――雪白姫香は写真を嫌う人間だったようだ。
魔術師において珍しいことではないが、最新の科学技術を嫌う、もしくは苦手としていたわけだ。
姫香自身は魔術師的な思考に歪んでいたわけではないが、しかし現実の常識的と呼べる人間であったわけではない。
どちらかと言えば魔術師の世界において違和感がない、といった様子であった。
如何にも貴族といった振る舞いを好むわけでなければ、表側の世界における、科学嫌いのオールドタイプというような人間が、魔術師の大体のデフォルトであった。
――そんなわけか、雪白姫香の写真というものは一枚も残っていない。
少なくとも、辰向はそれを見つけることができなかった。
本気で探していなかった、というのも大いにあるが。
しかし、“別の媒体”が雪白姫香の似姿を辰向に伝えた。
魔術の世界において“芸術”が魔術となることはおかしなことではない。
偶像崇拝に見られるような、信仰の仕方は、そのまま魔術の行使に当てはまるわけだ。
故に、まさしく絶世の美女であった姫香の肖像画というものは、いくつか存在しているのであった。
まさしく、辰向にとって自身の母親は、額縁の向こう側の存在であった。
――そこに移る姿は、まさしく世界を別するほどのものだった。
深窓の令嬢とでも言うべきか和風美人。
既に日本に土着し数百以上の時が経っているためか、異国情緒は一切見られない。
いわゆる姫カットの黒ロングストレート、服装はどうやら和装を好んでいたらしい。
目元、口元、――あらゆるパーツが彼女を完成させている。
ただ“顔が整った”美人はいくらでもいる。
だが、それらが“完成”の域に至るほどの者は、果たして世界に何人といるかどうか。
もはや、人かどうかすら怪しいほどに、彼女の美しさは世界を逸していた。
――その本人が、今まさに、辰向の目の前にいる。
体は蔓に覆われているが、それ以外に纏うものはない。
女性らしいメリハリのある体つきだ。
目に毒というわけでもないが、普通の人間なら情欲を抱いていることだろう。
あいにく、辰向は肉親であるためそれはないが。
「……雪白、姫香」
辰向は、その名を噛み砕くように、呼んだ。
自身の中にある感情は如何なるものか。
――もはや、自分自身ですら理解し難いそれは、しかし言葉になることはない。
「――君は、――だれ、――かしら」
彼女の言葉に果たして思慮はいかほどあろう。
ただ言葉を連ねるだけの存在、もはや人ではなく、それ以外の何かに変質した存在。
かつて、辰向の母であった人。
「……雪白、辰向。名づけたのなら、知っているはずだ。……貴方の、息子だよ」
驚愕するでも、喜びを露わにするでもなく。
ただ、雪白姫香はそれを聞いた。
そうか、と、納得したように、ヒトコトだけ漏らした。
♪
固有結界全ての兵器が、セイバーへ向けられるのが感じ取れた。
セイバーは空中に浮遊している、いい的、というわけだ。
要塞への補給を尽くはたき落とす物量が、そのままセイバーへ向けられる。
これを受けては、さしものセイバーとて無傷ではいられないだろう。
故に、
「一切合切、全て吹き飛ばす必要があるわけだ」
セイバーは周囲に浮かんだ“自分自身”――つまり、宝具の群れを眺めて言う。
数は、十では足りない、百か、二百か。
それですら、足りないのではないかというほどに。
物量には物量、全てを押しつぶす破壊の群れというわけだ。
――その時、戦場は一瞬の膠着を迎えた。
決して数秒も要さない小さな間ではあったけれども、それでも、
どうにも長く感じてしまうのは、やはりそこが戦場ゆえ、ということだろう。
だからこそ滅ぼす。
その戦場に、セイバーの敵がいるからだ。
「――――消し飛べ、有象の群像!」
セイバーのそれが、契機となった。
周囲から、猛烈な鉛の雨が、天へ向かって逆流する――!
同時、セイバーは全ての宝具を開放した。
光にちかい魔力の群れがそれら宝具には帯びている。
数多に降り注ぐ流星か、それとも地をうめつくすほどの鉄の塊か。
殺到するそれらは、セイバーと森の中央辺りで激突する――!
爆発。
爆発。
爆発。
あらゆる爆発がすべてを飲み込んだ。
セイバーの視界に、赤と黒以外の景色が失われる。
爆発の黒煙はセイバーの体にまで及ぶ、周囲を衝突の風が広がり、セイバーの髪を投げあげた。
――その中から、
無数の砲弾が貫き駆け抜け、迫る。
幾つかは周囲に広がった宝具を防ぐための物だったのだろう、あらぬ場所を突き抜けセイバーにかすりもしない。
だが、そのほとんどはセイバーへと向けらている。
前者の方が偶然なのだ、これらは全て、“宝具の雨”の隙をつき、セイバーを射抜くことを前提とした計算の砲撃。
セイバーは無為に宝具を放った。
どこへ放っても意味がある、というのもあったが、それは余裕の現れだ。
余分な計算が必要なほど――この戦況、セイバーにとって悲観するところは存在しない。
最初、セイバーは砲撃を回避していた。
だが、それだけでは立ち行かなくなる、ほどほどに、想定通り。
即座にセイバーは剣を構えた。
周囲に魔力の塊である宝具を散らばらせ、魔力はからっけつに近い。
――が、それでも十分、いつもの宝剣二対を呼び出す程度ならば可能。
セイバーは迫る鉛弾を切り裂くと同時、勢い紛れに押し返す。
跳ね飛ばされたそれは、即座に爆発、周囲の爆発に紛れ、セイバーに熱を刺す。
それでも、直接のダメージは通らない。
セイバーは未だ健在だ。
ただひたすらに幾つかを切り裂く。
そうするしか無いというのも在る、だが、何よりもセイバーはまっていたのだ。
――やがて、セイバーの体に魔力が供給される。
その瞬間――次なる動作にセイバーは移った。
――これまでと何ら変わらない、宝具の魔力を開放するのだ。
「吹き飛ぶがいいよ」
言葉とともに、
構え、一閃。
即座に、魔力は周囲の熱と煙と破壊を吹き飛ばした。
――否、セイバーの破壊に、それは姿を変えたのだ。
やがて全ては光の後に消え去って、ただ背景だけが残る。
アサシンの固有結界たる森は――セイバーのそれにより、一部が禿山とかしていた。
それでも、未だ森の半分は健在である。
(……そうだね、芳しくないな、これは)
――考える、この場における最善は?
選択肢が多いというのも考えものだ。
そして、その中から、勝利に近いものをセイバーは選ばなくてはならない。
まるで余裕のないものの思考。
最善など、考えなくてはならないことが愚の骨頂。
けれど、セイバーは敢えてそれを選ぶ。
認めているのだ、アサシンと辰向が、セイバーに立ちふさがるに足る敵であると。
そう、認めなくてはならない。
認めなければ――
「――さもなくば、それを蹂躙と呼べないじゃないか!」
セイバーは構える。
――それは剣ではない、刃物――と呼ぶべきはずのもの。
だが、刃物ともまた少し形状が違う。
名を“乖離剣エア”。
セイバーの友が最も好む、彼にだけ与えられた神造兵器――!
「現代の兵器に足りないのは圧倒的な個の火力。――確かに、物量において、それを圧倒できないモノはなすすべもなくこの宝具の前に散るだろうさ。――だが、それすらも圧倒しうる本物の破壊ならば、この程度――取るに足らない塵に過ぎない!」
物量が圧倒的ならば、その物量を、根こそぎ破壊し尽くす力でもって当たればいい。
すべてを飲み込み――
そして、消し尽くす。
「――穿て、
“それ”はかくして、世界を滅ぼした――――
♪
なんというべきだろう。
――辰向が初めてであった自身の母へ、かけるべき言葉は見当たらない。
辰向に、母と呼ぶべき存在はいなかった。
無論父もそうだ――だからこそ、彼は意識することすらなかったのだ。
だから、いくら考えても言葉は浮かびすらしなかった。
何か声をかけようにも、それではどうしようもないだろう。
故に、辰向は最初からある答えを用意していた。
簡単な事だ、言葉など――最初から必要ない。
雪白姫香は既に人としての機能を失っている。
彼女の場合、真華の用に“自律”することすら困難だろう。
ただ洗脳したのではない、彼女は自身の“存在”すら見失っているはずだ。
真華に施されているのは単なる自己の停止である。
最悪、その魔術を解除すれば人として再び活動することは可能だろう。
無茶な改造による寿命の問題はあるが、だましだましやれば五十年は持つはずだ。
――人としての生き方が望めないために、その方法ではなくあくまで聖杯による奇跡を辰向は願うのだが。
とまれ、決して“言葉に意味などない”からではない。
“言葉を使わずともよい”から、必要ないのである。
辰向はゆっくりと姫香に近づく。
姫香はそれに反応を示さない――息子だと名乗った男に、一切の思考を抱けない。
彼女に近づく辰向の記憶には、幼き頃の真華――今も、その姿は一切変わっていないのだが――が投影される。
真華は、可憐であり、しかしどこかお転婆な面のある少女だった。
どちらかといえば、弓弦に性質が似たのかもしれない。
弓弦が辰向をからかい、それを楽しそうに笑うのが真華。
幼少の三人は、そんな構図によって成り立っていた。
――ぼんやりと虚空を眺める姫香。
そこに感情は一切感じられない。
それでもなぜか――解る。
辰向にとって、恐らく彼女は“真華”を通しての繋がりしかないだろう。
だから、
――彼女は間違いなく、“真華の母”だ。
故に、
「あぁ――やっぱり」
絵画の向こうで、雪白姫香は大層楽しそうに笑っていた。
表情は楚々としたものであったけれど、それ以上に、“心”が絵の向こう側に笑いかけていたのだ。
絵画の姫香、その娘である真華、そして目の前の女性。
三つのシルエットが重なり、辰向はそれを自覚する。
「――あんたは、俺の母親だよ」
些か、それはいびつであるかもしれない。
それでも、辰向にとって、それが精一杯の“家族”という存在の感じ方なのだ。
すくなくともこのことに関して、辰向はあまりに不器用である。
しかし、不器用であるからこそ、それはまっすぐ伝わるものだ。
――もしかしたら、辰向がそう思い込みたかっただけかもしれない。
それでも、
辰向がそう声をかけると。
――姫香は、どこか懐かしむように笑った気がした。
それで、辰向にとっては十分なのだ。
彼に母は必要ない。
一人であっても、前に進めるのが辰向という人間なのだ。
だから、そっと姫香から離れる。
これでやるべきことは全てやった。
――後は、
そこまで考えて、
――――アサシンの念話が、届いた。
(マスターッ!)
急を要する声音であることはすぐに理解できた。
今、彼はセイバーを固有結界に押し込めている最中である。
そのアサシンがこうして念話を飛ばしたということは――そこまで理解し、そこにアサシンの二の句が飛んだ。
(――申し訳ありません、もう持ちそうにありません)
(……いくらなんでも、早すぎるだろう!)
思わず、分かっていながら返してしまった。
悪態以外の何でもない、失言である。
しかし、
それを詫びるよりも前に、声がする。
目の前だ、姫香から離れた辰向の前に割って入るように、声がする。
「――やぁ、またせたね、アサシンのマスター」
セイバー。
――人とすら知れぬ容貌が、少しばかりの笑みを薄く貼り付けて、そこにいる。
「君のサーヴァントの宝具は実に反則的だ。何せ“サーヴァント自身はあの結界の中にはいない”のだから。苦労して突破しても、それがあのアサシンを滅ぼすことにはつながらない。――指揮官の特権というやつかな」
思わず、身震いがした。
――そこにいるサーヴァントもそうだ。
辰向がいる場所もそうだ。
セイバーの後ろに在る、この世のものとも思えない光景もそうだ。
何もかもが、
――辰向に、恐怖を呼び起こさせる。
「――けれど、潰した。あの宝具は、もうここでは使えないだろう? とすれば、後は君たちに一言告げるだけだ」
ゆっくりと、セイバーは告げる。
「――チェックメイトだ、とね」