第十一章『瀬場朝海』
その日は、多少の緊迫には満ちていたものの、さしてそれが表にでる程ではなかった。
先日から出現した例の大樹は、その概要を多少なりとも理解している弓弦が、
『今は問題ないだろうが、何とかする必要はある』
と答えたために、問題としては先送りされている。
“今でなくてもいい”以上、今触れる必要はないわけだ。
そもそも、加えてもう一つの理由として、“ノエミの到着を待っている”というのもある。
大樹が出現した直後、その大樹に突っ込んでいったノエミ。
彼女は日付が変わる直前に、彼女の本拠地ヘ戻ったことが確認されている。
その際、ライダーが消滅したことも確認されたが、それは余談か。
かくして対策を話し合うのはノエミがやってきてから、ということになった。
それまでは昨日と同様、休閑に身を任せることができるというわけだ。
中でも顕著であったのは、怠惰を体現する少女、朝海であった。
精神は休養を求めている、と言い出した彼女は即座に布団の中へと潜り込んだ。
ノエミは未だ姿を見せる雰囲気はなく、辰向曰く、“いろいろ思うことが在る”様子。
やってくるまでに数時間はかかると読んだ朝海は、さっそくその時間を惰性にふけることにした。
空は晴天、夏の日差し故かかなり息苦しい。
こんな日に外へ出歩くのは馬鹿のすること。
優雅な霊感少女たる朝海は、周囲に幽霊たちを侍らせ涼を取る、というわけだ。
(あぁこれこれ……これこそが私だよ。最近、どうにも私は私というものを見失いがちだ)
心底には譲れない物がある、どちらかといえば真面目な性根が朝海には在る。
だが、その性質はあくまで怠惰。
あくまで不真面目なのである。
いわゆる昼行灯というやつだ。
(本当、何で昼にまで私らしさを崩さなくちゃ行けないかな。それもこれも、誰かさんと誰かさんのせいだ)
誰かさんに無駄に煽られたせいもある。
そのせいで誰かさんを無駄に意識してしまったこともある。
(別に好きとか嫌いとか、そういうのにマジになるのって、面倒だし、する必要ないよね。……辰向もいつも通りがいいって言ってくれたし、これが私なんだから)
昨日のアレが、割りと一世一代のお洒落だったことはさておき。
そも、何であんなことに意識を向けてしまったのだろう。
そう考えて――しかし、本質的には何も考えず、ただだらけている。
どうしようもなく、朝海はそれに開放を覚える。
「あぁ~~幸せぇぇぇぇ」
だが、
「ちょっといいか?」
そんな幸せをふいにする、爆弾めいた声掛けが外から。
「ひゅい!?」
返事になっていない返事と共に、朝海はその声に反応する。
――辰向だ。
「……大丈夫か?」
「――え? あ、うん。……ンン! どうぞ?」
思わず驚いてしまったが、すぐに気を取り直す。
どうにも、まだ通常の体制に復帰出来ていない。
不意打ちに対処できていないのが、今の朝海だ。
「じゃあ、おじゃまする」
とはいえ、一度冷静になってしまえば、後は自然体でいられるようにはなった。
というわけで、布団に“霊房”という不健康極まりないスタイルで辰向を迎え入れる。
「どうぞー。……一体どうしたの? わざわざ私に話を持ってくる必要はないと思うけど」
軍師であればアサシンがいる。
知識が必要であれば弓弦がいる。
わざわざ朝海の元にまで来る理由は――?
答えは辰向の手元にあった。
――おそらくは、握り飯だ。
「いやなに、朝飯を喰ってないだろう。今日は食わないわけにも行かないしな。持ってきた」
――ついでに俺も食べようかとな。
と、彼の手元のお盆には、二つの茶碗と四つほどのおにぎり。
「キャスターが作ってくれたの?」
「いや、わざわざ頼むのも面倒だから、適当に」
辰向が用意したらしい。
どれもシンプルな混ぜご飯の握りだ。
海苔が巻かれているのがワンポイントか。
「へー。じゃあいただきま~す」
布団から手を伸ばして、一つ掴むと、ひょいっと口に放り込む。
――味は、当然のように美味しかった。
塩分がしっかりきいていて、食べていて安心できる味だ。
辰向は元は一人でいることも多かったのか、手馴れているのだろう。
「おいひい」
「そうか、ならいいが」
辰向も何でもない風だ。
まぁ、自分で食べられないものをわざわざ作って持ってきはすまい。
「……んぐ、んぐ」
どちらもそれから言葉は生まれなかった。
ただ黙々と握り飯を頬張り、飲み込んでいく。
一度口の中にはいってから何度もそれを噛んで味あう。
炊きたてであろうもっちりとした歯ごたえが、いつまでも口の中にあった。
「……幸せぇ」
それらを全て食べきって、朝海は布団にもぐりながらそういう。
やがてそれも終わると――今度こそ、周囲には沈黙が満ちた。
部屋全体を満たす霊魂達は、語らうでもなく二人に寄り添っている。
そのまま眠りに落ちようか、はたまた何かを口ずさもうか。
そんな天秤の中に朝海はあり――そして、
ふと、疑問を口にする。
「そういえば……辰向はこの戦争が終わったらどうするの?」
気の早い話ではあるが、負けを考えるほど朝海は後ろ向きではない。
それに仮定の話だ。
どうあれ、今のまま全てが終わってくれるとは限らない。
それでも、未来の話を敢えて問いかけた。
そうすることに意味を感じられたからだ。
「……聖杯戦争が終わったら? そりゃあ、真華はこれから魔術を関わらない人生を歩かなくちゃならん、そのサポートだろう」
“元”聖杯であった少女。
そうでなくとも、真華は赤紫羅と深くつながっていた。
弓弦のように独り立ちしていればよいが、十の頃に時が止まってしまっているために、真華へそれは望めない。
真華を守る。
それは、戦争が終わってからしていかなくてはならないことだ。
「うんまぁそりゃそうだけどさ。それって子育てとかと同じで、金銭的には何も得られないでしょ? ――生活の話だよ。これからどうやって辰向は生活していくのかな、って」
「……まぁ、これまで見たく戦場で暮らす必要もないからな。まぁ、しばらくはコレまでの貯蓄と、何かと喚ばれる事はあるだろうから、それで稼ぐさ」
六年もの間、辰向は戦場に浸かり続けていた。
自身を鍛えるために――だが、その副産物として恐ろしいまでの資金が手に入るわけだ。
ただし、その八割は礼装や銃火器の収集に消えたが。
それでも、一般人が六年で稼げる年収の、数倍程度は溜まっている。
コレに加えて、その戦場に置いて得た繋がりから、何かの討伐に誘われることはあるだろう。
その報酬などもあわせれば、数十年の余裕はあると言えた。
「ま、魔術師として、研究者になれるタイプでも、教職者になれるタイプでもないからな、俺は。いろいろ選択肢は在るだろうが……ま、困窮しない程度に外へ稼ぎに行くってのが、妥当だろうよ」
「……じゃあさ、その間――真華ちゃんを守る必要は、在るわけだよね?」
朝海の問いかけに、そりゃあそうだろう、と答えようとして、辰向はやめる。
大凡、彼女の言葉の意図を理解できたからだ。
「ふむ、そういう朝海はどうだ? これからのことだ」
瀬場朝海。
――彼女の根底にあるのは、この街を守ること。
だが、同時に“復讐”だって彼女のパーソナリティであったはずだ。
その善し悪しは語る必要性はないが、その“後”のことは、考えなくてはならないだろう。
「うーん、この戦争が終われば、私の人生において、しなくちゃいけないことの半分は終わるんだよね」
それさえ終われば、怠惰に布団の中で生きることもできるのだけど。
そうも行かないといえば、そうも行かない。
“面倒だ”だが、“やらなくてはならない”。
――きっとそういうことを、“実際にやる”のが、朝海という少女なのだ。
「で、残りの半分は、まぁゆっくり時間をかければいいかなって」
朝海のするべきこと。
しなくてはならないこと。
――それを彼女は、まっすぐ見据えている。
「瀬場の復興と、信仰の再取得。それに、後を継いでくれる子を産まなくちゃ。……ほら、ゆっくりでいいでしょう?」
だからまぁ、と朝海は笑う。
「その間なら――ゆっくりできるし、手もあいてるよ。最悪、この街のことは全部赤紫羅弓弦にほうりなげればいいしね」
未だに、彼女は弓弦をフルネームで呼ぶ。
“赤紫羅”と呼ぶには憎しみが足りず、かと言って“弓弦”と呼び捨てにするには親しみが足りない相手。
それだけは、恐らく彼女は譲らないということだろう。
そも、それは弓弦の責任なので、辰向が知ったことではないが。
「……なら、真華のことを頼めないか? 俺が忙しい時だけでいい。真華の面倒を、見てやって欲しい」
辰向の言葉に、待ってましたとばかりに、朝海は頷く。
「――うん!」
それだけは力強く。
一切の否定を疑う余地もなく。
瀬場朝海は、はにかんだ。
♪
瀬場朝海という少女は、怠惰で、けれども真面目で、頑固な少女だ。
雪白辰向という男は、実直で、それでいて誰にも自分をあわせることのできる柔軟な感性の持ち主だ。
――結局のところ、辰向の在り方は、“誰にも”の対象となる“誰”が、どれだけまっすぐであるかで相性の良さが決まるといってよい。
考えのぶれる人間は、それだけ辰向もサポートのしようがなくなる。
逆に、その信念が強固であれば強固であるほど、それを支える辰向の在り方も、一本筋の通るものとなる。
まさしく朝海と辰向は、“パズルのピースがはまった”とでも言うべき相性であった。
二人の“始まり”は、辰向が朝海を受け入れたからこそだ。
両者の信頼関係構築において、辰向が自身を朝海にすりあわたからこそ、――そこから先は、両者の感情が何よりもあっただろうが。
「……なんていうか、ここまで付き合ってくれて、ありがとね?」
ふと、寝ぼけ眼ではあるものの、朝海はそう辰向に呼びかける。
辰向は何やら持ち込んだ本を読んでいるようで、しばらくここに居座るつもりのようだ。
それを朝海も自然と許している。
近くにいたほうが、何となくありがたい存在なのだ、辰向は。
「いいや、俺としても朝海は合わせやすい相手だったからな、どうってことはないさ」
――合わせやすすぎて、少し深入りし過ぎにも思える。
が、まぁそれはともかく。
これがノエミではそうは行かないだろう。
それでも、辰向ならなんとでもなると朝海は思うのだが。
「俺にとっちゃ、これで俺にとっての何かに片が付く。上手く言い表せんが、それはきっと、“何もかも”だろうさ」
「全部ってこと? ……燃え尽きちゃやだよ? これからも辰向は生きなくちゃ」
「真華を置いていけはしないさ。俺一人がいなくなれば、朝海にも、弓弦にも迷惑をかける」
――それはゴメンだと、辰向は苦笑した。
「……勝とうね」
朝海は確かめるように言う。
そうしなければならない、というわけではない。
ただ、そうすることが正しいように感じられたから。
もう一度、繰り返す。
「――絶対に勝とうね、最後の戦い」
「負けるつもりはさらさらないさ。ここまで来たんだ、後は全力をつくすだけでいい。難しいはなしじゃあない、勝って帰る……ま、それに関しては俺も同意見だな」
「奇遇だね、私もだよ」
何となくキメ顔で朝海は返してみた。
辰向は少しだけ楽しそうに、
「お前が話を振ったんだろう」
と朝海の頭を小突いてみせた。
「ま、なんにせよ……がんばろー――――」
そこまで言って。
――朝海の意識は、睡魔という闇に呑まれていく。
「……ま、ゆっくり休んでおけよ」
辰向は何でもない風にそう言って――最後に、パタン。
本が閉じられる音がした。
フラグ? 何のことでしょう。