第十章『空翔ける者の哀歌』
時刻は昼と夜の間の暮れ。
夕の刻の、しかし日がまだ地に落ちぬ頃。
空は大いに晴れていた。
心は大いに渦巻いていた。
曇り後晴れ。
否、曇り混じり晴れ。
心の中にひっかかったしこりは、きっとそういう風に表現できた。
ノエミは空を見上げながら考える。
“どうすればいいのだろう”と。
別に、迷っているわけではない、選んでいるのだ。
戦争は既に終局が見えた。
――とすれば、ノエミが考えることは、戦争の行方ではない。
戦争の“終わり方”だ。
「昨日の戦闘が終わって、いよいよ状況に終止符が見えてきた。そこまでは、いいわよね」
ノエミとライダー。
二人は揃って草原に身体を預けていた。
日差しは強いが、それさえ遮ってしまえば、それなりに過ごしやすいのがこの辺りの気候だ。
ついでに少し風を浴びれば、今が夏であることを忘れてしまう程度には、その場は涼しい。
空に引かれた天蓋は、物理的に日光を遮断している。
黒に透けた太陽をノエミはそれでも眩しそうに見上げた。
「あたしたちが取れる行動は大きくワケて二つよ」
ライダーはノエミの語りをなんとなしに聞いている。
口を出すつもりはない、大凡ノエミの考えに同意しているからだ。
「一つ、完全に辰向達と同盟を結ぶ」
人差し指を天頂にかざし、軽く揺らす。
「二つ、辰向達を出し抜いて赤紫羅陣営に突撃、セイバーを撃破する」
もう一つ、中指を立てて数字の二を示す。
「前者は無しね。もしもそれをすれば、あたし達はほぼ同盟に隷属する形になる。今更頭を下げるんですもの、その程度の融通は必要になる。だから、無し」
もちろん、多少の報酬は得られるだろう。
だが、聖杯によって願いを叶えることもできなければ、勝利の栄誉など得られるはずもない。
ノエミの欲する勝利は、そんなチンケなものでは決して無い。
だから、二つ目。
「――後者、これは大有りね。実に奇想天外じゃない、ここでセイバーを撃破して同盟を出し抜けば、あいつらの最終決戦の相手があたしになるの。実に痛快だわ」
ライダーは、そこまで語るノエミに何も言わない。
ノエミはその行為を、“実に自分らしい”と語る。
まるで、誰かの評価を口にする用に。
――故に、ノエミは続けた。
至極アタリマエのことを、敢えて確認するように。
「だから――ありえない。あるなし以前に、そんな選択、絶対にあたしは許容できない」
――当然といえば当然だ。
ノエミは自由フリークの自由人。
そんな人間が、他人の評価など期待するものだろうか。
むしろ唾棄すべきものとして嫌悪することだろう。
今のノエミがまさにそれ。
「――とすればどうするか。あたしは考えたわ。――結局、中々発想が普通過ぎて面白く無いけど、妥当といえば妥当なのよね」
結局、ノエミは一つの形に行き着くことにした。
それは決してどちらかにぶれるということはない。
あくまで――
「――“どちらも”。それがあたしの結論よ」
ノエミは、ノエミらしくあろうとする。
「……つまり、まずセイバーと激突。その勝敗如何に関わらずセイバーの情報を入手し帰還、瀬場邸同盟に売り払う、と」
「その後寝首をかければなおよしね。まぁ、一応空気は読むつもりだけど」
ノエミの理想は、セイバーを撃破すること。
ないしはその後“聖杯の入手者”という称号をめぐり、瀬場邸同盟と真正面からやり合う権利を手に入れること。
最悪、聖杯の願いさえ放棄してしまえば、向こうもそれに乗ってくれるだろう。
――とすればここは、やはりセイバーへの襲撃以外、選択肢はないわけで。
「……ま、こんなところね」
そう思考が行き着いたところで、ノエミは結論とした。
話が途切れると、ふとライダーはあることを思い出し問いかける。
「――そういえばよ。昨日の事なんだが、何であいつらをもっと直接的に助けなかったんだ? 一応、助けてやる義理はあると思うが」
――昨日。
瀬場邸での赤紫羅と同盟の決戦。
事実上、戦争の雌雄を決することとなるそれに、ライダー陣営はほとんど関わっていない。
ほぼ最低限、辰向をセイバーから救った程度で、あとはまったく関わっていないのだ。
準備にもたついていたというのもあるが、逆に言えば。
“もたつく余裕がある程度には”ノエミ達は準備に時間をかけていたのだ。
「だって、あいつがわざわざ下策を選んだのよ? とすれば、何か策があるに決まってるじゃない」
――辰向のことをさし、ノエミは即座にそう評してみせた。
わかりきったことを、今更。
そんな態度が、言動と顔にありありと浮かぶ。
「しかも、あたしには一応連絡が来たって程度。そもそも、あたし達の出る幕なんて最初から無かったんじゃない?」
「……いやまぁ、そうかもしれんが」
ノエミは、ノエミなりに辰向を信頼している。
それは言ってしまえば、“好敵手”に対するそれそのものだ。
ライダーは嘆息気味に、まあそんなものだろう、と頷いた。
何より、ノエミというマスターはそういう人間なのであり、ノエミと辰向の間には、どこか悪友染みた友情がある。
それをライダーは、よくよく解っているのだ。
果たしてそれは幸か不幸か――
――彼女たちの会話の終わりに、それは姿を見せた。
異世界との交差線、もはや大樹としての形容すら放棄した、神樹。
気がついたのは、当然といえば当然か、ノエミである。
ふと感覚に交じる違和感を感じ取り、そしてそれが間違いでないことを悟ると、即座に立ち上がった。
何事かと、ライダーもそれで直感しただろう。
――故に両者は、すぐに気がついた。
「なんだ……ありゃあ」
理解が追いつかないという風にライダーは言う。
無理もない、彼はそも、こうして英霊として召喚されて初めて、“魔術”という存在を知ったのだ。
目の前のそれは、まさしくその極地とも呼ぶべきそれ。
突如として“街を覆うほどの”大きさを得た樹木に、戦慄を覚えざるを得ない。
そう、ノエミ達――街のハズレに陣を構えている者達――からすれば、その樹木に“街が包まれている”のだ。
当然、そこに人の存在する余地などない。
そうとしか思えないほどに、それは巨大だ。
「――へぇ。これ“私たちも飲み込まれてる”わね。でも、別に何か問題があるわけじゃない。ただ単に、“別の世界”が“この世界”と同じ場所にある、って感じかしら」
世界は基本的に一つしかない。
――が、“同時に存在する別次元”ならば存在する。
いわゆる平行世界だ。
簡単に言ってしまえば、現在“ノエミ達がいる世界”と“そうではない世界”が同じ軸の上にあるのだ。
XとYの軸上に存在するそれぞれ別の軸の世界。
そのうち、Xが空間、Yが時間だとすれば――
同一のYの上にある別々のXを、それぞれ同じXに“合わせた”のが今の状態か。
「まるで別々の地面に立っているかのような感覚だわ。どうやら“空間の規模”が大きな結界程度だから、少し外に出れば気が付かないのでしょうけど」
「そんなもんかね……いやぁ、そこまで言われりゃ、これが“そんなモン”だってのは解るけどよう」
「何にせよ、話は簡単ね――アレに突撃よ! ちょっくら様子を見てきてやるわ」
急かすようにライダーを起こし、ノエミは叫ぶ。
「そう簡単に行けばいいがねぇ」
――ライダーの言葉は最もだ。
だが、少なくとも今のノエミ達に、停止するという選択肢は存在しない。
それは――
「……ま、やってみますか」
ライダーとて、同じであった。
♪
――飛行中、何事かを喋る雪白辰向の姿が見えた。
恐らくは“待て”とそう呼びかけられていたのだろう。
だが、そう言われれば待たなくなるのがライダー陣営だ。
ためらうことは一切なく。
後ろを振り向くことなど金輪際なく。
“そこ”へ、彼女たちは突っ込んだ。
――方法は単純だ。この世界に存在しているのなら、そこへ“歩いて”向かえばイイ。
ましてやライダー達は空の足がある。
原理としては単純だ。
最低条件として、世界が同時に存在していることを理解する必要がある。
しかし、理解してしまえば簡単だ。
意識を、視点を少し切り替えるだけでいいのだから。
図面に描かれた箱を思い浮かべればイイ。
あれは“見え方”によって二つの箱の形を持つ。
それを切り替えるのが、この世界への入り口だ。
「……なんとも、感覚に違和感があるわね。まぁ、そのうち慣れるでしょう」
周囲を見渡しながら、ノエミは言った。
ライダーはなんというふうもない。
彼の鋭い感覚は、しかし鋭いがゆえ、そういった違和感への順応も速いのだ。
そして――
「――まぁ、異様よね」
周囲の雰囲気を、ノエミはそう評してみせた。
まったくもって正直なくらい。
しかしそれは、大いに正鵠を得ているのだ。
周囲はライダー達が乗る零戦ほどの太さはあろうかという蔓に覆われている。
それは一本の樹ではないのだ。
樹から付随した蔓が、その樹を覆っているのが今なのだろう。
「――遠くに大きな樹木がみえる。遠目に見ても凄い魔力。サーヴァントなんて、きっと目じゃない」
言うまでもなくコレほどの魔力がこの場に蓄積しているのは、これが“聖杯”であるからだ。
――大聖杯。
この信濃のある地に、聖杯戦争を開催するための礼装。
世界でも類を見ないほどの特上級のそれが、今、朝海達の視界には広がっているのだ。
息を呑むほどに、それは圧巻としか言いようが無い。
例えば、人の群れが小さくみえるほどの光景を前にしてみれば、それは解る。
信濃の場合は、例えば雲の上から見下ろす世界。
それは異質過ぎるほど異様で、けれどもただそこに在るモノだ。
「――ねぇライダー、ちょっと高度下げてくれる?」
敢えて、ノエミはそう言った。
ノエミの視界であれば、地面など簡単に見渡せるというのに。
「どれくらいだ?」
「限界まで――!」
あいよ、とライダーは何でもない風に答えた。
直後、機体を傾けると、即座に降下し始める。
やがてたどり着く地面すれすれに、“それ”は待ち受けていた。
そこに在るのは、街のシンボルである神樹ほどの大きさはあろうかという、天につきだした蔓であった。
それを確認するのに、夜目はいらない。
「――これ」
「……すげぇな、何だこりゃ」
ぽつりと漏らしたノエミの言葉を、補完するようにライダーは言う。
――そこには、世界とは隔絶された異界の結晶が、鎮座していた。
「――魔力が、光を持っているんだわ。それが蔓に巻き付いて、こぼれた光が、何だかホタル見たいね」
ぼんやりと浮かび上がる、白い光の群れ。
暗がりをぼんやりと照らすそれは、さながら人を幻想へと誘う。
「まるで霊脈。魔力の流れそのものよ。こんなの、直で見られる機会なんて、早々あるもんじゃないわ」
「……ま、図らずとも絶景を観光しちまってる訳だ。解るぜ、こういう場所に来ると、無性に跳びまわりたくなるんだよな」
思わず圧倒される光景に、ライダーもノエミも、感慨深げな言葉を嘆息に乗せる。
まるで、ここが自分たちのいるべき場所でないかのような――
そしてそれは、まったくもってその通りなのだ。
「――ねぇライダー」
「おう、なんだ?」
「――あの蔓の間、抜けられる?」
それは、決してこの場所を探索するのに必要のない行為だ。
それでも、なぜだかそう問わずにはいられない。
今こうして、ライダーとこの光景を見ていることが。
あまりに奇跡に感じてならないから――
ふと、そう問いかけてしまったのだ。
「――――できるぜ」
ライダーは、まるで冗談でもふかすような気軽さで、そう答える。
そして同時――零戦は更に高度を下げる。
蔓の群れが、光の粒子が目前に迫った。
だが、それがライダー達の目を覆うことはない。
すぐ間近に、それらはただあるだけだった。
「あっはは! さいっこう!」
間近にあるそれは、手を伸ばせば届く距離だ。
だが、絶対に届かない場所に、ある。
それがどうにも、堪らなくおかしく感じる。
「――もどりましょっか」
やがて、ノエミの方からそう切り出した。
ライダーは何も言わない。
ただ、
ノエミは、
「――勝つわよ」
そう、続ける。