とある黒猫になった男の後悔日誌   作:rikka

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101:ウエスト・ブルー海戦―⑤

「馬鹿な……」

 

 黒猫海賊団の中でも隠密戦闘に長けたという第一艦隊所属艦との交戦指揮を執っていたモモンガ本部准将は、その状況が信じられなかった。

 

「乗っ取りではなく叛意だと!? あれほどの数の海兵が――海賊に!!?」

 

 信じられない一方で、あり得るとも感じてしまっていた。

 

 あの時もそうだったからだ。

 

 希望を失くし誇りも失い、明日すら見えなくなっていた海兵達――今となっては元海兵達が心から信頼を寄せる、あの海賊の姿を思い出す。

 

 どう見ても絶望的だったあの状況から生き残ってみせた海賊、『抜き足』のクロ。

 

 

―― 海兵服にも正義という言葉にも……等しく価値はない。

 

 

 言葉を以って絶望の淵にいた者達を導かんとしたあの少年の姿。

 

 

―― 誰かの役に立ちたいという意思が服に意味を与え、守りたいという意思が正義の二文字を輝かせる。

 

 

―― 海兵諸君、背筋を正せ。

 

 

 もし、身に付けていた黒いスーツの上に絶対正義のマントがあったのならば、歳など関係なく付いていく事に一切躊躇わなかっただろう背中は、今でも瞼に焼き付いている。

 

 そうだ。あの時はまだなかったが、その後彼らの象徴となった三本爪。

 

「押せ! 押して押して押しまくれっ!!」

 

「敵兵を討ち取り、黒猫を――友軍を援護せよ! 銃兵、撃ぇぇぇぇっ!!」

 

 かつて海兵だった者達は、黒いスーツにソレを模した三本線を描き込み、海兵達に襲い掛かって来る。

 

 その指揮を執るのは――

 

「タキ准将!」

「モモンガ本部大佐! いや、今や准将だったか! 久しいな!」

 

 西の海において知る人ぞ知る海兵。

 地区本部や本部に上がらず、現場の仕事とその改善に長い月日をかけていた名将と名高い老兵の姿を見て、反射的に斬りかかる。

 この男さえ討てば、この増援は混乱する。

 だが――

 

「危ない!」

 

 金色に輝く髪を後ろで束ねた黒スーツの女兵士が、黒く染まった弓でこちらの重い一刀をなんなく受け止めた。

 

「――っ、三本爪の猫に九蛇の覇気……親衛隊!!」

「おお、フレア嬢!」

 

 あの事件の被害者にして、今となっては黒猫海賊団の中核として海軍内部の静かな伝説となっている親衛隊の一人も、自分ら海兵と同じような驚愕の顔をしている。

 

「タキ御爺様! もしやとは思っていましたが、まさか貴方が海軍を抜けてこちらに付くなんて!」

「ここだけではない。モグワを強襲しようとしていた新支部長率いる部隊を抑えるために、もう六隻分の戦力がカポネ・ベッジの船と共にそちらの迎撃に出ている」

「じゃあ……計十隻!?」

「安心してくれ、食料を始め物資面はかなり蓄えてある。おかげで皆貯蓄がスッカラカンになったがな! ハッハッハ!!」

 

 海軍から海賊への離反など――それも兵士ではなく名だたる将校の離反なぞ大問題である。

 なんとしても、せめて中心人物であるタキを殺さなくてはならない。

 

 だが、それを守るのは黒猫が誇る親衛隊の一人。

 こちらは自分自身の他に精鋭の大佐クラス五名――うち二人は能力者なのだが、その能力者の二名は今まさに足を射られ、その場に崩れ落ちた。

 目にも留まらぬ速射、さらにその威力を底上げする覇気による一射は、高レベルの戦闘――それこそ新世界の海賊相手に慣れた者でなくては躱す事が難しい。

 

 最大戦力の二人の脱落に驚き、それでも踏み出した三人だが、なお届かない。

 覇気で硬度を下手な鉄棒よりも上げた弓で殴り倒され、放つのではなく手に持った矢で突き刺される。

 

 それで両手が塞がったと見て接近し斬り込んだ最後の一人だが、次の瞬間には矢から手を離し、弓を上に放り投げたかと思った瞬間、いつの間にか手にしていた小剣で胴を斬り裂かれて崩れ落ちる。

 

「なぜだ、タキ殿……っ」

 

 また海兵達を失ってしまった。

 海の平和を守るための兵士が、あるいはその一助になり得たかもしれない者と戦い、斃れていく。

 

「……なぜ、とな?」

「そうだ、なぜ! なぜ海軍を裏切る!? 貴方は代々優秀な海兵を輩出してきた一族だと自慢していたではありませんか!!」

「そうだ。代々海兵だった。曽祖父も祖父も父も――戦死した息子達も、孫もだ」

「それがどうして!!」

「……逆に聞こう。なぜだ?」

 

 

「なぜ、あの孫娘は――幼い頃より海兵に憧れ、入隊したあの可愛い子が、聖地へ連れ去られたのだ?」

 

 

 隙を見せ次第斬りかかろうとしていた手が、止まった。

 タキの側を固めている他の離反兵も、フレアと呼ばれた親衛隊の弓使いも。

 

 

「なぜ、あの子は聖地から帰ってこれなかったのだ」

 

 

「なぜそれに気付いたのが……そして救わんとしたのが海兵の誰でもなく、海賊だったのだ」

 

 

「なぜ、あの子は聖地から骨の一つも還ってこなかったのだ」

 

 

「なぜ――なぜ、たった……たった……」

 

 

 ぐっ、と老兵の言葉が詰まる。

 

 

「たった一枚の紙しか……『処理済み(・・・・)』という一言しか帰ってこなかったのだ」

 

 

 誰もの顔が――特に親衛隊の顔が曇る。

 何かのタイミングがズレれば、自分達がそうなっていたのだろうから。

 

 

「……復讐、ですか。タキ殿」

「わからぬ。もはやそれすらわからぬ」

 

 老兵は泣いていた。

 声を上げず、ただ静かに涙を零している。

 

「確かに憎しみの感情はこの胸にあった。あの海賊連合ですらどうでもいいと思う程に海軍も、守るべき民にさえ興味は持てなかった。己の命にすら……だ」

 

「あるいは、死にたかったのかもしれん。……だが」

 

 

―― 遅れてすまない。海賊、ダズ・ボーネス。総督命令の下、援護に入らせてもらう。

 

 

「だが……あの子の無念を明るみに出してくれた彼は、彼らは――」

 

 

―― すみませんタキ准将、先ほど帰還した船の傷病兵についてなのですが……。

 

―― 今ペローナさん達がお薬とか包帯を用意しているから、詳しくお話を聞かせて欲しいって!

 

 

「復讐と言う焔を胸に燃やし続けるには、あの海賊達の隣は余りにも……」

 

 

―― 命を賭して任務に赴く海兵達の胸に――誇りは輝くのか……っ!

 

 

「余りにも……っ」

 

 

 この静かな気配に、何者かが割り込む気配がした。

 誰よりも早く動いたのは親衛隊。

 

 素早く(つが)えた矢を、自分の後ろ――やけに高い所を目掛けて放つ。

 やけに細く、だが覇気で強化されているために充分な強度を持つ矢が、空中を飛んで来ていた兵士を穿つ。

 それなりに長く海兵をしている自分が、まったく見たことのない兵士だ。

 

「何をしているモモンガ! そのジジィはもう海賊だ! 海賊なら殺せ!!」

 

 気が付けば、増援が集まっていた。

 

「ジムグリ特別中将……っ」

 

 特別中将。

 教官役としてゼファーに与えられた特別大将とは違い、政府からの補充戦力という体の増援のまとめ役の一人が来ていた。

 

「政府の意向に従えない奴はゴミだ! 政府が奴隷になれと言ったのならば人生諦めるのは当然の事! 目を付けられた馬鹿娘が悪いんだよ!!」

 

 老兵の拳が、血が滲むほどに握りしめられる。

 海賊となった海兵達も、それに向き合う海兵達も、

 

「さっさとそいつらをふん(じば)れ! 親衛隊とかいって偉そうにしている奴らを捕まえた奴には天竜人様からの報奨金に加えて政府から金一封が――」

 

 

―― それ以上臭い口を開くな、駄犬。

 

 

 だが、それ以上言葉は続かなかった。

 瞬きのそれよりも短い刹那の間に、その男の首が斬り飛ばされていたからだ。

 

 特別中将の周りで下卑た笑いを浮かべていた兵士達は、未だその笑みを浮かべたまま血を浴びる。

 自分達を率いていた男の首から噴き出す血を浴びて、それでいて理解が追いついていなかった。

 

 その中で鈍くも輝くのは、銀の色。

 鮮やかに首を斬り飛ばした刃の()

 そしてそれを振るうは()の髪の乙女。

 

「クリスさん!!」

「すまないフレア、遅くなった。行く手を遮っていた敵船を落とすのに2分もかかってしまって……あれほど混乱していたというのに……先生に叱られるな」

「いや、指揮取ってたその先生が、いきなりハックさん呼び寄せてあっち行っちゃったからっていうのもあるでしょ……。いきなり敵中で孤立させられて私ビックリですよ」

 

 そして次の瞬間には、下卑た連中の十名近くの首が宙を舞うことになる。

 

 美しい黒髪を後ろで蝶々のようにまとめ上げた双剣の少女もまた、最初からそこにいたかのような自然さでそこに佇んでいた。

 

 

――っ、ひ、ぃ……っ??????

 

 

 指揮を執っていた者の首が飛び、続いて近くにいた仲間が惨殺された事で、補充戦力たちはようやく事態の不味さに――正確には目の前の少女たちがどれだけの脅威なのかに気付いた。

 

 故に、動けない。

 自分が動いても、相手が動いても、死ぬのは自分達だと理解してしまったからだ。

 

「とりあえず状況はふわぁっと理解しました。フレアさん、タキお爺ちゃんを指揮官としてその補佐に回ってくれませんか? きっとその方が効率的だと思います」

「了解です。――お爺様」

「うむ」

 

 親衛隊には副隊長という役職はまだないが、それでもいざという時の指揮役の序列は暗黙の了解である。

 この場でもっともその役に適しているとされるミアキスの指揮に、フレアは即座に従いタキの脇を固める。

 

「そういうわけだ、モモンガ本部准将!」

 

 親衛隊の個の力量の高さを見て腰が引けている海軍勢力とは真逆に、タキ率いる()海兵勢力の士気は極めて安定している。

 高いのではない。

 極めて落ち着いて、己の兵士としての責務を達成しようと構えていた。

 

「……タキ殿……!」

「私だけではない! 今モグワ近海で戦っている六隻、合わせて2377名の兵士達はこの旗に!」

 

 

 

「三本爪の旗に、確かに夜明けを見たのだ!!」

 

 

 

「――っ、迎撃用意!!」

「総員、圧し進め!!」

 

 

「一人残らず海賊(・・)を討ち取る!!」

「敵兵を一掃し、この戦況に決定打を打つ!!」

 

 

 

「「かかれぇぇぇぇいっ!!!!!」」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

(勝った)

 

 戦況を気にしていたハンコックは、思いもよらぬ増援の出現によって『黒猫』の勝利が確実になったことを確信した。

 

(だからこそ、いささか不味い……っ!)

 

 確信したが故に、違う問題が生まれた事に気付いてしまう。

 

(このままでは勝ちすぎる(・・・・・)! 下手すればほぼ全滅させてしまうかもしれん!!)

 

 この戦いにはもう一段階――ギャルディーノ率いる別動隊による()が必要となる。

 この戦いに参加している敵兵士を全て削り切った所で、世界政府戦力は変わらず強大である。

 たとえ大将級を二人倒したとしても――首を取ったとしても、揺るがすことは出来ても崩すことは出来ない。

 

 故に徹底的に士気を削り切る――『黒猫』と戦う事がどれだけ利に合わぬかを知らしめる必要があり、それを敵勢力内に広げるのは他ならぬ敵の敗残兵(・・・)である。

 

(テゾーロやギャルディーノの読みが正しければ政府(・・)海軍(・・)は別組織と考えた方がよい。……恐怖はともかく、下手に敵愾心や復讐心を煽るのは後々の悪手じゃが……)

 

 であるのならば、死傷者を最小にした上で士気を徹底的に挫かねばならない。

 正直な所、そろそろ敵に撤退してもらいたいと言うのがハンコックの本音なのだが、指揮役だったろうゼファーは副総督が討ち取り、残る大将級の赤犬はここで釘付けになっている。

 

(どうしたものか……。いっそ、ここで一度退くか?)

 

 ハンコックはミホークに目配せをする。

 ミホークは自分達の後背に控えている船を一瞬だけ一瞥し、そして小さく首を横に振る。

 

(そうか。……いや、そうじゃな。ここで距離を取れば赤犬の能力による砲撃が来る。対処してみせたとはいえ、危険度が下がったわけではないしのう)

 

 ここで下手に第一艦隊の船が沈めば、あるいは敵の意識を継戦に傾けるかもしれない。

 ハンコックらが悪魔の実を欲したのはそういう事だ。

 能力者という者は弱点こそ多いが、いついかなる時でも戦況を一転させかねない劇物である。

 

「……戦況はこちらに傾いた。残る其方を倒せばこの部隊は崩壊する」

 

(やはり、こやつを討ち取る他ないか)

 

 赤犬を討ち取り、指揮権を他の誰かに移譲させる。

 勝っていた兵数で並ぶ処かすでに逆転し、最大戦力も片方を失っている。

 ここで戦況を決定的な物にすれば、次に指揮権を受けた者は撤退に動かざるを得ない。

 

 そう読んだハンコックは、自身の全神経を『赤犬』へと向ける。

 

「だったら尚更、貴様らを討ち取って士気を上げる必要があるのう!! 『郡鳥火山』!!」

 

 一方で赤犬からすれば、自分が最後の防衛線だと理解せざるを得ない。

 先に黒猫艦隊に向けた火山弾よりも細かく、その分小範囲を面で制圧する技で二人の海賊を焼かんとする。

 

「ようやく本気になったか、赤犬!」

 

 普通の海賊ならば必殺に近いソレを、だがハンコックは物ともしない。

 遠く離れたある島(・・・)では『流桜』と呼ばれるソレを会得した二人にとって、触れれば危うい物でも触れずに干渉することが可能となった。

 

 足に込めたソレを用いて火山弾を足場として急接近したハンコックは、そのまま赤犬目掛けて鋭い蹴りを放つ。

 

 赤犬は避けない。

 

「――ぐっ、が……っ!!!」

 

 いや、避けられない。

 

 元々覇気の才に溢れていたハンコックが、その覇気を進化させただけではなく黒猫の足技を――無音の高速移動術まで身に付けたのだ。

 これに対処できるのは同じ足技の使い手であり、より洗練されているキャプテン・クロ。

 それ以外ではミホークにクリス、そしてあの隠居(・・)くらいのものだ。

 

 反射的に体が動いたおかげで喉元への直撃は避けられたが、それでも肩に黒く輝く足が突き刺さる。

 能力は使わず、全ての気力を覇気に込めた一撃は極めて重く、さすがの赤犬も片膝を突きそうになるが、

 

「大将を舐めるな、小娘ぇぇぇぇっ!!!!!」

 

 海軍本部大将。

 文字通り海軍の最高戦力であり、海兵達にとっての最後の砦はそれでも立ち上がる。

 

「許されんのじゃあっ! 貴様らという悪は! 海軍の敗北は!」

 

 能力によって真っ赤に燃える拳を甲板に叩きつける。

 わずかな間をおいて一気に赤く染まった甲板は赤犬を中心に赤く染まり、ゴポゴポと不吉な音を立て始める。

 

「っ、こやつ!」

 

 即座にハンコックは後方に一度退き、そして空中へと逃れる。

 

「吹き飛べぃっ! 小娘!」

 

 それと同時に赤く染まった甲板が噴火(・・)する。

 大小さまざまな火山弾が吹き上がり、周囲の全てを燃やし尽くしていく。

 

「ぐ……ぅっ!!」

 

 密度の高いその攻撃は、空中へと逃れたハンコックの動きを火弾とその熱量で大きく制限する。

 まごついた瞬間、次の攻撃でさしものハンコックでも被弾を――下手すれば致命傷を負いかねない一撃が来るだろう。

 

 ハンコックは目を皿のようにして、素早く状況を確認する。

 

(親衛隊は……無事! 残存する敵兵を追い込みながら、範囲の外に逃れておる! なら!)

 

「ミホォォォォォォォクッ!」

 

「――承知した」

 

 ハンコックの叫びに、海兵狩りが動く。

 刀を振るい、鋭い斬撃を斬り飛ばす。

 

 ただし、ハンコック目掛けて。

 

「返礼じゃ! 受け取るがよい!!」

 

 それは決して裏切りなどではない。

 かつての対ジェルマ戦にてクロとミホークが即興でやってみせた連携技。

 鋭い斬撃に、わずかにそれを上回る斬撃をかち合わせることによって生じる斬撃の散弾。

 

 かつての打ち合わせなしの即興ではない。

 ハンコックはその話を聞いて、クロと共に何度かミホークとその特訓を行っていた。

 その技の完成度は、すでに当時の比ではない。

 

 ジェルマのクローン兵達を細切れにした時より鋭く、より密の詰まった散斬が赤犬の頭上に降り注ぐ。

 

「ぬ……、ぐ……あぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあ゛ぁぁぁっ!!!」

 

 当然覇気を纏ったそれらを完全に回避するには、部分的な自然(ロギア)化だけでは間に合わない。範囲外に逃れるしかないのだが、それを許す隙を作るほどハンコックもミホークも甘くはない。

 

 散斬の元となる斬撃の直後に、本気で斬り飛ばすつもりの一撃を赤犬目掛けて同時にミホークは放っていた。

 届かぬだろうとミホークも確信していたその一撃は、だがその対処のために赤犬の次撃を確実に一手遅らせていた。

 

「ハンコック――っ!」

「分かっておるわ!!」

 

 今度はミホークが静かに『海賊姫』へと呼びかけ、それに彼女は答える。

 

「っ、大噴――」

 

 海賊は分かっていた。

 

 攻撃が来る。

 確実に宙を駆ける海賊を焼き焦がすための、必殺を狙う一撃が来る。

 

 海兵は分かっていた。

 

 それを撃たなくては、負ける。

 それゆえに赤犬は、ボア・ハンコックがいた辺り――その近辺全てを覆い尽くすほどの回避不可の一撃を放とうとする。

 

 仮にミホークからの斬撃が来たとしても、それを受けて肉を裂かれようとも、なお放たねばならない覚悟の一撃を。

 

 間違っていない。

 赤犬のその判断は極めて正しかった。

 

 だが、黒猫を相手にするには余りに速さが足りなかった(・・・・・・)

 

 

 ボア・ハンコックが感じる全ての物の流れが遅くなる。

 本来ならば目に映るはずのない空気の動き、風の流れまでが感じ取れるほどに、全ての感覚速度が緩まった。

 

 

(――受けよ、赤犬!)

 

 

 言の葉として外に出すには余りに早すぎるのだろう加速力を、海賊姫はその支配下に置いていた。

 

 無音にして目視すら難しい高速歩法。抜き足。

 クロの異名であったそれを物にしたハンコックは、これまでその身になかった戦い方を習得するに至った。

 

 どこまでも早く。

 どこまでも速く。

 

芳香脚(パフューム・フェムル)――」

 

 攻撃態勢に入ろうとしていた赤犬の、驚愕に満ちた顔がすぐ目の前にある。

 恐らくは巨大な溶岩流を放とうとしていたがゆえに、がら空きとなった胴体に黒く染まった足が突き刺さる。

 

 まっすぐ、まっすぐ。

 どこまでも真っ直ぐ。

 一直線に、全てが込められた、赤犬の体を真芯に捉えた一撃が。

 

「マグナぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!」

 

 海軍大将に、敗北があってはならない。

 

「お゛お゛ぉっ……!!!!」

 

 ましてや、すでにその片方が墜ちている。

 これ以上の黒星は、海軍組織の沽券に関わる。

 

「のけい! 赤犬!!」

 

 だが、それは海賊も同じだった。

 海軍大将がその背に多くの兵や民を負っているのと同様に、

 

「我らは先へ――先へ進まねばならぬ!!」

 

 海賊もまた、兵や民の命をその背に負っていた。

 

 海賊の足が突き刺さった所から徐々に石化が始まっている。

 身体のマグマ化でどうにか拮抗しているが、だからこそ圧倒的な加速によって威力を増した蹴りに耐えられない。

 

 

「主殿が待っておるのじゃ!」

「…………っ」

 

 

「邪魔をするでない!!!」

「……あ゛ぁぁぁっ!!!!」

 

 一瞬、確かに赤犬の覇気が弱まった。

 

 海賊姫の渾身の蹴りが、遂に赤犬の覇気を貫く。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「!? 総員、右舷より退避!!」

 

 真っ先に気付いたのは弓使いのフレアだった。

 右舷側の向こう――燃え盛る敵旗艦から何かが飛んで来る。

 

 あるいは砲弾かもしれないと判断し、即座に叫ぶ。

 

「! 退避、急げい!!」

 

 指揮官であるタキの改めての指示の下に、兵士達は素早く右舷側から離れる。

 

 轟音が響いたのはそれと同時だ。

 砲弾の直撃のような爆発音に近い音が衝撃と共に響き渡る。

 

 埃や木片などが飛び散って出来た靄が、徐々に晴れていく。

 

 それを見て、誰もが――海賊も海兵も目を見開いた。

 

「そ、そんな馬鹿な!!」

「大将赤犬……が……」

 

 赤犬だ。

 身体の半分が石となった大将赤犬が、倒れていた。

 

「お゛……お゛ぉぉぉ……っ!」

 

 いや、立ち上がる。

 石化した部分をマグマ化させ、徐々に体を再生させていく。

 

 その前に立ちはだかるのは親衛隊。

 クリス、ミアキス、そしてもう一人――頭にピンクの柄のバンダナを巻いた少女の親衛隊が刀を抜いて他の兵士達の前に立つ。

 

 後方のタキの隣では、フレアが矢に覇気を込めて弓に番え構えている。

 

「ぉ……のれ……ぃ」

 

 赤犬は、その者達を、立ちふさがる海賊達を睨み――膝を突いた。

 

「モモンガ……ぁ」

「――ハッ」

 

 荒い息を吐く赤犬の言葉を聞くために、駆け寄ったモモンガ本部准将が同じように膝を突いて耳を傾ける。

 

「……兵を……退かせい……」

 

 

 

「わしらの……負けじゃあ……」

 

 

 そして、最後の気力を振り絞り石化を完全に解除し終えた赤犬は、

 

 

 ついに、その場に崩れ落ちた。

 

 

「――っ、御爺ちゃん! ハンコック提督がやってくれました!!」

 

 ミアキスの叫びに、呆気に取られていた老兵は我に返る。

 

「ハンコック提督により、赤犬は敗れた! もはや敵勢は濡れた紙も同然! 一度(ひとたび)突けば容易く崩れ落ちる!!」

 

 

 老兵の叫びに合わせて、ミアキスが後方の兵士達に合図を出す。

 

 

「敵残存兵を掃討し、この海域より海軍を追い出す!!」

 

 

 それを確認した兵士が、素早くこの船に旗を掲げる。

 

 日輪の輝きに照らされた、三本爪の猫の旗を。

 

 

「踏みつぶせぇぇっ!!!!」

 

 

 そしてそれを守る、身食らう蛇の旗が潮風を受けて雄々しく靡く。

 

 モモンガ准将の号令により、海兵が皆、まだ無事な船を目指して海へと飛び出す。

 脱出用に吊るされたボートには気を失った赤犬を抱えた兵士達が急いで乗り込み、脱出を急ぐ。

 

 

 この西の海にて突如として起こった大戦――西海大戦が終結、黒猫の完全勝利が決まった瞬間であった。

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