
しかも奥にもっとやばいのがいるって……。
木村は大人しく進路上の近くにいる魔物を、ちょこちょこ倒していくことにした。
カクレガの改造も住居方面から、いよいよ戦闘方面に振っていく必要が出てきたと木村は感じている。
特にブリッジのものは、戦闘を有利に進めるものが多そうだ。
焦っても仕方ない。少しずつ強くなれば良い。
ダ・グマガ渓谷の最奥に一体の熊人がいた。
「昼、何? ル・ガダナ、絶呼」
途切れ途切れの単語で、熊人が近くの熊に声をかける。
熊人は地面に座ったままでけだるげであった。
「人、侵入、迎撃、消失」
熊人よりも遙かに大きな熊が、傅き敬うように報告した。
「侵入? 消失?」
「是」
「殺?」
「不可殺」
「……逃?」
「是。地走」
「地走!」
熊人が立ち上がった。
その顔には楽しげな様子すら見て取れる。
巨体の熊はますます縮こまるのだが、体を小さくしても熊人よりずっと大きい。
「消失、方角行方?」
「東南東」
「我征、唯一」
熊人が渓谷の中を歩き出す。悠々と、堂々と。
全ての巨熊が渓谷にて、熊人の出立を叫びで示した。
大切なことなので繰り返させてもらう。
常にプレイヤー側が狩りを楽しめると考えるべきではないのだ。
時に、狩るのがモンスター側のときだってある。
狩られる側は木村たちに他ならない。
26.資金不足
カクレガの休憩室でソファに腰かけ、木村はため息を吐いた。
「はぁ……」
テーブルの机の上に置かれた金色の物体を見るが、見たところでどうしようもない。
多くのソシャゲにおいて、強くなり始めたあたりで必ずといってぶつかる問題に彼もまた直面していた。
「お金がない」
ずばり金欠である。
開始時は、運営がサービス記念で馬鹿みたいにばらまく。
プレイ開始当初は、諸々の費用が安いため、お金に困ることが滅多にない。
しかし、プレイを続け、徐々に強くなってくるといつの間にかお金がないことに気づく。
実はだいたいの強化や改造には、素材と一緒にお金が消費されているのだが、微々たるものとして木村は気に留めていなかった。
ところが強化が進むにつれ一回のお金の消費も増えて、気づけばお金がテーブルにチョロチョロと転がるくらいしか残っていない。
特に討滅クエストで、メインキャラを最大まで強化したのがまずかったと見える。
しかも悪いことに、カクレガにいるキャラも飯を食う。
カクレガでも一番上のフロアで食べ物を作っているが微々たるものだ。
遠征枠も一つ増えたので、余ったキャラを遠征に行かせて減らしたが、それでも食料の消費に生産が追いつかない。
アイテムだけでは賄いきれず、外でも採取をする必要が出てくる。
外で買うことを視野に入れる必要があった。
ここでさらにまずいことに、テーブルのお金はあくまでソシャゲ内の通貨だということだ。
異世界での通貨とはまた別物である。
異世界の村や町で食料やその他物資を調達するためのお金もない。
木村も現代の知識を利用して、何か発明しようと思ったが、木村に生産職的な知恵は何もなかった。
「――という訳で、今日はカクレガの軍資金について話し合うぞ」
お金の転がるテーブルを囲むように、五人が腰をかける。
おっさんが議長となって、第一回カクレガ軍資金調達会議が始まった。
会議メンバーは五人
一人目が、異世界人代表かつ魔法にも詳しい、最近は製造室が自室――ウィル。
二人目が、カクレガの常識人、医療なら彼女に任せろ――ペイラーフ。
三人目が、いつでもどこでもすぐそばに――おっさん。
四人目が、何の力にもなれない木村。
五人目は、おまけのテイ。
始まる前から駄目そうだ、と木村は思っている。
まず彼自身が会議になれていない。ごくまれに会議に呼ばれるが終始無言を通していた。
最後の「賛成の方は挙手をお願いします」で、手を挙げるのが木村の役割だ。
「まず僕から言わせてもらいます。これは製作室で、僕が作った武器です」
前にも見た、ウィル謹製の水晶玉と木の棒をヒモで留めただけの棒である。
「立派な杖だな!」
「そうでしょう。これなら十分にお金になります」
ウィルもおっさんに褒められ、鼻高々である。
話は以前にも聞いている。見た目こそ子供の遊びだが、性能はすごいようだ。
確かにアイテム表示で確認すると、杖として認識されているし、魔法攻撃にプラスの数値が付いている。
「問題は、この杖の価値をわかる人がいないことです。この付近は魔法をメインで使う人があまりいないんです」
ここはまだ獣人の闊歩する領域だ。
彼らは魔法ではなく、戦技だか術技だかという技で戦っている。
木村にとっては似たようなものに見えるのだが、ウィルは違うと話す。
とにかく獣人たちは剣や弓、拳と、飛び道具はせいぜい矢や投石と魔法にさほど縁がない。
「仮にわかる人がいても、この杖に見合ったお金は出せないでしょう。少し大きな街に出ればまた別でしょうが……」
今のところ、獣人たちの集落は何度か見たが、どこの集落もお金があるようには見えない。
杖に価値を見出してくれても、払えるほどのお金はないだろう。
製作室で別のモノが作ることはありかもしれない。
こうしてウィルのターンは終了した。
「あたしができるのは診ることと、苗を渡すことだけだね!」
カクレガの外部収入はほぼペイラーフである。
彼女は医療スキルがあるので、だいたいどこの集落にいっても腐ることがない。
加えて、花を育てることが趣味なので、医療用の材料になる苗を渡すこともしている。
治癒と苗により、お金と食料を稼いでいた。カクレガの財布は彼女が握っているといっても過言ではない。
「あたしもずっといられるわけじゃないからね。あまり過度な治癒を施すのは気が引けるよ!」
彼女の治癒スキルは、この異世界においてレベルが高すぎる扱いのようだ。
どこかの集落では神としてまつりあげられ、危うく残るハメになりそうなこともあった。
権力者などに目を付けられればたまったものじゃない。
苗はまだ可能性があるとして候補に残した。
ペイラーフの話は終わった。
「やはり魔物退治だろうな。一番手っ取り早く、一番わかりやすい」
脳筋的な発言は議長のおっさんから発された。
ただ、端的でわかりやすいし、上手くいけば早く済む。
ブリッジに設置したアンテナのおかげで、魔物を探すのは割と簡単だ。
討伐の依頼が出て、倒すことができれば報酬が出る。
問題は討伐の依頼が、こんなわけのわからない木村たちに出るかということ。
ついでに倒した時の証拠が見せづらい点だ。
仮に依頼が出たとして、木村たちが魔物を倒して出てくるのはアイテム箱だ。
確かにアイテムは手に入るのだが、異世界の人たちが倒した時のように死体が残らない。
倒した証拠を提示するのが難しくなる。アイテムがそのまま証拠になればいいが、牙とかならまだしも肉とか臓器を見せられても相手は困るだろう。
「倒した時にアイテム箱じゃなくて、中身が見える小さい容れ物ならいいのになぁ」
「どういうことだ?」
「今って魔物を倒した時にアイテム箱が出るでしょ。アイテム箱を持っていって、依頼してきた人に見せても、そもそもこの世界の人じゃアイテム箱が理解できないし、中身も該当の魔物を倒したものか理解してもらえるかわからない。アイテム名も出てきて、中身が見える小さな器とかだと、持ち運びも楽になるし、そのまま見せれば討伐の証になるからさ」
「なるほど。――おもしろい意見だな」
おもしろいかどうか木村にはわからないが、そうなったら討伐の話は楽になる。
今だとドロップアイテムが、討伐の証になるものじゃないと難しい。
もちろん倒すところまで一緒に行けば話は別だろうが……。
「テイはね。服や手袋、マフラーを作るのが得意だよ!」
ペイラーフのおまけで来ていたテイが手を挙げて発言した。
意見が出尽くし、場が少し膠着していたので、テイの健気な発言にみんなの頬が緩んだ。
「テイにも作ってもらうかもしれないね」
「うん、任せてよ!」
テイは元気よく頷き、席を離れて廊下に出て行った。
テイと入れ替わりにアコニトがやってくる。
「ん~? なんだぁ雁首揃えてぇ」
「資金稼ぎの会議してる。アコニトは何か良い案がある?」
「駄目だぞ。キィムラァ、聞く相手を考えるんだ。働かざる者食うべからずの代表格だぞ」
ボロクソだったが、アコニトはちゃんと戦闘で働いている。
彼女は一応ただ飯を食ってるわけではない。なんなら彼女よりも何もしていないキャラもいるのでその発言はかなり危ない。
「金というのはなぁ。人間があくせく稼ぎ、それを形あるものに変え、儂らに貢ぐものだろぉ。なぁぜ神たる儂が考えねばならんのだぁ?」
ボロクソに言われた方も相当な思考の持ち主であった。
そういやこれでも神だったなと木村も思い出す。しかも邪神の位置だ。
「だがなぁ。今日の儂は機嫌が良い。下々の民草に案を授けようぞぉ。おい、杏林。うぬの土に儂がやった種を植えただろぉ。そろそろ芽は出たかぁ? あれは乾燥させれば良い値で売れるぞぉ」
「は? あれ、まさか……」
ペイラーフが何かに気づき、席を立って唖然としてアコニトを見る。
見られたアコニトはにんまりとペイラーフを見返した。
「クソッ! あんた、あたしの園に汚いもんをッ!」
珍しくペイラーフが本気で怒っている。
アコニトはその反応を見てニタニタと非常に楽しそうだ。
「冗談だぁ。あれはただのタバコ。汚くないぞぉ。坊やぁ、この前吸っただろぉ。あれさぁ。育てやすい割に、良い香りを――」
「抜いてくる!」
「……えっ、ま、待てっ」
ペイラーフがアコニトの言葉を最後まで聞くこともなく廊下に出て行った。
アコニトも焦ったように、ペイラーフの後を追う。
木村としてはペイラーフの反応は当然だと思うものの、あの葉巻は思い出深いので残しておいて欲しいという微妙なところだ。
介入するのも面倒なので当事者たちの判断に任せることにした。
十中八九、抜かれることになるだろう。
会議の参加者が三人になったところで会議は自然と解散である。
とりあえず、できることをやっていくというどうしようもない結論で会議は終わった。
何の解決にもならないジャパニーズ無駄会議が、異世界にまで入り込んだ記念すべき瞬間である。
翌朝のことである。
休憩室で木村とウィルが話をしているとテイとおっさんがやってきた。
「見て見て! 上手にできたよ! これなら売れそうでしょ!」
彼女の手には帽子ができていた。
暖かそうな毛で出来ており、柔らかくしなやかである。
「すごい。これほんとにテイが作ったの?」
「うん! すごいでしょ! おじさんにも手伝ってもらったよ!」
「うむ。手伝ったぞ」
本当にすごかった。
サイズはやや小さめだが、店で売っていてもおかしくない。
おっさんも絶賛しているし、ウィルも手放しで帽子を賞賛している。
木村はおっさんがいったい何を手伝ったのか気になったが、今は尋ねないことにした。
「ああああああああああ!」
木村たちが帽子についてわいわいと話していると、遠くで叫び声が聞こえた。
だいたいこういう声は100パーセントアコニトだ。
こちらから行く必要なんかない。
ほっとけば来る。
「大変だぁぁぁ! 大変なんだぁああああああ!」
案の定、アコニトがやってきた。
扉を蹴破って、顔を真っ青にしている。
本当に大変な様子だが、何かが足りないと木村は思った。
「儂の! 儂の尾が! 起きたらこんなことに!」
アコニトが横を向いた。
木村も何がおかしいのかようやくわかった。
「尾の毛が! ないんだぁああああ!」
彼女を象徴する九本の尻尾。
正面からでも溢れてかえっていたもふもふの毛がなくなり、禿げ散らかしている。
木村はなんとなく毛がお尻から直接生えていると錯覚していたがそんなことはない。
細めの尻尾が九本あり、それぞれから大量の毛が生えていたのだとわかる。
お尻から細い尻尾がにょろにょろ生えているのはなんだか気持ちが悪い。
玉葱のひげ根がこんな感じだった。本数が少ないぶん、余計に寂寞の感が抱かれる。
なんというかゲームでも見たことがあった。
玉葱頭に、顎から髭が数本生えた気持ち悪い敵がいたはずだ。
コズミックホラーとかに出てくる奴だった。
アコニトの尻がコズミックホラーである。SAN値が下がりそうだ。
「なぜだぁああ! なぜこんなことになっておるんだあああ! 儂の! 儂の自慢の尻尾がぁ! ああああぁぁぁ!」
アコニトは全力で泣いていた。
寂しげな尾を大事に抱きかかえて、床に崩れ落ちる。
彼女が尻尾を大切にしていることは木村も知っている。ちゃんと毛繕いもしていた。
笑ってはいけない場面だろうが、木村は笑いが抑えられそうにない。
ごまかすように隣を見ると、ウィルの顔は固まっている。
「おねえちゃん、元気出して! ほらこれ!」
テイが彼女の力作の帽子をアコニトにかぶせる。
サイズも小さく、耳もあるのでうまくはまらないが、彼女の耳が帽子で隠れた。
ふと――帽子の色と、彼女の毛の色がよく似ていることに木村は気づいてしまった。
「あの……、テイ。もしかしてなんだけど、その帽子って」
「うん! おねえちゃんの毛から編んだんだよ。おじさんも刈るのを手伝ってもらった! ね!」
「量が多くて大変だったな」
「だね! 大変だったけど楽しかったよ!」
「ああ。また刈ろう」
「うん!」
テイとおっさんはにこやかだ。
邪気などない。
なんというか、これまでで一番ひどい仕打ちじゃなかろうか。
彼女の大事にしている尻尾を刈り、帽子にしたあげく、本人にかぶせる。しかもサイズがあってないし、耳の穴もない。
「こ、このガキぃ! なんと、なんということをしてくれたんだああああ! あああああぁぁっ、あ――」
アコニトがテイに襲いかかるが、おっさんに一撃で意識を飛ばされた。
意識が飛ばされている間、カクレガは村につき、それぞれが金策に走った。
アコニトの尻尾から出来た帽子も無事に売れたのだ。
彼女の夜ご飯分にも満たない金額で安く買いたたかれてしまったが……。
ペイラーフはアコニトの尾と、彼女のひどく落ち込む様を見て、タバコの葉を園に残してくれた。
「大きく、大きく育つんだぞぉ……」
残されたタバコの芽の前で、毛のない尾を抱えたアコニトが静かに佇んでいる。
彼女に声をかけられるものは誰もいなかった。
弱い風で芽が揺れた。尾も揺れる。
だが――、
揺れる毛はもうない。
27.迷子
イベントのない期間が十日も経った頃だろうか。
朝、木村が休憩室にやってくると、おっさんとウィルが地図の前にいた。
「おはよう。……どうしたの?」
挨拶を軽く済まし、木村は何があったのかを尋ねた。
この二人が、そろって地図の前にいることなど滅多にない。
ウィルは製作室で図画工作に夢中で、おっさんはどこかを散歩している。
「見るんだ、キィムラァ」
おっさんが地図を指さす。
カクレガの赤い印が点滅し、その右下――南東に大きな町のアイコンがついていた。
「テファネル丘陵の都?」
書かれた文字を木村は読んだ。
どうやら次の目的地が明らかになったようだ。
「テファネル丘陵の都を、僕は本で見たことがあります。獣人が支配する街の中では最大級と書かれていました。こんなところにあったんですね」
木村は嫌な予感を覚えた。
帝国にしろ、神聖国にしろ、どちらも爆心地は中心都市であった。
次に滅ぶとすれば、その獣人が住まうテファネル丘陵の都になるのではないか。
「行ってみたかったです」
「……ん?」
要領を得ない発言に木村は戸惑う。
次はテファネルの都に到着するぞという話の流れではなかったのか。
「進路が変わったんだ。カクレガをよく見るんだ」
おっさんが地図上のカクレガを指さす。
「ほんとだ」
カクレガの赤点は、進路を直角に変え、南東ではなく南西に動いている。
その方向の地図はまだ真っ白のままだ。
ピッピコーン!
朝っぱらから聞きたくもない音を聞いてしまった。
ウィルもこの音に悪い印象を抱いたようで、彼が顔を引き攣らせたのを木村は見逃さない。
木村やウィルの心の内など知ったことじゃねぇと言うように、おっさんがにっこりと顔をほころばせつつ手紙を差し出してきた。
「“イベント「しゃぼん玉われた」開催予定!”」
どうやら第二弾のイベントが開催されるようだ。
開始は三日後であり、カクレガが進路を変えた原因もわかった。
ただ、イベントの名前が前回にもいやまして暗い。
前回と違い、難しい漢字を使ってないし、意味もはっきりとわかる。
意味がわかってしまうので、もうタイトルからして嫌な気配を感じさせてくる。
本当のメインストーリーがどんなものなのか木村は気になっている。
すごい暗い話が続いてるんじゃないだろうか、と。
あるいは逆にとても明るいかだろう。
メインストーリーとイベントストーリーは対照的なことが多い。
メインが暗ければ、イベントストーリー明るくはっちゃけており、メインが明るいならイベントはシリアスな傾向だ。
両方とも暗いというならシリアスで物語を読ませる傾向になるはずだが、イベントの話がおもしろくて仕方ないということもなかった。
そもそも木村は、メインもイベントもストーリーを追わない人間である。
戦闘がおもしろくて、キャラが可愛いならそれで良い派だ。
周回も楽で、ガチャがたくさん引ければなお良い。
もしも現実で、木村がこのソシャゲをしていたらどうなっていただろうか。
三日を待たずにアンインストールしていたに違いない。
特に最初はガチャがひどすぎた。
カクレガは南西に進んでいく。
具体的にどこへ向かっているのかも、何が起こるのかもわからない迷子状態である。
ただ、碌でもなくいことが起こるという確信だけが木村にはあった。
―― ―― ―― ――
さて、迷子になっているのは木村たちだけではない。
木村たちを追っていたダ・グマガ渓谷の熊人――グ・ザマヒもまた迷子である。
彼は南東に自身が駆ければ、すぐに対象へ辿り着けると考えていたのだが、すでに数日が経過してしまっている。
頼りの匂いがたどれない上に、魔力も探査することができない。
さらにカクレガは昼夜休まず動き続けている。
瞬間速度こそさほどないが、そこそこ速い速度で安定して進んでいく、加えてステルス性能が異常に高い。
熊人はすでに追うことに飽きて、帰ろうかとも何度か考えた。
しかし、せっかく渓谷の皆に鼓舞され外に出たのに、手ぶらで帰ったのでは彼の矜持が許さない。
それにときどき現れる謎の祠や塔で、対象の痕跡が見受けられることがあったのも彼を引き返すきっかけを失わせた。
彼自身も渓谷を離れ、こんなに遠くへ来たことは初めてである。
これ以上は帰るのも億劫になると考え、今日一日だけ追いかけて駄目だったら諦めようと考えている。
そして熊人ことグ・ザマヒは、テファネルの都にたどり着いてしまった。
ここまで来る間に、外の人の住処を彼は何度か見つけた。
さほども興味がなかったので無視していたが、このテファネルは雰囲気が違う。
他の住処よりもずっと大きく、見るからに人も多い。
なにより武具を手にした人が入口に数多く立っている。
ダ・グマガ渓谷で生まれ育ったグ・ザマヒは、他の個体と自らが違うことを理解している。
他の個体が、それぞれ強い縄張り意識を持つのに対し、グ・ザマヒはさほど縄張り意識がない。
入ってくる存在を排除しなければならないともさほど思っていない。
むしろ侵入者などあまりにも珍しいので、排除する前に自分を呼んで欲しいと思っているくらいだ。
「そこのお前! 止まれ! 止まらんか!」
獣人の兵士たちが、無造作に近寄ってくるグ・ザマヒを怒声と武器によって止めた。
グ・ザマヒも、言葉がうまく聞き取れてはいないが、彼らが自分を制止しようとしたことはわかった。
「何者だ? どこから来た?」
「ダ・グマガ谷」
ガ・ザマヒは最初の質問が聞き取れなかった。
次の質問で出身地を聞かれたことはわかったので答えた。
兵士は「は?」と顔をした後に、グ・ザマヒの姿を見直した。
身につけているものは、何かの魔物の毛皮だけである。
熊人に見えるが、体格が兵士よりもずっと大きい。
ダ・グマガ谷というのも兵士には聞き覚えがあった。
北西にある帰らずの渓谷が、正確にはそのような名前だったと記憶している。
「何かダ・グマガから来たという証はあるか?」
グ・ザマヒは首をかしげた。
うまく聞き取れていないだけであるが、見下ろされる兵士は恐怖を覚えている。
獣人である兵士は、狩られる側の恐怖が無意識的に生じた。
「我見欲、門内」
よく聞き取れないので、グ・ザマヒは彼の希望を告げた。
せっかくここまで来たので門の中が見たい。
もはやグ・ザマヒは、彼が何を追っていたのかどうでもよくなっていた。
都の中の方がよほど土産になる話だ。追っている対象も中にいればなお良いというもの。
「待て。しばし待て」
兵士の対応はマニュアルから外れたものであるが、彼は彼自身の生存本能に従い行動をしている。
彼は状況を説明するため、石の門扉のすぐ横に備え付けられた屯所に走って行く。
一方のグ・ザマヒも本能で行動している。
目の前の大きな石の板が、ゆっくりと動く光景が彼には新鮮だった。
手を触れずに物を動かすのは、彼の力に通じるものがある。ただ、これくらいなら押した方が速いだろう。
グ・ザマヒは自らの身長よりも数倍以上はある石の門扉に近づき手を当てた。
周囲の兵士は彼が何をしているのかわからず、田舎者とあざけりつつその光景を見ている。
石の門扉は、力学の仕組みにより動いているだけであり、獣人の戦技やスキル、魔法も使われていない。
戦技や魔法であっても、この石の門扉を開けることなどかなわない。
数多の侵略者を食い止めた壁である。
その壁から異音が生じた。
仕掛けの壊れる音なのだが、誰も聞いたことがないので何の音なのかわからない。
扉が仕掛け以上の速度で動き始めた。
しかも閉じようとしている方向と、逆の方向に扉が動きつつある。
数十年もテファネルの都を守った門が、一人の純粋な力によりこじ開けられつつある。
周囲の兵士も理解が追いつかず、門が開かれるまで誰もその場を動くことができなかった。
指揮官ですら、言葉を失って何も指揮をすることができない。
石扉を開けっぱなしにし、グ・ザマヒは都に足を踏み入れた。
沈黙を続ける兵士たちにかまうことなく、グ・ザマヒはテファネルの街並みを見つめる。
「多大、多精緻……。」
初めて見る大きくそれでいて精巧な街並み、色鮮やかな服を着こなす人々――、人が人らしく生きるための文化的な光景に、原始的な彼は興味が尽きない。
もしも彼がこの都に興味を失ったとき、この都がどうなるか?
テファネルの歴史は岐路に立たされていた。
28.イベント「しゃぼん玉われた」1
テファネル丘陵の都は、丘陵という文字どおり丘の斜面に築かれた都市である。
以前は独裁がおこなわれていたが、現在は五大民族の各代表による合議制が敷かれている。
長き戦いの歴史の結果、ここ数年は大きな戦もなく、穏やかな時が流れていた。
穏やかな時代でも騒乱を求める人間は存在する。
ティガー族のヴンデもその一人である。
ティガー族は虎の因子を継いでおり、強靱な肉体、しなやかなバネを持ち、さらにここに術技が加わる。
ヴンデもティガー族の代表として、戦闘に必要な全てをその身一つに備えていた。
今が戦乱の時代であればヴンデは英雄であっただろう。
しかし、時代は平穏そのもの。
必要なのは金の儲け方と、問題の調整能力である。
ヴンデの力は、時代により腐りかけていた。戦乱こそ彼の求めるものだ。
平穏に至りすぐティガー族は五大民族から外され、数多くある民族の一つという立ち位置になった。
戦になれば、彼は彼自身の力でティガー族を五大民族、いや、さらにその上へと押し上げる力があると思っている。
いささかうぬぼれてはいるが、彼の個としての戦力は周辺地域において突出しているものであった。
あくまで併合している周辺地域では、と条件が付く。
彼の地位と血が、戦いを求めていた。
北西方向にはまだ併合していない民族が多くある。
彼らを併合すべく軍を進出させるべきと、今日も議会へ出兵案の提出をしてきたところだ。
今回の出兵案は、通る確信がヴンデにはあった。
何度か却下された今までの案と違い、明確な出兵メリットも書かれている。
さらに五大民族のうち、三民族とはすでに話をつけてある。
後は上の決定を待つだけだ。
近く出兵がおこなわれ、ヴンデは英雄となる。
これは代え難き運命であった。
彼の中では、だ。
血に塗れた英雄となるはずのヴンデが、都に足を踏み入れたグ・ザマヒと出会ったのは、そんな日のことだった。
まぁ、なんだ。
だらだらと説明を続けたが、結論を先に言ってしまえば、今日がヴンデの命日ってことになる。
彼とごくわずかな損害によって、出兵案は議論もされず即日却下される。
余計な命の損失がなくなった記念すべき日でもある。
ヴンデ氏は平和の英雄になれたのだ。
めでたしめでたし――と終わりたいところではある。
しかしながら、平和を築いた英雄の存在を忘れず、後世に伝えゆく義務が残されたものたちにはあるはずだろう。
故に、平和の英雄――ヴンデ氏の最初で最後の英雄譚をここに載せる。
グ・ザマヒは都に入ると、下からの景色を一通り楽しみ、次は上から見ようと建物の上を飛び跳ねて駆け上がっていった。
兵士たちは最初こそ多かったが、彼の飛び跳ねる膂力について行けず、たった数人が残るだけである。
その中には最初にグ・ザマヒを大声で止めた兵士もいる。
「多美的建築」
グ・ザマヒが街並みを、丘の高いところから見下ろす。
彼の住むダ・グマガ渓谷には建築物などない。みな岩場に穴を掘って生活している。
外の人間が家をこさえて生活するのは彼でも知っている。
建築物など無駄な労力と彼は思っていたが、ここまで整然と並んでいるとまた別の思いが生じる。
外の人間が非力であることは知っているが、脆弱な彼らはグ・ザマヒと彼の家族たちにはできないことを成し遂げることができている。
ダ・グマガの全力を結集してもここまでの景色を作ることはできない。
他人の為す力を認めるだけの度量が、グ・ザマヒにはあった。
テファネルの街並みを美しいと彼は捉えている。
「なんだお前は?」
屋根の上から町を見下ろすグ・ザマヒに、下の道からヴンデが誰何を投じた。
グ・ザマヒはヴンデを一瞥したが、さほど興味もないのですぐに彼の気に入った街並みに目を戻す。
狭量なヴンデは、彼を見下ろしたダ・グマガが気に入らなかったし、ヴンデに興味もまったくなさげな様子だったのがさらに気を悪くした。
「ヴンデ殿!」
兵士らがヴンデの方に駆けてきた。
ヴンデは、軍や治安部隊には非常に顔がきく。
兵士はやっと闖入者を止めうる存在がいたことに安堵した。
兵士は、ヴンデに事情を説明した。
ヴンデは自らの都合の良いように話を捉えた。
ダ・グマガ渓谷という場所をヴンデは知らない。
しかし、その渓谷が北西にあり、彼が提出した出兵案の矛先にあるということ。
さらに渓谷出身の闖入者が、歴史ある石扉を壊し、都に不法に侵入した罪人であること。
これらの事実こそがヴンデにとっては重要であった。
門を壊したということを、ヴンデは可動機器を破損させた程度に受け取っていた。
ただ壊したことは事実であり、不法に侵入したというのも同様に事実なので彼は細かい点を気にしない。
「聞け! テファネルの同胞よ!」
ヴンデは、集まってきている野次馬に向き直る。
「そして見よ! あそこに見えし蛮族は、テファネルより北西にある集落から出てきたという! 奴は歴史ある西の石扉を破壊し、今もなおテファネルを泥まみれの足で踏みにじっている!」
踏みにじっているのは民家の屋根である。
門扉についてはごもっともなので、全体としてはおおむね間違ってはいない。
「あのような蛮行を許しておいて良いものか! 否! 良いわけがない! 我らティガー族は北西にいる蛮族を駆逐すべく、軍を出すよう議会に案を出した!」
野次馬も「おおぉ!」と声を上げた。
別に出兵案に賛成しているわけではなく、数年間退屈だっただけにこのようなイベントを面白がっているだけにすぎない。
「我らテファネルは、ますますこの地の中心としてあり続けるのだ!」
のりのりなヴンデの演説に、野次馬も声をあげた。
これも彼に賛同するものではなく、ただの賑やかしである。民衆とは無責任なものなのだ。
「貴様。騒、閉嘴」
ダ・グマガは静かに街並みを見下ろしたいのだが、あまりにもうるさい声に辟易していた。
そのため、彼は下で騒ぐ男に声をかけた。
うるさいから黙れ、と。
「蛮族はまともに言葉も発せないようだ! テファネルの民よ! 刮目せよ! ティガー族のヴンデが如何に蛮族を平定するのか。その一端を今から諸君らに見せる! どうか伝えて欲しい! ここに立つことのできなかった諸君らの家族に、友に、同僚に! テファネルの先陣にヴンデあり、と!」
ヴンデが拳を上げると、民衆もおもしろがって手を叩いた。
あまりにもうるさくて仕方ないので、グ・ザマヒは景色から目を外し、屋根から地面に下りた。
「ようやく下りてきたか! だが、今さら泣きついても遅い! テファネルにティガー族あり! ヴンデあり! よく覚えてもらおうか!」
ヴンデは術技を発動させた。
彼は術技を使わずともたたき伏せられると考えている。
しかし、この戦いを見た人の記憶に残るよう、より派手にこの蛮族を倒すことにした。
「テファネルの御霊よ! 我に宿れ!」
言葉は無駄に仰々しいが、効果だけ抜き出すと雷の属性付与である。
これにより、ヴンデは身体に雷を纏う。
見た目も派手になるのだが、身体能力にも明らかな効果が生じる。
反応速度も、攻撃能力も桁違いに上昇する。さらに魔法とはプロセスが異なるため、燃費が遙かに良く、彼の力なら戦闘中は常に雷の力を宿すことができる。
これを纏ったヴンデの戦闘はまさに紫電一閃と呼べるものであった。
ただ、あまりにも速すぎると見る側に伝わらない。
ぎりぎり彼らが見極めることができる速度で、ヴンデはグ・ザマヒへと距離を詰めた。
ヴンデの踏み込んだ地面は浅く陥没し、気づけば彼はグ・ザマヒの目前にいる。
――これが民衆の見た景色であった。
そして、ヴンデは雷の力を込めた拳を蛮族の腹に打ち込む。
稲光がヴンデの拳から放たれ、雷鳴が轟いた。
「騒。虚弱」
雷に打たれた側は、何の変化もない。
言葉どおりの感想である。
すなわち――うるさいだけ。弱すぎ。
「な……」
手加減をしていたとはいえ、無事では済まない一撃のはずだった。
ヴンデはどういうことかとダ・グマガを見上げている。
今度こそ、と手加減抜きの一撃をヴンデはさらに加える。
ひときわ大きな雷鳴がむなしく響き渡る。
爆竹のようなものだ。
対するグ・ザマヒは手をゆっくりと上げて、それを振り下ろした。
聞き分けの悪い子供の頭を叩く父親のようである。
音はヴンデの時よりも小さいが、衝撃はずっと上であった。
ドンという短い音が響く。
ヴンデの姿が消えた。
正確には彼の立っていた地面に穴ができ、そこにヴンデは埋まってしまった。
グ・ザマヒはさらに足を上げ、埋まったヴンデの頭を踏みつける。
さらに大きな揺れがテファネルの丘を襲った。
グ・ザマヒはこれでも最大限の手加減をしている。
術技をわずかに使い効果を可能な限り制限した。美しいと感じた建物を壊すのは彼の望むところではない。
ヴンデは地中の奥深くでひっそりと息絶えた。
一部始終を見ていた民衆も、ヴンデが血を出して倒れたなら叫んだだろう。
しかし、ヴンデが地面に埋まり、姿がまるで見えなくなったので理解が間に合わず停止している。
むしろ、ここにいない民衆の方が謎の揺れで騒ぎ、声を出している状況だ。
静かになりつつある状況に満足してダ・グマガは屋根に再び上がった。
声があちらこちらから出ているが、これもまた趣があって良いと彼は街並みを見下ろしている。
街並みから外れ、門に目が行き、さらにその外側である。
すなわちテファネル丘陵の都の外側に、その線は突如として浮かび上がってきた。
線は東から西へまっすぐ伸びている。
グ・ザマヒから見るとやや弧を描いて伸びているように見えた。
遠くから間抜けな獣の鳴き声がしたと思えば、浮かび上がった線の上を何か小さな箱が東から西に走ってくる。
箱は小さく見えるが、何個も連なっており、それが整列して線の上を走って行く。
遠くにあるときは遅く見えたが、正面に来るとかなりの速さで走っていたことがわかる。
グ・ザマヒは彼が何を追いかけて、ここまでやってきたのかをようやく思い出した。
線の上を西へ淡々と走り去っていく箱の群れを見て、彼は自然と立ち上がる。
地中を走っているようには見えないが、あれはあれで興味深い。
追いかけるべきものをはっきりと目で捉えた。
今度は線を辿っていけばいいから、ずっとわかりやすい。
もしかしたら当初に追いかけていたものも、線の先にあるかもしれない。
そして、グ・ザマヒは屋根から飛び降りた。
後日談ではあるが、ヴンデは地下深くに埋まり、掘り起こすことは労力に見合わないと判断された。
彼は引き上げられることなく地中に埋め立てられ、直上に公費で石碑が建てられる。
彼は、彼自らの体を以てテファネル丘陵の礎となった。
平和の英雄の完成である。
議会は、今回の事案をダ・グマガ渓谷からの北西出兵案への警告と捉えた。
性格に難ありとは言え、個人戦力で突出したヴンデを、ダ・グマガの熊人は衆人環視のもとで赤子のようにひねり潰したのだ。
さらには石扉すら一人でこじ開ける力を持っているという、そんなものをまともに相手にすれば被害は甚大である。
警告に来たのなら、「テファネルから手を出さないなら、ダ・グマガ渓谷も今は手を出すつもりはない」という意志の表れともとれる。
今のところ被害はただ一人の犠牲と、門の装置の破壊くらいのものだ。
死者には勲章を送り、装置は修復で済む。
何も知らず北西に攻め込み、手痛いしっぺ返しを食らうことを思えば安い物である。
議会は北西への出兵案をすぐさま棄却した。
勘違いこそあれど、テファネルは安寧を取り戻したのだった。
―― ―― ――
一方、場所を遠く西に移動し、やや時間が経っての木村たちである。
木村たちがデイリークエストを消化し、外に出ると地上に異常が生じていた。
ちなみにゾルとボローは戦闘の犠牲になり、カクレガでの復活をよぎなくされた状態だ。
「……なんで線路が?」
等間隔に置かれた枕木と、その上に敷かれた金属のレールが果てから果てまで伸びている。
間違いなくデイリーに挑む前はなかったものだ。
「これが何か知っているのですか?」
「線路だね。この上を電車が走るんだ。車輪がこうレールの上を沿ってシャーって感じで」
「車輪のついたデンシアが、この平行した金属線の上をシャーと走る……」
ウィルが首を捻って想像しているが、彼が想像しているものと現物は大きく違う気がすると木村は思った。
おそらくウィルの想像している電車は生きている。
「冷めたくて気んもちがいいのじゃあああー」
頭のトビかけているアコニトがレールに頬を付けて寝転んでいる。
本日のクエストは自爆を使わなかったので、頭がおかしいまま外に出ることになってしまった。
「何か聞こえてくるぞ」
「おぉ、何か小さく揺れておるぞぉ。良い心地じゃあ」
木村にも一定の音で鳴り響くものが小さく聞こえた。
彼には聞き覚えがある。テレビで見たことのある、昔の汽車が鳴らす汽笛と似ている。
線路の片側を見れば、小さく映るものがある。
全員が静かに見ていると、それは徐々に大きくなってくる。
「わぁお……、SLだ」
電車どころか蒸気機関車である。
黒く重厚な車体が線路の上をしゅっぽしゅっぽと走っていた。
木村はさほど電車にも機関車にも興味がない。テレビの中でしか見たことのない車体だ。
まさか現実を飛ばして、異世界で蒸気機関車を見ることになるとはまったく想像だにしていない。
見てもさほどの感動が湧かない。むしろ疑問だ。
「なんでSLが?」
「エスエルというデンシアなのですか?」
「いや、あれは電車じゃない。蒸気機関車だから蒸気のSteamのエスと、Lはなんだろう……?」
Locomotive(機関車)なのだが、木村は知らない。
「――いや、違う。SLでもない」
木村はすぐさま訂正した。
戦闘車両の煙突からは煙が出ているはずだが、煙突から出ているのは無数の泡だ。
ぷかぷかと泡をいくつも上空に飛ばしながら前進を続けている。
「え、もしかして……」
泡を見て木村は思い至った。
三日後に始まるはずのイベントストーリーの名前と繋がる。
イベント名は「しゃぼん玉われた」であった。時期が重なる。これに違いないと木村は確信した。
「来ますよ」
「来るぞ。キィムラァ、離れるんだ」
考えていると機関車がすぐ側に迫っていた。
おっさんとウィルが木村に離れるよう手で指示する。
レールから離れているのでさほど危険はないのだが、念のため距離を取る。
「アコニト、危ないから離れて!」
距離を取り改めて線路を見れば、アコニトはまだ線路の上でごろごろしていた。
木村が叫んでもまったく聞こえている様子がない。
煙管をふかし、まるで彼女がSLだ。
「来いよ。大魔王! 儂が相手じゃ! ここを通りたくば、この儂を倒してからにせい!」
アコニトが寝っ転がったまま空を見ながら、意味のわからないことを言っていた。
いつものことだが今はまずい。いや、いつでもまずいんだが特に今は良くないというか。
「とにかく早く逃げて!」
木村は叫び、彼女の側に駆け寄ろうとするが、おっさんに腕をつかまれた。
「心配するんじゃない。女狐なら大丈夫だ。見ろ」
「何をもたもたしている! 儂をおいて先に行くんじゃあ! 振り返るな! 行け! 儂なら大丈夫じゃあ! ええい! 行かんかぁ!」
「ほらな。大丈夫だ。女狐の覚悟を無駄にするんじゃない。信じてやれ。しっかり女狐の最期を目に焼き付けておくんだぞ」
何が大丈夫なのかさっぱりわからない。覚悟も信じるも何も、最期って明言している。
もうすでに機関車は目前だ。風圧すら感じ始めている。
「アコニト! 逃げ――!」
「いいかぁ、絶対に止まるんじゃな――」
黒い車体は容赦なくアコニトを跳ね飛ばした。
跳ね飛ばすとかそんなもんじゃない。当たった瞬間に膨大な質量と速度がアコニトを爆ぜ飛ばした。
彼女だったものが散り散りになって、線路の脇にボトボトと落ちていく。
爆ぜた彼女は紫色の煙を残して消滅する。
いったい何を覚悟して、何を信じて、何が大丈夫だったのか教えて欲しい。
木村とウィルはしばらくミンチ肉を食べることができそうにない。
目に焼き付けてしまった光景が、肉を食べるたびにフラッシュバックしてしまいそうだ。
十両以上の車体が、爆ぜ飛ばしたアコニトを無視して突き進んでいく。
まるで彼女の言葉どおり絶対に止まらないという意志を感じる。
あっという間に遠くへ行き、見えなくなってしまった。
空に浮かぶ無数のしゃぼん玉だけが、風に揺られ
29.イベント「しゃぼん玉われた」2
カクレガは泡を出すSLを追いかける、と木村は思ったがそうでもなかった。
普通に線路から逸れて、どこか別の場所に進んでいく。
「イベントと関係するのは間違いなさそうだけど、あのSLはいったい何だったんだろう」
SLではないのだろうが、間違いなくSLをモチーフにしているので呼び方は変えない。
煙突から泡も出しており、泡はSoapなので、SLでも大きく間違ってないだろうと木村は考えている。
ただ、SをSteamでなくSoapで考えると、途端に大人の性サービス店っぽくなってしまうのは不思議である。
走るSLという文字列への認識が、至極当然なものから、いかがわしいものへ変化していく。
カクレガの到着点らしき場所が示されたのは翌日であった。
「あるな」
「ありますね」
地図を見ていると、“花火の都――エスティ”とやらが南西部分に現れた。
都が現れただけなら今までにもあるのだが、今回あったのは都の名前だけではない。
以前のイベントでもあった扉のマークが都のど真ん中に存在している。
しかも前回のように×で潰されてもいない。
「“花火の都――エスティ”。聞いたことは?」
「寡聞にしてありません」
ウィルも知らないようだ。
都とは書かれているが、そこまで大きな都市ではないのかもしれない。
花火の都と付いているくらいなので花火が有名なのは間違いなさそうだが、それ以外の都の情報がさっぱりわからない。
扉があることから、この世界の竜とやらがいるのは間違いないだろう。
「しっかりと心の準備をしておくんだぞ」
おっさんの物言いがすでに嫌な気配を醸し出している。
諦める心を持てと言っているのか、立ち向かう心を持てと言っているのか判断に迷うところでもある。
とりあえず何が起きても受け入れる広い心が必要なのは間違いないだろう。
さらに一日が経って、エスティの都に到着した。
たしかに街と呼ぶには大きいが、帝国や神聖国の中央ほどではない。
都を囲う城壁も今まで見たものよりかなり低い。平和なところだとは木村でもわかった。
城壁は低いにしろ、入口には門があった。
より正しくは、門があったであろう痕跡が見受けられる。
門の中央部分に線路が敷かれ、門だったと思われる木の破片が周囲に散らばっていた。
何があったのかすぐにわかった。
例のSLが門に突っ込んで破壊したようだ。
線路を追うようにカクレガは地下をこっそりと進んでいく。
ところで、線路は急に曲がれないし、SLは急に止まれない。
何が言いたいかと言えば、線路は街の真ん中を容赦なく突き進んでいた。
途中の建物や像が容赦なく弾き飛ばされているのが見て取れる。
おそらく都の中心部だろう。
問題のSLは堂々と街中に停車している。
車両の一部が家を貫通していようがおかまいなしだ。
車両の周囲を兵士が取り囲んでいる。
兵士に獣人だけでなく、普通の人間も混ざっているのに気づいた。
「近寄りたいけど無理だよね」
守る兵士の数が多すぎる。
さらに車両を囲む兵士の内側に、調査をしている別の人たちまでいた。
車両の扉は全て閉じており、窓はついているが、中の様子は窓が曇って見ることができない。
調査員の人たちも魔法やら工具で車両をいじるが、まったく歯が立たない様子だ。
「夜になるのを待った方が良いでしょう」
今は近づくことを諦めて、都の中で情報と食料品を集めることに専念した。
情報を聞いて回ったところ、SLは昨日の朝に都へ突撃を食らわして、あそこに止まったようである。
兵士たちが中に入ろうとしているが、どうやっても扉が開かず苦戦しているとのこと。
なぜここで止まったのかもわからない様子だ。
夜になって、手薄なところからカクレガで近づいた。
兵士がわずかにいて邪魔だったのでアコニトの煙で眠ってもらった。
今回は比喩ではなく本当に眠ってもらっているだけである。用法と用量を間違えなければ普通に有用である。
メンバーはいつもの最強メンバーではない。
アコニトとウィルだけだ。
おっさんにより、パーティーメンバーを制限されてしまった。
すでにイベントが始まっているようで、イベントキャラクター分が二枠予約されていると推測できる。
車両の扉に近づくと、扉は勝手に開いた。
「普通に開いた」
木村は思わず声が出た。
開かないと聞いていたのに、一切の手間も労力もなく扉が開いた。
「入って良いのかな」
木村が振り返ると三者三様である。
アコニトが珍しく真面目な表情で車内を睨んでいた。
おっさんは車内には目もくれず、外の一点をジッと見つめている。
最後のウィルは口元を抑え、地面に膝をつき、暗がりでもわかるくらい顔色が悪い。
「どうしたんだ?」
とりあえず木村は、見るからに様子が悪そうなウィルに声をかけた。
大丈夫かと尋ねようと思ったが、大丈夫でないことは明らかなので何が起きているのかを尋ねた?
「本当に何も感じないんですか? この凄まじい神気を――」
木村はまったく何も感じていない。
ウィルがすごい汗をかいているところを見るに、やばいことは間違いない。
「アコニトは何か感じないの?」
「イヤァな匂いが漂ってくるぞぉ。同胞がいるなぁ」
顔をやや歪ませてアコニトが答えた。
魔力の話をしたつもりだったが、匂いの話が返ってきた。
もしかしたら同じ話だったのかもしれないが、木村には判断が付かないところである。
そもそもソシャゲキャラから魔力やら神気の話を聞いた記憶がない。
渓谷でもゾルやアコニトは気にしてなかった。
「おっさんは?」
「状況は良くないぞ」
それは木村でもわかる。
SLに乗る前から嫌な状況になっている。
「とりあえず、ウィルは今回やめた方が良さそうだね」
「すみません。ちょっと……無理です」
ちょっとどころではない。かなり無理そうだ。
立つことすら難しいようで、おっさんにカクレガの中へ連れて行かれた。
「残る一人は誰にしようか」
ウィルが無理になったとすれば、候補に挙げられるのは四名。
補助のセリーダ、防御のボロー、攻撃のゾル、回復のペイラーフだ。
選択肢が多いのはありがたいことだが、選ぶ悩みが生じる。贅沢な悩みである。
アコニトを抜く選択肢も当然あるのだが、車内に同胞がいるようなので彼女は戦闘力だけでなく情報源にもなり外し難い。
そうなると残る一人が本当に迷う。
せめてイベント強制の二枠が、どんな役割のキャラかわかれば助かるのだが。
「少年」
聞き覚えのない声がした。
木村が振り返ると、赤い髪をした女性が立っていた。
ゲームでしか見たことがないような、燃えるような赤のウルフカットだ。
顔は端整であり、可愛い系ではなく格好いい系だ。
ヴィジュアルバンドのセンターでマイクを握ってそうな顔立ちだった。
服装はこの都でよく見かける色鮮やかな織物だが、やはり髪の赤が目立っている。
ただ、こめかみの辺りから角が二本生えているので人間でないのは間違いないだろう。
「少年はこれに入るんだろう」
「え……? あ、はい」
見た目からして木村とは縁がないカッコイイ系の女性である。
さらに初対面とくれば、木村にまともな会話などできようはずもない。
「ボクも行こう。異論はないね」
異論しかない。そもそも誰だ。
木村は助けを求めるようにアコニトを見る。
「いいんじゃないかぁ」
アコニトは心底どうでもよさそうである。列車内の同胞が気になるらしい。
そんなんでいいのかと木村は不安になった。
「待たせたな」
おっさんがカクレガから出てくる。
赤の女を一瞥してすぐに木村に視線を移した。
「さほど待ってはいないさ。気にしなくて良いよ」
なぜか角のお姉さんが応える。
ひとまずおっさんも警戒してないので無視することにした。
訳のわからない一般人と考えておく。
「あと一人なんだけど――」
「キィムラァ。残念だが、今回は一人しか連れて行けなくなったぞ」
「え?」
「たった一人の枠が、女狐でいいのか? 本当にこいつにするか? 後悔しないか?」
「二人じゃないの?」
先ほどまで二人と言っていたのに、急に一人になってしまった。
しかもアコニトを変えようと圧がかかってくる。
どちらの原因も木村はわかる。
片方だけ尋ねた。
「もしかして、この人も戦闘メンバーに入るの?」
「そのようだぞ」
「……というかこの人は誰なの?」
赤い髪の女は、前髪をサッとかき分ける。
動作がいちいち絵になるが、さっさと答えて欲しいと木村は思った。
あまりこういうキザなキャラは好きじゃないのだが、現実だとますます好きになれないとわかった。
「少年。一つ正しておこう。ボクは人ではない」
なんかめんどくさいなぁ、と木村は思う。
本人曰く人ではないらしい。そりゃ角が生えてるから人ではないだろう。
「すみません。獣人さんはどなたでしょうか?」
フフッと角の女は笑う。
「獣人でもない。ボクは竜だよ。名は、“赤”と呼ばれることが多いかな。好きなように呼ぶと良い」
「竜……? 竜ってあの扉の?」
「詳しいね。ひょっとしてキミ――、ボクのファンだね」
話がまともに進まない。
扉に反応するくらいだから本当に竜なのかもしれない。
しかし、前に遭遇した竜とは雰囲気がまったく違う。こちらから危険は感じない。
普通に口で喋ってるし、姿も割と人間に近い。危険に見えないだけで、実は人を食べたりするのだろうか。
「取って食べたりしないさ。だけど、食べられたいなら話は別だよ」
ウインクして、口の端も軽く上げている。
狙ってる感が強すぎて、木村は話すのに疲れてきた。
「……行こうか」
誰も反対しない。
赤と呼ばれた女だけが、はしゃいでおり緊張感がまるでない。
扉は開いているが、扉の位置が異様に高い。
本来なら車体をホームにつけるので、そのぶんだけ地面からは高くなっている。
木村は半分よじ登ってなんとか中に入った。
「みっともないのぉ。そこは飛び上がるべきだろぉ」
アコニトが木村の醜態をなじる。
「儂が手本をみせようかのぉ。ちょっと奥に行けぇ」
言ったアコニトが手本を見せるように軽く飛び上がってきた。どやぁという顔がうざったい。
そして、足を踏み出すと横に広がる尻尾が扉にひっかかり、バランスを崩して地面にぼとりと落ちた。
木村が地面を見下ろすと、みっともなくひっくり返ったアコニトがいた。
ここで何か言うと後で数倍になって返ってくるので、木村は硬く口をつぐんだ。
おっさんと赤の女もアコニトを何も言わず見つめている。
「……なんだぁ? 何か言いたいことがあるなら聞くぞぉ」
アコニトは開き直って、堂々とした態度で木村たちを見返す。
おっさんは何も言わず、足首の動きだけで扉へ飛ぶ。
赤の女は高く飛び、クルッと縦に一回転して入ってくる。
見事ではあるが、そこまでしなくても別にいいだろうと木村は思う。
アコニトもよっこいせと尻尾を軽く押さえながら上がってきた。
「尻尾が立派すぎたんだなぁ。いやはやまったく罪な尾よのぉ」
ちなみに毛を刈られつくした尻尾は、デイリークエストで体ごと消しとんだら復活後に戻っていた。
「これなら何度でも刈れる! 錬金術だ!」と木村が言ったら、アコニトに軽くキレられたので錬金術案は没になった。
全員が中に入ると扉は勝手に閉じる。
わずかな揺れが生じ、外の風景が動き始めた。
列車が走行を再開した。行き先はまったくわからない。
外で慌てている兵士たちの顔が、現れては消えてを繰り返していく。
さて、外からもわかっていたことだが車内は明るかった。
扉こそ狭かったが、通路はすれ違えるほどには広い。
木村は過去に夜行列車に乗ったことがあり、この列車も似ている。
扉付きの部屋がいくつもあって、部屋の数としては過去に乗った列車よりも少ない。
そのぶん一部屋は、過去に乗った列車よりもずっと広いものになっているのだろうと木村は推測した。
普通の列車と違うのは、車内の天井に泡がぷかぷか浮いていることだ。
ただの泡ではないようで、なかなか割れない。列車の揺れに合わせて天井で互いに押しあったり、ときどき合体して大きくなったりする。
列車は動き出した。
なんとなくわかってたからそれは良い。
問題は、この後どこに行けばいいのかがわからないことだ。
「ボクはこっちに行こう」
「儂はこっちだぁ」
竜と邪神はそれぞれ逆方向に歩み、互いに振り返ることなく別車両へ移動した。
竜は先頭車両方向、邪神は最後尾方向に消えた。
おっさんと木村が取り残される。
どうしようかと木村がアコニトの消えた方へ歩くと、体の横の扉がスッと開いた。
びっくりして体をよじらせるが、部屋には誰もいない。
「おっ、ここがキィムラァの部屋のようだな。俺の部屋は――」
おっさんが口にすると、隣の扉がひとりでに開いた。
隣がおっさんの部屋らしい。
勝手に入り込んだのに、部屋が既に用意してあることに驚いた。
いや、でも扉が誘い込むように開いたから、そもそもソシャゲ内のイベントでは招待券が届いていたのかもしれない。
「今日はもう遅いな。行動は明日から始めるべきだぞ」
「そんなものなの?」
ありがたい話なのだが、寝ていたらアコニトと竜の女が何かやらかしそうだ。
なんなら、目が覚めたらもうイベントが終わっていたなんてこともありそうだと木村は思う。
「ゆっくり休むんだぞ」
言葉に甘えて、部屋に入る。
ベッドに、机に、ソファと調度品の数は少ないが品は良い。
前に乗った夜行列車は板に近いベッドだけだったので、最高位ではないだろうがだいぶマシだ。
車両の案内図も机の上に置かれていた。
機関部を除いて十一両編成、先頭の機関部を入れれば十二両である。
木村の部屋は六号車にあたるようだ。
先頭車両方向はほぼ客室であり、八,九号車にダイニングと賓客室が用意されている。
最後尾が展望室で、四,七号車にラウンジがある。
一号車は乗務員専用らしい。
先頭方向に消えた竜は機関部に行き、アコニトはダイニングか賓客車両に行ったのだろう。
問題を起こさなければ良いのだが、と木村は案内図を机に置いた。
「キミたち、ボクをこんなないがしろに扱うなんて良くないよ」
「こちらがお客様の部屋になります。どうぞごゆっくりおくつろぎください」
「おいおい、ボクの声が聞こえてるのかい? ボクはね。先頭の部屋さえ見せてくれ――」
声が途切れた。
どうやら赤を名乗る竜はさっそく問題を起こしていたらしい。
「儂が会いに行ったのだぞぉ! この儂がだ! どうしてあやつは出てこんのか! ふざけておる! 儂を誰だと思っておるか! 儂は――」
「――手間をかけさせてすまないな。こちらで引き取ろう」
アコニトが叫んでいたと思ったら、鈍く重い音がして静かになり、おっさんの声が聞こえた。
見えなくても何が起きたのかわかるようになったのは成長と言えるだろうか。
乗務員らの短い礼が聞こえ、彼らが立ち去る音がした。
続いて、おそらく出入口付近で何かが投げ捨てられる音が聞こえた。
そして、一人分の足音だけが木村の部屋の前を通り、隣の扉へと消えていく。
列車の走る音を聞きつつ、木村は深い眠りに落ちていった。
30.イベント「しゃぼん玉われた」3
木村が起きると列車はまだ走行中だった。
外は砂嵐で一面が茶色だ。地図もないのでどこを走っているさっぱりわからない。
木村が部屋の外に出て、どちらに向かおうかと左右を見渡すと、左の廊下の端から腕が見えた。
地面に力なく、だらりとうなだれている。
「あぁ、なんかいる……」
アコニトだと木村は確信した。
昨夜、おっさんに廊下へ捨てられ、それっきりだったんだろう。
朝からひどいのを見てしまった。これは絶対に近寄っちゃ駄目なやつだ。
木村は方向を転換して、部屋から出て右側――進路方向の通路を進む。
車両間の貫通扉をくぐって隣に進むと、同じような構成が続く。
五号車もまだ客室で、長い廊下が待ち構えていた。
さらに一両進むとラウンジがあり、広々とした空間に机と椅子が並んでいる。
奥にはバーカウンターのようなものが設置されており、乗務員が微笑んで佇む。小さな喫茶店のようであった。
椅子の一つにアコニトが腰掛けて、優雅にお茶を飲んでいる。
酒や葉っぱをやらず、黙っていれば絵になるキャラである。
「起きたかぁ。おぉい、そこの。この坊やにも茶を入れてやってくれぇ」
「……え? あれ、アコニト? なんでここにいるの?」
「あぁ? いちゃいかんのかぁ? ん?」
木村の言葉にお怒りの様子である。
さすがに悪いとは思ったが、木村はそれどころではなかった。
ここにアコニトがいるのなら、当然の帰結として先ほど倒れていた腕はアコニトではないことになる。
慌てて車両を戻っていくと、やはり腕がまだ見えていた。
おそるおそる近寄り、腕の先を見ると金色の何かが横たわっている。
金色は髪だとすぐわかったのだが、金色の髪に隠れて顔がまったく見えない。
「あの、大丈夫ですか?」
大丈夫ではないよなと思いつつも、出した声を戻すことはできない。
さらに木村は近寄って腰を落として近寄る。
「どうされたんです?」
「……うぅ」
肩を軽く揺さぶるとようやく声が出た。
男なのか女なのかも判断付きかねる声である。
「酔いが、ひどくて……。九号車に行けば、う……」
口を押さえて、ひどく気持ち悪そうである。目も開ける力も残っていない様子だ。
顔も正常なら美形なのだろうが、真っ青にしていて見るに堪えない。
木村は頼りない肩を貸し、なんとか金髪の体を支えた。
体の柔らかさや胸の膨らみなどから、木村は金髪の君が女性だとわかった。
着ている服がスーツに近かったので、男性だと思っていた。これは意外である。
通常であれば、女性とこれほど密着すれば緊張するのだが、今はそれどころではない。
必死に彼女の体を支えながら木村は七号車への扉を潜る。
「いかがされましたか?」
七号車はラウンジだった。
四号車と似た作りである。カウンターに控えていた乗務員が駆け寄ってくる。
慌てているのだろうが、動作はひどく落ち着いており丁寧だったので、木村は安心感を覚えた。
乗務員の肩も借りて、金髪の女性を近くの椅子に移動させる。
「賓客室の……、お供の方を呼んで参ります」
乗務員は水をテーブルに置いた後で、後方の車両へと消えた。
残されたのは木村と金髪の君、そして遠くに座る他の乗客である。
「……すまない。助かった。君は――」
金髪の女性が木村を見て、目を見開いた。
彼女の瞳を見て、木村も驚いて目を見開く。
彼女の両目は、髪と同様に金色だった。
虹彩こそ黒だが瞳は金色に輝き、その中心は赤く燃えている。ここまでならまだ良い。
問題はその瞳孔が、一つの眼球の中に二つあることだ。両目とも瞳が二つずつややずれて重なるように並んでいる。
重瞳や多瞳孔症と呼ばれるのだが、木村は現実で見たのは初めてだった。
「君は……、そこにいるね?」
「…………えっ? はい。いますけど?」
我に返るのに時間をかけつつも木村は返答した。
質問の意図が木村にはわからない。
もろに彼女の黄金の四つの瞳が木村を捉えている。
「ふぅん、……ほぉ、へぇ」
金髪の女性は木村の頬や腕をぺたぺたと触ってきている。
男だったら嫌だが、綺麗な女性なので木村もはっきりと拒絶できない。
ただ、ここ一ヶ月で似たようなことがあったことを木村は思い出していた。
ウィルの担当教授であるルルイエも同じ反応だった。
性別と見た目を変えるだけで、ここまで心境が変わるのだなと木村は考えている。
「フルゴウル様」
背の高い男が、先ほどの乗務員とともに木村たちに近づいてきた。
男が近づいてきても、金髪の彼女が手を止めることはない。
どうやら彼女はフルゴウルという名前のようだった。
「何をなされておられますか?」
怖そうで強そうな印象の男は、フルゴウルの奇行に表情を一切変えないまま問う。
フルゴウルも取り乱すことなく、顔を木村に固定したままである。
「ダズマ。お前には彼がどう見える? 正直に答えろ」
フルゴウルから先ほどまでの丁寧な口調がなくなっていた。
木村はダズマと呼ばれた男の方を見る。ダズマも木村の品定めをおこなう。
「人族。年頃は十代半ば。身体能力は低い。戦闘経験もないでしょう。服はあまり見ないものですが、武器を隠し持っていません。術を使うタイプでしょうが、術の発露は見受けられません。ひどく緊張しています。敵意は感じられません」
「お前らしい意見だ。そこまで口にして臨戦態勢を解かないところも含めてな」
「はい。フルゴウル様には、彼がどのように見えておいでですか?」
「触ることはできるし、声も聞こえている。体のぬくもりや、緊張で早まる鼓動も感じる。だが、私には彼が見えない」
「見えない――ですか。フルゴウル様の眼をもってしても」
「ああ。何もな」
前にも聞いたことがあるような話だなぁと木村は思った。
以前は無精髭のおっさんだったが、今は印象が美人から怖いに変わりつつある女性である。
先ほどまでは、これひょっとして今回のイベント味方キャラじゃないかと思っていたが、もしかして敵方じゃないかと疑い始めている。
「起きていたか、キィムラァ。さっそく他の乗客と交流を深めているな。良いことだぞ」
親指を上げて、おっさんが空気を読まずに入ってきた。
このシリアスブレイクはありがたい。
「キィムラァ、すまないが紹介してもらえるか」
「なぜ貴様がここにいる?」
ダズマなる戦力分析男が、おっさんを睨んでいる。彼の表情に微かな驚きも垣間見えた。
知り合いのように見えるが、仲が良いようには到底見えない。
「む? 俺を知っているのか?」
「何を言っている。貴様はすでに死ん――」
フルゴウルが片手を上げて、ダズマの発言を止めた。
「今日は只ならぬものに巡り会う日のようだ。なるほど、確かにあいつは死んでいる。中に入っているお前は何者だ? ひどくぶれた存在だな」
おっさんの核心に近づく話が、唐突に始まった。
今まで後回しにしていた、「このおっさんは実のところ何者だ」問題に決着が付こうとしている。
木村はわくわくしつつ続きを待つ。
「やぁ! おはよう! ひどいじゃないかボクをハブにするなんて! 混ぜてくれたまえよ!」
シリアスブレイカーその二がやってきた。
赤竜である。当然のように空気を読まず、席に遠慮なく腰かけ乗務員に飲みものを頼んでいる。
「おっ! キミ! とても珍しい眼をもっているねぇ! でも、その眼では少年が見えないんじゃないかな? こいつはどう見えるんだい? 焦点を合わせられるか? ぶれるから難しいだろ!」
赤竜はワハハと笑っている。
ここまでの話をわずか十秒ほどでまとめてしまった。
乗務員の持ってきた飲みものを一口で飲み干し、おかわりを催促する。
「すさまじい……。こちらから伺おうと思っていたのですが、そちらから来ていただけるとは光栄です」
フルゴウルが席を立って優雅に一礼をした。
体調がまだ悪いのかふらつき、すぐに椅子に戻る。
目を開けていると怖いのに、眼を閉じるとスイッチが切れて間抜けっぽくなる。
赤竜も手だけで軽く応じた。
フルゴウルが六号車で倒れていたのは、赤竜に用事があったからだったようだ。
彼女はおっさんのことはひとまず忘れて赤竜を向く。
「なぜそのような状態で生きていられるのですか?」
「愚問だね。ボクは花火が好きなのさ」
昨夜とは違い、前髪ではなく後ろ髪をふぁさぁと赤竜はかき上げた。
質問と答えの内容はさっぱりわからないが、フルゴウルは納得したらしい。
「それで、貴様はいったい――」
フルゴウルが改めておっさんに向き直った。
またしても眼が開き、四つの瞳が現れ、口調が変わる。
眼は意識を切り替えるためのスイッチなのかもしれないと木村は思う。
話がようやくおっさんに戻ろうとしている。
木村も早く続きが聞きたい。
「おぉ~、坊やぁ。良い度胸じゃないかぁ。儂を見るからに立ち去ってぇ。訳のわからん奴らと談笑しおってからにぃ」
シリアスブレイカーその三がやってきてしまった。
しかもちょっぴりおこである。木村も彼女の存在をすっかり忘れていた。
木村でもわかるこのやばいメンバーを相手に、堂々と空いた席の一つに座るところがまたすごい。
しかも、煙管を取り出して火を付けた。その瞬間におっさんから後頭部を殴られる。まるで学習していない。
あるいは無意識の行動パターンとなっており、もう直せないかだろう。
「……ぅっ」
すぐに煙管の火は消したはずだが、フルゴウルは匂いを感じたらしい。
彼女は顔をしかめさせ、体をぐらつかせた。目も閉じ、口元を押さえて危なそうな雰囲気だ。
「やわだのぉ、お嬢ちゃん。ちぃと鼻を鍛えて出直してこふぃっ――」
コキョという小気味良い音とともに、彼女の首がぐるんと斜め方向に回転した。
おっさんが上手に回転させた。会心の出来らしくおっさんは満足そうな顔でアコニトの首を見ている。
木村は首が捻れたアコニトと目が合った。
アコニトは間抜けな顔をして崩れ落ちてしまう。
今のは完全にアコニトが悪いので、木村は何の擁護もしない。
擁護したところで手遅れだった。
この光景に見慣れた木村は良いが、フルゴウルは駄目だったようだ。
いよいよ体調を悪くさせ、ダズマに半ば抱えられつつ、後方車両に消えていく。
「キィムラァ、朝食は食べたのか?」
「いや、まだだけど」
「食事は体の資本だぞ。特に朝の一食は一日を左右するからな。行くぞ」
おっさんが隣の車両を指さした。
このラウンジが七号車で、隣の八号車がダイニング車両である。
「素晴らしい朝食になることを約束しよう」
赤竜も当然のように一緒に来るようだ。おっさんと仲良く歩いて行く。
なんだかノリがおっさんに近い。疲れるのでもう一キャラ、ワンクッションが欲しいところだ。
頼りにしていたクッション兼サンドバッグはすでに弾力と生気を失い、椅子に力なくうなだれている。
木村はアコニトの半開きになった眼を手でそっとふさぎ、朝食に足を向けた。
31.イベント「しゃぼん玉われた」4
ダイニングでの朝食は、スタンダードにパンとスープ、それにおしゃれな容器に入れられたゆで卵であった。
食べられない人向けに別のコースもあるようだが、木村は変更する必要がない。
おっさんや赤竜も同じコースを頼んでいる。
「素晴らしいね。後でコックに挨拶をしなければ」
赤竜はスープに舌鼓を打っている。
こういうのはコックを呼ぶパターンだと思ったが、自分で行くパターンもあるようだ。
「キィムラァ、しっかり噛むんだぞ。最低でも三十回は意識するんだ」
「わかってる」
最低限のマナーはあるようで、おっさんも赤竜も食べているときは比較的大人しい。
落ち着いた朝食も終わりかけたところで奥の車両から新たな乗客か現れた。
茶色っぽい髪にケモ耳で、眼が大きく、眉毛部分が白っぽい。
完全な獣人よりもどちらかと言えば人間に近く、モチーフは柴犬だろう。
女性のようだが、スーツのような正装をしており、フルゴウルと良く似た服装である。
見た目から判断するにソシャゲ側のキャラであることは間違いない。
お供の者も一緒だが、席に着いているのは柴犬型の彼女だけである。
本人もお供も背がピシッとまっすぐで、木村は見ていて背中が引き締まる気がした。
「おぉ、首がもどらんぞぉ」
柴犬の彼女とは対照的に、背中を丸め首も斜めに捻れたままのアコニトがやってきた。
消滅していなかったので死んではいないとは思ったが、幸か不幸か中途半端な形で意識を取り戻したようだ。
「おぉ、儂抜きで朝餉かぁ? ――あ!」
アコニトが空いた席に腰掛ける直前で、奥を見やり声を出した。
すぐさま奥の方へと歩き出す。
「おい! 光の!」
アコニトが、柴犬女のところで足を止め声を上げた。
柴犬女はアコニトをちらりと見て、すぐに視線を戻す。無視である。
「おぉ! 真面目だけが取り柄の光っ子は挨拶もできんのかぁ!」
捻れた首のままでアコニトが挑発している。
挨拶ということであれば彼女自身がすでにまともにできていない。
「おはようございます。アコニトさん、首が曲がっていますよ。捻れるのは性格だけにしてくださいね」
「あぁ?」
アコニトの安い挑発に、柴犬女は眼を尖らせ言い返した。
どちらも煽り耐性が低そうだなと木村は思う。
二人はネチネチと言い争いを始めている。
おっさんが止めに歩いて行くので、木村もついて行く。
赤竜もおもしろそうな雰囲気を感じ取ったのか、木村の隣で楽しそうな顔をしていた。
「光のわんこ――」
「いい加減にしないか」
おっさんがアコニトの首を逆方向に捻った。
ペキリという音が鳴って、首は逆方向のまま固定される。
首から下は力なく垂れているが、おっさんが首を持っているので宙づり状態だ。
「すまないな。こいつは気が狂っているんだ。野良狐に噛まれたと思って、どうか寛大な心で見逃してやってくれ」
「いえ、こちらこそ見苦しいところを見られてしまいました」
柴犬の女は赤面しつつおっさんに礼を返した。
「ここで会ったのも何かの縁だ。席を一緒にしても良いかな。レディ――」
「ケリドだ。かまわない。レディ――」
「赤だ」
「……あ、赤?」
「ブラックウルフと名乗っていたこともあったよ。好きなように呼んでくれたまえ」
赤ですらないし、竜ですらないぞと木村は心の中でツッコんだ
木村とおっさんも自己紹介を軽くおこない、流れで同じテーブルの椅子に腰掛けた。
柴犬の彼女はケリドという名で、東日向の三大光神の一柱だという。
どこかで聞いた設定だと思い起こせば、アコニトもたしか同じ系列の一柱だった。
アコニトは影の方だったので、光と影で仲が悪いのだろうと木村は推測した。よくある設定だ。
「アコニトとは同じ国の神様なんですね」
「はい。近頃、見ないと思っていましたが、こんなところをほっつき歩いていたのですか」
ピシッと発言をするあたり、言葉からも真面目な雰囲気を感じる。
アコニトが美術のちゃらんぽらんな不良教師なら、このケリドは生徒指導か、さらに上の教育委員会あたりだろうか。
木村もケリドと話していて、女性と話す以外の緊張を感じた。
叱られないかという緊張感だ。
「大変な役柄だ。心労も多いことだろうな」
おっさんや赤竜はまともに話しているので、緊張感を持っているのは木村だけだろう。
列車のことを話すと、彼女とフルゴウルが出資者らしく、賓客としてこの列車に乗っているらしい。
さらに、この世界のことについて話した。
「カゲルギ世界ではない?」
「はい。ここはカゲルギ世界じゃありません。異世界です」
過去にアコニトと交わした会話をケリドともおこなう。
彼女もこの列車が異変に巻き込まれていることは知っていたが、どこに迷い込んだのかはわかっていないようだった。
「まずいですね。食料の補給に、乗務員への連絡、他の乗客への案内――」
ぶつぶつと何か言い出して考えごとを始めた。
今後の対応を練っているようだ。
「まぁた、まじめくさって考えておるなぁ」
アコニトがいつの間にか意識を取り戻し、ケリドに向かって言い放った。
首は曲がったままだが、乗務員を呼びつけメニューを見ている。
「通常のコースはつまらんなぁ」
「あなたはもっとまじめに考えるべきでしょう」
「光のと同じコースもおもしろくないぞぉ」
「どうして異世界にやってきたというのに、暢気にしていられるのですか」
「刺激が欲しいところだぁ」
「そもそもあなたはいつもそうです」
「よし。この一番下を頼むぞぉ」
「かしこまりました」
「聞いていますか?」
間違いなく聞いてない。
アコニトが煙管を取り出したので、火を付ける直前で木村が止めた。
すでにおっさんが彼女の背後で、腕をスタンバイしていたのでギリギリだったようだ。
「いろいろ考えたところでどうしようもないぞぉ。なるようになるだろぉ」
「いい加減すぎます。あなたは神としての自覚をもっと持つべきでしょう。人々をきちんと導くことが我らの役目ですよ」
「相も変わらずつまらんことを言いおるのぉ」
アコニトが口をわずかに開けて、斜め上を見ている。
木村は知っている。彼女が心底あきれかえっているときの表情だ。
木村が酒やタバコの年齢制限の話をするときに同じような顔をするので間違いない。
すなわち、アコニトはケリドの話をその程度に受け止めている。
「ヒトがどうなろうと儂の知ったことではないなぁ。せいぜい退屈させんよう愉快に踊ってくれればそれで良いわぁ」
もしも煙管を手に持っていたら、間違いなく煙をケリドに吹きかけていただろう。
そうであったら殴り合いが始まっただろうが、なかったせいでケリドは頬を引き攣らせるだけだった。
「ヒトがどうでも良い? あなたは何を言ってるんですか?」
「儂は、ヒトの奴隷じゃないんでなぁ。ヒトのために何かをする気など微塵もないぞぉ」
「――私が、ヒトの奴隷だと?」
「違うのかぁ? ヒトを思い、ヒトのために行動し、ヒトのために自らを殺す。哀れな傀儡だぁ」
アコニトのゲラゲラという笑い声を久々に木村は聞いた。
聞くと気持ち悪いのだが、ときどき無性に聞きたくなる中毒性のある笑いだ。
「あなたは何もしないのですか?」
「いいやぁ。儂は、儂のやりたいことをするぞぉ。ヒトもヒトのやりたいことをすれば良い。強制はせんし、強制もされん。ヒトも神も自由であるべきだぁ。ヒトの責任はヒトが負う。儂の責任もヒトが負う。儂は知らん」
「あれ?」と木村は首を捻った。
なんか途中まで良いことを言ってたように聞こえたが、最後の最後でやっぱり駄目になった。
「ボクもパープル君の意見に概ね賛同するね。カレらは自分の意志をしっかり持っているよ。ボクたちがあれやこれやと言う必要なんかない」
「俺はレディ・ケリドの意見を良しとするぞ。特に若い連中は性急だからな。誰かが押さえ、導かねば誤った方向に進みかねない」
聞き役の二人も意見が割れている。
柴犬と狐が睨み合っていたのとは対照的に、赤竜とおっさんはどちらも軽く微笑んで互いを見た。
「でもね。どっちも根っこは同じなのさ」
「だがな。どちらも根本は同じだぞ」
二人の言葉が被る。
「どちらも人を思っている」
語尾は違えど二人が同じ言葉を漏らした。
ケリドは肯定も否定もせず二人を見て、意識を逸らすようにコップに手を付けた。
一方のアコニトはどこからか取り出した爪とぎで、爪をサリサリと研いでいた。二人の話なんてまるで聞いちゃいない。
「人の話はちゃんと聞くんだぞ」
「ふぁおぉお! おっ……?」
おっさんがアコニトの頭をつかみ、グギィッと曲げて元に戻した。
あれで元に戻るのかと木村は恐怖を覚える。治すときの方がずっと痛そうだ。
「おっ、きたきた」
テーブルにアコニトの頼んだ料理が運ばれてきた。
木村どころか、ケリドも置かれた料理を見てあらゆる感情が停止した。
浮かぶのはただ一つの疑問である。
「これ……、ほんとに食べるの?」
料理は真っ赤である。
カプサイシンが99.9%のような料理だ。明らかに人が口にして良い物じゃない。
多民族に対応したコース群とは聞いていたが、多民族どころか多種族にまで対応している。ヒトにとっては毒だろう。
「おぉい。儂は甘口もいけるがぁ、酒も葉巻も辛党だぞぉ」
酒と葉巻の辛口がいったいどういうものか木村にはわからない。
しかし、それらの辛口と、この毒物の辛口は次元が別のものの気がしてならない。
「おいしそうだね。ボクも昼はそれにしようかな」
「キィムラァはやめておくんだぞ」
「うん」
木村もたいへん素直に頷く。
ケリドはハンカチで鼻を押さえ涙目で席を立った。
犬だから匂いに敏感なのだろう。つまり、やばいということだ。
猫に唐辛子は良くないときいたことはあるが、狐に唐辛子系は大丈夫なのだろうか。
酒や葉巻どころか、葉っぱまでキメてるからあるいは大丈夫かもしれない。
そもそも毒使いだから案外いけるのかと思った。
「なっさけない鼻だなぁ」
アコニトは足早に立ち去るケリドを嘲っていた。
もしかしたらこのためだけに、これを頼んだのかもしれないと木村は疑っている。
「ちょっと沁みるが良い香りだぁ」
「ちょっと? これが?」
木村はケリドと同じく、眼にチクチクきて涙が勝手に出てきている。
もはや香りじゃない。ただの刺激である。すでにまともに眼も開けられない状態だ。
「食ってみるかぁ」
アコニトが黒に近い赤を口に入れた。
木村は離れていたところから見ていたのだが、効果は抜群としか言いようがない。
一口目は普通だった。やや表情がぶれたくらいだ。
二口目でアコニトの表情が止まり、顔色が白くなった。
さらに汗が大量に噴き出し、体がガタガタと震え始めている。
木村もアコニトの反応に恐怖して、体がぶるりと震えた。
「アコニト。水」
アコニトは口をひぃひぃと開けて、言葉を発することもなく水を飲み干した。
さらにコップでは足りず、金属のウォーターピッチャーを乗務員から奪ってそのまま飲み干していく。
これでも足りなかったようで、彼女の手が飲みものを探す。
「おい女狐。これを飲むんだぞ」
おっさんがアコニトに器を渡した。
アコニトはすぐさま渡された器に口をつけて飲む。
「ぶはぁああああ! ふはぁああ、ぎぃいいいいい!」
アコニトが赤い汁を口から噴き出した。
床に落ちた器からは真っ赤な液体がこぼれだした。
テーブルを見れば、出されていた真っ赤なスープがなくなっていた。
アコニトは、自身の全身を、爪を立ててかきむしる。
その後、右に左に走り出し、とうとうダイニングから消え去ってしまった。
―― ―― ――
一方、時間は移り、最後尾の展望車である。
展望車には二人しかいない。
一人は金髪の女であり、もう一人は黒髪の男である。
身長差は頭一個分以上ほど男の方が高い。ただ金髪の女の背が低いわけではない。黒髪の男が大きいのだ。
しかし、金髪の女の方が黒髪の男を従えていた。
二人は展望車のさらに後方に進んでいく。
「ダズマ。ケリドの話を聞いていたな。――此度の計画は中止とする」
ダズマと呼ばれた男も短く頷いた。
彼もケリドの話をフルゴウルの横で静かに聞いていた。
「致し方ないでしょう。想定外のことが多すぎました。ノタの目をもってしても見ることが出来なかったのですから」
フルゴウルと呼ばれた女も同意した。
ノタというのはフルゴウルらの仲間である。彼女の力が未来視だった。
ノタの見たという未来では、すでに彼女たちは列車を降りているはずである。
彼女の力が外れたのは初めてだったので、最初は裏切りかと思ったが想定外のことが起きたと判明した。
「まさか異世界とはな」
ケリドから話を聞かされたときは、ダズマだけでなくフルゴウルですら呆気にとられた。
しかし、ラウンジで同席した三人の存在が「異世界」という言葉を事実と示している。
「計画は中止ですが、アレはどうなされますか?」
ダズマはフルゴウルから目を逸らして、展望車両のさらに後ろを見る。
そこにはどんどんと過ぎ去っていく線路と景色だけがあった。
「処分する。現状で、こちらに来られては面倒だ」
フルゴウルが腕を伸ばし、手の平を上に向けた。
手の平のやや上で、金色に輝く光が立方体の形を形成し、やがて重みを持って手の平に乗った。
「これくらいで十分だろうか?」
「はい。込めすぎたくらいかもしれません」
「そうか、難しいものだな。それではこれを――」
ダズマが金色の立方体をつかみあげ、展望車両の後ろの線路に投げ捨てた。
金色の立方体は大きく転がることもなく、線路の上で止まる。
フルゴウルも四つの瞳ではっきりと見届けた。
「線がなければ、列車などただの箱だ」
「はい。アレの処分は良いとしまして、機関部の接収はどうなされますか?」
「放置で良い。問題がすでに生じている。失敗作は不要だ。ドナーを替えて造り直す。この旅程が終わるまで保てば良いだろう」
「承知致しました」
フルゴウルとダズマは展望車両を後にした。
展望車両の横を土埃が舞ったが、彼らは気づいていない。
―― ―― ――
場所は遙か遠くに移動して、グ・ザマヒである。
グ・ザマヒはもう性根が尽き果てかけていた。
追いかけても追いかけても走っていた箱に追いつける気がまったくしない。
追いつくどころか、箱との差はどんどんと開いていっていると彼も感じ始めている。
――もう帰るか?
この問いにもグ・ザマヒは首を横に振らざるを得ない。
谷に帰るにしても、ここから手ぶらで遠路を帰るのはあまりにもしんどいというものだ。
彼がとうとう立ち止まったときにそれはやってきた。
進路方向とは逆側から、この前に見た箱と同じようなモノが二本の金属線の上を走って、彼の方へとやってきている。
ただ、以前見た箱は泡を出していたが、こちらは煙を噴き出している。
彼にとっては噴き出すモノが、泡か煙など大きな差ではなかった。
彼はようやく求めていたモノに手が届く。
これこそが重要だ。
グ・ザマヒの見つけた列車には多くの大男たちが乗っていた。
全員の目つきが鋭く、荒事に慣れた人種である。
彼らは全員雇われた身であった。
依頼内容は、前を走っている列車に追いつき、力づくで奪うこと。
機関部さえ傷つけなければ、殺そうが奪おうが好きにして良いと聞かされている。
さらに報酬は並の報酬よりもべらぼうに高いとあっては、断る理由などないというものだった。
「どこを走ってるのかさっぱりわからねぇ」
「焦んじゃねぇよ、若造」
「ああ、クソ爺が何をいってやがる」
「おい! もっと速くならねぇのか!」
荒くれ者の中に一人だけ例外がいた。
先頭車両の機関を預かる機関士ビッツである。
雇われたという意味では同じなのだが、彼は先行車両に追いつけば良いとしか聞いてない。
奪えや、殺せや、犯せやの世界とは十日ほど前まで無縁であったのに、なぜか今はそんな無法集団の最前線にいる。
ちなみに彼は今回のイベントで、話の進行のみで味方になるキャラである。
かなり重要な役目を後で担う予定だったのだが、異世界ではその役目は訪れない。
付け加えれば、ピックアップの☆5が柴犬のケリドであった。
今回のボス戦における接待キャラと言われるほどの性能を彼女は持っている。
☆4キャラは途中で乗り合わせる予定だったが、異世界のため出番がなくなった。
さて、無法者の最前線は戦う手段もないビッツだが、最上位は別にいた。
車両の最も後方部で、少人数で優雅に酒を飲んでいる。ラトローである。
ラトローは「あの方」からの信用が厚い、と彼は思っている。
なぜか? 彼には知恵があり、戦術を組める知能もあり、何より腕っ節があった。
切り札となる金の箱をあの方から手ずから渡されている。
なお、「あの方」ともったいぶってるが、すでに出てきたフルゴウルが「あの方」である。
フルゴウルからすれば、ラトローは数多くいる捨て駒の一つなのだが、彼には自らが消耗品だという自覚は無論ない。
本来のイベントストーリーであれば、彼がイベントボスの前座となっていた。
ストーリーの最後に、彼は自らが捨て駒だとようやく気づき、嘆きの中で死んでいく。
彼は異世界に来て救われたと言って良いだろう。
嘆く間もなく死ねるのだから。
彼にとっての死がやってきたのは、酒のボトルをちょうど空にしたときである。
車両がグラリと大きく揺れた。ラトローは自らがまだ酔っていないと自覚している。
今の揺れは石を踏んだようなものではなかった。
「客が来たぞ」
予定になかったことだが、ちょうど良いとラトローは考えている。
せめて本番までの時間つぶしと、腕ならしになってくれれば良いと彼は望んでいた。
先頭に戻り機関車両では、ビッツが信じられない光景を目にしている。
何かにぶつかったと思い、身を乗り出して先端を見れば、人が機関車を止めようと腕を大きく開いていた。
死んでないだけでも驚きだが、わずかに機関車の速度を落としていることがビッツの驚きを増している。
なお機関車両を力尽くで止めているグ・ザマヒは分が悪いと考えている。
どうやら彼よりも箱の方が力では上だ。
彼も力はある方だが、谷でも力だけなら上がいた。
こういう相手を戦技なしで倒すには、力をずらし横から攻めるべしとグ・ザマヒは心得ている。
グ・ザマヒは真っ向からの対決をやめて、体を横にずらした。
速度差があったため、体の横を車両が流れていき、後方の第二号車へと一気に移動する。
箱の側面に爪を突っ込み、そのまま箱を引き千切る。
中には多くの人がいた。箱は生物ではなくただの物だったとグ・ザマヒは理解した。
「何者だ!」
傭兵たちは席を立って、それぞれの武器を手にした。
グ・ザマヒも彼らの敵意を認識する。
箱の中には人がいた。
グ・ザマヒは乗り物という概念がないので、なぜ人が箱に乗っているのかわからない。
人は「移動が楽になる」と彼に説明はできるだろう。しかし、彼にはなぜ移動を楽にする必要があるのかが理解できないだろう。
彼はこれまで大きく移動することがなかった。
生まれ育ったところで育ち、そこで生きて、子をなし、死んでいくのが当然と考えている。
外の人間が町と町を移動し、交流や交易を盛んにしているということを彼はいまだ理解できないでいた。必要性が不明だ。
彼が迷っている隙をついて、傭兵の一人が彼に斬りかかった。
容赦のない一閃が彼の首を狙う。
グ・ザマヒはその斬撃を避けなかった。
避ける必要もない。
傭兵の剣は、グ・ザマヒの首に当たり、鋭く短い音を立てた。
刀身が途中でポッキリと折れ、折れた刀身が近くの壁に突き刺さる。
「此筺是何?」
自らが攻撃されたことはグ・ザマヒもわかったが、害はないので無視する。
それよりも彼らが乗るこの箱のことが気になったので、この箱は何かを尋ねた。
「どけ! 俺がやる!」
質問に対する返答は大斧による一撃である。
グ・ザマヒは腕で受けた。斧は薄い剣と違い折れることはなかった。
ただ、攻撃を仕掛けた側が反動でのけぞってしまう。皮膚以前に毛で弾かれる。
「再問。此筺是何?」
もう一度尋ねるが、やはり返ってくるのは敵意と攻撃のみだ。
外の世界は言葉で意志を交わすと聞いていたが違っていたようである。やはり最低限の力を示さないと意志の疎通はできないのだとグ・ザマヒは理解した。
彼は力を示すべく一番大きな男を叩いてみせた。
即死である。叩かれた男は壁をぶち破り、外に飛び出てしまう。
周囲の傭兵たちは、百戦錬磨と言わないまでも一度は自らの生死をかけた戦場に出たことがある。
自分にできうることを把握しているし、戦ってはいけない相手を理解することもできる。
目の前の半人半熊の男に手を出してはいけないことをようやく理解した。
数の力でどうにかなる相手ではない。
彼らの武器は通用せず、彼らの鎧は紙同然だ。
この場にいた全員が、戦わず済む方法を模索し始めた。
「此筺是何?」
グ・ザマヒも傭兵たちがようやく聞く姿勢になったとわかった。
やはり力だ。力がまずあって、言葉による意志の疎通が行えるのだ、と彼なりに理解した。
彼の理解は概ね間違っていない。
この場にいる人間は彼と戦う気などなくなっている。
彼の単語だらけの問いにようやく答えようかという雰囲気が出始めた。
誰が答えるかで静かに譲り合いの攻防戦が始まっている。
「――何事だ?」
問題はこの場にいなかった奴である。
別の車両から彼らを束ねるラトローがやってきた。
束ねると言っても、彼が雇い主に一番近かったから他は彼の指示を聞いているだけである。
力量自体はさほど自分たちと変わらないと周囲は認識している。
周囲の認識は間違っていた。
ラトローは彼らの認識よりもずっと強い。
全力のラトローは彼らが束になってようやく勝てるどうかの強さである。
「ふん。雑魚どもが」
ラトローは列車の状況を軽く見渡し状況を把握した。
どうやら侵入者は半人半熊で、力任せの攻撃が得意なようだ。
傭兵の中でラトローはいっとう強い。
彼自身も、自らが彼らよりもずっと強いことをきちんと認識している。
重要なのは傭兵の中で強いかどうかではなく、グ・ザマヒと比べて強いかどうかであった。
ラトローは彼の得意武器である大鉈を構えた。
彼はそのまま彼の得意技――鮮血の一振りをグ・ザマヒに放った。
彼が「血鉈のラトロー」と呼ばれる所以の技である。
相手がラトローの鉈を剣で受けようが、鎧で受けようが、問答無用で皮膚を切り裂いて出血させる。
出血するほどに相手は動きを鈍らせ、ますます鉈をくらい、最後は血だらけになって絶命する。
彼の身体能力と戦闘技術があれば鉈を相手のどこかに当てることはたやすい。
グ・ザマヒはラトローの攻撃を避けなかった。
当たったところでどうにもならないと考えていたからである。
実際に、鉈はグ・ザマヒの獣毛で止められ、切り傷どころか皮膚にすら届いていない。
ラトローもグ・ザマヒの毛の硬さに驚く。
しかし、彼の攻撃のメインは鉈による斬撃ではなく技によるものだ。
技は発動し、グ・ザマヒの腕の一部から出血が見られた。
「何?」
「なんだと?」
二人が同時に疑問の声を上げた。
グ・ザマヒは腕の一部がわずかに出血したことへの疑問。
ラトローは出血の量があまりにもわずかすぎることへの疑問。
「奇怪的技!」
初めて体験する類いの攻撃にグ・ザマヒも驚いた。
悪い驚きではない。奇妙という面でラトローの攻撃は、グ・ザマヒの関心を惹いた。
驚かされるばかりではいけない。
グ・ザマヒもまた彼の技によってラトローを驚かせることにした。
グ・ザマヒは両腕を大きく開いた。
同時に股も開き、腰を落とす。
「な、なんだ?」
車体が大きく揺れ始める。
ラトローの背後からミシミシと軋む音が響いてきていた。
グ・ザマヒが開いた両手をゆっくりと握った。
ラトローの背後の壁、天井、それに床がぐしゃりとひしゃげた。
まるで紙で作ってあったかのように、車体がくしゃくしゃと丸まっていく。
彼と周囲の傭兵も元凶のグ・ザマヒから目を逸らして、後部で生じる現象を眺めている。
さらにグ・ザマヒは握った左右の拳をわずかに開き、体の前へ近づけていく。
両の手の平が近づくにつれ、車体はますますひしゃげ、ついには空中で歪な球体を作ってしまった。
おにぎりを作るように手の平同士が重なると、ラトローたちの見ていた球体はさらに小さく圧縮される。
その後、グ・ザマヒが手を離せば、球体は線路へドゴッと重い音をたてて落ちる。
ラトローより背後の車両は消えてなくなった。
突如、現車両は展望車になり、空と線路がよく見え、風も遠慮なく入り込んでくる。
この列車は全体が五両編成であり、彼らがいる車両は二両目だ。後ろの三両がどこかに消えた。
この急造展望車も、後ろだけでなく壁にところどころ穴が空いている。
――壊滅であった。
ラトローも後部の三両があの小さな球体になったと想像できるのだが、どうやってああなるのかは理解したくない。
ましてや目の前に立っている半人半熊があれをしでかしたとは考えたくなかった。
もしも先ほどの力が自らに降りかかれば死は免れない。
それでもラトローは立ち続けているという点で勇敢だ。
他の傭兵はあまりの光景に、腰を抜かし武器も手放し震えている。
彼らの力はあくまで人に向けられるものである。車両すら破壊する存在などとの相手は想定されてない。
攻城兵器を狭い室内で使うとこうなりますというデモンストレーションを見させられた。
狭い車内で振るって良い力では到底ない。パワーもスケールも間違っている。
ラトローが立ち続けられているのは、彼にはまだ切り札があったからである。
無意識に伸びた手は、フルゴウルから頂戴した金の筺を掴んでいた。
彼は筺を取り出し、その目映いほどの輝きを見つめる。
グ・ザマヒも、ラトローと彼が取り出した金の筺を見ている。
彼が力を見せつけても会話をせず、キラキラした小さな筺を取り出した。
どうやらまだ何かおもしろい力を見せてくれるのだと、グ・ザマヒもラトローの行動を期待して見守る。
ラトローは筺を握りつぶす。
本来、この筺はここで使って良いものではない。
しかし、ここで使わなければ使う機会自体が間違いなく消え去る。
死あるのみだ。
金色の光が指の間をすり抜けて、周囲に金の光が射した。
ラトローが手を開くと、彼の力を吸いあげて空を飛ぶ鳥が顕現した。
鷲のようだが、その体躯は動物の鷲よりも遙かに大きい。
ラトローがフルゴウルから聞いて予想していたよりもずっと大きく強そうであった。
「これが大鷲アッきゅん! 勝てる! こいつならこの化物に」
名前はふざけているが、見た目と性能はふざけていない。
本来のイベントのボスがこの空を飛ぶ“大鷲アッきゅん”であった。
ユーザーから付いたあだ名が“害鳥AQN”。
列車の上からの戦闘ということで、害鳥が飛んでいるため近距離キャラの攻撃が通らない。
それならと遠距離キャラで戦うのだが、弓はともかく、命中率100%のはずの魔法すら確率で回避するというパッシブスキルをもっている。
必殺技の一つに吹き飛ばしがあり、味方の戦闘メンバーがランダムに強制離脱させられる。しかも一人ではなく一戦闘で最大三人消える。
HPや防御力は低いのでほぼ紙なのだが、食らわなければ何ともないという能力を体現している。
さらにHPが半減すると攻撃パターンが変わり、攻撃が全体攻撃でいっそう激しくなる。
20%を切ったところで二回の全体攻撃+吹き飛ばしというクソ仕様であった。
耐久が紙と言ってもボスなのでそこそこの体力はあり、初心者は半減させたところで全滅することが多い。
上級者でも回避確率と拭き飛ばしがあるため安定はしない。
周回ボスとしては最悪であった。
アクティブユーザーが半減したとも言われている。
あまりにもひどい性能のためか救済策も用意されている。
食堂室でのイベントステージで「ぴちぴちサーモン」を手に入れ使用することで、相手の能力を一定時間封じることができる。
ぴちぴちサーモンを十個ほど集めておくと安定して倒せるので、倒すだけならこれでいける。
ただ、わざわざギミックアイテムを周回して集めなければならないことと、ボス戦を手動でひたすら操作しなければならないことでやはり害鳥というあだ名は避けられない。
グ・ザマヒは現れた大鷲を見て、生まれ育った谷を思い出した。
ダ・グマガ渓谷の近隣でも、昔は同じような鳥がいたのだ。
渓谷側に空への対抗手段が乏しかったことで、大昔はかなりやられていたと聞いている。
しかし、空への対抗策を持つグ・ザマヒが現れてからは、やられるのは鳥側になった。
今では渓谷の近くに飛んでこず、彼自身もつまらないと感じていたところだ。
「已経久了」
彼は腕を大きく振るう。
久々に飛ぶ相手と戦えるので、やる気に満ちあふれていた。
相手が数体なら、家族たちとの連携が必要だが一体なら一人で十分である。
むしろ一人の方が楽しめるというものだ。
彼は手に、彼の力を集中させる。周囲の地面をえぐり取るイメージだ。
社長が走行する傍らの地面が見えないシャベルで掬い取られるように空へ浮いた。
抉られた土は圧縮され塊となって、グ・ザマヒの横を浮き従っている。両手分で二つほど左右に浮いている。
飛んでいようと攻撃してくるときは接近するものだ。
仮に空から魔法を使ってくるとしても、使う瞬間は動きが単調になる。そこを狙う。
斯くして大鷲アッきゅんは特に考えもなく突撃してきた。
いちおうゲーム内と違って知能はあるのだが、グ・ザマヒの脅威を低く見積もっている。
突撃してきた大鷲にグ・ザマヒは土塊をまずは一つ投げつける。
大鷲アッきゅんは、害鳥自慢の回避ムーブで土塊をひらりと避けた。
鳥があの程度なら避けることはグ・ザマヒも予想している。
大切なのは一つ目の土塊で視界を奪うことと、どちらに避けるか見極めることだ。
鳥が避けた方向を見極め、そちらに彼の全力で岩を投げつけた。
岩が彼の力に耐えきれず、途中でボロボロと崩れてしまったが一部が回避後の大鷲にぶつかった。
大鷲は土塊の直撃ダメージに加え、地面に落ちてからの墜落ダメージを受ける。
これで倒しきれれば問題なかったのだが、大鷲もボスである。
HPがじゃっかん残り、行動パターンが変化した。
大鷲は地面を残りの力で飛び上がり、魔法を行使する。
グ・ザマヒの車両に二本の竜巻が襲いかかった。
「うわあああああぁああ!」
乗っていた傭兵たちが叫び声とともに、暴風によって空にへ飛び上がっていく。
グ・ザマヒは彼の力を用いて、自らと足場の車両を押さえつけた。
二本の竜巻が去った後は、息つく間もなく吹き飛ばしがおこなわれた。
これもグ・ザマヒと車両は無事だが、他の者は全て飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられて死んだ。
攻撃が落ち着いたところで、グ・ザマヒは土塊を作り上げるのだが、大鷲も彼の脅威を学習した。
車両には近寄らず、遠距離から隙の小さい魔法でチクチクと攻撃する方向に移った。
これなら土塊を飛ばしてきても距離があるため回避が間に合う。
さらに土塊がグ・ザマヒの力についてこれず空中で分解する点もあり、まともな攻撃にならない。
状況は彼が不利であった。
近づいてくれば、土塊を使わずともグ・ザマヒは力により地面に叩きつけられる。
しかし力の作用が、距離が開くほど大きく弱まってしまうので距離を保たれると落とすことも難しい。
やはり物をぶつけるしかない。
そうすると土塊では駄目だ。崩れるため大きくえぐり取ることも難しく、彼の力に耐えきれない。
彼は自らの足下を見た。
一つ頷いて、天井をなくした車両から一足飛びで先頭の機関車両の屋根に移る。
「ひぃ!」
今も相変わらず最先端にいた機関士のビッツが天井に乗り移ってきた何かに悲鳴を上げた。
先ほどから轟音が鳴り響いたり、凄まじい揺れが起きたり、後部車両への動力供給ができなくなったりで生きた心地がしなかった。
必死に制御盤と戦って後部車両を見ていないのだが、まさかほぼ全ての車両がなくなっているとは思っていない。
そして、唯一動力の供給ができていた二号車も今まさに反応が消えてしまう。
「何が起きてるんだよぉ……」
現状を知りたい思いと、知っては生きていられなくなるという思いが争っている。
どちらかと言えば、このまま後部車両のことを考えず、関係も断ち切り、線路に沿ってまっすぐ進んで、無事におうちに帰りたいというのが本音である。
グ・ザマヒは第二号車を彼の戦技により潰していく。
球体ではなく、鏃のように先端は尖らせ、尻の部分は平坦にした。
限りなく圧縮した第二号車は、奇しくもこの世界には存在しない弾丸のようになっている。
大鷲はグ・ザマヒが何かをやっていると思ったが、行動パターンは変えず遠距離から攻撃することにした。
何かが飛んできたとしても、この距離であれば回避が間に合う。
「ひぃ! ひっ! ふぃぃ!」
大鷲は竜巻をまたしても二本発生させ、彼の立つ車両を襲わせる。
ビッツはすぐ横に現れた竜巻に声をあげ、身を縮こまらせた。
グ・ザマヒはまさにこの瞬間を待っていた。
大鷲が魔法の発動により、その体の動きは単調になっている。
弾丸は投げ飛ばさない。
彼は戦技の力を二つの方向に分けた。
一つは弾丸の位置を支え、飛ぶ方向を固定する筒状の力。
もう一つは、弾丸を全力で大鷲へと撃ち放つための力である。
「撃発!」
彼は弾丸の尻を、戦技を込めた全力の拳で殴り飛ばした。
大鷲はグ・ザマヒが力を使った瞬間を目撃し、回避に移るべく弾丸を睨んだ。
睨んだはずの弾丸は消え去り、大鷲の視界が大きくぶれた。
大鷲の認識できる速さを上回る速度で、弾丸は大鷲の首を撃ち貫いていた。
大鷲は何が起きたかもわからないまま、飛ぶ力も制御できず地面に近づいていく。
そのまま全身を地面に擦らせて、光となって消滅した。
大鷲の消滅を確認したグ・ザマヒは勝利の咆哮を上げた。
機関車両を大きく震わせ、本来ならその雄叫びは誰が何に勝ったのかを広く知らしめることとなる。
ただ、それを目撃している存在はいないし、聞いている者も何が起きているのかさっぱりだった。
「……もう、やだ。おうちに帰りたい。ママの作ったあったかいスープが飲みたいよ」
ビッツは心からの声を漏らした。
視界が涙で潤んできている。
彼は、ここが異世界だともわかっていない。
彼が家に帰ることはもうないのだ。
―― ―― ――
場所はまたしても泡の列車に戻って木村である。
木村は自分の部屋でアコニトを介抱していた。
「うぅ、ぐるじぃ。いだいぃ」
アコニトは料理の毒で完全にやられてしまった。
ひととおり食べたものを吐いて、下痢をして尻からも出せるものを出し切った。
それでも嘔吐は残り、胃腸炎か何かが残っている。
さらには全身に何らかの痛みが残っているようでベッドでぐったりとしていた。
ハッパをキメてから精神が悪い方にぶれることはたまにある。
しかし、今回のように素の状態で弱っているのを見るのは初めてだった。
いつもの余裕な態度がぼろぼろに崩れ、「ぼうやぁ」と弱々しい声で木村を呼んでいる。
木村は新たな感情に目覚めてしまった。今のアコニトが可愛らしくて、胸がドキドキしている。
普段は気持ち悪く笑う邪神とか、余裕ぶった老害、リアクション芸人と考えているが、今のアコニトはまるで女の子のようだ。
「アコニト。ここにいるからね」
「うぅ」
彼女の喉から出てくるか細い声が木村をさらに刺激する。
普段とのギャップが、木村の新たに発見された癖をグイグイと攻め立てる。
木村も自らがいけない気持ちになっていく自覚があった。あのアコニトが可愛くみえて仕方がない。
木村の膝を枕にして、うんうんと弱々しく唸っている。
そんな彼の目の前にポンと音を立てて箱が現れた。
前にも同じ箱を見たことがある。
宝箱であった。
「なんで宝箱が?」
本当になぜ急に宝箱が出てきたのかわからない。
膝に頭を乗せさせていたアコニトをゆっくりと、普通の枕に移し、宝箱を開ける。
中には、前回と同様に10連チケットやその他のアイテムが大量に入っていた。
「キィムラァ、良いか?」
おっさんの声が聞こえた。
扉の前にいるようだ。
「どうぞ」
邪魔するぞと入ってきたおっさんが、開いている宝箱を見て一つ頷いた。
木村はおっさんの言葉を待つ。
「ボスがやられたようだ。報酬はすでに受け取っているな」
「何が起きたの?」
「わからない。何か、声が聞こえた気がしたぞ」
木村にはまったく聞こえなかった。
彼が聞こえていたのはアコニトの弱り切った可愛い声だけである。
「とりあえず、今できることもないからもうちょっと待とうか」
「そうだな。準備は万全にしておくんだぞ」
「うん」
相づちは打ったものの、アコニトがご覧の有様である。
「おい、女狐。早く体調を戻すんだぞ」
そんな無茶な、と木村は思う。
欲を言えばしばらくこのままにしておいて欲しい。
もうちょっとだけこの状態のアコニトを堪能したい気持ちが木村にはあった。
しかし、ボスがやられたことは事実なので、このままにしておくわけにもいかない。
何が起こるのかは木村にもわからなかった。
「薬がないか聞いてくる」
木村がおっさんの横を通る。
「ぎもぢわるぃ。風にあだりたぃ」
アコニトの囁きが聞こえた。
この声を近くで聞くと耳がぞわぞわする。
側で聴きたい気持ちはあるが、やはり体調は治してあげるべきだろう。
「おっさん、アコニトをちょっと任せる」
「ああ、任せておけ」
「うぐぅ……、楽になりたいぞぉ」
木村が薬をもらいに行くべく、体を扉にむけた。
扉が開くと同時に彼の背後から風を感じる。
列車の走行音も大きく聞こえた。
「ぅ? なぁ。やめぇぁっ……」
声が聞こえたが、すぐに小さくなって消える。
何だろうと木村がおっさんたちを振り返ると窓が大きく開いていた。
ベッドにアコニトの姿はない。
カーテンが風にパタパタと大きく揺られている。
「――え?」
木村も唖然とその光景を見た。
おっさんだけがいる。アコニトはどこにもいない。
「え?」
二回目の「え?」が出た。
説明を求めておっさんを見る。
「風に当たりたいというからな。望みどおり楽にしてやったぞ。薬はもう必要ないな」
おっさんは親指をあげて、良しと示した。
何も良くない。木村は窓に駆け寄り、頭を出して後ろを見る。
アコニト巻き上げたであろう土煙が空を舞っていた。
やはり彼女の姿はもうない。
「キィムラァ、あまり体を乗り出すと危ないぞ」
おっさんに体を引っ張られ、木村は窓から離れた。
すぐにおっさんが窓を閉めて部屋は静かになる。
「儂ィ! 復活ッ! やはり健康が第一よのぉ!」
少ししてから元気な声が聞こえてきた。
「坊やぁ、快気祝いだぁ! 茶を飲みに行くぞぉ!」
「はぁ……」
喉元過ぎればなんとやらだ。
いつもの阿呆なアコニトに戻り、木村は思わずため息を吐いた。
仕方なく席を立ち、アコニトと一緒に先頭車両側のラウンジに移動していく。
「坊やは良い子だのぉ」
弱っていたときの記憶は残っているようで、アコニトはお返しのようにやたらと木村の頭を撫でてくる。
まぁ、これはこれで悪くないなと木村は今の状況を楽しむことにした。
32.イベント「しゃぼん玉われた」5
木村はラウンジでお茶を飲み、優雅な時を過ごしている。
正面からややずれた位置にアコニトが座り、彼女もまたのんびりとしていた。
イベントのボスはすでに倒されている。
デイリーすら発生しないのでやらないといけないこともない。
さらにはカクレガにもアクセスできないので、製作や訓練、地図の確認、キャラとの交流、食料の確保などと一切のことから解放された状態だ。
小川のようにゆっくりと時間が流れていき、木村はその流れに体をぷかぷかと浮かせている。
天井を漂う泡の一つに自らがなったと錯覚するほどだ。
「泡が……、多い」
ぼんやりと天井の一角を見ていたのだが、泡がぷくぷくと溢れていた。
天井全体をゆっくりと見回しみる。全体的に見ても、後方の車両より泡の数がずっと多い。
「ふわふわと気持ちよさそうだぁ」
アコニトも木村の声につられたのか、天井の泡を目で追いかけ始めている。
この列車の先頭車両の煙突からも泡が出ていた。車両の中にも泡がこんなにもたくさんある。
さらに言えば、今回のイベントは「しゃぼん玉われた」で、これらの泡はしゃぼん玉ということだろう。
「なんでしゃぼん玉が?」
今までここはそういうところなのだと思い込んでいた。
思い込むというよりも、他のことで頭がいっぱいでしゃぼん玉にまで気を回す余裕がなかった。
しかし、時間やイベントから追われることもなく、ぼんやりとうつつを抜かしているとどうしてこんなに泡があるのか気になってくる。
「おぉい、坊やぁ。余計なことを言うなぁ。儂まで気になってきただろぉ」
アコニトもややそわそわと天井の泡を見始めている。
そもそもここの機関部はどうなっているのか。魔法なのは間違いないだろうが、何がどうなったら煙突から泡が出るのか。
なぜイベントのタイトル名は「しゃぼん玉われた」なのか?
今まで棚に上げていた疑問がようやく目の前に降ろされてきた。
そして、その答えは遙か遠くではなく足を伸ばせば届くところにある。
「ちょっと……見に行ってみる?」
「いいぞぉ」
ここでごちゃごちゃ考えたり、下手な議論をするよりも先頭車両まで見に行った方がずっと早いし間違いがない。
木村が席を立てばアコニトも立ち上がり、前方の車両へ向かうために扉を潜った。
そして、進んだ先で乗務員が木村とアコニトを待ち構えていた。
「大変申し訳ありませんが、この先はお通しできません」
そりゃそうだ、と木村も頷く。
先頭車両どころか、二両目にあたる一号車の乗務員専用車の手前で丁重にお断りされた。
「戻ろうか」
木村が早々に諦めてアコニトを向くと、彼女は紫の煙を乗務員に吹きかけた。
乗務員が膝から倒れるところで、彼女は乗務員の頭を掴み、廊下の曲がった部分まで移動し床に転がした。
「……何やってんの?」
「ここに置いておけば、他の乗客からは異常に気づかれんだろぉ」
「いや、そういうことじゃなくて。なんで煙を吹きかけたの?」
「おぉい、坊やぁ。儂はどこぞの中年と違って暴力は好かんぞぉ。こっちの方がスマートだぁ。ん?」
「いや違う。それ以前の話。なんで倒れさせるの?」
「ん~? あぁ……。坊やはこの先がどうなってるか見たくないのかぁ?」
確かに見たい。
しかし、乗務員を煙で眠らせてまで見たくはない。
駄目だと言われたなら素直に諦めて、お茶を飲みつつ想像に花を咲かせば良いだろうと木村は思っていた。
「“これをしよう”と決意したのなら、実現できるよう手を尽くすべきだぞぉ」
おっさんみたいな道徳的な台詞がアコニトから出てきてしまった。
それ以前の倫理観がまずおかしいので、迷惑な決意表明である。
「ほれ、行くぞぉ」
アコニトが乗務員専用の扉を開けると、こちらも通路になっており、同じように部屋が分かれている様子だ。
泡の数がさらに増えていた。天井は泡で埋め尽くされ見ることができない。
部屋の扉の上辺まで泡が重なって下りてきている。
通路をまっすぐ進めば、機関車両への扉があった。
他の車両との扉と違ってかなり無骨で、見るからに重厚なデザインだ。
引いたり押したりではなく、銀行の金庫にあるようなくるくる回すタイプの輪が付いている。
「鍵がかかってる」
これは予想していた。
輪を回せば開くのだとは思うが、そもそも輪がロックされ回らない。
鍵穴がなくパネルみたいなのが付いているので、指紋か顔かで生体認証するのだろう。
「上から泡が出とるなぁ」
見上げれば泡だらけである。
その泡がぽこぽこと一定のリズムで下や横に押されている。
ときどき泡の隙間から穴が見える。どうやら通気口かパイプで機関車両と繋がっているようだ。
どうやらこれ以上は進めそうにない。
「戻ろうか」
「まだだぁ。儂の深淵を引き出せぇ。あの隙間から中を見てくる。あちら側からなら開くかもしれんぞぉ」
深淵を引き出せというのは、スペシャルスキルを使えということだ。
アコニトのスペシャルスキルは、彼女自身を毒の霧として化して全てを溶かすというものである。
もはや毒というより酸とかそのあたりなのだが、いちおう判定としては毒らしい。
そのため毒無効には効かない。全てを溶かすとはいったい?
本来の力だと毒を超えた何かになるようだが、その水準に達するには少なくとも限界突破が必要となる。
限界突破するには材料がまだまだ足りていない。
「列車を溶かしちゃわない?」
「ここの作りは頑丈だから問題ないぞぉ。それに儂の深淵なら少しは操作できるからなぁ」
「わかった。やってみよう」
木村は意識を集中させ、アコニトのスペシャルスキルを発動させた。
彼女の輪郭が徐々に曖昧となり、薄紫色の霧へ変化し、周囲に広がり始める。
上の泡が小さな音を立てて割れていき、薄紫色の霧が上に見えていた穴へと入り込んでいく。
しばらく待っていたが、扉には何の反応もない。
霧が上部から戻ってきて、アコニトの輪郭がはっきりし始めた。
「鍵は無理そうだった?」
「無理だぁ。開けられんぞぉ」
「で、中はどんなのだったの?」
「つまらんもんだぁ」
木村は続きを待っていたが、アコニトの言葉は続かない。
天井を漂う泡をぼんやりと見つめている。
「……戻って、茶でも飲むかぁ」
「え、え? 中の様子はどうだったの?」
アコニトは答えない。
何も言わずにラウンジの方へ戻っていく。
どうやらここではできない話だと木村は悟り、黙って彼女を追った。
ラウンジに戻っても、アコニトはお茶と酒を頼み、静かに飲むだけでなかなか語ろうとしない。
お茶に酒を注いで、香りを楽しみつつ口に含んでいく。
「それで、アコニト? 機関車両の中はどんなのだったの?」
声が届く範囲に人はいないのだが、木村は小声で尋ねた。
アコニトがカップを静かにソーサーに置き、ようやく口を開く。
「坊やぁ。儂はなぁ。ヒトの心をもてあそぶのが大好きだぁ。身の程を弁えぬ欲に溺れ、借りものの力にうぬぼれ、あがいたあげく達成できない無力さを嘆き、どす黒い復讐の炎に身を焦がす……。こういった感情への変化をうまく焚き付けられたときはなぁ。心がぷるっぷるに潤っていくのを感じるんだぁ。わかるかぁ?」
もちろんわからない。
わかったのは、いきなり最悪の告白が始まったぞくらいのものである。
「無様に踊らせた奴のすぐ近くにおってなぁ。息遣いや顔や体の動きを、見て聞いて匂って触って味わって――全身で余すことなく感じとってこそ楽しめるものだぁ。儂はそう思っとる」
そういえば前回のイベントで、敵キャラの近くで楽しそうに虐めていた。
頭を飛ばされたが、それでも指を突きつけて下卑た笑い声を幻聴で聞いたのを木村は覚えている。
「儂はなぁ。これでもヒトが好きなんだぁ。――わかっとるよ。ヒトにとっては迷惑極まりないと思っとるんだろぉ」
「うん。正解」
「正直者めぇ。だが、それで良い。ヒトとわかり合える神など、力を持ったヒトと変わらんぞぉ。儂らは、ヒトとわかり合えないからこそ神なんだぁ」
「……はぁ。よくわからないんだけど、けっきょくのところ機関部はどうだったの?」
文脈のつかめないアコニト哲学を聞かされていたが飽きてきた。
もしかして、自分を焦らして楽しんでいるだけなのではないかと木村は疑い始めている。
「儂の知る光のわんこもヒトが好きだぁ。愛で方こそ違うがなぁ」
光のわんことはダイニング車両で一緒だったケリドだろう。
彼女はあの最悪の料理の匂いを嗅いでいたが大丈夫だったのだろうか。
「わんこはこのことを知っておるのかぁ? しばし会わんうちに趣味が変わったかぁ、それとも――」
是非とも「このこと」について教えて欲しい木村なのだが、アコニトは語ろうとはしない。
アコニトのやや悲しげな横顔を見ると、木村も無理強いができない。
できるのは煙管に火を付けるのを止めるくらいだ。
ただ時間ばかりが過ぎていった。
―― ―― ――
時間を戻し、線路を遙か後方に移動して機関士のビッツである。
彼は機関車両の中で熊の魔物と対面している。
「ママ……」
見るからに異質な存在。
二本足でこそ立っているがほぼ熊だ。
東の方にいる半獣人をみたことはあるが、ここまで獣ではない。
怖くて後方を見ていないが、おそらく全ての問題はこの熊の魔物が連れてきた。
ようやく静かになってくれたのはいいが、終わりを告げる静寂だ。
この熊男こそがビッツの死そのものだろう。
「此筺是何?」
意外にも熊男が何かを呟いた。
ビッツが見上げれば、熊男はビッツなど眼中になく、周囲の操作盤を見ている。
「再問。此筺是何?」
熊男がまたもや口を開き、ビッツを見た。
ビッツの心臓が止まりかけた。その視線があまりにも破壊的なものに感じたのだ。
言葉がやや聞き取りづらかったが疑問形であり、熊男の目は列車の操作盤を見つめている。
「ここは操作室です!」
声が裏返った。
裏返ったことは自覚しているが、そんなことは気にせず彼はただ全力で熊男に返答をおこなった。
「操、作?」
「はい! この操作盤で、精気動力列車をコントロールしています!」
もうやけくそだった。
ただビッツは彼にできる説明を全力で行う。
熊男は言葉が通じないわけではなかった。
細かいニュアンスこそ伝えられないが、大きな意味や単語は理解してくれている。
それに想像よりもずっと話を真面目に聞いてくれている。後ろで酒を飲んでいた傭兵たちよりもよほど文明的だった。
体格の大きさと見た目の怖さとは違い、質問の節々から興奮らしきものをビッツは感じた。
興味に満ちあふれた子供のようである。
文化の違いがあるのか、列車の仕組み以前に列車の必要性のところから説明をした。
ビッツとしても、これで合っているかはわからないし、とりあえず彼として考えているところを告げた。
ひたすら熊男と話をしていた。
終わってみれば一瞬に感じたが、間違いなく時間としては長かっただろう。
途中で列車の操作を行い、速度の調整やブレーキのかかり具合を披露し、熊男は精気の移動が見えているかのように目で追っていた。
「列車至里?」
ビッツもグ・ザマヒの言葉がだいぶわかるようになった。
「この列車はどこに向かっているのか」という問いである。
この問いにはビッツも答えられない。
すでにこの列車は、ビッツの知らない土地を走っている。
そのため、彼は彼の目標地点を言うに留めた。
「この列車は、泡吹列車を、追跡してます」
単語ごとに区切って話す。
助詞や助動詞はつけているものの、これくらいに区切れば熊男にも伝わることはわかった。
「我知泡吹列車。也在追」
熊男も泡の出る列車を追っていたようだった。
ビッツも思わぬところで話が繋がったように思えた。
「それでしたら――」
このまま泡の列車を追いましょう、と続けることはできなかった。
大きな揺れと振動が彼らを襲ったのだ。足が床から離れ、天井に体が飛んでいくことを感じる。
揺れと音の中でビッツは何もできず、目を瞑っていた。
音がまともに聞こえるようになり、平衡感覚も戻ってきたところでビッツが目を開けると茶色い地面が見えた。
足はまだ地面に付いていない。体に圧がかかっていると思い体を見れば、グ・ザマヒに胴体を抱えられている状態である。
「没有線路」
視線を上げれば、列車が見慣れた高さよりも低くなっている。
普段は見ることのない天井部分をビッツは見た。
列車が横転している。
なぜ横転したのかと、周囲を見渡す。
列車が引きずった跡を追いかければ、大きなくぼみが出来ており、その部分の線路がなくなってしまっていた。
線路がなければ、列車はまともに走れない。
当たり前のことである。
なぜ線路がなくなったかという問題もあるが、より大きな問題がある。
この後、どうするかだ。
ここがどこなのか、ビッツにはわからない。
見渡す限り近くには何もない。いかにもな荒野である。
見たこともない獣が、遠くからビッツたちを群れで眺めてきている。
「我追泡列車」
グ・ザマヒが「泡の列車を追う」と言っているのはビッツにもわかる。
しかし、追う手段がない。まさか走って追うわけではないだろう。
ビッツは地面に降ろされ、グ・ザマヒは列車に近づく。
彼が黒い車体に両手を触れさせた。
「ぇ……」
車体がゆっくりと浮かびあがった。
あまりにも意味のわからない光景にビッツも言葉を失っている。
物を浮かせる能力があることは彼も知っているが、これはあまりにも規格外だ。
彼の知っている能力者が十人やそこら集まったところで、この機関たる車体は浮くことなどない。
グ・ザマヒは浮き上がる車体とともに線路へ近づいていく。
「小片。見、位置。小片!」
グ・ザマヒが声を上げた。
小片というのはビッツのことである。
なぜビッツが小片なのかはわかっていないが、ビッツもとりあえず移動する。
彼は腰を屈ませ、線路と車輪の位置関係を見る。
車輪はどれも無事だ。あれだけの横転をして、どれ一つとして欠けていないのは幸運だ。
いや、あまりにも綺麗すぎる。
欠けるどころか、車軸の曲がりや歪みすら見当たらない。他の部品も彼が見る限り何も生じていない。
まるで何かの力によって衝撃から守られたような印象を受ける。
ビッツも、横転後はグ・ザマヒに抱えられていた。
最後の光景を思い返すなら、彼は天井に頭をぶつけたはずなのだが痛みはまったくない。
まさかと思ってグ・ザマヒを見た。
彼もビッツを見ている。
「位置、良?」
「あ、後方は良。前方が少し左、もう少し左……良」
ビッツは意識を戻して、車輪の位置を伝えた。
車体はゆっくりと降ろされていき、車輪も無事に線路に嵌まる。
操作盤に戻ると新たな問題が発生していた。
ビッツは顔を曇らせる。
「有問題?」
「精気が、ない」
ゲージが赤を指している。
これでは精気動力の起動ができない。
起動さえできれば、走行しつつでも精気は溜められる。
特に今回は牽引する車両もないので、走行中の精気不足を心配する必要などほぼない。
しかし、一番精気を消耗する起動時の必要精気が足りない。
黄色ならまだしも、赤の領域になっては精石による補給すらできない状態だ。
ステーションからの高出力精力の補給しか、起動はあり得ない。
当然ながら、ステーションは周囲にない。
ビッツも絶望的な現状をグ・ザマヒに伝える。
彼は補給位置を見せろと告げてきた。
「これですよ」
グ・ザマヒは見せろとは告げたが、彼は最初から位置がわかっているかのようにビッツよりも先に移動をした。
精気精製炉の扉は開き、中の精石が飛び出したのか空になっている。
奥に見える炉心は光を失い、ただの危ない棒だ。
「ちょっ! 死にますよ!」
グ・ザマヒが炉心の棒に腕を伸ばした。
炉心の棒は、起動中はもちろん危険なのだが、起動していないときでも精気を吸ってくる。
毎年、これに直接触って精気を全て抜き取られ、死ぬ奴が数人ほど出るのだ。
「良。起動」
グ・ザマヒがしばらく腕を引っ込んだ後に、引っ込ませ淡々と告げる。
どうやら少し精気を抜かれたようだ。残念ながら少しばかり精気が多くても、人の精気では純度も量も起動には及ばない。
ゲージを見せれば理解するだろう。
微動だにしていない針を見れば、グ・ザマヒも詰んでいることを理解するとビッツは考えた。
「え……、安全、領域?」
ゲージの針は赤どころか黄色も超え、満タンに近い位置にある。
「本当に? どういうこと?」
「起動」
グ・ザマヒの声で、ビッツは慌てて起動行為に入る。
右側に備えられたレバーを上げる。
「精気弁開放。――炉心、起動を確認。機関室への精気充填を確認。精石の投石に移る」
間違いなく百以上はこなした動作である。
各ゲージに動力が送られていることを指をさして確認する。
精気精製炉にまた戻り、扉を開けて、精石庫にスコップを差し込み、数十ほどの精石を炉に投入する。
扉を閉めて、すぐさま操作盤の前に戻る。
「炉心出力安定。各車両への精気充填に移る。車両ゼロ。主力確認に移る。出力開放二十パーセント。弁を固定。――固定確認。逆転器を前極端へ――逆転器確認。発車準備良し」
一通りの準備を済ませ、グ・ザマヒを見る。
「いつでも発車できます。合図を」
「我征! 発!」
ビッツの知っている合図でこそないが、彼は出発動作に入る。
「出発合図を確認」
彼は足のレバー踏む。
殺風景な荒野に力強い汽笛が鳴り響いた。
周囲で様子を見ていた獣や魔物の類いも音に驚き逃げていく。
「弁を開放。出力、二十五……三十……三十五。弁を固定。逆転器引き上げ――」
列車は大きな衝動もなく、スムーズに動き出していく。
しばらく速度が安定するまで操作を続け、大きな操作も要らなくなったところでビッツはグ・ザマヒを見た。
「是美的動行!」
グ・ザマヒの顔はビッツでもわかるほどに満足していた。
列車出発の一連の流れをよほど気にいってもらえたらしい。
ビッツも久々に機関士としての敬礼をグ・ザマヒに示す。
グ・ザマヒもビッツの動作を真似て、不格好な敬礼を返してくれる。
毛深い肌で、身長もずっと高く、力も意味不明だが、目だけはキラキラと憧れを抱いてビッツを見ていた。
ビッツは、自らがなぜ機関士になったのかを思い出した。
自らも子供の頃、機関士の人がかっこよく見え、今のグ・ザマヒのように敬礼を返した。
現実は夢見た頃のように楽なものではなかった。
厳しい試験、訳のわからない異動、クソみたいな上司……と、なる前もなった後も辛いことばかりだ。
挙げ句の果ては、傭兵たちを後ろに詰んでよくわからない列車にまで追いつくという、意味のわからない仕事まで飛んでくる。
おまけに謎の抗争に巻き込めれ、機関車両以外はどこかに消え去ってしまう。
機関車両だけになってしまったが、彼の大切なものはまだ乗ったままだった。
自らが子供の頃に夢見た――わくわくさせた乗客を運ぶ、そんなカッコイイ機関士になる。
彼は、今まさに夢見た機関士となって乗客を運んでいる。
列車は走る。
たった一人の乗客を、終点に送り届けるために。
33.メインストーリー 2
一日をラウンジでダラダラと過ごし、ダイニングへ夜ご飯を食べに行く。
あまりにもゆったりとしすぎて、本当に夜ご飯を食べてもいいのか木村は不安になってくる。
食べ終わった直後に討滅戦がやってきて、「十回クリアするまで休めません!」とか言われないか心配だ。
もちろんそんなことはありえない。
地球にいた頃とは比べものにならないほど、時間の使い方が緩やかだ。
平日は学校、休みの日は塾と、学生というのはなかなか忙しいものなんだなと考えた。
アコニトに加えて、おっさんや赤竜も一緒にダイニングへ行くことになった。
ダイニングにはすでにケリドとフルゴウルが同席して食事をしていた。
ケリドがアコニトを見て露骨に嫌な顔をしたが、今回はアコニトもケリドに絡もうとはしない。
アコニトも扉近くの席に座り、赤竜やおっさんもそれに倣った。
木村とおっさんがおまかせコースを選び、アコニトは懲りずに聞いたこともないコースを選ぶ。
「ボクは、パープルくんが朝に注文していたコースにしようかな」
「本気ですか? アレを?」
「ボクは辛い物も好きだよ。あれぐらいが良いのさ」
人っぽい外見をしているが、この世界では竜という名の謎種族だったと木村も思い出す。
アコニトは昼前の苦痛を思い出したのか胃の辺りを押さえていた。
木村もあの毒物が来てしまっては、食事どころか近くにいることすらできない。
ガスマスクが必要になってくる。
「すみません。席を移動してもいいですか?」
「ひ、一人では坊やも寂しかろう。仕方ない。儂が同席してやろぉかのぉ」
「いや、俺が行こう。女狐はここで赤と一緒に食事をしてやってくれ」
アコニトは、席を立ちかけたところでおっさんに肩を押さえられた。
そのまま赤竜がにこやかにアコニトへ話しかける。
「大丈夫かい? パープルくん。しっぽの毛どころか顔色までパープルだよ」
料理という名の毒物が来る前から、アコニトの顔色が悪くなっている。
木村は、また弱ったアコニトを看病できそうだぞと期待した。
「失礼します。あちらのお客様からご同席のお誘いがかかっております。いかがされますか?」
木村がおっさんと席を立って移動し、腰掛けたところで乗務員が近くにやってきて声をかけてきた。
あちらのお客様とは、ケリドとフルゴウルのようだった。
木村は断る理由がない。
おっさんも同様だ。
それでは、と座ったばかりの席を立ち、ケリドとフルゴウルの席へ移動する。
木村としても、あの毒物からなるべく距離を置きたかったのでありがたい話であった。
「お招きいただき感謝する」
「ありがとうございます」
おっさんの言葉を真似て、木村も礼を告げた。
ケリドは真面目顔なので感情がわからないが、少なくともフルゴウルは機嫌が良さそうである。
黒髪の怖いおじさんもいないので木村としては心が軽い。
「良く来てくれたね。どうぞ座ってくれたまえ」
フルゴウルはやはり木村が見えていないようで、木村とはややズレた位置を見て話していた。
おっさんの方はあまり見ようとしていない。
「同席を許してくれて感謝するよ、ケリド女史」
「アコニトがいないなら私はかまいません。どうかお気になさらず」
「キィムラァくんはすでにケリド女史とは挨拶したようだから、紹介は省かせてもらおう。招待させてもらったのは朝の礼をまだ言ってなかったからなんだ」
「……そう、でしたっけ?」
いろいろとあって、あまり木村は記憶に残っていない。
はっきりと思い出せるのはアコニトが煙管を吸い出したことや毒物をまき散らしたことくらいだ。
「そうだよ。その節は世話になったね。ありがとう。何か私に出来ることがあれば言ってくれ。できる限りのことはしよう」
「いえ、そんな。大げさですよ」
実際にそこまで大したことはしていないと木村は思っている。
やってもらいたいこともさほど――、
「あ、そういえば知りたいことがあったんです」
「何かな?」
木村は何かないかをいちおう頭の中で検索をかけた。
そして、すぐにヒットしてしまった。
「ここの列車の出資は、フルゴウルさんとケリドさんがされているんですよね?」
「そうだね」
「はい。そのとおりです」
昼にケリドがそんな話をしていたのを木村は覚えていた。
けっきょくアコニトは、機関部の内部を何も教えてくれなかった。
この列車に詳しい二人が目の前にいて、一人がお願いを聞いてくれそうな雰囲気を出している。聞かない手はない。
「この列車の泡は機関室から出ていると思うんですが、機関室の中というか、機関の仕組みがどうなってるのか知りたいんです」
「もちろんかまわないよ。この列車の一番の特徴だからね。ただ、機密事項もあるから、話せる部分だけになってしまうが良いかな?」
フルゴウルは木村だけでなくケリドも見た。
「機関部に関して、私どもは存じあげません。フルゴウル殿の裁量にお任せ致します」
「ありがとう。私の伝えられる範囲を話すとしよう」
どうやらケリドは機関部について知らされていないらしい。
ケリドが知っているかアコニトも気にしていたので、後で伝えておくことにした。
「従来の精気吸引型システムはキィムラァくんも知っていると思う」
「いえ。知りません」
「おや、列車についてはほとんど何も知らないのかな」
「いえ、テレビ……過去の映像で列車は見たことがありますし、似たような物なら乗ったこともあります。エネルギーは精気? とかではなく蒸気や電力になりますが」
「ほう。後でそちらの話を聞かせてもらいたいな」
「私も是非とも異世界の動力に関して聞かせていただきたいですね」
フルゴウルとケリドの関心が、逆に木村の世界の話に行ってしまった。
二人とも互いに熱が入ったことを自覚したようで、冷たい飲みものを頼みクールダウンさせる。
「失礼。まずはこちらの話だね。従来の精気システムは、ステーションでの高出力かつ高純度の精気を補給しなければ炉が動作しない。高出力かつ高純度の炉は人が作り出すことはできず、天然から産出される高品質の精石からうまく取り出す必要があった」
化石燃料みたいな話だろうと木村は理解した。
そうすると枯渇の問題が次に来るのかなと話を推測する。
「この天然の精石がもうじき発掘できなくなりそうでね。人工の精石では炉を維持するだけならできるが、起動には足りない。そこで新たなエネルギー源が必要となったわけだ。ここまではわかるかな」
「はい。なんとなくですが」
学校の授業でも習ったような話だ。
化石燃料が枯渇するから、自然エネルギーを使っていこうという流れだろう。
どこの世界も似たような問題に直面しているのだなぁと木村は感じた。
「実際にいくつかの新たな動力が導入された。熱、氷、雷、風、それに光か。ケリド女史も光の分野では試行されているよ」
「はい。あいにくと出力が不安定かつ使い手が少ないため、列車の動力としてはお蔵入りとなりました。他の分野で利用しています」
光と言うと、太陽光発電みたいなものだろうか。
それにしても光の能力者というとなんだか強そうだなとケリドを見る。
ケリドは、まったく別の方向を見ていた。
木村もそちらを見ると、赤竜とアコニトの席である。
アコニトの前にどう見ても岩と思われる黒の塊が並べられ、彼女は乗務員からコースの説明を受けているようだ。
木村もあの岩をどうやってアコニトが食べるつもりなのか気になる。
「そこで我々も新たなエネルギーを見つけ出し、ついに実用化することに成功したという訳だ」
「新たなエネルギー源はいったい何だったんです?」
「ふふ。残念ながらそこは機密でね。申し訳ないが、キィムラァくんでも話すことはできない。ただ、“どれだけ消耗しても代用がきき、なくなることがない”とだけ言っておこうかな」
「すごいですね。理想的なエネルギー源です」
本当にすごい。
もしもそのエネルギー源を地球に帰ることができたら木村は英雄だろう。
「それで、あの泡はエネルギー源からどういう過程で出てくるんでしょうか?」
エネルギー源はさすがに教えてもらえそうにないが、けっきょくのところ泡はどうやって出てくるのか。
しかし、エネルギー源と密接な関係と思われるので教えてもらえる可能性は低そうだが、ダメもとで尋ねてみる。
「実はね。わからないんだ」
「え?」
「そうなのですか?」
木村も驚いたが、ケリドも意外そうな表情でフルゴウルを見ていた。
フルゴウルも困った顔をしている。
「エネルギー源から動力を抽出する魔法構成と高効率循環システムを、うちの開発部が作り上げたんだけどね。なぜかその過程で泡が出てくるんだ。害もないし、せっかくだから外だけでなく中にも出してみようということでこうなっているんだよ」
「そんな理由があったんですね」
「虚精神と幻想抽出、抽象具現、分解作用。システムは素晴らしいな。しかしだ、一つだけ言っておくぞ」
今まで石のように黙っていたおっさんが急に口を開いた。最初の言葉を木村は聞き取れなかった。
笑顔も何もない無表情でフルゴウルを見る。
「今の話は――絶対に赤の前でするんじゃないぞ」
「赤?」
木村がアコニトと同席している赤髪の女性を示す。
フルゴウルも理解した様子だ。
「ひょっとして忠告かな?」
「いいや、チュートリアルだ。キィムラァもだ。いいな?」
「……うん」
よくわからないが木村も頷く。
実はアコニトが中を見た、とは言えない雰囲気である。
口を塞がせるなら、自分よりもアコニトではないか。問題の赤竜とも同席している。
二人の様子を見ていると、アコニトが毒物の刺激臭で涙を流しながら、岩を口に入れどうにかかみ砕こうとしていた。
赤竜は問題ない様子で毒物を口に入れている。
「ちなみに話すとどうなるの?」
興味本位で木村はおっさんに尋ねた。
あの赤竜はあまり強そうには見えないし、魔物よりも怖くない。
乗務員相手にも力尽くの解決はしていなかった。話すとどうなるのかが気になる。
「機関のシステムは赤の逆鱗に触れている。花火を見ることになるだろうな」
木村にはよくわからなかった。花火?
フルゴウルはぴくりと反応して、小さく頷いている。
「覚えておこう。ただ、このシステムはまだ問題点も多い。改善が必要さ。さて、それではキィムラァくんの世界の列車の話を――」
フルゴウルが話を切り出したところで扉が開き、足早に黒髪の男が入ってくる。
ダズマである。ダズマはおっさんを見て、一瞬だけ頬を硬直させたがそれだけであった。
「団らん中に失礼致します。フルゴウル様、ケリド様。よろしいでしょうか」
「――済まないね。少し席を外させてもらうよ。私たちにかまわず食事を楽しんでくれ」
三人とケリドの付け人が扉から消え去り、おっさんと食事をする。
アコニトの方から叫び声が聞こえてくる。
「歯が! 儂の可愛い八重歯が! あぁぁぁ!」
どうやら欠けたか折れたかしたようだ。
アコニトが指で何かをつまんで涙を流している。
残念ながら岩のような何かは、かみ砕くことが適わなかったらしい。
赤竜は汗をかきながらスープを飲んでいた。
アコニトの声など聞こえていないかのようで、ひたすら食事をしている。
「キィムラァ。食事は終わりだ。敵が来るぞ」
「……はふぃ?」
おっさんがスプーンとフォークを皿に並べて置いた。
ナプキンも折りたたみ、机の上におき、すでに席を立っている。
木村はスープを飲んでいる途中だったの変な声が出てしまった。
慌てておっさんの真似をして、スプーンとフォークを置き、急いで席を立った。
「どうやら招かれざる客が来たみたいだね。中座してしまったよ。冷める前に終わるといいけど」
気づけば赤竜も木村の側に来ていた。
竜でもあの毒物は辛かったようで、汗を隠しきれていない。
赤竜の後ろには泣いているアコニトがいた。
口を開けて、歯がどうなっているか指で確認している。
残念ながら木村から見ても歯の場所は空洞となり、完全に折れていることがわかる。
「食べなきゃ良いのに……」
「注文だけして口も付けずに返すのは、儂でも躊躇うぞぉ」
クスリを公衆の面前で吸う存在が、今さら何を言っているのか。
おっさんも今の発言は耳を疑ったようで、手を耳に当てて聞こえているか確かめている。
「敵が来るって言うけど、どこからやってくるの?」
「後ろからだよ。まだ距離はあるのに、はっきりと知覚できる魔力だ。素晴らしい魔力量だね。ここまでの存在は久しぶりだよ。彼女たちで止められるかな?」
「無理だな。キィムラァ。脱出の準備をするんだぞ」
「脱出? 戦闘はしないの?」
「今のボクたちじゃ戦いにならないね」
赤竜が諦めたように両手を挙げる。
仮にも竜なら何とかして欲しいところではある。
いや、竜以上に強いやばい存在が来たと考えた方が良いのだろう。
どこかの教授だったりしないだろうか。
「逃げろとまではボクは言わないけど、戦闘を回避できるならその方向でいくべきだね。せっかく口があるんだから。――そうだ。食事に誘ってみてはどうかな」
赤竜の発言は、ふざけているのか本気なのか判断に困るところである。
そうこう話をしているうちに、木村にも大きな音が聞こえてきた。
爆発音やそれに伴う振動が立っていても感じられる。
戦闘音は徐々に近づき、乗務員から席に座って落ち着くよう声がかけられる。
木村が落ち着こうと深呼吸をすると、後方車両側の扉が吹き飛んできた。
扉だけでなく、黒髪の男もセットで飛んできている。
ダズマであった。どうやら彼は意識を失っているようでぴくりとも動かない。
その後、ケリドやフルゴウルも彼を追うように走って、ダイニングにやってきた。
「全員、速やかに前方車両へ避難しなさい!」
ケリドが叫ぶ。
彼女が叫ぶと同時に、扉の向こう側から熊の姿をした男がやってきた。
こちらの世界の獣人と雰囲気が近い。
モチーフは間違いなく熊だ。
ケリドやフルゴウルが負傷しているのに、熊人の方はまるで負傷している様子がない。
堂々とダイニングを見渡し、木村やおっさん、それに赤竜も見た。
赤竜を見たところでぴくりと動きが止まる。
「あれ? キミ、もしかしてダ・グマガ渓谷の出身だったりする?」
赤竜が前に出て、熊人に話しかける。
木村は本当に話しかけるとは思ってもみなかった。
しかも、彼女の口から出た名前は木村も聞き覚えがあるものだ。
「是的。ダ・グマガ谷、我的家。是赤可?」
「ああ、ボクがそうだよ。やっぱりか。キ・ツマグの代に遊びに行って以来だからね。まあ、立って話すこともない。食事でもしながら話そうじゃないか」
知り合いというほどではないが、まともに話ができているように見えた。
赤竜が椅子を勧めると、熊人も椅子を見ている。
「我想一介人打此」
「ああ、もちろんかまわないよ。ボクも食事の途中だったからね。一緒に食べよう」
「是的」
木村は聞き取れなかったが、何か通じ合ったようである。
熊人は大人しく回れ右をして、扉から立ち去った。
「彼は何て言ったんですか?」
「もう一人をここに呼んでも良いか、と言ってたよ」
「あの、さっきの獣人と知り合いなんですか?」
「彼の出身地は、ボクの管理地の北限でね。彼が今の当主なら、先々々代くらいの当主になるかな。そいつと大喧嘩をしたことがあったんだ。そのときにおっきい谷をつくっちゃってね。彼らは今もあそこに住んでるのかな」
木村は嫌な思い出がよみがえった。
その谷で手も足も出ず逃げ帰った記憶がある。
アコニトも何か遠い記憶を、思い出そうとして頭を抱えている。
おそらく彼女は思い出せないだろう。初っぱなで殴られ死に絶えたのだから。
「やはり会話は重要だね。でも、珍しいな。あの渓谷の住人は滅多に谷から出ることからないんだけど、誰かがちょっかいを出したのかな」
まさしく木村たちであった。
アコニトどころかおっさんまで無言だ。
大人たちの対応を見習い、木村も知らぬ存ぜぬを貫くことにした。
赤竜も、様子のおかしい木村たちを見て察したようで、フムフムとわざとらしく頷いている。
熊人が連れてきたのは、熊でも獣人でもなく一般的な人間の男性だった。
ウィルに近いが、彼よりはやや体つきがたくましい印象を受ける。
ここの乗務員の服装よりも、ややキッチリしていた。
「あの、なぜ自分はここにいるんでしょうか?」
呼ばれた男性――ビッツは、とても困った表情で椅子に座っている。
机を連結させ、熊人、ビッツなる男、木村、おっさん、アコニト、フルゴウル、ケリドが椅子にかけて話し合う態勢だ。
ダズマはどこかへ運ばれていってしまった。
乗務員は恐怖を隠しきれていないが、熊人やビッツに食事を出していた。
赤竜も毒物を彼らの横で、やや離れて一緒に食べている。
「それで、キミたちはどういう経緯でここにやってきたんだい?」
「起初――」
熊が話を始める。
木村が聞き取れる範囲だと、里に何かが入ってきて、それを追ったのが最初。ここは木村もわかる。入った本人だからだ。
その後で、大きな町に行き、この列車を見て、線路に沿って追った。追っている途中で別の列車に乗った。ここもまだわかった。
列車に乗ったらおもしろい男がいたので、力を披露したら鳥が出てきて、車両を投げて倒したという話が出た。
おそらく言葉がおかしいので、正確な訳ができていないのだろう。木村は英語のヒアリングも得意ではない。
その後は、途中で列車が横転したので、線路に戻し、再び走りだしてここに至るとか。
ヒアリングテストなら赤点だったかもしれない。
もう片方のビッツは機関士のようだ。
見てはいないが後ろにある列車を操縦していたようである。
彼の鉄道会社が、どこか別の会社から依頼され、彼に白羽の矢が立ったとか。
傭兵たちをこの列車まで運ぶのが元々の役目だったが、熊男がやってきたところから流れが変わった。
熊男と一緒に竜巻がやって来て、傭兵たちと後ろの車両全てがどこかへ行った。
その後は横転もしたが、熊男の力で機関車を線路に戻して、エネルギーも蓄えてここに至るとか。
もしかして先ほどのヒアリングは合っていたのではないかと木村は思い起こす。
どうも木村の理解を超えたことが起きていることは間違いない。
もしかしてビッツの列車にいた奴がボスで、竜巻を起こすやつだったのではないかと木村は推測した。
真実はやや違うのだが、推測は惜しいところを突いている。
食事が出ると、二人は遠慮なく食事を食べている。
特にビッツはよほどお腹が減っていたようで、先ほどまでの遠慮がちな態度はない。
グ・ザマヒも数人前を軽い様子で平らげていく。岩のような謎の料理もかみ砕いているので、アコニトが恐々した様子で自らの歯を触っていた。
なお、あの毒物はやはり種族的に無理なようで、これにはアコニトも満足そうに頷いたし、木村も頷いた。
残したら駄目だろうと言うことで赤竜が、一人だけ周囲から離れておいしそうに食べている。
「我欲見泡機」
食事が終わったところでグ・ザマヒが告げた。
これは木村もわかった。泡を出す機関が見たいということだろう。木村も見たい。
「残念ながら、あそこは機密だよ。赤殿からも伝えてあげてくれないかな」
フルゴウルが赤竜に説得を依頼した。
依頼を受けて、赤竜も熊男をなだめるように言い聞かす。
「ボクも見たいけど我慢しているんだ。あまり無茶を言ってはいけないよ」
赤竜も見たかったらしい。
そういえば列車に来た直後で、そんな声を聞いたなと木村は思い出した。
「自分もこの機関の話は耳にしたことがあります。機関士がいないとうかがいました。今後は自分たちも仕事がなくなっていくのでしょうか」
ビッツが口に出す。
将来への不安が感じられる。
なんだか話が急に小さくなったと木村は感じた。
「いいや。そんなことはない。まず言っておきたい。この列車の機関はまだ試作段階だ。先走って導入こそしたが、安定した動作をしているとは言いがたい。管理する者が絶対的に必要となる。それは、君たちのような機関士が行うべきだと考えている」
フルゴウルの言葉に、ビッツもほっと息を吐いている。
「精気吸引型の炉が減っていくことは間違いないでしょう。しかし、ビッツさんが機関士として培った知識や経験は機関だけではないはずです。責任感やトラブル発生時の対処などの心構えは、別のシステムに置き換わった後も無駄にはなりません。貴方のような方が、新たなシステムについて学んでくれれば、新たな時代の機関士を導く存在になることは間違いないでしょう」
ケリドも真面目くさった顔で、フルゴウルの言葉を支持した。
ビッツだけでなく、フルゴウルもケリドの言葉を満足そうに頷いている。
木村も、ケリドの言葉には、気遣いという温かみを感じられた。
表情が硬いので、少し怖い印象こそあるが気遣いはできるようである。
表情が柔らかく気遣いという言葉に無縁のアコニトとは真逆の存在であった。
「儂はそんな新たな時代はごめんだなぁ」
和やかな雰囲気に水を差す奴がいた。まさしくケリドと対をなすアコニトである。
煙管を手にしているが、火を付けないように自らを抑えている。
「なんですって? もう一回言ってみなさい」
アコニトの言葉にケリドがすぐさま反応する。
沸点が低いという点では似たもの同士だ。
「耳が聞こえんくなったかぁ。うぬがのたまう“新たな時代”――そんなものはごめんだと儂は言ったんだぁ」
全員の視線を浴びてもかまうことなくアコニトは口にした。
非難の目で見られようがおかまいなしである。
態度の方向性はともかくとして、木村はこういったアコニトの態度を嫌いとは思っていない。
もしも彼なら非難の目が一斉に自身へ向けば、視線に負けて意見をあっさりと変えてしまいそうだからだ。
「貴方は、自らの役割を何一つとして果たさず、他者の成果に文句を言うのですか」
「無論だぁ。儂は何もせんでも口を出すぞぉ。儂の気にいらんモノは、なんであろうと気に入らんと言う。逆に問うぞぉ。うぬは、なぜアレに行き着いたぁ? アレがヒトを導くためのものだと本当に思っておるのかぁ? あぁ?」
ケリドもキレているが、どういうわけかアコニトもキレている。
彼女を少しばかり知っている木村としては、もはや激怒に入っていると判定するところだ。
「アレ? アレが何か知りませんが、私はヒトをより良い方向に導くため行動を――」
「ヒトをガラクタに寝かしつけてぇ! 意識をなくした状態から力を抜き取ることがぁ! 良い方向への行動だぁ?! ……もうよい。もはや話ができん。うぬの好きにせい」
儂も好きにすると言わんばかりにアコニトは煙管に火を付けた。
木村はアコニトの怒りと、その後の諦めた静かな姿から喫煙を止めることができない。
おっさんが殴るだろうと思ったが、なかなか行動に移らない。
どうしたんだろうとおっさんを見ると、彼はアコニトとはまったく別の方向を向いていた。
木村がおっさんの視線を追う。視線の先にいたのは赤竜である。
彼女は笑顔のまま固まって、角には赤い光の線が浮かび上がっていた。
「パープルくん。その言いようだと、キミは機関室の中を見たのかな?」
「見たぞぉ。儂の力で隙間から入り込んでなぁ。せっかくの和やかな時間がだいなしだぁ」
アコニトがケリドを睨んだ。
睨まれたケリドは、事情がわかっておらず先ほどまでの威勢がやや弱まっている。
「待ってください。ヒトが機関室の中にいて、そのヒトから力を搾取していると貴方は言うんですか?」
「いまさら何を言っておる? うぬがやったのだろぉ。新しい時代とやらのために、ヒトをより良い方向に導くために、行動をした結果がアレなんだろぉ? どうしたぁ? 胸を張れよぉ」
「フルゴウル殿、あの中には本当にヒトが入っているのですか? ヒトをエネルギー源にしていると言うのですか」
ケリドはフルゴウルを見たが、フルゴウルはケリドを見ていない。
彼女は赤竜を見ていた。グ・ザマヒとおっさんも赤竜を見ていて、彼女から目を離すことができない。
「フルゴウル殿! 答え――」
「レディ・ケリド。キミは本当に知らなかったのかな?」
「機関に関してはフルゴウル殿に任せています。ヒトをエネル……」
そこまで口にしたところで、ケリドは発言を止めた。
フルゴウルに向けていた視線を、赤竜に変えた時点で言葉が止まってしまう。
「レディ・フルゴウル、教えてくれるかな。今の話は本当かい?」
「はい。本当です。この列車の機関はヒトを利用しています。しかし、それには理由が――」
「あぁ、理由は良いんだ。ボクが聞きたいのは本当かどうかだけだったから。そうかぁ。やっぱりこの泡は、“ソレ”なんだよね」
赤竜がおっさんを見た。
彼女の顔や角の全体にヒビが走り、まるで活動中の火山の表面のようである。
「ソレだな」
見られた側のおっさんは短く一言で赤竜の言葉を肯定した。
赤竜の顔から白い何かがポロリと落ちた。木村が落ちた物に眼を向けると、肌のように見える。
雰囲気がとても良くない、と木村は感じた。
赤竜も雰囲気は穏やかなのに、なぜか不気味な気配を覚える。
以前の遺跡と似たような感覚だ。わからないところで何かが起きているような。
わからないはずなのに、どうしてか嫌な感覚だけがじわりじわりと這い寄ってきている。
「どうしてヒトは、ヒトの感情を奪おうとするのか――」
赤竜が両手で自身の顔を抑えた。
彼女の顔の表面が、ジグソーパズルのピースのようにポロポロと落ちていく。
手で落ちるのを抑えようとしているようだが、顔の表面や角は抑える甲斐もなく床に転がっていく。
「この素晴らしき感情という熱を、色を、光を、花をどうしてヒトは自ら奪おうとする?」
顔の剥げた合間から、赤く燃える表面が現れる。
赤い光が顔を抑えていた手の隙間から漏れ始めていた。
グ・ザマヒとおっさんが同時に動いた。
それぞれがビッツと木村を脇に抱え、列車の壁をぶち破って外に出る。
『ボクはこの感情をどこに打ち上げれば良い?』
木村には久々の感覚だった。
頭の中に直接、赤竜の声が聞こえてくる。
おっさんは木村を抱えたまま、うまく着地を決めた。
木村はおっさんの脇から走り行く列車を見ている。
線路を挟んで反対側からもグ・ザマヒとビッツが列車を見ていた。
おっさんが突き破った穴から漏れる光が、白から赤に変わっていく。
どんどんと離れていく車両からは、黄色っぽい光や金色の光がときどき見えたのだが、あっという間に赤い光に飲まれてしまった。
その後、赤い光は収束した。
先ほどまでの明るさが急に消えさってしまう。
月は出ていないようで、走る列車から漏れる光だけが夜を照らしていた。
「あれ? 収まった?」
何も起こる様子がない。
「始まるぞ」
「何が?」
おっさんと木村の声だけが暗闇に存在していた。
「キィムラァ。――目が覚めて、もしも俺が近くにいなかったら、その場を大きく動かず待っているんだぞ」
列車から赤い光が見えた。
先ほどまでのぼんやりとした光ではない。
異様に明るく、あっという間におっさんや木村たち、離れていたグ・ザマヒらを照らす。
照らすどころか、赤の光が全てを飲み込んでいく。
あまりのまばゆさに木村は目を閉じた。
光と音、それに清々しいほどの衝撃が彼を通過し、世界が暗転する。
花火大会が終わった直後のような物悲しい沈黙が木村の世界に満ちた。