第一章『開幕一夜』
夜闇。
冷夏の夜が、風を伴って頬を撫でる。
この世の行き着くあの世の果て。
たどり着くこと無く彷徨うことと成った霊魂の群れが、瀬場朝海にそっと寄り添う。
朝海の家系は鬼道の家系だ。
霊に接する力、とも言えるが同時に、霊の信仰を集める力とも言える。
仏、とされる死後の霊。
それらを導き、その信仰から、神性に近い力を得るのが本懐。
言ってしまえば一種の開祖。
長きに渡り霊地の要を守護し同時に運用することで、神と同一視されることとなる神主の家系だ。
しかし、今の彼女にその権限はない。
――死した魂魄にとって安らぎとも言えるはずの存在は、今、空にない。
それでも、霊は朝海に寄り添っていた。
それは朝海が生まれたその時からそばにあり、そして今もありつづけるものだ。
彼らは朝海を気遣ってくれるし、朝海はそれをありがたいと思う。
ただ、そのせいか朝海の世界は狭かった。
友人と呼べる友人は、せいぜい校内であれば会話をする程度のモノ。
人を寄せ付ける性格ではなかったし、朝海に家族と呼べるものは、皆無に等しい存在だった。
(……なんとも、変な人だった)
思考する。
今、彼女は自身の寝室にいる。
程よく冷えた室内で、掛け布団をかぶって、天井をぼんやり眺めている。
ここ最近、孤独が霊に心配されるほどの朝海の生活に、変化があった。
自分が起こした一つの変化。
それによって起こった、新たな変化。
――『――――』と、彼女は名乗った。
――雪白辰向、と彼は名乗った。
思い起こすのは、今日のこと。
キャスターに関しては、これまで何度も思考した。
そして、次に現れた新たな変化。
「雪白……かぁ」
見知った姓だ。
――良く聞いた単語だ。
(――――生きてたんだ)
あの青年は本当に変な人だったと、朝海は思う。
まず言動が、変だ。
サーヴァントは強力で、ただの人間では叶うはずもない。
それなのに彼は相当な自身を有しているようだった。
(彼の言葉を、全部信じるならば――多分、人類の中でも指折りの実力者)
それでもサーヴァントに実力が比肩しうるものだろうか。
そんなはずはない。
せいぜいが出来て防戦程度。
――受け身の戦闘が、やっとの筈だ。
そう、恐らくはそれを補うためのサーヴァント。
(彼も言っていたけど、アサシンは、マスターをサポートする側面の強いサーヴァントなんだろうな)
正しく、“主人”に対し“従者”であるアサシン。
――頭脳とも、参謀とも言い換えられるのかもしれない。
(そして、その上で私に同盟を持ちかけた。……まぁそりゃ、向こうはこっちの事情を知ってるだろうし、当然だよねぇ)
あちらには、何やら願いがあるようだ。
――その上で、この戦争に参加することそのものが願いである自分と、彼はかなり相性がいいのだろう。
(彼の言葉は、彼の演説は――彼の何も語ってない。私を圧倒し、私に自分の利点だけを押し付けて、彼は勝手に帰ってしまった。でも、だからこそ“嘘はない”)
冷静に立ち返ってみれば、彼との交渉は間違いなく朝海の敗北だろう。
彼は言葉を挟ませないレベルのマシンガンで情報を叩きつけた。
同時に、一定以上の誠意を自分に見せ続けた。
(彼は有能な働き者だ。だから、同盟者としてはかなり有用。こっちがあちらを頼れば、こちらの考えに、あちらも頼って合わせてくれる)
朝海は頭のいい少女だ。
どれだけコミュニティーという存在への参加経験が薄くとも、その本質は理解している。
彼女は、辰向という存在を、かなり真正面から見ていた。
(何より――彼が策士になってくれれば、私が考える手間が減る)
――最高だ。
彼は勤勉で真面目な人間だろう。
突飛とも言える行動も、それくらいのほうが、朝海のような“本物の変人”に言葉として大きな説得力を有すると知っての行動だ。
(……なら、信じて、頼らせてほしいな。同盟者としてだけでなく、それ以上。――仲間として、この聖杯戦争の中で行動できるくらい。…………うふふ)
考えているうちに、変な思考が脳によぎった。
思わず、思ってすぐに笑ってしまうくらい。
本当に――あぁ、まったく。
おかしな人だ。
そして、そんなおかしな人のことをずっと考えている自分がいる。
それではまったく。
まったくもって――
(なんだか、恋する乙女みたいじゃない?)
本当にそうだとしたら、自分はものすごく“ちょろい”のだろうなぁ。
ぼんやりと、眠気を覚えた思考で朝海は思う。
今まで一人で在り続けた少女。
これからは、それがどうなるかわからない。
世界は回した。
(変化は、とても面倒なことだけど。――――“変”なのは、別にそんなに、嫌いじゃないな)
望まずとも、起こさなくてはならなかった大きな流動。
そこに現れたのは、――雪白辰向は、朝海にとっての善となるか悪となるか。
今はまだ、分からない。
それでも――だから、まだ、“それでいい”。
そこまで考えて。
朝海は、睡魔の底へ、落ちて――――
「……ッ! キャスター!」
飛び起きる。
感覚の警報、同時に、周囲の幽魂達が、ざわめき互いに意識を向け合うのを感じる。
案じるように、それらは同時に朝海へ向けられた。
――危険なことが起きているのを、心配しているのだろう。
「大丈夫だよ……私は、大丈夫」
「――――マスター!」
周囲の幽霊達をなだめるように言葉を投げかけていると、キャスターがふすまをピシャンと開けて、入り込んでくる。
「報告は?」
「――届いています。どうやらサーヴァントが動いたようで……」
「どことどこ?」
「いえ、動いてる陣営はひとつです」
キャスターの言葉に、朝海は思わず悪態をつきたくなる。
その方が面倒だ。
二つの陣営が動いたならば、それは単なる戦闘である。
――が、ひとつの陣営ならば、その意味するところは、
「……魂喰い、かぁ」
殺意。
朝海がふと放った一言には、彼女がこれまでキャスターに見せたこともない感情が載せられていた。
おもわず、ゾクリとキャスターが背筋を震わせるほどの。
実戦派ではないにしろ、“英霊”となるほどのキャスターを、心底震わせるほど、
「――面倒臭い」
その一言は、血に濡れていた。
♪
――この日、キャスター陣営は本来の予定であったライダー陣営への接触を取りやめている。
理由は簡単、アサシン、キャスター、そしてライダーによる三陣営同盟の可能性が見えてきたからだ。
本来であれば想定していなかった、アサシン、キャスター間の同盟が成立。
更に、何らかの形でライダーと接触し、そことも同盟が締結できれば――
かなり希望的な観測ではあるものの、ありえない可能性ではない。
とはいえそれは、キャスターが受動的である必要があった。
簡単な話、アサシンからの同盟の要請は結論が出ていない。
――そこがアサシン陣営、辰向とアサシンの巧いところだ。
結論を出さなかったことで、“それ以外の結論”をアサシン陣営を介さず出した場合、アサシン陣営の信用を裏切るという構図を作り上げた。
もしもキャスターがこのままライダーに同盟を持ち込めば、“アサシン”ではなく“ライダー”を選んだ、という構図により、アサシンの信用を失うことになる。
信用、というよりも、それは挟持や体裁とでも呼ぶべきものではあるが――
ともかく、キャスターが“能動的に”同盟を持ちかける可能性はこれで消滅した。
無論、それ自体に利点があるわけではない。
キャスターがライダーに求めるのはサーヴァントとしての決定力。
もしもそれが、アサシンのマスター、辰向で補えるとするならば――
そもそものライダーとの同盟という必要性がなくなる。
あの交渉で、朝海が敗北したと言える点がそこに在る。
――能動的な動きができなくなったのは、手痛い失点と言える。
――だが、それを軽減しうる方法が、朝海にはあった。
キャスターの特性がそれである。
詳細は省略するが、キャスターには高い情報収集能力がある。
そうでなくとも朝海はこの地のセカンドオーナー。
それも、地域全体に、大きな影響力を有する存在でもある。
結果として、朝海は“市内で起きた聖杯戦争に関わる活動”を、ほとんど確実に知ることができる。
――超情報収集特化の陣営、それがキャスター&瀬場朝海の陣営である。
しかし、
この聖杯戦争、ある陣営を覗き、多くの陣営が非常に高い情報収集能力を有していた。
アサシン陣営の場合は、ある一つの方式により。
ライダー陣営の場合は、ある特異の方式により。
主催者陣営の場合は、単純に、三騎のサーヴァントによる人海戦術。
キャスターの動きは、そのあまりに分かりやすい陣地故に、おおよそ周囲の監視を受けている。
――特に、それはある陣営に言えた。
「……動いたか?」
「えぇ、想像通り」
「今日明日には動くと想定していたが、今日か、貴族にしてはせっかちだな。――商人タイプっていうことか」
だが、実際のところ。
それがキャスター陣営の不利になるかといえば、そんなことはない。
そもそも、キャスター陣営の堅固ぶりは、主催者陣営に次ぐものが在る。
大霊地に、Bランクの陣地作成スキルを有するサーヴァント。
さもありなん、攻略には、最低でも対軍宝具が必要だろう。
もしくは大英霊クラスの英霊か。
――ともかく。
今回の場合、キャスター陣営が動いたことが問題ではない。
動いた先に“何かがある”事が問題なのだ。
「さぁ、俺達も行こうか。キャスターが動くような何か――介入しないと行けないだろう」
「御意に、マスター」
恭しく、少しもったいぶったふうに言う。
立ち上がる青年。
「――アサシン」
雪白辰向と、アサシン陣営が、動きを見せる。
♪
彼らの向かう先。
魂喰いを行う陣営。
――当然それは、バーサーカー陣営。
ダグラス=イングルビーとバーサーカー主従であった。
「く、ははははは――――ッ!!」
「……な、なんすか? お、俺に一体なんのようっすか?」
青年が一人いる。
ちょうど高校生くらいの青年。
ワックスで固め整えられた髪と、それなりに整った容姿。
彼は思う。
おかしな奴に声をかけられた。
いきなり自分の目の前に現れた外人が、急に高笑いを始めたのだ。
頭のおかしい変人か、はたまた本物の狂人か。
前者だろう。
自身の中に浮かび上がる危機感を抑えるように、青年は判じた。
しかし、うすうすと理解していた。
目の前に在る男は、間違いなく後者であると。
――気圧されている。
筆舌しがたい違和感が、彼に猶予ある楽観的思考を奪っていた。
「ふ、――いや何、貴様。断末魔という物を知っているか?」
「……は?」
「人が死ぬということは、その時恐怖という感情を抱く。断末魔というのはそういうものなんだよ。僕はそれが聞きたいんだ」
恐怖。
そう、今青年が抱いている感情は恐怖だ。
目の前の得体のしれない外人男性に対する、恐慌。
訳の分からないはずの、普段の彼であれば一笑に付すような相手。
だのに、今はもう、身体の反応すら奪われる相手。
「だからさぁ、――死ねよ」
瞬間。
――それは、男の目前へ、現出した。
獣のようにも見える。
しかし、人だ。
上半身を肌蹴、達磨の如き体躯を晒す。
化け物――青年は、そう思った。
その瞬間には――
達磨の化け物の鉄腕が、青年の身体に――嫌な音を、響かせた。