山丹花(さんたんか)
西風の里の中央、青い水を湛えた湧水の大池。
人家の立ち並ぶ集落の対岸に、少しの灌木帯と石の墓碑群がある。
最奥の一際白い楕円の一枚岩は、代々の西風の長が眠る墓碑。
砂利を踏む音に振り返ると、頬をパンパンに腫らした息子が立っていた。
「爺さんにぶっ飛ばされた」
「そりゃぶっ飛ばされるだろうな」
「父者にもぶっ飛ばされて来いって」
「それだけぶっ飛ばされりゃもういいだろ」
「…………」
「ぶっ飛ばされたいか?」
「ううん、いい」
子供は父の横へ来て墓碑の前にしゃがみ、懐からくしゃくしゃに丸まった白い布切れを取り出して、父が供えた赤い山丹花の横に置いた。
「ハンカチ?」
「うん、カーリが刺繍したって」
「あのカーリが?」
「その布も繭から糸を依る所からやったって」
「マジか」
ハトゥンは大きな指で小さなハンカチをつまみ上げた。
陽に透けて、不揃いな織り跡に花房の刺繍が浮かびあがる。
「似てるな、この花に」
「あっちの部族の生業らしいよ。蚕を育てて糸や布を出荷してる」
「そうか……あいつ、やって行けてるか?」
「友達が出来てニコニコしてた」
「そうか」
「母者に一番に見せたかった」
「モエギもずっと気にしていたからな、あいつの将来」
「大丈夫だと思う。村全体で大事にしてくれている感じだった。あの分だと、外から何をされてもブレない」
「・・!」
ハトゥンは一瞬目を見開いて我が子を見たが、すぐに視線を正面に戻して、静かに「そうか」と答えた。
砂の民の内政だってまったくの安泰ではない。
現総領(ハトゥンの父)の父弟系統の勢力が、常に虎視眈々とこちらの隙を伺っている。
総領殿が養女にして掛け値なしに溺愛している、世間知らずな娘カーリは、言わば現勢力の泣き所。取り込みさえすれば格好の武器になりうる存在だった。
モエギが田舎家に隠遁し、このふわふわした娘が看病の為に総領屋敷を離れた時は、彼らは内心小躍りしただろう。
しかし元西風の長の能力を侮っていた。
見目良い若者を調達してカーリに近寄らせようとしても、即座に総領殿に伝わる。どんなにこっそり忍んでも、だ。
結果、屋敷に居た時よりも砂漠の舞姫に手出し出来なくなった。
モエギが垣根を開いて好き勝手にさせていたのは三峰のフウヤのみ。
そうしてカーリは遠くの三峰に嫁ぎ、ひと安心な筈だった。
「あいつら、ホント性懲りもなく」
反抗勢力は、山へ行ったカーリに美味しそうな話を持ち込み、フウヤともども手中に収める計画を立てていた。
もっとも、直前でハトゥン一派にきっちり潰されたが。
「ヤンとフウヤにはシドから話をしたって。あちらでも気を付けてくれるらしい。それに今度は」
少年は墓碑の方を向いて、話し掛けるように言った。
「すっごい強そうな女のヒトが側に付いていた。まるで母者みたいな。意地っ張り具合までそっくりでさ。あのヒトが居る限り大丈夫に思えた。カーリは大丈夫だよ、母者」
父子馬を並べて風紋の砂丘を帰る。
「カーリの婚礼の儀式はまだなんだろ。春祭りと一緒にやると聞いたが」
「知らない……」
「お前、参列して来るか? シドに頼んで……」
「行かない。そこいらの子供みたいに大人に付き添って貰わないと何処へも行けないなんて、情けなさ過ぎて嫌だ」
「いや実際そうだから爺さん心配したんだろ。まぁ自力で三峰に辿り着いたあたり、俺は誇りに思うがな」
子供はムクレっ面をほどいて父を見上げた。
「だからってもうやるなよ。俺らの護りの効いている砂の外へ出て、危険に遭わなかったのは運が良かっただけだ。お前だってカーリ以上に的(まと)になってんだ、爺さんの身にもなれ、強がっているけれど年には勝てないんだから」
「うん……」
「空でも飛べたら別だがな」
「空……」
子供がボォッと上を見上げて、ハトゥンは口をつぐんだ。
種族的には砂の民のアデルだが、風の妖精の血も入っている。馬で空を駆ける飛行術を使える可能性はあるのだ。
(ただ……)
シドの言では、飛行術は指導する側の初手次第だという。初っぱなに蒼の里随一の馬に跨がらせて貰え、飛行術の名手ツバクロに教わったからこそ、砂漠一の飛び手シドと成れたと。
逆に言えば、
(案ずる事も無いか)
今、この地の草の馬はエノシラ所有の一頭だけで、彼女は責任感が強いから、勝手に教えるような真似はしない。シドも同じだろう。
それこそたまたま、アデルの身上を知らない気まぐれな蒼の妖精にでも出くわさない限り……
ハトゥンは苦笑いして首を振った。
(ある訳ないだろ、そんな事)
~to be next~
~山丹花・了~
~砂の娘 山の娘・完了~