第五章『異なる二つの風景』
少年は悪辣であった。
常に人を嘲笑い、罵倒する。
――それは彼の本質であった。
甘く溶けるような言葉を操り、人の心を溶きほぐすことを好んだ。
対照的に、人の神経を逆撫でし、その反応を楽しむことを好んだ。
――彼が誰もに隠した本性であった。
喩え親しいものであったとしても、その心根には罵りを抱え。
また、その笑みは醜悪に満ちたものであった。
――彼は、その笑みに清純という仮面をかぶせた。
それが少年の心象の根本にあるものであったから。
それが少年を突き動かす情念の全てであったから。
――それを、彼は全てにおいて肯定した。
嫉妬。
怠惰。
羨望。
憎悪。
あらゆる感情は、少年の善意を侵し、ぐちゃぐちゃにして、放り投げる。
――彼はそれを、悪辣故に歓喜した。
もはや何も残らなくなった少年に残ったただひとつのモノ。
少年のパンドラに残されたモノ。
希望ではない、それは、嘘。
――塗り固められた仮面は、彼に残された全てとなった。
望みもせず受け取って、そして、少年は、
――彼は、それを自分とした。
♪
「さて、そろそろ出ようかねぇ、ランサー」
「かしこまろう、マスター」
赤紫羅本拠地、神木備わる神社の本殿前。
――改装中のブルーシートに、本殿は覆われていた。
ちらりと赤紫羅弓弦はそちらを見やる。
だが、すぐに向き直ると、今度はランサーの方を見た。
「さて、今日はどうする? 昨日のようにサーヴァントを見つけられるかは不確定だ。俺たちにライダー陣営のような翼も、キャスター陣営のようなコネもない」
――あるのは、使い魔に寄る地道な探索だけだ。
そう、弓弦は苦笑する。
「何、そのための“
「まぁ……アーチャーはすでに動いているわけだし、今更言う必要もないな」
――現在、アーチャーは単独行動で外に出ている。
雪白真華は護衛対象だ。
故に、守りの盤石な本拠地にて保護しておく必要がある。
その点アーチャーは個人で動いても、宝具さえ使用しなければ問題ない単独行動のスキルがある。
偵察としては、これ以上のない逸材だろう。
何より、アーチャーはサーヴァント、戦闘に入っても、かなりの間持ちこたえることが可能だ。
ランサー陣営は目に見えた餌でありアーチャーのバックアップでもある。
――アーチャーの場合も同様だ。
特に、アーチャーは目標がはっきりしている分、今日の仕事量はランサー以上となるだろう。
「それにしてもマスターよ――」
ランサーが、ふと気がついたように言う。
うむ? と弓弦は足を踏み出してからランサーに振り返る。
「ずいぶんと、楽しそうではないか?」
「……ふむん、まぁそう見えるかねぇ」
腕組みをして、いかにも楽しげに弓弦は語る。
「ま、いろいろあるが、何つってもアーチャーの相手をしなくてすむのがイイ。あいつ、何かと真華にちょっかいをかけるからな。――無駄だってのが、わからないかねぇ」
「まぁ、アレは善性の存在だ。――気に入らないのだろう、自身のマスターがお前の“所有物”であるということが」
――所有物。
真華は人として扱われない。
あくまで、弓弦が所有する“道具”として扱われるのだ。
彼女の出自は人間である、――が、今の彼女は人ではない。
もう、人であることは“終わってしまったこと”だ。
「アーチャーのしていることは、今更それを掘り返すことだ。無意味なんだよ、終わったものは始まらない。それこそ、奇跡でも起きねぇ限りよ」
奇跡、でも。
ランサーはその物言いに、くつくつと笑みを浮かべる。
「いや、それはそれは――奇跡を争う聖杯戦争に、不釣り合いな単語だな。まったくお前も、人が悪い」
「はは、そりゃあ結構」
――楽しげに、弓弦は言った。
そして、続ける。
「それに何より――だ。少し、懐かしい顔を見てな」
「……知り合いか?」
「あぁ、ライダーとやりあってたあのマスター、俺の昔馴染みでは。あぁ本当に、懐かし言ったらありゃしねー」
雪白辰向、弓弦が知己とする男の名。
およそ、六年から七年ぶりの再会になるか。
「俺がまだガキだったころ、ここで共に育った仲だ。幼なじみ――むしろ、兄弟だな、血のつながりなんざ存在しねーが」
「ほう、それは喜ばしい再会だ。――なるほど、マスターの高揚は納得しうる。そこまでではないが、もしこの戦場で同胞との再会に恵まれれば、俺でも心踊るだろうな」
ランサーは、真にその言葉を理解していた。
――赤紫羅弓弦と雪白辰向はかつての兄弟であり、
今は、聖杯を求め争う敵同士なのだ。
「そうその通り――何せあいつは」
――一拍。
まるで、それは呪いのように、
「――――俺が、“殺した”ほどの、仲だったんだからな」
夜に、響く。
♪
――キャスター陣営本拠地、瀬場邸。
現在、そこにアサシン陣営が足を運んでいた。
本格的な同盟だ。
本拠地も、霊地として圧倒的に格上である瀬場邸に、辰向が移るのは当然と言えた。
同棲、と呼ぶにはその屋敷はあまりに広い。
同じ宿に泊まる者同士を、同棲とは呼ばないだろう。
瀬場邸の一角、食卓を囲む形で、朝海達と辰向達は向き合っていた。
和風の室内は、ただの一角でしか無いというのに、マンションのワンルームほどの広さがある。
それなりに小洒落た作りであり、部屋の隅の日本刀と生花の対照的な光景が印象的だ。
「……さて、俺は一度偵察に出ようと思う」
夜、星のカーテンはすでに散りばめられ、満月間近の月が空に登っている。
「現状、こちらもあちらも、拠点防衛のためのサーヴァントと、斥候のためのサーヴァントを分けなければなりません。ライダー陣営は積極的な攻勢には出ないでしょうし、こちらから打って出る必要があります」
ライダー陣営は“よほど優位な状況でなければ手を出さない”。
特に、現在はどちらにとっても優位というわけではない。
戦局の拮抗による、一種の平穏が保たれている。
「正確には“情報を集める必要がある”わけです。あちら側に流れを掴まれる前に」
アサシンは言う。
――現在の拮抗の理由は、単にお互いの情報不足故だ。
ライダーは大凡種が割れているとはいえ、アレは“とにかく相手が面倒”なタイプだ。
ランサーも、あそこで追撃をかけなかったのは、本腰をいれて倒そうとする場合、飛行能力のない陣営は、あの空の機動力を、相手にするのは億劫だ。
逆に、ライダー陣営も空対地の戦闘は、専門外故に面倒ではあろうが。
「現状、我々が知れている情報は、ランサーが投槍を得意としているということだけ、それ以外は完全なブラックボックスです。ですので――」
「多少の危険を冒してでも、斥候に出る必要があるわけですね?」
キャスターが言葉を受け継ぐ。
揚々と、アサシンはそれを肯定した。
「然り。そして、斥候は当然私達の仕事です。拠点の防衛、よろしくお願い致します」
「お任せ下さい。ふふ、何もないのが一番良いとは思いますが、少し張り切ってしまいそうです」
さて、と辰向が立ち上がる。
「……気をつけてね?」
「何、死んだらそこまで、それくらいは理解してるさ」
朝海の言葉を、心底理解した上で――それでいて軽く受け流すように、辰向は受け応えた。
「そっか、じゃあ……いってらっしゃい」
「あぁ、行ってくる」
――何かを確かめ合うように、両者は言葉をかわしたのであった。
♪
かくして街に出たランサー陣営とアサシン陣営。
それぞれ、街の中央と街の外れ、それなりに距離を開けている。
――が、両者はその半ばの辺りに、示し合わせたように向かった。
そこにはそれなりの広さを持つ高台の公園がある。
特にそこの頂上に建てられた高台は、街を見下ろすにはちょうど良いのだ。
奇しくもそこは、昨日のライダー戦を、ランサー陣営が観戦していた場所でもあった。
高台は櫓のような形で組み上げられ、それなりの広さと視野がある。
ガラスで区切られたというわけではなく、自由に風を受けることの出来る場所。
木の柱が、木の屋台が、夜に濡れ、藍色のモノに染まっている。
「この高台は昨日も使ったしな、ライダー陣営なら気がつくだろうさ。手ぇ出してくるかは、未知数だがね」
間違いなくライダー陣営は今日も空にあるだろう。
あの組み合わせは間違いなく、常に夜の戦場に在るのが強いタイプだ。
加えて、あの極端に神秘の薄いライダーの宝具は乱発も余裕だろう。
一日もあれば回復可能か、とすれば飛ばない理由がどこにもない。
(――とはいえ、あんな面倒なサーヴァントはアーチャーに任せるのが正解さ)
霊体化したランサーが、念話でそう告げる。
常に空にあるサーヴァント。
戦闘は可能だろうが――厄介極まり無いことは明白だ。
そして、それに対し最も相性がいいサーヴァントは、遠距離に特化したアーチャーである。
「俺達の狙いは――アサシンさね。キャスターは引きこもって出てこねー。そも、アサシンが乗ってくるかも未知数だが、とかく」
狙いはアサシン、とはいえそのアサシンも気配遮断がクラススキルのサーヴァント。
こうして誘っているのに、わざわざ乗ってくるかは不明である。
キャスターは言うに及ばず――前線に出て、攻めてくるサーヴァントは、非赤紫羅陣営においてはもう、ライダーしかいない。
「そうはいっても、アサシンのマスターはあの坊主だろう? ならば乗ってくるさ」
「ま、そりゃあそうだろうがねぇ。――さて、とするといつ仕掛けて来ると思う?」
弓弦は、ランサーにその瞬間を求めた。
――サーヴァント、それもランサーは戦場を駆け巡った、戦闘の英霊。
バーサーカーや、キャスターのような、実戦には出ない類の英霊とは違う、本物なのだ。
そのランサーが、ニヤリと笑みを浮かべ言う。
「何時? ってそりゃあ――」
瞬間――ランサーは霊体化を解いた。
まるでそれが解っていたかのように――槍を構える。
「今しか――ねぇ、だろうがよぉ!」
風が起こった。
――瞬間には、すでにランサーは槍を射出していた。
間近に迫った気配へ、一突き。
何かが、鳴った。
金切り声――否、鉄が響く音!
気がつけば、宙に男が舞っていた。
――雪白辰向である。
恐らくはランサーの一突きを受け流し、その勢いで後方に跳んだのだろう。
その手には、自身の得物であるナイフが握られている。
――ダン。
木を思い切り踏み抜いて、辰向は着地した。
「……まぁ、そりゃあそうだ。何せ、あと少しすれば、俺らは完全に迎撃モードに入る。そ~なる前に、雑談中の俺を狙うのが常道。――お前が出てくるのは意外だがな」
――弓弦が、見下ろすように言う。
――辰向が、対するように見上げる。
「――その“傷”、そのままにしてたんだなぁ。いやあ悪くねぇぜ、しばらく会わないうちに、ずいぶんかっちょよくなっちまってよ」
見下ろす、とは言うが、弓弦はどこか狐のような男だ。
糸のように細められた眼からは、感情がほとんど覗けない。
ただ、人をバカにするような笑みだけが象徴的だ。
ゆったりとしたポロシャツに、袖の大きいカーゴパンツ。
彼の特徴は、意外なほどに、薄い。
「おう? なんだ、知り合いなのか? まさかお前に知り合いがいるとはな――そも、こうして会話をしようとする手合いがいることも驚きだがな」
「俺にはお前がどう見えるのか? ランサー」
「そりゃあ、人を食い物にする悪鬼に見えるぞ? お前に向けられる感情は、そのすべてが憎悪だろうさ」
――人の悪い笑みを、ランサーは浮かべている。
まるで、弓弦に共感――否、弓弦を肯定するかのように。
「――――」
辰向は、床に身体を伏せたまま、クラウチングスタートのような体制で弓弦を見上げている。
一瞬、弓弦はそれを睨みつけるようにして、それから再び笑みを深める。
――両者の視線が、交錯した。
互いに、何かを伝えるようにする。
やがて――彼らの口から、言葉が漏れた。
「――会いたかったぜぇ! 辰向!」
「……俺もだよ、弓弦」
数年来の親友の再会。
――数年来の、宿敵同士の再会であった。