雪白真華はそこにいる。
アーチャーが現れた時から共にあり、しかし彼女は言葉を発することはない。
誰にも求められていないからだ。
彼女は道具。
ただ求められたことのみを遂行する機能を有した、人ではない、何か。
本来であれば、彼女は人としての思考も、感情も所有していた。
それが失われたのは、赤紫羅仁による“洗脳”とも言うべき調整のためだ。
まず、彼女には二つの事を求められた。
一つは赤紫羅仁を絶対に裏切らないこと。
赤紫羅仁は絶対に人を信用しない。
常に疑心暗鬼に囚われた男が、唯一信頼を置くのが自分自身の手で自我を歪めた人間だ。
例えば、弓弦。
彼の場合は、その在り方が、あまりに仁の鏡写しであった。
故に、彼はあまりに御しやすいと言えた。
そしてわざわざ、魔術を用いることなく、言葉でその自我を狂わせた。
――はずだった。
とはいえ、彼は仁すらも詐称するほどに思考を読ませなかった。
仁に読心の力が無かったことが、最大の不幸といえるだろう。
そして、雪白真華。
――彼女に施されたそれは、やもすれば雪白辰向にも同じように施されていたかも知れない代物。
仁は自身の魔術に絶対の自負がある。
故に、その魔術によって施された洗脳が、解除されることはない。
そしてもう一つ――
「――本当であれば、俺は真華が洗脳されるのを、防がなくちゃあならんかッた」
弓弦は言う。
だが、それはあまりに無茶というものだ。
――それは、アーチャーにすら解る。
普段であれば弓弦の言動に突っかかるはずの彼/彼女が、無言で弓弦に声をかけずにいる。
「けれども、親父に逆らうことは俺にはできない。あの場所で、親父の寝首を掻こうとしても、親父は俺よりも強いからな。だから――俺は真華を守れなかった」
――それは、恐らく辰向にも言えることかもしれない。
ただ、辰向の場合、有無をいわさず弓弦に追い出されたのだ。
弓弦の場合とは、また別の話か。
「一応、俺はあいつから、責任をもって妹を預かる立場なんだけどな――まったくこれじゃあ、お前をすくいきれねぇな。――真華」
――真華に求められた、もう一つの役割。
それは単純だ。
この聖杯戦争を“聖杯”戦争たらしめているもの。
――弓弦の問いかけに真華は答えない。
彼女には、その義務がない。
――その、機能がない。
彼女は道具。
そう、ただの道具でしか無い。
つまり――
「……こいつはな、――聖杯なんだよ」
ポツリと、弓弦は漏らした。
「聖杯……?」
「そう、正確には小聖杯。簡単言えば、こいつが、俺達が求め争う願望機そのものなんだよ」
朝海の問いに簡潔に答える。
簡単にいえば、サーヴァントを魔力として溜めておくためのもの。
そして溜められた魔力を開放することで願いを叶える、願望機としての機能そのもの。
コレとは別に、聖杯戦争の舞台を作るための大聖杯というものが存在する。
こちらは語るまでもなく想像がつくであろうが――あの神木が大聖杯そのものだ。
「それ――あぁいえ、その娘の聖杯としての機能を利用すれば、願いを叶えることが可能なわけですね?」
キャスターだ。
――あえてわざわざ、それ、という物言いから“その娘”という物言いへ彼女は切り替えた。
気を使った、というよりも、彼女自身が、少女を道具扱いすることが許せないのだろう。
別に、弓弦は“それ”扱いを気にかける性格ではない。
だがキャスターのように“それ”扱いを気にかけることを、気に留めることはする。
簡単な話だ、それによりキャスターの人柄が見えてくる。
権謀術数を得意とする弓弦の、一種の性分と言えた。
「……あぁ、万全を期すなら六騎、俺の予想が正しけりゃ五騎のサーヴァントが脱落すりゃあ、願望を叶えることくらいは可能だろうよ」
「――なるほどな」
それに相槌をうったのは、キャスターではない。
アーチャー、真華を守護するように立つアーチャーが、そこで得心がいったように声を割りこませたのだ。
「つまり、最初に脱落したバーサーカー、そして先ほど脱落したランサー。そして、そこに三騎か。ならば――内二騎は私とセイバーだろうな」
状況がアーチャーの言葉を肯定している。
何せ、ランサーの敗退により、状況は一気に瀬場邸同盟優位に動くためだ。
「だが、セイバーも私も、生半で倒れるつもりもない。恐らくは一騎が落ちる。これで、五騎。全ての準備が整うことになる」
「――おいおい、アーチャー。お前、“真華を守りたい”んだろう? だったらなぜ裏切らない。今、ここに真華はいる。最大のチャンスだぞ」
弓弦は、アーチャーのどこかおかしな言動を指摘する。
――これまで、アーチャーは真華を守るべく行動していたのではないのか?
少なくとも、赤紫羅陣営にアーチャーが従っていたのは、実質、真華が陣営に人質にされていたからだ
しかし、今は違う。
真華が瀬場邸という、敵の本拠地にいる。
保護を求めればそれは叶うだろう。
だのに、アーチャーはまるで自分を敵だという。
――とはいえ、それを問いかける弓弦の声音も、どこか“状況を説明する”風ではあったが。
とまれ、アーチャーが端的に答えた。
「おや、おかしなことをいう。貴様のような狐が、この先を理解できないはずもなかろう」
「……」
「いやいや、貴様の思いには心を打たれたよ。だから、貴様への認識も――まぁ、五割くらいなら取り替えよう――だが、それでも」
少しだけ、アーチャーは自嘲的に言う。
騙されていた。
――それは、事実だ。
だが、彼は誰かを救う嘘を、その人生のすべてを賭けて吐き続けてきたのだ。
それは、アーチャーが知る誰にも劣らず、尊いことだ。
そう考えれば、弓弦に敵意を抱いていたことも、弓弦に騙されていたことも、半分ではあるが許せる気がする。
それでも、
そこまで至ってもなお――決定的に、
「――どうやら、私と貴様は、相容れることはないようだ」
直後、
「――令呪を、――持って、――命ずる、――この場の敵を、――排除して、――――アーチャー」
真華の無慈悲な、宣告が響く。
♪
舞台の中心は、再び瀬場朝海へと巻き戻る。
混乱していた戦場は、令呪による、アーチャーの戦闘再開の合図によって、再び殺意に満ちた喧騒へと戻った。
朝海は既にキャスターと合流している。
互いに、サーヴァントがマスターを守る形で、真正面から向かい合っている。
アーチャーの手には剣。
キャスターの手にはクナイ。
それぞれの得物が握られている。
弓弦は、朝海の更に後方にいた。
既に彼は役目を終えている。
――まだ彼から聞かなくてはならないことが多く在るのだ。
若干不本意ではあるが、キャスター陣営は彼を保護することとした。
「――やはり、こうなるか」
アーチャーは剣を構えながらそうぼやく。
彼/彼女にはランサーほどの精神性は存在せず、令呪に逆らうことはできない。
精々、戦闘開始前に、それなりの会話を行う程度。
「……読めてたのですか? ここまでの展開が」
「いや、まさか。ただ“俺”が裏切ろうとすれば、マスターがそれを許さないだろうな、というだけの話だ」
――おかしなことだな、と再びアーチャーは投げやり気味に言う。
無理もない。
アーチャーは真華を救いたい。
しかし、その真華が、自分自身を救うための裏切りをゆるさないのだ。
おかしな話、としか言いようが無い。
「俺はそれなりに兵法には詳しいつもりでな、幾ら私が騙されやすいタイプでも、その程度なら解るぞ。俺は阿呆であっても馬鹿ではない」
――つまり、軍略というわけだ。
なるほど、アーチャーがキャスター対ランサーに割って入る際のタイミングが絶妙だったのは、ただキャスター達の虚を突いた、というだけではなかったようだ。
最適なタイミングを、アーチャーがキャスター以上に理解していた、ということである。
「……戦う前に、少しいいでしょうか?」
「なんだ?」
「――推理の理由付けとか、そういう細かいことは全て省略して、聞いておきたいことがあります」
――でなければ、また真華の令呪が飛ぶ可能性がある。
手短に、真華が割って入る前に、問うべき真相がひとつある。
アーチャーの真名だ。
それを、既にある程度絞り込めていたその名前を、朝海はふと、問いかける。
「――貴方は、北欧神話の神、“ヘズ”の一側面――英霊ホテルスですね?」
「そうだ」
――即答であった。
真華が否定するよりも早く、肯定してしまえばこっちのもの。
「ただし、アーチャーとして召喚されているために、それなりに“ヘズ”としての側面もある。恐らく姿形などは、ヘズとしての姿だろう」
そして宝具も――あの“一本の木から作られたような矢”。
その正体は、真名が割れれば考えるまでもない。
――不死の神バルドルを死に至らしめる唯一の存在。
宿り木――ミストルティンである。
――だが、ヘズは神霊だ。
端的に言って、神霊の召喚は不可能。
何せ、それができるのならば、聖杯戦争など端から必要がない、というレベルの魔力が必要だからだ。
だが、ヘズの場合は例外が存在する。
それが英雄ホテルス。
ホテルス、とは『デンマーク人の事蹟』と呼ばれる、北欧神話を原点とした物語。
その中でヘズは、善の王ホテルスとして登場する。
つまり、ヘズはヘズとして、ではなく“ホテルス”として呼ぶことで、その一端を使用することができる。
恐らく神霊としては、ヘズは見るも無残なステータスとなっているだろう。
だが、英霊としてみれば、かなり破格なステータスである。
何せ“彼”は、自身の宝具である魔剣を手にすることで、ランサーを上回る身体能力を手に入れるのだから。
(――勝てる? キャスター)
(残念ながら、いいえ、としか。ですが、時間を稼ぐだけであれば、それなりに)
両者は念話で確かめる。
ここまで、それ相応の時間が過ぎている。
その間に雪白辰向が帰還すればキャスター陣営の勝利だ。
だが、問題があるとすれば、アーチャーは、ランサー以上に相性が悪い、ということだ。
何せ彼女は不死殺し、既に死んだ、霊魂を殺すことも、容易だろう。
つまり鬼道は使えない。
霊達が依頼に答えてくれないというのもあるし、霊を死なせたくないという思いもある。
何にせよ、やるしかない。
決してそれは、時間稼ぎですら容易ではないだろう。
辰向がやってくるのを待つまでに、稼ぐ必要がある時間。
それを稼げる保証はどこにもない。
ただあるのは、ここで負けたくないという意思だけだ。
「――アーチャー!」
キャスターが、堂々たる様子で声をあげる。
そうすることが、彼女にできる精一杯だったからだ。
「貴方は、貴方のマスターを救いたかったのですね?」
「……そうだが?」
「――救われぬ魂を救うのが私の役目。救われぬ少女に救いの手を差し伸べるのが私の仕事。――至らぬものと存じますが、どうか私に、その娘を救わせてくださいな」
「…………そうか」
互いに、恐らくそれ以上は必要ないだろう。
アーチャーはキャスターの真名を、その出自を知っているだろうか。
キャスターは、彼/彼女の在り方を朧げではあるが理解している。
――底抜けの善人。
人を疑うことも知らない、一人の少女。
彼か、もしくは彼女か、それは誰にもわからない。
――だから、
キャスターは、そんなアーチャーすらも、救いたい。
無論、余計なお世話ではあるのだが。
「――ならば、私の相手を務めてもらおう。すまないが、加減はできない。どうか、死なないでくれよ!」
「荒い救いとなるかもしれません。ですがどうか、ご容赦を」
キャスターは、アーチャーとの圧倒的な身体能力の差を歯牙にもかけない。
同じサーヴァントとして、自分と相手を同列に見ている。
だからこそ、それは朝海達を守る力となる。
だからこそ、それがキャスターの心となる。
既に舞台は整っている。
キャスターと、そしてアーチャーが駆けた。
瀬場邸をめぐる攻防、二つ目の死闘が始まった。
瀬場邸で起きていないので、セイバー戦はカウントしません。
本来であればすぐにでも辰向が帰ってくる感じでしたが、キャスターの令呪がまだ残っていたりするので、こんな形に。