市街の端、瀬場邸や宝石店のある住宅街よりも、更に寂れた区画がある。
人の通り道が無いために、周囲に人家よべる建物は無く、何年も前に廃棄された小さな一軒家が寂しくぽつんと立っていた。
人の住む場所としては、何の見るべきところもない、人の棲むような場所でもない、場所。
しかし、この場所は魔術師にしてみれば格好の潜伏場所と言えた。
なにせそこは規模は小さいとはいえ霊地である。
元の人が少ないという条件も重なり、人払いに苦労がない。
外来からこの聖杯戦争に参加するならば、絶好のポイントとも言えた。
――ただ、ここに陣をはる場合、野宿か今にも朽ち果てそうなボロ小屋を手入れしなくてはならない。
野宿を好む人間は、今の現代社会にはそういないだろう。
魔術師にしたって典型的な貴族思考の彼らが、そんな場所を好むとも思えない。
必要に差し迫られなければ、適当にそこらのホテルを貸しきった方が手っ取り早いのだ。
だから、こういった場所に潜む魔術師は、外道に堕ちた討伐対象か――
――“今の社会にはそうない”野宿を好む手合であった。
この場合――ノエミ=ミシリエの場合、後者が理由に該当した。
人気のないボロ小屋の近くに、二つのテントが併設されている。
一つは工房兼、ライダーが睡眠を取るためのテント。
もう一つはノエミが寝るテントであり、主に生活のためのテントだ。
なお、シャワーやお風呂はボロ小屋を整理し、そこに置いてある。
ノエミは野を駆けまわり、自由に生きる世捨て人である。
――この手の準備は、もはや熟練の域に達していた。
山の主、大地の民であるところのノエミは、キャミソールにドロワーズという、色気があるのだか無いのだかわからない服装で、風呂場である小屋から姿を表した。
ストン、と直線上に落ちていくキャミソールが印象的である。
バサリと生活用のテントに入り込む。
元より簡単な着替え以外は一切用意していないのだ。
――なお、この場にはライダーがいる。
しかし、彼は一切彼女の様子を気にする風もない。
なにせ彼もパンツオンリーのスタイルで牛乳を呑みに生活用テントに入り込む手合である。
自分の娘ならばともかく、他人の育てた娘にまで口を出すつもりはなかった。
そもそも、
(……何を言っても無駄だろうしな、この嬢ちゃんには)
ライダーの見立てでは、ノエミはたとえ衣服が存在しない原始時代的環境下に置かれても、一切躊躇も恥じらいもなく暮らすのだ。
彼女は言う。
服とは、人が生み出した束縛の集大成である、と。
なお、それでもノエミが人前で服を着るのは理性があるからだ。
それとこれとは話が違う、ということだろう。
「ライダー」
ノエミが自身のサーヴァントの名を呼んだ。
騎士にして騎乗のクラス、ライダー。
この聖杯戦争における、赤紫羅陣営を除く唯一の正統派騎士。
「おう、なんだ?」
「私、これから少し寝るから、寝る前に昨日の情報を纏めておきましょう」
今現在、時刻は十時を少し回ったところ。
ノエミはこれから数時間眠り、そして昼食を取るだろう。
その前に、少し時間を設けるという。
「おう、昨日の夜間偵察の結果だな?」
「そ、昨日のフライトは、いろんなものが見れたわ。貴方を喚んだかいがあるってものね」
「――お前、そのためだけに俺を召喚したのか」
当然じゃない、とノエミは素知らぬ顔で言う。
ノエミがライダーを召喚した方法は少しばかり特異だ。
彼女は最初からある種類のライダーを喚ぶことを決めていた。
そのための触媒をいたるところから取り寄せ、一番早くに届いた触媒を使用した。
その触媒は幾人もの該当者がいる。
その中から、ノエミに最も縁のある――有り体に言えば一番相性のいいサーヴァントを喚んだ。
それが今のライダーであった。
――触媒は『零式艦上戦闘機21型の破片』。
此度のライダーは“空”のライダーであった。
♪
「昨日、私達はある一つの目撃をした」
「――バーサーカー、だな」
ノエミの語りから話はスタートする。
ライダーは基本的に聞き役だ。
彼が参謀ではないというのもあるが、彼はどちらかと言えば受け身の人間である。
日本人の悲しき性だ。
だから、不可思議な疑問を問いかける。
すでに何度もかけられた問いではあるが。
「よく分かんねーんだけどよう、俺らはかなり上空を飛行していた。――それを、お前良く見つけられるな」
「“そういうもの”なのよ。私はそういう魔術師なの。で、本題はこのバーサーカー、魂喰いをしようとしていた」
魂喰い。
魔術の世界となんら関わりもないライダーは、聖杯の知識としてしかそれを知らない。
とまれ、それが人の命を貪り喰うものであるということは知っている。
「介入しようかと思ったんだけど、一足先に“変な巫女”が割って入った。で、そこからは結界のせいで目視では追えなくなった」
遠見は得意なんだけど、透視は苦手なのよね。
とは、ノエミの談。
「よく見つけられるよな、アレだけ広いんだ、たとえ隅から隅まで覗けたとして、そうそうお目当ての光景が見えるとは思えないぜ」
「あのね、常人の視界と、私の視界を一緒にしないでよ。この街位なら、全部視界に入れた上で、情報を取捨選択するくらい余裕なんだから」
――明らかに、それは人間の範疇を超えている気がする。
ライダーは自分が英霊であることを棚に上げて思う。
原理は思いの外単純だ。
いわゆる錬金術士達の必須技能である分割思考というやつだ。
それと、警備員が監視カメラのモニターを複数チェックする感覚がノエミにとっては近い。
分割思考で、監視できるモニターを数倍に増やす、という仕組みである。
「で、この結界らしきものは遠くから見る限り、この地のセカンドオーナーの家までつながっていた」
話は戻る。
バーサーカーの件において重要なことは、実のところバーサーカー陣営にはない。
それ以外の陣営、キャスター陣営とアサシン陣営の動向が、今回の焦点だ。
なにせ、
「――で、その後結界に取り込まれたバーサーカーは姿を見せず、というか、そのマスターが一日待ったけど出てこなかった。これって、つまりマスター死んでるわよね」
「……まぁ、戦争だからな」
少しだけ思うところがあるように、ライダーは言う。
無論、それはライダーならば当然だとは思う。
彼は兵士だったのだ。
それも、あの大戦を生き残った、空のエース。
「……続けるわ。――バーサーカー陣営が脱落した。恐らくはセカンドオーナーの陣営によって」
「そりゃあ……どうやって?」
「結界の中だから詳しくはわからないわ。でも思うのよね。正直、あのバーサーカーをアサシン陣営やキャスター陣営が――それも、キャスターだった場合、戦争初日のキャスターが撃破できるとは思わない」
情報は結論を語っている。
バーサーカー陣営が脱落し、キャスター、ないしはアサシン陣営がそれを撃破したこと。
「遠目からみて――と言ってもあたしは間近で見てるんだけど――バーサーカーのステータスはかなり頭の悪いステータスだったわ」
純粋なステータスで言えば、間違いなくこの聖杯戦争では一、ニを争うサーヴァントだろう。
幸いなことに、マスターのおつむが弱かったのか付与された、狂化スキルA+という、手に負えないレベルの狂化スキルによる底上げが原因であったが。
とかく、それを撃破できる力が、搦手を得意とするアサシン、キャスターに可能だろうか。
不可能ではないだろう。、
マスターが死んでいるのだから、アサシンが暗殺したのではないか、と考えられる。
「――どうみる?」
可能性としては、アサシンによるマスターの暗殺という線が最も高いのだ。
これ以上は、ノエミの視点からは、仮説しか建てられない。
可能性は二つ。
一つはベターな線。
もう一つは、ノエミでしか考えられない“ありえない”線。
その選択を、ノエミはライダーに頼った。
「どうみる……って、――そりゃ“ちげーよ”」
「何で?」
「――“直感”だ。が、まぁ理由をつけるなら、セカンドオーナーの屋敷っていうのは、どう考えても籠城向きだ。アサシンより、キャスターだと思うぜ、あそこは」
ライダーの言うとおり、セカンドオーナーは地に根ざした魔術師である。
地盤の固まった場所で運用するサーヴァントは、間違いなくキャスターであろう。
とはいえ、
「――一応言うとね、基本的にサーヴァントのクラスは選べないのよ。主催者陣営が三騎を独占してるのは、かなり特殊な事情があるんだから」
ノエミは否定する。
「……けどよ」
それでも、ライダーは反する言葉を使う。
繰り返すように、――何度も確認を取るノエミを窘めるように。
「“そんな気がする”んだよ。だから、籠城してるのは、キャスターだ」
その言葉を待っていたと言うように。
――ノエミはニィ、と頬を嬉しそうに歪めた。
どこかイタズラっぽい――彼女らしさを詰め込んだ子どもらしいモノ。
「――ありがとう、その言葉を聞きたかったの」
そうして、続ける。
「断言するわ。――あたしは、この地のセカンドオーナー、瀬場の当主と、まだ見ぬ“アサシンのマスター”が同盟、もしくはそれに近い関係にあるということを」
「……は?」
言葉は、あまりに勇み足が透けるものだった。
何にせよ、それはライダーには理解しがたいものだった。
「いやいやちょっと待て、おかしいだろ。何で判断できるんだよ。いいか、これはお前が何度も言っていたことだぞ?」
正気を疑うライダーの言葉。
それは、今現在、ノエミ達ライダー陣営が直面している問題であった。
「――“アサシン陣営はマスターすらその姿が知れない”んだ。どうしてそんなことが解る」
何故こうもライダーが狼狽するか。
理由はそこにある。
何も知らないのだ、アサシン陣営を。
なのに、どうしてそう断言できると言えるのか。
「あたしはさ、前々から考えてたんだ。“何であたしなのか”ってさ」
聖杯戦争のマスターに、ノエミ=ミシリエは選ばれた。
しかし、それには決して理由がない。
無論、聖杯はランダムで戦争に導かれる者を選ぶ。
ノエミの場合、そのランダム枠に偶然選ばれた、と考えるのが普通だ。
「なんでも聖杯は、“マスターにふさわしい人材”をマスターに選ぶらしいの。でも、あたしは全然マスターにふさわしくなんて無いわ」
――ノエミ=ミシリエには願いがない。
正確には、わざわざ聖杯に願うことがない。
金が欲しいだとか、華美なドレスが欲しいだとか、そういう、どうにでも解決できる願いなら、ある。
けれども、大願は無い。
聖杯戦争に“参加しなければ叶わない”願いもない。
ただ、なんということのない魔術師だ。
ノエミと言う少女は。
それなのに、ノエミは聖杯戦争に選ばれた。
「でも、マスターには、ふさわしい、以外の理由で選考される基準があるらしいのよ」
「確か――聖杯に、正確にはその作成者である赤紫羅に、縁のある人間、か」
セカンドオーナーである瀬場家の当主が選ばれるように。
また、主催者である赤紫羅陣営が確実に選ばれるように。
聖杯には特殊なマスターの選定基準がある。
それが、赤紫羅と縁のある人間であること。
「――あるのか? 赤紫羅は日本の魔術師だが」
「“ある”のよ。困ったことに、小さいけれど、赤紫羅につながる縁が」
そう、ノエミは言った。
ライダーは考える。
――つまり、これがノエミの断言の理由ではないか?
「小さな縁……まさか、」
ライダーが、ハッとしたように顔をノエミへ向ける。
真正面から視線がぶつかったことで、満足気にノエミは首肯する。
「――そう。アサシンのマスターは赤紫羅の関係者、そしてその“アサシンのマスター”は、あたしの関係者なのよ」
現在、ノエミの視点で姿をみたマスターは一人。
バーサーカーのマスターである。
――“彼”、名前も知らず、おそらくもうこの世にはいない彼は、ノエミとは何の関係性も無かった。
そして、もう一人、キャスターのマスターは瀬場の当主。
――この二人は、ノエミから見て立場が確定している。
最後の一人。
アサシン陣営だけは、ノエミは何の情報も有さない。
だが、この一人がノエミの知る“男”であるのなら、この聖杯戦争に選ばれない方がおかしい。
「はー、なるほどねぇ。……ところで気になるんだが、そのキャスター、アサシン同盟はどうやってバーサーカーを潰したんだ? アサシンが殺したんじゃねーだろ?」
「……困ったことにね」
頭痛を抑えるように、ノエミは言う。
「――そいつ、サーヴァントと殴り合えるくらい、強いのよ」
「……は?」
――今度こそ。
ライダーの思考は、完全に停止するのだった。
予約を一日間違えてました。