周囲には鬱蒼と茂る森が広がっている。
時刻は今は夜、というところであろうか、固有結界であるこの世界は、現実とは時間の概念が異なる。
現実のそれよりも、この世界の夜は少しばかり“深い”ように思えた。
もしも、“夜”に逸話のある世界であれば、この世界は夜で固定されたままだろう。
少なくともこの宝具は“数ヶ月に及ぶ戦闘の再現”であるため、夜が明けないということはないだろう。
だが、夜が都合が良いとアサシンが考えそれを展開しているのならば、わざわざ夜を明かす理由はないだろう。
数万対数十万ならばともかく、これは一対十万。
決着には、そうそう時間を要さない。
セイバーは、ふと思わずその“事実”に苦笑してしまった。
それはセイバーの“気配遮断”が伝える事実である。
トップクラスの性能を持つセイバーのそれは、たとえ相手がどこにいたとしても、同じ戦場の中であれば見分けることができる。
最大範囲で、それはこの街に張り巡らされた大樹のネットワークに匹敵するだろう。
――その気配遮断が、告げるのだ。
敵の気配、――総勢十万。
まさか、本当に十万の軍勢が襲ってくるなど。
発動さえしてしまえば、この宝具は敵をほぼ葬ることができる。
対処しようと思うならこの物量と同等の物量をぶつけるほかない。
まさしく“大英霊”に近しいほどの実力を持つアーチャーが為す術もなく敗北したのだ。
通常の方法では、如何な大英霊であってもこれを突破することは不可能だろう。
例外はそれこそ、セイバーの友の様に、一人でコレに匹敵する物量を用意できるものだけだ。
とはいえ、その友はこの十万の軍勢相手に慢心し、実力を出しきれぬまま敗退しそうなものだけれども。
――とまれ、その“友”と同じことが、セイバーにできるかといえば、“可能”ではある。
もしもセイバーが“アーチャー”のクラスで召喚されていれば、単独行動のスキルによる魔力のバックアップを受け、猛烈な弾幕を築いていたことだろう。
しかし、セイバーではそれは敵わない。
彼が常用する二対の宝剣で吹き飛ばそうにも、数が多すぎる。
乖離剣ですらそれは同様だ。
十万などという文字通りケタ違いの敵を、撃破しようにも、“通常であれば”それは不可能だ。
――――しかし、
今はそれが可能である、無限の魔力による支援を受けた、今ならば。
「――ふむ、“伝説の戦い”と呼ばれるそれは数あれど、これもまたその一つ。――その伝説は、決定的であればあるほど意味をなす、君の宝具は、実に強力と言えるだろう」
セイバーは、届けるつもりのない独り言を呟く。
相手に声を伝える宝具は存在するが、それを使用するのは億劫だ。
必要のないことを伝える場合は、特に。
「けれども、その伝説はここで潰える。僕が、それをしてみせようじゃないか」
言葉とともにセイバーは飛び上がる。
ゆっくりと、浮遊するように上昇していく。
周囲の対空火器が自身に向けられるのをセイバーは感じた。
これは戦闘開始の合図である。
こちらが動くよりも早く、あちらがそれをなしてきたのだ。
ならば、その厚意には報いなければならないだろう。
「さぁ、踊れ、そして狂え! 無限の宝具をその身に受けよ――!」
そして、
セイバーの周囲が、魔力による歪みを生む。
正確には、魔力によって創りだされる、宝具の出現が歪みであるのだ。
宙に、無数の黒が生まれた。
月に照らされ、しかしそれを背に帯びて、光を失った闇の刃だ。
数は――十、百、千。
――否、その数は万にも及ぶ。
降り注ぐは世界に広がる無限のような森。
――――ディエン・ビエン・フーに、破壊を帯びた雨が降る。
♪
構え、迎え撃つキャスターに対し、仁の宝具が牙を向く。
直線的は機動であれど、多少はホーミングがなされるのだ。
その回避は、ぎりぎりでなければならない。
キャスターは防御障壁を間に構え、自身はその横をすり抜ける。
既に何度も浴びた死の暴風が、物理的な衝撃を伴って駆け抜けてゆく。
仁の視線を追う、自分に対して向けられていない。
向けられているのは朝海だ、囮のように移動する彼女をチラリと視界に収めようとしている。
だが、それでも彼の“不意打ち封じ”の対象外に自分がいることを、キャスターは何となく掴んでいた。
つまり、ここから攻めれば、仁はそれに対応せざるを得ない。
キャスターが構え、そして牽制とばかりにクナイを放つ。
仁はそれを防ぐだろう、そしてその隙と、歩き巫女達による妨害を加えれば――接近までの時間は、工面することができるはずだ。
――だが、アサシンは再びキャスターへ視線を向けると、“もう一度”宝具を放つ。
クナイを飲み込みそれは出現し、接近しつつ在った歩き巫女を蹴散らした。
消滅したわけではないが、後退を余儀なくされる。
それはキャスターも同様だ。
これでは仁に接近が敵わない。
そして三者を同時に退けたことで、仁はゆうゆうと朝海へ接近する。
――二度目の宝具の時点で、朝海は自身の窮地を悟っていた。
故に彼女の足はキャスター達ヘ向いている。
しかし、一歩が足りない。
このままでは、仁に追いつかれる。
どこかで、仁の攻撃を一度だけやり過ごす必要が在るのだ。
そしてその一度を、キャスターは作ることができない。
(――マスター!)
思わず、念話は使わない思考が悲鳴を上げた。
ここで念話を使っては朝海の足を引っ張ることになるだろう。
故にそれは届かない想いだ。
――そして、だからこそそれは、悲痛になりうる。
朝海は仁と相対していた。
目前に迫る拳、自身の死が脳裏に過る。
故か、自然と瞳は拳を追った。
それは間違いだ。
その拳は単なるフェイント、本命の二発目が視界の端から朝海を襲う。
――解ってはいたのだ、それがフェイントであることは即座に理解できた。
体が動かなかったのだ。
それが、本物の達人を相手にしたことのない、朝海の対武術に対する限界である。
だが――それでも朝海はよく反応した。
体を無理やり回避に持っていく、三撃目を考慮しない全力の駆動だ。
――これをしてしまえば、その後が続かない。
であっても、それを“援護”する者がそこには在る。
彼女の周囲を漂っていた炎が、仁に向けて襲いかかる。
人魂が、その焔を要いて仁を燃やし尽くそうというのだ。
対する仁は、それを“無視して”更に踏み込んできた。
炎が彼を包もうが、ここで朝海を下してしまえば、勝者は赤紫羅仁である。
――それは、防がれた、突如として仁の目前に壁が出現したのだ。
壁、正確には防御障壁と呼ぶべきもの。
キャスターとの違いは、それが“霊魂”によって作られていること。
そう、炎となったそれらは、仁の拳が迫る直前、実体へと変質した。
アーチャーの宝具を防いだ時のそれと同様だ。
攻撃の失敗を悟った仁は、即座に朝海から飛び退く。
このままいては、キャスター達のいい的だ。
――その仁の装いは、朝海によって焦がされた事により一部が炭へと変わる。
チリチリと、黒の破片が地へ舞った。
♪
異様なほど、周囲の気配は枯れている。
本来であれば樹木――自然が有するはずの生の気配が、一切感じ取れないのである。
加えて、今この場所にいるのは雪白辰向ただ一人。
死に絶えた気配の世界に、たった一人取り残されている。
――原初的な恐怖を覚えた。
そんな性分でもないというのに、どうしようもなくこれを、恐ろしいと感じたのだ。
理由などない。
何せ、恐怖を感じるための、恐怖なのだから。
無論、辰向はその程度、なんということはなく乗り切ることができる。
ただそれでも感じざるをえないのは――
「こんな場所、数分でだっていたくはないな」
――ごくごく自然な生存本能である。
異様であり、そして異様だからこそ、それは常人に牙を向く。
だというのに、今辰向が歩く枝の上は通路の用になっているのだ。
何がどうというわけではない。
ただ、人を通すという意思だけが感じられる。
決定的に、人を拒む性質を有していながら、だ。
矛盾である。
たとえば、そうでないとするのなら、それは――
「矛盾の無い人間、――狂人を求めているのか、この場所は」
普通ではない、というのなら、辰向も狂人であるかもしれない。
しかし、普通に溶け込めるのだから、辰向は常識を持っている。
常識在る人間ならば、周囲の異質に自分から恐怖や何かを感じるだろう。
だが、そうでないならば――
もしやもすれば、ここはそんな人間にとって、あまりに心地よい場所なのかもしれない。
そして、それに該当する人間は、恐らく一人しかいない。
「…………」
なぜだか、視界が狭くなるのを辰向は感じだ。
ゆっくりと歩を進めながら、その歩は遅々として進まない。
否、進んではいる、が進んでいる気がしないのである。
この先には、どうしても辰向が行かなくてはならない場所がある。
辰向の予想が正しいのであれば、だ。
――だというのに、精神はそこへ行くことを拒否している。
辰向の推測が、正しくなってしまうのであれば、だ。
前進の意識。
後退の意識。
二つが綯い交ぜに成り、訳がわからないほどぐちゃぐちゃにかき混ぜられたそれは、もはや形すら認識できなくなっていた。
何が正しくて、何が間違っているのか、それがあやふやになっているのである。
――すぅ、と一つだけ息を吸い込んだ。
そうしなければならないと、思ったからだ。
「――――よし、進もう。たとえこの先に、何があろうとも」
結局のところ、覚悟を決める他にないのだ。
辰向の推測はほぼ正確であろう。
でなければ現在の状況に説明がつかないからだ。
でなければセイバー陣営の有する無限に近い魔力の根源が何であるか、証明できないからだ。
だからこそ、決意を固める必要がある。
辰向は体を落とし、態勢を整える。
向かう先は魔力の根本、恐らくこの大樹の核であろう場所――――
あまり時間に猶予はない、向かうならできるだけ早く向かうべきだ。
全速力で駆け出した辰向は、即座にその場を置き去りにした。
風が顔を撫でていく。
少しずつ、中心に近づけば、近づく分だけ不安が募る。
どうしようもなく、心中にのしかかった鉄の重石だ。
何をしたってそれを取り除く術はなく、そしてだからこそ、進むしか無いと足を急かせる。
周囲の景色はいよいよ群像に変わっていた。
形のないそれが、辰向を世界と切り離すのだ。
既に、孤独によって感じていた根源の恐怖は掻き消えた。
それを感じる暇も、余裕もないくらい、辰向の心中は在ることに意識を削がれていた。
支配されていたと言い換えてもいい。
それくらい、辰向にとってそれは思う所があるのである。
――――もっと、根本的な話をしよう。
そもそも、魔術には行使する人間、ないしは機関が必要である。
それが魔術師、もしくは礼装と呼ばれるわけであり、魔術――神秘は、観測者なくしては存在し得ない。
信仰がなくなってしまえば、神秘は意味を失うのと同義だ。
行使する人間がいて、初めて魔術は意味を持つ。
――それが、魔法と呼ばれる類のものになればなおさらだ。
この場合、大樹に用いられているそれは魔法ではなく、精々一歩手前程度のものでは在る。
だが、一歩手前程度ではあるのだ、それを行使するのは“単なる礼装程度”では成り立たないだろう。
この魔術を魔術として成り立たせる、“何か”が必要となるわけだ。
ただ、その何かが純粋な人間である必要はない。
聖杯が、“杯”の形を成さなくても良いように――この大魔術も、純粋な人間が行使しているわけではない。
ようは真華が令呪を行使していたのと同じこと。
それを“するように”洗脳を受けた人間であれば――そして、それをこなすだけの実力を持った人間が洗脳を施されれば、
――雪白真華のように、人としての機能を停止する処置を受ければ、この大魔術は完成する。
辰向は、ついに到達した。
そこがこの大樹の中心である、ここから魔力が周囲へと放たれている。
濃厚な気配だ、そこにいるだけで、自分が場違いな存在であることを自覚できる。
実際、そのとおりなのだ。
ここは人がやってくることを一切想定していない。
魔術に疎い人間が、ここに立ち入った場合、正気は一切保証できないのだ。
そして、
そこには、
――一人の女がいた。
少女としては、既に盛りを過ぎた頃だ。
しかし、女としては今がまさに絶頂であるかのような――
可憐な女であった。
そこに“在る”だけで人を狂わすほど、
本来であればそれは、彼女の圧倒的な“正気”で薄められていたはずだろう。
それだけ、“常在”の彼女は、美しくありながら、しかしそれ以外の部分で人を惹きつける人間なのだ。
だが、今は違う。
ただ美しく在れと切り取られたその景色は、如何にも芸術そのものである。
美しさとは、ただそれだけが存在すれば、もはや毒だ。
そこに、個人という器を落としこんでこそ、人を魅了する華へと姿を変える。
そこにいる女は、まさしく毒そのものであった。
何せ今の彼女は“生きていない”のだ。
人としての意識などあるはずもなく、ただその姿だけが切り取られた存在。
「――――あぁ。――――誰か、――そこに、――いるの、――かな?」
女は言葉を発した。
まるで条件反射のように、誰かがいることを察知して、それを確かめた。
「……貴方の名を聞かせて欲しい」
辰向は、意を決してそう話しかけた。
答えは返ってくるだろう、――その答えが、どれほど残酷であるか、すでに辰向は知っていた。
――この女は、あまりにも“雪白真華”に似ている。
そう、そもそも、これほどの大魔術、行使できる人間は一人しかいない。
そう、そもそも、聖杯戦争に関わり、空間を操る人間は一人しかいない。
そう、そもそも、雪白真華が聖杯となるには、大聖杯への“繋がり”が無くてはならない。
――正確には、たまたま真華を聖杯とするのが“適切”であったからで、別に真華が聖杯である必要はないのだが。
とまれ、
――大聖杯を稼働させる“魔術”。
その“機関”そのもの、そう“成れる”のは、この世界において一人しかいない。
そう、
「――私? ――私は、――そう、――雪白姫香、――と、――呼ばれている」
雪白辰向の“母”、雪白姫香以外に存在しないのだ。
本作最後の伏線回収タイム。