全ての時間が停止していた。
ありえないことが起こったのだ、無理もない。
瀬場邸は、完全に沈黙とともに凍りついていた。
だれも、弓弦の一言を理解できなかったのだ。
おそらくは、数秒。
本当に、単なる少停止程度であるはずだ。
なのに、それは時間すらも止めてしまったが故に、
周囲の存在全てに、永遠を認識させてしまったのだ。
もしも、それを最初に認識、理解できるとすればだれだろう。
語るまでもない、ランサーだ。
命令された当の本人が、最初に気がつくのが自明の理。
そして、ランサーは弓弦のサーヴァントである、実を言えばこの中では、弓弦とは最も深い付き合いがある。
無論、自我を壊されている真華は除くわけではあるが。
弓弦の言葉は如何にも明白であった。
ランサーに自害、つまりこの場からの退場を命じた。
それだけのこと。
――だが、それにはあまりにおかしなことが付随する。
なぜ、必勝の場においてそれを命じた?
なぜ、そもそもそんなことを命じようと考えた?
あらゆる理由、あらゆる原因が意味不明。
その答えに、最も早くたどり着けるのが、またランサーであった。
行動に付随する疑問を全て融かして行けば、やがてただの現実が浮かび上がる。
そう、自身がなぜその命令をされたのか、理解が及ぶ。
「――ふ」
答えは、思いの外簡単だった。
ようは彼の言動、行動、あらゆるものに“別の意味”を加えればいいわけだ
弓弦のこれまでのあらゆることが、たった一つ、視点を変えるだけで変質する。
「はは――――」
そう、
そうだったのだ。
「――――ハハハハハハハッ!」
漏れたのは、笑い。
そう、愉快だ。
あまりに愉快。
――この時、ランサーは弓弦と契約し初めて、心底から感情を吐露した。
ランサーの主従観は独特だ。
マスターとサーヴァントが、しかしそれ以上の関係を築くことはありえない。
最初からそういう関係で召喚されるのだから、忠誠を持ってランサーは仕える。
それ以上を、ランサーは何も望まない。
例えば、マスターからの裏切りを受けたとして、ランサーは何の感慨もなく受け入れる。
だが、義理は果たしてもらう。
ランサーは高い対魔力と精神性を有する、そのランサーを自害させるには、二画の令呪が必要だ。
故に、必要となる令呪二画を支払えば、ランサーは自刃を容易に迎合する。
だから、ランサーはサーヴァントとしては優秀。
手足として、これほど無く、最善な手合いだったのだ。
――とまれ、そのランサーの気概が、そこで崩れた。
弓弦の本性が、それをさせなかったのだ。
「――面白い。あまりに面白いこという、――マスターよ、答えよ。なぜ俺を自害させようとした?」
「裏切ったところで、そこにアーチャーがいる限りお前は間違いなく負ける。その際にアーチャーを消耗できないのなら、自害させたほうが俺の魔力を温存できる」
憮然とした態度で弓弦は答えた。
一字一句よどみなく、そこに何ら嘘はない。
――が、
「……実に結構。だが、お前らしくもない言葉選びだ。いつもの飄々とした風はどうした?」
「――お前を裏切ったお前の敵に、今更そんな“態度”は必要か? まぁ、アレが俺の素ではあるんだが、油断ならない敵に向けていい態度ではないだろう」
――油断ならない敵。
ランサーを弓弦はそう評した。
それは、彼の態度からして、これまで戦闘してきた人間には、向けない態度だろう。
訳は単純、対等ではないからだ。
辰向との戦闘時も、朝海との戦闘時も、隣にはランサーがいた。
それ故に、戦力差はさほど開いてはいない。
けれどもランサーと弓弦の間には、明白すぎる格差があるのだ。
「――そうか、ならばいい」
どこか穏やかな声音で、ランサーは答えた。
同時、彼は自身の奥底から沸き上がってくる、情動に少し、身を委ねた。
彼の懐から、一本の薪が取り出される。
それは彼の服に紐で括りつけられており、その紐は礼装だ。
生半では、切り取れないだろう。
――その紐を、一息で真っ二つにする。
後は、単なる薪が、そこにあるだけ。
「月並みな言葉だが、――見直したぞ、小僧。お前は俺にとって、単なるマスターであった。それは、今の今まで、変化することはなかったのだ」
ランサーは、召喚された時言った。
弓弦がランサーをサーヴァントと認める限り、自身はそれに従い戦う、と。
そして、弓弦が自身の過去を語った――ここに来る直前でも同じことを語った。
つまり、ここまでの間に、彼の心境の変化は、何一つ無かったのだ。
だが、今は違う。
ランサーは弓弦の生き様を理解した。
その生き様は、中々ランサーの好みに沿うものだった。
「お前のして来たこと、お前がこれから成さねばならないこと。どれもが困難な道のりだ。俺の人生とくらべても、遜色がない程度には」
手にした薪に、力を込める。
魔術は彼の本分ではない、だが、彼は神の血を引く者。
少なくとも、その魔力を使用すれば、火を起こす程度ならば可能だ。
それを、
――真正面から、弓弦は見上げた。
二メートル近い身長のランサーと、平均程度の弓弦は、間近であれば見上げなければならない。
向かい合い、直接視線を合わせたのだ。
瞳は、決して揺れることはない。
――そこでようやく、弓弦はいつものような胡散臭い笑みを浮かべる。
口を開いて、
「――――重ねて命ずる。その薪を燃やし、自害せよ、ランサー」
そう、一言ランサーに告げた。
「…………」
どこか、意外そうな顔で、ランサーはそれを見る。
まさか――自分のプライドを、弓弦が慮ってくれるとは思わなかったのだ。
「……ふ、単なる若造だと思っていたのだが、なるほど、馬鹿な小僧だったか、納得だ」
「――言ってなよ。俺ァ馬鹿でも、前を見る馬鹿だ。あいにくとそれしか生き方を知らないもんでねぇ」
「知っているさ。解ってしまったからな。――まぁ、なんだ」
ランサーは、自身の魔力を燃やし、拙いながらも魔術を行使する。
薪はすぐに燃え上がった。
もとよりそれは火にくべるためのもの。
――“燃えやすい”礼装であったことは確かだろう。
伝承の中で、ランサーは薪を燃やされた時、苦しみ、悶えながら死んだという。
だが、どうだろう。
今、ランサー――メレアグロスは笑っている。
覇者独特の、牙を光らせる獰猛な笑みで。
光に包まれながら、消え去ろうとしている。
そこに、一切の苦痛は見られない。
彼はただ、二十を過ぎたばかりの青年に、一つ、言葉を残すだけ。
「――――がんばれよ、弓弦」
これまで、一度として呼ぶことのなかった名前を口にして。
ランサー――メレアグロスは消滅した。
♪
夜道を一人、セイバーは歩く。
既に人払いの結界からは出ているのだが、周囲に人影はない。
気配が無い道を選び、思索にふけりながら帰路に付いているのだ。
それ自体は単なる気まぐれ。
だが、その気まぐれの最中に、ふとセイバーは気がついた。
――ランサーの気配が消えた。
あの戦略は、単純ながら有効だ。
ライダーという不安要素はあったが、それも辰向の救援に駆けつけたことで、不安ではなくなった。
ほぼ確実に二対一になるであろうキャスター。
当然、その状態で勝てる相手はそうそういない。
たとえキャスターでなくとも、英霊二名を相手に、勝利するのは難しい。
セイバーであれば、話は別だが。
「……ふぅん。ついに始めた訳か。――楽しく見定めさせてもらったけれど、これで彼もつまらなくなるなぁ」
友ならば、どう思うだろう。
これほど痛快な演劇もそうあるまい。
なんとなく、好きそうだな、とは個人的な感想。
「とはいえ、僕はまだ役目を終えたわけじゃない。幸い、僕の敵は“彼”に決まった。せいぜい、狂言回しとしての役割を果たそうじゃないか」
それに、アサシンのマスターの方も楽しそうではある。
セイバーはそう思考しながら、夜の闇に還っていく。
ここに、聖杯戦争開始当時から、弓弦の真意に気がついていたサーヴァントがいる。
彼の真意に気がつけたのは、この戦争の中において二人だけ。
もう一人?
そんなもの、語るまでもない――――
♪
「――ちょ、ちょ、ちょ」
今まで、誰もその空間に割って入れそうにはなかった。
時間がなかったというのも在る。
だが、メレアグロスが理解するよりも、他の者達は現状の認識に時間がかかったのが実際の所。
そこから再起動した朝海が、弓弦へ向けて何か言葉を発しかける。
「……どういう、ことだ?」
だが、それを遮るようにアーチャーが問いかけた。
既にランサーの姿はない。
呆然としている間に、彼は弓弦の命令で聖杯戦争から退場してしまった。
「うぅん? どういうことも何も」
弓弦はそれによどみなく答える。
敢えてトボけた風にして、しかし実際は、なぜ誰もが困惑するか、彼は最初から熟知しているのだ。
だからこそ、
「俺は最初から、赤紫羅を裏切るつもりだったんだぜぇ?」
そうやって、おどけた様子で答えるのだ。
「なっ――」
絶句する。
無理もない、アーチャーからしてみれば、弓弦は悪逆の輩。
そんな行動弓弦が起こすはずもない。
そう考えているのだ。
同時、最初に声をかけようとしていた朝海は、アーチャーの声によって冷静に立ち返る。
そうして、
「……そっか、そういうことか」
彼女もまた、そこで合点が行った。
“なぜ”弓弦が裏切るか。
その「なぜ」の部分を意識してみれば、すんなりと仮説は立った。
そして実際に弓弦が裏切ったという事実を鑑みれば、それは低くない可能性と言える。
「つまり、あなたには“したいこと”があった、というわけですね」
――赤紫羅を裏切ってまで、したいこと。
否、赤紫羅を奪わなければできないこと。
一つだけ、可能性が浮かぶ。
「――“まさか”」
アーチャーも、そして無言ながらキャスターも、その可能性にたどりついたようだった。
「“あの時”の言動は、私のマスターを慮っていたのか?」
彼が赤紫羅を裏切るつもりなのだとしたら、いくつかの言動に、もう一つの意味が生まれてくる。
それは、彼の言葉が“上辺の通りの意味”であった場合。
「おう、そうだぜ? 因みに、あいつを“俺のもの”にしたのは、親父から遠ざけるためだ。何せ親父は生粋の変態だからな、母親の娘であるあいつを、そうそう放っておくことはしないだろうさ」
何せ、一人の人間を“手に入れる”ために、あの戦争を起こしたのだから。
そうなんでもないふうに言う。
一人の人間、言うまでもなく――雪白姫香。
彼女の存在そのものが、赤紫羅仁にとっての全てであり、そして彼女への歪んだ愛情こそが、彼の原動力となったのだ。
とすれば、その娘すらも自分のモノにしようとすることは、さしておかしな思考ではないだろう。
正確には、“狂人として”さしておかしい思考ではない。
「――辰向は、そのことを知っていますか?」
今度は朝海が問いかけた。
――幾つか、辰向の方におかしな点があったのだ。
正直、この戦闘は最初から勝ち目の薄いものだった。
それをなぜ、辰向とアサシンが強行したのか。
――弓弦の裏切りを、辰向が確信していなければ、説明がつかない。
「おう、知ってるぜ。あいつは傷をわざと残す質じゃない。だのに、顔の傷だけは未だに残してるんだぜ? それは“俺への合図”としてだ。あいつを一度殺した時、俺はこういった」
答えは、是。
――どこか、朝海はそれに安堵しているようだった。
ためて、弓弦はわざわざ演技がかった口調に変える。
「――“その傷がお前の顔にある限り、お前は俺を信じたものとする。一度外の世界にでて、あいつを救うための力を蓄えてくれ”ってな」
これは朝海達が知れないことではあるが、弓弦は辰向の顔の怪我を気にしていた。
それは、彼が辰向につけたプライドへの傷、だったからではなく、合図が生きていることを確かめるためだ。
加えて、
「実はよ、この街は親父の監視下にあるんだ。かなり便利なもんでな、音と映像を、市街であればどこでも自由に確かめられる。」
それを聞いて、はっとしたように朝海は周囲を見渡す。
無論、それで何かが見つかるわけでもないのだが。
「でもそれは地面に張り巡らされたってぶつだからよ、霊脈とか、水道管とか、そういう。つまり、死角はどうしたって生まれる上、集音も、通常の会話ならともかく、小声じゃあ聞こえねぇ」
本来の用途であれば、それで十分だったのだ。
コレばかりは、仁がどうこういう以前の問題だろう。
こういったことに関して専門外であった赤紫羅仁に、それを拡張することはできても改良することはできまい。
「本当に少しの会話だもんで、向こうがそれを信じてくれるかは未知数だったが、――全部、上手く言った」
全部、どこか感慨を持って弓弦は言った。
天を仰ぎ、心底に詰め込まれた、何もかもを吐き出すように、続けた。
「そう、全部、上手く、いったんだ」
か細い声ではあったけれども。
それは、今までの彼からは信じられないほど――希望に満ちているものだった。
「親父は根本的な所を間違えてたんだ。確かに俺は辰向に嫉妬したし、憎んだことも在る。けど、それだけだ。俺にはもっと大きな思いがあった。親父に言われる前から、ずっと――心に秘めていた事がある」
――結局のところ、行き着く所はそれだ。
赤紫羅弓弦の根源にして、赤紫羅仁が絶対に覗き込めなかった彼の起点。
深く考えずともその理由には合点が行く。
そして、だからこそそれは、あまりに強烈な説得力を持って証明される。
彼の生い立ちに、それを望む理由はない。
彼の性格に、それを思う理由がない。
だが、だからこそ、その一点が事実だからこそ。
それは究極的に、納得せざるを得ない事実と成る――
――そう。
赤紫羅弓弦はただ、
「――俺はただ、雪白真華を、俺の妹を守りたかっただけ、それだけだ」
それが弓弦が持つ原初の希み。
ただ、雪白真華の肉親だけが許された――資格。
伏線の数で言えば、恐らく本作で最も数が多い伏線。それがようやく回収されました。
まぁ、赤紫羅と雪白は本作の肝ですからね、当然といえば当然です。
※あとがき登場人物解説※
・ランサー(メレアグロス)
神代の大英霊、投槍使いメレアグロス。
原作に登場したアタランテの関係者である、メレアグロスからしてみればアタランテは重要人物であるが、アタランテからすれば、割りと縁の薄い相手であったかもしれない。
彼の中でのサーヴァントとマスターの在り方は非常に特殊だ。
通常、マスターはサーヴァントを使い魔と見る。
しかしサーヴァントは英雄、我の強い人間であり、マスターのそういった振る舞いは、サーヴァントのプライドを傷つける可能性がある。
だが、彼の場合は違う、彼は“彼自身が”自分を使い魔と見ているのだ。
故に彼はマスターとの関係を踏み込もうとはしないし、マスターが望めば、大凡それに従う。
ただし、例外は“サーヴァントのプライドを著しく害すると客観的に見ることのできる行為”である。
要するに令呪による自害であり、この場合はランサーはマスターに悪感情は抱かないが、自身のスペック上、二画の令呪をランサーはマスターに求める事ができるため、それを求める。
つまり、単なる契約相手として、ランサーはマスターに付き従うのだ。
そんな彼の思考の根源にあるのは、満足だ。
言ってしまえば、彼はサーヴァントとして喚ばれる理由は薄い。
不死の呪い故に命を落とし、けれどもランサーはそれを呪わない。
不死の薪を処分するという願いも、言ってしまえば“願いが叶うならせっかくならば”という程度のもの。
彼は豪放磊落、自由気ままな性格だ。
故に何に対してもこう思う、自分の死に対してすらも――
“それもまたよし”、と。
赤紫羅弓弦は、ランサーにとってつまらないマスターだった。
故に、ただ契約相手として従い、駒として動いた。
弓弦の過去を知る機会もあったが、それもランサーの興味は惹かない。
ただつまらない相手、それが一変したのは、自分に向けられた自害の命令だった。
それにより、“ある事実”に気がついたランサーは、弓弦への見解を改める。
そうして自身の自害を納得し、消滅しようとしたランサーに、弓弦は付け加えた。
令呪を持って、重ねて命ず、と。
――かくしてランサーは、最後の最後に意表を突かれた弓弦というマスターとの出会いを感謝して、消えていった。
名前を呼ぶに値するマスターの名を、嬉しそうに、最後に呼んで。