朝霧の砂漠で馬を並べて揺られながら、カーリはそんな風に自分の心を整理整頓していた。
フウヤは黙って馬を進めている。
「あ?」
前方にまた影が現れた。
今度はヒトも馬もハッキリしている。
「まったく、お前らは!」
黒衣の馬に濃い飴色の肌の、漆黒のハトゥン。
「誰が反対する訳でなし、何で黙って行く?」
ハトゥンは苦い顔をして、義妹(いもうと)が残して行った羊皮紙の手紙をプラプラと振った。
「だって、習わしがあるんだもの。砂の民の娘に求婚するには、父親に殴られに行かなきゃならないんでしょ? 義父(とう)サマ、ぜったいフウヤを目も当てられないべっこべこにする」
カーリは罰悪そうに、上目で義兄を見た。
「正確には決闘だ。ホンットお前はモノを知らないな。まぁその飄録玉(ひょーろくだま)が、親父殿とマトモにやり合えるとは思えないから、結果的には同じだが」
ハトゥンは真っ黒な瞳でギョロリと飄録玉を睨んだ。
当の飄録玉は、どこ吹く風な表情で、二人のやり取りを聞いている。
「義兄(あに)サマ、わらわはフウヤと行きたい。行ってもいいでしょ?」
「俺がお前のやりたい事を妨げた時があったか? ただ、こいつに文句がある。俺様の可愛い可愛いイモウトを黙って拐って行こうとしたんだ。それなりの覚悟があるんだろうな? このフーテン野郎」
「義兄サマ、フーテンじゃない、フウヤだ」
「お前は黙ってろ」
「僕と決闘するっていうの?」
フウヤは冷静に言った。
「話が早いじゃないか。親父殿が黙殺していても、義兄として俺が素通りさせん」
「見るからに実力に差があるってのに、鼠をいたぶる猫のつもり?」
「うるさいな、じゃあお前は得物を持て。剣でも粘土ベラでも」
ハトゥンは先に下馬してせっかちに構えた。
フウヤはゆっくり馬から降り、そして泣く子も黙る漆黒のハトゥンに対して、驚きの台詞を発した。
「後悔するよ・・!」
言うが早いか、懐に隠し持っていた拳大の丸い袋を、ハトゥンに向かって投げ付けた。
「!!??」
咄嗟に手で払おうとしたハトゥンの目前でそれは破裂し、湿った砂が飛び散った。
ただの砂じゃあない。強烈な臭い。
「ぐあぁぁ!!」
「ずらかれ!」
フウヤは栃栗毛に飛び乗り、リピッツァの尻を叩いてカーリと共に駆け出した。
「あ、待ちやがれ! うう、ぐぐぐ」
追い掛けたいハトゥンは、強烈な目の痛みにうずくまるしかなかった。
手探りで馬にたどり着いて、鞍の水筒で目を洗い、やっと生き返った時には、霧の中に影ひとつなかった。
「あんのやろぉおお~~!」
「フウヤ、フウヤ、あれは何? 義兄サマのあんな悲鳴、初めて聞いた」
相当な距離まで逃げて、フウヤは駆けるのをやめた。
「ああ、あれ、砂漠イタチのおしっこを混ぜた砂。それを羊の腸にパンパンに詰めといた」
「イタチの・おしっ・・・」
「目に来るぜぇ、あと、臭いも一週間は取れない。ま、道具を使っていいって言ったのは向こうだ」
フウヤは罪のない顔で愉しそうに笑った。
***
目を真っ赤にした息子の前で、総領殿も腹を抱えて大笑いしていた。
「親父殿、笑いゴトじゃない。あのフーテン野郎、絶対許さん」
「いやいやいや、お前にベソをかかせた男なんぞ初めてじゃないか? 我が娘の相手としては申し分ない」
「隙を突かれたんだ」
「隙を見せたお前が悪い」
「……」
総領は大きな身体を揺すって、窓から霧の砂原を見た。
――成る程な・・
白い青年はフーテン野郎でもない。
夕べ遅くにちゃんと挨拶に来た。
「カーリは野蛮な習わしだって言っていたけれど、僕はそうでもないと思う。モエギを見ていたら、親がどれだけの物を子供に分かち与えるか分かったから。だから、その子供を委ねる儀式みたいな物なんでしょ?」
そう言って上衣をはだけて、生っ白い腹をさらした。
「内緒にしておきたいから、顔はやめてくれる?」
「喰えんガキだわい」
総領はそう言って指をポキポキ鳴らし、細いみぞおちに軽く(砂の民基準)拳をぶち込んだ。
白い青年は羽根枕みたいに宙に浮き、床に落ちて暫く地獄の悶絶をしていた。
「吐くなよ、床が汚れる」
「うう……ふぁい……」
「三峰という土地は寒いのだろう?」
「うう……今頃は、まだ、雪が残って……うぐぅ……」
「あの娘に風邪をひかせたら、もう一度今のをお見舞いするぞ」
「し、承知……」
ハトゥンにも内緒にと言って、青年は腹を押さえながら立ち去った。
照れ臭いからというのは嘘だろう。
本当はこれを狙っていたのだな。
まあ、連れ合いを失って死んだように沈んでいた我が息子が、大声を出して地団太(じだんだ)を踏むのも久し振りで、この屋敷に活気が戻ったような気がしないでもない。
「まったく喰えんガキだわい」
霧の流れる地平を見やった総領の頬には、また笑みが込み上げていた。
「・・幾ら何でも酷過ぎやしないか?」
フウヤと馬を並べて歩きながら、カーリは多少の抗議を述べた。
「ふん、ハトゥンにはそれだけの目に遭う理由がある」
「何、それ? 義兄サマ、フウヤに何かしたのか?」
「カーリの許嫁(いいなずけ)だったろ」
「あれは……」
「カーリが生まれてからの十何年か、カーリの人生はあいつのモノだった。それだけで僕にとっては大罪人なの」
「そんな一方的な。義兄サマは何も知らなかったのに」
彼女は心底呆れた顔でフウヤを見た。
「これ即ち、ヤキモチという」
「はあ?」
「これで気が済んだ。ああ、さっぱりしたぁ!」
白い青年は、また白い歯を見せて笑った。
霧は流れて去り、空に真っ白な筋雲が、これから向かう地平に向けて伸びていた。
あれも神サマの描いた色なのかもしれない。
~リピッツァの朝・了~