第八章『瀬場邸決戦(下)』
「では――問答を開始しよう」
セイバーは、もったいぶったように刃を収めながら言う。
刃は虚空から虚空へ、溶けるように消えた。
彼の右手を這うように光が漏れ、そして散っていく。
「――問答?」
「そう、これは問答だ。僕が君に問う、君はそれに答える。あぁ、逆は認めない、これはあくまで僕の興味ゆえの行動なのだから――君が、興味をもつ必要はないよね?」
片足に体重を預け、わざとらしい風であった。
セイバーは、どこか好戦的に笑みを浮かべる。
「――友のまね事などこれがハジメテの経験だけれど、うん、いいだろう。僕が裁定してあげよう、君という存在を」
「さすがに、いうことが大きいな。――裁定、とは。赤紫羅の切札はいうことが違う」
「おだてなくていい……それとも、挑発しなくていい、と言うべきかな? いや、それはいいさ」
そこで、
セイバーの雰囲気が変わる。
――ただ、凶器でしかなかった刃が、
辰向ヘと向けられるのだ。
「――さて、答えてもらうその前に、少し教えて欲しい。――君、“腹の傷はどうした”?」
「……腹の傷? まさか、“あのこと”を言っているのか?」
「うん、質問を許したつもりは――あぁいや、説明不足はこちらの咎か。ならば答えよう、君が“ランサーのマスター”に刺された時の傷さ」
それは、もう六年前の事になる。
辰向にとって、そして弓弦にとっての始まりの時。
その時辰向は、弓弦に脇腹を刺されているのだ。
当時の痛みは、もう既に忘れてしまったものだけれども。
――なお、セイバーは“見るからに別格”だ、別に知っていることを驚くことはない。
「脇腹をナイフでえぐられれば、それなりに魔術的な措置がなければ、痕が残るのではないかい? であれば君は、――その痕を残しているのかな」
何をおかしなことを聞く。
――それは、辰向の理念からはずれる。
「“残している訳ない”だろ? そんな“無力の証”みたいなもの、俺は残さない。意外と、常人でいるのは大変でね、変な負荷はかけないことにしている」
そも、残していては辰向の起源に関わる。
彼は起源覚醒者だ。
――下手をすれば、“本当に覚醒”してしまいかねないほどの。
それを防ぐには、それなりの精神的な防壁が必要なわけで、傷を残しては、その防壁に負荷がかかる。
怪我を負うなんて、なんと自分は無力なのだろう。
そう思わないために、辰向は怪我を極力残さない。
「なるほどね、よくわかった。――それならいい。では問答に入ろう」
何か、含みのある言い方であった。
これまでの会話全てに、大きく意味があったかのように。
――そして、辰向はそれを“理解している”。
(――それならいい、か。向こうは向こうで、理解、自己完結しているんだろうな)
(……でしょうね)
それは、アサシンも同様だ。
彼らは状況を理解している。
「なぁに、たった一つ、あまりに単純な問いを君に課そう。そう、一つだけだ」
セイバーは、そこに空白を差し込んだ。
計るように――その瞳が、辰向を覗きこむ。
そして、
「――君は、なぜ生きているんだい?」
それは、確かに単純ではあった。
だが、単純ではあっても、“容易な問い”では決してなかった。
「――なぜ、生きているのか、だと?」
反芻するように、辰向は問い返す。
そうだ、とセイバーは頷いた。
「当然じゃないか。だって、君は“何の意味も持っていない”のだから。――無力、などという言葉はいいわけだ、君は、未だに何もできていない」
――こんどは、辰向は言葉を挟まなかった。
故に、セイバーは続ける。
「君の妹を救うことも、君の宿敵を撃破することも、――君の望みを叶えるためのあらゆることを、君はできていない」
――朝海との同盟は可能であった。
バーサーカーを撃破することは可能であった。
もっと遡れば、これまで辰向は戦場に飛び出し、多くの“敵”を撃破してきた。
だが、それは究極的に、彼の本懐を遂げることとは結びつかない。
間接的に、であればともかく、直接的には、無関係だ。
故に、辰向はなにもできていない。
彼にはまだ、なにも無い。
「だから、君は無意味だ。君は無価値だ。君は無意義だ。君はただ、そこに在るだけの、愚かな“無駄骨”にすぎないわけだ」
――だから、なぜ辰向は生きている?
生きる価値の無い辰向に、一体何の意味がある?
彼の道程に、一体何の意義がある?
そんなもの、ありはしないのだ。
「……………………」
例えばそれがノエミなら――彼女は、ただ生きていることが、彼女の意味だ。
自身の思うがままに生き、何も縛られない生き様であれば、“彼女は生きている”ということになる。
例えばそれが朝海なら――彼女は、自身の譲れない最低限が、その価値だ。
確かに彼女は、復讐という目的は遂げていない。
しかし、彼女の中にある、彼女だけの想いは、“街を守る”というものだ、それは復讐とは関係はない。
例えばそれがキャスターなら――彼女は、今彼女が見守っているあらゆることが、彼女の意義だ。
朝海という少女を守ること、既に“死んでいる”彼女には、それすらも、あまりに尊い意義となる。
だが、
――辰向は?
そんなもの、
――最初から、在るわけがない。
「君はライダーに敗北している。ランサーに手も足も出なかった。バーサーカーは、結局ただ自滅しただけ。――知っているかい? 君の戦績に、勝利はひとつも存在しないんだよ」
続ける。
「君はキャスターと同盟を組んだ。しかし、そもそもキャスターはライダーと同盟を組むつもりだった。――恐らく、その同盟は失敗しただろう。つまり、どうなる? 君はどうあれ、キャスター陣営と組むことになっていたはずだ」
続ける。
「君はライダーのマスターとは知己の間柄だ。だが、その間に君は彼女に何をした? 彼女の何かを君が解決したわけでない。君はたまたま、彼女に親しい立場になれただけで、“何もしなかった”わけだ」
つまり、
「君のしたことは、全て、無駄だったというわけだ。――改めて問おう」
そう、
「――君は、なぜ、生きているんだい?」
結局は、そこに行き着く。
――セイバーは、そうして演説を終える。
講評を待っているのだ。
辰向の答えを、期待し、待ちわびている。
「……俺は、」
――やがて、沈黙から辰向は抜けだした。
少しだけ言葉を選び、口火を切る。
「――最初から、そんなことはわかってる。そもそも、俺の生き方は決して自分のモノじゃない。無力だから、自分から何かができるわけでもなかった」
彼の全ては、彼自身から生まれたものではない。
きっと、彼が生来から持つ才能も、言ってしまえば遺伝なのだろう。
特異な起源も、元をたどれば“起源”が生み出したもの、彼個人のものではない。
だから、彼は、その根底すらも――
「ならどうするか――最初から決まっている。決まりきってることなんだ」
――そうして、辰向が行き着くのは一つの結論だ。
彼に力はない。
だから、それを補おうとするのなら、
――彼が生きていこうとするならば、
「――だったら、誰かの力を借りるしかないじゃないか」
辰向の全ては借り物だ。
彼の力の源泉である数多の礼装も、全て“彼以外の誰か”が作成したもの。
「簡単な事だ。力が足らず、手に入らない物があるのなら、それは誰かに助けてもらうしかない。――俺は無力だ、だとすれば、誰かが“哀れんで”くれるだろう?」
――目の前に、翼を手折られ、飛べなくなった鳥がいる。
とすれば、人はそれに何を思うだろう。
答えは一つしかない、同情だ。
そしてその中に、一人でもお人好しがいれば、その鳥は助けを得られるかもしれない。
ようはそういうこと。
弱者とは、憐れまれる者。
憐れまれるが故に、強者の庇護を受ける者。
「俺が無力であるかぎり、誰かが手を差し伸べてくれるだろう。俺が無意味で、無価値で、無意義な限り、誰かが俺に意味をくれるだろう。何、簡単な事だ――少し、力を貸してくれるだけでいいんだからな」
誰かが、少し辰向に憐憫を覚えてくれればそれでいい。
そう、言葉にしてみると――なるほど、一つ気がつくことが在る。
きっとそれが――
「……でもだめだな、ただ無力なだけじゃあ、誰も俺に魅力は感じないだろう。だとすれば、必要なのは意思。前に進むという意思。そしてその意思に基づき、たとえ無駄でも足掻くことをやめないってことだな」
――辰向自身、気が付かないうちに、それを実行に移していたのだろう。
でなければ、彼は今、ここにいない。
与えられた才能を練磨していなければ、辰向は弓弦に殺されていた。
そこから、足掻くための土壌を彼が作らなければ、辰向は一人野垂れ死んでいただろう。
自分を組み換え、バケモノの域にまで高めなければ、辰向は戦場で死んでいた。
全て、辰向が、“何かをしなければ”手に入らなかったものだ。
誰にも、与えられることのなかったであろうものだ。
「与えられるってことは、つまりどういうことだ――? いや、考えるまでもない。認められるっていうことだ」
得心が言った。
セイバーの言葉に答えているうちに、
なぜだか、自分の中で腑に落ちた。
それを、辰向はただぼんやりと、口にする。
「――あぁ、そうか。俺はただ、誰かに認めて貰いたいだけだったのか」
あまりに端的で、そしてどこか、ちっぽけな思い。
だというのに、口にすればするほど、それはあまりにも、すんなり心の奥に入り込んできた。
「――ふむ」
セイバーは、少しばかり考えこむようにして、腕組みをする。
しばらくすると、
「ふ、ははははははは」
なぜだか、“誰かのマネをするように”高らかな笑いをしてみせた。
なお、抑揚はなく、たとえ誰のマネであろうと、全く似ていない。
「いいね、実にイイ。僕の想定を外してくれた。――まぁ、想定よりも、“下だった”けれど、上を飛び越えるよりも、この解答は中々愉快だ。これを愉悦というのだろうね」
どうやら、セイバーは辰向の解答に納得したようだ。
「確かに、誰かの同情を受けたいというのは、一種の認証欲求ではある。とすれば、君の在り方は、至極まっとうだ。……こうして僕と相対しているのが不思議なくらい、君はまともだね」
「……まともだなんて言われたのは、始めてだな」
どう考えても、――自身に施した礼装などから言っても――まともでないのが辰向の人生だ。
そしてそれは、大体の場合彼が選んで歩んできた人生である。
「満足の行く結果で実に何より。これ以上は、まぁ無意味だろう」
それに、
――と、何かに気がついたようにセイバーは言う。
空を見上げながら。
――そこには、何かがいるようだ。
「――ここまでのようだ」
そう。
空にある、何か。
それはこの聖杯戦争において、一つしか無い。
「――――いいいいいやっっほおおおおおおおおおおおおう!」
声が、した。
「――な」
驚愕。
辰向は目を見開いて上空を見上げた。
同時、アサシンが気配を察知し、構える。
「マスター! 上です――ライダーです!」
空。
そこに“在れる”のは、この聖杯戦争において一組しかいない。
そう、ノエミ=ミシリエと、ライダーのコンビだ。
声は間違いなく、ノエミのもの。
アサシンが動いた。
バタバタと、地面を叩く音がする。
それが何かを、アサシンは辰向よりも早く気がついたのだ。
「お、ぉぉお!?」
ライダーたちは、既に辰向たちのもとへ接近していた。
高速で駆け抜ける戦闘機。
置き土産とばかりに、その機銃が地面へとたたきつけられる――!
さながら、鉄の雨粒。
猛烈な嵐と化したライダーの機体は、辰向たちの上空を駆け抜け、再び空の海へ消えていく。
――当然、機体から乱射された散弾は、アサシン陣営すらも強襲した。
アサシンが気付くのが一瞬でも遅れていれば、辰向は蜂の巣とされていただろう。
無論、その程度でどうにかなる辰向ではないが。
(――わざわざ、俺達が逃亡するチャンスをくれたわけか!)
まさしく渡りに船。
これを、逃さない理由はどこにもない。
――が、
「ダメだよ」
セイバーは、辰向のすぐ目前にいた。
現在辰向はアサシンに抱えられている。
アサシンの敏捷はサーヴァントの中でも速い部類に入る。
つまり、セイバーはそれを優に超えるというわけだ。
「……っ!」
既に、セイバーは二対の剣を構えている。
どこからか取り出したそれは、それぞれべつの意匠の物であった。
それを、
「――令呪を持って命ずる」
こうして見せびらかすのはつまり、一種の建前だ。
もう、セイバーにアサシン陣営を追うつもりはない。
時間も稼いだ、そも、この“どう考えても逃走不可能にみえる”状況はアサシンの真骨頂だ。
わざわざその相手をしてやるつもりもない。
だから、逃亡を許す対価として、セイバーは令呪を要求した。
“令呪を行使しなければ逃げ切れない”程度の速度で、セイバーは迫っていたのだ。
「今すぐこの場から離脱しろ、アサシン――!!」
かくして、
瀬場邸同盟と、赤紫羅陣営。
その決戦の一つは、ここに終幕となった。
何とか第八章が完成しました。
加えて、明日にはもろもろの用事が終わりそうなので、今更ながら更新します。明日はいつもどおりです。