砂の娘 山の娘   作:西風 そら

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山紫陽花・Ⅳ

 

 

 

 一昨日・・

 

 カーリと別れて集落への近道を走っていたシータは、笹藪で何かにつまづいた。

 足元が見えないとはいえ、勝手知ったる道、こんな所に出っ張りなんか無かった筈だ。

 

「いってぇ!」

 

 藪から起き上がったのは、八つか九つ位の男の子だった。

 シータは一瞬息が止まった。

 だってその子は、顔も手も釜戸の消し炭みたいに真っ黒なんだもの。

 飴色の肌のカーリを知らなかったら、地霊か妖怪の類いだと思ってしまったかもしれない。

 

 帽子も衣服も、長靴までもが黒づくめで、唯一黒くない白眼の部分だけがやけに鋭く光っている。子供なのにやけに凄みのある子。

 少なくともこの辺りの子供ではなさそうだ。

 

「ご、ごめんなさい。でもこんな藪の中で何をやっているのよ?」

「別に……」

 

 子供は不機嫌な様子でそっぽを向いた。

 見れば手足は擦り傷だらけで、着ている物にもカギ裂きが出来ている。

 黒くて判りにくいが、視線は定まらないでソワソワと落ち着かない感じだ。

 

「貴方、もしかして藪に巻かれて迷子になっていたの?」

 

「ち・が・う!」

 子供は即座に言い返した。

「ちょっと昼寝をしていただけだ。俺をそこいらのトロい子供と一緒にするな!」

 

「そう、じゃあ、さよなら」

 シータはくるりと背を向けた。

「あ、おい」

「なあに、迷子じゃないのなら、一人で帰れるでしょ」

「……」

 

「私急ぐの、じゃあね」

 去りかけるシータの前に、子供は無理やり回り込んだ。

「待て、ちょっと待て」

「なあに?」

 

「う、馬が寂しがっているんだ。下の谷で独りで待っている。可哀想だとは思わないか?」

「はあ?」

 シータは肩をすぼめて溜め息した。

「ねえ、私、本当に急ぐの。谷の見える所まで案内してあげるから、着いて来たかったら勝手に着いて来なさい」

 

 黒髪の女性が先に立ってさっさと歩き出したので、男の子も黙って付いて来た。

 

「貴方、何処から来たの? 大人のヒトは?」

「大人なんかいないよ、俺と馬だけだ」

「嘘! 貴方みたいな小さい子が、一人で遠くから来てフラフラしている訳ないじゃない」

 

「馬鹿にすんな。俺はそこいらの子供と違う。一人前だから、大人と同じ役割を任せられてここに来たんだ」

「へえ?」

「祖父からの指示を言付かって来た、正式な使者だ」

 

 シータが立ち止まったので、男の子は彼女の背中に鼻っ面をぶつけた。

 

「いってぇなぁ!」

「使者って、三峰の族長に御用って事?」

「違う」

 男の子は鼻を押さえながら、上目で背の高いシータを睨んだ。

「カーリというヒトが、最近、この土地に来ただろう」

「? え、ええ……知っているわ」

 シータは真顔になって、子供に正面向いた。

 

「あのヒトは、砂漠の砂の民の総領の大切な令嬢だ。本当はそんなに簡単に他所にやれるヒトではない」

「……」

「だから、俺が密使として遣わされたんだ。カーリの様子を見て来て、山の暮らしに難儀しているようなら、総領の元に呼び戻すようにと」

 

「ええっ!? そんな!」

 シータはまじまじと子供を見た。

 子供とは思えないはっきりとした口調に、大人びた鋭い目。

「だって、カーリは、フウヤを好いてここに来たのよ。それを引き離すっていうの?」

 

「そんな事するもんか」

 男の子の表情は、シータの動揺を見て取って悦を帯びている。

「勿論フウヤも一緒だ。総領の娘婿として、相応の身分と家畜の用意がある」

「……」

 

「あんたなんかには想像付かないだろうけれど、砂の民は西の砂漠で一番勢力の大きい強い部族なんだ。財も家畜も桁が違う」

「お、大きかろうが何だろうが、フウヤが三峰を離れる筈がないわ」

 シータは子供相手にムキになっていた。

 

「カーリがここで暮らすのに苦労していてもか?」

「そ、そんな事ないわよ、彼女は……」

「修道院で世間ずれしないで育って、総領屋敷でも何不自由なく甘やかされていたんだ。そんなカーリに、ここの生活を一から覚えなきゃならないのは、可哀想だとは思わないか?」

「彼女はそんな……」

 

「カーリって、謝ってばかりだろう?」

 男の子は話の主導権を握って、饒舌になっている。

「……」

「自分の世間知らずを自覚しているから、すぐに委縮してしまう。生活も習慣も違う知らないヒトばかりの中で、どんなにか心細かろうと、お祖父様はとても心配していらっしゃる」

 

「お祖父様?」

「総領だ。俺は総領の孫で、カーリの兄の息子だ」

 

 

   ***

 

 

 その後、何処をどう歩いて集落へ帰ったのか覚えていない。

 気が付いたら、シータはいつものように、榊を振って巫女の役割をこなしていた。

 

 養蚕小屋で女将さん達が、反応の素直なカーリを面白がってからかう。

 庇ってあげたいけれど、女将さん達なりの受け入れ方なのだ。

 カーリはカーリで、流していればいいのに、いちいち真に受けて、確かに謝りってばかりなのだ。

 

(そんなだから、砂漠の家族が心配するんじゃないの)

 酷くイラついて、声を上げて怒鳴ってしまった。

 目を丸くするカーリの前で、はっと我に返る。彼女は何も悪くないのに。

 

 自分でも何でこんなに不安で居たたまれないのか分からない。

 これはカーリの問題で、自分には関係のない事だ。ましてや彼女にとって、悪い話ではないのに。

 

 家に帰っても食事が喉を通らず、家族に話し掛けられても答えられない。

 そうしてとうとう、夜半にそっと家を抜け出して、あの子供の居る谷へ向かったのだ。もう一度話をする為に。

 

 話をしたって、彼はただの使者だ。

 陰からこっそりカーリの様子を調べ、帰って祖父に報告するという。

 その内容如何で、砂の民からフウヤに対して、正式な書簡が来るらしい。

 

 そんな大事、部外者の自分が口出し出来る筋合いなんてないし、言ったって通らないだろう。

 ただ、ちょっとだけ……報告に手心を加えて貰えないだろうか?

 

 夜じゅう谷を捜したが、夜営している筈の子供は見つからなかった。

 持参したパンとチーズの油紙を目立つ所にぶら下げて、夜がしらみ始めた頃、自宅に戻った。

 

 戻ったって眠れない。

 あの子供は明日もカーリを見張るだろう。

 自分の手の届かない所から、オドオドして謝りっ放しのカーリを。

 そうして祖父に報告し、遠い砂漠の国へ連れ去ってしまう。

 

 ……カーリがこの村からいなくなる? 

 あの頓狂な声を聞けなくなる?

 彼女が来る前は普通だったのに、今の自分には、彼女のいない三峰など想像付かなくなっている。

 考えれば考える程、イライラして眠れなくなる。

 

 そうだもう認めてしまおう。

 自分はカーリが大好きなんだ。

 大好きな縫いぐるみを手離したくなくて抱き締めて、ただただ泣きわめく子供と一緒なんだ。

 

 ようやく山端に朝の光が見えた時、シータは山菜カゴを掴んで、フウヤの家へ走った。

(使者が来ている事を、カーリにバラしてしまおう)

 

 フウヤは駄目だ。

 三峰を愛しているけれど、それよりもきっとカーリを愛している。

 彼には言えない。

 女将さん達も駄目、いつものノリでからかって、カーリを萎縮させてしまうだけ。

 山に連れだすのよ。

 二人きりになって、彼女に頼んで楽しそうな芝居をして貰おう。

 

 しかし、無理矢理山に連れ出したものの、泣き出しそうなカーリに、シータは中々言い出せなかった。

 言えば、彼女はきっと、一生懸命楽しそうに振る舞ってくれるだろう。

 でもそれって、とても残酷で虚しい事なのだ。

 半泣きで怯える彼女にそんな芝居をさせて、何の意味があるというのか。

 砂漠に戻ればお姫様みたいに暮らせるのに。

 

 せめて少しでも、何処かで見ているあの子供に対して、カーリが山の暮らしに馴染んでいるアピールをしようと頑張ってみた。

 しかし頑張れば頑張る程、飴色の肌の娘はこわばって行く。

 

 

 三峰の皆は、私が何でも知っていて、何でも器用にこなすと思っている。

 まさか! 大好きな彼女一人笑わせる事も出来ないのに!?

 

 そう、私はこの飴色の肌の娘が、どうしようもなく好き。

 自分が、この娘と居たいだけ。

 彼女の幸せなど考えていない。

 巫女が聞いて呆れる、一番汚い心で山に入っているのだ。

 

 頭がぐるぐる回って、もう何を喋っているのかも分からなくなった。

 

「貴方、仕方なく三峰に来たの? 本当は砂漠へ帰りたいんでしょう!?」

 

 気が付くと、トンでもない言葉を口走っていた。

 目が回って立っていられない。もうダメだ・・

 

 遠くでカーリが自分の代わりをやると叫んだので、ぼんやりした頭で了承した・・・・

 

 

 

   ***

 

     

 

 カーリが駆け去った後、シータは掛けて貰った上衣の温もりに鼻を埋めて、ぼぉっとしていた。

 

 背後に枯れ枝を踏む音。

 

「……昨日の子?」

 

 振り向くと、木立の闇の中に鋭い白眼が浮かんでいた。

 

「ずっと見ていたんでしょう?」

 

 男の子はムスっとした顔のまま、繁みから出て来て水筒を差し出した。

 

「貴方の言った通りよ。本当に、弱虫で純粋なお姫様。あれじゃ確かに、ここで生活して行くのは辛いかもね」

 弱々しく言って、シータは水筒に口を付けた。

 そういえば、夕べから何も口にしていない。

 

「あんただって相当弱虫じゃないか」

 男の子はポソッと呟いた。

 

「え? なんて?」

「いや……パンとチーズ、ありがと」

「どういたしまして」

 シータは脱力したまま、膝を抱えて丸くなった。

 

「大丈夫かよ?」

 子供は屈んで、シータの背中をさすり始めた。

 

 誰かに手を当てて貰うだけでこんなに楽になるなんて、シータは初めて知った。

「ありがとう、貴方、さするのが上手いのね」

 

「俺は下手だよ」

 男の子は照れ臭そうに手を動かし続けた。

「カーリは凄く上手だよ。母者(ははじゃ)は俺がさすっても苦しいままなのに、カーリが手当てすると一発で治まるんだ」

 

「ははじゃ……お母さん?」

 

「ああ」

 子供はシータの視線を逃れて、またそっぽを向いた。

「俺が小さい時からずっと病気で、ちっともよくならないのに、カーリはずっと看病してくれていたんだ」

「……」

「死んじゃったけどね」

 

 シータは色んな事が分かった。

 フウヤが、決まったヒトがいるらしいのに、なかなか三峰に連れて来なかった理由。

 カーリがお姫様育ちという割りに、芯が一本通って見えた訳。

 

 そっぽを向いたままシータの背中から手を離し、子供は口の中で言った。

「すまない」

 

「え? なあに?」

「昨日言ったあれ」

「ん?」

「嘘なんだ」

「ええっ?」

 

 シータは身を起こした。

「嘘って、どこからどこ迄が?」

「全部」

「ぜ、ぜん……ぶ?」

「お祖父様や父者がカーリを心配しているのは本当だよ。あの世間ずれしていない子が、知らない環境でさぞや苦労しているだろう、っていつも言ってる」

 

 使者ぶって喋っていたのは、大人の言葉をそのまま真似しただけだったのだ。

 

「でも連れ戻そうなんて話はないんだ。カーリは確かにドン臭いけれど、どんなに強くて折れないか、皆、知っているから」

 

「ああ、そうね」

 シータは素直にうなずいた。

「でも酷いわよ。私、真剣に受け止めちゃったわ」

 

 男の子は横を向いたまま、口を尖らせてぼそぼそ言った。

「だって……カーリがあんたを呼んでいたから……」

 

「え? いつ?」

「呼んでいただろ、馬のいる尾根の上で、何かが一杯あるとか」

「あ、ああ、あれね、山菜」

 

 男の子が言葉を止めて黙ってしまったので、シータは彼の横顔をまじまじと見つめた。

 よく見ると、黒い頬に鼻水がテカテカしていて、そこいら辺の幼子(おさなご)と変わらない。

 

 そうして、シータの頭は、やっと一つの事に思い至った。

 昨日、藪の中で、この子は倒れていたんじゃない。

 

 ――突っ伏して、泣いていたんだ・・

 

 




挿し絵:藪の中
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