一昨日・・
カーリと別れて集落への近道を走っていたシータは、笹藪で何かにつまづいた。
足元が見えないとはいえ、勝手知ったる道、こんな所に出っ張りなんか無かった筈だ。
「いってぇ!」
藪から起き上がったのは、八つか九つ位の男の子だった。
シータは一瞬息が止まった。
だってその子は、顔も手も釜戸の消し炭みたいに真っ黒なんだもの。
飴色の肌のカーリを知らなかったら、地霊か妖怪の類いだと思ってしまったかもしれない。
帽子も衣服も、長靴までもが黒づくめで、唯一黒くない白眼の部分だけがやけに鋭く光っている。子供なのにやけに凄みのある子。
少なくともこの辺りの子供ではなさそうだ。
「ご、ごめんなさい。でもこんな藪の中で何をやっているのよ?」
「別に……」
子供は不機嫌な様子でそっぽを向いた。
見れば手足は擦り傷だらけで、着ている物にもカギ裂きが出来ている。
黒くて判りにくいが、視線は定まらないでソワソワと落ち着かない感じだ。
「貴方、もしかして藪に巻かれて迷子になっていたの?」
「ち・が・う!」
子供は即座に言い返した。
「ちょっと昼寝をしていただけだ。俺をそこいらのトロい子供と一緒にするな!」
「そう、じゃあ、さよなら」
シータはくるりと背を向けた。
「あ、おい」
「なあに、迷子じゃないのなら、一人で帰れるでしょ」
「……」
「私急ぐの、じゃあね」
去りかけるシータの前に、子供は無理やり回り込んだ。
「待て、ちょっと待て」
「なあに?」
「う、馬が寂しがっているんだ。下の谷で独りで待っている。可哀想だとは思わないか?」
「はあ?」
シータは肩をすぼめて溜め息した。
「ねえ、私、本当に急ぐの。谷の見える所まで案内してあげるから、着いて来たかったら勝手に着いて来なさい」
黒髪の女性が先に立ってさっさと歩き出したので、男の子も黙って付いて来た。
「貴方、何処から来たの? 大人のヒトは?」
「大人なんかいないよ、俺と馬だけだ」
「嘘! 貴方みたいな小さい子が、一人で遠くから来てフラフラしている訳ないじゃない」
「馬鹿にすんな。俺はそこいらの子供と違う。一人前だから、大人と同じ役割を任せられてここに来たんだ」
「へえ?」
「祖父からの指示を言付かって来た、正式な使者だ」
シータが立ち止まったので、男の子は彼女の背中に鼻っ面をぶつけた。
「いってぇなぁ!」
「使者って、三峰の族長に御用って事?」
「違う」
男の子は鼻を押さえながら、上目で背の高いシータを睨んだ。
「カーリというヒトが、最近、この土地に来ただろう」
「? え、ええ……知っているわ」
シータは真顔になって、子供に正面向いた。
「あのヒトは、砂漠の砂の民の総領の大切な令嬢だ。本当はそんなに簡単に他所にやれるヒトではない」
「……」
「だから、俺が密使として遣わされたんだ。カーリの様子を見て来て、山の暮らしに難儀しているようなら、総領の元に呼び戻すようにと」
「ええっ!? そんな!」
シータはまじまじと子供を見た。
子供とは思えないはっきりとした口調に、大人びた鋭い目。
「だって、カーリは、フウヤを好いてここに来たのよ。それを引き離すっていうの?」
「そんな事するもんか」
男の子の表情は、シータの動揺を見て取って悦を帯びている。
「勿論フウヤも一緒だ。総領の娘婿として、相応の身分と家畜の用意がある」
「……」
「あんたなんかには想像付かないだろうけれど、砂の民は西の砂漠で一番勢力の大きい強い部族なんだ。財も家畜も桁が違う」
「お、大きかろうが何だろうが、フウヤが三峰を離れる筈がないわ」
シータは子供相手にムキになっていた。
「カーリがここで暮らすのに苦労していてもか?」
「そ、そんな事ないわよ、彼女は……」
「修道院で世間ずれしないで育って、総領屋敷でも何不自由なく甘やかされていたんだ。そんなカーリに、ここの生活を一から覚えなきゃならないのは、可哀想だとは思わないか?」
「彼女はそんな……」
「カーリって、謝ってばかりだろう?」
男の子は話の主導権を握って、饒舌になっている。
「……」
「自分の世間知らずを自覚しているから、すぐに委縮してしまう。生活も習慣も違う知らないヒトばかりの中で、どんなにか心細かろうと、お祖父様はとても心配していらっしゃる」
「お祖父様?」
「総領だ。俺は総領の孫で、カーリの兄の息子だ」
***
その後、何処をどう歩いて集落へ帰ったのか覚えていない。
気が付いたら、シータはいつものように、榊を振って巫女の役割をこなしていた。
養蚕小屋で女将さん達が、反応の素直なカーリを面白がってからかう。
庇ってあげたいけれど、女将さん達なりの受け入れ方なのだ。
カーリはカーリで、流していればいいのに、いちいち真に受けて、確かに謝りってばかりなのだ。
(そんなだから、砂漠の家族が心配するんじゃないの)
酷くイラついて、声を上げて怒鳴ってしまった。
目を丸くするカーリの前で、はっと我に返る。彼女は何も悪くないのに。
自分でも何でこんなに不安で居たたまれないのか分からない。
これはカーリの問題で、自分には関係のない事だ。ましてや彼女にとって、悪い話ではないのに。
家に帰っても食事が喉を通らず、家族に話し掛けられても答えられない。
そうしてとうとう、夜半にそっと家を抜け出して、あの子供の居る谷へ向かったのだ。もう一度話をする為に。
話をしたって、彼はただの使者だ。
陰からこっそりカーリの様子を調べ、帰って祖父に報告するという。
その内容如何で、砂の民からフウヤに対して、正式な書簡が来るらしい。
そんな大事、部外者の自分が口出し出来る筋合いなんてないし、言ったって通らないだろう。
ただ、ちょっとだけ……報告に手心を加えて貰えないだろうか?
夜じゅう谷を捜したが、夜営している筈の子供は見つからなかった。
持参したパンとチーズの油紙を目立つ所にぶら下げて、夜がしらみ始めた頃、自宅に戻った。
戻ったって眠れない。
あの子供は明日もカーリを見張るだろう。
自分の手の届かない所から、オドオドして謝りっ放しのカーリを。
そうして祖父に報告し、遠い砂漠の国へ連れ去ってしまう。
……カーリがこの村からいなくなる?
あの頓狂な声を聞けなくなる?
彼女が来る前は普通だったのに、今の自分には、彼女のいない三峰など想像付かなくなっている。
考えれば考える程、イライラして眠れなくなる。
そうだもう認めてしまおう。
自分はカーリが大好きなんだ。
大好きな縫いぐるみを手離したくなくて抱き締めて、ただただ泣きわめく子供と一緒なんだ。
ようやく山端に朝の光が見えた時、シータは山菜カゴを掴んで、フウヤの家へ走った。
(使者が来ている事を、カーリにバラしてしまおう)
フウヤは駄目だ。
三峰を愛しているけれど、それよりもきっとカーリを愛している。
彼には言えない。
女将さん達も駄目、いつものノリでからかって、カーリを萎縮させてしまうだけ。
山に連れだすのよ。
二人きりになって、彼女に頼んで楽しそうな芝居をして貰おう。
しかし、無理矢理山に連れ出したものの、泣き出しそうなカーリに、シータは中々言い出せなかった。
言えば、彼女はきっと、一生懸命楽しそうに振る舞ってくれるだろう。
でもそれって、とても残酷で虚しい事なのだ。
半泣きで怯える彼女にそんな芝居をさせて、何の意味があるというのか。
砂漠に戻ればお姫様みたいに暮らせるのに。
せめて少しでも、何処かで見ているあの子供に対して、カーリが山の暮らしに馴染んでいるアピールをしようと頑張ってみた。
しかし頑張れば頑張る程、飴色の肌の娘はこわばって行く。
三峰の皆は、私が何でも知っていて、何でも器用にこなすと思っている。
まさか! 大好きな彼女一人笑わせる事も出来ないのに!?
そう、私はこの飴色の肌の娘が、どうしようもなく好き。
自分が、この娘と居たいだけ。
彼女の幸せなど考えていない。
巫女が聞いて呆れる、一番汚い心で山に入っているのだ。
頭がぐるぐる回って、もう何を喋っているのかも分からなくなった。
「貴方、仕方なく三峰に来たの? 本当は砂漠へ帰りたいんでしょう!?」
気が付くと、トンでもない言葉を口走っていた。
目が回って立っていられない。もうダメだ・・
遠くでカーリが自分の代わりをやると叫んだので、ぼんやりした頭で了承した・・・・
***
カーリが駆け去った後、シータは掛けて貰った上衣の温もりに鼻を埋めて、ぼぉっとしていた。
背後に枯れ枝を踏む音。
「……昨日の子?」
振り向くと、木立の闇の中に鋭い白眼が浮かんでいた。
「ずっと見ていたんでしょう?」
男の子はムスっとした顔のまま、繁みから出て来て水筒を差し出した。
「貴方の言った通りよ。本当に、弱虫で純粋なお姫様。あれじゃ確かに、ここで生活して行くのは辛いかもね」
弱々しく言って、シータは水筒に口を付けた。
そういえば、夕べから何も口にしていない。
「あんただって相当弱虫じゃないか」
男の子はポソッと呟いた。
「え? なんて?」
「いや……パンとチーズ、ありがと」
「どういたしまして」
シータは脱力したまま、膝を抱えて丸くなった。
「大丈夫かよ?」
子供は屈んで、シータの背中をさすり始めた。
誰かに手を当てて貰うだけでこんなに楽になるなんて、シータは初めて知った。
「ありがとう、貴方、さするのが上手いのね」
「俺は下手だよ」
男の子は照れ臭そうに手を動かし続けた。
「カーリは凄く上手だよ。母者(ははじゃ)は俺がさすっても苦しいままなのに、カーリが手当てすると一発で治まるんだ」
「ははじゃ……お母さん?」
「ああ」
子供はシータの視線を逃れて、またそっぽを向いた。
「俺が小さい時からずっと病気で、ちっともよくならないのに、カーリはずっと看病してくれていたんだ」
「……」
「死んじゃったけどね」
シータは色んな事が分かった。
フウヤが、決まったヒトがいるらしいのに、なかなか三峰に連れて来なかった理由。
カーリがお姫様育ちという割りに、芯が一本通って見えた訳。
そっぽを向いたままシータの背中から手を離し、子供は口の中で言った。
「すまない」
「え? なあに?」
「昨日言ったあれ」
「ん?」
「嘘なんだ」
「ええっ?」
シータは身を起こした。
「嘘って、どこからどこ迄が?」
「全部」
「ぜ、ぜん……ぶ?」
「お祖父様や父者がカーリを心配しているのは本当だよ。あの世間ずれしていない子が、知らない環境でさぞや苦労しているだろう、っていつも言ってる」
使者ぶって喋っていたのは、大人の言葉をそのまま真似しただけだったのだ。
「でも連れ戻そうなんて話はないんだ。カーリは確かにドン臭いけれど、どんなに強くて折れないか、皆、知っているから」
「ああ、そうね」
シータは素直にうなずいた。
「でも酷いわよ。私、真剣に受け止めちゃったわ」
男の子は横を向いたまま、口を尖らせてぼそぼそ言った。
「だって……カーリがあんたを呼んでいたから……」
「え? いつ?」
「呼んでいただろ、馬のいる尾根の上で、何かが一杯あるとか」
「あ、ああ、あれね、山菜」
男の子が言葉を止めて黙ってしまったので、シータは彼の横顔をまじまじと見つめた。
よく見ると、黒い頬に鼻水がテカテカしていて、そこいら辺の幼子(おさなご)と変わらない。
そうして、シータの頭は、やっと一つの事に思い至った。
昨日、藪の中で、この子は倒れていたんじゃない。
――突っ伏して、泣いていたんだ・・