「よいのか、ロビン?」
自分の足なら奇襲を受けても躱せるし、避けた直後に大抵の敵は石に出来るとロビンを抱きしめているハンコックは、ロビンの耳元で小さく呟く。
「うん?」
「あ奴はおぬしの仇と言っていい者じゃろう?」
「……うん」
ロビンにとって、あの島は決して楽しい物ばかりではなかった。
預けられた先では厄介者扱いされ、食べる物も着る物も厳しい制限が掛けられていた。
家族同然に扱ってくれる人はいた。
自分に色々な物を教えてくれた、家族同然だった考古学者の皆はいたが、それでも『家庭』という物を感じた事は一度もなかった。
「でも、きっとキャプテンさんは人に嫌な事をするのは嫌だろうし」
だけど、あの空き樽の中に隠れていたのを見つかった日から、家が出来た。
あの時は定住しない船の中に。
今では、皆と一緒に切り拓いた島の中に、皆と一緒に建てた家がある。
オハラの――故郷の無念は忘れない。
必ず他のポーネグリフを見つけ出し、あの島に眠る者達の悲願。空白の百年の謎を解き明かす。
だけど同時に自分を守り、家を、家族を与えてくれたキャプテンの意向に出来るだけ沿いたかった。
あの優しい人が嫌がるだろう事を、押し付けたくはなかった。
「――いや、ロビン。主殿は敵と判定したらとことんまで悪辣じゃぞ」
「あの、うん……それはそうなんだけど……」
「同感だ。奴なら生かさず殺さず、あの男の人生を見事にしゃぶりつくすだろう」
「ミホーク、ちょっと口を縫い合わせてきて」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
『我々に、覚悟がないと?』
五老星め、会話に乗ってくれたんならばこっちのもんじゃいワレコルァ!
マイクパフォーマンスはアジテーションの基本中の基本じゃい!!
「私の目にはそう映ります」
『怖いもの知らずな所も変わっておらんようだな。我々に何が足りないというのかね』
「ではお尋ねします。貴方方にとっての『世界』と、海軍にとっての『世界』。これは果たして同じ物でしょうか?」
『……』
前にもコイツらに言った通り、世界政府には弱点がある。清算するチャンスを逃し続けている所だ。
「世界政府は、三つの分断を用いて世界を治めている」
世界政府を割るようなつもりはないが、天竜人こと世界貴族への牽制の一手になりうるならばちょいと突っついておいてもいいだろう。
「世界貴族とそれ以外という絶対階級、非加盟国民への意図的かつ過剰な差別、そして――加盟国同士の対立因子の保持」
多分だけど、仮に問題点を指摘した所で世界政府は手を打てない。
天竜人の在り方を変えない限り、抜本的な改善策を打てない。
そしてそれが出来ないのが世界政府だ。今は特に。
それがお前たちのアキレス腱だと思い知らせてくれるわ!
「前者二つはまだ分からなくもない。だが、最後の一点が貴方達の問題を浮き彫りにしている」
『ほう、そちらか』
五老星の誰か――声だけだとあの中の誰が喋っているかさっぱり分からんが、誰かが話に乗ってくる。
『加盟国には加盟国それぞれの理由がある。そこに強権を振りかざせと?』
「ですが、多少なりとも介入、外圧がなければ簡単には変われないのもまた国家という物でしょう」
『容易く口を挟んで良い物ではないと思うがな』
「ならば、
俺が元々商家に住み込みで弟子入りしてたのを忘れてないだろうな!?
そこら辺の詳しい話は行動の指針を決めるために常にアンテナ伸ばしてチェックしてたから、過去三回くらいの
例のゴア王国の王家の所にもウチの商会出入りしてたし、ちょっと持ち上げたらベラベラ内情喋ってくれたからな。
他の東の海の王家にもちょいちょいヒアリングしていて分析していた結果をこんな形で使う事になるとかホントもう!
「天竜人を絶対の存在とするために意図的に被差別階級を作り出し、天上金を設けて加盟国の国力を削ぎ落とし、そして対立の種を残して削り合わせる。これが世界政府の方針ではないのか」
「だから、加盟国への対策も遅れがちになる。世界政府の根幹として、加盟国群という物が生産地を兼ねた聖地を守る緩衝地帯に過ぎないからだ」
20年後にはクロコダイルやら腐れグラサンがやるかもしれない、わっかりやすい手口だし。
俺だってある意味海賊とマフィアを槍玉に挙げてるわけだし。
…………。
いやなんか言ってくれ!
別にただそっちを一方的に悪人にしたいわけじゃないんだ!
クザンもヒナも歯ぎしり止めなさい!
「そして、それ自体は悪ではない。悪ではないのです」
しょうがない面もあるんだってば!!
「背負わぬ者が何をどう言おうと、国家の最大の使命はその生存にある。これは変えようがない真理です」
『……貴様は――』
「世界政府というものを天竜人の国家だと仮定すれば、全て当てはまる。なにかしらの争いと見られる空白の百年を乗り越えた、今の世界貴族――天竜人の祖に当たる者達も疲弊していた事でしょう。だから生存のために策を打った。より大きなまとまりを作り、それを殻とした」
実際、ここまで天竜人に都合がいい世界を築くのは……いやまぁ、悪事と言われるような真似だったとは思う。ワンピース世界だし。
ああ、そうだ。そう思う。思う……が、大偉業であったのもまた事実だ。
ワノ国到着してちょっとくらいの話までしか知らない上に色々うろ覚えの知識ではあるが、実際にここで生きた経験も踏まえると、なんだかんだで800年こんな暴力世界に――その原因の一端であるとはいえ――ある程度の秩序を維持してるのは凄いとしか言いようがない。
より良い手段があったとかどうとか言えるのは、結局のところ後出しでしかない。
確かに救われた者もいるこの800年間の否定は俺にはできん。
「それはいい。だが、それから長きにわたり、その生存の策を時代に合わせ修正しないままここまで来てしまった。政府にとっての『世界』と加盟国の――ひいては海軍にとっての『世界』の意味の乖離は年月を重ねるごとに大きくなる」
ついでにいうなら、その乖離が生み出したのが政府の支配にも非加盟国への搾取にも我慢できなくなった海賊なのだろう。
『……憶測にすぎん』
「ならば、なぜ今回政府の援助がこうも遅れたのでしょう」
『被害の拡大を抑える事に力を入れたまでだ』
「その後予測される革命や海賊の拡大を天秤にかけてですか?」
『事実、想定よりも被害は大きく抑えられている』
「さて、その言葉で海兵が納得するでしょうか?」
『…………人心は、結果の後に続くものだ』
「なるほど、確かに。一理あります」
結果出してるのはこっちだけどなぁ!
まぁ、五老星には悪いがこのまま反論がないならこの推測で押し切らせてもらう。
劇場型の政治はその実インパクトとパフォーマンスの勝負。
うかつに舞台に上がらせてくれたんだ。遠慮なく突かせてもらう。
それに、政府と海軍両方が歩み寄る切っ掛けを作るには、それが見当違いだったとしても立場的に下の海軍が多少でも納得出来うるストーリーがまず必要だ。
「海軍は正義を掲げ、その正義を――あるいは安定を求めて新兵たちが入隊してくる」
その新兵も、新入りとはいえ兵士は兵士。
「そして本来ならば訓練期間である彼らも、今回のような事態では頭数に数えられて派遣される。派遣され……倒れる者も出てくる」
『……そうだな。新兵とはいえ兵士ならばそうだろう。彼らは立派だった』
「はい」
そうだ、皆立派に戦った。戦っている。
五老星が肯定してくれてよかった。ここでまさか当然の扱いをされたら修正に手間がかかるところだった。
「海賊連合による最初の襲撃が起こった際に、モグワ近海を担当していた第178基地では新兵7名が……全体では78名が犠牲になりました」
初日に犠牲になった海兵達の遺体の回収や修復、葬儀も手配したが、あれほど嫌な物はない。
海軍の歌とか言う……
あれを同期だったのだろう若い海兵が泣きながら歌ってて……。
クザンもやるせない顔をしていたなぁ。
「そちらも把握していると思いますが、本日までに西の海だけで836名の犠牲者と、1329名の重傷者が出ています」
ハイランド三等兵は奪還した島で補給品の運搬をしていた時に隠れ潜んでいた海賊に、テリア大佐の息子のデール二等兵はエリアAの防衛戦で。マリノア大佐率いる231基地の部隊は救援が間に合わずに沈められた。
ケルピー三等兵、カレリア軍曹、シュナウザー准将にケリー一等兵、クバース二等兵……。
中には家族が今回の騒動で行方不明になっていても、頑張って海兵として戦ってくれている兵士もいる。
「たとえ新兵だろうと、老兵だろうと。国家から下された如何なる命令にも清濁を併せ呑み、恐怖を抑え込んで戦場に立つ」
『何が言いたい。ここまで、お前と我々の軍隊観は変わらんように見える』
「分かりませんか?」
『……ああ』
「だからこそ。だからこそ軍隊に――兵士に命を捨てろと命令を下す統治機構が、その根幹を偽る事は許されないのです」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(……変わってねぇ。変わってねぇな、クロ)
かつて自分と敵対した男は、初めて出会ったあの隠し倉庫での戦いからなに一つ変わっていなかった。
(ああ、そうか。ただの商品だったあの小娘達は、あの時にこの背中を見たのか)
強いて言うなら、視点が違う。
あの日、自分が部下に撃たせた大砲の砲弾を蹴り上げ、向かい合っていた少年海賊は自分達に背を向けて、遠くにいる世界政府に――いや、巨大な何かに立ち向かっている。
「多くを語らずに兵を動かすこともあるでしょう。迷いを持たせぬために情報を絞ることも当然のこと」
(あの小娘共が、この半年で兵士になるわけだ。これを見せられちゃあ……な)
結局ここを動かなかった部下達も、生唾を飲んで海賊の背中から目線を外そうとしない。
いや、外せなくなっている。
「正義を謳う清廉な作戦であろうと、実態が極悪非道な反吐の出る作戦であっても兵士は軍隊組織に、軍隊組織は統治機構に忠を誓い、下された命令を実行に移さなくてはならない」
「その命令がいかに理不尽で不甲斐ない物でも、覚悟を決めて兵士は死地へと赴く」
「武器を手にし、命を懸けて海に出るのです。不平や不満を押し殺し、覚悟を持って
『敵は賊や犯罪者だ。何の問題があるというかね』
「いいえ、人です。それを兵士が一時忘れる事はあっても、呑み込む軍隊はあっても……偽り続ける軍隊ほど脆い物はない」
海兵達も、身じろぎせずにクロを見ている。
声が届いていないだろう者ですら、クロという海賊から目を離せない。
「兵士たちは、世界を守るためにと全てを押し殺して覚悟を決める。だが、その命令を下す統治機構が偽りを重ねている。世界政府の示す世界と、海軍の思う世界に大きな齟齬が出来る程に」
「ならば兵士たちは、何のために海賊という恐怖に立ち向かうというのか」
「何のために戦場に散っていったのか」
ヒナというクロとそう変わらない年頃の兵士もまた、これまでとは違う目でクロを見ている。
「そこに偽りを抱かせる統治機構が正しいハズがなく、それを正そうとせぬ統治機構は統治機構たる覚悟がない」
「五老星殿、貴方方に問い掛けたい」
「今の海軍に、正義はあると胸を張って言えるのか」
「政府のただの都合の良い駒などではないと言い切れるのか」
「命を賭して任務に赴く海兵達の胸に――」
「誇りは輝くのか……っ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(あぁ……)
大将黄猿としてこの西の海で受けた任務は、西の海の民衆を救うための物資の護衛。
そしてもう一つが、この目で『黒猫』を見て来いという物だった。
(これは……)
周囲にいる海兵達は、まるで凍り付いたように動かない。
(これは……いけないねぇ)
確信がある。
殺すなら今だ。
この海賊を殺すには今しかない。
なにせ次々に一部の海兵が、
海兵やマフィア、海賊達が気付いていないのは、誰もがクロという男から目を離せないからだ。
(政府があの海賊を認めるはずがない……)
今殺さなければ、とてつもなく大きな海軍の――ひいては政府の障害になる。
いや、言葉を間違えた。
ここが最後のチャンス
オハラの悪魔――ニコ・ロビンを守っている剣士と副総督の二人が、先ほどからこちらに微弱な殺気を飛ばしてきている。
クロの
ダズ・ボーネスはそこまで察してはいないようだが、それでも警戒を怠っていない。
仮にクロを襲えば初撃を『海兵狩り』に防がれ、そうすればすぐにダズ・ボーネスが他の『黒猫』の兵士をまとめ上げて戦闘になってしまうだろう。
『無論だ。海軍は正義の下に立ち、そこに異論をはさむ余地はない』
一方で会話は続く。
一海賊と五老星の対話という、歴史上一度もないだろう異変だ。
五老星の言葉に、海賊はそれを待っていたと言わんばかりに小さく口元をニヤリと歪め、
「では、問題は海軍との齟齬のみであり、だがその機会を掴み損ねていると」
『そうだ』
「なるほど、これは失礼いたしました。ならば、恐れながら一つ提案があります。よろしければ……」
『構わん、言ってみろ』
「互いの認識に齟齬があり、そのためにより良い連携の機会を掴み損ねているのであれば、調停する第三者がいれば問題ないでしょう」
『……まさか、貴様』
「政府の代表、そして海軍の代表を交えた正式な会談の要請をさせていただきたい」
海賊は、なんという事のないような顔でシレッと切り出した。
「これを受け入れてくださるのならば、第三者としてこの『抜き足』のクロが、武装を解除した上で単身マリージョアへ出頭致します」
普通に考えれば自殺に等しい提案を口にしているにも関わらず、
「いかがでしょうか?」
海賊『黒猫』は、勝利を確信した笑みを浮かべていた。