胸ポケットに入れていたスマートフォンが鳴動している。佐々は焦げ臭い匂いの残る場所で、黙々と作業をしていた。
不自然な姿勢のまま片手で工具を保持し、誰からの着信とも知れぬまま耳元のワイヤレスイヤホンで受話した。
『あーサッサさん、やっと出た!』
繋がるや否や底抜けに明るい声でまくし立ててきたのは千束だ。
「よぉ、久しぶり」
『久しぶり、じゃないよー!ここのところ全然お店に来てくれないじゃーん。忙しい?元気にしてる?ちゃんとご飯食べてる?どうしたの?今どこにいるの?』
一気呵成にまくし立てる千束。佐々の身の上を心配してくれていることは理解できる。優しい娘なのだ。
「んー…ここのところちょっと忙しくてね。今いるところは…面白いところ、かな?」
『あーずるーい!私も連れてってよー』
電話の後ろで「こら千束、無理を言うんじゃない」と嗜めるミカの声がする。
「…で、どうした?ハウスのエアコンでも壊れた?」
佐々は作業を継続しつつ、賑々しい喫茶リコリコの情景を思い浮かべる。
『違うよー!サッサさんに紹介したい人がいるからお店に顔出してほしいなーって。待っててもなかなか来ないから電話しちゃった』
なるほど、と佐々は納得する。
「リコリコのSNSに載ってた子のこと?」
『あー!見てくれてたんだ!そう!私に相棒ができたの!たきなっていうの!』
楠木が言っていたリコリスか、と佐々の記憶が繋がる。SNSの写真を見る限り、黒髪の美しい怜悧な雰囲気の娘だ。
「やったなー千束。相棒なんてうらやましい」
『サッサさんも相棒雇えばいいじゃーん!そしたら時間もできるしー、もっとお店に来れるようになるでしょ!サッサさん、ボドゲ会になかなか参加してくれないから伊藤さんも寂しがってるよー』
千束の天真爛漫な言葉に、思わず佐々は苦笑いを浮かべる。伊藤とはリコリコを根城にしている漫画家だ。時々ネタ提供を求められる。おそらくまたネタに詰まっているのだろう。
「…落ち着いたら顔を出すよ。それまで、相棒に見限られないようにな」
『ちょちょちょちょそれどういう意味?サッサさんひどいじゃーん!千束がサッサさんの事務所にカチこんじゃいますよ?たきな、射撃の腕はピカイチなんだから』
「カチコミの時はミカさんのコーヒー豆も一緒に配達してくれると助かるよ。ミカさんにもよろしく伝えておいて」
『わっかりましたー!じゃ、お待ちしてまーす!無理しないでね、サッサさん。いのちだいじに、だよ!それじゃまたー』
微妙に噛み合っていない会話が一方的に打ち切られる。なんだかんだ言って、ここのところ顔を出さない佐々に対する無事の確認と彼女なりの気遣い、といったところだろう、と納得する。
彼女の気遣いに応えるためには近々に店に顔を出さねばなるまいな、と思いつつ、周囲を見回す。
(しかしまぁ…この面白い現場を放り出すわけにも、な)
佐々は表向きの稼業である設備屋としての緊急の依頼によって拘束されていた。
昨夜、爆発により4フロアぶち抜きで吹き飛ばされたマンションの復旧工事に駆り出されてるのだ。
そこは昔、佐々がのちに気づいたウォールナット案件のひとつとして手掛けたマンションの、まさにその現場であった。
◆
『オメーは千束が呼んでも来やしねえなぁ!』
佐々の耳に填められたワイヤレスイヤホンから、一杯ひっかけてややご機嫌といった雰囲気の中原ミズキの声が響く。
「…お陰様で仕事が忙しい。絡み酒なら切るぞ」
『お待ち!仕事!仕事の依頼!』
「だから忙しいっていってんだろぉ」
千束から電話があった翌日の夜。
佐々はDAの本部からの依頼に対応するため、事務所で図面作成作業をしていた。
『あーもう埒があかないわね!ねぇミカ、なんとか言ってやって!』
しばらくごそごそとした後にミカの咳払いが聞こえた。
『すまんな佐々、珍しくミズキがやる気を出してる仕事なんだ。お前の力を貸してほしい』
心底済まなそうな渋い低音に、佐々も事情を察する。
『どうやらだいぶ事情が切迫しているらしい。うちへの報酬提示は相場の3倍、しかも全額前払いだ』
佐々はひゅう、と口笛を吹く。今時景気のいい話だ。
『…依頼は逃走者の護衛。必要なものはクルマを数台と、それに防弾仕様のリスの着ぐるみを用意したい』
「着ぐるみですか。それもリス指定で」
『依頼人のリクエストに応えるにはちょっとした仕掛けが必要でな。相手はプロ寄りのアマ、武装のレベルは悪くない。ライフルも確認した。用意する道具と作戦の打ち合わせに、店まで来てもらえるとありがたいんだが』
佐々はちらりと時計を見る。時間は21時半。
「…晩飯まだなんですよ。ミカさんの賄いで手を打ちましょうか」
『…助かる。じゃあ、待っている』
佐々は通話を切ると、作業していた図面を切りの良いところまで仕上げてDAの技術部に送り、リコリコに向かった。
◆
閉店後の喫茶リコリコでミカの賄いのうどんを掻き込みながら、依頼内容とミカとミズキで立案された作戦計画を把握すると、佐々は夜の街へ飛び出した。
佐々は表稼業はフットワークの軽い設備屋として稼いではいるが、それとは別側面の顔があった。
それはフットワークの軽さと、表稼業を通じて張り巡らされたあらゆるネットワークを駆使する裏世界の便利屋、といったところだ。
特に今回のような、夜明けまでに作戦に必要なモノを揃え、各所へ配置するといったような無茶な案件は得意分野だ。こういった物理的な無茶は普段の表稼業と裏稼業、両面の人脈が効いてくる。
佐々はスマホを取り出し、ある所に電話を掛けた。
『おう兄弟、どうした?』
段取りを考えながら駆けつつ佐々が電話をした先からは、ドスの効いた低音を響かせる男の声が返ってくる。
「ご無沙汰してます若頭。ちっとクルマを何台か貸してほしいんですよ、アシの付かない金融車で。あぁ、もちろんお礼はしますんで、これから言うコインパーキングに配置してくれませんかね」
『兄弟の頼みは無下にはしねえ。任せておけ』
ドスの効いた声の主は二つ返事で佐々の依頼を請けてくれる。電話の相手先は向こうが勝手に兄弟扱いしてくるようになったヤクザの若頭であった。
グレーな仕事をいくらか請け負って貸しを作ってあり、いつからか先方から兄弟扱いしてくるようになった。もちろん盃を交わしたわけではないが、蛇の道は蛇、隣町の邏卒より近所の極道、というやつで、利害関係が対立しない限りは持ちつ持たれつの関係である。
(しかしなぁ…)
電話を切り、続いて防弾仕様の着ぐるみの手配を考える。
(…ヤクザに顔が利こうが…防弾仕様の着ぐるみなんてなぁ…世の中にあるもんじゃねぇわ!)
心の中でミズキのリクエストに毒づきながら、それでもいくらかの選択肢を心算しつつ、夜の街を駆けた。
◆
結局、その夜は一睡もする暇はなかった。
オーダーのあったリスの着ぐるみは、伝手をたどってこの週末のイベント用に近郊の住宅展示場のイベント用に搬入されていたものをあの手この手でイヌの着ぐるみとすり替えて拝借し、事務所へ持ち帰って防弾装備と血糊とカメラ・マイク・スピーカー一式をささっと仕込んでリコリコへ納品。
着ぐるみのおまけに、初期逃走用に佐々の趣味車である軽自動車のトゥデイを付けた。外見は昭和そのもののJW3型だが、中身は現代の車両並みにレストアしてあり、ネットワーク対応車両に仕上げてあったから、目立たぬ逃走用車両としては適役だろう。
そしてその足で、着ぐるみの作業中に渡りをつけておいた消防庁の装備工場から、整備中の救急車をなんやかんやと理由を付けて借り出し、事務所の車庫に収める頃には夜が明け始めていた。
「やっぱり、いい仕事をするにはホンモノじゃねえとな」
シャッターを閉めた車庫に収められた東京消防庁所有の救急車を眺めながら煙草を一服付け、仕事に対する自己満足を満たしながらミカに連絡を入れる。
「準備万端、整いましたよ」
『流石の手並みだな。千束とたきなが出発したら合流しよう。また連絡する』
ミカとの通話が切れると、佐々は車庫の隅にあるアウトドアチェアに腰を降ろし、作戦の手筈を確認する。
千束たちはミズキが渡りをつけた依頼者と合流の後、追手がかかった場合は車両を乗換えながら撒き、最終的には羽田から海外へ逃亡させる算段になっている。少なくとも、千束たちにはそう伝えられていた。
しかしミカの作戦にはいくつかのオプションが設定されていて、依頼者とのすり合わせの結果、今回は千束たちに伝達されている作戦とは異なるエンドへと導くように設計されていた。
それは追手が作戦目標を達成した、と思わせること。
つまり、依頼者が死亡したと思わせる仕掛けが組み込まれている。
その最終段階で登場するのがこの救急車、というわけだった。
(さすがミカさんとミズキの作戦立案ですねぇ…手が込んでるけど、ミズキは気前よく命張り過ぎなんだよなぁ…)
もちろんミズキの気前の良さに応えるべく、佐々が納品したリスの着ぐるみの防弾に抜かりはない。だいぶ重量は嵩んだが、防弾レベルはクラスⅣを多層化した構成にしてある。ライフルで被弾すればそれなりの衝撃はあるだろうが、悪くても怪我で済む。
しかし、問題は依頼者だった。
佐々は打ち合わせの時、依頼者の身元は敢えて詳しくは問わなかったが、スーツケースに入れて護送するという構想で、護衛対象者はかなり小さい、子供のような背格好であることが伺える。
一体依頼者はどんな立場で、どのような理由で命を狙われているというのだろうか。
(まぁ…すべて終わればわかることか)
佐々はそう思いなおして、少しでも仮眠しておくべくアウトドアチェアに深く沈みこんだ。
ご無沙汰しております。
遅くなりまして恐縮です。
不定期になりますが細々と続けてまいりますので、引き続き何卒よろしくお願いします。