三峰集落の入り口で、まずびっくり仰天したのが、狩りの列のしんがりに居た少年だった。
次いで女将さん達が金切り声を上げ、これ以上ない早さでダッシュして来たフウヤが、裸同然の娘を上衣で覆った。
一同騒然呆気に取られる中、だぶだぶ上衣にキノコ頭を振り乱した娘は、一気に祭壇に駆け上がった。
そうして獲物の前に置かれた榊を掴むや、鳶(とんび)みたいに通る声で、祝詞を唱し始めた。
いつも自信なさげにポソポソ喋る娘の声とは思えない。
狩人達は条件反射で頭を下げ、他の者も狐に摘ままれた顔で静まった。
カーリの態度があまりに当たり前然としていたので、皆が皆、『自分が知らないだけで、何処かでそう決まったんだろう』ぐらいに思ったのだ。
祝詞終わって、代理巫女がその場にナヘナと座り込んだあたりで、やっと『なんで、どうして?』という空気になった。
問い詰めようと近寄った族長は、カーリの疲弊した顔と、手足の擦り傷に気勢をそがれた。
「いったいどうしたのだ? シータは何処だ?」
「ぜぇ、ぜぇ、し、下の谷に……」
「何かあったのか?」
やりとりをしている間に、口やかましい老人達が、文句を頬袋一杯に詰め込んでやって来た。
彼らにとって形式は、どんな事情よりも重要なのだ。
族長は困った感じで、老人とカーリの間に立った。
「この娘は三峰に来て間もない。どんな事情だとしても、大目に見てやろうではないか」
「そういう問題ではないわい!」
「正式な巫女はどうしたんじゃ、シータは!?」
老人達の大声に、事情を知りたい村人も三々五々集まって来た。
このままだと、この気弱な飴色の肌の娘を吊し上げる形になってしまう。
族長は話を預かってこの場を終わらせようと、口を開きかけた。
それより早く、カーリがぱっと顔を上げ、大声で叫んだ。
「シータは! シータは、大変だと思う!」
「え?」
思いがけない話の矛先に、一同、鳩が豆鉄砲喰らった顔になった。
飴色の肌の娘は、白くなるほど両拳を握りしめて、一生懸命言葉を捜しながら喋る。
「シ、シータは、やる事が一杯あって大変だと思う。何をやっても誰よりも出来ちゃうから、誰も代わりになれない。でも、もし……た、例えば、病気だったりしても、言わないで、きっと一人で頑張っちゃう。何でも出来るからって、病気まで治せる訳じゃないのに」
皆、目を丸くしてカーリを見ている。
確かに、何をやっても完璧に出来てしまうシータに、気軽に『代わろうか?』なんて言えなかった。
でも、シータだって、沢山の仕事をすれば、疲れる。
疲れれば身体だって壊してしまうだろう。
当たり前の事なのに、言われるまで考えない事ってある……
「だから、シータのやる事を、ひとつでも引き受けようと思った。神様へのお祈りなら、清宮で毎日やっていたから出来ると思ったんだ。でも、山の神はお気を悪くされたか?」
カーリは大真面目な顔で、凝り固まった老人達を見た。
「それだったら、わらわだけにバチを当てて欲しい。山の神にそういう風に頼んでくれ」
「バチなんか当たんないわよ!」
女性の甲高い声が上がった。
糸取り場の女将さんの一人だ。
その声を皮切りに、次々と女性達が叫んだ。
「立派だったわよ、心配要らないわ!」
「ご苦労様、カーリ!」
「ちゃんと出来てた、えらいえらい!」
日頃糸紡ぎ場で、カーリの事をドン臭いだの不器用だのと、散々嘲笑っていた女性達だ。
「だ、黙らんか! そういう問題ではないわ」
老人が精一杯対抗した。
「じゃあ、どういう問題だって言うのさ!」
古老達と女性陣の言い合いになってしまった。
おろおろするカーリの隣に、フウヤがツィとやって来た。
「なかなかイケてたよ、カーリの巫女さん」
「フウヤ、どうしたらいい?」
「ダイジョブダイジョブ、この集落は、養蚕小屋の女将さん達がいいって言ったらいいんだ」
「そうなのか?」
「そうそう。これからは時々シータと代わってやればいい」
「シータ! そうだフウヤ、シータが谷で倒れて……」
「ダイジョブダイジョブ、さっきのカーリの『例えば病気だったりしても』の辺りで、血相変えて走って行った奴がいるから」
「シータ!」
ケンケンゴウゴウ言っていた声が途絶え、村の入り口に、黒髪の娘を背負ったヤンが姿を現した。
***
今日の三峰の尾根も、春霞にけぶっている。
シータは、墨で線を引いたような黒髪を風に揺(たゆ)らせながら、山陵の岩肌に腰掛けていた。
「見て、シータ!」
キノコ頭の娘が、山菜カゴを抱えて駆け登って来る。
「一人でこれだけ採れたよ! 間違っていないでしょ」
「どれどれ」
シータが山盛りの山菜カゴを選っている間、カーリは脇でそわそわしている。
「全部正解。凄いわ、よく覚えたわね。でもこれはなあに?」
シータの掴み出したこぶし大の木の破片を引ったくって、カーリはそれをカゴの奥に突っ込んだ。
「ダメだよ触ったら。もうちょっとで起きるかもしれないのに」
「おきる?」
「そう、だってそれ、どう見たってネズミでしょ? ほら、ここが耳でここがしっぽ。『ギタイ』の魔法で木に化けているんだよ、きっと」
「…………」
「木からネズミになる所、見られるかなあ」
言いながら立ち上がったカーリは、傍らのシータが両肩を抱えてうずくまっているのを見て、慌てふためいた。
「ああ! ほらやっぱり。昨日の今日でまだ本調子じゃないのに、山歩きは無理だったんだよぉ」
「ち、違うのよ…」
顔を上げたシータは、涙を浮かべてひきつり笑いをしていた。
「いや、あのね、カーリ、擬態って言うのは……アハハ、あはあは、ああ、苦しい」
シータは笑いながら顔を上げて、靄の隙間に見え隠れする三峰の山々を見やった。
小さい時から見ている同じ繰り返しの風景なのに、この娘がいるだけで、今朝生まれたみたいに新鮮に見える。
「シータ?」
レモン色の瞳が覗き込む。
「ああ、大丈夫なのよ、そんなに心配しないで」
「ホントに?」
「本当よ」
「織物大変だろうけれど、夜は寝ないとダメだよ」
「織物? ああ、あんなの急ぎじゃないからいいのよ」
「そうなの?」
「それより、貴方に返すハンカチ、織らなきゃね」
「いいよ、練習で作った下手くそな奴だったもん」
「そうは行かないわ、失くしちゃったのは私だもの」
「仕方がないよ、具合が悪かったんだし。それより、何だか安心しちゃった」
「なあに?」
「シータでも物を失くしたりするんだ」
「するわよ」
草を払って立ち上がり、シータは谷を見下ろした。
そう、一昨日(おととい)の、あの谷の藪の近道から、全てが始まったんだ……