召喚されて、アーチャーはマスターの不幸を呪った。
何せ、そのマスターは人としての機能が停止している。
雪白真華は死していない。
さりとて、意思なき彼女に生はない。
故に、それは機能が停止していると言わざるをえない。
アーチャーは一人であった。
現在、彼女はマスターの部屋の前にいる。
雪白真華は人としての役割を終えている。
どうあろうと、あのままでは彼女は救われない。
――とうの昔に、召喚されたその日にそれは、悟ったことだ。
――問おう、貴方が私のマスターか。
アーチャーの言葉。
返ってきたのは、あまりに淡白で抑揚を喪った声。
――うん。――よろしく。――アーチャー。
それだけだった。
それ以上は、何もなかった。
ただアーチャーにそう語った真華は、そのままその場に崩れ落ち、後はただ人形と化すほか無かった。
真華は何も語らない。
話しかければ、それに応える“機能”はある。
だが、それはあまりにも必要最低限のことである。
彼女に否定はない、問いかけられれば、肯定する。
否定はしないのだから、あとはただなすがまま――誰が、一体何をしようと。
ふざけるな、そんな事、到底許されるはずがない。
――真華には、何もかもが見えていない。
無いのだから、見えないのも同様なのだ。
だから、それは、きっと。
アーチャーの由来以上に、アーチャーの生い立ち以上に、最悪だ。
そして、そこから行き着く真華の行く末は――アーチャーは、自分と彼女を重ねていた。
決して不幸ではないにしろ、アーチャーは不遇であった。
だからこそ、不遇であり、更に不幸にすら堕ちかねない少女に、アーチャーは憐憫を覚えた。
結局のところ、アーチャーは激情家だ。
義憤に暑く、また悪を許さない質である――その本質は、“彼”の周囲からしてみれば、あまりに横暴であっただろう。
だが、それでもアーチャーは善性の英雄だ。
それは、彼女が手にした、ある魔剣が証明してくれる。
(――意識を、切り替えなくては)
ふと、今は腰元にない剣の柄を握りこみそうになって、思い直す。
ずいぶんと長い間思惟にふけっていたようだ。
どうあれ、これからアーチャーは戦場に出る。
その前にもう一度、今は睡眠に入っているであろうマスターの顔を、一目見ようというのだ。
「失礼します」
――軽く戸を叩き、呼びかけるように、そっと呟く。
返事はない、――もとより、睡眠している真華を起こさないよう、音量はかなり少ない。
返事がないことを確かめると――睡眠していることを確かめると――ゆっくりアーチャーは中に入る。
横にスライドする、和式の扉。
飾り気などあったものではない、白の無地。
まるで、そこにいるのが誰であるかを、明白にするかのような――
果たして、真華はいた。
しかし――彼女は決して睡魔に微睡んではいなかった。
起きている。
――布団から起き上がり、微動だにせず、そこに“在る”。
「――マスター?」
アーチャーは、ふと確かめるように近づく。
彼/彼女には知れないことではあるが、真華の瞳に光はない。
ただ、起きているというプログラミングに基づくかのように――佇んでいる。
「起きて……は、いるのですね。マスター、これより戦争が始まります。マスターは、どうかゆっくりとお休みになってください」
ごくごく丁寧な口調で呼びかける。
彼/彼女の振る舞いは、善良だ――そして、善良であるがゆえ、その立場すらも逸した振る舞いと成る。
アーチャーの立ち位置からすれば、通常これは考えられないものであった。
それでも、アーチャーは務めて従者となる。
「……マスター?」
訝しむ、というわけではないが。
ぼんやりとしたままの真華の気配に、不思議そうにアーチャーは近づく。
通常であれば、先ほどのアーチャーの言葉に、真華は肯定しないはずがない。
最中は肯定“しか”しない。
それを利用するようで、アーチャーは常に真華へ難しい顔をむけるのだが、とかく。
「お休みになって下さい、夜更かしは身体に毒ですよ」
そっと、耳元でささやくような距離で、ポン、とアーチャーは肩をたたいた。
諭すようであった。
普段であれば、そんなことは必要ないというのに。
ほとんど寄り添うような距離で会ったも、真華に変化は見られない。
――いやそも、真華の場合、そこまで距離を近づける必要はないのだが。
「…………」
一体どういうことだろう、思案にふけった顔で、アーチャーは立ち上がる。
視界の無いアーチャーには、真華の表情を確かめることができない。
ただ真華がそこにいること、そして真華がまだ起きていることしか、わからないのだ。
――だが、
彼/彼女の困惑が頂点に達したその時、それに水を差すように――――
――“ソレ”は気配となって現れた。
「――これ、は」
遠く、そして扉越しでもその気配はすぐに解る。
それはあまりに、人の域を飛び越えていた。
英霊である――が、それ以上。
神以上――アーチャーに近い、何かであった。
「――やぁ、こんばんわ、アーチャー」
振り返る。
気配は解る、だがその立ち姿はアーチャーには知れない。
ただ、その声の“無性別”と背丈から、姿を想像することはできる。
「何かようか、セイバー」
アーチャーは、自身の感情を覗かせない声で答えた。
彼/彼女とセイバーの間には、関係と呼べる関係はない、会話は精々二言、三言。
それもあってか、アーチャーからセイバーに対する感情に、親しみもなければ悪意もない。
あくまで、同盟相手、程度の認識だ。
――それでも、この陣営の中で、もっともアーチャーと“親しい”のがセイバーであることは、ある種の皮肉か。
「いや、業務的な連絡だよ。別に僕が君に伝える必要はないだろうけれど、夢に微睡む肩に手をたたけ、と。まぁ、構いはしないけれどもね」
「……なんだ」
催促するように、問う。
セイバーはあくまで端的に。
たった一言で、それを説明する。
「――今日は、僕も出る」
アーチャーの驚愕は、決して重大ではなかった。
それはなるほど、と頷いた程度。
だが、問わねばならないことはあった。
「――では、ここの守りはどうなる。攻めは時には守りになりうるが、だからといって無人では、セイバーのマスターはともかく、俺のマスターはあまりに危険だ」
セイバーの言葉の狙い。
そして、意味。
アーチャーはそれを即座に看破した。
単純なことだ――今日、この日、聖杯戦争に決着をつけようというのだ。
明白なことであるが、現在は主催者陣営である「赤紫羅陣営」、そしてそれに対抗するキャスター陣営を中心とした「瀬場邸同盟」の二つが盤面にある。
ライダーはこのどちらにも属さないが、両陣営に挟撃された場合の不利は明白。
完全な推測ではあるが、キャスター陣営と、何らかの協定が結ばれている、というのはアーチャーの見解だ。
コレに対し、「赤紫羅陣営」は敵対サーヴァントのうち一騎を脱落させることを決めた。
もしも、現在の状況が崩れれば、現在の盤面は完全に崩壊する。
これはそのための行動というわけだ。
「――仔細無いよ。一切合切何ら問題と呼べる展開もなく、問題は解決として切って捨てられる。つまり、君のマスターは、君が守るべきだ」
――ようするに、真華を連れだしてもよい、というのだ。
この人形のような少女を、――その人形めいた裏にあるのは、つまり――――であるというのに。
セイバーは連れだして構わない、という。
「……私が?」
信じられない言葉を聞いたように、アーチャーが問う。
事実それはその通り、他でもないアーチャーが、マスターを守る。
通常であれば当然であるが、アーチャーの性格とこの陣営の実態を考えれば、それは明らかに悪手だ。
「僕のマスターからも許可は得ている。これはこの陣営総意の作戦というわけだ。だからアーチャー、君の協力は、必須ということになる」
アーチャーの疑問を、一蹴するように言う。
何も問題はないのだから、それをアーチャーが気にする必要はない、と。
そしてもう一つ。
暗に、セイバーのマスター――つまり、雪白真華に“鎖をつけた”張本人である赤紫羅仁の名を持ちだした。
「……ふん、そうか。ならばいい、無粋なことであったな。私はこの陣営のサーヴァント、それならば、それに沿うだけの仕事はするさ」
言って、アーチャーはマスターである真華に向き直る。
ちょうど彼女は、それに促されるように、立ち上がっていた。
――碌に食事を取っているのかも危うい、小枝のような体つきだ。
痛ましい、と呼ぶには、ぎりぎりそれは真華が“秀麗”であることに救われている。
それでも真華の美しさが、また本人の悲劇を引き立てるわけであるが、とかく。
「――参りましょう、マスター」
エスコートする紳士のように。
真華に手を差し伸べる。
「――――――――ふふ」
それを、セイバーは――笑った。
「……何がおかしい」
「いえ何、君は不遇の英霊ではないか。――その態度が、誰にであれ取れていれば、そうはならなかっただろう、と」
「……ふん、友の少なさで言えば貴様も同様だ。それに、貴様の尺度で測られるのは気に食わん」
セイバーは何の反応も見せなかった。
今もくつくつと笑みを浮かべているのか、はたまた憮然とした態度でいるのか。
残念ながら、アーチャーにはそれがわからない。
「――ところで、一つ聞いておこう」
ふと、思い至った。
これは作戦だ。
――間違いなく、策略でもって敵と相対する。
ならば、その発案者は?
「ランサーのマスターだけれど、それが?」
「……いいや」
弓弦だ、という答えに、何でもない風でアーチャーは答えた。
どことなく重苦しい沈黙とともに、
「――あぁ、なるほど、“らしい”話だ」
うんざりした様子で、言った。
♪
そこは赤紫羅陣営が有する本拠地の一角。
だが、正確にはそこは“どこでもない”。
文字通り、そこはこの世界のどこにもない、場所なのだ。
位相自体は現実世界と同一のもの、つまり、現実世界をXY座標で現した後、Y座標のみをずらしたのが現在の場所だ。
一つの世界の“上下”どちらかに存在する別空間。
平行世界というよりも、並行世界と呼ぶのが近いその空間は、文字通り「並行結界」という名で呼ばれていた。
周囲はひとつひとつが、かの“神樹”ほどの大きさを持つ蔓に覆われている。
そこが現実でありながら、現実と等価に存在するからこそ、膨大なスペースを確保できるというわけだ。
そこに、一人の男がいる。
男は何をするまでもなく上方――蔦に覆われた闇の向こうを眺めていた。
さながら死体のようではあるが、その瞳には意識がある。
呼吸も、完全に人のそれ――ただ呆けている、というのが近い。
『――――やはり、ここだったねマスター』
声をかける誰かがいる。
その場にはいない、この場所は――声をかけるソレは通る事ができるが、興味が無いのか入ってこない――例外を除いて、入り込むことは不可能であった。
『一方的に報告しておこう、僕を始めとして、全騎、敵を討つべく出陣した。既にランサーとアーチャーは準備を終えている頃だろう。後は僕が動けば、“始まる”よ』
男は、答えなかった。
そうか、とも、ごくろう、とも。
――そんな言葉は必要ないのだ。
男は、根本的にソレ――セイバーを信用していない。
そも彼が信用するのは己のみ、例外があるとすれば――
『……詳細は問わないのかい? 君の“息子”が立案した策だというのに』
――自身が絶大な信頼を置く、ただ一人の息子だけだろう。
ぴくりと、男の身体が揺れた。
それには興味がある。
『――――』
興味をもった男に、セイバーは作戦の骨子を語った。
男の顔が、みるみるうちに笑みに代わる。
――結構。実に結構。
それでこそ、男が世界で唯一信頼を向ける、赤紫羅弓弦にふさわしい。
『……僕もそう思うよ――あぁ、実に』
セイバーは、男の言葉を代弁するように言う。
『――実に、平素。愚鈍な君の息子らしい、というわけだ』
赤紫羅弓弦は生粋の凡人であった。
有象無象のなかでは、特に突出した才を有してはいる。
だが、それは“集団の中で受け入れられる”程度にすぎない。
アレは本物の天才ではない。
ゆえに、男は弓弦を絶対的に信頼するのだ。
弓弦はあまりに“平凡”であり、そして自分の“同類”だ。
これほどまでに――――操りやすい男はいない。
セイバーからの通信は途絶えた。
そこにあるのはただ――
――ただ、凶相の笑みを浮かべる男。
赤紫羅仁、だけがいる。