うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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拝領

 大量の木簡が積まれた盆が幾つも床に置かれ、それ故にか、昼間だというのに若干暗く狭い小さな部屋のほぼ中央。文机の前で正座をしていたコゥーハは声を上げる。

「斥候、ですか。自分が」

「ええ」

 詳しくはこちらに、と渡された木簡に目を通すコゥーハの表情は、戸惑いを隠せないでいた。

 トゥスクル――否、ケナシコウルペ軍でいうところの斥候兵は、非常に多くの任務を課せられる兵種だったと、コゥーハは認識している。戦時においては、本隊の移動に先駆け目的地の状況を偵察並びに報告し、場合によっては敵部隊との交戦や追跡といったことを行い。非戦闘時は(オゥルォ)や軍の全権を握る侍大将、または歩兵衆(クリリャライ)騎兵衆(ラクシャライ)弓衆(ペリエライ)各衆の総隊長――地方へ配置されている軍においては、藩によってまちまちであるが、基本的には藩主――の指示のもとに、國内外のありとあらゆる情報を収集するべく諜報活動を行う。特に指示が無い場合でも休むことは許されず、諜報活動に必要とされる知識を常に学ぶことを強要され、その知識量からか、(オゥルォ)や侍大将の補佐という名の雑務を押しつけられる場合もある。

(要するに……何でも屋。使い走り。ですか)

 無論、他の兵士と同じように訓練もこなさなければならない。

 そして何より。とコゥーハは目の前で正座をしている人物を睨む。

「少なくとも。軍の編成が完了するまでの間、騎兵衆(ラクシャライ)の第七番隊に所属してもらいます。なお、これは聖上の命であり、異論は認められません」

 騎兵衆(ラクシャライ)総隊長兼侍大将である彼の下で働く斥候兵は、得てして短期間で辞めざるを得ない状況になってしまう、との噂は、彼が侍大将に就任して以降今日まで軍内部で囁かれていた。あくまでも噂ではあるが『火の無い所に煙は立たぬ』という言葉を理解しているコゥーハには、決して噂などではないという結論を導き出している。

「……ベナウィ総隊長の配下とは。聖上も、なんともお人が悪い」

 全くです、とベナウィは吐き捨て、文机の右方にある硯に墨を押し当てる。その様子から目を離し、コゥーハは目を閉じる。

「抗議は」

「当然です。しかし貴女が"特殊"である以上、事情を知る者の近くに置く事が一番良いだろうと聖上に仰られては、反論もできません」

 成程、とコゥーハは肩を竦めた。

「監視ということですか」

 一瞬。屈強な男をも怯ませるかのような殺気がコゥーハを貫く。が、呆れ声で笑うコゥーハの視線と青みがかった黒い瞳が交差すると同時に、ソレは一気に四散した。

「まさか。お守ですよ」

 ほう、と声を張り上げたコゥーハの眉がぴくりと上がった。尚も笑う墨色の双眸から、先程とは異なった同じ類のモノが放出される。

「それにしては、自分のことを殺す気でいらっしゃるようですが? 何かと侍大将の雑務を押しつけられては体調を崩して辞めていく者、異動願いを提出する者が後を絶たない、七番隊とは」

 ええ。と、相手の目も見る事無く、表情一つ眉一つ動かす事無く、ベナウィは手元の作業を続ける。

 コゥーハの眉が更に動いた。

「否定されないのですか」

「残念ながら。共に事実ですので」

 否定して下さい、という言葉を、コゥーハは別の単語に変換する。

「……部下を労わる気持ちは無いのですか?」

「貴女を労わる気持ちはありませんので、安心して下さい」

「自分の事ではありませんよ」

 きっぱりと言い放たれたコゥーハの一言は、緩んでいたベナウィの口をくっと正す。墨を置き、真摯な双眸で見据える相手に、しゃんとした佇まいで向き合った。

 きしり、と木が軋む音が、二人の間を割るように駆ける。コゥーハの手に汗が滲み、ベナウィの背筋が更に長くなり、冷たい緊張が張り詰めた糸のように細くなっていく。

「現在。その点も含めた問題点の洗い出しと、改善案を内外から意見を募り、検討中です。新たな規則も設ける予定ですので、良い提案があれば、聞きましょう」

 沈黙と睨み合い。どこまでも伸びるかに見えた糸。しかし、十拍も満たない間に墨色の瞳が音を上げた。

 そうですね、と間延びした声を上げながらコゥーハは視線を低い天井へと彷徨わせ、ふっと笑みをこぼす。

「任務中も、お酒を飲んでも良いという規則は如何でしょう」

「成程。話を茶化さない規則ですか、面白いですね」

「やめてください。隊の内が暗くなります……ええ、たとえ冗談でも、です。隊長の、その真面目が過ぎる顔で冗談言われても、誰も信じません」

 筆を持ちつつ、ベナウィは空いた手を顎に当てた。その手には、白い包帯が巻かれている事に、コゥーハは首を傾げる。

「ところで……左手の怪我は如何なされたのですか?」

 大したことはありません、と流し。ベナウィは文机の上に空白の書簡を広げ、すらすらと筆を走らせ始めた。

「それで。どうするつもりですか」

「どうするも何も――」

 憮然とした表情を浮かべるコゥーハを、ベナウィの一言が打った。

「尤も貴女が兵士を辞めて隠居をするのであれば、何も問題はないのですが」

 みしり、と。木簡が歪む音が部屋を割った。同時に、目を瞑ったコゥーハの口元が固く閉ざされる。

 相手の冗談にまざりあう感情。せり上がる嗚咽。止める口を歪に曲げ、漏れ出た一部がコゥーハの唇を汚す。

「今更……何処へ行けと」

 書簡の上を滑っていた穂が止まる。

 刹那。コゥーハは目を最大限に細め、大声で笑った。右手の書簡を握りつぶし、滴る鮮血を拭う。

「確かに自分は歳ですが――そう、この通り、兵士としての身体は現役です。恐れながら、新兵以上の働きはさせて頂きますよ」

 右手を上げるコゥーハを一瞥し、ベナウィは文机の右方へと視線を移した。

 硯の丘に留まった穂先から流れ出た黒い一滴が落潮を滑り、表情の読みとれない顔の映る黒い池を掻き消す。

「聖上は。貴女の意思を尊重したいと仰っています。先程は――希望通り、書簡にはそう書きましたが。決して武官でなくとも構いません。読み書きができるのであれば、文官という道も――」

「隊長」

 小さく、低い、はっきりとしたコゥーハの声が、ベナウィの言葉を遮った。

 コゥーハは足を浮かせつつ半歩下がり、胡坐を掻くように座り直す。正面にいる相手――上官に対して、何も言わず、深々と頭を垂れた。

「……」

 くたびれた薄い灰色の服から長く突き出すコゥーハの首筋、傷跡をなぞるように、ベナウィの視線が降りた。

「分かりました」

 顔を上げなさい、とベナウィはため息を吐いた。眉間に皺を寄せた顔で胡坐を掻くように座り直し、一振りの剣をコゥーハへ差し出した。

 茶色を帯びた黒の鞘に、灰色の柄。飾り気のない、長剣とも短剣も取れぬ至極一般的な細身の片刃剣は、トゥスクルの兵士に支給されている物と全く同じ物である。ただ二か所だけ違う点は、個人を特定するために付ける七色で結い合わせた組み紐と、それとは別の白くか細い紐に通された、罅の入った琥珀(コゥーハ)が嵌められた指輪が、灰色の鍔に括りつけられていること。

 目を丸くするコゥーハの両手に、ベナウィは剣を置く。

「トゥスクルの現在(いま)と未来のために」

 両手でしっかり握りしめ、コゥーハは重い刀を降ろすことなく頭を下げる。瞑った目をゆっくりと開きながら背を伸ばし、文字をなぞるように、大きく、きっちりと言葉を突き立てる。

「トゥスクルの民と、(オゥルォ)のために。命尽きるその一瞬まで、この身を捧げることを。大神(オンカミ)ウィツァルネミテアの名において、誓います」

 息を呑む声に反応せず、ただただ、コゥーハは頭を垂れ続けた。

 幾拍もの時が流れた後。床と平行している剣の中心に、上から重さが加わった。

 重い、非常に重たい重みだと、コゥーハは奥歯を噛みしめた。ほぼ同時に、堰を切ったように、感情が顔と声に溢れ出た。

「……ふっ」

 かん。と、剣が置かれる音が、静かな部屋に反響する。

 ふふふ。と、こみ上げる笑いを吹きだし、コゥーハは口元を押さえた。

「一度。やってみたかったのですよ。()()()ないですね、やはり」

 お腹を擦り、笑いをかみ殺すコゥーハに対し、至極真面目な表情をベナウィは崩さない。 

「訂正しないのですか。真に受けますよ」

「ええ。自分の良心に基づくよりも、よほど説得力がありますでしょう。この場にいらっしゃらない限り、聖上にお誓いする訳にも参りませんでしょうし」

 それに、とコゥーハは目を細め、天井を仰いだ。

「おじ様――いえ、養父は養父。自分は自分です。その考え方はむしろ養父も推奨しておりましたし」

 大神(オンカミ)ウィツァルネミテアに対する信仰心は他人に比べてやや変わっており、非常に希薄であることを、コゥーハは自覚していた。崇める存在とは違う、小説に登場する好きな人物のような、そんな認識であると。

 一切合財。アトゥイはコゥーハに、大神(オンカミ)に纏わる話……人の祖を創った『大いなる父』や、人の祖を解放したとされる『解放者』のことがうたわれている神話、オンカミヤムカイが広め回っている大神(オンカミ)の教え、日常に住みつき人々に恩恵をもたらす神々や、災いを齎すとされる禍日神(ヌグィソムカミ)の名前や性格、等々を自らの口から話すことは無かった。しかしながら、多くの人と会い、養父の目を盗んで神話を読み、神を召喚するとされる奇怪な儀式を行う――儀式が成功することは無く、その腹いせにと、儀式に行う商品を売り付けてきた詐欺師をコゥーハは精神的に傷めつけたことがあった――などを重ねる内に、周囲が抱く大神(オンカミ)の印象を理解し、自身が大神(オンカミ)に抱く印象を形成していった。 

 コゥーハが抱く大神(オンカミ)という印象は、周囲と――無論、アトゥイとも違う。感謝、畏怖、信仰、嘲笑、嫌悪、拒絶……そのどれもが当てはまり、当てはまらない心の中心に、一つだけ強く穿った言葉。

 絶対なる孤高。

 過去に大神(オンカミ)についての印象を問われた際、コゥーハが口にした言葉である。

 気の遠くなるような遥か昔。先祖に生きる知恵を与えた大神(オンカミ)。故にか大陸中の人々のほとんどが大神(オンカミ)を敬い、平和な日常が送れると感謝をし、時には願いを乞うようになった。しかし大神(オンカミ)は願いを叶える代償として、厄や病などで様々な物を奪うと、人々から恨まれ、憎まれ、願いを乞われる。そんなやりとりが、何百、何千、何万、それ以上の間に渡って現在もなお続けられている。

 神であるというのに、ヒトと同じように、ヒトに近い、光と影を併せ持つ神。

 もし仮に自分ならば、耐えられまい。肉体が朽ちることもあるが、たとえ永遠の命を与えられたとしても、精神的な意味で耐えられまい。そしておそらく――神話を読んだ限りであるが――誰も頼れる物はいないのだろう。仮に存在するのであれば、絶対的なる神がもう一人いるはずだ。そんな神になりたい、なって大神(オンカミ)を支えたい。

 などと、心底真面目に語った幼き日のコゥーハに、ほとんどの者は「子供の戯言」あるいは「神になるなど不遜」と一蹴する。ベナウィにでさえ「大神(オンカミ)がますます苦労するだけだ」と言われ「なら。少なくとも私は、これから大神(オンカミ)に何も願わないし、頼みごともしない。誓いも立てない」とコゥーハは返したことがあった。

 そして。十数年後の現在、コゥーハは当時のやり取りを思い出し。その時同時にコゥーハが誓った内容を、ベナウィは淡々と復唱した。

「確か。約束を違えた場合。針を千本飲ませても良い、でしたか」

 真剣な面持ちで文机の引き出しを開くベナウィの正面で、コゥーハは汗ばむ首筋を服の袖で必死に拭う。しかし、先程のベナウィの一言と自身の答えがコゥーハの心中で繰り返され、ますます汗が吹きだしていく。

「そ、そんな昔の話を――」

 忘れた、などとは言わせません。そう言ったベナウィの口調は非常に軽やかで、どこか楽しげな表情である。

大神(オンカミ)との誓いは絶対です」

「それは『ウィツァルネミテアの契約』であって――」

 何年も前の話なのだからと言い訳を並べるコゥーハ。そんな彼女を無視し、手を休める事無く引き出しの中を探るベナウィは、やがて目的の物を取り出し、相手へ突きつけた。

 ぎゅっと目を瞑り、震える身体を大きく引いたコゥーハだったが、ベナウィの視線に促され、恐る恐る手にある一枚の紙を受け取る。

(皇都周辺の地図のようですが)

 黒色の墨で数種類の濃淡を付けて描かれ、一部には朱色が入れられた地図。その中心からやや上――北部に描かれている巨大な建物が、形状や門の配置、門から伸びる道が北東を突き抜けていることから、皇城だとコゥーハは理解する。周囲を森林で囲まれた皇城から下、南西と北東を貫く川に沿って続く道の途中にある分岐から緩やかな波を打つように南東に伸びる道の先、皇城を要とした扇状の城下町――皇都全体が描かれている。皇都北西側には皇城へ繋がる道とは別に、南西と南東に大きな街道が伸び、その延長には有力な豪族が治める領地へと繋がっていることを示す走り書きがある。皇都のあちこちには網目のように張り巡らされた道が細い線で示され、その線で区切られた区画の幾つか、何れも比較的皇城に近い数か所に、朱色で十字が付けられていた。

 十数年前になかった道や、逆に無くなっている道が多い事に驚きつつ。皇都も様変わりしたものだと、しげしげと地図を眺めるコゥーハに、ベナウィは説明を付けた。

國師(ヨモル)が執務をされる社の建設候補地です。ご覧の通り、未だ場所も検討中ではありますが、再来期までには完成させる予定です。それ以降に國師(ヨモル)がお越しになるため、竣工式はもっと先になりますが」

 つまり何が言いたいのだろうか、とコゥーハは思考を巡らし、一つの推測に至る。

 國師(ヨモル)――と、その下で働く者達――の主な職務は、派遣先の國の(オゥルォ)の依頼に基づき、他の國師(ヨモル)達と連絡を取り合い、他國間との仲介や同盟の締結の立会を行うことであるが、それ以外にも様々な事を行っている。説法を含む大神(オンカミ)の教えを広める活動、冠婚葬祭の立会、様々な祈願……旅の安全を願うなどの個人の祈願から、豊作を願うなどの集落単位の祈願、等々。それら全て國師(ヨモル)が行っている訳ではないものの、他の者を派遣させる手配を行う業務も國師(ヨモル)が行っている。

 その職務の一つに、有り体に言うところの「人々の悩みを聞く」というものがある、とコゥーハは聞いたことがあった。悲しい事や悔しい事、辛い事、謝りたい事……時にはそれらが言い出し辛いことがある場合、民達は近くの社へ赴き、話を聞いてもらうのだと謂う。実際に、大きな社の内部――コゥーハは社に入った事が無いので、人から聞いた話を元に想像するしかないのだが――には彼らが悩みを打ち明ける部屋が存在し、許しを乞いたい者達がその中で懺悔をする。

 ちくり、とコゥーハの心が痛んだ。

大神(オンカミ)に謝罪を』

 そういうことなのだろう。結論に至ったと同時に、コゥーハの肩から力が抜けた。だらりと体勢を崩した相手に、ベナウィは呆れたような目を向ける。

「私が本当に、針を千本飲ませるとでも思ったのですか」

「……ええ」

 恐怖から解放された安心感から来る反動で、突っ伏すように身体を丸めたコゥーハに、ベナウィは首を傾げ、目を細めた。やがて、何かを納得したかのような、感嘆のため息を吐いた。

「それほどまでして、飲みたかったのですか。でしたら、誰かに頼み――」

 わずかに息を弾ませ部屋の入口に目を向けるベナウィを、コゥーハは全力で制止した。

 社が完成し次第、懺悔に行くことを指の数以上誓うことで、針を千本飲むという最悪の事態を免れた……はずだ、とコゥーハは己に言い聞かせた。「本当に行くのですか?」と尚も疑問を口にするベナウィに、自分をからかっているのではないのかと多少の怒りを覚えながらも従順に首を縦に振り、床に置かれた剣を手繰り寄せる。

 組み紐の隣、粗末な細い糸を引きちぎり、コゥーハは指輪を手中に収めた。見間違うことなど無い、と思いつつも、指の腹で何度も何度も撫で回す。

 表面の傷、汚れや錆びによる曇り具合、左手の中指にぴったりとはまる大きさ。

 これは、と確認するように口にしたコゥーハに、はっきりとした口調でベナウィは肯定した。

「聖上の御慈悲です。感謝をしなさい」

 コゥーハは指輪を握り、目を瞑る。

 こみ上げてくる感情は紛れもなく(オゥルォ)への感謝であり、溢れ出そうな言葉の数々はその全てが謝辞。しかし涙は無く、胸を熱くする高鳴りも感じられない。指輪が返って来る確信があったのか、(オゥルォ)から直接渡されていないからなのか。どちらにしても、薄情な奴だと、コゥーハは心中で嘲笑する。

 重く一礼した後。コゥーハは指輪を嵌め、正座し直した。服を正しつつ目を閉じ、身なりを整えた後に見上げる墨色の目は、上官をしっかりと捉える。

「それで。何処へ派遣されるのですか? やはり様々な國へ戦を仕掛けているシケリペチムですか? それとも、騎兵戦を得意とするクッチャ・ケッチャの技術を偵察してくればよろしいのでしょうか? あるいは改めて身内の粗でも探せ、ですか。何処へなりとも行く覚悟はできているつもりですが」

 いえ。と、ベナウィは強い口調で回答する。

「まずは。國内の状況を把握することから始めてください」

「……確かに。当然ですか」

 必要な資料はそちらに、とベナウィは右側にある書簡の山々を指し、呻き声を上げたコゥーハを無視しつつ、各々の内容について説明していく。

 廃止された法と新しく制定された法、現在審議中にある法案や議題に上がる予定の法案、先の戦で発生した事実――旧ケナシコウルペ國軍と叛軍が衝突した場所や、軍が焼き討ちを行った場所の状況、双方の戦死者と行方不明者、戦時中はどちらに与していたのか、いつの時期に方針を転換したのか、()()()()消失した物資の量や國内を出入りした人数、等々――が各藩ごとあるいは各集落ごとに纏められたものと、それらを踏まえた上での推察とそれに基づく復興案と進行状況、トゥスクル國樹立に伴う周辺諸國の反応を纏めたものといったものから、新しく導入された宮中の慣例や作法、(オゥルォ)と皇女二人の日程――「聖上の場合。多少……ええ、()()の変更がしばしばありますが」とベナウィは冷たい声で付け加えた――や、軍内の各衆の募集人数や要項、基礎と実戦訓練や合同演習の内容と今後の日程、皇城内にあるそれぞれの部屋の役割や、老朽化に伴い新しく建設・増設される兵舎の建設予定位置、などなど。

 慣れているのか、流暢かつ的確な言葉で説明を続けるベナウィ。その向かいで、コゥーハは大きな欠伸をする。

 聞いているのですか? と怒りを露わにしたベナウィに、コゥーハは肩を竦める。

「聞いていませんよ。見れば解りますし」

 慣れてしまったのかもしれない、と思いつつ、射るような視線を送って来る相手を無視し、コゥーハは立ち上がった。書簡の山を幾つか手に取り、その隣で開いた書簡を床に並べ始める。

「相変わらず……説明が懇切丁寧なのはありがたいですが、一度に多くの物を要求し過ぎですよ。この量は、ヒト一人が一日で処理する能力を遥かに超える量です。仮に一人の新兵に覚えさせたら、おそらく数日掛っても覚えられないと思いますよ」

「しかし」

「たとえどれもが重要かつ急く場合でも、ですよ。誰だって、これだけの量の押し付けられると裸足で逃げたくなりますし、徹夜をすれば確実に心身を壊します。隊長御自身以外は。実際に逃げられた経験がおありでは?」

 図星といったような表情で、頭を抑えて目を逸らすベナウィの顔がすっと青くなる。その光景にスッとした気分を噛みしめつつ、コゥーハは言葉を付け加えた。

「ヒトを見る目はあると思いますよ。相手にできない事を押しつけることはされませんし。要は、押しつける要領の問題かと。時期と量と方法を調節して、いかにして相手にやって頂くのか。……こればかりは、自分からは何も申し上げられませんが」

 まあ、とコゥーハは鼻を鳴らし、一つの盆に乗っていた書簡を全て並べ終えた床を見渡した。

「自分の限界については、随分とお詳しいといいますか。そこが微妙に腹が立ちますが――ほう。この治水事業の具体案、面白いですね。聖上の案でしょうか」

 コゥーハは左右の手でそれぞれ広げた木簡を持ち、くるんと巻いた。そうですね、とやや間延びした声を上げながら、幾つか気になった物を除き、書簡を元の位置へと戻して行く。

「十二の山――これだけの量でしたら、二刻あれば」

「……言いますね」

 やや呆れたような声を上げつつも、ベナウィは微笑した。

「相変わらずといいますか」

「記憶力だけは良いのですよ」

「記憶するだけでは意味がないことは、解っていますね」

「ええ。勿論。ですから、二刻です。お邪魔でしたら出ていきますが」

 此処に居て下さい。と、ベナウィは入口へ目をやる。

「もうじきアレも届くでしょうし」

 アレ? と首を傾げ、コゥーハはベナウィを見る。首元の衿を正す相手に「あぁ。ソレ」とコゥーハは納得した。

 

 

 

 

 

 木簡に目を通し始めてから一刻と半分が経過した、最も高く昇る位置から日が傾きかけた頃。最後の書簡を読み終え、コゥーハは気になった書簡を再び読み返していた。顎を擦り、こめかみを押さえる動作を数回繰り返した後、すっとその場に立ち上がる。

騎兵衆(ラクシャライ)に所属する兵士の名簿を閲覧しても宜しいですか? 後、軍や宮中内の組織図を。あの山には無かったもので。こちらは旧体制と変わりなく?」

「多少の変更はありますが、現在のところ、根本的な変化はないといって良いでしょう。組織図と名簿は私の後ろにある書棚の中段、下段は歩兵衆(クリリャライ)弓衆(ペリエライ)の部隊長と小隊長名簿です」

 つかつかとベナウィの正面を通り、目的の棚を眺めたコゥーハの口から、感嘆の声が上がった。

「上段の、予備の文具一式。隊長個人の物ですか?」

 ええ。と肯定したベナウィの隣で、コゥーハは漆黒の硯箱を取り出した。

 黒曜石(コクユカゥン)を思わせるような硯箱である。長い間使用されているのか、所々に小さな傷があるものの、これといって大きな破損も目立つ傷も無い。淡紅色の先端を持つ白い花弁と黄色の葯の花と、小さな花が集まった青みの強い紫色の花が寄りそうように描かれている蓋を開くと、筆や硯、文鎮といった文具一式が納められていた。硯箱同様いずれも年季の入った物だが、筆の根元や硯全体は墨で黒くなっておらず、とても大事に使用されていることがコゥーハには容易に推測できた。

 良い筆です、と穂先を触りつつ、コゥーハは微笑する。

「頂きますよ」

「あげません。借りるのでしたら、どうぞご自由に」

「配属記念に」

「駄目です」

 ちいっ、と舌打ちした部下に対して念を押し、ベナウィは書簡に筆を滑らす作業に戻る。その様子をじっと睨みながら書簡の山のある場所へと戻り、文具一式を床に広げるコゥーハに目を向けることなく、注意を促した。

「ああ。ちゃんと下敷きを使ってください」

 拳を作ったコゥーハの右手が、不快そうに音をあげた。

 

 

 

 

 

 四半刻後。使用した筆記具の入った硯箱と剣を右側に置き、コゥーハはベナウィの正面で正座した。

「一通り、読み終えました。お試しになります?」

「いえ。それを行う時間すら惜しい」

 右手に持つ筆を置き、ベナウィは硯箱を丁寧に受け取った。

「何か言いたい事があれば、聞くだけ聞きましょうか」

「そうですね――では、一点だけ」

 とん、と音を立て。コゥーハは書簡を文机に置いた。数拍の内に紐を解き、右手で器用に文机の空いている場所――ベナウィの左上に複数広げ、一部を指でなぞる。

「今期中に、百頭もの『使える』ウマ(ウォプタル)を増やすことは難しいかと思います。厩と数だけでしたら資金を回して何とかなりましょうが、実戦で使えるように調整されたウマ(ウォプタル)――具体的には、個々に合わせてウマ(ウォプタル)を調教する調教師がおりません。……多くの調教師が暮らし、多数のウマ(ウォプタル)を國に献上していたチェンマは、焼けてしまいましたし」

「……」

「現在、騎兵衆(ラクシャライ)内に調教の資格を持つ者は十人。ある程度の調教が行える者は、全体の約四分の一。彼ら全員が調教に当たったとしても、今期中にその数を用意することは無理かと。確かに、いつ他國から攻められてもおかしくない状況なのは存じ上げているつもりですが、無理なものは無理かと」

 コゥーハが提示した書簡から目を離し、じっと相手の目を探るように、ベナウィは青みがかった瞳を動かす。

騎兵衆(ラクシャライ)の増員予定人数を減らせ、と」

「並行して、厩の建設予定数についても見直してください。頭数だけ増やしても、調教を完了させたウマ(もの)でなければ、宝の持ち腐れかつ財政を圧迫するだけです」

 尚も沈黙を続け、顎に手を当て俯くベナウィの目は揺れている。当然だろう、とコゥーハは眉を顰めた。

 國の基盤が安定しつつあるトゥスクルだが、他國に比べればまだまだ豊かとは世辞にも言い難い。また、旧ケナシコウルペ時代の栄華に縋りつく者達が各地で叛乱を起こしており、鎮圧の兆しを見せないことからして、背景に有力な豪族がいるのではと推測されているものの、未だに黒幕の尻尾を掴めずにいる始末。先の戦で兵士の三分の一が戦死していることや現在の兵士の半分が各地の復興に尽力している状況も踏まえて、内乱の再発や他國からの侵攻は大いに予測されるため、早急なる軍備強化は必須である。特に、トゥスクルの南西に位置する三大強國、シケリペチムの動向が特に活発化しており――と、書簡には書いてあったものの、隣國に侵攻したという事実のみ、等々、彼の國に対する情報のどれもが不明瞭かつ少ないことを、コゥーハは危惧する――國境(くにざかい)を接していないとはいえ、事は一刻を争う。

 幸いにも。『調停者』たるオンカミヤムカイの使節団が来訪、滞在中であるため、他の國々にこれといった動きは無い。使節団はこれから皇都などを訪問する予定のため、しばらくは滞在すると思われる。が、問題は彼らが本國へ帰還した後である。先程の話から、國師(ヨモル)を招き入れる事となったものの、実際に國師(ヨモル)が来るまでに時間が掛るため、その間に戦が起こらないとも限らない。また、多くの國がウィツァルネミテアを信仰しているものの、國師(ヨモル)がいない國は幾つか存在するため――正直、無礼ではあるが、彼らの抑止力にも限界があると、コゥーハは思っている。

 故に、彼らが帰還する前に、少しでも兵の数を増やしておきたい。そういった思惑もあるのだろう、とコゥーハは広げた書簡を片付けつつ、こめかみを擦った。

「そうも、参りませんか」

「打開案は」

「既に引退した兵士や雇兵(アンクアム)を通じて、調教師を捜すこと位しか、現在は思いつきません。長期的な案としては、調教師の育成でしょう。ただどちらも思いつき段階ですので、他の案の模索と並行してもう少し考えたいですね。臨時で調教師の資格試験を行い人数を増やすことは、調教師並びにウマ(ウォプタル)の質を落とす可能性が高いため、自分は賛成し兼ねます」

 ベナウィは小さく息を吐き、相手に目を向ける事無く作業に戻る。

「具体的に意見を纏めた物を提出してください」

 ぴくん、とコゥーハの眉が上がる。

 言葉の通り『聞くだけ聞いた』ベナウィの目の前に、コゥーハは三本の木簡を叩きつけた。

「ええ、ええ。軽く纏めたものは此処に。具体的に纏めた物と資料も、隊長権限で文官に頼んで、自分の記憶と擦り合わせた後に此処へ持って行きます」

「今は多忙ゆえ、夕刻にでも聞きましょう。それらは私の部屋に運んでおいて下さい」

 軽くあしらうように返答したベナウィに、コゥーハは更に眉を上げつつ引き攣った笑みを浮かべる。

「了解しました。判りやすいように、全て入口に積み上げ置いておきます。しかし非常に誠に本当に申し訳ありませんが、本日の夜は空いておりません。新たに――」

「遺書なら、ここで今すぐに書きなさい」

 空白の木簡と硯箱を差し出した上官に一瞬怯むも、再び硯箱に手を伸ばすコゥーハの声は大きく響く。

「兵舎の――」

「貴女の部屋なら、聖上の命により既に個室を手配済みです。今日の仕事が終わり次第、誰かに案内させる予定です。それに、整理する程の荷物など無いでしょう」

「――……」

 木簡に文字を綴りつつあれこれと言い訳を探すが、どれも相手を崩す質量を持ち合わせていない、とコゥーハは心中で嘆く。結局、何も思い当らなかったため、ぼそりと本音を呟いた。

「今日の夜は、色々と考えさせて頂きたく」

「いま。ここで。その手を休める事無く考えなさい」

 急速に身体の力が抜けていくことを、コゥーハは自覚した。

「自分は。休ませては頂けないのでしょうか。せめて一日……」

 開いた部屋の入り口から差し込む乾いた光とは対称的な、じめっとした、粘りつくような視線がコゥーハの身体にまとわりつく。

「……何ですか、隊長。その呆れたような目は?」

 それはこちらの台詞です。と吐いたベナウィの口調は険しく、冷ややかである。本気で怒っているのか、黒い両眼が放つ殺気にも似た視線は、容赦なく相手を貫く。

「休む? そんな言葉を吐ける立場なのですか、貴女は? 巫山戯(ふざけ)た事を言う暇があるのであれば、さっさと遺書を書き代案の一つでも考えなさい」

 ベナウィの拳を叩きつけられた文机が、大きな音を立てて振動した。

 相手の言葉に多少の同意はするものの、妙にやるせない気持ちがコゥーハの奥底に燻る。 

「やはり殺す気ですね。自分を」

 まさか。とベナウィは即答する。

「三日丸々徹夜した程度で死ぬような貴女だとは、到底思えません」

 自分を一体何だと思っているのですか、と呟くコゥーハを一瞥し、手が止まっていると空白の書簡を指で突きつつ、ベナウィは言葉を続ける。

「それに、先程『命尽きるその一瞬まで、この身を捧げる』と言ったではありませんか」

「隊長に、ではありません。聖上と、民のために、です」

 追撃を行おうとするベナウィを遮り、コゥーハは書き終えた書簡を差し出した。

「隊長。残念ながら自分は貴方ほど万能ではありませんし、仕事熱心でもありません。故に休む時はきっちりと休ませて頂きますのでそのおつもりで。時間外の労働はそれなりの理由と手当てを要求します」

 筆の動かす手を止め、考え込むようにベナウィは右手を顎に押し当てた。

 数拍後。書簡を受け取るベナウィの、形良く結ばれた口が、ふっと緩んだ。刹那、強烈な寒気がコゥーハの全身を駆け廻る。

「つまり。時間内であれば、あるいは正当な理由があれば、多少の無理は良いということですね」

「っぐ」

 灰色の服の内側で、コゥーハの尻尾が上がった。

 ベナウィの口元に浮かぶは、冷笑。目に湛えるは、期待――否、確実なる殺気。女性を虜にすると謂われる整った顔立ちも相まって、その表情は薄い刀の様な美しさと冷たさ、そして心を切り裂く切れ味を併せ持つ。

 コゥーハの内にある本能と云うべき何かが、危険だと訴える。確実に殺される、と。

 誰もが辞めていく訳である。仮にこんな上官と数年間も共に仕事をしている者がいるとすれば会ってみたいし、心から頭を下げたい、とコゥーハは歯ぎしりをする。

 押し黙ったベナウィは更に微笑しつつ、受け取った書簡の隅に一筆加える。その筆の動きは、コゥーハの背筋を粟立てる程に滑らかである。

 重く冷たい沈黙。コゥーハにとって気まずい状況が続いていく。

(沈黙は肯定……何か、何か言わなければ)

 コゥーハが言葉選びに四苦八苦している正にその時。部屋の端から女性の戸惑いが上がった。二人が振り向いた部屋の入口前には、女性用の服を載せた盆を両手に立ち尽くす、白く長い耳をした女官が一人。

「あの……。コゥーハ様の衣服をお持ち致したのですが」

 目を潤ませ引き攣った笑みを浮かべる女官。その顔は夢破れた乙女の顔に良く似ている、とコゥーハは目を見開く。いつからいたのだろうか、と記憶を遡りながら、またあらぬ誤解が生まれたのでは、と手で顔を覆い、両耳を垂らした。

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