第二章『牛刻の小憩』
雪白辰向を呼ぶ声がする。
二つ。
一人は少年、一人は少女。
どちらもまだ幼い姿であり、それは辰向が最もよく知る姿であった。
場所は山の草原だ。
辰向が暮らす神社の、裏手に在る山。
山と呼ぶにはさして標高は高くない――だが、辰向からしてみれば、それは間違いなく山だった。
林をかき分け、野を駆ける。
辰向だけではない、辰向を呼んだ少女と少年も、同様だった。
ある時、辰向は雪に呑まれた。
その年初めての大雪に、思わずはしゃぎ、かまくらをつくろうとして失敗したのだ。
思い切り雪に押しつぶされた辰向は、無事ではあったが、どうにも抜けだせそうに無かった。
少年は辰向を大いにからかった。
ひとしきり辰向を笑った後、少し遠くで遊んでいた少女を呼び、二人で辰向を掘り起こした。
それから三人で、もう一度かまくらを作り始めた。
辰向は雪に埋もれた時、何もできなかった。
無力であった。
――そう、無力。
それを辰向が感じた途端、彼の中は闇に包まれた。
無力、何もない、無力。
どうしようもないという絶望感。
無論その時はそんなもの感じはしなかった。
けれども、今となってはどうしようもなく思う。
自分は無力であると。
無力という起源に縛られているのだと。
そこまで思うと――雪白辰向の夢は終わった。
♪
ガバ、と起き上がる。
思わず、と言った様子で肩を荒げながら周囲を見渡した。
さほど広くない室内。
机の上には一般人にはよくわからないだろう器材の群れが散乱している。
そこが辰向の工房だ。部屋の隅に押し込められたベッドの、右隣にある。
辰向からみてその奥に、小さなテーブルとそれを囲むソファが三つ、そして小型のテレビ。
更に最奥、入り口近くに押入れがあった。
これら三つは直結しており、さほど広い室内ではない。
現在は、そのテーブルの部分を物騒な銃器や現代機器などが埋め尽くしているため、現在室内は混沌の坩堝にあった。
だが、問題はそこにはない。
――悪夢を見ていた。
否、悪夢ではない。
夢自体は、決して悪いものではないだろう。
過去への回顧、それは辰向でなくとも、人間ならばだれもが見うる夢だ。
だというのに、辰向はそれを悪夢に変えた。
正確には辰向ではない。
辰向の根源、それから辰向の中に累積し続けた、数多の前世がそうさせたのだ。
それは、自身が起源を扱うと決めてから、背負い続けてきた重石。
もう二度と下ろすことを許されない辰向の意思であった。
とはいえ、辛いものは辛い。
朝起きた時、どうしようもなく襲い掛かる無力感。
もしも無理やり起きようとすれば、そこからくる喪失感は、通常の人間の比ではない。
そう、辰向は“とにかく二度寝がしたくて仕方がない”体質なのだ――!
布団という魔力。
寝起きはさらなる眠気を催す。
目が自然と薄目に変わり、やがて辰向は布団に帰る。
とはいえ今はまだ夏だ。
昼ごろになれば、布団の暑さに身も心も耐えられなく成るだろう。
だが、冬はいけない。
冬は辰向に試練を与える。
「あぁ――俺は、なんて無力なのだろう」
「……マスター? おはようございます」
アサシンが辰向の起床に気がついたのだろう。
霊体化を解き、挨拶をしてくる。
「ところでマスター? ずいぶん雰囲気が先ほどとは違いますが。……何故、マスターが朝に弱いのが自分の起源のせいになっているのですか?」
「……だめか」
もそもそと、再び辰向が起動する。
因みに、寝起きが悪いのと起源はさほど関係ない。
誰だって朝には弱いし、辰向の場合それが起源と関係しているというだけの話だ。
「あぁー。戦場でもないのに、こうして早朝から起きなくてはならないのは負担だな」
「今はもう八時ですが」
「早朝だろ、何を言っているんだ」
辰向はドヤ顔でそういった。
何一つ曇りのない、意思に満ちた顔だった。
「……まぁ真面目な話、昨日は日を跨いだ上、実戦があったからな、それなりに睡眠を取り、魔力補給をするのは自然なことだ」
「ぐうの音も出ませんね」
事実としては、あまりに正論が過ぎた。
「さて、昨日のこともある。今日は霊地に引っ込んでいるつもりだが、場合によっては瀬場邸に立ち寄るのもいいかもな」
「昨日の今日で少し踏み込み過ぎではないですか?」
「そうだな。――が、まぁ。“偶然”出会ってしまったなら、会話の一つもするのは悪いことじゃないだろう」
何か含みのある言い方であった。
だが、アサシンは踏み込まない。
彼は紳士であった。
とはいえ、今日の本題はそこではない。
やるべきことはいくらでもある。
礼装の作成や、できることなら魔弾の補充はしておきたい。
「とりあえずまぁ、朝食を食べてそれからだな」
「そして、これからのことについて――ですね」
両者はそこに合意を得た。
かくして聖杯戦争二日目、――アサシン陣営の、夜が明けた。
♪
「キャスターも、あと十時間は寝かせてくれてもいいじゃん。今日はやることないんだしさぁ」
ぼやく。
周囲に人気はない。
もとより寂れた地方都市である。
その上、周囲に民家など数軒もない山の中だ、ひとりごとを聞かれる恐れもない。
そもそも、
「おや……おはようございまーす。今日もワンちゃん元気ですねー」
瀬場朝海の声は、
――誰かに届くものではない。
よく散歩に出かけるのは朝海の趣味だ。
近所づきあいもちゃんとしているので、近所の住人とはそれなりに親交がある。
そのうちの一人、妙齢の女性が犬を連れて散歩をしていたのだ。
ちょうど、自宅の庭から出てきたところである。
朝海は彼女に声をかけたのだが――
「……ほんとに、凄いなぁ気配遮断って」
――彼女は、朝海に気付く事無く反対方向へ歩いて行った。
「ふぁあ。……気配遮断はすごいけど、キャスターのせいで、眠い」
本来なら、人は十時間の催眠が必要不可欠なのだ。
いやそれどころか、人は一日の半分を、睡眠に費やすのが普通であろう。
だのに、キャスターは早起きは健康にイイと言う。
理不尽だ。
これは瀬場朝海に襲いかかる、どうしようもない理不尽だ。
「明日こそは思いっきり寝てやる」
勢い新たに、今の彼女には、目的地があるのであった。
――さて。
瀬場朝海がこの聖杯戦争中に昼間から外を歩いているのは、些か危険であると言える。
聖杯戦争の本番は夜、人の少ない時期だ。
あのダグラス=イングルビーですら、“人払いはしていなかった”ものの、襲撃事態は夜であった。
だが、昼に何事かが起こらないわけではない。
一人で街へでかければ、そこを襲撃されるのは必然といえる。
――そこで、有効となってくるのがキャスターの“気配遮断を与える”能力だ。
これを使えば朝海は周囲から姿を消すことができる。
無論、サーヴァントの霊体化とは違い、“極端に認識されづらくなる”というだけの話であるが。
戦闘への意識がなければ、まず発見されることはないだろう。
朝海の目的地は、自宅から少し離れた場所にある宝石店であった。
市街の中でも、一層寂れた人家しかない一角に建てられた三階建ての建物。
一階は倉庫となっており、二階が宝石店、三階が住居という少し特殊な建築物である。
何故そのような場所に朝海が向かうか。
別に宝石があるわけではない、単純にそこが、朝海が礼装の材料を仕入れている店なのだ。
表の顔は宝石店。
しかし、裏では魔術師とつながりのある特異な店だ。
とはいえこの街でそれを利用するのは朝海だけであったりする。
“赤紫羅”には独自のルートがあるため、わざわざ利用する必要がないのであった。
「戦争中は立ち寄るつもりはないんだけど。今日は暇だから、特別特別ー」
目的は単純な気分転換であった。
昨日は昼から夜まで、えらく密度の高い時間を過ごしてしまった。
ヒートアップした心身を冷却するために、必要なことなのである。
決して、キャスターが朝海に部屋を掃除させようとするので逃げてきたわけではない。
件の店は徒歩で瀬場邸から三十分程。
――のんびりと歩を進めている内に、どうやら見えてきたようだ。
♪
「よう、らっしゃい」
――バタン。
気分転換終了、瀬場朝海は宝石店を去り、再び瀬場邸へ戻るのだった。
「ちょい待ち」
扉の向こう側から声がした。
――聞き“覚え”のあるこえであった。
だが、違う。
宝石店の店主によるものではない。
「――ねぇ、君が何でここにいるの? ――雪白辰向さん」
「辰向でいい。フルネームはどうもくすぐったいからな」
彼女の日常の一つとも言える宝石店。
無愛想だが、決して無感情ではない店主がいて、質の高い宝石と、多くの礼装を提供してくれた店。
それがよもや――外来の魔術師に乗っ取られるなど。
「殲滅されたいのかな。――店主は、どうしたの?」
「いや、無理を言って店番させてもらってるんだよ、店主は今倉庫の方にいる、会ってくか?」
いい、と否定した。
雪白辰向は、瀬場朝海の日常に当たり前のように割って入ってきた。
その事実がなんだか、朝海には気に食わない。
「いやさ、貴方も知ってるだろ。ここは小霊地なんだよ、そんでもって店主も魔術師側の人間だ。――拠点が欲しいと知り合いに相談したらここを紹介されてな」
「ちゃんと、店主とこの店は守ってよ」
「元よりそのつもりだ。……そもそも、ここはある種協定が結ばれた安全地帯だろう? 魔術師の生命線を確保してくれる商人に襲撃なんざ、多分赤紫羅ですら報復に動くぞ?」
「それも、そうだけど」
恐らく出てくるであろう赤紫羅の代表を思い起こし、げんなりとする。
朝海にとって“彼”はあまり得意な相手ではない。
なんだか、目の前にいるのに“目の前にいる気がしない”のだ。
「まぁ、それならいいけど。じゃあ、私帰るから」
「いやいや待て待て、まさか何も見ずに帰るのか? 別に冷やかしを悪いとは言わないさ、それもまた買い物だ。――が、何も見ないのは行けないな。それじゃあ商品がなくってものさ」
朗々と、辰向は朝海の引き止め工作を始めた。
詐欺師のようなセールストークが、バシバシと朝海に襲いかかる。
「それに、ここにあるのは宝石なんだぜ。宝石というのは、見られて初めてその価値が確定する。たとえショーケース越しであろうと、だ。何も見ないのは、宝石という美の象徴を、一切合切無視することになる」
「いいよ、別に……私、美貌とかに興味ないし」
「どう言い繕っても、貴方は“美人”なんだよ、十人中十人が認めるような、な。美っていうのは自分で磨くものじゃない、周囲に評価されるというプロセスがあって初めて磨かれるものだ。そして、現代に、人と関わりを持たず生きるなんてことは不可能なんだよ」
美人。
まぁ、それは朝海自身自覚はしている。
するなと言われても、高校へ入学してからかれこれ二桁交際を持ちかけられた実績が、それを否定してしまう。
「つまり、美は磨かれ無くてはならない。それは人の義務なんだ。それを放棄することは、生きるということを放棄することにもつながりかねないぞ?」
「いや、それは言い過ぎじゃ」
「言い過ぎなものか、――強者の義務なんてものは、貴方も良く知るところだろう。上の立場に立つものは、責任と義務が必ず発生するんだよ。それは魔術師の世界にかかわらず、だ」
「……ねぇ」
「――なんだ?」
「“それ”、あなたわざとやってるでしょ」
怒涛の口説き文句。
――あまりに“あざとすぎて”胃もたれがしてしまいそうだ。
そこまで、真面目くさった顔をしてマシンガントークを繰り広げていた辰向が、軽やかな声で笑い出した。
「バレたか。いやぁ、知り合いにはどうにも不評でな、感想はどうだ?」
「……ノーコメント」
「そうかそうか、ハハハハ」
朝海の剣呑な言い方。
それを気にした様子もなく、全く構わないとばかりに辰向は笑った。
「まぁなんだ、貴方が来るなら今日だろうと思ってそれなりに準備してたんだ。元々今日は店主も店は閉めておくつもりらしくてな、人は来ないだろうし、少し一杯どうだ?」
「…………、」
朝海は言葉を閉じた。
真一文字に結んだ口とジト目が彼女の心情を代弁している。
いかにもな風の軽薄な笑みを浮かべる辰向。
それを真っ向から睨み返す朝海。
やがて折れたのは、朝海のほうだった。
「……じゃあ、しょうがないなぁ。受ける。お茶と菓子はあるよね?」
「おう」
「――――それと」
扉越しに、両者は会話していた。
朝海は辰向を押しのけるように店内へと入店する。
少しまえに進み出て、周囲の宝石を眺めながら振り返った。
「――朝海でいい。その、“貴方”っていう呼び方、やめてくれる?」
どこか胡乱げな。
気怠げ、とも呼べる惰性の気配。
「あぁ、わかったよ――朝海」
「……よろしく、辰向」
そこでようやく、両者は“個人”として、互いを呼び合うのだった。
第二章、小休憩始まります。
実はキャスターの真名あてを予定していたのですが、メタ過ぎて活動報告に移動しました。
クイズなので、よろしければ挑戦してみてください。