うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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気息

 最も警備が厳重とされている禁裏に、ましてや(オゥルォ)がいる時間帯に、オンカミヤムカイ第二皇女、カミュ皇女という客人が迷い込んだ事件は、ハクオロ(オゥ)の命により箝口令が敷かれた。その際、ベナウィには本当のところを言った方が良いのではないのか、というコゥーハの問いに、ハクオロはこう答えた。

「あいつは真面目だからな。今回の件を知れば、確実に警備を強化する。これ以上警備を増やされては、せっかく抜け出す機会が増えたとい――十分な休憩や睡眠が摂れなくなる」

 (オゥルォ)の本音と思われる発言に眉を下げて微笑したコゥーハに、ハクオロは付け加えた。

「幾つか、纏まっていない法案が残っている。そのほぼ全てがベナウィ無しでは成立が難しい。故に今回の件を話したことで自責の念に駆られ『責任を取る』などと辞表を持って来られては困る。それに今回の法案は、インカラ時代から甘い汁を啜っている役人達を追い出す準備を兼ねているものもある。彼らもそれを分かっているのか、こちらを突く要因を探しているようだが……法案の内容についてならともかく、彼らがベナウィの責任問題をやり玉に挙げ、審議を有耶無耶にしようとされてもなお困る」

 くず籠に目をやり、湯呑みに手を掛けたハクオロに、ふむ、とコゥーハは目を細め、それ以上の疑問を口にすることはなかった。

 ただし。その後コゥーハが発した「聖上は、それほどまでにベナウィ隊長がお好きなのですね」という言葉は、ハクオロの口から茶を吹きださせ、部屋に入って来たエルルゥに誤解を与え、ハクオロとエルルゥの関係が若干こじれる自体を発生させたことは、また別の話である。

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 警備の強化はない、しかし見直しはあり得ることを失念していた。とコゥーハは口を曲げた。

 カミュが客人として正式に招かれてから数日後。エルルゥの補佐兼護衛という昼の任を終え、疲れ切ったコゥーハの身体は残業に駆り出されていた。内容は皇城内の警備の配置を調整することと、書簡整理。発光石の放つ白い光に眩しさを覚えつつ、大きな欠伸をベナウィに注意されながらも、コゥーハは目の前の仕事をこなしていく。

 隊長、とコゥーハは眠気を誘う蟲の音を掻き消すように声を上げた。

「何故エルルゥ様の補佐の任を解かないのですか」

 何度も言わせないで下さい、と溜め息を吐いたベナウィの顔は、疲れというものを微塵も感じさせない、普段と変わらない涼しい顔をしている。目の下に隈も無く、正座をした姿勢も真っ直ぐであり、筆を走らせる速度は昼間とほぼ変わらない。夜明け前の調練に加えて早朝訓練、毎日行われる朝議に出席し昼近くまで事務処理、昼前からは(オゥルォ)の謁見の補佐、終わり次第騎兵衆(ラクシャライ)所属の兵士達への技術指導、及びクロウ副長とオボロ総隊長との軽い組手、夕刻は皇城内と厩舎の見回り及び指導、その後に何か問題が発生していれば――大体は、ハクオロ(オゥ)が今日中にやりきれなかった仕事――それらを処理し一日の仕事を終えた後、自主鍛錬と雑学書を読み耽り夜を跨いでしまった、という一日が三日連続で続いている男の顔には、とても見えない。とコゥーハは目元を引き攣らせた。

 バケモノですか、貴方は。口にしかけたモノを両手で押し止めつつ、眉を寄せるベナウィの様子をコゥーハは窺う。

「とはいえ。自分が重ねてきた失態を見る限り、およそ適任だとは思いませんが」

 自慢げに語ることですか、と睨む上官に、コゥーハは身体を竦めた。

 エルルゥの日課は、朝議の進行役と皇城内の家事全般――洗濯、料理、掃除、裁縫、等々である。皇女が家事を行うということはコゥーハの知る限り前代未聞であるが、エルルゥの強い希望とハクオロの一声で、一部の家事において「疲れない程度に手伝って頂く」ということ――あくまで体裁である。実際のところ、エルルゥの家事技術は女官達の数段上であるためか、エルルゥ自らやった方が早いことが多く、皇族関係の仕事のみならず、指導と称して兵士達の食事を作ったこともしばしばある。その際、エルルゥの料理を食べた古参の兵士が述べた「我々は料理(これ)に負けたのか」という言葉に、その場にいた誰もが納得した、という逸話がある――となった。

 朝議の際に守るべき作法と慣習、薬に使用する材料の補充以外、コゥーハは役に立たない。役に立たないどころか、洗濯中に布をビリビリに破き、料理の下ごしらえ中にまな板を野菜ごと真っ二つに両断し、掃除中に腐った床を踏み転落する、と仕事を増やす一方である。裁縫は些かの経験があるため幾分マシではあるとコゥーハは自負していたが、何度も縫い針を折り布に残った針で自身の指に穴を開けては、隅で泣いていた。

『もしかして。コゥーハさんって、家事をやったことないんですか?』

 本格的に補佐を始めた初日。同情するような瞳でエルルゥに見つめられ、コゥーハは項垂れ、肯定するしかなかった。 

 コゥーハは、家事といわれるものをやったことがなかった。幼い頃は養父が全てを行い、チェンマへ住み始めると使用人が代行した。やらせて欲しいと、自分も女なのだから、何時かは必要になるだろうとせがんだ時期もあったが、怪我が増えると養父に止められたことや、使用人の立つ瀬が無くなることに気づいてからは言い出し辛くなった。入隊後は、料理以外は全て担当の文官が行っていたため行う必要が無く、幸か不幸か、どの部隊にも「料理は俺に任せろ」という料理好きがおり、コゥーハが手伝うことといえば読み終わった木簡を提供する位であった。

 事情を知ったエルルゥは「私でよければ教えますけど」と、翌日からコゥーハの指導を始めた。エルルゥの指導の元、まな板を破壊することと床の修復道具を取りに行くことが無くなったものの、失敗する度にエルルゥから苦笑を賜り、口五月蠅いかつ言い訳も受け付けない上官から説教と減給を食らう数日をコゥーハは送っている。差し引かれた分を埋め合わせるため……否、上官の口車と挑発に乗せられ、上官の――稀に(オゥルォ)の残業に駆り出され、徹夜明けでそのまま朝議に必要な木簡をエルルゥに届けることもしばしばあった。クロウに心配されるほど蒼白な顔で廊下を歩く状態で、新たに与えられた仕事を失敗し……コゥーハの精神を削ぎ落としてゆく負の連鎖が、続いていた。

 さすがに上官が耐えきれず自分を首にすると、コゥーハは首を洗って待っていたものの、兆しはない。

「エルルゥ様が」

 その一言を皮切りに、手を休めることなくベナウィは理由を述べ始める。

 曰く。エルルゥはコゥーハを指導することが楽しいらしい。野菜の千切りを覚えたことに感動した、洗濯の干し方が上手くなったことが嬉しい、効率良く雑巾かけができるようになった、等々、日々成長するコゥーハが嬉しいと、休憩の合間にハクオロやベナウィへ話すのだという。

 教えがいがあります。だそうですよ、と薄く笑うベナウィに、コゥーハは白い包帯で巻かれた手で口元を押さえた。

「……大袈裟では、ありませんか?」

「ですが。教える立場である自分としては、エルルゥ様のお気持ちも分かります。日々成長していく相手を見ていると、更にいろいろと教えたくなるものです」

 コゥーハに向ける冷たいものとは違う、穏やかな笑みでベナウィは顔を上げた。視線の先は窓の外、毎夜自主鍛錬を行う者の声が聞こえる広場を見つめ、目を細める。

「貴女も部下を持てば、分かるのではありませんか」

「仰る通りです。早く身代わり――いえ、辞めない部下を、もしくは上官を据えて小隊長に降格させてください」

「……その体たらくが直るまで、貴女に部下を与えたくはありませんね」

 ですから降格に、とコゥーハは項垂れた。

 侍大将の使い走りだとしばし同情や揶揄の対象に晒される騎兵衆(ラクシャライ)第七番部隊だが、非戦闘時に受け持つ主な仕事は、各部隊への指示を伝達することや、各衆間や各部隊間の調整、並びに部隊長達から意見を吸いあげ上に報告することである。雑用を早朝まで行うことや、侍大将の持って来る書簡の山に耐えかね行方を眩ました(オゥルォ)の捜索、要人の警護をしつつ自身の夕飯を作るなどといった突発的または特殊な任務は稀で、実際に臨時で部隊に配属されてきた部下達は前者の任務をこなしている。はずだ、とコゥーハは目を伏せる。

(各所に指示を伝える任など、歩兵衆(クリリャライ)の十三番隊とさほど変わらない仕事。百の書簡に目を通しつつ、もっと丁寧に扱えと小言をいわれる任よりかは、楽だと思うのですが)

 何が辛いのか、何が気に食わないのか。七番隊にやって来てベナウィに仕事を与えられた者は全員、良くて二日で異動届けを提出する。そして皆が皆、異動が決まった際、心底同情するような双眸でコゥーハの肩を叩き「あんたは偉い。尊敬する」「女だからと舐めていたことを許してくれ。本当にすまなかった」と頭を下げることが、コゥーハにとっては不思議でたまらない。

 コゥーハ以外の者が全員辞めていくため、常に七番隊は一人である。なお、コゥーハが七番隊を辞められない理由は、過去の罪歴と"特殊な能力"を持っているが故、ベナウィやハクオロの目が届きやすい場所に置き監視するためという意味もあるが、先日の夜に(オゥルォ)の補佐を終えた際に「コゥーハに辞められたら私は死ぬしかないから、絶対に辞めないでくれ」と、書簡に埋もれゆくハクオロに懇願されたからでもある。

 ベナウィがハクオロや部下にどんな仕事を押し付けているのか。十人中十人が嫌がる任や仕事量とは如何ほどなものなのか、とコゥーハは想像し、吐き気に襲われた時点で考えることを止めた。考えるだけ毒であり無駄であると口を結び、ところで、と話題を振った。

「使節団の護衛人数を減らす方向になったのは何故ですか」

「使節団からの要請と、聖上の命です」

「本当に聖上の命令なのですか?」

 やや間があり、ベナウィは肯定した。眉を寄せ、コゥーハは更に疑問をぶつける。

「要請に近かったのでは」

「御命令です」

 断定した上官に小さく溜め息を吐き、コゥーハは書簡を巻いた。机にある書簡を各々の場所、複数ある盆の上に置かれた山へと戻した後に腰を上げ、ベナウィに命令された物、皇城内の地図を二つを棚から取り出した。

 地図の片方、びっしりと書き込まれている内容を眺めつつ、コゥーハは口端を下げた。

「もしや。先日の混乱は」

「申し訳ありません。あれは私の落ち度です」

 謝罪したベナウィに地図を渡し、コゥーハは文机の上に書具一式を並べた。予備の筆と朱色の染料も揃え、文机にある白色の発光石に水を入れ直した後、改めて相手の正面で正座をする。

「しかし。これ以上減らせば、護衛の体を成しませんよ。一の一つ下は、零です」

「ですから――」

 ベナウィが言葉を切った、ほぼ同時。かん、という音と共に朱色の水面が揺れた。丸められた地図が置かれた文机に両肘を付き、俯く小さな頭を支え、黒髪を掻きながら、端正な顔を苦々しく歪めて呻く。ハクオロの前では決して見せないベナウィの表情に、コゥーハは苦笑した。

(ですから困っている、と良いたげな顔ですね)

 地図を手に取り、コゥーハは再び目を通す。しばしの沈黙の後、ベナウィと似た声音を発し、天を仰いだ。

「使節団がお通りになる場所や経路を予め決定し、その箇所の警備を変更する、と。かつ最少人数で、ですか?」

 さて。とコゥーハは部屋の入口を一瞥し、声を上げた。

「どうしたものですかね。仮にこの案を採用するとしても、かなりの難問ですよ。ざっと思考を巡らせましたが、他に良い案が思い浮かびませんし。ここは聖上を叩き起こしてでも――隊長?」

 冗談に反応しない相手を不審に思い、コゥーハは視線を移した。墨色の瞳の下、小さな口が中途半端に開かれる。

 書き込みのない地図を広げる手はたどたどしく、真下を眺める青みがかった黒い双眸に普段の鋭さはない。虚ろな瞳が作る道はしばし文机の外へと向かい、小さな頭は度々高い天井へと昇る。整った口は半端に開かれ、端正な顔立ち故にだらしなさが浮き立っている。

 ふらふらと身体を揺らすベナウィの目の前で、コゥーハは自身の手を上げ、ベナウィの視界でゆっくりと振った。振り子のように、左右に揺れる右手は明らかに相手の邪魔をしているはずだが、と、じめっとした視線を送り続けながら、無言で地図を触る相手に問う。

「眠いのですか?」

「まさか」

「…………」

 返答こそ早く力強いが、目の前で振られているコゥーハの手に全く反応しない点からして説得力に欠ける、とコゥーハは憮然とした表情で肩を下げた。

 バケモノじゃなくて安心しました。と心中で微笑しつつ、コゥーハは立ち上がる。

「少し。休憩されては如何ですか? 良い案が思い付いている訳でもなし」

「いえ。本日中に決定しなければ、明日の警護に支障をきたします」

 お茶で一服するだけですよ。と返しつつ、コゥーハは部屋の隅にある食器棚を探り始めた。

 湯呑みを三つ盆に乗せ、コゥーハは懐から取り出した小さく細長い硝子容器の栓を開ける。ツンとした臭いのする緑色の粉末を一つまみ、湯呑みの一つに入れ、棚の奥から取り出した急須の中にある茶を各々の湯呑みへ注いだ。

 ぬるいですが、と差し出された湯呑みを手に取り、ベナウィは一口飲み、むせた。

「こ、この味は、さすがに」

「贅沢言わずに全部お飲みになってください。エルルゥ様のお茶が美味し過ぎるのですよ」

 空の湯呑みをコゥーハが受け取り、他愛もない会話の後。ベナウィは突然頭を押さえ、文机に突っ伏した。机に左手を付くが、力が入らないのか、筆を握りしめるベナウィの顔が文机から離れることなはい。

 少し効き過ぎましたか、と呑気な声を上げるコゥーハの側で、ベナウィの呻き声が上がった。

「……何を」

「さて」

 やや侮蔑を帯びた平坦な声が、ベナウィの身体を更に突く。

「隊長の集中力が低下していた。それだけですよ」

 コゥーハが言い放った数拍後。ベナウィの全身から力が抜けた。だらりと垂れ下がった手首と寝息を確認し、筆を離さない点に呆れつつ、コゥーハは相手の身体を文机から下ろした。

「全く。三大強國にもその名が響き渡る槍の使い手が、一杯のお茶であっさりいくはおろか、主の足音に気づかないとは。笑えますよ……ねえ」

 聖上。とコゥーハが目を向けた先。部屋の入口に立っていた男は、その足を進めた。

 首や手の皺、肌の状態からして、二十七から二十八歳の男であるとコゥーハは判断している。白と青を基調とした服に包まれる細身の躰は、同じ身長のベナウィと比較すれば華奢であり、農耕を主とした集落にしばらく滞在していたという割には筋肉が無いように思われる。躰つきに同調した落ち着きのある声音と物言い、静かに光りを湛える黒い瞳は不思議とコゥーハの心へ馴染み決して悪い印象を抱かせないものの、同時に強い印象を与えるわけでもない。何処かにいそうな、何処にでもいそうな。何処かコゥーハの知り合いに似た、頭の良い学者を彷彿させた。躰つきと態度、声音のみ焦点を当てる限り、コゥーハはそういった印象を相手に持っている。しかし一つ焦点をずらせば印象は逆転し、何処にもいそうにない、たった独りの存在であるかのような強烈な印象を抱かせる。

 理由は二つ。一つは男の顔を覆う仮面の存在である。

 額から両眼、高くない鼻梁と頬の一部を覆う白い仮面の額の部分には角のような突起物が二つ付いており、静かな声と合わさり若干の厳格さを相手に抱かせる。様々な資料を漁り見聞きしてきたコゥーハだが、男の仮面に見覚えはなく、それが若干の不気味さを生じさせている。

 もう一つは躰の特徴である。大陸に住むヒトは皆、自身の躰に尻尾を持ち、毛の深い両耳を持つ。唯一の例外がオンカミヤリュー族であり、彼らは尻尾も持たず耳の毛は深くないが、自身と同じ位の大きさの翼を背中に持っている。だが、男の躰には尻尾が無く、翼も無く、耳が毛深くない。コゥーハを始め、男と特徴と同じ人や種族を知る者は誰もおらず、本人も記憶喪失であるため、男の種族は不明のままである。普通を逸脱した躰、運が悪ければ人体解剖させられていたかもしれない、とコゥーハはふっと思う。

 妙な仮面と異質な躰。しかしながら、そんな容姿をした男こそ、ケナシコウルペ國を滅ぼした叛軍の長であり、新しく建國されたトゥスクル國の(オゥルォ)、ハクオロその人である。

 文机に地図を広げながら、ハクオロは小さな声でコゥーハに訊ねた。

「良いのか?」

「問題ありません。致死量は超えていませんので」

 いや……と首近くまで流れる黒髪を掻くハクオロに、コゥーハは笑う。

「牢に入れられた際は、どうぞ御慈悲を」

「考えておこう」

 コゥーハは尻尾を振りながらベナウィを壁際へと追いやり、自身の上着をベナウィの上体に被せた。

「この仕事を片付けて頂いてから、一杯如何ですか? もちろん隊長を廊下に放り出して、ですが」

 自分はお手上げなので良い案をお願いしますよ、と地図を叩くコゥーハに、「いや、さすがに廊下は不味いだろう」とハクオロは茶を呷り、筆を手にした。




謝罪:
2013/5/17 に、用語の間違いを修正しました。申し訳ありません。
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