ノエミ=ミシリエ。
自由に生きることを選び、そしてその通りに生き続けてきた少女。
少女は何よりも、自分が自由であろうとした。
何故か――そうしたかったから、結局はそこに行き着くのだが。
果たしてそれだけだろうか。
人間の思考が、そんな単純な一つの考えで決まるものだろうか。
人は幾つもの打算を帯びて生きる。
群衆の中に紛れ込むために、それにふさわしい自分をつくろうとする。
ノエミはそこから逸脱している。
結局のところ、それは普通ではない。
普通とは、単純だ。
何せ既に解答が見えている。
レールの上を歩くことが、如何に楽なことであるかは言うまでもない。
普通に生き小難しいことをいくつも考える人間。
単純に生き、細かいことを考えないようにみえる普通ではない人間。
結局のところ、よっぽど生きやすいのは、前者ではなく後者であることは、間違い用がないだろう。
自由に生きるとはつまりそういうことである。
――だが同時に、自由に生きる者達は、“普通”に考えなくてはならないことから開放される。
ノエミの場合は特にそれが顕著だ。
普通であることを拒否し、自由であることをよしとする。
それが彼女の適正だったのだ。
故に、彼女は自由に対する責任を負うことは得意でも――普通に生きるという責任を負うことは、極端に苦手だったのだ。
しかもそれが、普段の自由気ままな振る舞いがために加速した。
少なくとも、束縛によって生活を保証されていた頃は、彼女にもそれに対する耐性があった。
まだ、家族とともに暮らしていた頃の話だ。
しかし、その束縛から抜け出し、暮らすように成った彼女は、その耐性を忘れてしまった。
――だから、その一点に関してだけは。
彼女は、あまりに弱い、人間であった。
♪
「――む、むりよ。勝てるわけない」
急に、ノエミは弱音を吐き出した。
そのあまりの変わり様――あまりの“異様さ”に、ライダーは思わず直接声をかける。
「おい、どうした! 大丈夫かノエミ!」
敢えてマスターとは喚ばず、――否、それは意識してのことではないだろう。
けれども、振り返ることはもうできなかった。
直感が危機を告げる。
再びセイバーが動き出したのだ。
「ぉ、ォォ――!」
ライダーはセイバーの剣を躱すべく、機体を動かす。
意識はノエミに向けられない。
それでも、続けざまにノエミへ声をかけ続ける。
「しっかりしろ! 落ち着け! あんなもんなんとでもなる、急に弱気になるな。お前はそんな人間でもないだろう!」
何度も何度も諭すように。
そうしなければ、ライダー達はこのままジリジリとセイバーにやられてしまう。
考えをとめるべきではない。
そしてその“考え”を続けるのは、ノエミの仕事だ。
――だが、
「――ハァ!? ふざけないで、あんなのどうやったって勝てるわけない。勝てるわけ、無いのよ……」
そのノエミが、どこかヒステリックに、しかしやがて言葉尻を弱めて、また沈黙する。
――これがノエミか?
ライダーの知るノエミは、こんな人間であったか?
(どういうわけか、“何か”を恐れてやがるな。どう考えたってそれは“アレ”のせいじゃねぇ。“アレ”によって起こった何かに、こいつは打ちのめされてるんだ)
――今更、あの程度の脅威でノエミが怖気づくはずがない。
それは何の憶測でもなんでもなく、ライダーが知っている事実である。
その上でそれ以外の何か――ライダーが想像してもいなかった何かが、ノエミを苛んでいる。
(――言葉の端から拾い上げるしかねぇ。こいつは“アレ”に勝てないと思っている。それはいい、だが何故、それだけで“諦める”理由になるんだ?)
「――ットォ!」
そこまで考え、ライダーは慌てて機体を逸らす。
セイバーの顔が目前にあった。
同時、零戦の翼を、削り取るように彼の剣が掠めるのを見た。
――手にしているのは再び“エクスカリバー”と“カラドボルグ”の二刀流。
(……いいや、違う。アレは確かに絶望的だが、決して諦めて勝負を捨てるレベルじゃねぇ。すぐにでも持ち直して、ノエミは策を練るはずだ)
――とすれば。
ライダーは再び、今度は確信を持って呼びかける。
「――おい馬鹿野郎! 何ふてくされてんだ。諦めたんじゃねぇだろうな馬鹿マスター!」
「二回も馬鹿っていわないでよ!」
即座にそう返事が来る。
――そして、
「――諦めてるはずないじゃない。でも、無理、耐えられない! あたしこんなの、耐えられるはずがない!」
自嘲気味に、しかし今度は挫けること無く言い切った。
その叫びを――ライダーはあくまで冷静に受け止める。
そこには失望も、落胆すらない。
ただ、何故自分のマスターはそうなったのか、という思考を続けるのみ。
(つまり、一度諦めた時点で、こいつは“別の弱み”で絶望したわけだ。それが原因で、たとえ立ち直っても思考が止まったままでいる)
――考える。
――――考える。
――――――考える。
(……こいつの弱み。そりゃあどういうことだ? こいつに弱みなんざあるのか? この自由主義のお嬢様が、だぞ? ――あぁいや、そういうことじゃないのか?)
思考しながらも、状況は動く。
ちょうど真正面にきたセイバーに対し、ライダーは機銃を掃射し道を作る。
少し退いたセイバーの横を、そのまま一直線に駆け抜けた。
(つまり、俺の知らないこいつの一面、ってことだよな。――だが、こいつはそんな小難しい人間じゃない。……とすれば、だ。それはつまり、“こいつですら考えも及ばないこと”じゃないのか?)
そのまま即座に反転、再びセイバーへと向かう。
少しでも背を向ける愚はおかさない、そこには既に刃を構えたセイバーがいた。
(――だが、いきなりこんな風になるはずはない。予兆はあったはずだ。それも、何かしら印象にのこるような――――)
振りかぶるそれを、機体で円を描きながら回避し、そのまま上へと向かう。
上位をとった。
とすれば、ここで三号特爆でも置いていくか――否。
そんなことをしても、今度は単なる守りの宝具に防がれるだろう。
三号特爆は切札だ。
――ここで切る理由は何一つない。
(――――こいつと初めて出会った時、俺はとんだじゃじゃ馬だと思った。だが、思いの外こいつは良識もあったし、人の範疇に収まっていた。俺にとって、こいつは付き合いやすい相棒だった)
ライダーは回想する。
初めて出会った時のこと――ほんの二十前後の少女が自分を呼び出した。
少しだけ、それに驚いたのを覚えている。
(短い付き合いだが、俺はこいつをどうしようもなく信頼している。それは間違いない。あいつは俺を、特殊ではあるが“縁”で呼んだんだ。――きっと、それだけ波長があう、ってことだろう)
そして、戦争の最中。
変化があるとすれば、きっとここだ。
この戦争中の彼女の様子を思い出す。
そして、その中で、“特にここ最近顕著であった事実”を回想する。
――――あぁ、そうだ。
(――――――――思い出した)
一つだけ、ある。
そしてそれが、意味を持つことに、ようやく行き着いた。
そもそも“ここ”にこうして来たのも、それが理由であったのだ。
つまり――
(――――ノエミは、“勝ちたがっていた”んだ)
ここにいたり、たどり付く結論。
だいたい、瀬場邸同盟との談合の話が持ち上がった辺りから、彼女が主張し始めたことだ。
――“単独陣営での勝利”。
どうしてか、それにノエミはこだわっていた。
――何故だ?
勝利するなら、別にノエミ達が単独で勝利する必要はない。
ライダー達の願いは、ノエミは勝利、そしてライダーは受肉。
別にそこまで難しい願いではなく、恐らくアサシンのマスターが望む、“妹を救う”という願いを叶えても、その余裕で叶えることができる範囲のはずだ。
それを敢えて否定するかのようなノエミの方針。
そこにあるものはなんだ?
――そう考えれば、ノエミが何を考えていたのか、ライダーにはおおよそ合点が行った。
「……なぁノエミ」
――それは、きっと言葉にしなければならないことだろう。
ここまで、ライダーはノエミを誤解していた。
ノエミのことを、解った気になって、解った以上にはならなかったのだ。
そしてそれは、ノエミとライダー――“一蓮托生”な両者の関係を考えれば、あまりに不誠実であっただろう。
――そう、ノエミはそれを恐れていたのだ。
「お前は“信頼されること”に慣れてないんだよな。……悪いな、重荷を背負わせちまってよ」
めまぐるしく視点の変わる戦場において。
――ふと、ノエミは前を見た。
ライダーが、何を言おうとしているのか――何となく解った。
ライダーがようやくノエミの深層に辿り着いたように。
ノエミはライダーを、信頼しているからこそ、それが解る。
「俺はお前という人生において、初めて“信頼しあう仲間”として現れた存在なんだろう? お前は他人に信頼なんざされたことはない。だから、他人の責任を負うなんてこと、これが初めてだったわけだ」
全てを相手に預ける関係。
――それを、ノエミは初めて知ったのだ。
同僚と呼べる者はいた。
仕事仲間と呼べる“同類”はいた。
辰向がそうだ。
――だが、それ以上の、“相棒”はどこにもいなかった。
ノエミは自由である代わりに、孤独だった。
そんな孤独な少女が、初めて得た信頼のおける仲間。
――そんな少女が、初めて背負った、“他人の重荷”。
ライダーには願いが在る。
ノエミはそれを叶え無くてはならないと躍起になった。
しなくてもいい無理をして、不必要に勝利を求めて――
だからノエミは言ったのだ。
そして、それしかノエミにはできなかったのだ。
あの蔓と光の渓谷の中で――自分に言い聞かせるようにぽつりと、
――“勝つわよ”、と。
それが、
――不器用な少女の、信頼に対する返答だったのだ。
「――違う。違う」
ノエミは否定する。
「そんなわけない、そんなわけない! あたしは別に、絶対に勝たなきゃ行けないなんて思ってないし、それは別にライダーのせいでもない! あたしはあたしの思うがままに、振る舞いたかっただけなんだ!」
「――振る舞い“たかった”んだろう。でも、できなかったんだ。――ノエミ、お前は本当にいいやつだよな。俺の願いは、とっくに叶ってるってのに、俺の我儘にお前は付き合ってくれてるんだ」
――否定する。
ライダーの優しい声を、ノエミは自分がちっぽけであることを自覚しながらも。
――否定する。
「違う! 違う! ライダーの願いは我儘じゃない。私のやりたいことはライダーのためなんかじゃない! だからそんなこと言わないで! 私は、私は――ライダーに心配される筋合いなんてない!」
もう、それは叫びでありながら消え細るような声だった。
なぜ自分が、そんなにも叫んでいるのか。
何かの意思を表明したかったのか、ノエミにはそれすらわからないだろう。
「あたしは、――あたしは」
もはや、彼女の視界はぐちゃぐちゃになっていた。
みえるものは見えなくなって、そこに“すべてを見通す千里眼”は、機能を失っていた。
「――あたしは、ただ。あんたの信頼を、裏切りたくなかっただけなんだ」
その言葉は、ノエミの不器用を肯定する。
何よりの証拠であった。
ライダーは、全ての音を喪ったことを、その時感じた。
――世界に自分とノエミ、二人だけが存在していると、そう感じたのだ。
(……こいつのことを、俺は少し勘違いしていたかもな)
ライダーの思い違い。
ノエミは、自立した大人だとライダーは考えていた。
だが、違う。
彼女は――まだ、全てを一人でこなせる強さはなかった。
(――もしもこいつが“大人”なら、そもそも自由という道を選んではいなかった、か。つまるところ、だ。こいつに必要だったのはきっと――)
そして、それを満たさなかったのは、彼女が束縛されていた環境だったはずだ。
だから――
(――俺はこいつの、親か何かにでもなれるのかね)
そう考えて、答えは決まった。
ライダーのするべきことは、ノエミを先へ導くことだ。
それがライダーの、相棒としての、“最後の”仕事。
「なぁノエミ……もう、帰ろうぜ」
「――へ?」
首を傾げ、ノエミは急にどうしたのかと問いかける。
ライダーは続けた。
「もうこの戦闘に勝ち目はねぇ。だったら、後はここから逃げ出す他ねぇだろ。勝てないんだ、それもやむなしだ」
「……何、いってんのよ。そもそもあたしはあの赤紫羅仁との“契約”でこの場から逃げることはできなくて――それは、あたしと“契約”してる、あんたもおな、じ――――」
ライダーの言いたいことに、ノエミはそこで気がついたのだろう。
ふと、ライダーはそれに満足気な笑みを浮かべた。
「ま、待って、待ってよ――」
ノエミの静止。
だが、ライダーは一切それを聞かない。
あっけなく、事実を確かめるように、そう告げる。
「――――俺との契約を切れ、そうすればお前を、俺は逃せられる」
今度こそ、
――ノエミの視界は、真っ暗になった。