(側砲がわざわざ外されている?)
突如として現れた応援の大艦隊に、メルセスは強い違和感を覚えて観察していた。
本部主力の証であるガレオン船五隻、そして大将青雉を先頭に続々とたどり着く艦隊戦力。
その全てに、本来あるべき側砲――左右舷の取り付けられた大砲がわざわざ外されていた。
(外した理由は? 少しでも軽くするため……いえ、他の島ならともかくこの魚人島は本部のすぐ側にある上に入り方も特殊。重量はさほど関係ない。他に理由があるとすれば……)
海兵達が自分達の乗っている船目掛けて全力で走っている。
大海賊『黒猫』と大将『青雉』の戦いの余波に耐え切れず、最前線にいた見張りの兵士達が全力で逃げているのだ。
こちらには一応救護陣地があるからだ。
(あるとすれば、積載量……でしょうか)
「メルセス!」
「ハッ、モイラ様」
「これはどっちなの!? マシなの!? 不味いの!?」
「……まだなんとも。しいて言うならば、被害が拡大する前に前線を後退させるべきかと」
睨み合いが続く事には変わりない。
直接的な暴力沙汰のことにメルセスは疎いが、その素人目でも大将青雉と黒猫の戦いは押され気味に見えていた。
ここで大将が敗れれば更に士気は下がるが、それでも状況を拮抗させるには十分すぎる兵力が続々と集結しつつある。
もしここで戦いの余波がもう少し小さい物であれば、敵船ならびに防衛陣の包囲も容易であっただろう。
「ああ、もう! 男共は肝心な時に限って棒立ちで……っ! そこのボンクラ! 船の陰でガタガタしてる連中の尻蹴り飛ばして防衛態勢整えさせなさい! 板でも土嚢でも、なんでもいいから冷気を少しでも防げるもので兵隊の前に簡単な壁を!! 怪我人は船の中に入れて! 毛布もありったけ用意しなさい!! 軍医も全員叩き起こして!!」
舌打ちしそうな顔のまま敬礼する将校と佐官達にモイラ女史が指示を飛ばして走らせる。
船の中にいる将校達には、大将青雉が来た時点で自分達の戦場である意識が薄れているのだ。
(投入されている兵員の装備に変わった所はない。兵士じゃない一団が見られますが……)
(ともかく数も本部船の搭乗兵数とさほど変わった所も見られない)
(……ならば側砲を外したのは……なにかしらの物資をより多く積むために?)
この状況下で、わざわざ魚人島に運び込まなければならない物。
見ていると多くの本部兵士が青雉の後ろを固めている。
天竜人が囚われている船ではなく、その後方を確実に。
(……連絡手段を碌に持たないままの魚人狩り。この混迷の状況下で統率の取れない天竜人。……本部はキャプテン・クロが魚人側に参戦していることを知らない。天竜人の回収だけならば大将戦力の投下だけで済むと考えるハズ)
にも関わらず大量の人員と物資を送り込んだ。
そこから本部の――その命令を下した政府の真意に気付き、メルセスは眉を顰める。
(この状況下で魚人島の制圧。つまりは海の封鎖と分断。それが意味するのはすなわち……政府は本当に、世界を今一度敵と味方に割るおつもりなのでしょう。ですが……)
メルセスの予想した通り、本部兵士達が船から何かを持ち出している。
車輪を付けた大砲の数々。簡単な柵に防御幕。
天竜人の救出だけならば必要ない過剰な武装の数々。
それらを青雉が戦っている後ろで展開しているという事は、そちらのほうが重要だという事だろう。
(この戦場においては、それが悪手となりましたね)
メルセスは思う。
もし、全兵力を後方の確保ではなく包囲に使っていれば、あるいは黒猫を敗走。上手くいけば捕殺する事も可能であったかもしれないと。
その結果の好悪はともかくとして、あるいは勝てたかもしれないと。
だが――
(サー・クロの最も恐ろしい所はその戦闘力ではなく、統率と人材の育成におけるずば抜けた才能)
本来ならばもっと乱れていたハズの魚人達が、雑とはいえ新兵のように陣を守って作戦行動を行うようになった。
それだけでも海軍は攻め手を失っていたのだが、もっとも海軍が状況の解決に強引な手段を取れなかった――つまりメルセスが強硬手段をあきらめた最大の理由があった。
(その才能が、もっとも戦況を支えている彼女を生み出した。私とそこまで歳の変わらないあの女性海賊)
前線でクロに似た蹴り技を駆使して兵士を倒し、クロの作戦や思考を読んで最善を尽くそうとする優秀な前線指揮官。
最初の船による奇襲以降目立つ働きこそないが、それでもたった一人。そのたった一人の存在が自軍と魚人勢に大きな差をつけている。
大砲の音が響く。
何度も何度も、氷塊が蹴り砕かれる音に隠れて何度もだ。
その発生源はこちら側ではない。
雉と猫が戦うその向こう側。
指示が届きにくいのもあって、徐々に兵士を下げさせていた城下町の方だ。
「サー・クロにも指示を出す時間はなかったハズ。であれば自己の判断でこちらの指揮系統の乱れを察し、浮き駒となったその瞬間を狙いましたか」
「……お見事です」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
深い闇に包まれたリュウグウ王国城下町に、大砲の砲火が瞬く。
それに伴い轟音が響き、魚人達が鬨の声を上げている。
特に意味のない言葉の、だが怒りと勝利の叫びを。
―― 馬鹿な! 魚共の軍勢がいつの間に!?
―― 大将が来てる戦いでなんでこっちに来るんだよ、ちくしょう!
―― 側面を突かれている! 大砲撃ち込まれても盾になる物がねぇ!!
―― 退避しろ! こんな海底で死ぬのなんてごめんだ!!!
予想だにしていなかった砲撃に逃げまどうその海兵達を、静かに観察している一団が居る。
「……まさか、本当に数発撃ち込んだだけで陣地すら放り出して逃げ出すとは」
「ただでさえ指揮から外れ気味の留守番役。しかも碌に戦場にならないまま徐々に撤退の方向性に動いていた小部隊の寄せ集め。予想通り、突然の事態に対処しきれない連中だったわね」
ヒナとその指揮下で動いていた魚人兵士達である。
少数精鋭の魚人兵士達が、全力で鬨の声を上げながら砲撃を加え威嚇している。
「にしてもありがとう。アラディンだったかしら。よく小型とはいえ大砲を通せるような裏道を知っていたわね」
「なに、魚人街からたまに出て来るスリや盗人小僧共を追いかけている間に、よく隠れられる場所を知っていたからな」
ヒナがやった作戦は単純な物である。
城下を占領している兵士達の目をかいくぐりながら大砲を運ばせ、もっとも無防備な方向から砲撃を加えてから、連れて来た魚人達に出来るだけ大声で叫ばせて大軍を偽装した。
言葉にすればただそれだけである。
「だが、こちらが少数だと気付けば敵兵士が戻って来んか?」
「可能性は半々。士気が低くて統率が壊れ、しかも孤立しかけていた連中はなるだけ大勢がいる所に留まりたがる」
「……クロの教えか?」
「海兵相手じゃなく、対海賊用のだけどね」
本来は街などを占領した敵を散らすために組まれた戦術の一つであった。
今回は大砲を使ったが本来は銃撃による奇襲を組み合わせた偽装で大軍を装い、敵勢の守りの態勢を切り崩す。
立ち上げたばかりの頃の『黒猫』という少数海賊団に於いて、親衛隊という少数精鋭の部隊とほぼ素人の兵士を使っての制圧戦の研究は極めて重要な課題であった。
マフィアや海賊といった敵組織の
その矢先に待っていたのはミホークだったが。
「皆、急いで篝火を焚いて! 火を付けて陣に待機している兵士達を呼びこんで退路を確実に制圧するわ!」
事前に作戦を聞いていた兵士達は、指示が出る前からさっきまで海兵達がいた大通りに次々と篝火を焚いて、新世界側への退路を照らす。
逃げる者のほとんどは魚人。船出を待つ必要はない。
海にさえ飛び込んでしまえばそのまま逃げだすことが出来るのだ。
だからこそ、この一番安全に魚人達が退避できる大きな道を確保することがクロへの最大の援護になる。
今の自分に出来る最大の戦術効果を確保できると、ヒナは読んだのだ。
(思いっきり退路を照らしてやれば、あの王様や駄々捏ねてる魚人達も腹決めるでしょう!!)
物資が限られている中、燃やせるものは何でも燃やして篝火にしていく。
炎の光で道を照らし、逃げ遅れた海兵が隠れたり潜んでいたりしてそうな場所を魚人達が念入りに確認していく。
また違う魚人の一団は可能な限り高所を確保し、周囲の状況を確認する。
「おい! 嬢ちゃん!」
見張りをしている鱈の魚人が叫び声を上げた。
ヒナの口元が一瞬だけ引き攣る。
「戻って来たの!?」
「ここにいた奴らじゃねぇ! 本陣の端っこにいた海兵達が来やがった!」
「クソ……ッ! アーロン君!!」
これまでの人生で一度も口にしたことのない悪態を吐いて、ヒナが信頼できる戦力に配置を呼びかける。
「先頭にいるのは……ありゃあ、昼間にジンベエさんが相手した奴だ!!」
――
「――っ! 退避!!!」
ヒナの叫びに、だが兵士でもなんでもない力自慢の職人でしかないその魚人は対応できなかった。
『ボーン
だから咄嗟に、ヒナは飛び出した。
見張りの魚人目掛けて一直線に飛んで来る斬撃の前へ。
触れる物を一直線に断ち切る、これまでヒナが見て来た
(意識するのは硬化じゃなくて! 血液のように身体を流れる力を一部で膨らませて加速させるように!!)
右足に渾身の覇気を込めて、ヒナがそれを蹴り飛ばす。
クロの部下である元九蛇の女海賊直々の指導に加えて、時折クロにも習っていた覇気を込めてだ。
ワイングラスを叩きつけて割った時のような轟音が響く。
ただ真っ直ぐ飛ぶ斬撃を、ヒナの蹴りがその場に押し留めたその衝撃で見張りの魚人が吹き飛ばされ――
「あぁ――っ!!」
一撃の重さの差が違い過ぎた。
斬られかけていた魚人が斬撃の範囲から逃げたのを確認した時に、わずかに気が抜けたのもあった。
斬撃がヒナの体を覇気ごと吹き飛ばす。
「小娘! 体の力を抜け!!」
そして地面に叩きつけられそうになった所を、とっさに飛び出したアーロンが受け止める。
斬撃の威力が相当な物だったのか、抱き留めたアーロンも体勢を崩すが上手く転がり、どうにか無事にヒナを保護する。
「無事か!?」
「ええ。また小娘呼ばわりした事に物申したい所ではあるけど……ありがとう、アーロン君」
魚人の体は頑強だ。
その中でも特に身体能力に優れているサメの魚人であるアーロンの身体には、地面に叩きつけられ転がされても傷一つついていない。
そのアーロンに支えられながら立ち上がったヒナは、斬撃を飛ばしてきた張本人に目をやる。
「……Tボーン少佐」
「ヒナ伍長。そうか、海賊に攫われたと聞いて心配していたが……魚人側に付いたのか」
彼らの目の前にいたのは骸骨のようにやつれた、だがそれでも鍛えられていると分かる身体を持つ海兵。
「テメェ、前の戦いでアニキの邪魔しやがった……っ」
Tボーン本部少佐。
先の攻防戦に於いて、天竜人を守るための防衛陣を崩す事を目的にしていたジンベエ率いる別動隊を足止めした強者。
本部戦力が投入されるまでは、恐らく海軍勢の中でも最高戦力の一人だった存在。
「引いてくれないかしら、少佐」
「……私は軍人だ。命令には絶対に従わなければならない」
「百歩譲って政策のための物ならともかく、バカのバカげた我儘のためのバカな命令だと分かり切った上で?」
なによりも、本部の将校から『海兵の中の海兵』と将来を期待されていた男であった。
実力はすでに佐官クラスを超えているのだが、弱者を直接救えると現場にこだわる程の正義感を持つ好漢。
その顔が、本当の骸骨のように痩せ細っている。
表情も硬く、ヒナが噂に聞いていた姿からはかけ離れている。
(足音多数、だけどそれほど揺れも圧も感じない。せいぜい三十人ほど。……私達が襲った兵士達を助けようと手勢を引き連れて駆け付けたって所かしら)
「少佐、こちらの目的は魚人を引き連れての撤退よ」
反応こそないが、少なくとも攻撃に移る気配はなかった。
「このまま攻撃が続いて本部戦力を加えた大軍による包囲網が完成してしまえば、多くの魚人が奴隷にされるわ。何の罪もないのに」
「…………」
ヒナが後ろ手で制すると、隙あらばTボーンや追いついてきた海兵達に襲い掛かろうとしていたアーロン達魚人勢が数歩下がる。
間合いが空いた事でTボーンも少し余裕が出来たのか、周囲をチラリと一瞬だけ一瞥する。
篝火の炎でぼんやりと、だが赤々と照らされている広い道――新世界側へと通じるそれを見て、Tボーンの剣を握る力が緩む。
「ヒナ本部伍長。本当に魚人島を放棄し、撤退するというのであれば――」
Tボーン少佐が紡ぐ言葉を遮るように、突如として鬨の声が響く。
魚人の物にしても、Tボーンに続いて走ってきた兵士達の物にしてもあまりに多すぎる。
「――っ! しまった、見張りを」
Tボーンという大戦力に気を取られ、応戦したヒナ達はもちろんほぼ全員が彼らに気を取られ過ぎていた。
―― いくぞ野郎共! 天竜人を傷つけた罪人だ、一人頭の賞金だってかなりのもんだ!
―― おまけに魚共だ! 高くつくぜぇ!!
―― 海兵共はどけ!! 分け前が減るだろうが!!
先に海兵達が撤退した方向から、クロとクザンの戦闘の余波を避けて殺到している戦力に気付くのが全員遅れてしまった。
それぞれがバラバラに武器を持ち、服装もバラバラの、明らかに海兵ではない集団だ。
「なによあの下品な奴ら! まさか本部戦力とか言わないわよね!!?」
「
帽子やコート、バンダナなど、身に付けている衣類のどこかに世界政府の象徴であるマークを入れた、だがどう見ても
「アーロン君! 迎撃用――」
ここで一刻も早く敵勢を撃破しなければならない。
そうしなければ一度追い出した海兵が再び殺到し、退路を完全に塞がれてしまう。
だが指示を言い終わる前に。
アーロン達魚人戦力がTボーンを無視して走るか悩んでいる間に。
『――ラップ!!』
どう見ても海賊にしか見えない一団。
その先頭を走る者達が、突如起こった爆発によって吹き飛ばされた。
『親衛隊抜刀! 前へ! 敵兵を排除し、兵の展開を急がせる!!』
『第二隊は魚人達の前に出よ! あの一団は明確に魚人を狙っておる!!』
いつの間にか近づいていた、刀を主とする得物を手にした黒いスーツの一団によって、その後ろに続いていたならず者たちが斬り払われていく。
さらに、やはりスーツに身を包んだ老兵が兵士達を指揮し、手際よく部隊を展開させていく。
『また面倒くさい戦況だな……。おい、退路を確保するぞ。手を貸せ』
『そういう仕事は大得意だ。任せて欲しいガネ』
更に殺到しようとしていた海賊モドキたちの進路に、突如湧き上がった砂嵐の砂を巻き込んだ巨大な
ヒナが、自分や魚人達を通り過ぎて展開されていく部隊の動きを数秒だけ呆然と見送り、
「やれやれ、戦いが起こっておる事はマルコ殿から聞いていたし予想もしていたが、随分と混沌とした状況のようじゃのう。しかし……」
突然自分の背後から聞こえた声に、咄嗟に振り返る。
「一応は間に合ったか」
ホロホロと笑っている幼女を横に置いて、そして横に並ぶ二人のとてつもない強者達と共に真剣な目で戦場を見渡している黒髪の美少女が――『海賊姫』が立っていた。
「ボア・ハンコック!!」
「うむ」
「ヒナ。其方が無事でなによりじゃ。そして――」
黒猫海賊団、第一艦隊提督は「すぅ……っ」と息を吸い込み、
「来たぞ! 主殿!!」