空気が変質した。
――赤紫羅仁が、それをした。
キャスターはすぐに感じ取る。
何かが来る――それが、如何なるものであるかはしれない。
だが、隠し玉ということはないだろう。
もしもあるのなら、わざわざ見せつけるように自身の雰囲気を変えて見せない。
仁がしようとしていることは、恐らく単なる集中だ。
彼の中で、何かが極限へと昇華される。
それが“何”であるかをキャスターはしらない、面倒なものであることは、知らずとも解った。
(――あいつ、何するつもり?)
朝海の疑問符。
キャスターは答えようがなかった。
目の前の仁は、こちらを待ち構えるようにしている。
動きを見せる様子はない、ジリジリと距離を詰めようと、仁が動くことはなかった。
狙いは間違いなくあるだろう。
そのための意思に、仁の瞳に一切のよどみも迷いも存在しない。
ただ、何かを覚悟した意思――それが表情にあらわれていた。
(……まさか、決着を着けるつもり?)
(恐らくは、そうでないかと。ここまでの戦況で、あらかたの明暗はつきましたから)
戦局はジリ貧に近い形ではあるが、それでも決して膠着することなく進行し続けた。
その結果か、仁の体にはだいぶ損耗が目立っている。
キャスターにも幾つかダメージが行っているものの、未だ健在といったふう。
――仁は、ここで決着を付けねばならないのだ。
何にせよ、これまでの“戦闘”を行うそれではない。
終局に対する、行動である。
(どうする?)
(……そうですね)
仁への警戒を怠ること無く、朝海とキャスターは会話を続ける。
その意識に一切の油断はない。
解るのだ、もしも少しでも気を抜けば、その瞬間に自分は死んでいる、と。
――そう感じるのは朝海であり、その朝海には気配遮断があるのだが、それでもだ。
概ね安全であるはずの圏内にいながら、しかしそれを“自覚”させないほどの意思。
赤紫羅仁の、その殺意に満ちた闘気は健在である。
あれを、折る――物理的にだ。
そうしない限り、キャスター達に勝ちはない。
(――では、そのように)
(よろしくね……くれぐれも気をつけて、まぁ、私が言うべき言葉じゃないけど)
(お互い様ですよ、マスター)
一分にみたない程度の、小さな小さな会議ではあった。
それでも、それでも十分なほどに、両者の意思は統一されている。
やがて、キャスター達は動き出す。
朝海は気配遮断を解き、仁ヘ向けて直進する。
――それが合図となったのだろう、仁もまた、朝海へ向けて飛び出した。
「――
仁は、朝海へ向けて宝具を放った。
それを即座に歩き巫女がフォローする、ここまでは通常通りの流れだ。
――だが、そこで仁は更に一手を打つ。
歩き巫女へと、再び宝具を放ったのだ。
――先程と同様、無理な宝具の連続発動。
しかし、それに加え、さらにここで手を打ってきたのだ。
仁の表情に油断はない、してやったりという意識はない。
事実、歩き巫女は即座にキャスターに救出された。
キャスター自身、この手を意識していないはずはないのだ。
ここまで執拗に勝負を決められる一手を打ち続けてきた仁、それはつまり、歩き巫女を狙うということから、意識を逸らさせる意味がある。
だからこそ、どこかで必ず、この手は打ってくるだろうと読めていた。
――ならば狙いは?
“決着を付けにきている”局面で、それを切ってきたということは――そうか。
(――マスター!)
この場において、キャスター達における最大のウィークポイント、マスターである朝海自身。
敢えて、場を動かすためにその身を危険に晒し続けてきた。
今もまた、それは変わらない。
ゆえにこそこの盤面。
朝海とキャスター、そして仁の立ち位置は、ちょうど三角形となっている。
キャスターと仁の間に、朝海が突貫した形だ。
距離で言えば朝海とキャスターの仁への距離はそうそう違うものではない。
この距離、回避の不可能な状況。
――朝海達の狙いも、この距離では果たされない。
つまりこの状況、もしも朝海が狙われたならば、回避の方法はひとつしかない。
歩き巫女が朝海を突き飛ばし、身代わりとなること。
霊魂による防御は間に合わないだろう。
アレは依頼という形式を取る以上、どうしても“即座に発動”することは難しい。
魂に力を借りる、それは規模はどれほど小さくとも、一つの儀式にほかならないのだ。
――故に、キャスターは朝海へ即座を移した。
“その可能性が最も高かったから”そうせざるを得なかったのだ。
たとえ他に可能性があったとして――それを意識する暇はなかった。
それほどまでに、仁の連撃は熾烈であったのだ。
――間髪入れずの、第三撃。
「――手折る狼ッッ!」
――それは、しかし、“キャスターへと”向けられていた。
朝海に意識を向けざるを得なかったキャスターに、回避の余裕など在るはずもなく。
――もとより、それが仁の狙いであり、またその狙いは“確信”によって、支えられていた。
ウィークポイントとして常に意識せざるを得ないマスターという立ち位置。
そして、言葉を募るよりも即座に行われる、意思の疎通と、それによって裏付けられる信頼関係。
こうすればキャスターは、“必ず朝海を守ろうとする”、と仁は踏んだ。
――そこをついたのだ。
キャスターに、もはや回避の余裕はなかった。
人を飲み込む獰猛なる狼の顎。
――回避不可能の直進が、キャスターへと殺到する。
♪
「――君は母と対面するべきではなかった。そう思わないかい、アサシンのマスター」
セイバーの声は、実に愉悦に満ちていた。
人を“嘲る”のではない、人を“捕食”するかのような、そんな声音だ。
そうなっては、純粋に理解せざるを得ない。
まな板の上の鯉。
――自分は、単なる獲物でしかないのだと。
否、それはまったくもって断じて否だ。
何一つとしてそれは正しくない。
――雪白辰向はセイバーにとっての餌ではない。
真っ向から相対する、敵対者なのだ、と。
「違うな、俺は母さんと話をする必要があった。機会もあったし、何よりそれが、この戦争の一つの区切りであると考えているからだ」
――雪白姫香によって、聖杯戦争は始まった。
現在の大聖杯の元となる物をつくりあげようとしたのも何より。
こうして、大聖杯の“核”となっていることも、また。
「君がこの戦争を終わらせるというわけかい? ――いいや、今更それを傲慢とは言うまいよ、君にはその資格がある。最後の戦いに残った以上、君にはね」
こうしてセイバーと戦闘している以上、その資格は“無くてはならない”のだ。
如何にセイバーと言えど、それを超然と否定することはできまい。
「そうだ。だからこそ、この場において、母さんを救えるのは――その因果があるのは、俺だけだ」
「その救いは、つまり死という意味だろう? 植物とかした自身の母親を、しかし殺すというのだから……大いに結構じゃないか、それ自体は肯定しよう――だが」
――それでも、とセイバーは続ける。
「なお一層、君は母と対面するべきではなかったのだ」
セイバーはゆっくりと後方へ振り返る。
そこには、先ほどと変わらず、虚空を眺める姫香がいる。
――生きてはいない、決してをそれを、生と呼ぶことは許されない。
「君の中にある母への因果は、決して容易く紐解けるものではないだろう。――心に迷いが生じるはずだ。でなければ、そもそもこの聖杯戦争は終わっていたはずなのだから」
――そう、セイバーは雪白姫香を“背にしている”。
つまり、辰向と姫香の間に割って入る形で出現した。
最強のサーヴァントであるセイバーがそこを守るのだ、もはや、辰向が姫香に触れることが叶わないことを示している。
「――それでも、俺は母さんに合わなくちゃならなかった。それを間違いとは言わせない」
「……最後に残った、この聖杯戦争が起こした事の精算、とでも言うべきかな」
――それでも、頑なに辰向は自身の言葉を撤回しない。
間違いはないと、セイバーに対して真正面から言い返すのだ。
高らかに、何一つ恥じることのない態度で。
「いいじゃないか、素晴らしいよ、その想いは、君が持てる――顔も知れぬ、それでも肉親であった母へ向けるモノとしては、最上級だ」
セイバーは、手に持つ剣を示してみせる。
――それは破壊だ。
先ほどまでの二対の剣ではない。
特別製の刃、
天地を切り離したともされる――乖離剣エア。
その、レプリカ――否、それを模した“セイバー自身”。
「だが、ゆえにこそ僕は否定しよう! 君が為したことは、全て意味がなかったのだと!」
もしも、辰向が母を顧みず、非情に徹していれば。
――聖杯に対して、破壊工作を行うことも可能だったはずだ。
それが叶わなかったのは、辰向が私情に走ったからだ。
アサシンの宝具は、決死の時間稼ぎであったはずだ。
全ての状況が、それを指し示している、故に、辰向はミスを犯した。
「…………ッ! それは、……どうだろうな」
――何かを口元まで辰向は運び、しかしセイバーの言葉を否定する。
言葉を選ぶように、あくまで冷静に努めるように。
辰向は、続ける。
「確かに、それはそうかもしれないが、――それでも、俺はこの聖杯を破壊できたとは思えない。“その程度”、想定されていないはずがない」
――それが、宝石翁のすることならば。
この聖杯戦争は、下地は姫香達が作ったものだが、その根幹を為すのは、宝石翁が手を貸したからだ。
そして、彼ならば知らないはずがないのである。
この聖杯の“元となった”別世界の聖杯、それがある並行世界によっては“爆破され、解体される”ということを。
無論、それを辰向が知るではないが、それでも。
「だから、俺が何か行動を起こせたとして、それは意味のないものに変わっていただろうな」
「……君は、つまり自分を無力だといいたいのかい?」
まるでそれは、彼が“自分の起源”を肯定するかのような、そんな物言いだ。
――セイバーとしては、落胆する他にない。
辰向は、あの時――瀬場邸における決戦の際に行われた問答で――答えを示した。
自身の起源、つまり“無力”を否定する方法を。
そのための意思を、彼は表明したはずだ。
なのに、そのようなことを辰向は言う。
故に、セイバーはそれを、失望混じりに問いかけるのだ。
――否、
それを、セイバーは、
「――――いいや、そうじゃない」
――期待混じりに、問いかけるのだ。
落胆させられるような言葉だ。
しかし、あの時の言葉に、一切の嘘はなかったのである。
そして今の言葉にも。
――矛盾である、何か大きな心境の変化があったならばともかく、辰向は今も“戦意を失ってはいない”。
だからセイバーは、辰向の言葉を、“否定のための言葉”であると見て取った。
それはまさしく正解であったのだ。
「だからこそ、俺は母さんに会うべきだったんだ。――見た瞬間わかったよ、……俺は、母さんのために言葉を紡ぐべきなんだ、と」
「あぁなるほど――それはそうか、無駄だと解っているのなら、最後まで“無駄にならないよう”君は努力しなくてはならないわけだ」
自分は無力ではないのだと。
そう、自分に言い聞かせるために。
それが辰向の“生き方”だったのだから。
――なるほど、辰向は何も矛盾していない。
「……それは」
――セイバーはそう納得し、しかし辰向は不服そうに言う。
「“それ”はあんたの勝手な都合だ。――俺のしてきたことは、決して無駄なことではなかった」
「――――――――――――――――そうか」
ただ、セイバーは一言、返す。
もう、それ以上は続けない。
――ならば、と、剣を辰向へ向けるのだ。
辰向の瞳は――絶対的な破壊を前にしてもなお、辰向は自分の意志を挫けさせない。
故に、両者の剣は向けられた。
セイバーは破壊を、辰向は意思を、
――己が意思の刃と変えて、
「――ならば抗え、僕に君の無力を示せ! それが否であることを! 自身の無力を、否定することで持って、応えて見せよ!」
光が、乖離剣エアへと集う。
それは魔力だ、聖杯からの供給が、その距離故か肉眼で確認できる。
それこそがセイバーの全てなのだと理解する。
少なくとも“サーヴァント”としての全身全霊が、その一撃には込められる。
――セイバーは、この場に置いて何を思うだろう。
その召喚は不服であったはずだ、でなければ、弓弦の謀反を見逃したりはしない。
であればこの戦闘は――この聖杯戦争、その行く末は、果たしてセイバーに対してどう移る?
――辰向は、この場に置いて何を精神の不屈と変えるだろう。
絶望的な状況のはずだ、如何にアサシンと言えどこの破壊、この死だけは抗えない。
どうやったって、回避は不可能だ、であれば辰向は、一体何を支えにセイバーを見ているのだろう?
答えは、誰かが語るものではなく。
ただその矛のみが、――――激突しあう。
♪
セイバーが宝具を構える。
その直前――辰向は、心底のみでそれを思う。
(――――さよなら、母さん)
言葉にすることはなかった。
それで伝わるとも思えなかった。
――故に、
きっと、そんな辰向の意思に答えるように、姫香は“さようなら”と語りかける。
そんなふうにみえる彼女の表情は、辰向の見た、幻であったのだろう――――