北の海のとある海域。
島の一つも見えないそこには、多数の巨大な電伝虫の殻の上に、城のような巨船が乗っている奇妙な船の大船団がある。
その中で最も大きな――だが妙にくたびれている城のような巨船、その中の一室で、一人の男が荒れていた。
「おのれっ!」
机を叩き割り、椅子を蹴り壊し、調度品を散らばらせる。
「おのれぇぇっ!!」
『殺せ、海賊! 敗者に情けはいらん!』
『こちらにそのつもりはございません、ヴィンスモーク・ジャッジ陛下』
脳裏にこびり付いているのは、一人の海賊。
自分を打ち破ったダズ・ボーネスが付き従う、少年海賊。
『そも、すでに我らに戦う理由はありません』
『ふざけるな! ここで俺に情けをかけるならば、今度は全戦力を引き連れてお前らを滅ぼす!!』
『ですが、貴方達のその労力に見合う資金を払おうとする国はもうないでしょう』
『なに!?』
海賊『抜き足』のクロ。
歳の割に妙にスーツ姿が様になる、まるで執事のような男は眼鏡を独特の仕草で位置を直しながら、落ち着いた声でそう切り出した。
『現在モグワ、並びにミシュワンを始めとするその属国の間では、静かな対立が始まっています』
『……馬鹿な……』
『正確には、属国のお歴々が自分達が想像していたよりも物騒な首輪を付けられていたことに気付いたようでして』
どこか茶化したような言い方をするその物言いに、ジャッジはそうなった原因が目の前の男だとすぐに察しがついた。
『一歩間違えればあるいは戦争、内乱に突入しかねない。それを収めるにせよ備えるにせよ、大量の資金が必要になる。ジェルマを頼ろうにも、用意できる依頼金は大きく目減りするでしょうね』
『貴様、この戦いの間……いや、その前から工作を!』
同時に驚愕していた。
まさか武の力ではなく、
『今回貴方方ジェルマを撃退できた所で、アレを放置していれば手を変え妨害してくるでしょうから』
事実そうだろう。
あの下品な王を自称する男は、他者を踏みにじる事で悦楽を満たすタイプだった。
恐らくは、忌々しく思っていたクロ一味をなんとしても踏みにじりたかったハズだ。
『モグワは今回表向きには動いていない。先日こちらを襲ったのはあくまで名もなき海賊』
『…………』
『今回の戦闘も、そもそも表向きはジェルマによるモグワへの表敬訪問。大方、その途中襲ってきた海賊を迎撃したという形にしたかったのでしょうが……』
その通りだった。
そういう筋書きにする予定だった。
大国がいちいち新興海賊に関わるなど恥でしかない。
それが軍事によって立つ国家であればなおさらだった。
『それならば、さすがに海軍や世界政府の上層部には知られるでしょうが、表向きこの戦闘をなかったことには出来ます』
『……だから大人しく敗北を認め、尻尾を巻いて逃げ帰れと!?』
『国土を持たないために産業が育ちにくいジェルマにとって、傭兵業は国庫を支える根幹。だからこそ、無敗の名声は黄金より価値があるものでしょう?』
『ぐ……っ』
返す言葉がなかった。
文字通り、傭兵業によってジェルマという国家は成り立っている。
その価値を高めるのは『金さえ払えば絶対勝たせてくれる』という信頼。最強の軍隊という看板があってこそ。
それが、全軍ではなかったとはいえ選りすぐりの精鋭を率いたうえで、少年海賊に率いられた新興海賊団に敗れたとあっては、ジェルマの威信は地に落ちる。
『自分が知るジェルマに比べ、船団の数がまったく足りない。何らかの事情があって、全船団を連れて来るのを躊躇われたのでしょう。全船団を動かすコストに見合わなかった。あるいは……そうですね』
『身重、あるいは出産直後の奥方様をあまり動かしたくなかった……とか』
拘束され、レイドスーツも奪われているにも関わらず反射的にクロに掴みかかろうとした。
しかしその瞬間、隣に控えていた女兵士に刀を喉に突きつけられる。
『貴様! なぜそれを!』
『繰り返しますが、我々はジェルマと戦争をしたいわけではありません。そしてジェルマも、もはや戦う理由はないでしょう? 部隊が壊滅し、その補充や再編に見合う利を差し出せる依頼者もいない』
『……っ』
『我らも、貴方と戦い貴重な人員に犠牲が出ている。再度戦うのも骨が折れるし、かといって世界政府加盟国国王を討ち取った所で得る物は汚名しかありません』
『ここで互いに手打ちとしませんか?』
「おのれ、『抜き足』のクロ……っ」
―― 今のお前の器は、キャプテン・クロの足元にも届きはしない。
「おのれ、ダズ・ボーネス!!」
「次は負けん! 生まれてくる子供達は、恐怖を感じぬ完璧な戦士になる!!」
「今回は使えなかったレイドスーツも全て動員できる。より強化した兵士も!」
「次に出会う時までに、お前達でも認めざるを得ない軍隊を作る!!」
「クロォォォォォォォッ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「
「所属していると見られる海賊船は現在、最低でも30を超えております!」
「報告、ディスタ王国が海賊の襲撃を受け壊滅! 多数の食糧や物資と共に国民が大勢持ち去られたと海軍に救難要請が!」
「報告!――」
(おのれ!
元帥センゴクは報告を受けながら、救援部隊の編成を急がせていた。
その横ではガープも、珍しく真面目な顔で報告を聞いている。
「
「現在ビッグマム海賊団が『金獅子』の残党と戦争に突入! こちらも近隣国から万が一に備えた救援要請が入っております」
(えぇい! どいつもこいつも!!)
「ビッグマムもそうだが、敗走するだろう『金獅子』の残党がどう動くか分からん! 黄猿を向かわせろ!」
「はっ!」
センゴクが頭を抱えているのは、例の事件以降、内部を引き締めるための大査察によって、見逃がせぬレベルの悪事に手を染めていた隊員や幹部の炙り出し、逮捕を行いその後の再編成を進めている最中だったからだ。
(数を頼りに国を襲い、そして奪えるものを奪い尽くしたら散る! まるでイナゴだ! おのれ、海のクズ共が!!)
「赤犬の方はまだか」
「はっ、現在
「くっ……」
そして同じタイミングで多数勃発している内乱も問題だった。
すでに転覆した国の中には反世界政府――否、反世界貴族に近い思想が出回っているのも。
「伝令! 伝令!」
「今度はなんだ!?」
そしてこの本部もあまりの情報の多さに潰されそうであった。
「大将青雉より伝令が入りました!」
「青雉!?」
青雉――クザンには
何か掴んだのか、あるいは敵を倒したのか。
「ハッ、モグワ王国に向けて『黒猫』の出撃を確認! 現在『黒猫』と合流し、共にモグワ王国の奪還作戦に入るとのことです!!」
「馬鹿者ぉっ!!!!!」
報告を入れてきた海兵か、あるいはそう報告させた青雉にか、思わずセンゴクは叫んでしまう。
「どこの世界に海賊と合流する海軍大将がおるかぁ!!」
「ぶわっはっはっは!! それを言うたら国を救わんとする海賊も普通おるまいて! わっはっはっは!!!」
「笑っとる場合かガープ!!!!!!!!!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「キャプテン・クロ! モグワ王国、視認できる距離に到達しました! ……なんてこと」
「あいつら、街に火を……っ」
なんでこう……海賊っていうか馬鹿共は火をつけたがるのかね……。
あれか、急行した海兵を迎撃と消火、救出に分断したいとか?
その後の復興作業大変だし危険度跳ね上がるし、そもそも火をつけてる時間がもったいないし……。
まぁ、バギーみたいにわざわざ大砲ブッパするよりは分からんでもない……ない……。
いやそうでもねぇな?
まぁいい。
出航してから三日でまだ燃えてるって事は、連中まだいるな?
一通り奪えるもん奪い尽くして、火を付けて逃げようかって所と見た。
「凧を揚げてくれ」
「ハッ」
「ロビン、頼むぞ」
「うん!」
今回ペローナは島の防衛に残した。
万が一襲撃があっても、アイツがいるなら数はどうとでもなるし、それに耐える強い敵が現れても対応できるハンコック達がいる。
そうなると戦場把握はロビンの仕事になるのだが、ジェルマとの戦いで浮き彫りになった問題点がある。
ロビンだけだと高所からの観測が難しく、戦況の把握のために彼女をかなり消耗させてしまうという点だ。
で、戻ってから開拓や訓練の合間に皆で話し合って思いついたのが凧だ。
凧を揚げてそこに目を生やさせることで、疑似的な観測を可能にした。
……まぁ、ゴースト観測に比べて夜戦では使えないのが弱点と言えば弱点だが。あと狙われやすい。
「ひどい……。キャプテンさん、街は全部火が点けられてる。畑まで燃えて……中には燃え尽きてる所もあるよ」
うっそだろ……。
そんなに気候モプチと変わってねぇハズだし収穫期直前だろう?
それに火ぃ点けるとかうっわ……。
「……所詮は関わりのない国。特にやる気はなく、お前の要請だから同行こそしたが」
本当にあまりやる気はなかったんだろうなぁ。
前のジェルマ戦の時はちゃんと着替えてたのに、今はウチのつなぎ着てロビン作の麦わら帽子被ったままの最強戦力が、刀の手入れを終えて鞘に戻したそれを腰に差している。
「少し、暴れたい気分になってきた。クロ、最前線に俺を加えろ」
ほーらウチの全自動惨殺死体製造機が勝手にスイッチ入っちゃった。
とりあえず頷くと、燃え盛る街の方へと目をやってなにか考えている。
「ねぇ、クロ君?」
というか、マジでなんでこのタイミングで動いた?
収穫期だというならまだ分かるけど、よりによってこのタイミングで――
「おーい、聞いてる?」
今別行動をしているベッジが情報をかき集めているが、奴の情報収集力を以てしても未だに首謀者がハッキリしない。
なぁなぁの良く分からない集まりなのか、それとも――
「ちょっと尋ねたい事があるんだけど?」
「……なんでしょうか、大将青雉」
「あらら、ずいぶん他人行儀じゃない」
「唐突に海軍最高戦力に飛び乗られた海賊船の船長の気持ちを察してくれませんかね」
笑ってんじゃねぇぞモジャモジャてめこの野郎!!
ホントお願いだから察してクレメンス!
マジで死ぬかと思ったわ!
具体的に言うとクザンさんと途端にちょっとスイッチ入ったミホークに挟まれて!!
というか海賊船に平然と乗り込んで「戦力いるでしょ? 力貸すよ」とか言い出すな海軍本部大将!!
海賊じゃなくて海兵と動けよ!
いや分かるよ!? このままだと俺達『黒猫』が先にモグワに一番乗りしちゃってアレコレしちゃうから、なんらかの形で海軍勢力の人間も絡めなきゃと思ったんでしょう!?
でもこうなるとは思わないじゃん!
沈めようとか足止めとかしないだけでありがたいっちゃありがたいけどさ!!
「それで、聞きたい事とは?」
「……なんで『海兵狩り』は急にやる気出してるの?」
そこかよ!!
聞いてれば分かるでしょうが!!
「他国とはいえ、丁寧に育てられた畑が焼かれたことにイラッとしたのかと」
「…………え、なんで?」
「ミホーク、ウチの畑仕事のエースなんで」
どうした青雉。
モリア戦でも見なかったくらい驚いてるじゃない。
「相変わらず予想が出来ない変な海賊だねぇ……」
「喧嘩売ってるなら買いますよ」
主にミホークが。
「褒めて……るつもりなんだよ?」
その間はなんだ。
「というか……え、本当なの? 『海兵狩り』が畑仕事?」
「開墾、治水作業面積トップです。あと最近各地の作物や農法まとめた本が愛読書になってます」
「えぇ……。イメージ壊れるなぁ」
いやまぁ、開墾治水に関しては他の住民たちも手伝ったっちゃ手伝ったけど。
アイツ、硬い岩とかにぶち当たったら即座に細切れにしてくれるから便利なんだよなぁ。
「キャプテンさん、海賊旗を揚げた船五隻、それと、海軍のマークの上から大きな×を付けた海軍船三隻を発見」
……海軍の部隊を負かしたにしては数が少ないな。
いくつか沈められたか、あるいは別れて違う所にいったか?
「大将青雉、モグワの救援に向かった海軍の船っていくつでしたか?」
「いちいち役職付けなくていいよ、君海兵じゃないんだし。確か……話じゃ五隻だったね。なにせ海賊を撃退したあと、救助活動が待っているのは間違いなかった。そうなるとほら、食料やら医薬品やら色々必要になる」
「……二隻は沈められた。いや、そっちも奪われたか?」
×印で簡易海賊船となった海軍船はどうも連中の主力艦になったらしく、甲板やらにちらほら人影が見える。
というか、大砲の試し撃ちのつもりかバカスカ街に向けて撃ちまくってる。
海軍の船は前面の攻撃力を重視したタイプだ。艦隊の先頭を走らせるにはちょうどいいのだろう。
加えて海軍に対しては心理的な効果もある。
(まぁ、そこまで考えているならば……って話だけど)
「逃げられると面倒だな。沈めるのもアレだし……青キ――しっくり来ないな」
海面凍らせれば敵の船は動けなくなる。
捕らえられてる海兵がどこにいるか分からないが。
「クザンさん、能力で動きを止めてもらっていいですか?」
「ま、妥当な案か。分かった、すぐに――」
「待ってクザン!!」
ヒエヒエの実を食べた氷結人間という作中屈指のチート能力の力を存分に奮ってもらおうとしたら、ロビンが叫んで俺達を押しとめる。
「船は絶対に凍らせないで!」
「どうした、ロビン」
凧に咲かせた目を通して状況を確認していて――そこから更に偵察の手を伸ばしていたためにいち早くそれに気付いたロビンが、俺達を止める。
「船のあちこちに人が吊るされてる! 皆海兵服を着てるから多分――」
「……ちっ、人質兼盾というわけか」
舐めた真似してくれるじゃないの、とクザンが静かに怒りを燃やしている。そりゃそうだ。
「ロビン、彼らの様子は?」
「怪我をしたまま吊るされている人もいるし、服がボロボロだったり、破かれてる人もいる……でも、動いている人もいるから……生きてる……と思うんだけど」
一通り暴行加えた上で吊るしたのか。
少し肌寒い程度とはいえ、海風にずっと曝されていりゃ体温も下がっているハズ。
「体力的にも危険だな」
というか船に肉壁ってお前ら頭ゴブリンか?
人間に戻ってどうぞ。
「……クザンさん、他の連中と共に上陸して島にいる敵兵の排除。同時進行で住民の救助、並びに消火活動を頼んでいいです?」
お得意の砲戦が出来ない以上、乗り込んで斬り伏せるのが一番だ。
そもそも、奪われているとはいえ海軍船を沈めちゃったら、クザンを始め海軍からの覚えが悪くなる。
「……彼らの事、頼んでいいかい?」
クザンの問いかけに、頷いて答える。
こちらとしても、海軍の覚えはよくしておいて損はない。
「問題ない。キャプテンと自分が乗り込む」
そもそも、ウチの副総督が滅茶苦茶やる気である。
そりゃもう、出航時からずっとやる気満々である。
気合が入っていて大変よろしい。
「……分かった、任せる」
そういうとクザンが船から飛び降り、能力を発動させる。
捕らえられている海兵達が凍えないように離れた所で、だが敵船が逃げられないように氷壁を張る。
―― なんだこりゃあ!!? こ、氷の壁!?
―― 船を出せ! なんか来るぞ!!
向こう側で、慌てた海賊のざわめきが聞こえる。
これで驚くという事はまず強力な能力者はいないと見ていい。戦力的には問題ないな。
というか、ぶっちゃけモグワに居座ってる海賊を倒すだけなら親衛隊数名と二番艦戦力だけでもお釣りが出るレベルだ。
問題は――
(これ、海賊連合の膨れ具合と被害によっては、あれこれ面倒くさい問題が一気に吹き出しかねんな……)
規模によってはかなり不味いかもしれん。
ベッジが持って帰ってくれるだろう情報次第では、また計画修正かなぁ……。
「さて、船の防衛はキャザリーと船員5名に任せる。残りは上陸用意急げ!」
「モグワに居座る海賊を蹴散らし、市民を救出しろ! 火は大将青雉が消していく!」
「火や瓦礫に退路を断たれ、逃げ損ねた要救助者がいる可能性を忘れるな! 五感を研ぎ澄ませ!」
「矜持を掲げろ!!」