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いつのまにか作業机に突っ伏して眠り込んでいたようだ。
手元には喫茶リコリコのシューティングレンジ用換気フィルター、完成品がひとつ、つくりかけがひとつ。
そして作業机の横のPCデスクでは4つあるモニターのうちのひとつが明滅を繰り返し、彼を眠りから呼び覚ました控えめだが存在感のあるアラート音を鳴らしている。
「んー…?」
モニターを覗けば、常時モニターしているいくつかの通信回線、そのうちのひとつの通信量が急激に増えていることを示し、それがアラートの原因であることを示している。
別のディスプレイを見れば、都内各所で特定の周波数、主にデジタル通信に使用されるそれで活発なやりとりをしていることが見て取れた。
「何か…動いてる、か…?」
無線通信使用量のヒートマップを表示させれば、ある特定の地域を目指していくつかの集団が移動していることがわかる。
時刻はそろそろ外も明るくなる朝5時。
カーテンの隙間が明るくなり始めている。
ディスプレイを眺めながら煙草に火を着けたとき、作業机に放りだしてあった佐々のスマホが鳴った。
「はい」
「佐々か。すまん。仕事だ」
短く答えれば、スピーカーから響くのは渋い低音の中にも温度を感じる、ミカの声。
、
「5分で参上しますよ」
「頼む」
佐々は階段を飛び降りると、階下の車庫に飛び降りた。
◆
「目的地は…」
「大丈夫です。そうですね…斜向かいに荷捌き用エレベーターが屋上まで通じてるビルがあります。そこでどうですか」
「話が早いな。頼む」
喫茶リコリコの裏口でミカと長物のバッグを後席に収め、ハイエースで明けきらぬ東京の朝を駆ける。
佐々は先ほどの無線通信のヒートマップから、おおよその現場位置にアタリをつけていた。
そこは表の稼業である設備屋の仕事で入ったことがあり、周辺環境も含めて頭に入っている。
もっともそこでなにが起きているかまではわからない。
ミカが長物を持ち込んだところをみて、おそらく狙撃かなにかだろう、と推測したが、当たっていたようだ。
「…おはようございます。東京の桜の満開が発表されました。昨日の東京は最高気温23.7度と今年一番高く、5月下旬並みの陽気になり、気象庁は昨日午後2時頃、東京の桜の満開を発表しました…」
車内で薄く流れているテレビの音声は平和そのものの様子を伝え、このような物騒なものを抱えた中年が街を行っていることなど微塵も感じさせない。
「千束、すぐ来てくれ」
後席ではミカが千束に電話をかけ、現場への急行を指示している。千束は電話口で若干渋ったようだが、「トラブル発生だ」というミカの言葉で、すぐに事の次第を理解したようだ。
15分もかからず目的地に到着し、ミカを降ろす。
「近くにいますんで、済んだら呼んでください。回収に来ますんで」
ミカは頷くと、スイッチが切りかわったプロの目でビルの通用口へ消えていく。すでにDAから手が回っているのか、電子錠は既に開かれていた。
◆
目的のビルから1ブロック離れた路地で、煙草を吸いながらスマホを眺める。
事務所兼自宅から転送されてくるこの付近の無線通信の密集状況を見る限り、おおよそ役者が揃ってはいるが状況はやや膠着しているようだ。
煙草を吸いながら状況を眺めていると、不意にスマホのアラームが鳴る。アラートだ。
クルマのナビ画面を切り替え自宅PCを呼び出す。
モニタリングしていた通信回線のひとつのパケットデータが異常な値を示している。
「ありゃ…?」
普段流れているパケットとは異質なものが回線内を流れていることは検知できているが、それがなにかまでは分からない。
すると、その異質なパケットの増大と呼応するように現場付近の通信が途絶していく。
「おいおいマジかよ」
画面にくぎ付けになっていると、コツコツと窓を叩く音がした。
鬱陶し気に目線をくれれば、そこにはミズキが居た。暢気にあくびをしている。
「おっはよ~…交代するわ。アンタは正業に戻りなさい」
伸びをしながらミズキが気怠そうに宣う。
「酒は抜けてんのか?」
「失礼なヤツだな。ちゃんとほどほどにしましたー」
「ならいいけど。じゃ、あとは任すわ」
「ん。仕事終わったら店に来な。おごってやんよ」
ミズキの差し出した平手を交代の合図にパン、と打ち合わせたとき。
1ブロック先の現場から、窓ガラスが連続して割れる音が街中に響き渡った。
◆
「おい楠木…一体何があったんだ」
佐々は昼の休憩中、公園の駐車場の隅に停めた業務用のハイエースの中でコンビニのパンをかじりながらスマホ越しに問う。
「…何のことだ」
抑揚なく心の揺らぎを微塵も感じさせない声が、スマホから返ってくる。何を言われても動かないあの表情までもが浮かぶようだった。
「今朝がた、落ちただろう」
「だから何の話だ」
あのあと、表稼業の仕事が始まるまでの時間、佐々は事務所に戻り、モニターしていた回線のログをチェックした。
それにより導き出された仮説は、DAの中枢AIであるラジアータが一時的にダウンしたのではないか、というものだ。流れ込むデータ量、流れ出すデータ量の推移が、そう暗示していた。
そしてそれが起こる数分前から、通常時とは異なる不規則なデータの流れも観測されている。佐々は楠木にそれを問いただそうとしていた。
「…空っとぼけんならかまわねえけどよ。こっちに仕事出そうってんなら余裕持ってしてくれよな。こっちもこれからエアコンの繁忙期なんだ」
「…善処しよう」
楠木の言葉を聞いて、佐々は通話を切った。
最後の楠木の言葉だけで、現状の把握は十分といえる。
ラジアータが、落ちた。
しかも、外部からのハッキングによって。
詳細はわからないが、それだけは間違いないようだ。
「まーためんどくせえ仕事になるんだろうなぁ…」
煙草に火を着け、開け放った窓から紫煙をゆっくりと吐き出し、春の陽気を少しだけ汚すと、佐々は午後の仕事に向かうためにキーを捻り、エンジンを掛けた。