「――と、これで大体完了だ。おつかれさん、辰向」
「おう、ありがとうな――弓弦」
――赤紫羅弓弦と、雪白辰向。
両名は、ある部屋にて作業をしていた。
そこにはもう一つ、人影がある。
――雪白真華。
光のともらない瞳で、ぼんやりと辰向達を眺めている。
状況としては先ほどの辰向と朝海の時と変わらず、彼女は布団に横たわっていた。
顔に疲労は見られないが――常人であれば辛いだろう。
何せ、四騎のサーヴァントの魔力をその身に宿しているのだから。
小聖杯として改造されたときから、やむないといえばやむないことだ。
だが、決して許されることでもない。
今も彼女は、辰向と弓弦という二人の兄を前に、何も思うことができないのだから。
何も思えない。
しかし生きている。
――ただ、精神が崩落したのであればともかく。
“精神を殺され”、しかも“生かされている”ともなれば、それは地獄の他に無い。
もはやそこに人としての“権限”はない。
それは“尊厳”ですらない人が人として持つ“概念”そのもの。
――死ですらそれは奪うことができず、
ゆえにこそ、ただ“奪われた”故に真華は人の権限を失った。
ふと、弓弦は真華へと視線を向けた。
それはどこか、安堵に満ちているようであった。
真華はぼんやりと天井を、辰向達を見上げている。
ただそれだけが――弓弦には、しかし幸福と思えるだろうか。
なんとはなしに見る少女は、弓弦にとっては、“弓弦が人として在れた証”だ。
きっと、彼女を守ることができたのは、誇りであったに違いない。
――だが同時に、そこに負い目を感じていないはずはない。
それを感じさせないのが赤紫羅弓弦という人間だ。
現に辰向は、手を開閉し、その様子を確かめている。
――右手に浮かんだ令呪を、確かめている。
そこに浮かぶ令呪は“四画”。
二つは辰向のモノ、そしてもう二つは真華のモノだ。
弓弦はこのためにここにいるのだ。
つまり、令呪の移譲である。
簡単な契約ではあるが、何分初めてのことだ、契約の魔術を本懐とする弓弦が、そのサポートをした、というわけである。
「――調子はどォだ?」
弓弦は、努めて平静に問いかけた。
そこに彼が思う“罪悪感”は一切にじまない。
心を“装う”ことを天才的に得意とする弓弦――自身を偽ったのだ。
――彼が“天才”である所以は、“押し殺した感情”を自身の中で消化し切ることの巧みさだ。
心を偽るものなどいくらでもいる、しかしそれにより溜まった鬱憤は、やがてその誰かの中で爆発する。
それを上手く消化し、“爆発させない”からこその、天才。
――赤紫羅弓弦。
「問題ないよ。ありがとうな――弓弦」
言いながら、見やった令呪は、今までのものから少し変じる。
最初、辰向に浮かび上がった令呪は、三つの曲線が中央に集中する、いうなれば渦のようであった。
これに四画目の令呪が宿ると、中央にその渦を惹き寄せるような“円”が生まれる。
まるで“四画”の令呪で、それが完成するかのように。
「ま、どーてこタァはねェさ。そンじゃあ俺は向こうの方に行く、伝言はあるか?」
「そうだな……」
少しばかり、辰向は考えて。
「――――絶対勝ってくるからな、と伝えてくれ」
ぽかんと、弓弦はそれに呆けて――
「……そいつは俺への伝言じゃネェかよ」
――ふと、そう苦笑した。
――そして、弓弦が部屋から離れ、後には辰向と真華だけが残る。
「……まったく――変わらないよな、弓弦はさ」
ふたりきり。
正確には、別室の朝海達の喧騒が通信されてくるためそうでもないが。
それでも――恐らく、こうしてふたりきりになるのは、数年ぶりのことだ。
そして先程まで弓弦がいた。
――辰向達三人が一堂に会することも、数年ぶりだ。
「――だが、背は伸びた。考え方も、六年前とはえらく違うだろう」
六年。
実際に数字にしてみれば、それは長いようで短い――否、長く、そして同時に短い年月だ。
光陰矢のごとし。
気がつけば、もうこんな所に辰向はいる。
真華も、そして弓弦も。
「――そう、――だね」
真華は、機械のように返答した。
声をかけられたことは解るのだ、そしてその問いかけに対し、無難と思える返事を返す。
機械としては優秀――最低限の“思考力”は残されているのだ。
けれども、それは明らかに人間の所有する知能ではない。
「あと少し、だ。……まだ、全てが終わったわけじゃない。だが、もうすぐ終わる。その時、お前を救うのが俺の願いだ。――六年、お前を置いていってしまった時間を、取り戻すぞ」
それは、あまりに“当然”といえば当然の言の葉だろう。
しかし、それを口にすることは、辰向にとって大いに意味がある。
辰向は無力だ、それを補い、“普通のこと”を普通にこなすための知恵。
――在り方は、きっと辰向そのものなのだ。
「これから、世界のいろんなことをお前に見せてやる。そのたびに、泣いてくれ、笑ってくれ、――どうか、楽しんで欲しい。そのための世界を、形にしてやるから、さ」
辰向にとって、妹を救うという願いは悲願である。
しかし同時に彼を構成する要素は決してそれだけではない。
――結局のところ、だからこそ人は形取ることができるのだ。
ただしい形であることができる。
一つのことに妄執することは、決して正解とはいえないだろう。
ただ前を向く、そのために――最善をつくす。
人が人であるということは、そういうことだ。
――真華は返す。
笑いもしない。
泣きもしない。
感動も何もあったものではない。
――それでも、ただ辰向の言葉に“正しいと考える”言葉を返す。
「――うん、――――待ってる」
それは短い言葉では在る。
だが、辰向にとっては、あまりに尊い言葉だっただろう。
♪
――時刻は昼過ぎ。
場所は変わらず瀬場邸。
そこには、いくつかの人影が屯していた。
もしくは――雁首をそろえる、か。
瀬場朝海。
赤紫羅弓弦。
そして――ノエミ=ミシリエ。
辰向と真華を除く、生存している“瀬場邸に与する”マスター達が集っていた。
今、まだ現界しているサーヴァント、アサシンとキャスターも同席している。
「――さて、それじゃあ始めようかな」
朝海が音頭を取る。
――寝ぼけ眼をこすりながら、ここは朝海の寝室だ。
本来であれば居間でやるべきなのだろうが、朝海が起き抜けであること、また、布団から出たがらなかったためにこうなった。
「辰向はどうしたの?」
「別室にいる。ちょっと兄妹水入らずってことで。――話は聞いてるよ? 必要であれば口を挟んでくると思う」
ノエミの問いに朝海が答えた。
あまり答えにはなっていないためか、ノエミは不思議そうに首を傾げた。
とはいえ、辰向はこの場にはいないが、実質参加しているという説明はなされた。
それで納得し、了承とした。
「さて、じゃあまず一番大事なところから入るけど――突入と最終決戦は今日の夜行うことに決まったよ」
「――ま、親父が何をしようとしているのかはしらんが、あの魔術はどう考えても、“長時間放置するのはまずい”からな」
あまり、猶予はないと弓弦は説明する。
現在街に展開している異世界は、刻々とその重圧を増している。
おそらくは、完全に“この世界”に現出する腹積もりなのだろう。
「突入メンバーはどうするの?」
ノエミの問い。
答えたのは、アサシンであった。
「……私たちアサシン陣営と、キャスター陣営のみの予定です」
渋みのはっきりとしたお茶を、飲みながらの返答だ。
因みに、正確に言うなら再び生成された『歩き巫女』達もまた、突入することになる。
「……そうかい。じゃあ、残りの全部、オメェらに託してやんよ」
弓弦は何でもないようにそういう。
彼は突入組に入るだけの戦力を有してはいる。
だが、突入しなくても、さほど問題はない人間である。
難しいところだ、思うところがあるのだろうか。
無論、彼の真意を朝海達が察することは不可能に近いが。
「全部任せたわ、敗残兵は去るのみよ」
逆に、端から突入の選択肢を切り捨てているのがノエミだ。
ノエミは魔術師として、サポートはできても戦闘はできない。
体力に自身はあるがそれだけだ。
「――そういうわけですので、ノエミさん。セイバーの情報を開示していただきたいのですが、よろしいでしょうか」
キャスターが話題を移す。
ポリ、と机の煎餅をかじりながら、ノエミは“いいほ”と同意する。
それを飲み込み、
「セイバー、真名はエルキドゥ。ギルガメッシュ叙事詩に登場する、英雄王ギルガメッシュの唯一の友にして、英雄王と同等の力を有するもの」
「――エルキドゥ、ですか。……まずは、貴方の所見をお聞きしたい」
更に質問するのはアサシンだ。
「まぁ、はっきり言って反則。一つ付け加えるなら特上級の、かな。――これは共通認識でいいと思うけど、まともにやって勝てる相手じゃないね」
――そして、と。
ここからが本題だ。
「――明らかに、あのステータスは異常だよ。そもそも、どれだけ大英霊であっても、アレだけのスペックを引き出すには、どう考えたって魔力が足りない」
――加えて言えば。
セイバーは宝具を“作り出している”。
その度に魔力を消費しているはずで、アレだけの連打、通常であれば不可能なはず。
だのに、それが可能であるという理由がノエミにはわからない。
何かからくりがあることは確か。
とすれば、その答えを知っている人間など、この場には一人しかいない。
「簡単な話だよ」
弓弦である。
如何にも、と言った風に気障ったらしい笑みを浮かべて。
何かの意図あってではないだろう。
「親父は大聖杯につながってやがンだ。正確には、大聖杯のある機能にな」
――そもそも、“現在の世界”に出現した“別の世界”。
あれの根源はなんであるか――聖杯である。
正確には、聖杯が持つ、機能そのものだ。
「聖杯には、平行世界とつながる力がある。正しくはその術式を、常に聖杯は“吐き出し”続けている。できることっつえば、今回みたいに“聖杯を保管してある世界”を、この世界に引き出したり、みてーなさ」
引き出して、何をするか。
それを敢えて弓弦は語らない。
正解を持たない、という点もあるが――想像させるにはあまりある情報だ。
少なくとも、赤紫羅仁に何の意図もない、なんてことはありえない。
「他にもあるんだけどよ。――少し疑問じゃねぇか? 聖杯戦争は莫大な魔力を必要とする。無理にやろうとすれば霊脈が枯れ果てるほどにな。――それを、一体どこから、たった二十年で親父は工面したんだ?」
――答えは簡単だ。
「――――並行世界からだよ。それもこれも、雪白姫香の“平行世界の運営”一歩手前の魔術があってこそ、だな」
もしも、
第二魔法の使い手は、雪白姫香であったかもしれないのだ。
ただしそうするには雪白姫香には“最後の壁”が残されていたのだが。
簡単にいえば、姫香は平行世界の“XとYどちらか”しか運営ができない。
宝石翁には“どちらも”移動する力がある。
これを覆さない限り、姫香の魔法はあくまで、“魔法一歩手前”でしかないのだが。
「後は、まぁ基本は二刀の剣を要いた接近戦を主体とするわ。時折、宝具を連発してくるけれど、コレは速度があればなんとでもなるわね。問題があるとすれば――」
「――消耗戦は望めない、そして何より、彼の最大出力ですね」
アサシンの言うとおり、前者は言うまでもない。
そして、“最大出力”、つまり――乖離剣エアを使用された場合。
「正直、アレを受けるのは手に負えないでしょう。令呪一画は欲しいですね」
とはキャスター談。
アサシンに関しては、そもそもそれを防御する方法がない。
「攻略法としては、大聖杯を破壊してしまうのがよいでしょう。確か、大聖杯は破壊しても、小聖杯さえあれば問題はないのですよね?」
アサシンの問い、弓弦が答える。
「あぁ、そもそも大聖杯は“聖杯戦争の舞台を整える”という目的と、“小聖杯を使って根源へ至る穴を開ける”という目的の補助器だ。願望機を争う聖杯戦争を開くなら、大聖杯は必要ない」
元は、大聖杯の重要度の方が高いのだ。
だがこの聖杯戦争の場合、根源へいたろうという魔術師はいない。
つまり本来用をなすはずだった大聖杯は、ほとんど用を成さなくなっている。
「コレに関しては私とマスターが行いましょう。……キャスターとは連携が上手く行きません。念話を使用できる主従がセイバーにあたるのが賢明かと」
念話だけは、どうやっても妨害されない通信手段だ。
故に、サーヴァント二体でセイバーにあたるのではなく、サーヴァントと、それに類する力を持つ辰向が、サーヴァント“セイバー”と激突する。
コレに関しては、異論はない。
「そして攻略法――もう一つについて」
朝海が、話題を移す。
この場は“情報を共有”するための場だ。
対策は後ほど、朝海と辰向、及びそのサーヴァントで行う。
余談であるが、現在この瀬場邸はキャスターの陣地となっているため、仁のレーダーは届かない。
というよりも昨日の時点で撤去されている。
「まぁ単純な話だけれど、セイバーは“マスターを殺せば”、現界できなくなる。――正直な所、セイバー陣営の攻略法はマスターを殺す他ないだろうね」
コレに関して異論はない。
――まずは、情報の整理だ。
周囲の視線が弓弦とノエミ。
赤紫羅仁の息子と、仁と直接相対したものへと注がれる。
――――状況は、次の段階へと移る。