遠くの方から賑やかな歓声が聞こえる。どうやらもう観客もこの会場にやってきたらしい。
もうすぐ、ライブが始まる。自分の持てるものすべてをつぎ込んだ、世界を巻き込んだライブが。
舞台の裏、もうすぐ開演の時を迎えるウタ。その心は、不思議と凪いでいた。
初めて行う、観衆の目の前でのライブ。それは、配信の画面越しとは違う、そのままの自分を衆目に晒すということを意味する。3年間の配信で醸成された人気と、歌姫の生歌への期待。加えて世界同時配信ともなれば、普通ならば緊張してしかるべきだろう。
けれども、ウタの心に映った水面は鏡のように静かだ。
覚悟ならとうに出来ている。このライブを行うと決めた、その瞬間から。
傍らに置かれたバスケットの中身を一口齧る。
これでもう引き返すことはできなくなった。でも何も問題はない。これで、みんな幸せになれる。病気もケガも苦しみもない、そんな世界にやってこれるのだ。
また一口齧る。そうするごとに、決意が固まっていくようだ。
私がみんなを救うんだ。この辛い時代から。大切なモノや命が簡単に奪われて失われてしまう、大海賊時代から。私は海賊嫌いのウタだから。私はみんなの救世主だから。
「あっ……」
また一つバスケットから取り出そうとして、誤って指をひっかけてしまった。転がって散らばるその中身。ウタは苦笑いすると、両手で中身を拾い集めていく。
そんな時だった。
左の袖口が、ウタの目に飛び込んできたのは。
瞬間、鏡のようだった水面に一滴の水が滴り落ち。やがて、雨のように降り注ぎ始める。
あの日々のことは、片時たりとも忘れたことはない。自分が12年間、唯一無条件で縋ることのできたあの思い出は。
今頃彼はどうしているのだろうか。
どうしようもなくバカで、生意気で、そのくせどこまでも真っ直ぐで、ひたむきで。
負けず嫌いで、歌が下手で、それでもっていつか何かを成し遂げそうな、そんな目をしていた彼は。
……今だから言える。
一緒に居るだけで楽しかった。心の底から笑顔でいることができた。
大人しかいなかった自分の世界に現れた、同年代の男の子。その存在が、どれほど大きいものだったか。
「……ルフィ」
ぽつりと零れる、零れてしまった彼の名前。
それを皮切りに次々と想いがあふれ出しそうになって。
ウタは、口の中いっぱいにネズキノコを頬張った。
決しておいしいとは言えない、寧ろ不味いと言っていい味が口腔を蹂躙していく。
ウタは大きく深呼吸をすると、傍らに置いたオーバーサイズのスカジャンに腕を通した。
「……わかってる。わかってるよ、みんな」
思い出せ。みんなの言葉を、この世界で暮らす苦しみの数々を。
揺れる心を無理くりに押し込める。言葉を紡いで、封じ込める。
そうしなければ、揺らいでしまいそうだから。
「私が、みんなが幸せになる”新時代”を作ってあげる」
ウタは立ち上がると、光指す方へ、ステージへと向かう。
さあ、ライブを始めよう。この歌声が会場のすべてに、世界中のすべてに響き渡るように。
……そうすれば、会えるかもしれないから。
「うおおおおおお!」
「きゃーーーー!」
「ウターーー!こっちむいてーー!」
「ウタちゃーーーーん!!」
「「「U・T・A!U・T・A!」」」
遂に始まった歌姫のライブ、その記念すべき一曲目「新時代」が終わる。初めから最高潮だった会場の盛り上がりは、雲一つない空まで超えて天を衝くほどだ。
鳴りやまぬ歓声、地鳴りのように鳴り響くウタコール。会場全体、いや世界全体が一つとなって熱狂の渦に巻き込まれていく。その中には当然、麦わらの一味もいた。
「ああ……ウタちゃん……君の歌声はまるで……天使だああああああああ!!!」
「へェ……!世界の歌姫ってのも納得だな」
「お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!」
目をハートにしながら力の限り叫ぶサンジ。感心したかのようにニヤリと笑うゾロ。いつもならばひと悶着起こしそうなこの二人も、今ばかりは揃ってウタの歌に感銘を受けていた。
チョッパーに至ってはサイリウムを全身がちぎれるほどに振りつつ、滂沱して言葉にならない叫び声をあげている。
「すっごい……としか言えないわね。聞き入っちゃって、いつの間にか霧も晴れてるし……」
「あの霧は演出だったのかしら?歌もさることながら、ステージも見事ね」
開場前は霧に覆われていた会場の天気も、ウタの歌に呼応するかのように澄み渡るような青空へと変貌していた。歌姫の歌は天候まで操るのか、はたまた何かギミックが仕込まれていたのか。事の真相はともかくとして、”新時代”の門出を祝うかのような蒼天の演出は実に見事だ。
「ルフィはまだ来ないのう。もうライブも始まってしまったが……」
「ルフィのやつ、生の「新時代」を聞き逃すなんて勿体ねェなあ!トーンダイアルで聴くよりも何倍もイイってのに!」
キョロキョロとあたりを見渡すジンベエは、未だにルフィが姿を現さないことが気がかりのようだ。その点、付き合いの長さ故か、ウソップは能天気に笑っている。ウソップ自身としては、念願のライブが始まったという感動と高揚で胸がいっぱいだった。ルフィのことは心配というよりも、この素晴らしい歌を聞けなかった勿体なさというほうが勝る。
「大丈夫だってジンベエ!あの宴好きのルフィがこのライブに気づかないわけねェ。すぐにここまで来るさ……どっかの迷子じゃあるめェし」
「…………」
「こっち見んな!」
ウソップとジンベエ、四つの瞳が向かう先、酒瓶を手にした緑髪の男が噛みつくように叫ぶ。迷子と言えばゾロ、ゾロと言えば迷子。これは決して揺らぐことを知らない、世界のルールなのだ。
ルフィ用に大きな肉を焼きながら、迷子のマリモさん、と小さく呟いたサンジとゾロがやり合う姿を見送り、二人は大きくうなずきあった。
「みんな!」
一曲目の興奮も冷めやらぬ中、ステージ上のウタが観客に呼びかける。たったの一言だけで、それまで歓声が止まなかった会場がしんと静まり返った。まるで、ウタの一言一句も聞き逃すまいかというように、真剣な面持ちで次の言葉を待つ観客たち。そんな姿を見て、ウタの中に様々なものがこみ上げてくる。
ここに集まったのは皆自分のファン。自分の歌声を聞いて、認めて、そして好きになってくれた。彼らは、抜け殻のようだった自分に生きがいを与えてくれた人たち。……けれども同時に、自分が救わなければならない人たち。
こんなに来てくれたという嬉しさ、こんなに来てしまったということへの責任感、浮き上がるような、のしかかるような、上下に引き裂くように相反する感情が暴れる。
……大丈夫。私はやれる。私はウタ。世界の歌姫。左袖をギュっと掴んで、自分に言い聞かせる。
そうしてウタは、3年分の万感の思いを込めて叫んだ。
「……やっと会えたね、ウタだよ!!」
「……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」
そんな彼女の言葉に最大限の歓声をもって答える観客。彼らの想いが届いたのか、ウタの瞳にふと光るものが現れる。ちょっと感動しちゃった、涙を拭ってそう言った彼女の言葉に、ますます沸き立つ会場。
……ライブの熱気に包まれ、その言葉の取ってつけられたような違和感に気付く者はいなかった。
ステージ中をそこかしこと駆けまわり、観客たちに笑顔を振りまくウタ。MCもほどほどに、いよいよ次の曲に入ろうと脚でリズムを刻み始めた、まさにその時だった。
ステージに異変が起こる。ズカズカと無遠慮に、歌姫のステージに乗り込んでくる複数の足音。彼らの手には武器が握られていた。
「何……?」
「あれは……海賊?」
尋常でない出来事にざわつき始める観客。そんなことは気にも留めず、海賊の男はウタに近づいていく。
「あなたたち、ファンの人?ごめん、今から次の曲を始めるから……」
「おれたちゃ海賊だ。ウタちゃん~、ちょっとおれたちと来てくれねえか?そうすりゃ”金”も”名声”も手に入れられるぜ?」
「お頭、それじゃあまるでウタちゃんが手に入れるみたいじゃねえか!」
「手に入れるのはおれたちだってのによ!はっはっはっはっは!」
下卑た笑い声をあげる海賊たち。その姿に、会場のざわめきがまた一段と大きくなる。
せっかくの楽しいライブがこれでは台無しだ。ウタは皆を安心させるべく、努めて笑顔を作ると男に語り掛けようと──
「燃風拳!」
──したその瞬間、掛け声とともに男たちが吹き飛ばされる。話しかけようとした相手が消え、眼を白黒とさせるウタ。その目の前に突如現れたのは、見上げるような大男と鏡だった。ポカンと大男を見上げていると、鏡がぐにゃりと歪んで中から何かが出てくる。
「ウィッウィッウィッウィッ、どきな、そいつはアタシたちの得物だよ!」
「……枝?」
「ブリュレだよ!!」
現れたのはシャーロット家四男のオーブン、そして八女のブリュレ。世界にその名を轟かす四皇が一角、ビッグマム海賊団の幹部だ。
「ウタ!悪いけど、アンタにはママのところへ来てもらうよ!」
ブリュレの言葉とともに、鏡の中から次々と出てくる戦闘員たち。海賊たちが一掃された舞台に、再び海賊が溢れかえる。取り囲まれてしまったウタ。徐々にその包囲網が狭まっていき、ブリュレが掴もうと手を伸ばす。
そして、そんな様子を黙って見てはいれない男が一人。
「あんのクソ野郎ども……!ウタちゃんに手ェ出すとは許せねえ!」
怒れるサンジが飛び出そうとする、まさにその瞬間だった。
「みんなー!安心して!私は大丈夫だよー!」
海賊たちに取り囲まれて絶体絶命のはずのウタから、大丈夫だという言葉が発せられる。ピタリと動きを止めるブリュレ、そしてサンジ。騒然としていた会場もまた、静まり返った。
まわりの様子を確かめると、ウタは海賊たちに向かって語り掛ける。
「みんな、ここに来てくれたってことは私のファンなんでしょ?だったら、仲良くみんなでライブを楽しもうよ!」
「仲良く?おれたちは欲しいものがあれば奪う。海賊だからな!」
ウタの言葉をにべもなく切って捨てるオーブン。それを聞くと、ウタは何かを思いついたような表情をした。
「じゃあ海賊やめちゃおう!これまでしてきた悪いことは、みーんな私が許してあげる!それで、一緒にこの場所で楽しく過ごそうよ!」
固まるオーブンとブリュレ。そんな彼らの様子を不思議そうに見つめるウタ。しばしの静寂の後、ウタに浴びせられたのは割れるような嘲笑だった。
「……こいつは傑作だな」
「ウィッウィッウィッウィッ!許す?小娘、アンタの頭には脳みその代わりに花でも詰まっているのかい?アタシたちゃ海賊さ!バカなガキにはわからないかも知れないけどねえ!」
「へえ……そっか」
小さく呟いて肩を落とすウタ。大きくかぶりを振ると、顔を上げる。その表情は、何処か不気味な笑みに染まっていた。
「じゃあ、悪い海賊たちはみんな歌にしてあげる!」
指を鳴らすウタ。それを合図にして音符が次々と現れ、ライブ会場を埋め尽くしていく。ヘッドセットから飛び出るマイク。大きく息を吸い込むと、ウタは歌い出した。
曲の名前は「私は最強」。力強い歌声とともに、会場も熱気を取り戻していく。まるで曲名の通り、ウタが海賊たちに負けるはずはないとでも言うように。
パワフルな歌声とは裏腹に、どこかナイーブさを感じる歌詞。大丈夫、そう自分に言い聞かせるようにして歌いあげられるその言の葉たちは、こう締めくくられる。「私は最強」と。
叫ぶようにしてその詩を歌い上げれば、ウタの身体は宙へと浮かんでいく。慌てた様子の海賊たちを尻目に、ウタは先ほどの言葉を現実のものにしていく。光とともに次々と装着されていく黄金の鎧。重厚な盾と分厚い槍とを身に着けたウタの頭上には冠が輝く。そう、この場で一番強いのは自分であると主張するかのように。
笑いながら、観客の頭上をなめるようにして飛翔するウタ。その槍を振るえば、宙に舞う音符が束になって海賊たちに襲い掛かる。数瞬後には、先ほどまで暴れ回っていた海賊たちは皆、五線譜の磔になっていた。
「つ、強えェ……」
「ウタ、すげェなあ~!」
純粋にウタの強さに驚くウソップ。実際に見知ったあのブリュレとオーブンを手玉に取ったことに感激するチョッパー。
「歌も上手くて腕っぷしも強えェとは、歌姫の姉ちゃんやるなァ!」
「いやはや、御見それいたしました……私、もう見る目ないんですけど!」
麦わらの一味は、皆驚きをもってその光景を見ていた。出番とばかりに飛び出そうとしていたサンジも、刀に手を掛けていたゾロも、フッと力を抜いて元になおる。
「みんなー!悪い海賊には歌になってもらったよ!!だから、安心してね!」
ステージ上に戻り、声を上げるウタ。観客たちは歓声で彼女を出迎える。彼らのそんな様子を見ると、ウタは満足げに頷いて再び声を張り上げる。
「ここからもっとずっと!どこまでも、エンドレスで盛り上がっていくよーー!!」
「うおおおおおおおおおおお!」
本日最高の盛り上がりとともに、次の曲が流れ始める。
ライブは続く。どこまでも、いつまでも。
霧のエレジアには、いつの間にかパラパラと雨が降り出していた。ライブの方は順調だ。観客のみんなも思いっきり楽しんでくれているように見える。
途中で何やら
ふと視線を手元のバスケットに向ける。初めの時は篭いっぱいにあったネズキノコもだいぶ減ってきた。でも、もうこれなら大丈夫だろう。夢のような世界は、新時代は、いつまでも続く。その中で、みんなは平和で幸せに暮らすことが出来る。
だから私のことを、邪魔しないでほしい。
モモンガは異様な光景を目の当たりにしていた。それは、ライブ会場を埋め尽くす意識を失った観客たち。電伝虫を含め、生きとし生けるものすべてが倒れこんでいる。次々と入ってくる各所からの通信は、今モモンガの目の前で起こっている現象はこの島に普遍的な現象なのだと告げていた。
思わずして、モモンガは誰に言うでもなくぽつりとつぶやく。
「まさか……死んでいるのか?」
果たして、可憐な少女の声がその質問に返答をよこした。
「寝てるだけだよ。最も、絶対に起きないけど」
「!」
答えた少女の正体はウタ。今回の作戦の標的である。モモンガは無言で合図を出した。
ぞくぞくとステージ上にやってくる海兵。銃を手にして、じりじりとウタの周りを取り囲む。奇しくも海賊たちがやっていたのと同じような光景。ウタは思わず苦笑した。
「何を笑っている。貴様の世界転覆の目論見は既に露見しているのだ、おとなしく……」
「ああ、私を殺したらここにいる人たちの心は永遠に戻ってこないからね?」
ウタの言葉にピタリと動きを止めるモモンガ。これでは何万人もの観客の命を人質に取られたようなものだ。どうしようかと思案し始めたそのとき、大将藤虎が現れる。
藤虎──イッショウは、ウタが軽率な行動に出ないよう、静かに語り掛けた。
「お嬢さん、お嬢さんの能力についてはこちらもよく理解していやすよ。あっしらも、何もお嬢さんを殺そうというわけではございやせん」
「ならさ、邪魔しないでよ。それに、私はもうすぐ消えるし」
「消える?」
消える、という表現に違和感を覚えるイッショウ。そのとき、ふとあたりに漂う匂いに気付く。
「こいつァ……ネズキノコ、ですかい?」
「あ、わかるんだ。そうだよ、これで私は……」
「……そいつを食べると眠ることができなくなり、やがて死に至る。そいつが消えるってェことですかい」
「な!?観客を道連れに死のうというのか!?」
イッショウとモモンガの言葉に、ウタは目を細める。この人たちは何もわかっていない。私が作る、新時代のことを。そんな苛立ちがウタの中でマグマのように湧き上がってくる。
「違うよ、みんなで新時代に行くんだって。夢の世界にはケガも病気も苦しみもない。みんなは平等で平和で幸せな世界でずーっと楽しく暮らすの」
そこまで聞いたところで、二人はこれ以上の対話を諦めた。狂人と話をしたところで仕様がないのだ。
「……できれば血は見たくありやせんでしたが、事ここに至っては仕方ねェみたいですね」
「…………」
海軍本部中将と大将。並みいる強豪海賊たちも震え上がるような、海軍最高戦力の一角がウタにじりじりと詰め寄る。そんな状況であっても、ウタの中に焦りはなかった。寧ろ苛立ちをぶつけられて丁度いいくらいだ。
「……いいよ、そっちがその気なら」
ウタは大きく息を吸い込む。そうしてその歌声を解き放って、邪魔者を排除しようとした、その時だった。
「え……?」
遠くに見える、どこかで見たことのあるような……いや、決して見間違えることはない、あの人が被っていた麦わら帽子。その奥から放たれる、途轍もない威圧感。
取り囲むようにしていた海兵たちはそれでバタバタと倒れていくのに、ウタにはそれが何かとても暖かいもののように感じられて。
「……っ!」
「!?」
そうして、耳に届いてきたのは懐かしい声。思い出の中とは違って、少し成長しているけどそれでも聞き間違えようがない。12年間、一度たりとも忘れたことのない人の声。
「ウタに何やってんだああああああああ!!!」
ギュっと掴んだ左の手首が、俄かに熱を持つ。心臓が早鐘を打つ。来た。来てくれた。ずっと会いたかった、自分の何よりも大切な幼馴染が。
「ルフィ……!」
ルフィが寝ている間の補間+ウタの心情という話
なんで7000文字使って作中時間3秒しか進んでないんだろう(白目)