「相変わらず流れを作る事に長けた海賊だな、クロという男は」
初めて戦ったあの日。覇気を覚えてから初めて握った刀に罅を入れられた夜。
ならず者という言葉から程遠い奇妙な海賊勢力を率いて、海賊の頭とは思えないほどの自己犠牲の精神を以って自分に戦いを挑んだ男は、今もまた正気とは思えない戦いに身を投じようとしている。
「ねぇ、ミホーク」
くいくいっと着ている服が引っ張られる。
この海賊団の幹部にして、おそらくもっとも重要な人物であるニコ・ロビンが、少し不安そうな顔をしている。
「キャプテンさんは、海軍や政府を相手にどうするつもりだと思う?」
「頭を使うのはお前の方が得意ではないか、ロビン」
「歴史は知ってても世間はそんなに知らないもん」
ぷくっ、と少しふくれてみせる少女に思わず小さく笑ってしまうが、少女の不安もまた真実だというのは理解できる。
横に付いているハンコックが、静かにロビンの頭に手を乗せ、軽く撫でて落ち着かせている。
そのハンコックは、今一度下がった男がロビンの仇であると知って、万が一があるやもしれんと全力で周囲を警戒している。
なぜか自分が一歩踏み出そうとした途端に脛を蹴ろうと威嚇してくるが。
「さてな。奴の思考は計り知れん。ある意味で先日の海賊連合以上に状況は悪い。直接的な戦闘も含めてどう事態が転がってもおかしくないと思うのだが……」
「だが?」
「不思議と、海軍の増援五隻が沈んだと聞かされた時より余裕を感じる。今のこの事態は、奴の中では想定の範囲内だったのかもしれんな」
そういうと、まだ少し怯えが残っているが同時に尊敬のまなざしで、政府の役人たちを相手に一歩も下がらず話の主導権を持って行った大海賊の背をロビンが見つめる。
(つまり、戦いになる可能性は低い。というよりは、戦わずに終わらせようとしているのだろう)
本当に変わった男だと、日々刃を交わしていて感じる。
普通ならば、もう少し腕に自信を持っていいハズだ。
まだ始まったばかりとは言え、今や世界は大海賊時代。
武力を持つ者はそれだけで敬意を勝ち取れる時代にも関わらず、暴力を振るう機会を可能な限り減らしたいと思っている。
海賊になった理由が理由だが、それでも普通ならば名のある海賊を討ち取り、名を上げようとするはずだ。
(奴の腕ならば、今すぐにでも新世界でやっていける。俺はともかく、あの『冥王』ですらお前の才を認めているというのに……)
訓練の際も、あの『冥王』が覇気の強度以外はかなり本気で戦っているのだ。
自分に至っては、見聞色の覇気を一瞬でも乱せば『黒猫』の一撃を防げない。一瞬でも見聞色の覇気が乱れれば、即座に隙を縫って一撃を入れてくるのだ。
それでいて部隊指揮に長け、その下にいるのはダズ・ボーネスを始め高い実力を持つ智勇兼備の逸材揃い。
(それだけの実力があっても未だに武に自信がないとは……奴は一体何を想定している?)
「どういう形になるにせよ、劇的に状況が悪くなることはあるまい」
「……我々『黒猫』にとってはな」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(さてさて。とりあえず嫌がらせも兼ねた毒刺しはオッケーと)
武力面では大したことはないだろうが、逆に言えば頭脳労働面を担当してきたのだろうCP9のトップが一歩引いたという事実は強い伏せ札になった。
後ろに控えている連中の中で特に強いだろう数名も、気配にかすかながら動揺を感じる。
あれだ。訓練にレイリーが加わってからやはり覇気が伸びているのか、気配にえらく敏感になりつつある。
おまけに最近レイリーはともかくミホークの奴は、隙を見せれば首でも狙ってくるから気が抜けないというか回避力全振りみたいな所があるので、聴力も意識すれば跳ね上げられる。
…………。
なんで俺こんなセルフ人体改造してんだろ。
その内某ライダーばりの強力キックが出来たりしたらどうするんだ。……あ、もう出来るわ。
ハンコックと足技鍛え合ってたら、ついでにキック力すんごい上がってたわ。
この間試しにと本気で覇気込めて海に向けて『噛猫』撃ったらちょっと海割れたわ。
いや、割れたってのは言い過ぎかもしれんが抉れてた。
それ見られてからスパーリング相手の馬鹿二人が覇気のレベル跳ね上げて、毎日生死の境を彷徨う羽目になったけど。
俺はお前ら超人とは違うんだから、ちゃんと人間レベルに難易度設定してクレメンス。
(あとは五老星が応えてくれるかという第一関門を突破できるか……だが……)
出来る限り戦闘はしたくない。おそらくこれは共通認識だろう。
となれば、決着は口で付けるのが最善だというのも互いに思っていることだ。
だと思う。だといいなぁ。
うん、命令をわざと曖昧にしたからそのハズなんだけどなぁ。
(向こうが海賊の俺を相手に交渉のテーブルについてくれれば御の字。まずは取引に持ち込めるかどうかだが……)
こちらが現在見せているカードは、俺がニコ・ロビンという歴史の鍵の管理者であること。
そしてダズやミホークと言った特級単体戦力。
一部海域だけならば安定させられる統治力。政治力。
これから来年度の冬にかけて大きい拡張が予測される政府管理外の穀物生産力。
海賊連合事件を通じて築いた海軍勢力との太いパイプ。
まだ見せていないが、今回ハンコックを主軸に編成し、指揮系統を分けた事によりフットワークが軽くなった艦隊戦力。
伏せ札を除けばこんな所か。
出来る事ならばもうちょっと生産力を上げておくはずだったが……。出来なかったものは仕方ない。
(最悪、政府と海軍が仕切り直してくれるというのならば、前回ちょっと頭によぎったなんちゃって七武海役を受けてもいい……が、そうはならんだろうなぁ)
俺達『黒猫』を事実上の海軍戦力に組み込むというのは最後の札だ。
その際に政府は関与しない事を条件に出すこともできなくはないが、それは潜在的な政敵である海軍の強化につながる。
心情的にも統治戦略的にも怖くてできないだろう。
(……のらりくらりと躱して、CP9を始めとする政府戦力を撤退させる事自体は……可能……だと思う。だけど、それは先延ばししてるだけなわけで……)
先延ばしにしただけという空気は『黒猫』のメンバーにも海兵側にも伝わるだろう。
別に悪いわけじゃないし、成果としては十分だと言ってくれるだろうが士気に影響する。
もう冬が始まってそれなりに時間が経っている。
口減らしが始まっている事に加えて、目を背けたくなるほどの餓死者が出る気配が出ている。
というか、特に被害が酷かった初期に襲われた国家ではもう出ている。
非加盟国は当然加盟国もその対策をしたいが、全てを燃やされていてはどうすることも出来ず、政府の援助を待つばかり。
それ以上を得ようとするならば……余所から奪うしかない。ある意味で海賊以上に必死で、命がけで襲おうとするだろう。
それらに対応しなければならない俺達『黒猫』や海軍の人間にとっても大きな試練になる。
(少しでも、一人でも多くの兵士を勇気付けなければならない……それはわかっている)
海賊のような明確な敵がいてそれを倒す戦いならばまだしも、ここから先は人の生き汚さと向き合う戦いになる。
(下手しなくても、対海賊戦以上に心を削る戦いだ)
であるならば政府と海軍の連携の齟齬を取り除き、海兵達の士気を跳ね上げる必要がある。
すなわち――勝つしかない。
確かな成果を掴み取った上で、正義を背負って立ち上がる事に確かに意味があるのだと思ってもらうしかない。
「ぇ――ねぇ、クロ!」
「? どうした、ヒナ……じゃない。ヒナ二等兵?」
「もうヒナでいいわよ。それより、どうするの?」
「……どうするって?」
「五老星なんて呼び出してどうするのよ。無視して非加盟国民を連れ去れって命令が出されたら!」
「その時は俺達が海賊らしく彼らを
仮に青雉、黄猿の両名と戦闘になっても拮抗させられるだけの戦力はあるし、特記戦力を押さえた場合の残る兵力勝負でも、対多数戦を想定して訓練や演習を重ねているウチの海賊団なら避難民を乗せた船が安全圏に出るまでは持ちこたえさせてみせる。
そもそも、そういう状況になったら海軍兵士の士気はボロボロだろうし。
真面目に警戒するべきなのは黄猿と
「まぁ、政府も分かっている。海軍の手綱を握り直すには海軍の失点か、あるいは政府の大義名分を大きく知らしめてからじゃないと無理だって」
もっとも、五老星が出てこずに現場の判断という事でCP9に非加盟国民の徴発を任せる可能性は確かにある。
というか、滅茶苦茶あった。
だからその場合のために、一応牽制も兼ねた毒は流した。
五老星がそう言いだした時に、五老星を怒らせない程度に何とか出てきてほしいとあのチンピラ長官は頑張ってくれるだろう。
「今回の命令の最大の狙いは、海軍が守るのはどこまでか。どこに仕えているのかというのを将兵に思い知らせることだ」
そのための大掛かりな芝居だな。
いやはやホント、宮仕えは大変だよなぁ。わかるわかる。
「……大体これから冬が来るのに人員を徴発してもどこで働かせるのよ……これからどこも育てられる作物なんて限られて――」
「アホウ、気候がバラバラな
「……ぁ」
コイツ、本部入りしたとはいえまだ普通の海の常識に染まったままだな。
「クザン、実際政府が本気で援助したとして、現状の食糧危機をどこまで軽減できると思う?」
「さて……どこの海でも海賊の被害が出てるからねぇ」
「食料なんて、海賊が街を襲った時に真っ先に奪われる物よ」
「……だよなぁ。つまり、分からない?」
「ただ、島を奪われたというわけではないから次の収穫期まで……いや、それでも農作業の事はよく分からねぇしなぁ」
まぁ、農作業を理解している軍人なんて、なんちゃって屯田兵と化しているウチらくらいだよなぁ。
うん、軍人じゃなくて海賊だけど。
(仮に援助による消費量がデカすぎたら政府も二の足を踏む。具体的にどこまでが許容できるラインか分かるのは、やっぱり政府側だよなぁ)
となれば、取れる策はやはり――
「おんやぁ? どうやら長官殿が戻ってきたようだねぇ」
「……結構早かったですね」
一言も話さずじーっと俺達の会話に耳を傾けていた黄猿が唐突に口を開くと驚くな。
ともあれ、本当に戻ってきたようだ。
……顔色はそこまで悪くはないが、緊張はしたままだ。
(五老星……。俺との会話をあっさり承諾したという所か)
こちらとしては助かる。
他ならぬ五老星が俺に価値を見ているという、動かぬ証拠になる。
ということはつまり、スパンダインに刺した毒は全く抜けていないということだ。
「おい、黒猫」
「はっ」
「五老星が、お前と話をしたいと言っている」
(……こんなガキにビビるなよ。いや、ビビってるのは俺と五老星の関係性か)
さっきまでに比べてこの男から感じる圧が激減している。
さて、この男をどう扱うか。
(ロビンの仇ではある。正直、使い潰す方向で振り回そうと思えばできなくもない。ないが……)
チラリとロビンの方を向くと、さっきまでミホークの服を引っ張っていたのに今ではハンコックに後ろから抱きしめられている。なにがあった。
目が合ったのでスパンダインへと少し目線を当ててみると、本人は「ん?」と首を傾げている。
…………。
え、いいの? コイツお前の島滅ぼしたある意味張本人なのは分かってるよね?
いや、グッドサインじゃなくて。……口パク?
(ま・か・せ・る。……か)
まぁ、そう言うならいいか。
可能な限り大切に利用しよう。
「ありがとうございました。スパンダイン長官」
「お、おう」
「あっさり話が通ったという事は、五老星の方々にとって十分にあり得た想定だったということでしょう」
毒を持った人間が敵性勢力に残ってくれた方がこちらとしては助かる。より長くだ。
ならば、この男からの信用を稼いでおくことはこちらにとって有利に進む。
(今はこれ以上毒を刺す必要はない)
病気と同じだ。潜伏期間は長ければ長いほど後が怖い。
「あとは私と五老星の話し合いになります。その結果次第ではどうなるか分かりませんが、その間に混乱が起こらないように、今は海軍と協力していただけませんか?」
「……わかった」
そう言うとスパンダインが、役人達や後ろに控えていたCP9っぽい連中を引き連れて少しだけ下がる。
(……どちらかと言えば海軍の方を警戒しているな。命令としては、やはり海軍の挑発が主だったかな。まぁいい)
スパンダインから受け取った電伝虫の受話器を取る。
『久しぶりだな』
「ええ、およそ半年ぶりですね」
まさか、こうしてまたこの人たちと話すことになるとは。
俺海賊だし主人公のルフィですら話したことも出会ったこともないような連中なのに、んもぅ。
「声だけですが、お変わりないようで安心しました。――五老星殿」
ヒナ嬢、なんでそんなにビビってるのさ。
「まずは御礼を言わせてください。政府の手配した物資のおかげで、多くの民衆を飢えから遠ざける事が出来ました。差配のための人員も含め、ありがとうございました」
『……相変わらず、面白い男だな。まさか海賊勢力を率いて海軍の援護をするとは』
「確かに我らは政府の在り方を良しとせず、その庇護下から外れた海賊ではありますが、無法を好むわけではありません」
ぐぬぅ、さすがに自分達から本題に切り込んでくれるわけではないか。
向こうから本題に切り込んできてくれればやりやすいんだけど。
(……世界政府は今回、海兵を観客としてショーを開いた)
海賊を始めとする脅威に対抗するには、清廉ではいられないと。
スパンダインは本人の性質からしてムチ役。
推測でしかないが、今回の物資量から観て、仮に海軍との間の対立が深くなった際にもっとも食料の問題がキツくなるのは燃料の問題も深刻化する真冬の時期。
(悪に見えるスパンダインにヘイトを集めさせた所に、民衆を救う物資をもったアメ役を登場させて説得。海軍は政府の下になくてはならない。冷酷な判断だって必要なんだと説き伏せる。ここらが世界政府の理想のストーリーラインだったハズだ)
まぁ、そうならない可能性も十分に高いと見てサブプランを敷いていたみたいだけど……。
(事態の解決に政治をショーに仕立てて大きな流れを作る。それ自体はいい手だ。だが……)
海兵達を観客として、役人たちを役者としてショーを開きたかったのだろうが……。
(劇とは観客もまた演出の一つであり、決してただ受け身なだけの存在ではないという事を理解していなかったのが、貴方達のミスだ)
『無法を好まぬ貴様なら分かるハズだ。西の海は極めて危険な状態にある』
「なれば、非加盟国の人間を奴隷として酷使するのも已む無しだと?」
『飢えがどれだけ危険なモノか、統治力に優れたお前ならば分かるであろう』
「それを判断するには、材料が不足しているとしか思えません。政府が具体的にどれだけの物資貯蔵をしており、どれだけの輸送力があるのか」
実際、センゴクさんはそこらへんの情報は全て提示するように指示を回してくれたからアレコレ動かせたんだ。
本当にセンゴクさんには頭が下がる。足向けて眠れねぇ……。
「それらの情報を開示し、輸送を担当するのだろう海軍との関連議事録を見せて頂かないと納得は出来ません」
『こちらの軍事機密を、一海賊に見せろと?』
「まさか。ただ、納得させるには到底足りないと言う事です。無論、それは一般海兵達もでしょう」
『彼らは我ら世界政府の軍である。命令があればそれがどのようなモノであろうと実行する存在でなくてはならん』
「ええ、おっしゃる通りです」
「ですが、それは上位者である貴方方が、兵士たちを裏切っていない場合に限る。違いますか?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
初めて出会った時は、顔すらまともに見れなかった。
訓練教官であるマンチカン中将が戦闘開始を宣言したその瞬間、自分は蹴り飛ばされて動く事すらできなくなっていたからだ。
『裏切る? 妙な事を言う。軍とは政治の下に振るわれる力であり、そうあるべきなのだ』
「あぁ……やはり。海兵奴隷から続く一連の事件の中で感じていた違和感の正体がようやく分かりました」
見返したくて。
自分にとって初めての戦闘で、初めての敵で、そして初めて負けた相手を自分の手で捕まえたくて。
だから英雄と言われるガープにも訓練を頼んで、少しずつとはいえ力を付けつつある。
だけど――
「貴方方は、根本的に軍隊という物を理解していない」
『…………ほう』
だけど、遠い。
あの日、自分で捕まえると決めた海賊は、気が付けば海軍と肩を並べる海賊になっていた。
そして今、捕まえなければならないハズの海賊という存在は、自分達に背を見せ、五老星というとても手が届かない存在を相手に、言葉を以って戦っていた。
「確かに、軍隊とは政治手段の一つとして統治機構の下に揮われる力です。それに関しては異論を挟む余地はない」
『意見が一致するな。黒猫』
「はい。ですが――」
「それは土台となる統治機構が、統治機構として確固たる覚悟を決めている場合に限ります」
海賊であるハズの男が、自分達海兵に無防備な背を見せて、
―― 世界に立ち向かっている。
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