緊迫していた。
その場にあるのが平常な人間であれば、たまらず汚物を木の床にぶちまけていたことだろう。 それを鑑みれば明白だ。
――その場にいる人間は、何かが一つ“狂って”いる。
どれだけ正常に見えても、どれだけ正常に見えなくとも、
等しく、
人間として、
外れている。
雪白辰向。
赤紫羅弓弦。
そしてランサー。
それ以外の生物はない、辰向のサーヴァントであるアサシンは、今はその気配がない。
それもあってか、ランサーは油断なくマスターの前にある。
目の前の敵である辰向以上に、アサシンを警戒していた。
「お前が生きていて、それで尚且つこの聖杯戦争に参加しようと知った時、俺は堪らなく嬉しかったんだよねぃ、辰向くぅーん?」
「…………」
「狙いはやっぱり、“あいつ”かい? そりゃあ妹だものな、救いたいに決まってらー。否定はしねーぜ? 肉親だものナ」
朗々と、弓弦は語る。
彼だけがその場において口火を切っていた。
ランサーと、辰向はただただ睨み合っている。
――決闘の一瞬、隙を見遣る牽制の空白であった。
「でもよう、“俺の妹”に、ちょっかいかけてんじゃねーぞ? あいつは、俺のモンなんだからな! “親父にすら”手を触れさせてねぇ、俺だけがあいつに触れられるんだ」
――親父にすら、その言葉を、弓弦は異様なほど強調した。
それは事実を誇示するかのように、辰向にそれを魅せつけるかのように。
「せっかくここまでご足労願ったんだ、片付けてやれよ、ランサー。ゴミはトラッシュに放り投げるのが、定跡だ」
「――――」
ランサーは、答えない。
それをさせない者がいたのだ。
辰向である。
――一言でも、弓弦に言葉を向ければ、その程度でも、意識を他所に向ければ。
辰向は、ランサーを刈り取る。
そう、彼の戦意が告げていた。
「人の話は聞いてねぇってーか。気ぃつけろよランサー、お前、辰向の“血”を浴びてるだろう」
ランサーは全くそれを耳に入れていない。
しかし、“むりやり入ってくる”分には十分なほど、弓弦の言葉は、常にはっきりとしたものであった。
「そいつの血はお前の力を削ぎ落とす。魔術的なモンだから対魔力が通用するが、本質は異能だ、そうさな――三時間も戦闘をしていれば、支障が出るやもしれん。ま、明日の夜には元通りだろうが――あまり時間はかけるなよ」
弓弦の言葉に返事はない。
しかし、ランサーの雰囲気には変化があった。
――一つの疑問が、氷解したかのような変化である。
ランサーは自身の身体に起きた変化を理解していた。
通常の状態よりも、小数点以下のパーセンテージ、出力が低下している、と。
おかしな話だ、それは本来、人間の身体機能に影響の出る数値ではない。
だのに、ランサーはそれを理解している。
――彼の武人としての感覚だ。
常人には理解し難いほどの超感覚が、ランサーに自身の異変を告げていた。
――だが、それでもランサーは無言を保つ。
緊張を、ぶつけあっているのだ。
それは無言の剣戟であり、鍔迫り合いでもあった。
飛び出すか――否か。
――飛び出すか、否か。
飛び出すか、否か――。
先手、後手の奪い合いが、互いの剣気のみのやりとりとして行われた。
まず飛び出し、一太刀を浴びせるか。
それを迎撃し、迎え撃ってでるか。
その選択権の、取り合い。
ランサーの威圧が強まる。
辰向は身を少し屈めた。
それで、ランサーは探るように威圧を弱める。
両者の戦意、視線、矛先、あらゆるものが、波の如き強弱で揺れ動く。
ただ無言であるはずの戦場は、しかしその一瞬を見極める両者の刃のぶつけあいであった。
――しかし、
結局、最初からその勝敗は決定していたのだ。
そもそも、単なる人間でしかない辰向に、歴戦の英雄、ランサーと意思のやりとりをしたところで、勝利できるはずもない。
やがて、ランサーは異様なほどの圧力とともに穂先を向けた。
それは次の瞬間には、斬りかかるという合図である。
――ブラフであった、しかし、ここでそれをブラフとして辰向が留まれば、間違いなく準備の伴わない辰向を、ランサーは一撃で“殺しきる”。
ブラフであると解っていても、辰向に飛び出さない選択肢はなかった。
それが、最終的な敗北であるとすら、解っていても。
鉄が、悲鳴を上げた。
同時――すでに飛び出していた辰向が、後方にのけぞる。
ランサーが、辰向のナイフを受け止め払ったのだ。
一歩、跳んだ。
だが――ランサーの間合いからは抜け出せていない!
上に弾いた右手の槍を惹き寄せて、一刺し。
――閃光が、一条の刹那と化して襲いかかる。
更に鉄が弾けた。
青い火花が両者を照らす。
ランサーは笑んでいた。
辰向は、苦々しげに顔を歪めていた。
吹き飛ばされるように、辰向は後方へ退避した。
否、実際に飛ばされた――その勢いを持って自身を弾き飛ばしたのだ。
そのまま体勢を立て直し、前に出る余裕はある。
こちらの手が読めない今は、まだランサーは慎重にならざるを得ない。
そう、辰向は考えてた。
だが、
――ランサーはそれすら超越する。
疾い、辰向は認識すら間に合わなかった。
一踏みで、ランサーは飛んだ辰向の距離を、抜き去ってしまう。
再び刃同士が重なり合い。
自身によって後退した辰向は、しかし今度こそランサーの槍によって、壁にたたきつけられた。
木壁が、異様な破裂とともに崩れ去る。
埃が舞った。
壁の奥の暗闇に、辰向は吸い込まれていく。
ランサーは再びマスターの元に帰結した。
「なるほど、異様なほど強いなぁ。――そこまで至るに、一体幾らほどの地獄を見たのだ?」
独り言のように、ランサーは辰向に問いかける。
答えは最初から求めていない。
ランサーの語りは、余裕――言ってしまえば、勝利宣言に近かった。
「しかし、それは俺には届かん。人生経験が足りないのだ。その域に達したことは褒めよう、が――残念だ、それ以上が英霊に対し“勝利”するためには必要なのだよ」
――今の辰向には、英霊を抑える力はあれど、勝利する力はない。
「いや、必要はないのだな。そも、お前は英霊ではなかったか」
未だ辰向のサーヴァントであるはずのアサシンは姿を見せない。
暗殺の機会を、今か今かと待っているのかと思えば、そうではない。
この場に存在しているかどうかも、あやふやだ。
「…………」
少しばかり、思案げに唸るようにランサーは沈黙した。
辰向は闇の向こうに潜んでしまった。
しかし、気配はある。
もしも遮断されれば、その瞬間ランサーは先ほどの戦闘に用いられなかった槍を投げ放つだろう。
それは、無骨な鉄の塊に、不可思議な紋様が描かれたもの。
汎用的に使われる無銘の品に、弓弦が最低限の礼装としての処理を与えたもの。
――それは、使い捨ての投槍であった。
ランサーは投槍の英雄、放たれる槍は、まさしく彼の切札であった。
彼の宝具は二本の槍である――手槍と投槍、それぞれ別々の用途で使用されるものだ。
もう一対の華美に塗れた手槍は、真名を開放せずとも得物となりうる。
しかし、投槍のための槍は、真名を用いてこの場に現出させる必要がある。
それを避けるための、使い捨ての投槍であった。
「…………ッ!」
しばらくの沈黙の後、ランサーは目を見開いた。
感じ取ったのだ――再起動を。
瞬間、辰向が崩れ落ちた壁から飛び出してきた。
周囲に吹き上がっていた砂埃を、まるで紙くずを切り裂くように、破り飛び出して来る。
それは、ランサーに匹敵はせずとも、迫りはしうる一瞬の高速であった。
すでにそれを察知していたランサーは、辰向のナイフを悠々と受け止める。
弾かれたナイフとともに、たたらを踏むように下がる辰向。
――ナイフを握られていない手が、暗闇に隠れている。
ランサーはそれに気がついていた。
辰向の狙いは、ランサーではない。
マスター――赤紫羅弓弦だ。
「ほぉう!」
感心を掛け声とし、ランサーはすでに行動していた。
――辰向の右手には、拳銃が収まっている。
すでに引き金には、手をかけられていた。
「んなぁ!」
思わずのことに、弓弦は驚愕してみせた。
魔術使い――魔術をただの道具としている。
右手の拳銃が、その証拠だ。
やがて、それは発砲される。
ランサーの行動は、マスターを守ること、辰向の狙いが弓弦であることは明白であった。
果たしてそれは――
――ランサーの手槍が、間に合った。
鉄の閃光が振るわれる。
瞬間、猛烈な勢いであった銃弾が弾き飛ばされる。
発砲音と同等以上の爆音が響き、下方にそれが跳弾する形になった。
辰向は更に前に出る。
槍を振るったランサーは辰向の想定通りの動きを見せた。
そこから続く展開は、辰向の思考に明瞭となる。
――まず、辰向のナイフがそれを受け止めるべく引き寄せられた手槍によって防がれる。
その後、ランサーは反撃のために槍を押し返すだろう。
辰向はその勢いに乗るつもりでいた。
最初から後方への撤退を前提に、一撃を加えるのである。
さすがにそれならば、ランサーに追いつかれることはない。
ようはランサーの腕力を利用し、ランサーの脚力を超える手はずであるのだ。
「――フ」
ランサーが、笑った。
彼の手の中から、槍が踊るようにうごめいて、そして。
――辰向を喰い殺すべく襲い掛かる。
そこで槍を突き出せば、ランサーは自身を危機に陥らせる。
辰向が相打ちを覚悟し身体を突き出せば、ランサーは辰向を貫き血を浴びる。
更に、辰向のナイフを真っ向から受けることとなるだろう。
かくしてランサーには無視できないレベルの活力と、恐らくは腕一本を奪われることとなる。
それが無いことを、想定した上で動いているのか。
どちらにせよ、辰向に無茶の意思はない。
驚愕と共に、辰向はたまらずナイフを振った。
直前の槍を弾いて逸らす。
手に伝わる膨大な痛みが悲鳴となって痺れに変わる。
それでも、何とか後方には飛べた。
不格好で、体勢などあってないようなモノで。
――それは自身の意思で弾かれたのではない。
辰向は地面に、叩きつけられたのだ。
明滅する思考が、たたきつけられた痛みによって正常を取り戻す。
身体は“地に衝突した”にもかかわらず宙にあった。
地がはじけ飛んだのだ。
辰向は床の板を貫通したのである。
体勢を立て直し、何とか階段に着地する。
上を見上げた空いた穴から、ランサーがこちらに飛び込んでくる――!
「退避せよ、主人!」
自身のマスターにそう声がけて、ランサーは“投槍”を構える。
先ほどまで構えもしていなかった二対の内片方。
まずい、と思った辰向は、とっさに周囲の壁を“ぶちぬいた”。
同時、櫓の外へ身を抱えながら飛び出す。
――次の瞬間には、櫓は投槍の“破壊”を受けた。
爆発が起きた。
ただ威力の衝突のみでそれが起きたのだ。
余波とはいえ辰向はそれを真っ向から受けた。
自身の感覚が逸するのを感じながら、辰向は外部へ叩きだされる。
見えたのは、もはや跡すら残らず灰燼に帰した、かつて櫓だったものであった。
♪
もはやそこには何もなかった。
空を見上げるには十分な高台が、すでに跡形もなく、掻き消えていた。
煙が異様なほど立ち込めて、その姿は察する程度にしか垣間見ることができない。
辰向は戦慄していた。
――これがランサー。
これがサーヴァント――!
自分自身、やろうと思ってできないわけではない。
だが、こうも容易く可能であるはずがない。
明らかな格上の敵。
――間違いなく、一対一では天地をひっくり返しても勝利し得ない。
「あぁ――まったく」
煙の向こうから、声がした。
ランサーだ。
弓弦の気配はない、少し遠くに、何かが揺らめく影がある。
退避はしているのだろう。
「凡百の槍はダメだな。――粉微塵“程度”にしかできない」
「……ッ!」
戦慄する。
――少なくとも投槍のほうは宝具ではない、それは少し観察すれば解ること。
だからこそ――それ以上を想像する。
もしも、本物の宝具が放たれれば、どうなるか。
たった一撃でアレだけの被害を生む膂力。
間違いなく、あの男の本命は投槍だ――!
「では、アサシンのマスターよ。ここで散れ、これ以上の戦闘は、俺にとって無価値と見た」
来る。
――ランサーの暴力が、威風となって辰向を叩く。
だが、幸運にも、辰向の方が早かった。
「――むぅ?」
ランサーが、何かを踏んだ。
それに気がつくが、遅い。
気が付くと同時に、ランサーの周囲は熱で覆われた。
ランサーの本格戦闘であります。
真名、この段階で解るのでしょうか。