「そういえば――」
夜、ランサーとの戦闘から一夜明け、既にその一日も終えようとしていた。
辰向は既に床についている。
偵察は気配遮断スキルを持った巫女服姿の女性達が行っている。
これがあるために、キャスター陣営は情報の面において最優であるのだ。
とはいえ、ライダーの存在があるため、さほど周囲を突き放してはいないが。
キャスターは朝海の寝室にいた。
今日は、朝海の提案で、二人は共に寝ることになったのだ。
特に理由があったわけではない、ただ、たまたま会話の流れでそうなったのだ。
熱を帯びた初夏の夜。
――不可思議なもやの伴うような涼風が、キャスターたちの頬を撫でる。
常人であれば、この場に一秒でもいたいとは思わないだろうが――
朝海たちは違う。
あまりにこの異様――幽界の怪異に馴染みすぎているのだ。
本人たちにとって幽霊は得体のしれないものではなく、既に種の知れた隣人にすぎない。
「――どうしたの? キャスター」
ぼんやりとした声音で朝海が口火を切ったキャスターに問い返す。
既に朝海はまどろみの中にあり、キャスターに対する会話も、力のあるものではない。
――だが、
「……いえ、マスターには、好意を抱く人はいたのでしょうか、と」
「好意?」
それを引き上げるように。
「好きな人は、いますか?」
キャスターはずいずいと、言葉を朝海に切り込んできた。
「……キャスターって、そういうキャラだったっけ?」
「うふふ、こういうことはお布団を並べた時の決まり事なのですよ」
「そういえば……キャスターって女所帯のリーダーだったね」
歩き巫女を指導する立場にあったキャスター。
ただ教師であるというよりも、彼女は指導する者達の母でもあったのだろう。
もしくは、姉か。
枕を並べ、キャスターは朝海に並ぶ。
何となくその端正な顔立ちに気恥ずかしくなって、朝海はキャスターへ背を向けた。
「まぁ、残念ながら好きな人、という話題を出すような立場ではありませんでしたので、こういう話はあまりしないのですけれど」
そもそも、一個人の男性と密接な付き合いをする少女が、あの場所にはほとんどいなかった。
スパイとして取り入ることは会ったかもしれない。
けれども――好きに恋愛ができた少女は、残念ながらいなかっただろう。
「……ところでさ、キャスターって――自分の夫を、愛していたの?」
――キャスター――“望月千代女”は未亡人である。
若くして夫――“望月氏”という一族の当主だ――を亡くし、それ以後は武田信玄に目をつけられ、歩き巫女集団を育てる棟梁となった。
「えぇっと……そうですね」
望月千代女の出自は、甲賀望月氏という“忍者”の一族の出であった。
それが、本家である望月氏に嫁ぐこととなり、その後は、中々奇異な一生を送ることとなる。
その始まりとも言える相手。
――キャスターの願い。
それは、数十年前に死に別れた、夫と一度で良いから邂逅すること。
「別に、好きとか、嫌いとか、私の時代ではあまり重視されるものではないです。好きでもなんでもない相手に嫁ぐ――別に不思議なことではないですよ」
「それは中々……大変だね」
「そうでもないですよ、好きでもない――代わりに、嫌いでもない、ですからね。だったら、一緒になってから好きになればいいのです。幸い時間だけは余るほどありましたから。時間をかけて、ゆっくり分かり合っていけば――よかったのです」
好きになればイイ。
好きになるだけの時間があればいい。
――望月千代女という女性には、そんな時間は無かったのだが。
「……どうなのでしょうね。多分、好きになることはできたと思います。あの人は優しい人でしたから。――私が覚えているあの人の顔は、どれも笑っていました」
あと少し、あと一年でも、時間があればどうだっただろう。
――キャスターには、その答えをだすことはできそうにない。
「ただまぁ……あの人だけが、私の人生に形ある、男の人であったことは、間違いないと思います」
「……そっか」
布団に身を任せるように、朝海は楽しげに笑んでいた。
だが、
「……あの、マスター?」
ふと、キャスターが声をかけたところで、ビクリと身体を震わせた。
振り返ること無く、少しだけ上ずった声で。
「ななな、何かな? キャスター」
そう、返す。
それ以上は、叶わなかった。
「――いえ、マスターの話を、私はまだ聞いていないのですけれど」
キャスターは、
とても楽しげな声で、そう言った。
「キャスター……コイバナとか、好き?」
「大好きです」
即答。
――あまりに多大な意思を持つ、答えであった。
「い、いや、そうはいっても、私別に、好きな人とかいないし」
「あら、そうですか?」
クスクスと、冗談を受け流すようにキャスターは言う。
「そんなことありませんよ。マスターは立派な恋する乙女です」
「……キャスターって、こんなこというキャラだったっけなぁ?」
「普段は、ふふ、抑えていますもの」
わざとらしく、キャスターは言う。
世話やきではある。
けれども、ここまでなんというか――
「姦しかったかなぁ」
朝海は、自身の性別を棚に上げるように、言う。
きっとそれは、キャスターの、朝海からは見えていない一面だったのだろう。
考えてみれば当然か、例えば辰向なんてその筆頭だ。
人がよく、こちらの都合に基本なんでも合わせてくれる。
けれども、その心中はあまり知れない。
想像することはできるし、その想像はきっと間違ってはいないのだろうけれども。
「それにしても、嘘は行けませんよマスター」
「――嘘?」
胡散臭そうな眼で、布団の白にそれを伏せる。
キャスターはその朝海に、少しだけ近づく――なんだか瞳がねっとりしている。
「不思議ではありませんでした? ……マスターは、人嫌いの気がありますから。私のように、身元がはっきりしていないと、信頼なんてとても」
「人嫌いって、はっきり言うなぁ……」
でなければわざわざキャスターを縁召喚で呼び出したりはしない。
正確には縁召喚ではなく、キャスターが鬼道を学んだ“瀬場家”への縁による召喚だ。
言うなら、魔術刻印を触媒とした召喚、といった所か。
瀬場は世界的、全国的な大家ではないにしろ、少なくとも鬼道という面においては“信濃一”の魔術一門である。
そこで魔術を学ぶことは、瀬場と繋がりのある望月家の人間であれば、当然といえば当然であった。
「そんな人嫌いのマスターは、きっとライダーのマスターと一対一で会話しても、話がこじれてしまったでしょうね。止めようにも、別に話がこじれても悪いことにはならないでしょうから、それはそれで良かったのですけど」
「……何が言いたいの?」
もぞりと、少しだけ朝海が揺れた。
「――マスターでは、能動的に同盟を組むことは、まず無理という話です。マスターは願いがないという同盟の利点はありますが、マスターの方針を受け入れてくれる魔術師は希少ですから」
「うーん……」
――否定できる材料はある。
しかし、肯定できる材料だって多少はある。
少なくとも、幾つかある意見の一つとしてだが、それは絶対に間違いではないのであった。
「ですから――少し、不思議には思いませんか? マスターがなぜ、初見の相手に、あぁも心を開いたのでしょうね」
「初見……って、そもそもアレは、こっちの気勢が削がれちゃったからで、その後あそこまで畳み掛けられて、断れなかったし、断る理由もなかったしで」
キャスターから逃れるように。
朝海は布団の中で縮こまる。
「少し休憩のために知り合いのお店に行ったら、そこで良いことがあったって、すごく嬉しそうに語ってくれたではありませんか」
「アレは、そもそも、同盟するかもしれない相手の得体が知れないんじゃだめじゃん、思わぬ形でそれが知れて、物草な私からしてみれば、手間が省けてラッキー、っていうか」
何故キャスターの声はあんなにも楽しそうなのだろう。
わからない。
「自分の判断ミスで危険に晒したことを、ずいぶん気に病んでいましたよね。思わず、相手に電話をかけてしまうくらい」
「思っても見なかったことで、かなり気が動転してたんだよ。そこに戦闘に敗北しちゃったとか、大ダメージもいいところじゃない。そんなの、私が気に病むに決まってる」
何故、自分の声はこんなにも上ずっているのだろう。
わからない。
「昼食に誘われて、ずいぶんと浮かれていらっしゃったではないですか。車中での会話は、何時も以上に弾んでいて、何時も以上に核心に迫ったような内容でした」
「単なる戦闘だけの協定じゃなく、一から十を全部預ける同盟相手――仲間になるんだよ? 信頼のためには、それくらいの話は、むしろ必然――」
キャスターは、
――自分は、
キャスターは――
――――自分は、
――わからない。
「そこです」
――ピシャリ、と。
キャスターは指摘する。
「人に心を開くためには、時間が必要です。聖杯戦争の期間は、決してそれに足るものではない。ですが、それを無理やり補う方法はあります――自分のすべてを、相手にさらけ出してしまえばいいのです」
自分の過去、感情、展望、そして今。
あらゆる情報を、相手と交換し、そして認め合えば。
信頼という感情を得るためのあらゆる行程を、スキップすることができる。
「残念ながら、マスター。貴方はとても聡明な人です。だから、感情的になることは会っても、感情に身を委ねることはしない。できない。――したことがない」
する機会がなかったから。
する相手がいなかったから。
する必要がなかったから。
――朝海は、他人に自分を明け渡すことをしたことがない。
「……でも! 私と彼には多くの共通点があった。共有すべき目的があった。今更語る必要もないくらい、今更考える必要もないくらい、私と彼は――――」
「そもそも――」
キャスターは、遮った。
朝海の言葉を――これまでのすべてを否定する。
その爆弾を、ここでようやく投下する。
「――私は、別に誰のことを指定して話を語っていたわけではないですよ?」
一体誰のことを想像していたのだ、と。
――キャスターは、少しだけ意地の悪い声でいった。
「――ッ!!」
ガバっと、朝海がそれで起き上がるには、あまりに十分な言葉であった。
「怒るよ! キャスター」
「……あらあら」
キャスターは布団に寝転がったまま、こちらを見上げている。
起き上がったばかりの朝海に、視線を向けている。
「――マスターが、タコさんになってしまいましたわ」
――――わからない。
朝海には、わからない。
何故自分がこんなにも、頬を蒸気させ、“恥ずかしさ”を覚えているのか。
もはや理不尽のような暴力であった。
それを――キャスターが今まさに語ろうとしていることは、
「得体のしれない初対面の相手に心を開く。――一つだけ、理由があります。とっても単純で、とっても愛おしい、貴方だけの特権が」
あまりに一方的で。
あまりに、救われない。
「――――ひとめぼれ。恋は、若い少女の特権です」
朝海は、
――ポスン、
と。
あまりにもあっけなく、その場に。布団の上に崩れ落ちた。
「……ひとめぼれ?」
「正確には、もう少し複雑ですけれど、――急速に、人が人を恋してしまう時、それはなんであれ、ひとめぼれという表現が世界で最もふさわしいのです」
「…………いや」
朝海は、否定する。
「――ひとめぼれ、じゃない。そもそも、私はひとめぼれが嫌い。理解できないから、嫌い」
ひとめぼれは、あまりに理不尽な現象だ。
「ひとめぼれは――暴力だ。する方はともかく、される方はたまったものじゃない」
そんな言葉を、昔どこかで聞いたことがある。
物語の中であったか、誰かが綴った詩であったか。
いや、そんなことはどうでもいい。
朝海にとってそれは、どうしようもなく訳の分からないものなのだ。
「――だから、ひとめぼれじゃ、ない」
キャスターは、
そんな朝海の発言を、真っ向から否定する。
最初から、キャスターの言葉は当然であるかのように。
「――いいえ、違います。それは理解できないからではない。 ――マスターが知らない、だけなのですよ」
そう、言い切った。
ちゃっかり本編で初登場のキャスター真名。