少女はあまりに孤独であった。
人との間に壁を作り、親しいと呼べる間の人間もいない。
題目おべっかのごとく、友情を語り合うような人間もいない。
――本来であれば、友情とは表面的なもので十分なのだ。
人付き合いの、ほんの延長。
その役目さえ適えば、それで十分だったのだ。
けれども少女にはそれがなかった。
近しい親類は皆、彼女が幼いころに亡くなってしまった。
母は彼女が生まれるのと引き換えに。
父は、それから数年後、病に倒れた。
それからもう、少女は一人でいるのが普通になった。
孤独であることは普通である。
普通であるから人は孤独を寂しがる。
そんな当たり前が、人の孤独を慰める。
誰もがそうだと知っていれば、人は孤独を悩まなく成る。
寂しいと思っても、生きていくことができるのだ。
だのに、少女はそれができなかった。
少女の精神は強すぎたのだ。
痛みに強く、そして堅固だ。
孤独を彼女は寂しがらなかった。
だから、慰める必要もない、少女は特別だったのだ。
たった一人の特別、それは孤高にほかならない。
寂しさなぞ、孤独なぞ、少女は知る由もなかったのだ。
知る必要もないままに彼女は成長を続け、やがて一人で立っていられるようになった。
一人前になったのだ。
孤独なまま、その意味をしらないで、ただただ成長を続けた。
もう彼女は自分一人で寂しさを自覚することなど、できなくなっていたのだ。
今も、そしてこれからも。
彼女は一人で歩き続ける。
それに何の疑問も持たず。
それは強靭であった。
端から見れる彼女の姿を、だれもが褒め称えることだろう。
そして、それゆえに一定の距離を取るのだ。
彼女の周りには、彼女を慕うものはいても、彼女を妬むものがいても、
彼女を親しむものがいなかった。
――それは、狂人であった。
狂ってしまったまま、ボタンを掛け違えたまま進む少女は、端から見れば異様であろう。
誰も彼女に触れることは叶わず。
その強靭さが、彼女に手を伸ばすことを躊躇わせるから。
誰も彼女を救うことは叶わず。
その狂人さが、彼女の救いようの無さをまざまざと見せつけるから。
そうして彼女は独りになった。
少女はあまりに孤独であった――
――自分よりも、孤高で強く、“狂気”すらも当然とする、誰かに出会うその時までは。
♪
『せっかくだから昼食を一緒に、どうかな?』
そんな誘いは、せっかくだからという、辰向のさらなる提案の元、了承された。
さらなる提案、――辰向には、一度は寄っておきたい場所があった。
「……どこへ向かう、のかな」
「あんたもよく知ってる場所だよ。俺はそこに用事があってね。まぁ、少し遠巻きに見ていくだけだけれどもさ」
車中。
辰向が借り受けた宝石店店主の車だ。
基本的に、聖杯戦争中、宝石店を守護することを条件に、彼の家の物は自由にしてもよい、という契約になっている。
恐るべくは紹介者。
――たった一通の手紙で、そこまでの提供を引き出すのだ。
まぁ、さもありなん。
「私も、よく知っている……?」
四人乗りのコンパクトなワゴン車。
運転するのは辰向であり、助手席には朝海。
キャスターとアサシンは、それぞれ後部座席にて霊体化している。
――それにしても、
「ずいぶんと弱気だな。何かあったのか?」
瀬場朝海は、どうにも身体を縮こめているように見えた。
ただでさえ低い身長を、更に押しこむようにして、シートベルトが、そんな彼女の身体を抑えこんでいるかのようだ。
――借りてきた猫、とでも言おうか。
そんな様子を気遣って、辰向は問いかけたのだ。
しかし、すぐに朝海は愛想笑いを浮かべると、両手をふって身振りを示す。
「いやいや、何にもないよ。車出してもらっちゃって悪いな、って」
「この車はあの店の店主の物だよ。それに、そういうことが言いたいわけじゃないんだろう?」
何か言いたげな朝海の表情。
取り繕う言葉も、“いつもどおりに過ぎる”のが、よりあからさまだ。
「えっと……」
「――――」
辰向は、それ以上問いかけない。
言葉を待っているのだと、すぐに知れた。
「……………………」
朝海も、辰向も沈黙し、元よりサーヴァント達は沈黙したままだ。
後方からの気配は、別に剣呑なものでもなく、むしろ何か微笑ましい風なのだが、とかく。
「…………はぁ」
やがて、朝海がそれに根負けした。
盛大に嘆息を吐き出すと、ちらりと、運転に集中する辰向を見た。
「――その、昨夜の件は、申し訳なかったな、と」
「昨夜……ライダー達のことか」
ぽつりと、零すように朝海は続けた。
「正直なところ、勝手に誤解していたんじゃないかな、と。君なら、そうそうまずいことにはならないだろう、って」
「実際ならなかったじゃないか。それに、決して意味のない物じゃなかったぞ? 少なくとも、収穫は大きかったと思うけどな」
それを、朝海は自嘲するように、そうではないと否定する。
どこかため息と、笑みに近い吐息が漏れた。
「それは結果論じゃない? もしかしたら、一歩間違えれば、取り返しの付かないことになっていた。……理解しているつもりなんだけどね、ここが戦場なんだって」
――少なくとも、自分のことに関してはそうなのだ。
自分が死ぬことも、自分が負けることも、朝海にはその意味が十分解る。
責任とは、失敗に伴って降り注ぐ。
その自覚は、朝海にはあった。
だが、それは自分自身に対してだけだ。
他人に対しては、そうではない。
少なくとも、朝海は自分に対するものと同じようには振る舞えない。
「そんなもんかね、……そういえば、考えたこともなかったな。自分のせいで誰かが死ぬなんてこと」
言って、辰向は納得したように続ける。
「――そういえばそうだ。そもそも、誰かの死に自分の責任が介在するなんて、考えても見なかったな。いや、一般論でなく“魔術の世界”での話だが」
――もしくは戦場か。
日常の中において、誰かの死というものは偶発性の高い事故として己に振りかかる。
交通事故などその筆頭だ。
因果的な要因は幾らでもアレ、それがその時、現実に起きうる理由は、偶然以外の何ものもない。
ただそうなってしまったから、誰かが死ぬ。
けれどもそれは、魔術の世界では勝手が違ってくるのだ。
何せ、その世界は死が近い。
特に辰向や朝海は、魔術戦――死線をくぐる機会も多い。
その際に、起こりうる死の大半は、偶然よりも必然による死だ。
そしてそれらに触れすぎると、死という感覚に麻痺が起こる。
偶発的な死というものを、他人ごとに考えすぎてしまうのだ。
必然的な死は、他人ごとにしなければ、関わったものが押しつぶされてしまう。
けれども、その程度は、偶然的なモノとさほど変わらない。
決定的に“起因”が何もかも違うのに、何も違わず、同一視される。
「そうやって考えちゃうと、……他人ってなんだろうな、って考えちゃうんだよね。責任とか、義務とか、そういう言葉と一緒にさ」
朝海は続ける。
「私はさ、小さいころから――九歳くらいかな、その頃から、魔術の世界に関わってきた。そうしないと、この街を守れそうになかったから。幸い、それなりに協力者はいたし、私にも、才能があった」
朝海は、すでに父と母を亡くしている。
それは辰向もおおよそ理解していた。
でなければ、齢十五の少女が、セカンドオーナーなどという役職に付くはずもない。
恐らくは、“あの”戦争において、寿命を大きく減らしたのだろう。
二十年前の戦争、始まりの――聖杯戦争。
「周りには、誰も異常を教えてくれる人間なんていなかったし、別にそれでも問題なかったしねぇ」
ふと、視線を朝海は窓の向こう側へと向けた。
人が多く住むわけでもない、閑静な住宅街。
人通りはそれなりにあって、それ以上はない。
――当たり前のこと。
当たり前の世界だ。
窓には、薄く自分の顔が写った。
――あって当然の世界は、その窓の向こう側にある。
辛気くさい顔をしていた。
なんとも言えない、微妙な顔だ。
「……ところで、結局目的地って――」
ふと、ある“樹”が見えてきた。
それを見て、悟ったように、朝海は問いかける。
「――やっぱり、あそこなの?」
“神樹”。
多くの場合、頭に冠することのない、無骨な単語でそれは呼ばれる。
樹齢にして千年以上、この街が――その元となる集落が、誕生する以前からその樹は街の中心にあった。
「あぁ、そうだ。元はあんたら瀬場が管理する霊木有する神社であり――今は、赤紫羅が根城にしているこの地の霊脈の要」
辰向は肯定した。
おおよそ朝海の想像通り。
そして、辰向は言葉をつなげた。
まったく朝海の、予想もしていなかった言葉を。
「――俺が、生まれ育った場所でも在る」
♪
「あの戦争の時、当時の雪白を取り仕切っていた、雪白達基と雪白姫香は死亡している。俺が生まれてすぐに戦争が起こり、そこで戦死した。そうするとどうなる? 俺は一体誰に育てられたんだ?」
「――“あの人”に育てられたんじゃないの?」
“あの人”、それは朝海の後見人であり、また赤紫羅とも繋がりがある特異な人物だ。
古くからの赤紫羅仁の知己であり、また雪白とも懇意であった。
現在は、この聖杯戦争の名目上の監督者となっている。
「違うよ。“あの人”は不干渉だからな、魔術はあの人に教えられたし、いろいろ便宜を図ってもらえたけれど、それ以上は無かった。アンタもそうだろ?」
「まぁそうだけど。でもそっか、赤紫羅にいたんだ」
朝海と辰向。
両名は適当なコンビニの駐車場に車を止めて、神樹を遠巻きに眺める。
距離にして一キロ程度。
しかし、景観整備などにより、この位置からでも神樹の威容は伝わるのである。
――キャスターは、近くに霊体化したまま控えている。
アサシンの気配はない、元より気配遮断が彼にはあるのだ。
わざわざ敵陣地のど真ん中に入り込むつもりはない。
遠くから、あの樹とその周辺を眺めるために、辰向はこの場を訪れたのだ。
「あぁ、近くに裏山が見えるだろ? あそこを暢気に遊びまわったりもした。自分の因果を知らずにな」
街の中心に、丘とも、山とも言える場所。
そこは朝海が誰かに聞いた話では、人の行き交う都市部とは隔絶された、神聖さを保つ森が存在するという。
神秘がそこには存在し、また秘匿されることで、人々はその神秘へ思いを募らせる。
魔術師にとっては居心地がよく、そして何よりそれなりの広さが在る。
――かつてはあそこが、魔術を学ぶ修練の場所であったらしい。
正確には、それは魔術というより、儀式の作法であったのだが――とかく。
「……妹さんと?」
「妹と――あいつと、三人で」
――あいつ。
ぽつりと漏らした存在を、朝海は知っていた。
知っていたから、その続きに踏み込むことはしなかった。
「最初は二人だけだった。物心がついて少しして、妹が“増えた”。五歳のころだったかな、どこからか、突然な」
「それは――誰の?」
「“俺の”だ。でなけりゃあいつは雪白の苗字を冠することはない。――不思議に思うだろ? 俺の両親は、もう亡くなっているのに」
昨日、朝海は辰向と一対一で会話をした時の事を思い出す。
辰向の願いは、家族を救うことだと言った。
その時の“違和感”。
朝海の知る、雪白はすでに途絶えているという事実に、そぐわない存在。
辰向は二十歳らしい。
なので、ぎりぎり戦争前に生まれたとすれば合算は合う。
しかし――二十年前に亡くなったはずの両親から、辰向の妹は産まれない。
「――――」
朝海は、おおよそその種が知れていた。
むしろ――そこまで言われれば、理解できないはずがなかった。
彼の言葉に嘘はない、理由もないし、意味もない。
だからこそ、理解せざるを得ない。
彼の語る言葉の、残酷さに。
「妹ができてすぐは、そんなこと気にもしなかった。やがて俺らは成長し、あいつは八歳か、九歳くらいになった。俺たちは十四くらい――その頃に、ようやくそれがおかしいと知った」
――辰向の環境は、赤紫羅の手の中で完結していた。
学校に行くということはなかった。
赤紫羅以外に、関わるということもなかった。
一人、例外がいたが、それは絶対に“中立”であることを良しとする人間だった。
そも出なければ赤紫羅に関われるはずもないのだが。
「ふとした拍子で聞いたんだよ、赤紫羅仁の独り言を。――俺の妹は、“半分”なんだってな」
――半分。
半分は、辰向の妹。
「……俺は、俺の妹を救いたい。たとえそれが、誰と誰の娘であろうとな。――朝海、あえて聞きたい。俺に協力してくれないか? もう一度、改めて聞く」
神樹に背を向けるように、辰向は朝海へ向き直る。
あの時。
初めて出会った時に、保留とされた答えだ。
「――雪白辰向は、瀬場朝海に、対赤紫羅陣営への同盟を申し込む、受けて貰えるか?」
朝海は、辰向をその日始めて、真正面から眺めた。
数日前とさほど変わらない、けれども、数日前よりもよく“視える”その顔が。
自分に――朝海に答えを求めていた。
「……愚問、だよ。私は、私の目的で赤紫羅を倒す。そのために、打てる手は、全部打つつもりなんだ」
明確な肯定。
――その時、確かではなかった両者の関係が、ようやく明確な、名前を持った。
“仲間”という名であった。