うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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妹君

 多くの衛士が頭を下げる廊下を、コゥーハは二人の皇女の後に続く。目的地に近づくにつれ、すれ違う衛士の放つ緊張が緩やかに増していくが、比例するように皇女達の――エルルゥとウルトリィの談笑は盛り上がっていった。

 エルルゥから質問を振られた際に回答する、といった形で時折関わりつつ、コゥーハは二人の話題に終始目を丸くしていた。

(エルルゥ様の持つ薬師(くすし)の知識と技術は、お話を伺う限りでも、さすがだと思いますが。ウルトリィ皇女が薬師(くすし)の知識をお持ちとは、驚きました。医学士でも目指されているのでしょうか)

 良い薬草の選び方や、効率良く材料を擂り潰す方法、重い病気か否かを判断するのに重要な点は何か――薬師(くすし)として知っておきたい知恵や知識が次々と二人の口から飛び出しては、それらに対する意見交換が行われていた。中には文献に書かれていない、コゥーハの知らない内容も数多くあり、内容の高さと自身の実力のなさから、訊ねられない限りコゥーハは極力閉口していた。

 話題が『どのようにして、苦味を嫌う子供に苦い薬を飲ませるか』というものに移り、うーん、とエルルゥは頬に指を当てた。 

「あれって、苦過ぎて私でも飲みづらいお薬ですよね。でも、ハチミツを入れると味がまろやかになって飲みやすくなるんです。お薬を嫌がるアルルゥも飲んでくれるんですよ」

「まあ。それは初めて聞きました。早速試してみようと思います」

「そ、そんな……」

 ウルトリィの称賛にエルルゥは照れるように顔を赤くし、尻尾を振った。何度、同じやり取りがあっただろうか、とコゥーハが振り返るのは束の間。違う赤色でほんのり頬を染めたエルルゥの眉と尻尾が上がる。

「だ、駄目ですよっ、お腹を壊しちゃ本末転倒ですよっ」

 左様でございますね、と呟くように返したウルトリィの表情は、終始微笑んでいる。楽しんで頂けていると信じたい、とコゥーハが口を緩めたのはひと時。微笑みあったエルルゥとウルトリィの視線が、後方へと移った。

 緊張で軽く尻尾が上がった状態で微笑みを作るコゥーハに、エルルゥは質問を投げかけた。

「コゥーハさんは、お薬を飲みやすくする方法、何か知ってますか?」

「は、はっ。あ~……」

 自分は。とコゥーハは過去の記憶を掘り起こす。苦々しい味を拭うように舌を巡らし、今ほど師を恨んだ時はないかもしれない、と心中で吐き捨てる。期待を寄せるような視線を送る二人から視線を逸らし、俯いた。

(逆に恐ろしく苦くする、不味くする方法なら、幾らでも聞きましたが。ハチミツも、場合によっては二日酔いの薬と混ぜ合わせると、酷い臭いと意識が飛びそうな味をもたらすことになりますし)

 薬を嫌がる自分に対して、あの薬草を足した苦さよりはマシなのだから、と薬が更に苦くなる方法を語り。試しに苦い方を飲んでみるか、と他意のない――清々しささえ覚える笑顔で、無自覚に相手を脅し。強引に薬を流し込もうとする薬師(くすし)の師の姿を思い出し、コゥーハは鳥肌の立った腕を擦る。固くなった口元を強引に動かし、眉を下げた二人に笑みを向けた。

薬師(くすし)の師、曰く『良薬は口に苦し』と。故に全然教わりませんでしたもので。自身のためにも文献も読みましたが、お二人の仰った以外の方法を自分は知りません」

 申し訳ありません。と謝罪したコゥーハに、二人は微笑む。表裏の感じられない皇女達の笑みはコゥーハの身体を硬直させ、同時にコゥーハの良心を揺り動かす。

 自分は。これまで真面目に学んできたのだろうか、と。

 ズキりと痛む、張ることのできない胸元を、コゥーハはぐっと押さえた。

 己の不真面目さに恥じ入るコゥーハの前方で、衛士の挨拶が廊下に響く。同時に、エルルゥの足が止まった。

 三人が足を止めた場所は、上層へ続く階段。階段の新しさと幅に疑問を感じつつ、コゥーハはエルルゥと衛士のやり取りに耳を傾ける。

「ハクオロさんは」

「聖上は、お部屋で休憩を取られております」

 上がっても良いですか? とエルルゥに問われ「も、もちろんにございます」と声を張り上げる衛士の視線は、エルルゥとウルトリィの、誰もいない後方を彷徨った。「ご苦労様です」と、二人の皇女に手を握られ、微笑みかけられ、頭を下げられ。二人を見送る衛士の身体は石のように固い。

 木簡の厚みも動かぬ衛士の両手を、御苦労様です、とコゥーハも握り、ふっと微笑する。が、皇女二人とは明らかに異なる――身体から余分な力が抜け、頬から赤みが抜け、表情から笑顔が抜け落ちる反応を相手が示し、ぴくんと眉を上げた。

 コゥーハと視線を合わせた衛士は、退屈な……まるで男を接するかのような目で相手を見ながら、ふう、息を吐いた。 

「あぁ、あんたか。おかげで緊張が取れた、感謝する」

「…………」

 ふっと湧いて出た、言い知れぬ感情の赴くままに、コゥーハは握る手を強める。呟くような悲鳴の隣で「いえいえ。お役に立てて何よりです」と笑い、半泣きの相手からそっと手を放した。

「ウルトリィ皇女の護衛はどのようになっているのか、御存じですか?」

 申し訳ありません。頭を深々と……腰辺りまで頭を下げ、やたらと丁寧になった衛士の言葉が、何への謝罪なのかと頭をひねりつつ、コゥーハは相手の言葉を待つ。

「自分を含めて、何も聞いておりません。正直、私達も状況を把握したい次第で」

「とりあえず。ウルトリィ皇女の護衛を一人でも付ける必要はあると、自分は思いますが」

「その件でしたら、階段上の衛士に伝えてください。聖上が上がられたこともあり、上層に配備された兵の人数も多くなったので、何とか対応してくれると思います」

 感謝致します、と会釈をした後。階段を上がろうとしたコゥーハの背中に、呼び止める声が掛った。

「申し訳ない、一つだけ気になることが」

 上階に聞こえない程に小さな声で衛士は話し始めた。

 四半刻前、城下の視察を終えたハクオロとウルトリィが此処を通った際、政務の件で奏上しに来たベナウィに対してハクオロが何かを命令したとのこと。話の流れから内容は政務の件ではないが、その際ベナウィが――衛士曰く、とても驚かれた、一瞬呆けた顔をし、眉を寄せて何か言いたげに口を開いていたものの、結局は何も言わずに命令を受け入れたのだと思う、と衛士は締め括った。

 珍しい顔でしたよ、と付け加えた相手の感想を軽く受け流しつつコゥーハは礼を述べ、階段を上り始めた。

 多少の柔軟さを併せ持つ固い階段を強く踏みつけ、コゥーハは眉を寄せる。

(やはり、新しい。以前よりも幅が広く、角度が緩やかで、上りやすい気がします)

 上階に行くほど階段は狭く、角度も急で上りにくいだったはずだが、とコゥーハは首をひねる。インカラ(オゥ)の時代、(オゥルォ)の巨漢に合わせて作り変えられたのか、あるいは皇女二人のためにハクオロ(オゥ)が配慮して架けかえさせたのか。とはいえ、理由を知ったところで何かが変わるわけでもないか、とコゥーハは眉を下げた。

 直後。コゥーハの頭に激痛が走る。

「この、感覚はっ――」

 ひどい耳鳴りと、僅かに滲む血の味。黒い光が薄く散らばる光景を遮断するように、コゥーハはぐっと目を閉じた。その場に膝を折り、唇を噛みしめ、ひたすら治まる時期を待った。やがて耳鳴りが消え、直後にコゥーハは笑う。その表情を、上から降りてきた言葉を受け止めるように顔を上げた。

「あぁ……問題ありません。滑っただけです」

 これからは気を付けますので、とコゥーハは笑い、心配そうに耳を下げるエルルゥの隣、困惑したような表情を浮かべて上層の廊下を見つめるウルトリィへと視線を移した。

(誰かが、幻術を使用したと判断して良さそうですね)

 オンカミヤリュー族の得意とする術法は、大きく二つの種類に分けられる。一つは、火や土といったヒトに宿る神を具現化する術で、術法といえば、一般的にはそれを指す。もう一つは、幻覚を見せるといった相手を惑わす術で、前者との区別もあり、幻術と呼ばれることが多い。

 コゥーハの周囲で幻術が使用された際、コゥーハの身体に重い負担が掛る。"アレ"との関連も含めて理由は解明されていないが、負担が掛るという事実と、月相と指輪の有無によって負担が異なること、そして自身に対して掛けられた幻術はコゥーハに効かないことを、コゥーハは認識していた。

 指輪を擦りながら、やはり加護が失われているのか、と心中で吐きつつ、コゥーハは階段を上り切った。心配そうに見つめる皇女二人に謝辞を述べ、少しばかり待って頂けないかと頭を下げた。

 許可を取り終えたコゥーハの肩を、階段を守る衛士が叩いた。

「皇女の護衛でしょ?」

「はい。その件で何か御存じでしょうか?」

 聞いてませんよ何も、と衛士は肩を竦め、後方に控えるもう一人の衛士を示した。

「お二人があの状態で来られて、ウチらもびっくりのなんの。とりあえず一人、上層にいる間はそいつが――大丈夫。新兵だが、腕もそこそこで咄嗟の判断力もあるし、人を一人逃がすには十分な腕だから安心してくれ。下でオタクが喋っている間にちゃんとお二人からは許可取ったから」

 衛士の言葉に同意するようにエルルゥとウルトリィは微笑し、コゥーハはそれを確認した。

「オタクよりも距離とって、もちろん何かあっても対応できる距離で付かせるってことで。こいつ女癖悪ぃし」

 隊長っ! と頬を真っ赤にする新兵の若い男の肩を揺さぶり、冗談だって、と笑う。

「だが、誤解を与えるような事があっては双方大問題だからな。オタクも気を付けなよ」

「勿論です。お二人には細心の注意を――」

「あや、そうじゃなくて。女のオタクも、こいつみたいな輩に気を付けろってこと」

 声を小さくしてください、と慌てふためく男の様子を見つめ、コゥーハは苦笑した。

「ありがとうございます。しかしながら、年寄りには関係のない事ですよ」

「そなの? ホントにちゃんと歳食ってる? 随分と、恐ろしいくらいに若く見えるよオタク。まあでも、中には熟女がスキーっていう稀有な存在もいるし。逆に成人前の可愛い少女がたまらなく好きな、ウチのようなやつもいるけ――何でもない、忘れてくれ。とにかく忘れろ」

 首筋の汗を衿で拭いつつ、要は色んな人種がいるから気を付けろということだ、と衛士は早口で言葉を付け足した。

「そうそう。エルルゥ様から聞きましたよ、これから聖上がお休みになられている、禁裏に行かれるとか。んで、禁裏の下は……いつも一人いた、んだが」

 軽やかだった衛士の声が急激に失速し、コゥーハは目を瞬かせた。

 あー、と頭を掻きながら眉を下げ、ぼそぼそと衛士は呟くように続きを口にする。

「アルルゥ様が――厳密には例の『白い獣』。名前何だったかな? とにかくそれが頻繁に出入りするようになってからは、ほとんどいないし今日もいない。ウチも含めてそりゃあ、もう、『白い獣』にビビっちまって。この前、調練したんだが……禁裏って場所の重さも含めて、糞の役にも立たなくてな。ちなみに、対策は侍大将の指示があるまでこのままだそうだ」

 別に怠けてるわけじゃないからな、と衛士は強調し、溜め息を吐いた。

「しっかし。あれにビビらんベナウィ侍大将やオボロ歩兵衆(クリリャライ)総隊長、クロウ騎兵衆(ラクシャライ)副長やドリィ・グラァ弓衆(ペリエライ)両隊長は、全くどんな精神をしてるんだか。誰でも良いから爪の垢を煎じて飲んでみようかね? ああ、もちろん最後のは冗談だから」

 野郎の爪の垢なんて死んでも飲みたくないね、と断言した隣。自身の爪を触るコゥーハに衛士は呻き、頭を掻く。

「すまん。オタクのも飲みたくない」

 はぁ、と首を傾げるコゥーハに、そうそう、と衛士は話題を変えた。

「言い忘れてた。ついさっき、アルルゥ様がいらっしゃいましたよ。『白い獣』も一緒に」

 冗談ですか? とコゥーハは問うと「いんや、そりゃ本当」と真剣な表情で衛士は返した。

 

 

 

 

 

 皇城の上層。薄い影が徐々に占めつつある廊下に、エルルゥの声が響いた。

「もうっ、アルルゥったら……」

 尻尾を上げ、頬を膨らませるエルルゥの様子を伺いつつ、コゥーハは皇女二人の後方を歩く。アルルゥ皇女の話となるといつも同じ表情をされると思うと同時に、アルルゥ皇女のことをとても心配され、気に掛けておられ、愛していらっしゃるのだと思い、笑みをこぼした。

 笑いごとじゃあないんですよ、と眉を上げるエルルゥの隣で、ウルトリィは目を細めた。

「お話を伺う限り。とてもお元気な妹様のようですね」

 はい、とエルルゥは耳と尻尾を垂らし、赤い頬に手を当てる。

「元気なのは良いですけど……元気過ぎて」

「お元気でいらっしゃることが、何より一番だと思いますよ」

 ふふ、と頬に手を当て微笑するウルトリィに、そういえば、とエルルゥは質問をする。

「ウルトリィ様に御兄弟はいるんですか?」

 一瞬。後方を歩く護衛二人の顔色が引き攣った。彼らが各々に視線を逸らす前方、振り返ったエルルゥの隣で、ウルトリィは肯定した。

「はい。妹が一人おります」

 先程から頻繁に浮かべている上品な笑みとは異なる、弾けるような笑みで答えるウルトリィに、護衛達は互いに目を合わせた。その前方で、私と一緒ですね、とエルルゥは笑みを浮かべ、尻尾を振る。

「ウルトリィ様の妹さんかぁ。とっても美人で、上品で、落ち着いた人なんでしょうね」

「え、ええ……」

 ウルトリィの眉が下がり、微笑みが微かに崩れた。胸の前で腕を組みつつ口を若干開き、言葉を選ぶように、慎重な面持ちで紡ぐ。

「とても。愛おしくて。元気な、子ですよ」

「機会があれば、会ってみたいです」

「ええ……もちろんです。多分」

 多分、の後に綴られた言葉は吹き抜けた風に乗り、目的地の方角へと流れていった。困惑を隠せない表情で視線を彷徨わせるウルトリィにエルルゥは首を傾げ、歩く速度を落とした。

「もしかして。失礼なこと言っちゃったんですか?」

 囁くように訊ねてきたエルルゥに、コゥーハは言葉を詰まらせた。

「いえ……。オンカミヤムカイの皇女が二人いらっしゃることは有名ですから、少々驚いただけです」

「やだ、私――」

 恥ずかしい、と肩を狭めるエルルゥの手をコゥーハは取った。自身を責めるような、男性達の鋭い視線を浴びつつ、大丈夫ですよ、と何度も口にする。

「自分も会ったことはもちろんありませんし、特徴的な容姿を伝え聞いただけの身ですので。どんな御方か全く想像できません。それに國交を断絶していたのですから、エルルゥ殿が知らないのは当然なことです」

「そう、なんですか?」

「そうですとも――おっと。エルルゥ様。此方では?」

 コゥーハの一言に、全員の足が止まる。

 そうです、とエルルゥが示す先には一つの階段があった。

 皇城の最上階に伸びる、ただ一つの階段は、上方から舞い降りる光でキラキラと輝いている。

「この上が」

 禁裏。(オゥルォ)の寝室。皇族と重臣を除き、立ち入りを禁止されている領域の一つである。

 現在の時間――昼から夕刻に差し掛かる時間帯に聖上がいらっしゃるということは、仮眠をとられているということなのだろうか。とコゥーハは思考を巡らせる。同時に、階段の幅が広いことについて、再び疑問を抱いた。

 やはり、広い。と。

 基本的に、政務は別の部屋――(オゥルォ)の書斎で行うため、禁裏という場所の主な使用目的は寝室である。他に挙げるとすれば『愛を育む場所』であるため、機密性の高い構造になっているのだとコゥーハは記憶している。故に、警備上の都合も含め、禁裏へ続く階段は最も幅が細く、人が一人通ることができる幅しかない、はずである、とこめかみを押さえた。

 目の前にある階段は、確実に大の男が二人通れる幅を有している。

「コゥーハさん?」

 考えに耽っていたコゥーハの両耳がびくんと上がる。

 何でしょうか、と訊ねたコゥーハの顔をエルルゥは下から覗き込んだ。

「大丈夫ですか? もしかして、未だ体調が戻ってないんじゃあ」

 いえ、とコゥーハは尻尾を上げる。

「躰の方は問題ありません。しかし自分は、此処まで足を踏み入れることは初めてですので」

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。それほど大事な物とかはないって、ハクオロさん言ってましたし」

 緊張しない方が難しいです。コゥーハの心中を代弁するかのような、訴えるような視線を背中から察知しつつ、ありがとうございます、とコゥーハは耳を下げた。その直後。何者かが階段を下りてくる――否、つい先程耳にした独特の音がコゥーハの耳をくすぐった。一同の視線が、音のした方角へと集中する。

 一回り小さい、幼いエルルゥ。コゥーハが抱いた第一印象である。エルルゥよりはあどけない顔立ちで、警戒するように立てる耳や尻尾、黒くて大きい瞳はエルルゥと同じ色合いである。青の多いやや大きめの白い服の袖を折り、腰には紅色の(トゥパイ)を巻いている。やや癖のある、肩に掛る長さの黒髪を二つに括り前に下ろしている髪型で、耳の真横にあしらっている、双方のこめかみ部分にある青色の飾りが微かに揺れる。

 彼女の見つめる先には、腰に手を当てたエルルゥ。くっと眉を上げる相手に、彼女は小さく声を上げた。

「あ……おねえちゃん」

「アルルゥ。ハクオロさんの邪魔をしちゃいけないってあれだけ――」

「う~」

 僅かに頬を膨らませ、彼女――アルルゥは、不服そうな視線をエルルゥへ向ける。が、エルルゥの据わる双眸に気圧され、半歩後ずさった。階段を下りてきた白い獣の後ろに隠れ、そっと様子を窺うように顔を半分覗かせる。

 階段を占領しエルルゥを見つめるその双眸には、多少の不満とささやかな抵抗が垣間見える。

 可愛い。うっかり口にしかけたコゥーハの側で、エルルゥの声が再び上がる。

「アルルゥ! ムックルの後ろに隠れないの! ムックルも、そこをどきなさい!」

 名指しされた一人と一頭は身体を上下に震わし、アルルゥは白い獣の――ムックルの背中に隠れ、盾にするようにムックルを押し出した。促されるがままにムックルは数歩前進し、アルルゥを庇うように低く唸る。

 肉食の獣が放つ声は場の空気を支配し、停止させた。が、直後、その場は別の存在に支配され、再び静止する。

「……ムックル?」

『キュフ、キュフ~ン』

 エルルゥに睨まれた刹那。先程とは似ても似つかない、非常に弱々しい声で、ムックルは鳴いた。数拍後、エルルゥの視線に従うように廊下の隅へと、自身の巨躯を移動させ、座った。 

 森の神(ヤーナゥン・カミ)の使いとして人々から崇められる存在であり、同時に、森を荒らす者を喰らう者として人々から恐れられている存在、森の主(ムティパカ)。その森の主が、エルルゥの一睨みで道を開けた事実。

 森の主(ムティパカ)をも制する皇女。一体、彼女に勝てる者が果たして何人いるのだろうか。と、コゥーハが疑問に思ったのは瞬きを数回した間だった。目に入ってきた光景……ウルトリィが口に手を当て、呆然とその場に立ち尽くす光景がコゥーハの目に映り、数滴の汗が背筋を流れ落ちた。

 マズイ。そう判断した瞬間から、コゥーハの身体は動いていた。

 まあまあ、と言いつつコゥーハはエルルゥとアルルゥの間に割って入った。落ち着いてください、と宥めるように腰を低くする。

「エ、エルルゥ様。本日のところはこれ位に――」

「駄目です」

 エルルゥが返答に要した時間は、一分もなかった。一切の妥協を許さない、はっきりとした否定。しかしコゥーハは半歩下がっただけで、諦めない。諦めてはならない、と己を叱咤する。

 聖上はここ数日で政務に忙しかったため、アルルゥ様はきっと寂しい思いをされていたのだと思います、と口にしつつウルトリィのいる方角へ視線をやることで、相手に現在の状況を理解して頂いた上で落ち着いてもらいたいとコゥーハは画策するが、じりじりとアルルゥに近づくエルルゥの表情に変化はなく、むしろ「コゥーハさんも、アルルゥに甘いです」とコゥーハを叱る。

 数回のやり取りの後。アルルゥとの距離が数歩の地点、これ以上後退すれば、アルルゥに接触してしまう距離で、コゥーハは踏み止まった。

「今回、は。です……ね?」

 祈るように手を合わせるコゥーハに、エルルゥは同じ返答を示した。

「いくらコゥーハさんの頼みでも駄目です。ちゃんと叱る事も、姉の役割なんです」

「そう……」

 ですが。言いかけたコゥーハの言葉は形を為さず、落ちた視線と共に床を這った。

 胸に穴が空いた感覚に囚われ、その隙間を廊下に吹き抜ける風が燻る。定住するようになってからの楽しい日々を思いおこされ、ひどい懐かしさと喪失感がコゥーハの心を打つ。僅かに俯き、前髪を下ろし、合わせた唇に力を入れ。歪みを自覚した顔を隠すように手を翳した刹那。コゥーハの腰から、とても懐かしい感覚が流れ込んだ。

 ぎゅっと、あたたかい感覚。寂しさを受け止めてくれるかのような抱擁。目がしらが熱くなり、コゥーハは視線を落とすと、あたたかい理由に出会った。

 アルルゥはコゥーハへ抱きつき、コゥーハの後ろに隠れていた。ムックルの時と同様にコゥーハをくいくい押し出し、エルルゥとの距離を取ろうと奮闘する。が、エルルゥもエルルゥでアルルゥとの距離を詰めようと、コゥーハの躰をぐいぐい押し始めた。

「こらっ、コゥーハさんの後ろに隠れないの!」

「ん」

 一瞬、姉妹の間に火花が散り、火蓋が切って落とされたような。おぼつく体勢を整えつつ、コゥーハは目を瞬かせる。

 やがて、二人の攻防は過熱の一途を辿る。

「お、御二人共――」

 二人の間は距離にして一歩半。その間を、コゥーハは激しく往復させられていく。アルルゥが押し出し、エルルゥが押し戻し、そしてアルルゥが押し出す――何往復したのか、何往復すれば終わるのか、盾と化したコゥーハには推し量ることができない。時折二人の距離が縮まり、アルルゥを捉えようとエルルゥの手がコゥーハの横を通過していく。が。しゃがむことで、身体を捻ることで、コゥーハを一気に押し出すことで、その手をアルルゥは見事にかわしていく。

 手慣れている。とても慣れている。と、コゥーハはアルルゥを評した。そのアルルゥの手が、再び盾を押し出そうとコゥーハの腰、(トゥパイ)の真下から伸びる尻尾に伸びた。

(……んっく。ソコは)

 茶色の尻尾を触られ、コゥーハは顔を紅くする。

 特に女性にとって、敏感かつ繊細な部分の一つである尻尾。コゥーハも例外ではなく、触られると何ともいえない――コゥーハの場合は、全身から力が抜け、ひどくくすぐったい気分になる。

 エルルゥに押し戻されたコゥーハの尻尾を、アルルゥの手に触れられ、掴まれ。

 くいっと引っ張られた。

「きゃうっ!」

「あっ」

 自身のお腹の何処から発せられたのかと問いたくなるような高い叫び声を上げ、コゥーハはその場に倒れた。小さく悲鳴を上げつつ、駆け寄ったエルルゥに対して手を上げ、大丈夫の意を示した。

「だ、大丈夫ですか?!」

「は、はい」

 落ち着きを取り戻したエルルゥに微笑したコゥーハの目が泳ぐ。

 己の躰に異常はない。しかし、膝を地に付けた、無力になった自分に悔しさをコゥーハは噛みしめる。明らかな油断があった。明らかに隙ができた。何より、主に心配される護衛など、もはや護衛ではない。

 笑みが崩れ、悔恨するコゥーハの視線が廊下の端で止まった。

 じーっと。相手の様子を窺うようにアルルゥはコゥーハを見つめていた。罪悪感があるのか、耳と尻尾を垂らしつつ後ずさる様は、渦巻くコゥーハの心をかき回す。

 ふっと。コゥーハと視線が交差する。直後、尻尾をぴんと立て、アルルゥは一気に距離を取った。ほぼ同時に、エルルゥの叱る声がアルルゥを追いかける。

「こらっ、アルルゥ!」

 くん、と両耳を上げ、襲いかかる手を寸でのところでかわすと、アルルゥはその場から一目散に走り去る。

「こらー! 待ちなさーいっ!!」

 ぱたぱたぱた、という音と、良く通ったエルルゥの大声が満ちる廊下のなか、全速力で駆けていくアルルゥ。その後ろを追いかけるムックルの向かい側、駆けていく相手を眺めながら足早にエルルゥ達の方へやって来る男性の姿があった。

 ハクオロよりも首に皺を重ねた、ウルトリィと同じく白い両翼を持つ年配の男性である。紺と白の布を織り交ぜた法衣と帽子、紺の外套を痩身の身体に乱れなく着こなし、灰色の髪と同色の口髭をきっちりと整えていることから、とても真面目な御仁なのだとコゥーハは推察する。整然な身なりと細い目から柔和な印象を与える顔立ちだが、深く刻まれた眉間の皺が厳格さを際立たせていた。

 こめかみを押さえつつ歩く老人の顔にベナウィの顔が重なり、コゥーハは軽く身震いするが、どこか見覚えのある男性の顔に目を見開く。

(あの御方は。確か)

 記憶を更に掘り起こすコゥーハの隣で、エルルゥは心底落ち込んだ様子で謝罪した。

「本当にごめんなさい」

 膝を折り、重ねて謝罪するエルルゥに、いえ、とコゥーハは己の尻尾を擦った。驚いただけですので、と言いつつ立ち上がり、そんなに謝らないでください、とエルルゥの手を取った。その際、エルルゥの手を共に持つ艶やかな手の感触がコゥーハの指に残る。

 立ち上がるや否や、エルルゥはウルトリィの手を放し、すみません、と頭を下げた。いえ、と微笑むウルトリィに、先程までのやり取りを思い出したのか、エルルゥの顔がみるみるうちに真っ赤になる。

「あ、やだっ。その」

 うぅ……と両耳を下げ、コゥーハの背中に隠れた。さながらアルルゥ皇女のようだ、姉妹なのだな、とコゥーハは内心で苦笑した。

 やんわりとコゥーハに促され、エルルゥはウルトリィの前に立ち、若干引き攣った笑みを浮かべた。

「その……お騒がせしました」

 身体を小さくするエルルゥに、いえ、とウルトリィは眉を下げるが、困惑の表情はない、とコゥーハは感じた。

「すごくお元気な妹様でいらっしゃいますね」

 はい、と元気のない声で肯定するエルルゥに微笑し、ウルトリィは視線を移した。

「ムント? どうしたのですか。そんなところで立ち尽くして」

 コゥーハ達が歩いてきた方角とは反対側、禁裏へ続く階段から数歩先で、男性――ムントは姿勢を正した。

「あ、いえ」

 コゥーハから視線を逸らし、ムントはウルトリィの隣に立った。

「……妙に。既視感を持ったもので」

 少々頭痛が、とムントは皺の寄った額に手を当てた。

「恐らくは。先程の波動の影響もあるのかと」

「まさかとは思いますが」

 姫様、とムントは低い声で遮った。重々しい声とウルトリィの表情から笑みが消えたことで、場の空気は一転する。

 息をするのも躊躇われる重い空気。それを飲み干すようにウルトリィは深呼吸をし、口端を上げた。しかし青い両眼に笑みはなく、白い肌と整った顔立ちは差し込む光に照らされ、彼女の聡明さを際立たせる。

「エルルゥ様」

 重い、落ち着きのある声音。初めて見るウルトリィの一面に、コゥーハの背筋が伸びる。

 相手の意を理解したようにエルルゥは頷き、しずしずと階段の真下へと足を運んだ。

「あの~、ハクオロさん」

 やや間があり、上階から返答があった。

『ん? どうしたエルルゥ』

「えっと……それが、ウルトリィ様が急な話があるとかで……」

 急な話? との声に、エルルゥは小さな声で「はい」と返した。

 階段の手摺りに手を置き、上がって頂くように促すエルルゥに一礼し、ウルトリィとムントは粛々と階段を上っていく。

「もし、お忙しいところ申し訳ありません。まさかとは思うのですが、そちらに銀色の髪をした女の子が御邪魔してはいないでしょうか?」

 銀色の髪をした女の子、という部分に、コゥーハは目を丸くする。

 種族や血縁によってまちまちだが、大陸に住むヒトの髪色のほとんどが黒系か茶系である。故に銀色の髪をした者は珍しいのだと、コゥーハは聞いたことがあった。そして、立場上から決して交友関係が広いとは考え難いオンカミヤムカイの皇女たるウルトリィの知り合いで銀髪の女の子といえば、一人しか思い浮かばない。

 まさか、と眉を顰めたコゥーハの袖をエルルゥは引っ張る。

「あの」

 階段に手を向けるエルルゥに、コゥーハは大きく首を横に振る。

「い、いえ……自分はここで待っております故」

 自分も、と同意した護衛の若い男から視線を移し、うーん、とエルルゥは眉を下げる。

「ハクオロさんは怒らないと思いますけど」

 いえ、とコゥーハは全身の震えを振り切るように首を横に動かした。

「聖上がお許しになっても。隊長の小言は、それはもう裸足で逃げたいほどに長いのです。どうか自分と彼の気持ちをお汲みになって頂けないでしょうか」

 あ、あはは……。と、顔の青い二人を見ながらエルルゥは苦笑し、じゃあ、と口を開いた。

「すみませんが、しばらくここで待っていてくれませんか?」

 承知しました、と会釈した二人に頷き、エルルゥは階段を上っていった。

 皇女が階段を上り切ったことを確認した直後。コゥーハの全身から力が抜け落ちた。手摺りに片手をかけ、背中と重い頭を壁へと擦り付ける。

 差し込む光の量が減り徐々に寒くなりつつある廊下の外、鳥のさえずりと訓練をする兵士達の声に耳を傾けながら、大きく息を吸った。

「…………、はぁ~」

 同時に吐かれた盛大な溜め息に二人は背を伸ばし、互いに見つめ合う。エルルゥ達がいた時とは違う、だらりとした男にクスクスとコゥーハが笑うと、男はおどおどとした表情で口を開いた。

「あ、いえ。疲れた訳では」

 素直ですね、と笑うコゥーハを一瞥し、男は背伸びをする。

「皇女様三人に僧正(ヤンクル)様と、偉い人達が一同に会した場所に居合わせたんですよ。それに、ムティカパ。これで聖上が降りて来られたら、気が狂いそうになりますよ。あんまり気にしない性格だと思っていたんだけどなぁ」

「まあ。あのやり取りですし」

 ああ。と身体を弛緩させ、男は目を細めた。

「あれはいつも通り――見なかったことにします。エルルゥ様のために」

 ご協力願いますよ、と向き直った男に、善処します、とコゥーハは返し、無理に話題転換を図った。

「しかし、御友人に自慢できるのでは?」

 しますとも。と男は即答し、金の掛らん肴になりますからね、と指で作った縁を口に付けた。

「けど。ユズハ様にお会いした、とかでない限り、あいつは食いつきませんがね」

「ユズハ様?」

 先刻詰め込んだ記憶の海を漂い、ああ、とコゥーハは息を吸った。

「ユズハ様と言いますと、オボロ総隊長の妹の」

「ですよ。昔から病弱で、眼が見えなくなったことや体調が思わしくなかったこともあってか、滅多なことが無い限り部屋から出られない御方で。もちろん、当時は一番の下っ端だった俺達が会うことはおろか、見かけたこともなかった。オボロ様には悪いですけど、当時は存在さえ疑っていましたからね」

 けど。と男は壁に背中を預けた。

「先の戦のちょっと前に、ハクオロ様……聖上がトゥスクル様――あぁ、ユズハ様の御病気を診てくれていた人でな、その人と一緒に来られるようになってから、調子が良くなられたのか、たまに外へ出られるようになったらしく。俺達も運良く、ちらーっとお顔を拝見したことがあってな。そりゃあ、もう、美しいのなんの」

 オボロ様が溺愛するのも分かりますよ、と男は目を細めて笑う。

「エルルゥ様やウルトリィ様のような美しさとは違って。何つーか、こう……まあ、そのうち会ってみれば分かりますよ。エルルゥ様が薬師(くすし)ということもあって、皇城内に住んでおられますし。俺なんかよりも簡単に会えますよ、きっと」

「簡単に、とは言いますが……」

 口を閉ざすコゥーハに、男はわざとらしく肩を竦める。

「簡単じゃないんすか? それこそ侍大将の権力で――」

「自分と隊長がどういった関係だと誤解していらっしゃるのかは分かり兼ねますが。少なくとも隊長の目の前でそんなことを一文字でも口にしたら、首が吹っ飛びますので遠慮します」

 いや、首が飛ぶとか槍で胸を貫かれるとか位ならまだマシですか。過去に経験した、思い出すのも躊躇する『説教』の単語がちらつき、コゥーハはむせた。 

「要は。言葉は時に、凶器にも拷問道具にも調教道具にもなるということですよ。使用する本人の意思に関係なく、ね」

 はぁ、と納得し難いといわんばかりの返答に、その内に分かりますよ、コゥーハは天を仰いだ。

 高い天井、滑らかで品のある色合いの飾り布、巨大で立派な梁。さすがは一國のいる皇城だ、と現実逃避――否、気分転換に走るコゥーハ。倣うように男も天井を見上げ、溜め息を吐いた。数拍後。

 微かに、天井が揺れた。

 両耳を上げ、コゥーハは壁から背中を離した。ガタガタと音が強まる階段を凝視し、二人は姿勢を正す。やがて音の原因が現れ、あんぐりと口を開いたコゥーハ達の前を通過していった。

 数回の瞬きと同じ位の時間。階段を足早に下りてきたムントは来た道を戻るように廊下を歩いていく。二人に目もくれず、眉を顰めて帰路に就くその手には、少女のような高い声で叫び暴れる()()が握られていた。

「あれは……」

 目がしらを押さえた後、コゥーハは改めて状況を確認する。

 ムントの手に引っ張られているのは、銀色の髪と漆黒の翼を持つ少女であった。

 歳はエルルゥよりも年下、アルルゥよりは年上か同じに見える。ウルトリィと同じく、トゥスクルには馴染み無い、両袖が別れ両肩が顕わになっている黒の服を着用しており、ウルトリィと同じく、女性らしい歳不相応の胸と曲線美が際立っている。

 オンカミヤリュー族で唯一、漆黒の両翼を持つその容姿から、オンカミヤリューの最初のヒトと呼ばれる『始祖様』の血を色濃く受け継いでいるという――時には、『始祖様』の生まれ変わりだと人々から崇められる彼女。そして、ウルトリィ第一皇女の妹である彼女。

(オンカミヤムカイ第二皇女。カミュ皇女では……)

 コゥーハの記憶から、ウルトリィの一言が引っ張り出される。

『とても。愛おしくて。元気な、子ですよ』

 確かに。とても可愛らしく。必死に抵抗する姿から、元気な御方だ、と納得するコゥーハの口が、更に開かれる。

 皇女が首の後ろを掴まれ、引きずられている光景によって。

 やや明るい藍色、青玉(ワゥ・カゥン)のような瞳をムントに向けながら、彼女――カミュは何とかして立ちあがり、泣きそうな声を上げ続ける。

「ムント~。いたい、痛いっ!」

 左様で御座いますか、と平坦な口調で返すムントの行動に、全く変化は見られない。一歩一歩確実に、振り返ることなく歩くムントに、カミュは更に声を大きくする。

「く、苦しいってば。ちゃんと、ちゃんと歩くから。放して、放して~!」

 カミュの言葉に溜め息を吐き、ムントは手を放した。嬉しそうに一息入れたカミュを一瞥した後、彼女の手を取り再び歩き始める。

 だ~か~ら、痛いって~! とうっすら涙を浮かべるカミュに、ムントは眉を上げた。

「申し訳ありませぬが。今回ばかりは姫様の御命令ということもあり、いつも以上にみっちり扱かせて頂きます故」

「そ、そんなぁ。お姉様がいないときだって、ムントはすっごく厳しいのに、もっとなんて――」

 う゛っ、とカミュの言葉が歩みと共に止まる。

 静かに怒りが宿った、鋭いムントの視線。向けられたカミュだけではなく、コゥーハも口を閉ざし、粟立つ背筋を擦る。

 何故だろう。妙に既視感があるのは。しかし、既視感の正体に触れたくないこの心境は。

 もやもやするコゥーハの心は置き去りに、二人のやり取りは更に続く。足取りの重いカミュを促すように、ムントは握る手を引っ張り、角を曲がった。

「ささ、姫様。まずは、お部屋で説法ですかな」

「そんなぁ! お勉強も退屈だからヤダだけど、ムントのお説教はもっと嫌だよぉ……」

 半泣きする皇女がコゥーハの視界から消え、周囲が静寂に包まれる。

 時が止まったかのような静けさの中。あんぐりと口を開けたままのコゥーハの身体は、指一本動かない。上がった両耳も、垂れた尻尾も同様で、吹きだした汗だけが唯一、世の法則に従い首から胸へ、二の腕から指先へと流れていく。

 長い。コゥーハにとって長い数拍を経て。コゥーハはようやく息を吐いた。その隣で、ぽつりと呟かれた一言に、両耳がくん、と上がる。

「似ている」

 え? と視線を向けたコゥーハを一瞥し、男は顎に手を当てた。

「あ、や。聖上と侍大将のやり取りに似ているなーって」

「それは……いや。聞きますまい」

 それは。()()()()聖上なのか。心中で答えが出ているためか、身に走る悪寒が口を縫い合わせたためか、その双方か、コゥーハは問うことをやめた。手で首元を拭い、服装を整え、出直すように姿勢を正した。

 しばらくの後。階段からエルルゥの声が上がった。

「お待たせしました」

 宜しいのですか? とエルルゥに目を向けたコゥーハの動きが硬直した。

 階段下の隣で頬に手を当て、カミュ達が去っていた方角を無言で見つめるウルトリィ。腕を組む彼女に笑みはない。息を吐く彼女の青い瞳からは、妹を想う複雑な表情が滲み出ているようだとコゥーハは息を呑む。元気な妹に安堵する表情、これから試練――かどうかは、本人の受け止め方次第だと思うが、とコゥーハは汗を拭う――を受ける妹に心配を抱く表情、そして、エルルゥがアルルゥに見せた表情と同じものが光った。

 どの國でも、どの種族であろうとも。姉が妹を想う気持ちに変わりないのだと。感嘆するコゥーハの視界で、エルルゥは手を振った。

「ウルトリィ様をお部屋へお送りするので、一緒に……コゥーハさん?」

 申し訳ありません、とコゥーハは背を正す。皇女達に一礼し、二人の後方、部下を叱る上官の声が微かに響く廊下を歩き始めた。




謝罪:にじファン投稿時のものから一部描写をカットしました。申し訳ありません。
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