「いるね」
「ほへ?」
いつものように一日中歩き回って、へっとへとになった夜のことだ。
テントを設置し、焚火を作り、森にあった湖の傍で野宿しようとしていると、師匠が唐突に杖を持って立ち上がった。
周囲を見渡しても、特に動物や魔物がいるわけでも無い。
「いるって、何がですか?」
「おや、ぺルラ。分からないかい?」
「言ってくれなきゃ分かりませんよ。舐めないでください師匠。私未だにキュア・ウーンズ以外の回復魔法碌に覚えちゃいないへっぽこプリーストですからね?」
「ハハハ、そうだったそうだった」
美しいピンク色の花で彩られた銀髪を靡かせながら、師匠は湖を指さした。
つられて私も松明を手に目を凝らしてみると、灯火に照らされた水面に、魚のヒレのような形の影が浮かび上がった。
「ひゃあ!?」
驚き、尻もちをついた表紙に、松明を湖に落としてしまう。
消えるはずだった灯火はしかし、火が水面を蹴る直前に。
湖からぬっと現れた、細くしなやかな腕に掴まれました。
「な、な、な!なんですか!?」
「アハハ!君は本当に面白い反応をするなぁ。──
師匠は相変わらず私の痴態を見て爆笑し、掌からポウっと眩い明かりを灯しだす。
真語魔法の第一の階位、ライト。本来なら長い詠唱と共に効果を表す魔法です。
しかし、師匠はそれをたった一言の詠唱で魔法の効果を顕現させた。
「魔法使いか。それも相当に高位の」
湖の中から、凛とした声が響いた。
水の中で声を出すなんて普通は不可能なのだが、一体どうやっているのでしょうか?
エルフならば、剣の加護によって一応は可能だが、どうやらそういうわけでも無いようだ。
ザブリ、という音と共に、その影たちは水底から姿を現しました。
美しい人間の上半身と、それと相反するような異形の魚の下半身。
所謂『人魚』という姿を取っている魔物に、私は心当たりがありました。
「あ、マーマンですか!こんばんわ!」
「夜だというのに、まるで鶏のような声だな。こんばんわ」
呆れながらも、律儀にあいさつを返してくれるマーマンの美女。
この時点で、彼女が善よりの人間なのはなんとなく分かりました。
人間との関係は比較的良好なこともあり、敵対する気は無さそうです。
勿論、分類上は蛮族なので油断はできませんが。
「湖に住んでいるとは珍しい。マーマン達は基本、海に住んでいるものだと思っていたけど。数も少ないし、訳ありかな?」
「見ただけでそこまで分かるとは。随分と長生きなメリアのようだ」
少しだけ驚くそぶりを見せるマーマンですが、多分彼女が想像しているよりも遥かに、師匠は長生きをしています。200年以上は確定として、もしかすれば本来の長命種のメリアの寿命である300年を超えて生きているかもしれないのですから。
まあ要は年増ですね。
コツンと杖で叩かれました。なんて師匠だ。
「随分と仲の良い師弟のようだな。君も魔法使いか?」
「一応はそうですが、魔法使いの弟子じゃありません。吟遊詩人としての弟子です!」
「なに?となれば、あなたは吟遊詩人なのか?それほどの魔力を持ちながら?」
「そうなるね」
「なんとまあ。随分と変人だな」
そうですそうです。師匠はとても変人です。
どれくらい変人かというと、師匠の友達が口を揃えて「あいつは変」って言うくらいです。
ちなみにその友達の中には、ドレイクやバジリスクも含まれています。
蛮族と友達な時点で大分変人な気がしますが、まあそこは今更です。
「変人ですけど、魔法と詩の腕は確かですよ!」
「そのようだ。吟遊詩人殿、どうか一つ頼み事を受けてくれないだろうか?」
「聞こう」
さて、マーマンさん達の依頼なのですが。
彼女達は本来、他のマーマンと同様に海辺に住んでいたそうなのです。
そんな彼女達がどうしてこんな場所にいるかというと、水生の蛮族達の中でも特に凶悪な蛮族、タノンズ達との争いが原因なんだとか。
「我らマーマン達の国を荒したタノンズ達は、海底で生じた魔剣の迷宮を根城にしていたのだ。軍隊を組み、その魔剣の迷宮に攻め入った我らだが、その内の一部隊、つまり私が率いる四人のマーマンが、迷宮の罠にかかってしまった」
「テレポーテーションかな。随分と高度な罠だね」
「うむ。それにより、私達は本来の住処である海から遠く離れた陸地に放り出された。我らは海でなら無類の強さを誇るが、陸では弱い。それ故に、帰ろうにも魔物達との遭遇が心配で帰られぬ状況なのだ」
なんとも運が悪いマーマンさん達です。
マーマンさん達の頼みというのは、海辺に帰るまでの護衛をお願いしたいというものでした。
一応彼女達も陸地で歩くことはできますが、マーマンとは本来水中で生きる蛮族。
陸地ではその戦闘力は著しく低下し、ぴょんぴょんと跳ねて移動しなければならぬため逃げ脚も遅くなってしまうのです。
「……おい。何故笑っている?」
「い、いえ何も……」
美しい彼女達がヒレを使いぴょんぴょん跳ねる姿を想像すると、ちょっとシュールで笑いが漏れます。いえまあ、彼女達には死活問題なのですが。
「どうか受けてはくれぬだろうか、吟遊詩人殿。あなたの魔法の腕を見込んでの頼みだ」
「残念ながら。僕らの今の目的地は冒険の国グランゼールなんだ。ここから海辺まで君達を連れていくのは、何日もかかってしまう。そう長い時間を使うわけにはいかない」
「……そうか」
「師匠!」
残念そうにシュン、と項垂れるマーマンさん。
思わず口を出しそうになるが、師匠は「けど」と付け加えて。
「対価があるなら話は別だ」
「それは勿論。あなた方が望むなら、私達は出来る範囲で金品を……」
「ああ、そうじゃない」
師匠は首を振って、トントンと彼女の額を指で小突く。
なんとなくやることが予想できた私は、新たな物語が作られる予感に目を輝かせる。
「君の物語が欲しいんだ」
「……もの、がたり?」
「僕は君に、今からある魔法をかける。君はそれに抵抗せず、受け入れてほしいんだ」
「……害がある魔法ではない、という認識で構わないか?」
「勿論。それが終われば、君達を故郷へと帰らせてあげよう」
彼女の部下であるマーマンさん達は、どこか心配そうに彼女を見る。
けれどそんな部下を優しく諭して、彼女は師匠を正面から見つめ力強く頷いた。
「分かった。やってくれ」
「ありがとう。感謝するよ」
彼女達は、悲壮な覚悟をもって受け入れる覚悟をしているのだけど。
実際には滅茶苦茶弱い、戦闘では大して使い道の無い、人を害さぬ魔法です。
師匠が信仰しているドマイナー神格、『“物語の神”イルシオン』。
その特殊神聖魔法の一つであるその魔法を、信者である師匠はこう呼びます。
「【ディアエピック】」
額に指を当て、そう唱える師匠。
実際には詠唱の必要などは無いのですが、師匠はやたら恰好を付けてその魔法名を口ずさみます。まあ、いろんな魔法を使っているから、それが慣れになっているのでしょうか?
魔法による効果は、実に単純明快です。
術者が望んだ記憶か、もしくは対象が望んだ記憶を、対象から術者に受け渡す。
逆に、術者が望んだ記憶を、術者から対象に受け渡すこともできるというもの。
ちなみに、抵抗されれば誰でも簡単に弾けます。一般人も例外じゃありません。
はい。お察しの通り、操霊魔法の【スティールメモリー】の劣化版です。
情報を抜き取るならあれで済みますし、師匠も操霊魔法を習得してるのでマジで産廃です。
普通情報の受け渡しなんて口で交えればいいので、魔力を支払ってまで使う必要ありません。
けれど、師匠は好んでこの魔法を使います。
ディアエピックは、対象の記憶をただ知るのではなく、追体験という形で情報を得られる、という理由からだそうです。
「つくづく、詩のためだけにあるような魔法だなぁ」
ただ冒険者の話を聞くだけでは分からない色んな情景を、この魔法は術者に与えます。
詩を作るには情報が必要です。その情報をかき集めることができるのが、この魔法です。
冒険者には見向きもされないその魔法ですが、吟遊詩人はその有用性を十二分に理解できます。
だからと言って、私がイルシオンを信仰するわけではありませんが。
「うん、ありがとう。素晴らしい冒険の記憶だったよ、フィナ君」
「……あ、ああ。そうか。……なんともまあ、不思議な感覚だな」
師匠は機嫌良く己が得た情報の記憶に舌鼓を打ち、思い出したかのように向き直る。
報酬には仕事で報いる。子供でも知っている常識だ。
それはそれとして、名乗っても無いのに相手の名前を呼ぶのは非常識だと思う。
ほら見ろフィナさんも引いてるじゃないですか。
「さーて。すこし下がっていてくれたまえ」
師匠はそう言って、長い詠唱を唱える。
師匠ですらも簡単には使えない、超超高度な真語魔法。
魔法の達人に辿り着いた賢者のみが扱える、次元を超える魔門。
「
空間を繋げる巨大な門が、マーマン達の前に現れました。
「……!これは、第十四階位か!?まさか、これほどの魔法を……」
「これを超えれば君達の故郷さ。さ、向かうといい」
「……もしやあなたは、この門で私達の故郷を座標にするために?」
「いえ。ただ単純に詩のネタが欲しかっただけだと思いますよ、師匠は。だから気にしなくていいのです。報酬はしっかり頂きましたから」
そう告げると、果たして彼女はどう受け取ったのか。
何かに納得するように頷いて、私達に頭を下げ恭しく口を開きました。
「ありがとう、吟遊詩人殿。この恩は決して忘れない」
そう言うと、次々と門へと飛び込んでいくマーマンさん達。
師匠が魔法をしくじるはずも無いので、まあ無事に帰られたのでしょう。
「良いネタが手に入ってね。さっそく詩を考えようか」
「ラッキーですね、師匠!」
私達も私達で、新たな詩のネタに目を輝かせながらペンを手に取る。
吟遊詩人にとって一番楽しい時間の始まりだ!