「ねえ、カーリは、心配しなくてもここで幸せになれるわよ。彼女、本当に頑張り屋さんだもの。私も村の皆も応援しているし」
「分かってるよ!」
男の子は大声で叫んだ。
「そんな事分かってる! あんたに言われなくても、俺の方がカーリの事、ずっとずっとよく知っているんだ!」
喋る程に感情が高ぶって、声が上ずってきた。
次の瞬間、子供の後ろの藪から一人の男性が飛び出して、彼の頭からマントを被せた。
「うあっぶぶ!」
「大人しくしろ! この家出小僧!」
マントごと子供を押さえ着ける飴色の肌の男性に、シータは見覚えがあった。
「シ、シドさん!?」
「やあ、シータだよね。大きくなったな、見違えたよ。族長はお元気?」
ヤンやフウヤの友人で、昔何度か訪ねて来た事のある西風のシドは、ジタバタするマントを押さえながら、なつっこく笑った。
「はなせ~~」
「大人しくしたら離してやる」
唖然とするシータの前で、男の子は散々もがいた挙句、マントの端から顔を出した。
「まったく、総領屋敷は大騒ぎだ。カーリに会いに来たいんだったら、一言相談してくれればいいのに」
「そんな事出来るか! 自分の事は自分の力で出来る!」
「素直じゃないな、アディ」
「アディって呼ぶな! 俺をアディって呼んでいいのはカーリだけだ!」
憎まれ口をききながらも、子供がホッとしているの分かった。
そう、シドがマントを被せてくれなかったら、情けないベソかき顔を女性に見られてしまっていたのだから。
「あの」
シータがそっと口を挟んだ。
「その子を叱らないでやって下さい。大人達が何気なく話すカーリの心配を、この子はそのまま受け取って、居ても立ってもいられなくなって飛び出してしまったんです、きっと」
男の子は動きを止めて、シータを睨み上げた。
「知ったつもりになるな! ふん!」
真っ白な白目の中に揺れる真っ黒な瞳を、シータはそっと見つめる。
そうして心配を募らせて、遠い道のりをやっと会いに来たのに、カーリは自分の知らない者の名を、楽しそうに呼んでいた。
悔しくて切なくて、それでつい、八つ当たりの嘘を吐いてしまったのだ。
シータにはよく分かった。
何故って、自分がさっき迄そういう気持ちだったから。
「シドさんもアディも、集落へおいで下さいな。カーリ、きっと喜びますわ」
「だからアディって呼ぶな!」
男の子はキッと言い返したが、一拍置いて、首を振って俯(うつむ)いた。
「……会わない」
「どうして?」
今度はシドが口を挟んだ。
「そうだな、カーリが一生懸命自分の道を歩いているのに、お前が家出して来たなんて聞いたら、後ろから引っ張られるみたいな物だからな」
「うるさいな!」
「それが分かっているんなら、偉いぞ、って事さ。会うんなら、とっとと一人前になって、総領殿や父上に認められてから会いに来るんだ。その方がカーリ、どれだけ喜ぶか」
「言われなくとも!」
尾根の方に、藪をかき分ける音と、ヤンの呼び声がした。
シドは子供の腕を掴んで、谷の下へ向かう。
「じゃ、シータ、僕らの事は皆に内緒で」
「え、本当に行ってしまうの? ヤンにくらい会って行けばいいのに」
「ああ、それはいいんだ」
「いいの?」
「今は折角、この子が男らしく我慢しているんだ。ここでサッと去らなきゃ、なし崩しになっちゃうだろ」
「それもそうね……あ、じゃあ」
シータは慌てて、手の中にあったハンカチを男の子に押し付けた。
「何だよ?」
「この刺繍の花は山紫陽花(やまあじさい)っていうの。三峰の女の子が最初に習う刺繍」
「??」
「カーリが生まれて初めて、自分の紡いだ糸で刺した刺繍よ」
「!!」
「砂漠のカーリの家族に届けてちょうだい」
黙ってハンカチを受け取る子供の手をぐいと握って、シータは刻むように言った。
「私達・仲間・だね!」
「は?」
「カーリを、大・大・大好きな、仲間よ!」
男の子は目を丸くしたが、照れ臭そうに真っ白な歯を見せて笑ってくれた。
ヤンの声が更に近付き、砂漠の民の二人は気配を殺して藪の奥に消える。
そうして、シータは、ヤンに背負われて集落に帰ったのだった。
***
夕風が春霞を流し、若草に色付く峰々を見せる。
「シータ、シータ?」
気が付くと、また、レモン色の瞳が覗き込んでいる。
「ぼぉっとしてる、大丈夫か?」
「大丈夫よ。私だってぼぉっとするの」
「うん」
「さあ、帰りましょう」
シータは立ち上がって先に立ったが、すぐ振り向いて、手を差し出した。
「あは!」
カーリはパッと顔を輝かせて、その手を握る。
そうして二人は、山紫陽花(やまあじさい)の蕾膨らむ三峰の尾根を、並んでゆっくり歩き出した。
この花は、触れる土によって色を変えるが、どんな場所でだって根をしっかり張って、強く美しい花を咲かせる。
居場所って、頑張って作る物じゃない。
誰かを好きになったり、好きになって貰ったりして、自然と出来て行く物なのだ。
~余話~
「で、アデルは帰っちゃったの?」
峰の岩上で、ヤンはフウヤに話し掛けた。
彼の優れた眼は、二つ向こうの尾根を仲良く歩く、二人の女性を映している。
「うん、シドと一緒にね」
白毛のフウヤは、彼の一段下で、反対側の斜面で草を食む自分達の馬を見下ろしながら答えた。
「会いたかったな、ルウの弟。シドの話だと、ルウに輪をかけたきかん坊らしいけれど。せっかく来たんだから、素直にカーリに会って行けばよかったのに」
「意地っ張りが服着て歩いてるみたいなモンだからな、あそこの家系は」
一昨日、カーリとシータを捜しに出たフウヤは、藪の手前でシドに行き会った。アデルが家出したから連れ戻しに来たと言う。
こっそりヤンも交えて話をし、アデルを少しの間好きなようにさせてやってくれと頼んだのは、フウヤだ。
「ちょっとだけ気持ちが分かるんだ」
ヤンは目を細めて、白い子供が初めて三峰に来た日を思い出した。
世話を焼いてくれようとする『お姉ちゃんの結婚相手』から逃げて来た、反骨心一杯な子供。
あの頃の自分は、この子が何であんなに『早く一人前になる事』にこだわったのか、分からなかった。
「モエギに頼まれたんだ。アデルのいい兄貴になってやってくれって」
「ほぉ」
「弟が出来るなんて思ってもみなかった。大切にしなきゃ」
「うん、そうだな」
そういえば白い子供に出逢ったお陰で、自分の人生だって大きく彩られた。
ヤンは更に目を細める。
「もうじき妻帯者なんだよな、あのフウヤがねぇ」
「ヒトの事言えるのかよ、自分はどうなんだ?」
「えっ」
「今ならかの女性の心も、大分ヒト恋しくなって、プロポーズしても素直に受けてくれるんじゃないの?」
「お、おいおい! 何で話がそっち方向に行く?」
「その点はアデルに感謝しろよ、さ、帰ろ」
「ちょっと待て、こら」
白い青年はとっとと自分の馬を呼んで駆け出し、追い掛けるヤンの呼び声が、微かに夏色を帯びる三峰の空に谺(こだま)した。
~山紫陽花・了~