「お父様!!」
「おお、テレーズ。そんなに慌ててどうしたのじゃ?」
非加盟国の中でも特に小国で、ほぼ都市国家と言っていい小国の城の中にその王と姫の声が響いていた。
「私の黒猫領への出立を取りやめるとは真ですか!?」
「うむ。向こう側からそう提案されたのだ。……あぁ、案ずるな。旗こそ借りられなんだが、艦隊の哨戒航路に入れてくれると約束してくれた。かの黒猫の言葉ならば大丈夫であろう」
グリンヒルという国に、武力はほぼなかった。
あって精々警察を兼ねた自警団程度。軍と呼べる規模にはほど遠い集まりしかなかったのだ。
それが国体を保てていたのはとあるマフィアが後ろ盾となっていたためであり、年に数名女子供を渡す事で国を守ってもらっていた。
だが一年前に、突然そのマフィアが消えたのだ。
海軍の大部隊によって、完膚なきまでに叩き潰されてしまった。
後にそれが海兵奴隷事件という未曽有の大事件に関わっていたためだと知ったが、国を治める者からすれば大騒ぎになった。
突然国の安全を保障する後ろ盾が消えてしまったのだ。
そしてその直後に発生した海賊連合事件。
多くの国が滅び、あるいはそうなってもおかしくない程に全てを奪われた忌々しき災害。
加盟国には海軍がある。
だが非加盟国は、自前でどうにかするしかなかった。
もはや、亡国の未来が現実味を帯びていたその時に、海軍と手を結んで非加盟国の数々を救った旗があった。
もはや西の海で知らぬ者はいない、三本爪の猫の旗が。
「あの黒猫が、直々に??」
「うむ。……近々、政府を相手にした大規模な作戦を展開するらしい。その際に万が一があってはならぬと、計画を見直すため無茶をしなくてよいとな」
グリンヒル王は、いかに恩がある存在とはいえ娘を海賊に渡す日が遠ざかった――あるいはなくなるかもしれない事に安堵の様子を見せていたが、
「いけません、お父様!!」
一人娘のテレーズは、父が取ろうとしたその選択に顔を蒼褪めさせていた。
「今すぐ黒猫の下に参ります。どうか急ぎ船の支度を!」
「ど、どうしたんじゃテレーズ。黒猫は構わないと――」
「違います! これは
グリンヒルに産まれた三人の王子達は皆心優しく、いい王族になると民に期待されていた。
一方で一人娘のテレーズは、その聡明さから姫であるのが惜しいとされるほどの才女であった。
「わざわざ政府を相手にする作戦を伝えるということは、黒猫は本格的に世界政府と袂を分かったという証であり、その喧伝です!」
ゆえに、この状況が自分達――グリンヒルのような小さな非加盟国にとって致命的な事態に発展しかねないと気付いてしまった。
「そんな状況で人質も出さなくてよい、自由にしてよいというなど、庇護を求める国がどれだけ黒猫に重きを置いているのか。世界政府を相手に引かない同盟国たりうるかを見極めるためとしか思えません!」
ゆえに、ただただ目を白黒させているだけの――優しくはあってもそれだけである父への苛立ちが募っていた。
「無償で手を貸してくれる国や組織などどこにもないのです、お父様! 騎士にして名君と名高いサー・クロでも――いえ、だからこそ意図は明白です!」
今という危機的情勢――天竜人の暴走から始まった各地の状況を理解していない。
何が起こったかは知識としては知っており、だからこそ黒猫の庇護を求めたのだがその判断を下した所で止まってしまっている。
「し、しかしクロ殿はこの国を無下にしないと――」
「それだけです。哨戒などを行い、守ってはくれるでしょうがその労力は最小限のもの。当然です。この乱世で、ただ守ってくれとしか言わぬ者に割ける労力などたかが知れています!」
なまじ黒猫海賊団の影響力で西の海が比較的落ち着いているため、グリンヒル王は実態を理解していなかった。
もはや賊だけを気にしていればいい時代は過ぎ去り、戦乱の世界に突入したという事実に目が行ってなかった。
「この国がもう少し身が大きく、国力があれば話は違ったでしょう。問題が海賊だけであれば、風見鶏もあるいは許容の範囲内であったかもしれません。ですが、今や世界は大乱の中にあるのです!」
たとえこの国が略奪には旨みのない国だったとしても、戦争という特殊な状況では果たしてどう見られるか分からない。
ともすれば、ちょうどいい場所にあった土地という理由でどこかの勢力に制圧され、民を使い潰されかねない。
「その中で強大な武力を持つ勢力から距離を取られる事は亡国に直結します! このグリンヒルのような小国にとって、有事が起こってしまえばそれだけで致命的なのです!」
より信頼できる勢力に付き、その覇道を全力で支え存在を認めてもらわなくては容易く国が滅びる時代になったのだと。
「今すぐ私を黒猫の下に向かわせてください。そもそも世界政府はおろか海軍すらあの有り様であり、他に頼れる国家などどこにもないのです。黒猫以外に我が国の存続を賭けられる組織がどこにあると言うのですか」
それこそがテレーズが抱く危機感であり、少々深読みが過ぎたとはいえ海賊クロの狙いのおおよそを読み切っていた。
「し、しかし何もお前がいかずとも……なにか別の――」
「このグリンヒルに黒猫の活動に協力できるだけの兵力が、厚意に値させられるだけの食料物資がありますか?」
「それは――」
テレーズも、この国の中だけで生きていけるならばそうしたかった。
「ならばせめて、王族である私が赴かねば不足でしょう」
ただ、自分がこの国の王族であるという自負もまた根強かった。
「お父様、今すぐ船の用意と……ええ、出来るだけの木材も積み込ませてください。これから戦いが始まると言うのであれば、多種多様な使い道のある木材は多少でも食料に次いで喜ばれるでしょう」
「……なんとか、話し合いだけでどうにか出来ないのか? お前は私とオレリーの可愛い――」
「いいえ。出来る出来ないではなく、これは義務です。お父様」
「――国を治めてきた一族としての義務をどうか、この身に果たさせてください」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「主殿。先の伝達の後に、それでもどうか姫を――あるいはせめてみかじめ料だけでも受け取ってもらいたいという国が出ておるぞ」
「……こっちの意図をある程度読み取ったのか、それとも貸し借りの天秤を重視する者がいたか……なんにせよ、悪い話じゃない」
黒猫海賊団の長として一刻も早く決めなくてはならなかったのは、無論こちらの庇護を求める国家への対応だった。
庇護するのはいい。
それ自体はほぼ決定事項だったが、問題はどれほど力を貸すかだ。
組織を拡大する以上各国の協力が必要だが、それで中途半端な覚悟の国にこちらの施設なり基地を建てて情報を抜かれるのは面白くない。
抜かれていると分かればいくらでも利用してみせるが、そういう連中を守るという事に意義を見出せない兵士も出てくるだろうし。
なにより、兵力が爆発的に増えたとはいえ、全ての島に基地を建てて駐留させるには全然足りんのだ。
(優秀な国の指導者が多ければ、ウチが介入せずとも防衛に専念するだけでそれなりの利を得られるな……。うん、悪くない)
「それで、どれだけ出た?」
「庇護を求めていた国二十一のうち、姫を差し出すというのが七、せめてと物資を送ってきたのが五。そして金での払いが三と言った所じゃ。残りの六か国はまだ返答待ちじゃな」
「……意外と多いな。もうちょい遅くなるか、あるいは舐められるかと思ってた」
「30億近い額の主殿を安く見る阿呆がいたら顔を見てみたいモノよ」
いやぁ、それでもいるんじゃねぇかなぁ。
実情は分からんけどまだ動きを見せない国のうちのいくつかとか。
ハンコックの言う通り、額はともかくとして兵力が一万近くなったウチを軽視するのはどうかと思うが……。
(時として、こうあってほしいという願望が気が付いたら自分の中で事実になってしまうってのはどんな人間でもあり得る事だからなぁ。まぁ、ゆっくり見極めるか)
「にしてもクロ、各国の姫さん達はどうするつもりだ? 本当に嫁だの妾だのにするのか?」
「んなわきゃねぇだろ。そもそも出来るならば、誠意だけ確認したとして送り返したいんだが」
「馬鹿言え、出した国からすりゃ担保だろ。返したらむしろ不安に思うぞ」
「だよなぁ」
しばらくの間はここモプチで本格的な薬草畑を作ったり効能を確認するために残ったペローナが、『野草による民間療法とその歩み』という本をめくり、時折何かをメモしながら聞いてくる。
「……どうするかな。いやマジで」
「普通に置いておく、では駄目なのか? 世話役や護衛で人を割くのに苦心するのは分かるが、一番妥当じゃと思うが」
「ん……。テゾーロやギャルディーノとも話し合ってるんだが……」
テゾーロは現在、受け入れる事が決定した姫さん達の出迎えの段取りで走り回っている。
「いっそのこと、各国の交流を主軸にしてそれぞれの作法や文化を学ぶための女学校でも作ろうかって話が先日までの最有力」
「? 聞いた感じは悪くねぇと思うんだが、なにか問題でも?」
そう、悪くないんだ。
黒猫との繋がりを強めるのはいいんだが、俺達としては同時に各国同士の繋がりも強めて欲しい。
幸い対立らしい対立がある所は少なかった。
いっそのことこれを機に、各国が経済的な繋がりでも結んでくれれば御の字と言えるし、それでアレコレ段取り考えていたんだが……。
「……互いの事を学ぶための学校だろ?」
「? そうじゃな?」
「で、こっちに送られる子達って同世代が多いわけだ」
「言っちゃなんだがお前への貢物だからな。そりゃ年齢は合わせるだろう」
うん、つまり十五歳前後が多いんだよ。
下は十三歳、上は今の所十八歳。
つまり相当多感な時期の子達が、よりにもよってストレスフル確実な海賊の本拠に来るわけで――
「で、その上で共同生活になるよね?」
「そうじゃな」
「……派閥形成からのイジメや対立のコンボが怖くて……」
「あ、あぁ……あぁ~~~~~」
あるいは起こり得る、各国の関係に罅を入れかねないイベントは絶対に回避したいのだ。
少なくとも今は。
駆け足で西の海を纏めて
「アミス達親衛隊でも、派閥は出来ちまってるもんなぁ」
そのとおりだ。
……なんといえばいいのかな。
アミスを中心とする文武両道派。
クリスを中心とする超武闘派。
トーヤを中心とする穏健派……と言った所か。
(幸いアミスにクリス、なによりトーヤが中心になって上手い事噛み合わせているから問題にはなっていないが……)
突然集まった姫様達に常に監視を付けるわけにもいかないし、かといって彼女達の中にトーヤのような優秀なバランサーがいるとも思えん。
一歩間違えば両陣営から叩かれるんだ。バランサー役というのは滅茶苦茶難しいし、長続きする物でもない。
「やっぱ一定期間のみ預かって式典への参加のみを要請、定期的に帰って頂く――というか、来て頂く形にするのがベターか」
「……
いやぁ、お前さんも陸軍乗せた艦隊率いて勢力圏内の王族のご機嫌取りしながらこちらの計画通りの駐屯地確保を成功させてるし、十分やってくれてるよ。いやマジで。
もうちょい状況が落ち着けば、テゾーロがクロコダイル共々内務に関しての勉強会に招きたいっつってた程だし、十分すぎる。
「ホロホロホロ。そういや、例の拾った二人はどうしてる?」
「ミホーク&レイリー相手に毎日戦ってるよ。いい刺激になるって喜んでた」
「…………あれを楽しめるのはやべぇな、中々」
ね。
まぁ、満足しているならば十分だ。
ウチは他の海賊団に比べて少し毛色が違うから、退屈しないかちょっと心配だったから。
「もう少しウチに慣れたら、ミホークとロビンの所に付けて予備戦力兼労働力として働いてもらうか」
「ついでに食料作らせたらどうだ? クラッカーの奴、いくらでもあの美味いビスケット作れるんだろう?」
「却下。ミホークみたいに土地そのものを開発して民衆に受け渡すならともかく、能力に100%頼った食料なんざ日ごろからアテにするわけにはいかん」
ミホークも同意見だったからな。
救荒の対応策の一つとしてならありだが、まずはギリギリの所まで民衆と共に土地を切り拓かなければ意味がない。
民衆や現場の将校、兵士には少々酷だが、時として共に飢えを経験したという事が武器になる事もある。
まだ民衆の意識がこちらに定着していないスーペリア・リガロならば尚更だ。
「例の島の件もある。確かに希少な能力だが、俺達にとって食料面よりも無数の労働力という方が価値が高い」
「スーペリア・リガロにキャネットを一気に耕して、夏までに穀物と飼料を一気に確保する……か」
「穀物に余力が出れば、畜産にもより物を割けるようになるじゃろうな」
「そうだ。そこまでいけばミホーク達をフリーに出来る。そうすれば、今度は
「……金獅子の島か。確かに、今はイッショウやハック達が動いているが、より多く信頼できる人足を送り込みたい所はあるのう」
「ホロホロホロ! 話を聞いた時はビックリしたがな! まったく――」
「
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「イッショウ殿も済まぬな。長時間の能力の発動はさぞ疲れただろう?」
「いえ、むしろ下手したら潰されかねない中であっしを信じて海の中で活動してくださった魚人の皆さんこそ、さぞ肝を冷やした事でしょう。本当にお疲れ様でした」
かつて金獅子が文字通り
フワフワの能力を用いて一度浮かされた島は、だからこそ今一度浮かんでいた。
先ほどまでは、イッショウが用いた重力操作能力によって。
今は、海の底を潜るコーティング船が『浮き』として用いるほど強い浮力を持つ、ある特殊な木材の力を借りて。
複数の錨を用いて海底に繋いでおかないと流されてしまうくらいに、海の上に確かに浮いていた。
「これで一応は船として機能したんでしょうか?」
「いいや、まだだな」
魚人島攻防戦の後に島を捨てる事になった魚人達の多くは、大臣の監督下で白ひげ領内で生活圏を作り始めている。
だが全員ではない。
王の親友である『白ひげ』ではなく、あの時確かにその目で見た『黒猫』の勢力拡大に力を貸そう。
そう判断した魚人も少なくなかった。
「今は外周部を『クウイゴス』の木で作った梁で囲って浮かせた上で、海面下の土砂が崩れ落ちないように木材と油網で覆った所だ。これに見合う竜骨を作って、メンテナンス用の側溝も備えた船底部を作っていく。……イッショウさんには悪ぃが、明日も長く、しかもやや高く浮かせる必要があるな」
「へっへっへ、ソイツには及びやせん、デンさん。あっしは能力を使うだけですが、皆さんは積んで来た技術を使い難しい作業をされるんですから……どうかあっしの事はお気になさらず、必要な事を注文なさってくだせぇ」
特に職人にはその手の魚人が多く、デンというオオカミウオの人魚のように大工として手腕を振るう者達は、海の底では決してお目にかかれなかっただろう大仕事に目を輝かせていた。
いや。海の上にいたとしても、黒猫の下でなければこんな馬鹿げた大仕事は決してなかっただろう。
「もうお聞きでしょうが、クロさんはここの半分を魚人さん達の街にしたいと言っていやした。であるのならば、実際に住まう皆さんにとってここが万全の島――いえ、船でなくては先が不安でございやしょう。遠慮はいりやせん」
文字通り、魚人の街にもなりうる大舟を作るという大仕事だ。
一度避難した先で目にした、あの蒼い魚人の街。
シャムロックに匹敵する魚人の住処を、自分達の手で作ってみせるという意志が、魚人達の士気をこれでもかとばかりに上げていた。
「あっしに出来る事ならば、なんなりとおっしゃってくだせぇ」
「おう、そう言ってくれると助かる。おかげでこちらもドンとやれる。とはいえ……」
デンはだだっ広い平野を見渡す。
正確には、平野になった
かつての攻略作戦で、先行していたハンコックやミホーク、ロビン達が身を隠していた森が、材木の確保のために魚人達によって文字通り引っぺがされていた。
イッショウは目こそ見えないが凄まじい勢いで木々が引っこ抜かれていくのを感じており、きっとクロや攻略作戦に参加していた者達は目が点になるだろうと薄々その光景を想像して、小さく笑う。
「まぁ、やっぱ大量の木材がいるな。幸い船にするのに必要な分のキチンと処理した木材は総督さんと、あのベッジとかいう人が届けてくれたが、この様子じゃギリギリっていった所だな」
「それに関してはクロさんも可能な限り優先して手配するとは言ってましたが……」
「ま、出来るところから、か」
「年単位の大仕事になりやすからねぇ。こちらの木も、じき製材に?」
「おう、幸いここらの木はほとんどがケヤキやカシの木だった。強度には問題ねぇから処理次第で十分使えるさ」
もっとも、何かと目を引く本隊の人間が来られるまでには時間がかかるだろう。
総督であるクロ達にはやるべきことが山積みで、新しい社会を構成するためには現状何もかも足りていない。
「とりあえず、今はのんびり……ですかねぇ」
「おう、少なくとも例の叙任式典までにはドンと一応の形にしてみせるさ。イッショウさんも、総督さんに会いてぇだろ?」
「そうでやすねぇ……」
かつては海賊が奪ってきた物を食い散らかすばかりの酒場だった場所が、作業所へと作り変えられていた。
簡単な鍛冶や製材の施設が建てられ、多くの魚人と数名の人間が交じって慌ただしく、この島を正しく船にするために走り回っている。
「確かに、ほんの少し前とはいえおヒナさんとじゃれ合ってた様子が懐かしいもんです」
そして、様々な思惑の下に予定より少し遅れる事になったが十日後、ある式典が黒猫領モプチにて開催された。
黒猫海賊団第二艦隊の発足、ならびに『灰の将』タキの艦隊提督就任を祝うそれは、西の海にて更に『黒猫』という海賊団が勢力を伸ばした事を世界に知らしめることになった。
そして、その当日。
世界政府、バスターコールによって滅びた島、オハラの再占領を決定。
私掠艦隊を主力とする戦力を西の海に送り込む。