バーサーカーと辰向の殺陣は数秒の世界で続いた。
それは本来一秒とも言えるが、一時間とも言えた。
あまりにも濃密な戦場が、時間の感覚をあやふやにしたのだ。
故に、それが断続するこの戦場は、最低限“数秒”としか表現し得ない。
拳、一撃をナイフを添えて後方へ逸らす。
衝撃が右手に響いた。
――だが、その衝撃は即座に辰向の中で切り替わる。
サイドステップ、左へ少し、身体をずらす。
左の拳が通り過ぎるにはちょうど良い直線上、
辰向はそれを回避した。
――拳をふるうより早く身をかがめ、バーサーカーはそれに追いつかない。
戦闘時未来観測。
多くの場合、歴戦の人間が持つ直感力とでも呼ぶべきか。
特に現代戦は数と数が一瞬を競う。
アサシンは指揮官であるためその素質は素質のままであろうが、一般の兵士であれば、英霊クラスなら有している筈だ。
(――まったく、化け物との戦いは楽でいい)
辰向の場合、更に“対化け物”用へ肉体及び精神を律している。
彼は魔術の世界の傭兵と呼べる存在だ。
時折、そういった化け物――例えば死徒であるとか、封印指定魔術師の作り出す異形であるとかを、相手取ることである。
そこからくる無数の経験、辰向にしてみれば、バーサーカーはあまりに御しやすい存在であった。
(肉体だけに頼った戦闘。死徒になったばかりの雑魚が得意とする戦い方だな。――こいつも英霊ならば、もっとマシな戦い方も出来ただろうに)
「■■■■ーーーーーーッ!」
猛烈な絶叫は、果たしてそこに意思を有するだろうか。
もはや本能のみの存在――宝具だろうが、特殊な戦闘能力であろうが、それを発揮することは不可能に違いない。
しかも、運用するマスターもまた三流。
彼はバーサーカーに指示をしたきり、何の行動も見せはしない。
サーヴァントに介入するクラスのマスターとの戦闘に、非戦闘員が介入するのは行けない、というのであれば慥かにそのとおりだ。
しかし、バーサーカーのマスターにはそれが見られない。
ただ苛立たしげに、もはや癖になっているのではないかという相貌は、哀れとすら言える。
――何やら、ブツブツと言葉を連ねている。
しかし、詠唱ではない、――魔術の行使すら彼は放棄している。
――――バーサーカーの右の腕が、遠巻きから腰を沈めた辰向へ振るわれる。
そこで辰向は盛大に跳んだ。
一息に跳ねるように距離を取る。
恐らくは、十メートルほど。
(……いや、それは当然か。これほどの狂化を施したバーサーカー。魔力を温存するのは当然か、なにせ初日から魂喰いを選択する程なのだから)
腰を沈め、再び突撃の構えを見せるバーサーカー。
だが、距離を置いたことにより、辰向には思考の猶予というモノが生まれた。
そこに挟みこむように、アサシンからの念話が飛ぶ。
(――しかし、そこまで考えているものでしょうか。私にはそうも見えません)
(同感だ)
少々の雑談と。
(さてどうしましょう。……接近からでなければ、恐らく仕留める事ができますが)
(仕留め切れなかった時に令呪を切られる。なら、バーサーカーを追い詰めてからでいい)
今後の命令。
――アサシンは言葉なく承知の意思を伝えた。
彼の雰囲気が、それをよく語っている。
「――何をしているバーサーカー! そんな黄色い猿、さっさと山に還してしまえ!」
「■■■■■■■■■■ッ!」
(ひどい、――言い様だ)
思考をリズムとするように、身体を一気に左へ傾いだ。
見え見えの拳が、辰向の耳元を掠める。
切り裂いた風が猛烈な勢いで顔を襲った。
少し顔をしかめ、面倒そうに続く一撃も回避する。
「……そいつはずっとここまで、防戦一方なんだぞ!? 追い詰めろバーサーカー、こんなの、あと数分でケリが付く!」
バーサーカーのマスターは檄を飛ばす。
いよいよ待っていられなくなったのだろう。
連打のバーサーカーが、いくども一撃を押し込むたびに、辰向は後方へ下がらざるをえない。
時折、角度を変えることで壁際に追い詰められるような真似はない。
――が、そんな余裕もいつまで続くか。
辰向の体力が、そうそう長く続くはずもない。
(――そう。こんな全力戦闘、俺は十分も出来ないだろうな。逆にサーヴァントには余裕がある。後は俺が限界を迎えるまで追い詰めるだけでいい)
――だが。
(――――お前の言うとおりだよバーサーカーのマスター。数分あれば十分だ)
間髪入れない雨霰。
その最中だというのにもかかわらず、辰向は誰に気付かれることのない薄い笑みを、そっと浮かべた。
♪
ダグラスは思考する。
おかしい、とは思っていた。
そもそも、何故この魔術師はサーヴァントを呼ばないのだ?
(これだけの戦闘能力なら、更にサーヴァントを呼べば完璧ではないか。だのに呼ばない。――呼ばないのではなく、呼べない?)
先ほどまでは敵対者の呪詛のみで構成されていたダグラスにも、ある程度の余裕が生まれた。
それは特に戦局が明瞭となってきたことが大きい。
なにせ、敵のマスターは強大ではある。
しかしそれはあくまでマスターとしては、という基準による。
そして、後数分で間違いなく敵は詰む。
――そうと解れば、焦れはすれども、怒りはない。
(ははは、おおよそ読めたぞ。お前のサーヴァントは、動くに動けない状況にある。何より、お前がそれだけ強いのだから、“動く必要がない”んじゃないか?)
おかしな話だが、この陣営はマスターが前方に出て、サーヴァントは後方支援を行う陣営のようだ。
特にその場合、サーヴァントがここにいない理由も判然とする。
必要がないのだ。
動かすよりも自陣を守らせたほうが強い、そういうサーヴァントは間違いなくいる。
(――お前のサーヴァント、キャスターだろう。そうでなければ説明が付かない。その圧倒的な身体能力!)
――ダグラスの思考は、かなりいい線まで正解に近づいていた。
マスターが強いのならばサーヴァントはその後方支援で構わない。
自明の理ではある。
わざわざ強力なサーヴァントを呼び、短い付き合い故に起きる連携のズレに四苦八苦するよりも、どちらか片方が前衛に立ったほうが間違いなくこの戦争は有効だ。
だが、少しだけそれは違う。
まず知っての通り辰向のサーヴァントはアサシン。
キャスターでは断じて無い。
ダグラスがキャスターだと判断した理由は、単純。
キャスターによる身体能力向上の補助を辰向が受けていると考えたためだ。
なにせ、こんな戦闘能力を素で持っている人間が存在するはずはない。
“自分より優秀な戦闘能力の持ち主など、あってはならない”。
ダグラスには、その考えがあった。
故に、眼を曇らせたのだ。
彼の判断は正しく正面を行っていた。
しかし、自分自身の挟持が、そこから先を間違えさせた。
とはいえダグラスの視点から見ればさほど的外れというわけではない。
まずダグラスは巫女服姿の女の襲撃を受けた。
その女を追ううちにこの工場へ足を運び、敵マスターの襲撃を受けた。
この“女”が恐らくキャスターであろう。
そう判断するのを、さすがに咎める事はできない。
――ダグラスは知らないのだ。
これら二つの糸が“別の陣営”によって結ばれたものであることを。
しかし、そういった情報不足の面があったとしても。
そこから、間違ったながらも結果としては正解である結論に、至ることは可能であった。
一つ、最初に現れた女は突如として出現した。
何もない場所から、浮かび上がるように姿を見せたのだ。
そしてもう一つ、この戦闘の初撃。
ついと現れた異質な気配と、それによるナイフでの不意打ち。
自分自身が回避したあの一撃を、正確に理解していれば。
――けれどもダグラスはそれを見誤った。
ただ、自身の挟持を前提とした、知性を持ちながらも冷静さの欠いた思考から。
彼は大きな――見落としをした。
♪
――それを見やる陣営がある。
キャスター陣営、瀬場朝海とキャスターのコンビである。
現在彼女たちは――特に朝海は、“霊に自身の視界をジャック”させることによる戦況のモニタリングを行っていた。
もちろん、それは戦闘開始時から行われてはいるが。
とかく。
「……このまま行けば、多分アサシン陣営が勝つ、よね?」
「はい、恐らく。ですが――表面だけ見れば、思いの外戦況が厳しいですね」
キャスターの講評。
それはまったくもってその通り。
現在辰向は、防戦一方のまま徹底的にバーサーカーの一撃に見舞われている。
回避自体はきれいなモノだ。
バーサーカーの拳を放った場所に、最初から辰向がいないのである。
あたかもそれは、バーサーカーが間抜けにもひたすら何もない場所を殴り続けているかのようなもの。
けれども、それはもう五分も続かないだろう。
戦局はかなり辰向にとって不利にある。
このままであれば、持久戦で辰向が敗北する。
「……そんなの、ありえないから考慮しないよ。そもそも、こんなものじゃないかな。さすがに人間がサーヴァントに勝つなんて」
「見る限りあのバーサーカー、能力だけであればサーヴァントとしてもかなり有数のように思えます。これでも、十分なほどではないでしょうか」
「そこなんだよね――正直、これにキャスターの強化が加われば、多分私達勝てるよ?」
無論、それだけでは巧くことは運ばないだろう。
けれども、希望的観測としては、それはあまりに十分すぎた。
「では、いかが致しましょう。とりあえずは、このまま行く末を見守りますか?」
「――うん。…………できれば、彼とは戦略的な話をなしに、個人と個人で、話をしてみたい、かな?」
「そうですか」
――キャスターは否定をしなかった。
むしろその言葉には大いに肯定が含まれる。
今、朝海と辰向の間にある関係は、セールスをされる朝海と、セールスをする辰向という立場だ。
午前のあれはそう。
今のこれも、辰向によるパフォーマンスという向きが大きい。
「……まずはこの戦闘だ。どうするのかな、アサシンのマスター。このままで、終わるはず――ないよね?」
向かう相手を持たない朝海の言葉は。
――瀬場邸山門へ、消えていく。
♪
チリチリと、安物の蛍光灯が、工場を淡く照らしていた。
灰色のコンクリートは、闇に飲まれ藍のよくわからない何かへと変ずる。
そこは、異世界が現出した場所だ。
人の無い世界。
人とは異なる世界。
ただあるだけで人の意識に怖気と怯えを感じさせる。
晦冥に呑まれた、暗夜の異世界。
風だけが、変わらず人の近くに在った。
月は天蓋へ上り詰め、意味なく、甲斐なく周囲を照らす。
狂気を覚えるほど月並み的な、青の空。
――そこに、魔術師だけが存在を許されていた。
ダグラスとバーサーカー。
辰向と、少し離れ――アサシン。
戦況は佳境に在った。
その場において、まずそれに気がついたのは、恐らくバーサーカー自身だろう。
しかし、彼はそれを頓着しなかった、できなかった。
理性どころか、本能的な思考のみで律動するバーサーカーに、それの判断は不可能だった。
次に気がついたのは、相対する辰向であった。
彼の想定通り、それは姿を洗わせた。
自分の中で湧き上がる情動が、――ほんの断片でしか無いはずだといのに、無視できないほどの感情が、それを肯定する。
最後に気がついたのが、ダグラス=イングルビーであった。
バーサーカーの異変。
左の一撃が、辰向を狙い空を切る。
そこまでならば通常通り――しかし、続く一撃がワンテンポ遅れた。
辰向は、もはや悠々と、バーサーカーの元から離れてみせる。
右手をふるおうとしたバーサーカーの身体が前のめりにつんのめる。
身体が、自身の意識に追いつかなかった。
違う――これは彼の身体能力ではない。
「何をしている! バーサーカー、そいつを仕留めろ!」
見れば辰向は肩で息を整えていた。
あと数分も戦闘すれば、彼は限界を迎えるだろう。
だが、バーサーカーにはそれがかなわなかった。
かなわず、ただその場に立ち尽くした。
「……お前ぇ――何をした、僕のバーサーカーにっ!」
「何って――魔術だよ」
端的な答えと共に。
辰向の右手が、弧を描き、真横に振るわれる。
瞬間、焔が灯る。
右手が、ナイフをふるう彼の手が、彼の言葉に反応し、紅を帯びる。
それは光と、血であった。
ナイフの刃先から、血がこぼれたのである。
ダグラスは、平素ではあれ優秀であった。
この一瞬――死を覚えた彼の反応は、疾かった。
「……っ! 止めろ、そいつを止めろ、バーサーカー!」
叫喚であっる。
もはや意思がそのまま言葉に変わるのだ。
だが、バーサーカーは動かない。
「――我が根に宿りし渇望よ」
詠唱。
長いものではない。
恐らく二小節程度の――
もはや一刻の猶予もないことをダグラスは語った。
辰向が何かをしようとしている。
そしてそれがなされた時、この戦争の勝者と敗者が決定的になる。
止めるしかない。
しかし、バーサーカーは動かない。
ならば誰が止める――?
――ダグラスしか居ない。
そしてダグラスにできるこの場において最善にして最良手。
彼は挟持に塗れた思考を有した。
しかし、その判断だけは、間違えなかった。
二つの声が。
二人のマスターの宣告が、――今その瞬間、バーサーカーに対して響き渡る。
「令呪を持って命ずる――――」
「我が血脈全てを己に変えろ――――!」
「――――僕を守り、その怪力で敵を屠れ、バァァアアアサァァアカアアアアアアッッッ!」
♪
時間軸を前後し、キャスター陣営。
「――これっ!」
驚愕の声が、朝海の口から漏れる。
意図するところは、すなわち明白。
彼女は、辰向の魔術に当たりを付けた。
「多分……起源を使った魔術! あの人、起源覚醒者だったんだ!」
興奮しきったような朝海の声。
さすがに、サーヴァントと真っ向からやりあうマスターという状況が、彼女を惑わしているらしい。
起源、というカテゴリに辿り着いた理由は単純。
何しろサーヴァントにすらここまで有効な術式だ。
――その根源は、よほど特異であって不思議ではない。
とすれば、候補はかなり絞られるし、その中から、もっともありうる選択肢が、起源であろう、というだけの話。
「起源――前世から連なる、原初の方向付け、でしたか?」
キャスターの問いかけ。
首肯する。
同時、朝海はいくつかの可能性を頭に浮かべた。
バーサーカーは、自身が弱体化する類の魔術を受けた。
そして、辰向という人間の精神性。
――彼は、臆病すぎるほど臆病な、策士であるはずだ。
結論は、得た。
朝海の言葉が――キャスター陣営に響き渡った。
「――特性は、“無力”――それをきっと、彼は他人へ押し付けている……ッ!」
いわゆる魔術特性=起源系の魔術師。