『バースト・カース』 作:ゅゅ
かぽーん、というSEが入りそうなくらい良い浴場だ。
こんな立派な露天風呂がこの城にあるなんて知らなかった。
まあ、ここに来てから二日目だから当然と言えば当然なんだが。
「紅姫! 背中流して!」
「え!?」
「なに?」
俺はタオル……のような布で体を隠しながら、蒼姫の方を見る。
湯気で隠れているが、いや、その……滅茶苦茶綺麗だ。
「あああ~っと。えっと。やっぱり別々に入らない?」
「私のこと、どこにいても守ってくれるんじゃないの?」
「守る! 守る! 絶対の約束だ!! でもさあ!!!」
俺はどうしてこんなに情けないんだ? 可愛い女の子の裸体が目の前にあったら、男なら大歓喜でそのまま押し倒して楽しいことをひたすらするものだろう。だが、なぜか今の俺はそうはなっていない。
なんて言うか、俺と蒼姫は親友同士で、心の底から本音を話し合えて、お互いに信頼しあっている。そして、俺たちは共に人生に勝つと約束し、どんな時でも一緒にいて、お互いに助け合うと誓い合った相棒同士でもある。
「でも、そういう仲だからこそ、裸でっていうのは……」
「えへへ……私、綺麗かな? 紅姫にだったら私、見られても平気。嬉しいよ?」
「ねえ、やめて本当に。心臓に悪いから……」
無い竿が暴発しそうだ。
「背中な! 流すからとりあえず向こう向いててくれ!」
「うん、お願いします」
俺はひとまず一難逃れた。そして、また一難というやつだ。
蒼姫の背をまじまじと眺める。
うわ……。
めっちゃ綺麗。それ以上の言葉が思い浮かばないくらい綺麗だ。
すべすべで滑らかで、シミやでき物もない、まるで一枚のシルクから作ったかのような、そうでなければミケランジェロの大理石像のような、完成された美が、俺の網膜に暴力的な官能性を伴って殴り掛ってくる。
『お前、これを読む私たちのことを少しは考えてくれないか? あと、何か知らんがマリアが不機嫌だ。どうにかしろ』
『別に不機嫌ではありません。楽しそうですね』
俺はその声音に心臓が跳ね上がる。凍りそうなほど冷たい声音。
ううぅうううう!!!!
俺はここに来るまでマリアのことを良いな、って思っていた。
だが、目の前に蒼姫の裸体があり、俺の心の天秤は高速回転を始めた。
「とりあえず……洗いますね……」
「なんで敬語?」
俺は海綿に石けんをならし、蒼姫の背を優しく洗っていく。
肌の曲面、その奥にある骨の質感、うっすらと見える静脈。その全てが危険だ。
俺は狂いそうになりながら蒼姫の背を流した。
「お……終わったぞ!!」
忍者を倒した時より体力を使った。
「前も洗う?」
「冗談はよしてくれ!!」
紗雪とマリアに殺されるから。
『なぜ、そこで私の名が出てくるんですか? 紗雪さんはともかくとして』
『ん? まあ、コイツのこういう記述に一々突っ込むのも無意味だと分かってきた。私はもう勝手にしてろとしか思わないぞ』
『そうですか。はあ』
俺は耳元の地獄と目前の天国に惑わされる。
「ふーん。じゃあ、私が紅姫の背を流してあげる!」
「自分で洗えます……」
「ダメ! 洗い残しがあったらダメだし、こういうのはギブアンドテイクでしょ?」
「凄いギブアンドテイクですね……」
俺は蒼姫に背を流して貰い、前も洗おうとしてくる彼女を何とか押しとどめ、全身を洗い終えると、浴槽のほうへと向かった。
「一生分心臓ハネさせたわ」
「紅姫、心臓が止まっても死なないもんね」
蒼姫はそう言って俺の隣に寄り添ってくる。
うん、懐きすぎだろコイツ!
「蒼姫、俺たちまだ出会って二日だしさ……距離感大丈夫か? これ……」
そう言うと、蒼姫は暗い顔をして言った。
「あ……ごめんね。私友達とかいたことなくて、紅姫としかこういうお話とか、楽しいこととかしたことなかったから……変、だよね……ごめんね……」
「いや! 変じゃねえ!! 全く!! むしろこれが普通!!」
「そうなの?」
「ああ、全然、変じゃねえ……」
蒼姫はくすりと笑う。
「うそつきめ」
「うぐ……」
「でも、そうやって私のこと助けてくれるから好き」
「こんな甘々で大丈夫なんですか!? 文学の怪異さん!?」
俺は辺りに超高速で視線を巡らせる。
幸せな時ほど危険はやってくるものだ。
でも何かおかしいぞ!?!?
どこにも危険が見当たらねえ!!!
なんでだ~!?!?!?
「そういえば、あなたの名前、まだ聞いてなかったね」
「あ、そういえばそうだったな。悪い、一方的に知ってるから、名乗るの忘れてた……ていうか、タイミングがな。えっと、俺は黒木達也だ」
「え?」
蒼姫は怪訝な顔をし、それから俺にもう一度名を尋ねた。
「ごめん。よく聞こえなかった。もう一度、お願い出来る?」
「黒木達也だ」
「……全然聞こえない」
「え?」
俺は何度も自分の名を口に出すが、蒼姫はどうしてもその名を聴き取ることが出来ない。
聞こえているはずなのに、靄にかかったように、それを名前として識別出来ないと言うのだ。
「……文学の怪異」
『何だ』
「これはどういうことだ?」
俺の問いに、文学は答える。
『蒼姫は紅姫蒼姫物語の登場キャラクターであり、魂を持った実在の人物ではない。生き物ではない。その者は、本の中にのみ存在する、文字情報でしかない。それ故、外部から訪れたお前の真の名を知ることは出来ない。仮に知ることが出来たとしても、その記憶はやがて消滅する』
文学は続けて言った。
『貴様の生きる世界のルールと、蒼姫の生きる世界のルールは根本からして異なっている。貴様が紅姫の身体を借りてそこに存在しているのが何よりの証拠となるだろう。この物語の中に、この物語に登場しない人物は紛れ込むことは出来ない。貴様は紅姫であり、紅姫以外ではありえない』
文学はそうして、こう結論付けた。
『存在は、自らを規定するルールによって支配される。支配するルールの違う情報は、そこに安定して存在することは出来ない。よって、貴様の名前は蒼姫の耳に届く頃には、既に摩耗し、消え去っている』