第十二章『R avenge Knight』
――――聖杯戦争。
七騎のサーヴァントを争わせ、願望機たる聖杯を争う、規模は小さけれども、戦争だ。
これは、全ての終着であり、戦いはここに決着を見る。
数日程度ではある。
だが、あまりに濃密であった聖杯戦争も、今日で最後を締めくくることになるだろう。
場所は赤紫羅陣営本拠地。
元は瀬場の一門が守護する神樹と神社で会った場所。
現在、神社にはブルーシートがかけられている。
それは周囲から人を遠ざけるための、物理的な人払いである。
――同時に、赤紫羅によって奪われた瀬場という一族の象徴とでも言うべき場所。
「――――」
瀬場朝海は、ふらりとそれに吸い寄せられるように前に出ていた。
後ろには雪白辰向、アサシンとキャスター、ノエミと弓弦も、そして真華もやってきている。
前にでる朝海を咎める者はいない。
そこに既に赤紫羅仁はいないということもある。
それに――
――どこか寂寥と、そして何より単語としては表せない類の感情を背中に帯びる彼女を、止められる者はいないだろう。
「……正直、ここに訪れるのは、実はこれが初めて何だ」
それを知るのは、その場においては弓弦のみであった。
実際の所、弓弦が念の為に、近づけなかったというのが正しいのだろう。
赤紫羅仁は危険な男だ、少しでも興味――否、彼に意識を向けられたものは、彼の精神に殺されることになる。
それを避けるためには、路傍の石と成り果てるほかない。
「父から話はきいていた。――遠い遠い、まだ言葉も話せたかどうか怪しい記憶。父の語ったこの場所は、神秘と不可思議に満ちあふれていて――私はそれが堪らなく楽しかった」
――今からしてみれば、不謹慎ではあるけれど。
「でも、だからこそ怖かったんだ。記憶の中で美化されたこの場所が。いざ現実となると、“色あせてみえるんじゃないか”って」
少しだけ、朝海は肩を震わせた。
それだけで彼女の意思は辰向達に伝わる。
「――あぁ、良かった。――――私はこんなにも、悔しいよ」
さっと、彼女は振り返る。
――見たこともない、一人の少女がそこにいた。
どこかから笑いのような表情で、彼女は目元から涙を流した。
瀬場朝海という少女が見せる、それはきっと、最初で最後の涙なのかもしれない。
「――言葉だけでも、――――言葉だけだからこそ、伝わることも在るっていうことさ」
辰向は、そんな彼女にそっと寄り添う。
少しだけ朝海は目を伏せると、再び顔を上げた時には――
「……だから、勝とうね、キャスター、アサシン、辰向」
――いつもの彼女に、戻っていた。
♪
「というわけだから――行ってくる」
辰向が、居残り組へと顔を向ける。
真華へと目を向け、そこから追うように弓弦、ノエミへと視線が移った。
「――頑張って?」
ぼんやりとした、夢現のような声。
真華の様子に変わりはない。
ただ、その瞳は辰向を見ていた。
「負けたら承知しねぇかンな」
弓弦は、少しばかりのえみを浮かべた。
それが素の彼であることは、辰向には解った。
「応援してあげるわ、絶対敵を討ってよね」
睨みつけるように、ノエミ。
どこか刺のある口調に、しかし腐れ縁に対する信頼がみえる。
何となく、こういう目をするノエミを、辰向は初めて見た気がする。
「任せといてね。期待して待ってていいから」
朝海がそれに答えて見せた。
弓弦も、ノエミも、その返答に満足そうに頷く。
「では、準備はよろしいですね?」
「既にあちらへ入る準備はできています。いつでも、いいですよ」
アサシンの確認。
移動のために、キャスターが念のため様子を見ている。
この中で最も魔術を得意とするのだ、妥当な判断である。
「じゃあ、行くぞアサシン。ついてきてくれるか?」
「えぇ、もちろん」
――アサシンと、辰向。
二人の関係は、それなり以上で結ばれた主従の関係だ。
そこには、言葉がしっかりとそれを固める。
言葉があるからこそ、その関係の確固たる信頼が証明される。
「――キャスター」
「了解です、マスター」
――キャスターと、朝海。
こちらはアサシン陣営とは対照的に、言葉すらない相棒としての関係だ。
言葉は交わす必要もなく、むしろ無粋というモノだ。
アサシン達の関係と、どちらが優劣というではない。
――既に、準備は済ませている。
天頂に月。
聖杯戦争には、いい夜だ。
「――さぁ」
辰向が、それを明確に言の葉へ変える。
「――――最後の夜を始めよう」
そうして、辰向達は消え失せた。
後には弓弦達三人だけが残る。
――三人は、言葉を告げず、ただ沈黙で持って、それを見守った。
♪
音はない。
不思議なほど、その空間は静寂に満ちていた。
沈黙が世界と成ったかのような。
世界を一つの物言わぬ大樹へと変えたかのような。
それが果たして、正しいのかさえわからない。
沈黙は何も答えないのだ。
ぽっかりと空いた空洞。
左右には木片の壁がある。
大砲で撃ちぬかれたようであるが、地面はまっ平らのきれいな切断面だ。
「――ここが、異世界?」
「どうだろう。……一応、別世界ではあるんだろうけど」
朝海の問に、辰向はやれやれといった様子で答える。
――カツ、カツと、歩み始めた辰向達の足音が響く。
四つ分。
朝海と、キャスター。
辰向と、アサシン。
中央へ向けて歩を進める。
すぐ後ろには、底の知れない闇がある。
どうやら、かなり端の部分のようだ。
足音は四つ、しかし、気配はそれ以上にあった。
二つ――遠くに確かな人の存在を察知できた。
間違いなく、赤紫羅仁とセイバーだ。
進める歩に一切の迷いはない。
最後の戦いに、躊躇いなど一切存在しない。
――だが、遠い。
それでも、目の前に在る最後の敵。
――最強の敵は、あまりに強大に感じられるのだ。
もとより、裏山を含めた神社全体の敷地程あるとは言え、セイバー達の姿は見えてこない。
それだけに、一層緊張が高まるのは、必然と言えた。
「……落ち着いていけよ、朝海」
「そっちこそ……そっちの方が大変なんだから、気をつけてよね」
――それは、
両者が交わす、戦闘前最後の会話となった。
会話というよりも、雑談と言う方が正しいが。
やがて、
二つの人影が、目に入る。
たどり着いた先に――
「――ようこそ、狂おしきほどに待ちわびた、招かれざる客達よ」
――赤紫羅仁と、サーヴァント“セイバー”がいた。
キャスターとアサシン――そして、気配遮断によって控えていた歩き巫女二名が前にでる。
赤紫羅仁は蔓によって編まれた椅子に深々と腰掛けている。
セイバーはその横に立ち、椅子の背もたれに寄りかかっていた。
ちらりと、辰向たちを一瞥し、しかし何か行動を起こすわけではない。
「――赤紫羅、仁」
辰向が、その男の名を呼んだ。
浮かべる表情は、怒りか、憎しみか――少なくとも、敵意であることは明白だ。
「……ほう。覚えているぞ、貴様は確か雪白の倅だったな。あぁそうだ、十年と少し“飼っていた”から覚えている。健勝そうで何よりだ。――何よりも、こうしてまた顔を合わせることができたのが、幸いだよ」
飼っていた、と仁は言う。
――辰向に何かを言わせることはなく、仁は更に続けた。
「全くもって、その方が実に憎らしくていいではないか。まったく、貴様のその顔を見るだけで、腸が煮えくり返りそうだ」
あまりに愉しげに、仁はそう言ってみせる。
まるで真意ではないような言葉。
――だが、事実なのだ。
真正面から向き合って解る。
赤紫羅仁の言葉は、あくまで全てが本心なのだ。
そして彼の態度は、あまりに全てが真実なのだ。
こうして相対して、赤紫羅仁という男の本性が透ける。
それらを同時に考えているのだ。
雪白辰向という存在に対する、あまりある憎悪。
雪白辰向という存在に対する、虫けらとすら――存在としてすら理解していないような認識。
そのどちらもを、彼は両立させているわけだ。
それが、辰向の感情を呼び起こさせる。
――それは怒りだ。
石ころ以下としか認識されないことに対する、理不尽への怒り。
――それは憎悪だ。
向けられた憎悪に対する、返答のような、妄執のような感情。
「……なるほど、如何にもお前は、“復讐のしがい”がある相手だな、赤紫羅仁」
「それは面白いことをいう。実に愉快じゃないか。――あぁ、まったくもって怒りで気が狂ってしまいそうだ」
仁の言葉に載せた感情は、まるで狂人が如くコロコロと姿を変える。
――恐らく、既に彼は狂っているだろう。
だが、同時にあまりにも、彼の思考は正確であった。
「――聞かせていただけますか、赤紫羅仁。――あなたがこの聖杯を使ってしようとしていることは何でしょう? 仲間である、雪白や瀬場。あらゆる人間を裏切ってまで、この聖杯を欲した理由は何でしょう?」
朝海が問いかける。
仁は空を仰ぎ、くつくつと笑いながら答えてみせる。
「――怠惰だとは思わないかね? 娘」
仁は朝海の名を喚ばない。
確かに彼女は仁へ名乗ってはいない。
しかし、知る術はあった。
知らなかったのは、仁の怠惰だ。
「――怠惰?」
「無関心、と言い換えても良いな」
それは恐らく、人の存在に対するものだろう。
何かに対して“無関心”になれるほど超然としているのは、力と知恵を有しているのは、この世界において人間以外に存在しない。
――正確には、“人間から派生した”存在以外にはない。
「世界は人の手に収まるほどに、人の力は膨れ上がった。私が作り上げたこの大樹の世界も、人の根ざす世界に比べれば、あまりにちっぽけなものだろう」
「それはそうですが、だからどうしたと言うのです? まさか、その怠惰を壊そうとでも考えているわけですか?」
冗談を飛ばすかのような朝海の言葉尻。
だが、正鵠を得たり、とばかりに仁は愉しげに言う。
「――――然り。つまらないとは思わないかね? 世界は怠惰に満ちている。この世界で、もはや世界を揺るがす戦争は起こらないだろう。そうする意味が無いからだ。――人がそう考え、怠惰に戦争を放り捨ててしまったからだ」
――続ける。
「二十年前。あの戦争は実に大規模なものであった。魔術師の世界を揺るがすほどに。――だが、戦争が終わり、数年もすれば魔術師の世界は元の形を取り戻した。――了見が狭い魔術師の世界ですらそうならば、表の世界はどうだ? 変化すら起きなんだ」
三十年。
戦争を起こすまでに、赤紫羅仁は多くのことを学んだ。
その中には、“世界を大きく変革しうる”ことも含まれていた。
「大聖杯をつくりあげようと、世界は何も変わらない。姫香は己の力でそれを為そうとしていたがね、ムリだろう。彼女は魔法使いではない。単なる一人の魔術師でしかなかった」
恐らく、赤紫羅仁の根本は、雪白姫香と同一であったのだろう。
姫香は“世界のあり方を変えるために”聖杯を作った。
それに仁は賛同し、しかしそれ“以上”を求めるために、全てを切り捨て、裏切り、仁は聖杯を手にした。
少なくとも、それは仁の一側面である。
「大聖杯ならば――根源の穴にすら到達しうるほどの魔術ならば、世界を崩壊へ導ける。一度壊すのだ。でなければ――この怠惰な世界は、決して変化を見せないだろう」
それが仁の“理性”における結論であった。
――朝海は、それを聞き届け、拳を震わせる。
「……ふざけないで下さいます? 世界を壊す、えぇ確かにあなたの立場なら如何にもそれはらしいでしょう。……ですが、世界が怠惰である? そんなはず、あるわけがない」
朝海にとって、それは譲れない線になるだろう。
「世界は常に変化している。その先が破滅であるか、進展であるかは、私の知る所ではありません。ですが、世界は常に誰かの手によって動かされている。それは無数に近い人の手であって、貴方一人の手ではない――動き続ける世界を、怠惰であるとは言わせません」
瀬場朝海は、怠惰であるかもしれない。
だが、それでも彼女は動き出した。
雪白辰向と、キャスター。
幾人かの手によって、凍りついた一人の少女は、再び歩き出し始めた。
それは、彼女がこの聖杯戦争で知ったことだ。
この聖杯戦争で得たもの全てだ。
だから、そこだけは絶対に譲れない。
「――マスター」
それに呼応するように、キャスターはチラリと視線を向けた。
ただ一言呼びかけて――しかしそれ以上はない。
念話すら、そこに介することはなかった。
「……ふむ、ここまでだろう、マスター。そろそろ始めたらどうだい?」
サーヴァントが動きを見せたからか、セイバーは背もたれから離れ、そう提案する。
体を九十度反転させ、セイバーはキャスターとアサシン、そしてその奥の辰向達と向き合った。
「――いいだろう。殲滅しろ、セイバー」
「……来ます!」
仁の許可と、アサシンの警告。
――かくして、それを境とし、最後の戦争が、始まった。
――――最終決戦、始動。