気がつけば、アーチャーは瀬場邸から消え失せていた。
宝具が発動したのだ。
――その方式は、伝説を再現するタイプの固有結界。
アサシンと、その敵。
もしくは、彼が認めたもの以外は、その場に踏み入ることは許されない。
ディエン・ビエン・フー、とアサシンは言った。
その答えに、最初に辿り着いたのは当然と言うべきか、弓弦だ。
「ディエン・ビエン・フー……ということは、彼は赤いナポレオンか!」
この場において、そういった知識に最も聡いのは辰向と弓弦だ。
とはいえ、さすがに朝海も、その宝具の名を聞いて、思い至らないはずがない。
すぐにふむ、と頷き考え込み始めた。
もう、朝海とキャスターは大丈夫だと判断したか、その横を通り過ぎ、辰向は歩を進める。
――弓弦の元へ、向かうのだ。
弓弦は、どこか緊張しているようだった。
無理もない、彼と辰向の目的は同一であった――が、そのやり方を、辰向が認めるかどうかは、未知数だ。
こと、この場に至っても、辰向から弓弦に対する“何か”が思いの中にあったとしても、それは何ら不思議なことではない。
それを、彼は怖がっているのだろう。
――きっとそれは、彼の中にある唯一の本音。
ようやく開放された一人の男の、偽らざる本心なのだ。
それに対し辰向は、
拳を振り上げ――
――そのまま、停止した、何かを求めるかのように。
一瞬の空白。
理解までに、少しを要した。
それから弓弦は察したように自身も拳を上げると――
「――――久しぶりだな、弓弦」
「おう、元気にしてたか、――――辰向」
互いに、軽くこん、とぶつけあった。
それを、遠巻きに眺めていた朝海が、ふと思い至ったように声をかける。
「あの、……真華、ちゃん? 彼女のことは、いいの?」
なんと呼べばいいか、少し迷いながら、朝海は問う。
弓弦は憮然とした態度で、それに対する。
「……まだだよ、まだ戦闘は終わってねェ。あいつは敵だ。俺が裏切った以上、俺にとっては。んで、もとよりお前らにとっても」
だが、近づけない。
――その奥にあるものを、朝海は感じ取ることができなかった。
なるほど、舌を巻く。
彼の技術は天才的だ。
それこそ、人をだますという分野に関しては、世紀の大天才に違いない。
多くの葛藤があっただろう。
弓弦は、真華が“ああ”なるのを、分かっていながら見過ごすしかなかった。
そこに、どれだけの後悔があるというか。
「…………」
ただ、彼はまっすぐ真華を見ている。
目をそらすこと無く、自身のしてきたこと、真華の現状、その全てを受け止めている。
――その隣には、辰向がいた。
少しの時間ではあったが、あまりに濃密に、辰向と関わってきた朝海なら解る。
隣に辰向がいるということの安心感が。
(――あぁ、なるほど。だからあの男、あんな表情ができるわけだ)
理解する。
辰向と弓弦の間にある、言葉にせずともある関係。
――それが、どれだけ弓弦の救いとなっているかを。
辰向とはそういう人間なのだ。
彼はあらゆる人間に無力な自身の救いを求める。
だが何よりも、彼もまた、微力ながらも誰かを支える。
誰かのかわりになるのではなく、誰かの手足と成ることで、その誰かを救うのだ。
だから、彼と共にいる者は、強く在れる。
――それが、解る。
(今の私の、この感情も、――言葉に出来ないもどかしいそれも、きっとそういうことだ。彼の隣にいれる安心。それをきっと、彼が私にくれたのだ)
だから、決してこれはキャスターの大好きなあれではない。
窮地に陥ったのは、辰向のせいであるはずなのに、
それなのに、あそこで助けてくれた際に感じた、あの感情は、
――なんとも、げんきんで“ちょろい”な、と感じる心を隅においやり、朝海は断言する。
――あれは決して、ときめいてなどいないのだと、自分の心に言い聞かせるのだ。
♪
さて、話を
この宝具は、中々どうして強烈な宝具だ。
だがその代わり、かなり大変な発動条件を課せられている。
まず、発動場所。
――そこが小高い山のような、それなりの高地でなければならない。
そして、発動予約。
――そのうえで、その小高い高地を、予め指定して置かなければ、この宝具は発動できない。
通常であれば、発動はそうそう不可能な宝具。
しかし、それを可能にするためのアサシンの頭脳であり――アサシンというクラスだ。
今回、この宝具が発動できたのは、この条件を満たしていたから。
瀬場邸は周囲を森に囲まれた小高い丘の上にあり、場所としての条件を満たす。
そしてここは同盟相手の本拠地。
了解を得た上で、宝具を仕込む時間はいくらでもあった。
結果案の定、宝具の発動は成った。
――ここに、アサシン達の勝利が確定したのである。
少なくともアサシン陣営はそう見ていた。
そしてアーチャーは、不穏な周囲の気配に顔をしかめながら、小高い山の上にいた。
――ディエン・ビエン・フーは小高い山の上に陣取った大国を、小国が打ち破る宝具。
その再現であるこの宝具は、アーチャーが大国の位置に配置されるのだ。
視界が取れないながらも、アーチャーは周囲が異様であることを把握した。
そこは“あまりに防御に向いていない”のだ。
一見、山の上を陣取り、防衛戦をするのは理にかなっているように思える。
しかし実際は、“山の上に一個の大隊が置き去りにされている”のだ。
これでは補給は不可能、こんな作戦、取っていいのは追い詰められた賊軍だけだ。
(まずいな、必要もないのに追い詰められている。序盤は優位に籠城が可能だろうが……)
空は――?
無理だ、相手は現代、もしくは近代兵器――空を討つことの手軽さは、間違いなく神代以上。
空が手に余るほどの時代と、空を我がものとする時代。
――ヘズは、前者の人間だ。
(……ともかく、やるべきことは単純だ。宝具の連発で可能な限り敵を“間引く”、それに加え、周囲の森を吹き飛ばすことで、視界を確保する必要がある)
放つことのできる宝具には、魔力という限りがある。
それでも、周囲の森を焼き払うことは可能だ。
(たとえそれが一万だとて、二万だとて――負ける道理は私にはない)
――宝具により出現した要塞は、コンクリートと思われる灰色の壁に覆われた基地であった。
人を排するには絶好に思える。
故に、不利な籠城戦とはいえ、耐えることは可能に思えた。
――――相手の兵数が、
――一万や、二万、多くて四万程度で済むのなら。
(……来たか)
気配を感じた。
人の影、――おそらくは、この要塞に攻め入る名も無き兵士だ。
でなければ、数が複数も現れるはずはない。
宝具であれば、一度に百、多ければ千は屠れようかという相手。
それが、
一つ、
――二つ、
三つ、四つ――――――――ふと、気配の数が増え始めた。
百――二百。
遠く――アーチャーの剣の射程外にあるものを含めて、それらは出現し始める。
だが、
(――なんだ?)
これは、どういうことだ?
(何かが、おかしい。……なんだ? 一体何だと言うんだ?)
それは、やがて得心がいった。
――数だ。
気配の数が、あまりに膨大。
無論、一万や二万は当然のこと。
だが――アーチャーのレーダーのような感覚にうめつくされた気配の数は、これは――
三万、四万――否。
それ以上。
まだ、
――――まだ、増えている。
ディエン・ビエン・フーにて、大国に対して戦いを挑んだ小国の兵。
その数、実に“十万”。
そしてこの宝具は、
――それをそっくりそのまま、呼び出すことができるのだ。
大凡、アーチャーはそれを把握した。
五桁を超える究極の物量。
――あの時、アサシンのマスターは言っていた。
“俺達の勝ちだ”、と。
それをアーチャーは、
(まさしく、そのとおりだ)
そう、考えてしまった。
たとえそれが、どれだけ事実であろうとも。
決して考えてはならないことを、アーチャーの冷静な部分と、軍略のスキルは、考えてしまった。
ダメだ。
そう、振り払う。
ここで弱気に成ることは許されない。
何よりも、彼/彼女自身のプライドが、許さないのだ。
――故に、アーチャーは弓を手にする。
同時、彼女は地を蹴り大空へと跳ね上がる。
とはいえ数メートル程度。
到着地点は、城塞内部の最も高い場所。
そこから、周囲の森全てを見渡すのだ。
――彼女の、心眼が。
ゆっくりと弓を構える。
気配が最も密集している地点、そこに放つ以外の選択肢はない。
他の場所に散れば、更にそこへ宝具を放つ。
――森の一部を、吹き飛ばすのだ。
そして、それを――口にする。
「
一発。
それは、全てを狂わす破壊と成った。
突き抜けた一角、――一撃は、大凡数百を一息で屠った。
これほどの砲撃、現代ですら難しいと言える。
――神代、少なくとも、人一人が持つ火力が最も高かった時代。
それが、人をまさしく塵に返した。
――だが、それでも数百。
十万という数の、一パーセントにすら及ばない。
思わず何かを零しそうになる声音を抑えながら、改めて、彼女はそれを口にする。
「――
二発。
「
三発。
全て、宝具としての銘を明かしての一撃。
つまりこれが、アーチャーの全身全霊。
攻撃の全て。
――それが、しかしアサシンの宝具を屠れない。
否、互いにそれは宝具である。
たとえ一撃で屠れなかったとして、どこに宝具の咎があろう。
だが、アサシンの宝具は違う。
――圧倒的。
一度数百を消し飛ばした所でどうだ、それは、未だに数万の兵力を残しているのだ。
数。
戦争における、もっとも両者の優劣を示す値。
これが、十万対数万ならばどうだろう。
やりようによって、どちらに傾くかは未知数だ。
しかし、十万対一ならば? 論外だ、勝てるはずもない。
たとえそれが一騎当千の英霊であったとして、
一騎で屠れるのは千なのだ。
――十万など、どうにか出来るはずもない。
――――ふと、気配があった。
アーチャーが押し込められた頂上の要塞。
そこに足を踏み入れようとする、何者か。
――敵だ。
アーチャーは、今からでは射撃は間に合わないと判断する。
迫る数は数千――今から構えては、それはどうやったって間に合わない。
故に、別の方法を取る。
弓矢は消え去り、代わりに現れるのは、勝利の帯を纏った剣。
この一撃は、英霊すらも屠る一撃。
ならばそれが雑多な兵に向けられれば、一体どれほどが沈むだろう。
答えは、語るまでもない。
――神殺しの矢と、同等とは行かずとも、同列。
それをアーチャーは、城塞の壁を背に森へ降り立つと、構える。
己が手にする剣の名を、高らかに宣言するのだ。
「――――
光は、アーチャーすらも呑み込んだ。
――痕に残るものは、何もない。
それはランサーの投槍と同様だ。
必殺の一撃、地をえぐり荒野へと変え、更には周囲の森すらも灰とする。
そこに、立つことが許されるのは英霊だけ。
――アーチャーだけだ。
だのに、
気配。
――気配、気配、気配、気配。
一つ? いいや、数千だ。
その場にあるだけのものでも、全てに押しつぶされれば、アーチャーは敗北する。
だが、
――それを薙ぎ払ったところで、どうだ?
――そこには、まだ万の兵がいた。
どうする。
――どうすればいい。
一体どうすれば、これほどの敵を一度に切り捨てられるというのだ――?