とある黒猫になった男の後悔日誌   作:rikka

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032:舞い散る桜の如く

―― 魚野郎だ、捕まえろ! 連中は高く売れる!

 

 

 

―― 女の人魚は絶対に逃がすな! 海に入られたらもう無理だぞ!

 

 

 

―― 最低でも7千万ベリーだ! 死んでも捕まえろ!!

 

 

 

 ハックだけではない。魚人族や人魚族にとって、人間という種族は恐怖と嫌悪の対象だった。

 魚人にもまた粗暴(そぼう)な者はいるし、中には人間に対して過激な事をする者もいる。

 

 だが、異種族扱いどころか最初から奴隷として見ている人間の海賊――海賊どころか普通の冒険家の中にすらそういう者がいる現状を見れば見る程、魚人島に住む者は人間への憎悪を、多かれ少なかれ心の内に募らせていた。

 

「解放したばかりで悪いが、時間がない。全員、我々に付いて走れるか?」

「問題ないぞ、小僧。走りづらい人魚は儂らが背負う! 体力はお前達人間より上だ!」

「……助かる。アミス」

「はい、こちらの三人も大丈夫です! 兵士三名に背負って走らせます!」

「よし。外では一番の強敵とキャプテンが戦っている。全員、状況がどのようになっていようと、船まで一直線に走れ」

 

(なんと、なんと気持ちの良い者達か)

 

 初めて出会った時から、互いの不理解からの警戒があった。

 だが、彼らが全員確かな敬意を向ける少年――クロと名乗る海賊の長が現れ、和やかに話しかけてくれたおかげで大きく変わった。

 

 偏見はあれどそれを乗り越えようと話しかける者もあれば、能力者だという二人の少女のようになにも気負うことなく話しかけてくれる者もいた。

 

 ただ一人だけ自分を警戒していたダズという子供の海賊も、魚人という異種族を救う事に真摯に手を貸してくれている。

 

 本当ならば、今すぐにでも船長であるクロの元へ、加勢に向かいたいだろうに。

 

「く……そ……っ。テメェらさっさと起きろ! いくらの損害になると思ってやがる! アイツらが魚人共を売ったら更に勢力に差が――」

 

 行く手を遮ろうとしていたマフィアの男を、魚人である同胞達を守っている海賊の一人が飛び出し、刀の鞘で殴り倒した。

 

「ふざけるな。奪う事はあっても、人を家畜にする所業に加担するほど落ちぶれてたまるか」

 

 おそらく人間の中でもかなり顔が整っているのだろう海賊の一人は、心からの嫌悪感を顔に出しながら敵を倒して退路を確保していく。

 

「……ダズ殿」

 

 隣を走っている少年――だが、これだけの海賊達にあの男の補佐として認められている男に声をかける。

 

「なんだ」

「この『黒猫』は……いい海賊団だな」

 

 そう言うと、ダズは小さく鼻を鳴らし、

 

「当然だ」

 

 とだけ答えた。

 

「下がってください、私が開けます!」

 

 そうして入ってきた扉へと続く梯子(はしご)をアミスが登り、こじ開け――

 

 

 まるで豪雨の中の雨音を思わせる、凄まじい金属音が外から鳴り響いてきた。

 

 どう考えても戦闘の音であるそれを前に、一人だけその光景を見ているアミスは呆然としていた。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 かつて、アミスが奴隷として捕まっていた時、キャプテン・クロの戦いを彼女は見ていた。

 

 自分達という商品(・・)を気にも留めずに砲撃するカポネ・ベッジ――実際、あの時自分達にもう価値を見出だしていなかったのだろうが――を相手に、まるで瞬間移動を繰り返しているかのように消えたり現れたりして砲弾を上に蹴り上げたり、悪魔の実の力を使い変形して突進するベッジを止めたりしていた。

 

 あの時アミスやトーヤ達は、人はここまで速くなれるものなのかと驚愕していた。

 

 船を隠すための洞窟を、蹴りだけで削り広げていくほど強いのだと。

 

「ぬ……ぅ……っ」

 

 違う、そうではない。

 目の前の光景を見ればそんな感想なんて吹き飛ぶ。

 

纏い始め(・・・・・)視え始めた(・・・・・)だけでこれほどまでに……っ」

 

 まるで地上に、大きな線香花火が上がっているようだった。

 

 海兵の背筋を震わせたあの鷹の目が笑みを浮かべながらも汗を流し、必死に剣を振っている。

 

 その周囲は、夜にも関わらず明るかった。

 

 甲高い金属音と共に凄まじい量の火花が散り続けている。

 

 

「……っ」

 

 アミスに続いて次々に上がってきた黒猫の一同――ダズや実力者のハックですら何をどうすればいいのか分からず呆然と立ちすくんでおり、助けたばかりの魚人や人魚、そして三人の少女も、その光景に見入っていた。

 

 その間も鷹の目は不可視の連撃をほぼ完璧に捌き続けるが、それでも頬や手などに小さい傷が次々についていく。

 

「神速を謳う剣士は山ほどいた。だが、どれもこれも小手先の小技や曲芸に過ぎない者……あるいはイカサマと口先頼りのペテン師ばかりだった」

 

 剣戟の音以外は完全に無音の、ありとあらゆる角度から放たれる不可視の連撃。

 

 それを相手に鷹の目はますます笑みを深くし、瞬きの一瞬よりも短いわずかな間を使って剣を握り直す。

 

「お前は、違う。剣士ではなく、どこか闘争を忌避している素振りはあるがそれでも確かに磨き続けて、積み上げ続けてきている」

 

 そしてますます剣を振るう速度が跳ね上がり、辺り一面で鳴り響く金属音がより甲高くなる。

 

「認める。お前はまさしく、神速の域に達するだろう戦士だ」

 

 

 

 

「――だからこそ、俺にとっても糧になる一戦だった。礼を言う」

 

 

 

 

 次の瞬間、鷹の目の握る剣がフッ……と消え、同時に鋼が砕ける音がした。

 

 残っていた片方の猫の手。その五本の刃が砕け散り、それまで誰も姿を捉えられなかった黒いスーツの海賊が、未だ鋭い眼で鷹の目を睨みつけながら、その眼前に現れていた。

 

 

 

「お前と戦えた事に、心から感謝を」

 

 

 

 鷹の目の斬撃が、これまでよりも数段階速くなっていた。

 それこそ、一瞬とはいえクロ(・・)の速度に勝るとも劣らない程に。

 

 咄嗟なのか、刀身目掛けて蹴りを放つクロ。

 確かに受け止めたのだろう刃は、それでも止まらず――

 

 

 斬り裂かれたスーツから鮮血の華を撤き散らし、黒猫はその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、二つの影が鷹の目に向かって飛び出した。

 

「キャプテン!」

 

 先日の海軍との一戦にて、その強さと部隊の指揮を取っていた事から、『鋼刃』の異名を付けられた本船副船長。

 

「よくも!」

 

 そして、未だ賞金こそ懸けられておらず無名に近いが、本船戦闘部隊の部隊長となりつつある女の刀使い。

 

 ダズとアミスが、偉大なる航路(グランドライン)にて多くの強者を屠ってきた最強の剣士に刃と化した腕を、抜いた刀で斬りかかっていた。

 

「待て、お前達」

 

 鷹の目が何か言おうとするが、二人とも耳に入っていなかった。

 ダズは螺旋状の刃物に変えた腕を回転させ、それを()の頭目掛けて振り下ろす。

 

「気迫は良いが……」

 

 相手の武器のほとんどを破壊し、そうでなくとも弾き飛ばしてきたダズの必殺技は、鷹の目が持つ剣によりたやすく受け止められていた。

 

 それも刃ではなく、逆手にした刀の()の部分でだ。

 

「ダズさん! 頭を下げて!」

 

 驚愕し、わずかに動きを止めたダズは反射的にその声の通りに身をかがめる。

 瞬間、飛び掛かっていたアミスが刃を横に払うが、それもやはり柄の部分で止められる。

 

「くそっ! くそ、くそ、くそ!」

 

 そのまま二撃、三撃と続く連撃を全ていなし、直後に飛んできたゴーストを斬り飛ばし、自分の首を絞めようと生えてきた腕を軽く斬り、全ての攻撃を一度止めた。

 

 

「落ち着け。この男は生きている。傷も、想定よりかなり浅い」

 

 

 

 

 

「早く船医を呼ぶといい」

 

 

 

 

 

「クロという男は、ここで終わらせるには惜しすぎる」

 

 


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