雪白姫香とその派閥が作り上げた聖杯は、ある特性を有している。
それは“東洋の英霊”及び、“現代の英霊”を召喚することが可能であるという点だ。
それが何を意味するか、という点はさておき。
その原理について、軽く触れておくこととしよう。
通常、聖杯は西洋の礼装であるため、西洋の英霊のみが召喚可能である。
また現代は英霊が生まれにくい。
現代最新の英霊であるアサシンですら、“本来の聖杯”では呼び出すのは難しい。
――本来の聖杯とはつまり、聖杯の作成中、ある段階において持ち込まれた平行世界の聖杯の情報だ。
その聖杯は西洋にて生まれた信仰あるものを召喚の対象としている。
通常であればこの世界の聖杯もそうなるはずで、キャスターやライダーのような日本の英霊は、恐らく喚ばれることはなかったはずなのだ。
それを可能としたのは、単純に言えば英霊の召喚方法を、英霊の座へのアクセスではなく、“記録の再生”としたからだ。
簡単に言えば、この世界の人類史に残された記録をサーヴァントとして再現するのがこの聖杯である。
あくまで英霊の記録である以上、そこに制限は生まれない。
本来の聖杯であれば、“召喚に用いる信仰の仕方”によって英霊はその見方を変える。
例えば串刺公、ブラド・ツェペシュを召喚する際に、吸血鬼としての側面を強めるか、領主としての側面を強めるかにより、その性質は大きく変わるといえるだろう。
だが、この聖杯の場合は記録全てをサーヴァントという器に押し込めるのだ。
アーチャーがヘズとホテルス。
神霊と英霊、全く別とも言える側面を同時に有したのはつまりそういうことで、この世界におけるサーヴァントは、つまり。
英霊の一端ではなく、英霊の“記録”ということになる。
完全再現ではなく、またその本質もさして違うものではないが――“記録”というのがポイントなのだ。
“記録”は再生機がなければ再生されない。
この場合再生機は“サーヴァント”というそれそのものではない。
“英霊の記録”は“サーヴァントそのもの”なのだから、再生機足り得ない。
とすれば、再生機はどこから持ってくるか。
――簡単だ、それはマスターに依存する。
そして、それはつまり、だ。
もしもその記録が再生機から取り出されてしまえば――?
要するに、マスターとサーヴァントの契約が切れてしまえば――?
――決まっている。
それはすなわち、サーヴァントの消滅を意味するのだ。
♪
「……待って、――待ってライダー。貴方、自分の言っていること、解っているの?」
ノエミは嘘を確認するように呼びかける。
嘘であって欲しい、でなければ、ダメだ。
――もしも嘘であるのなら、解った自分の負けだ。
ノエミは再び前を向こう――もう一度だけ、セイバーを斃す努力をしよう。
だから、だから嘘であってくれ。
本当のことだと言わないでくれ――
「――嘘じゃねぇよ」
ライダーは、ノエミの懇願を切って捨てた。
わかってしまったからだ。
コレ以上の戦闘は無意味――そして、
ノエミには、この戦闘よりもするべきこと、重要なことがあるのだと。
「俺との契約を切れ。そうすれば“お前はここから逃げられない”という契約を無視して、俺が勝手にお前を逃がせる」
――ノエミに課せられた契約は逃亡の禁止。
それはノエミの契約者であるライダーにも及ぶ。
しかし、ノエミとライダーの間にある契約が切れればどうだろう。
ライダーはノエミの約束を守る必要はなくなる。
勝手に契約を交わしたノエミを、赤の他人であるライダーが無視する、という構図が出来上がるのだ。
「……でも、それは――!」
その続きは口に出せなかった。
――それは、“ライダーの消滅につながる”。
マスターとの契約を失ったサーヴァントは“消滅する”。
それがこの聖杯戦争におけるルールである。
「――いいんだよ」
ライダーは、あっけからんとそう答える。
操縦桿を持つ手に力を込め、縦横無尽に空をかける。
――その最中に、ライダーはノエミへとあまりに優しい声をかける。
それは、あまりに戦場には場違いだ。
それでも――
「お前はもう少し力を抜け。別に俺は絶対に叶えたい願いがあるわけじゃねぇ。というか、それが叶わなくても、“お前のせいとは思わない”」
そこには、万感の思いがあった。
「そもそもさ、たとえ願いが阻まれようと、憎むのは阻んだほうだろう。助けてくれたお前が、責められる筋合いはないだろうよ」
――セイバーの斬撃から逃れ、
「わかんねぇかも知れないが。それでも気に病むなら、次が無いようにすればいい。お前はこのことを自覚した。だったら、それはできるはずだろ?」
――追撃に放たれた宝具の散弾を回避して、
「だから、よ」
――――ライダー達は、空に在る。
「子どもじゃねーんだ、次はどうすりゃいいのか、自分で考えてみろ。気になるんだろ? だったら、考えたほうが絶対にいいぜ?」
諭すような声は、いうなれば娘か息子にかけるような声だった。
――きっと、ノエミにとって、それが答えだったのだろう。
ノエミは、決して瞳を曇らせてはいなかった。
「――あ、…………うん」
ポツリとではあるが、そう肯定し、
「ありがとう、ライダー」
礼を言った。
そうすると、何だかライダーの雰囲気が、満足気なものに変わる。
ノエミはふと、“頭をなでられる”かのような感覚を覚えた。
父に――自分を導いてくれるものが、成長を喜んでくれるかのような感覚を、覚えたのだ。
「――よぅーし。聞こえていただろうセイバー! “見逃せ”、お前はここで阻むような無粋な輩か?」
「……ふむ」
――ライダーは、訴えかけるように言う。
一理あると考えたのか、セイバーの攻撃の手は止んだ。
「――そうだね、じゃあ」
セイバーは答えを出そうとして――
「――――だめだ」
それを遮る、者がいた。
赤紫羅仁である。
「これは正統な決闘である。――よもや背を向けるなど、断じて許されぬ」
わざとらしい口調でもって、そんなこと一切考えてもいない風である。
「……無粋――いや、君“程度”ならむしろ適役か」
セイバーは結論に至ったようだ。
「マスター、僕は手を出さない。止めるなら、君一人で止めるべきだね」
「――仕方あるまい」
つまるところそれは、ライダー達に立ちふさがる最後の壁。
セイバーはライダーの零戦を見送った。
興味は無いようであったが、決して零戦から目を離すことはしなかった。
――原則、この樹木の世界には“入口はあるが出入口はない”。
ただし、あくまで完全な別世界ではなく、“現実世界と同じ座標に存在する別世界”であるため、空間の端、つまり蔓の先に進めば、そこは現実世界となる。
ライダー達が向かうのは、蔓で覆われた空間の先端だ。
直線的に飛行するライダーの前に、“それ”は突如として現れる。
――街の中央に鎮座する神樹の倍はあろうかという蔓が、ライダーの直線上にまで伸びてきたのだ。
その上には、男がいる。
どういう訳か、――赤紫羅仁が、そこに立っていた。
「どうするつもりかは知らんが、そこを、どけ!」
「――断る。欺瞞であるぞライダー、心にもないことを」
急速に接近する両者。
何かある、――ただの魔術師でしかない赤紫羅仁。
それを前にして、しかしライダーの直感は悲鳴を上げた。
「…………令呪を切れ、マスター! ここで魔力のくべとして、その後外に出た後、多少魔力の足しとしよう。お前を地上へ届ける程度なら、持つはずだ」
「――わかったわ、ライダー」
もはやノエミに迷いはなかった。
ライダーは、許してくれた。
次はないと、心に誓った。
――だから、前に進む光はあるのだ。
「――――――――令呪を持って命ずる」
それは、ライダーとノエミ。
父と娘のような、
背中を預け合う相棒のような、
どこかあやふやで、それでいて、決して折れることのない何かで繋がれた二人。
――その、最後の約束だ。
「翔べ、ライダァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!」
過剰なまでの魔力供給。
それは、ライダーの機体から、光とも呼べる粒子となって散った。
もうこれ以上、彼にチカラは生まれない。
必要以上の、“後ろ”をライダーは背負ったのだ。
「ぉぉ、ぉぉオおおおおおおおおおおおおォおオォォおおおおオオオオオオッッッッ!」
対するは、赤紫羅仁。
――ノエミはこの時、初めて彼の瞳を覗きこんだ。
一瞬、帰ってこれないのではないかという錯覚を覚えるほどに、それは深い。
彼は左手を構えた。
何かを合図するかのように。
――それは、
「――――――――
宝具。
――驚愕を覚える暇すら無い。
それは、形を伴って現れる。
――
赤紫羅という家系は、“ある逸話”に類する宝具を有するのが、伝統であった。
この“赤紫羅”という苗字も、それを元としている。
つまり、赤の頭。
現れるは、少女を呑み込むかというほどの狼。
小部屋であれば、その全てを覆い尽くすほどの大きさだ。
それは出現と同時、目前のライダーへと襲いかかる。
速度はライダーと真正面から“衝突”しうる程のもの。
だが、それでも――ライダーは、
――機体が、その狼の毛を掠める。
回避する。
――まるで最初からそれが見えていたかのように。
狼の射線から、彼は消え失せていた。
「――よもや、ここまでの速さか!」
真横を通り過ぎるライダーの零戦へ振り返りながら仁は悪態を付く。
二撃目の宝具――しかし、間に合わないだろう。
アレは、間違いなくこの聖杯戦争において最速だ。
「――あばよ。精々さっさと地獄に落ちるんだな!」
ライダーの台詞は置き去りにされ、そして消えていく。
――――数分後、
ライダーとノエミは、“この世界”から消失した。
♪
「――なぁ、これからお前はどうするんだ?」
空は黒に変じていた。
もう、ずいぶんと時間が立っていたようだ。
――そんな気はしない。
あの世界に飛び込んだのは、ほんの一瞬前だったはずだ。
だのに、なぜだか遠くに来たような気もする。
それは刹那であったような、永久であったかのような。
「……これから?」
少女は問い返す。
親子ほどの歳の差がありそうな男は、繰り返す。
「これから、だよ。この戦争が終わって、それでお前はどうするんだ?」
戦争は終わる。
何度もそれは考えてきた。
だが、終わり方は考えても、その先をノエミは考えなかった。
不確定であったから、考えないようにしていた。
「――そうねぇ」
少女の声に力はない。
それを言えば、男の方も同様だ。
「旅に出ようかと思うわ。どこか遠い場所に、気の向くままに」
「一人でか?」
「一人でよ。――誰かと共に、なんていうのに、疲れちゃったの。この戦いで学ぶものは多かったけれど、だからその分大変だった。息抜きくらい、必要だと思わない?」
しなくてはならないことを、少女は知った。
もちろん、それだけをして生きていく必要は、彼女にはない。
だから――こう思う。
間違えないようにだけはしよう、と。
それが、自由に生きる、束縛を知らない自分の、最低限の義務だと、そう考えたから。
「別に、あたしの何もかもが変わるわけじゃあないのよ。結局のところ、あたしはあたし。それはいつだって変わらない。これからだって変わらない」
そうでなくては困ると、男は笑った。
それから少しだけ、彼に寂寥が浮かぶ。
どこか惜しむような、どこか申し訳ないような。
「すまんかったな。俺の我儘に付き合ってくれて」
「何言ってるの、それを何とかするのが相棒ってもんよ。でしょう?」
「――あぁ。こう言い換えてもイイ、それを何とかするのが、“家族”ってもんだ」
少女には、もう存在しないはずだったもの。
少女には、意味のないはずだったもの。
――家族。
「えぇ、そうね。たとえ始まりの約束を違えても、私たちは永遠に家族よ、お父さん?」
すんなりと、少女はその言葉を口にした。
満足そうに男は頷く。
「……ねぇ、貴方は聖杯に喚ばれ、願いを叶えるために召喚された――貴方の願いは、叶ったかしら?」
「――おかしなことを聞く」
男は、
「――叶ったよ。本当に――幸せな時間だった」
彼が抱いた夢。
思い描いた一つのこと。
健常にあり、もう一度空を飛びたい。
――戦いが終わり、不遇であってもなお、勇猛を忘れなかった一人の男。
誰もが目を背ける中で、それでもなお前に進むことを選んだ男。
少女はもう、言葉をかけることをしなかった。
男がそうさせてくれたから。
ただ空を見上げ、飛行機がかき鳴らす駆動音をバックグラウンドにして。
――月があんなにも大きい。
手が届きそうな場所に、星が在る。
星の閃きは、誰にも邪魔されることはなく、そこに曇りは何一つ無い。
「あぁなんて――綺麗な夜」
男のつぶやき。
男と、少女。
かつて主従であったもの。
今も家族であるもの。
二人の、小さな小さなフライトは、それから数分の間だけ、続いた。
本作の聖杯は、在り方はどちらかと言えば月の聖杯に近いです。
この聖杯の場合、記録をサーヴァントに押し込める際に、情報の漏れが生まれます。
なので、別に完全に英霊が再現されるわけではないのです。
※あとがき登場人物紹介※
・ライダー(岩本徹三)
零戦虎徹、日本最強の零戦パイロット。
彼は不遇な英霊である。
戦争においては日本有数の英雄でありながら、戦争が終わってしまった後は、彼を待っていたのは希みを叶えることができない人生。
彼は死の間際に願う。
もう一度空を飛びたい、と。
それは聖杯戦争に置いて叶えられることとなった。
再び空を翔ける彼の隣には、相棒がいた。
ノエミ=ミシリエ、両者の相性は、実際抜群だったと言えるだろう。
本聖杯戦争でもトップクラスの信頼関係を築いた彼らは、十分に戦争を満喫したといえる。
――それでも、彼らは勝利を望んだ。
ライダーに取って、願いは召喚に応じることで既に叶うもの。
だが、それ以上のことを彼は望んだ。
それくらいの我儘は許されるだろうと、考えたのも在る。
ノエミはそれに答えようとした。
――しかし、少女は不器用だったのだ。
誰かの信頼に答えるということを、少女は今までしたことがなかった。
やがてそれは限界に達し、少女は脅える。
自分が信頼された誰かの期待に、答えられないことを。
それを察したライダーは言う。
――そうではない、信頼に答えるということは、誰かの望む物全てを、その誰かに与えるということではないのだと。
かくして二人の聖杯戦争は終わりを告げる。
ライダーは満足そうに消滅した。
ノエミとの関係に満足し、そして何より、再び翼を暮れた彼女に、最大限の感謝をしながら。
――消え行く彼の思いは、いかほどであろうか。
あぁ、それはなんておあつらえ向きな――――――――