「良かったんですか、副総督。クロ総督を海軍の英雄と合わせたまま出ちゃって」
「気にするな、マキシン。あれでキャプテンはガープ中将とは相性がいい」
東の海。とある島の、とある港町に停泊しているガレオン船の甲板で、髪を剃り上げたガタイの良い青年と、白髪の美女が話している。
「……前にあの二人、台風作っていませんでしたか? 人力で」
「ああ。抜群の相性だろう?」
「……いい……のかしら? それって」
黒猫海賊団の特徴として、艦隊提督はともかく総督クロ率いる本隊は、なるだけ立派なガレオン船などを用いていても専用の旗艦というものを未だに持っていない事だ。
その場その場の状況に合わせて乗り換えるのが当たり前となっている。
これは当初の予定ではウォーターセブンに辿り着いてから、専門職の人間と綿密な相談をしてから船団の象徴となる船を造ろうと考えていたためである。
なお、うろ覚えの知識で職人の町だとしか覚えていなかったクロが、ウォーターセブンに到着して真っ先に見たのが仲良く首を吊った大量の失業者達の姿であった。
余りに思い描いていた物と違って軽く失神しかけた。
後にクロは、慌てて部隊に制圧指示を出して保護下に置いている。
本来の目的だった人材やとある物の
「今はそれよりも、より広範囲での正確な測量と並行して民衆への印象工作こそが重要だ。これはキャプテン・クロ直々の命令でもある」
東の海にも戦略拠点を設けて、海軍の戦力と政府の目を引き付け、その動きを鈍らせるために。
「民心の掌握から、あるいはそれに繋がるための運営こそ我ら『黒猫』の基本。ゆえに、その根幹となる地勢と文化の解析・研究は我ら先遣隊の急務である」
「占領下にする予定がない場所でも、ですか? 今回の遠征は兵力の関係もあって、一通りこちらの戦力を見せて回った後に、精々島一つか二つを治めて終わりになるハズですが」
黒猫は兵力を大きく拡大したと言っても、ホームである西の海、戦乱だらけの北の海、そして海軍との決戦を控える『楽園』から大兵力を割く事は出来ない。
東の海へは、頑張っても精々二千から三千の兵力の配置が限界だろうとクロは計算している。
「いずれ役に立つ時もあるだろう。それに、こと災害や賊に襲われていたとなれば、我らは三本爪の旗の下に駆け付けねばならぬ。賊を蹴散らすだけならまだしも、その事後処理や災害処理に動く場合、土地の高低を事前に知っているだけでも大きく違う」
「あぁ……。馬車にせよ手押し車にせよ、車輪を使う物って坂に弱いですもんね」
「うむ。……領地を増やせば増やすほど、物を運ぶという簡単な仕事の難しさが身に染みるな」
「まったくです」
黒猫海賊団の旗は、各艦隊によって微妙に細部にアレンジが加えられているが、その大本は変わらない。
その背に三本の爪痕を背負う、黒猫の印。
かつての『黒猫宣言』において掲げられた、人が人であるが故の汚泥を掻き分ける三本爪の猫の旗。
それゆえ、先のアラバスタ防衛戦のように戦に思わぬ枷が付けられる事も珍しくない。
だからこそ黒猫海賊団の戦闘員は、海賊であるにも関わらず『兵士』である事を強く求められる。
義勇兵をはじめ多くの人間が門戸を叩き黒猫の新兵となったにも関わらず、現場に出せる兵士が少ないのはこれが理由だ。
とにかく新入りの教育に時間と金がかかるのが黒猫という海賊団の特徴である。
「加えて、キャプテンからのおつかいもある。そっちにも動かねばな」
「おつかい?」
「キャプテンが東の海にいた頃、追われ続けている間に貯めた海楼石を隠した島があるらしい」
「……じゃあ、おつかいっていうのはその確認を?」
「残っていれば回収もな。
「海賊のような戦闘業の人間ならともかく、普通の生活している人間にはただ綺麗なだけの石――よくて宝石ですからね」
無論、中々出回る事のないのが海楼石という物だが、その分美味しい話であるのは間違いなかった。
ギッシリ詰まった小袋一つで数年は遊んで暮らせるほど。
これが船一隻分ともなれば、もはや財と言える程のCatになる。
中には海楼石の回収を専門とするトレジャーハンターも現れる程に、黒猫が海楼石を重視しているというのは有名な噂となって広まりつつある。
「一部の投資家は換金所の近くに家を買ったり人を雇ったりして、毎日朝から晩までその様子を観察しているらしい。なにせ加工が難しく、その効果から偽造もまず不可能。麦やトウモロコシといった生鮮品よりも安定した目安になるとか」
「ある意味海楼石本位制ですよね、ウチのCat通貨。……今思ったのですが、もし偽造してみせる人間が出たら総督が真っ先に囲い込みに行きますね。札束どころか金塊の山を引き摺って」
「……違いない」
対能力者においては切り札になり得る海楼石は、
そのため黒猫傘下の造船所ではこれを用いた
「キャプテンが言うには、海軍船のバラスト一隻分になるかどうか程の量らしい」
「そ、それが本当ならば随分と量がありますね。総督が子供の頃の話でしょう? よく集められましたね」
「お前を引き込んだ時だって子供だったではないか」
「…………そういえば…………そうでしたね。そうか、あの時だって子供だったか」
魚人島攻防戦という歴史に残る戦いを経て黒猫入りしたマキシンは、当時を思い出して静かに驚く。
「ダズさーん」
すでにダズは部下に指示を出している。
買い出しを兼ねた市場調査、近隣の居住区域を観察しての、この地域の庶民の一日に消費する物資の種類と資金の平均割り出し、地形測量。おおよその人口とその男女比の調査。
魚人組には海底資源調査を命じ、自分は海軍や政府の横やりに備えて待機していた所に、親衛隊の一人が駆けてくる。
「どうした、ミツバ。お前達の隊には港湾の物資移動量を調べさせていたハズだが」
「うん。それで港で荷下ろしとかやってる船乗りの人達に話を聞いてたら、ちょっと気になる話を聞いてさ。調査は他の二人に任せて報告に来ました!」
「うん? 船乗りとの会話で気になる点が?」
「そそ」
刀使いが多い親衛隊の中でもことさら珍しい、身の丈ほどもある両刃の大剣を使う少女は頷き、自分達の船の三隻分隣に止めている船――おそらくは交易船を指さす。
「一週間ほど前、ここから東の空白海域って大時化だったじゃないですか」
「ああ。ちょうどハチらに後日海域調査を頼もうと思っていた所か」
ダズは事前に頭に入れた海図から、海域を思い返す。
島らしい島はどこにもなく、主要航路というわけでもない。
強いて言うならば『なにもない』海域だ。
「うん、そこの船はここまで急ぎの品があって空白海域突っ切って来たらしいんだけどさ」
「その大時化の日に、そこの島とも言えない小島がある辺りで子供の叫び声を聞いた気がするって言って気味悪がっているんです」
「…………子供の?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「うら……ぁああっ!!!」
とある島の、とある小さな村の一角で、一人の少年が剣を振るっている。
その右手に、その左手に一本ずつ。
そして更に、
「っ、う゛ぁ……!」
だが、本来刃の前に無力なハズの
「くぅ……っそ……!」
両手の数打ちの刀を一度戻して、口から取り落とした刀を拾う。
両手の二本とは違う、丈夫で厚みのある、より重い一刀。
名刀と呼ばれるにふさわしい、
少年にとって、越えるべき壁だった女が持っていた刀だった。
これを振るい強くなって、天下に名を轟かせるという誓いの一刀だった。
たとえそれが、天国だとしても。
そこに武名が鳴り響くほどの称号を。
「まだ……遠い……っ」
だけど、予想通り道は遠かった。
少年は二刀を同時に使って、この白鞘の刀を使う少女に一度も勝てなかった。
ゆえに、彼女の刀をくわえた『三刀』での戦い方も、まずちゃんと振れるようになるまで苦心すると覚悟はしていた。
「今度こそ……」
呼吸を整えてから、再び刀を引き抜き、咥える。
そうして残る二刀を両手に持ち、構えて傷だらけの巻藁の前に立ち、
―― だ~め。口の剣先が下がってる。
突然響いた知らない女の声に、咄嗟に身を固くする。
「だ、誰だ!?」
それから身を固くして自身を恥じるかのように、振り向く。
「あぁ、驚かせてごめんね。けど、両手の二本はともかく口に咥えた一本の剣先がブレているわ。それじゃあ斬りつけた時、上下左右に予測の難しい衝撃が来て踏ん張れないのよ」
振り向いて――少年の顔が、固まる。
そこには、口に咥えた刀の本来の持ち主が――死んだはずの顔がいたからだ。
「最悪、歯が欠けちゃうかもしれないから気を付けなさい」
いや、厳密には違う。似ているが間違いなく別人だ。
死んだのは少女であり、目の前にいるのは大人の女だ。
だが、もしあの少女があのまま成長していれば――きっと、こうなったのだろうという姿がそのままそこに立っていた。
「な、な……っ」
「ん?」
「なん――誰なんだよお前ぇ!!」
「ああ。安心して、怪しい者じゃないわ」
黒いスーツの上から、薄い生地のコートを羽織っている女は腰に差している刀――コートの下に僅かに覗いているそれに乗せていた手を離して、襲うつもりがない事を示す。
「ただの海賊よ」
「怪しい
が、もうその称号が駄目だった。
堂々としている女に対して少年は眼を三角にして怒鳴りつけて、二刀を構える。
とはいえ、女海賊の目にそれは脅威と映っていないようで平然とケラケラ笑っている。
「うん。ええ。本当に、
「ああ!?」
「今までいた所だと、私達の旗見るとどこの町も大抵歓迎してくれるから、たまに自分の立ち位置勘違いしちゃうのよね」
「どこにそんな海賊がいるんだよ!! いねぇよそんな海賊!!!」
「ホントにねぇ」
コートの上から自分の左胸の辺りをポンポンと叩く女は、面映ゆい顔のまま「うんうん」と頷いている。
「それより君、三刀流をやろうとしてるみたいだけど正気?」
「……うっせぇな」
「ちゃんと定期的に歯医者にかからないと、気が付いた時には相当すり減ってるよ? 顎鍛えてる? 下手に受け止めると本当に歯が飛んじゃうから、まずは二刀での立ち振る舞いをしっかり叩き込んでないと無駄に口を痛めてご飯が美味しく食べられなくなるよ?」
「なんで一々妙に具体的なんだよ!!!!?」
経験があるのか、痛そうな表情で口回りを揉み解している女に対して、少年の何度目かのツッコミが飛び出す。
「……ほら」
そのツッコミに対して変わらず笑う女海賊は、しばらく少年の反応を楽しむと少年が斬撃を打ち込んでいた巻藁の横に立ち、少年に向かってそう言う。
「なんだよ?」
「もう一度構えてみてごらん」
「なんでだよ!!?」
「ちゃんと見てあげるから」
「だから、なんで海賊に――」
「行き詰ってるんでしょう? この巻藁、結構ヘタっているけど切り傷は全部両側の左右だけで、口に咥えた部分の位置は押しつぶされているだけだもの」
「ぐ…………っ」
なお女海賊は、行き詰ってはいても一月ほどでこの少年は前に進めるだろうと見積もっている。
筋肉の付き方から、元々二刀使いなのに気付いているからだ。
自身の経験からして、二刀での戦い方が体に馴染んでさえいれば、三刀目をどう動かすか自然と思いつくものゆえに。
その内心を知らない少年は、「ぐぬぬぬぬ」と歯ぎしりしながら刀を口に咥えて、残る二本を構える。
「……うん。顎の角度はそれでよし。だけど心持ち首を右側に少し傾けて。もう少し……そう。そう。いや行き過ぎ!」
「ぐおっ!」
少年が手にしているのは真剣――まごうごと無き本物の刃である。
両手の数打ちと言えど人を斬るなど容易い二刀を前に、女海賊は全く恐れず刀を構えている少年に近づき、その頭を両手で押さえる。
「ふんぬううううううっ!」
「なんで反発しようとしてるの。ほら、もうちょっと……はい、ここ。この位置ね」
口に咥えている刀を動かせば腕を――あるいは喉を斬り裂けるだろう。
実際の所、女海賊は武装色の覇気を使えるのでどうという事はないのだが。
だが少年の目には、余りに無防備に見えた。
襲って刀を奪うつもりかと口に咥えた刀を更に噛みしめたりしてみたが、別にどうもしない。
「慣れていないんだろうけど、思った以上に刀の重さで姿勢を持っていかれるの。鏡とかで調整しながら鍛錬を続けていれば、その内首も鍛えられて自然と構えられるようになるわ」
海賊だというのに、全く野卑な所が見えない。
たまに出る村のチンピラよりも普通の――普通の女性にしか見えない。
「大事なのはまず姿勢。そして口の剣の角度。手にした剣と違って、口に咥えた剣は微調整にさえ相当意識を持ってかれるからね」
「……本当に、なんで詳しいんだよ」
「あはははは。私も通って来た道だからね」
その剣を見るまでは。
コートの下の腰元に刺していた剣を引き抜く。
その一本を、まるで少年のように口に咥えてみせた。
「!?」
そして更に二本の刀を引き抜き、構える。
その姿は、少年がイメージしている剣術の形そのものだった。
――
刀の柄握りを咥えた口から小さく、そして鋭く空気が漏れると同時に、三刃一体の斬撃が放たれる。
少年の理想に近い一撃が、今まさに少年の目の前にあった。
残心を終えて、海賊は刀を鞘に戻す。
息を吐き、散った巻藁を見て。
「あっ」
「ごっめん少年。練習に使う奴思いっきりぶった斬っちゃった。新しいのってあるかな?」
「なにしてくれてんだよ!!!!!!!!!!!」
やっちゃった、と小さく舌を出して少年に詫びていた。
「ったく! ちょっと待ってろ!」
「あはは、ごめんね。……あ、そういえば今更だけどさ」
「あぁ!?」
「少年、名前は?」
「――ゾロ」
「ロロノア・ゾロ! お前は!?」
「ロロノア君か」
「私はアミス」
「黒猫海賊団、親衛隊隊長。二つ名は『王佐』」
「これでも、億越えの海賊だよ」
「! ……億越えの……海賊……っ?」
「嘘つけえええええ!!! 億越えがこんな田舎に来るわけねぇだろ!!!!!!!」
「えええええええええええええ!!? 本当だもん!!!!!!!」