翌朝、店に体調が優れないので休みたいという連絡を入れた。千束を手伝って欲しかったが仕方ないとミカに残念がられたが、昨日たきな一人でフロアを回したので、今日は千束に頑張ってもらおう。
慣れない黒ずくめの服を着て、その上にいつもの制服を着る。今回は人目につく可能性と、ターゲットがリコリスの制服を知っている可能性があるので、仕事の際は制服を脱ぐよう言われた。
念入りに銃のチェックをする。マガジンに弾丸を詰め、防弾のバッグを持つといつものように外に出た。
仕事自体はそれほど難しいものではない。ターゲットは50代の男で、詳しくは聞かされていないが、麻薬のブローカーの一人だそうだ。
その男が、夕方ある場所に隠した麻薬を取りに行くという情報を得た。その時に殺せというものだ。
午前の内に建物を調べる。5階建ての雑居ビルで、廃墟ではないが人の出入りは極端に少ない。1階にあるスナックや、2階にあるいかがわしいマッサージ店は営業しているようだ。夕方になれば人の出入りがあるのかもしれない。
ビルから離れた人気のない場所で、双眼鏡を使って監視する。時々何人か入っていく人や出ていく人があったが、ターゲットの男とは風貌が違った。
もしかしたら裏口から入ったかもしれない。あるいは、地下に隠し通路でもあるのかもしれない。こればかりでは一人で監視できる限界があるので、姿を見ることが出来なければ、情報を信じて言われた時間に突入するだけだ。
そうしていよいよ指定の時間が近付いてくると、ビルから少し離れた場所に黒いいかつい車が停まった。後部座席からまず小柄な人物が降り、続いて聞いている特徴と一致する男が降りた。用心棒の一人くらいは雇っているだろうと思っていたので、それ自体には驚かなかったが、小柄な人物が自分と同じデザインの赤い服を着ているのを見て、たきなは一瞬息が詰まった。
紛れもない、たきなの相棒にして、DAのナンバー1、錦木千束その人である。
楽しそうに談笑している様子はない。千束は周囲を警戒するように男を導き、やがてビルの中に消えていった。
たきなはしばらく呆然となったが、すぐに首を振って制服を脱ぎ捨てた。命令を受けた時は疑問に思わなかったが、この黒ずくめの服を与えられたのも、もしかしたら向こうの用心棒に千束がいることを知っていたからだろうか。
もしそうだとすると、この仕事は千束と対峙し、千束にはたきなのことを知られることなく、且つターゲットの男を殺すという、極めて難易度の高いものということになる。
どのみち、千束に正体を明かすわけにはいかない。何故千束が麻薬のブローカーのボディーガードをしているのかはわからないが、それを確認することはできない。
仮に千束の方の勘違いが判明したとしても、千束はたきながターゲットを殺すことを止めるだろう。
今思えば、今朝ミカが言っていた千束を手伝って欲しいとは、店のことではなかった。もっとも、今日の依頼が昨日ミズキが受けたものだとしたら、DAはここに千束がいることは知らなかったと思われる。ミズキが断る可能性だってあったはずだ。
そもそも何故受けたのか。もちろん、DA側の情報が間違っている可能性もあるが、それはたきなの責任ではない。しかし、任務を果たせなければ、それはたきなの失敗である。
相手が誰であろうとやるしかない。マガジンをポケットに詰めて、たきなは強く銃を握った。
静かにビルに侵入して、足音を立てずに階段を上がる。
目標の部屋は最上階の真ん中。窓のある部屋だが、外から見たら雨戸が閉められていて中は確認できなかった。
ドアを開けて千束と正面から対峙するか、あるいは部屋から出てきたところを狙撃するか。前者はあまりにも勝算が低いが、後者だと、窓から逃げられたり、部屋が4階と繋がっている可能性もある。戦う以前に逃げられるのは大恥だが、フキにすら歯が立たないたきなが、フキですら歯が立たない千束に勝てる見込みはない。
だが、千束に勝てないことは、任務の失敗とイコールではない。ターゲットさえ殺すことができれば、千束を倒す必要はないのだ。
ずっと近くにいたからわかるが、千束は確かにとてつもない能力を持つリコリスだが、それほど策のある子ではない。ウォールナットの件も、結果的にはあれで良かったが、護るべき対象を殺されたに等しい。
他にも何度も危険な目に遭っているし、たきなが助けたこともある。千束は猪突猛進なところがあって、奇策に弱い。
さらに、たきなは千束を知り尽くしており、千束は暗殺者に自分のすべてを把握されていることを知らない。情報戦では圧倒的に優位な立場にある。
何より、相手が千束であれば、たきなは殺される心配がない。これが第一だ。
あのゴム弾がとんでもなく痛いことは聞いているし、現場も見て知っているが、実際致命傷になることはない。当たり所にもよるが、一発か二発なら被弾しても耐えられるだろう。
息を殺して5階まで上がる。音はない。3階より上にいる人間は、今やターゲットと千束、そしてたきなの三人だけのようだ。
言われた部屋の前に移動して聞き耳を立てたが、物音一つしなかった。麻薬の回収と聞いているが、もし本当に千束の目の前で麻薬の回収をしているとしたら、それを千束が見逃すとは思えない。何がどうなっているのかわからないが、今は目の前の仕事に集中しよう。
ドアノブに手をかけて、静かに回してドアを引くと、そこに千束が銃口を向けて立っていた。
一瞬、驚きに心臓が止まりかけた。千束の銃口が火を噴く。それを屈んで躱せたのは、日頃の鍛錬の賜物だろう。
千束がたきなごと吹っ飛ばすように、思い切りドアを蹴り開けた。そのドアを全力で蹴り返す。うぐぁと、千束が苦しそうな声を漏らした。ドアに腕を挟んだようだ。
待ち構えられていたのは予想外だったが、今のドアの攻防は相手の裏をかけた。腕を引くようにしてドアを開けて、蹴りを叩き込む。
千束が足を掴むが、それと同時にたきなは千束の眉間目掛けて発砲した。
避けるとわかっていても心臓に悪い。今となってはかけがえのない相棒の顔に、実弾をぶっ放すなど正気の沙汰ではないが、千束はたきなの期待通り避けた。
千束が床に倒れ込む隙に部屋に入ると、奥に走った。
すぐに千束が追いかけてきて、ターゲットの男とたきなの間に割って入る。たきなが走り際に打った一発は、千束のカバンに止められてしまった。
だが、勝負はここからだ。
「あんた、何者?」
千束がドアで挟んだ腕をさすりながら低い声で言った。男は千束の後ろで銃を手にして立っているが、構えから素人とわかる。もっとも、そうやって相手を油断させる作戦かも知れないので油断はしない。単純な殺傷力では、千束の銃よりも男の持つ銃の方が危険だ。
部屋が思ったよりも広いのは幸いだった。千束の必中の距離ではないどころか、千束の腕とあのゴム弾では、慎重に狙っても当てるのは難しいだろう。
千束に向けて発砲する。それをカバンで受け止めながら、千束はゆっくりとたきなに近付いてきた。ここで、大半の相手はその場で千束を撃ち続ける。そして、距離を詰められて撃たれてやられる。
たきなは足を使って距離を取った。なるべく動きながら、ひたすら千束に実弾を撃ち続ける。千束はそれを避けながらたきなを撃ったが、たきなの予想通り、狙いはかなり甘かった。いつもより命中精度が低いのは、腕が痛むせいかもしれない。
千束の撃った数を正確に把握しながら撃ち続ける。情報量の差。たきなは千束が使っている銃の装弾数も把握しているし、それがたきなの銃よりずっと少ないこともわかっている。
残り1発になった瞬間に場所を移動して、千束を挟んで丁度男と一直線になる位置に移動した。そして、千束が最後の1発を撃ち終え、マガジンを交換しようとした瞬間に渾身の一撃を放つ。
この一瞬、千束はカバンを防御に使えない。だから、男を護るには身を挺するしか方法がないが、千束は反射的に銃弾を避ける動作が身についている。それに、命大事にの方針は、もちろん自分にも適用される。自分の命と男の命、どちらかを選ぶか答えは簡単だ。
絶対に千束は避ける。それは、相棒を信頼しているからこその一撃だった。