うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

26 / 55
憧憬

 東の空に昇りはじめた上弦の月が、薄く長い雲の裏へとゆっくり隠れる。その真下、薄暗い部屋の縁側に置かれた水入りの皿の上に、細い手によって発光石が置かれた。揺らめく波間に反射した独特の青白い光が徐々に広がり、周囲を――手前にある二組の酒器を、二つの小鉢に盛られた肴と二揃えの箸を、それらを乗せた漆黒の盆を、そしてその場にいる二人を照らす。

 細い手で墨色の短髪を梳きつつ、相手に促されるままコゥーハは静かに座った。遅れて来た事に悪びれている風もなく胡坐をかいたコゥーハの右側、盆と発光石が置かれた台を挟んだ隣で一瞥し、やや呆れた様子でクロウは徳利を自身の目の前で振る。

「来ないと思ったんだがな」

 まさか。とコゥーハは仰々しく肩を下げる。

「誘っておいてすっぽかすなど、自分にはできません。文句でしたら、先程まで散々こきつかって頂いた隊長にお願いします」

 沐浴さえできなったのですから、と笑いながら頬を突いていた指を離し、コゥーハはクロウの手にある徳利を取った。慌てて取り返すように伸ばしたクロウを制し、服の間からほのかに香を漂わせながら相手へ杯を渡した。

「自分から注がせて頂きます故。いえいえ、仮にも女だから、という理由ではありません。準備して頂いたお礼ですよ」

 女官に頼んで準備してもらったのだが、と右に刀を置いたクロウの左で、片膝を浮かせたコゥーハが小さく呟く。

「自分がこちら側に座るというのは、些か」

「あー、そういう固いのはナシなし。無礼講ってことで」

 ま。と、クロウは左手にある杯をコゥーハへ突き出す。相手を直視する左眼が、一本の古傷と共に青白い光に照らされ鋭さを増す。

「この酒が対等じゃねえってんなら。俺は帰るだけだが」

「……」

 徳利を近づけたコゥーハの手が一瞬止まる。が、目を細めて一笑した後、尻尾を左右に揺らしながらゆっくりと酒を注ぎ始める。

「不用心では、と申し上げたつもりです」

「アンタは俺に負けている。そうだろ」

 仰る通りです。と、コゥーハは尚も笑い、静かに徳利を置いた。後方に剣を置き、相手が満たされた杯を手元へ手繰り寄せたことを確認し、己の杯に酒を注ぎ始める。

「副長はその腕を何処で? 構えからして、独学とは些か思えませんが」

「基礎は、この前言ってた道場でな」

 酒特有のにごりのある水面から目を離し、クロウは杯の中身を呷った。

 ほっと息を吐いた相手の隣で杯を置き、コゥーハは嬉しそうに手を合わせる。

「さすが副長。毎度ながら、良い飲みっぷりです」

「……。初めてだよな?」

「細かい事を気にするなど、副長らしくありませんよ」

「…………」

 喧嘩売ってるのか? クロウから遠回しに問われ「喧嘩を売るなど、とんでもない」とコゥーハは手を擦り合わせる。眉を寄せる相手の様子を知ってか知らずか、肴を勧めながら話を続ける。

「隊長の通っていた道場と申しますと。皇都の北側にありました、インカラ(オゥ)から三代前の(オゥルォ)が設立したという」

「ああ、そうだ。俺も昔、お世話になった」

 知っているのかと訊ねたクロウに、コゥーハは肯定する。相手の杯へ酒を注ぎつつ、確認を行うように道場の成り立ちをトゥスクル國の前身――ケナシコウルペ國の歴史と絡めて簡略に述べていく。

「設立時期は、確か『先の大戦』――大陸全体が二つの勢力に分かれて戦を繰り広げた後。当時は國交のあったオンカミヤムカイの助力の元、疲弊した國を立て直す事業の一環として、当初は孤児寮と学舎を兼ねた施設として建てられたと伺っております」

 その後。後に名君とうたわれ民達に慕われた(オゥルォ)の見事なる手腕の元、國は他の小國と並ぶ程に國力は回復。過程で役目を終えた孤児寮は道場として姿を変え、未来の武官を育てる教育施設の一つとして、皇都内外から出自を問わず門下生を受け入れていた。度々(オゥルォ)が道場にやってきては稽古をつけてくれるということもあり、連日のように子供達は道場にやってきては腕を磨いたという。

 ベナウィと知り合ったのは道場になってからだ、と呟くクロウに、コゥーハは視線を下げる。

「しかし。十数年前にその体が変わったそうですね。内乱が起こった節目の年、自分は丁度その時にやって来たものですから、以前のことは分かり兼ねます」

 吹き抜けた風が作ったものとは異なる小さな波が、二つの小さな水鏡を揺らす。

 十数年前に(オゥルォ)は皇位を皇太子に譲るが、その翌年に親族や側近達に謀反を起こされ、皇太子と共に死亡。当時の(オゥルォ)であった皇太子の息子と娘の遺体は上がっていないが既に死亡したものとされ、空白の座に座ったのがインカラの父親にあたる人物である。

 十中八九、と言いかけ、コゥーハは徳利を持つ手を下ろした。

「頭の良い人、というよりは。ヒトを丸め込む力に長けていたのだと思いますよ。前政権の残した負の遺産のほとんどは彼の(オゥルォ)が作り出したもの……そんなに怖い顔をなさらないで下さい。御想像は結構ですが、少なくとも、私は許せそうにありませんから、とだけ」

 クロウに睨まれコゥーハは薄く笑うが、重い音を立てて徳利を置くと同時に表情が変化する。

 風が止み、じんわりと汗を掻く温度の空気がコゥーハの周囲から広がっていく。蟲の音も止み、松明の明かりが仄かに交る薄暗い闇が降り始める中、薄い唇を噛んだ口の上で墨色の両眼が激しく揺れた。苛烈な炎が映った目が無言で見据える先は一点――薄雲に覆われた月がある空を見つめる横顔が、発光石の光に照らされ一人静かに佇む。

 姐さん? というクロウに、コゥーハは身体を震わせた。さらさらと流れる風に短髪を揺らしながら相手へ謝罪し、話を戻しましょう、と膝の上で指を組んだ。

「副長のお望み通り、白状致しますと。自分の――私の槍の腕は、当時の道場の師範から教わりました。彼の(オゥルォ)は既に亡くなっていらしたので」

「大将の親父さん、じゃあねえな。時期的に」

 コゥーハは肯定した。その真下で、彼女の両指に力が加わる。

「遺志を引き継いだ、隊長の親戚に当たる方です。訳あって個人指導をお願いしておりましたので、副長を始め隊長以外の門下生の方々とはお会いになった事はないかと思います。ですが、それも数回のみ。結果的に道場は当時の(オゥルォ)の意向で取り壊されてしまいましたし。とはいえ、手を下した前の皇族が建てなおかつ切り盛りしていた場所を放置しておく道理もなし」

 ちょっと待て、とクロウは声を荒げ、矢継ぎ早に話すコゥーハを遮る。

「道場が潰れたのは、金銭目当ての性質の悪い賊が大人子供構わず殺したからであって。まあ、そいつらも酷い殺され方で――」

 まさか。言葉を切ったクロウの反応に、じっと見つめてくるコゥーハの視線は揺らがない。固く閉ざされた口からは呼吸の音さえ漏らさず、膝の上に置いた指は一関節たりとも動かない。深く感情を沈ませた瞳そのままに、しかしはっきりと伝わる威圧――先の言葉を斬り捨てる沈黙が、次を言わせない意気が、月明かりの消えた周囲と共に息苦しさを増加させていく。

 冷ややかな微風が水面を掬う。拍子に酒を持つ手へと掛かり、コゥーハは慌てて布を取り出した。

「確かに。謀反によって(オゥルォ)が替わった折に、道場は閉鎖される予定でしたが――どんな言葉で説き伏せたのかは分かり兼ねますが、師が説得させて存続という形に一回はなりました。ですが、隊長は滅ぼした皇族の親戚、ましてや手に掛けた当時の(オゥルォ)の御子息と……皇太子とは従兄弟という関係。人質を取り目の前で忠誠を誓わせたとはいえ、彼にとって師と共に邪魔な存在であったことは違いないかと思います。実際に、師がお亡くなりになった道場の一件を始め、隊長を葬り去ろうと起こした事件の幾つかに関わっている証拠が出てきましたし」

「大将は――」

 口を吐いたクロウを手で制し、コゥーハは潤んだ両目を隠すように薄く笑った。

「知るも何も。その事を私にお教え頂いたのは、他ならぬベナウィ様ですよ」

 侍大将に就任された時期でしたね。淡々と述べたコゥーハの隣で、パキッという音が鳴った。

 クロウの酒が盛大に零れた様に目を丸くしたコゥーハに、クロウは反応しない。発光石によって出来た影に顔を隠すように俯き、きっと閉じた唇は更にきつく結ばれる。その下で蹲る右の甲には酒が滴り、握り締められた手の内側では、罅入った杯の破片の一部が仄かに赤く染まっていた。

 処置を、とコゥーハが自身の袖を破り、欠けた杯を床へ置いた後。俯いたままではあるが、クロウはようやく口を開いた。

「なんスか、それ」

 俺は。と張り上げるクロウの声は、布をきつく結ばれた拍子に呻きへと変化した。口元を歪ませるクロウの顔を見ることなく、コゥーハは応急処置を続ける。

「ええ。解りませんし、解りたくはありませんね、自分は、私は。……失礼ながら、そのようなお顔をされているように感じます」

「そんなんじゃ――」

 己に言い聞かせるようにクロウは何度も呟く。しかし、それ以上の言葉が続くことは――一つとして、否定となる返答にはならなかった。

 再度口を閉じたクロウを一瞥し、コゥーハは軽く息をついた。

「隊長と、喧嘩でもなされたのですか?」

 破片を包み、床を拭き、酒器の配置を変える――沈黙する相手を窺うことなく、慣れた手つきでコゥーハは周囲の片づけを始める。やがて全て終え、「いや、別に」と答えたクロウの前に自らの杯を置き、姿勢を正して正座した。

「副長、らしくありませんね」

「かもな。……って、俺らしいってどんな答えっすか」

「『コゥーハの姐さんのせいですって』と、半分は冗談で」

「とりあえず、解ってるならさっさと吐いてくれませんかね、いい加減に疲れるんで」

 女性には得てして謎がつきものですよ、とコゥーハは軽く笑う。しかしすぐに表情を引っ込め、怪訝そうに眉を上げるクロウに向かって鋭い視線を放つ。

「何故」

 墨色の瞳の放つ視線と連動して、コゥーハの語気が強くなる。

「何故。副長は、ずっと隊長の側にいらっしゃるのですか?」

 強く迫ったコゥーハにクロウは一瞬たじろぐ。が、苛立ちを隠せぬ様子で舌打ちし、またそうやって、と半ば投げやりに相手を掃うように片手を振った。

「俺がそうしたいから、で納得してくれませんか」

「副長がそうお望みならば。ああ、もう一つ」

 少し質問を変えまして。と、コゥーハは間髪入れずに挟んだ。

「副長は。隊長がこれまでやってきた行いが正しいと、信じていますか」

「そりゃあ」

 その後に続く言葉が、またもやクロウの喉奥から出てこない。肯定か、否定か、あるいは全く別のものなのか――ひんやりとした空気が停滞する中、発光石の放つ白い光が影を映し出す側、じわりと汗ばむ首筋の裏で生じた回答が、はっきりとした形とならない。形と成さないのか、形をしてはならないのか……閉じた唇は固く閉ざされ、再びの無言を生む。

 返答をじっと待ちながら、コゥーハは首元から後ろ髪を掬い上げた。後頭部から梳くように動いた手に墨色の短髪が絡まり、さながら長髪のように伸びて降りる。

 髪が擦れる音が静かに流れる中で、クロウはようやく口を開いた。

「一つだけ」

 青白い光に包まれた中で息を呑み、クロウは言い直す。

「一つだけ。疑問がある」

 膝の上に置かれたコゥーハの手が微かに動いた。その様子に気づくことなく、クロウは目の前に置かれた水面をじっと見つめながら続ける。

「大将は……」

 一旦言葉を切った後、クロウは静かに言葉を置いた。

「大将は、何故、インカラを討たなかったのか」

 仮に成功させた後の事なども含めて、事はそう単純ではないとは解っていたが……。その一言を皮切りに、クロウは堰を切ったように語り始める。

 インカラ(オゥ)や側近達の散財、横行する汚職、乱れていく治安。ベナウィやクロウ達が度重なる諫言や取り締まりをするも、いずれも改善される兆しさえない――一武官のやれることなど微々たるものだが、むしろ悪化していく現状に憤りと虚脱感を抱いた事は数えきれない。國のため民のため次こそは、とその日の反省や新たな方針を打ち出す中で(オゥルォ)に呼び立てられては、無理無茶無謀な要求を押し付けられ、時には國に楯突く賊の……貧困に喘ぎ、今日という一日を生きていく事さえ困難な、致し方なく立ち上がった民達の討伐を命じられる日々。

 このままでは民達が死に絶えてしまうのでは。過去にたった一度だけ聞いたベナウィの呟きが、クロウの心を深く穿った。悲鳴にも近い、当時の國の現状と未来を的確に表現した一言――暗く汚れた視界の中心には、間違いなくインカラの存在があった。

 それとなく立ってくれと言いかけたこともあるが、とクロウは目を伏せる。

「『この國の――ケナシコウルペの侍大将だから』と、大将は言った。だったら尚更、國の民のために立ち上がるべきだったんじゃないッスか? それとも、(オゥルォ)ってのはそんなに――」

 痛みの走った拳の上で、クロウははっとした表情で言葉を噤んだ。ゆっくりと見下ろすクロウの様子を一瞥し、コゥーハは目を細める。

「大丈夫ですよ。聖上の権限で人払いをして頂きましたので。隊長はおろか、真下に衛士さえいません。いるのはヒトの言葉を話さない、蟲か鳥くらいなもの。どれほど副長の口が軽くなろうとも、問題ありません」

「……盛りました?」

「まさか。その手の薬と申しますのは幾つか存在しますが、いずれもお酒と結びつくと独特のよろしくない味を生じさせるもの。通常であれば肴や箸に忍ばせますし、それが不可能であれば肴を召し上がった後にと、自分であればもっと上手く自然に致します」

 お酒のせいでは? と笑うコゥーハを無視し、クロウは空を見上げる。薄雲から半分突き出した月の真下で、微かに赤い頬が二色の光に照らされる。

(オゥルォ)を討つことって、そんなにいけない事なんすかね?」

 と、仰いますと? とコゥーハに促されながら、クロウは続ける。

「俺は……俺は、大将や総大将ほど頭は良くありやせんから、こんな事を思うんですがね」

 そう前置きし、クロウは顎を引いた。

「民を苦しめている原因が明らかにあるなら、それを取り除けばいい。原因が(オゥルォ)にあるなら、討ってしまえばいい。そう思っていたんすよ、単純に」

「確かに。単純な考えです。しかし、自分は決して間違ってはないとも思いますがね。……件に関しては、自分は全くもって申し上げる立場ではございませんが」

 嘲りの強い笑みでコゥーハは軽く首を振った。が、ため息をついた相手に目を丸くし、更に口端を上げつつ顔を手で覆う。

「しかしながら。副長自らインカラ(オゥ)を討つ事は、お考えにならなかったのですね」

「それは――」

 クロウは逡巡するが、すぐに気の抜けた微笑で肩を下げた。

「……何でかね。コゥーハの姐さんに言われるまで、今のいままで、これっぽっちも考えなかったっスね。それをするのは、大将しかいないって。まあ、仮に俺が立っても、大将は――」

 いや、やめた。と呆れたように月を仰ぎ、クロウは溜め息を吐いた。その隣で嬉しそうに笑い、コゥーハは差し指を頬に押し当て月に面を向ける。

「隊長も。同じお考えだったのかもしれませんね。討つのは、器ではない自分ではなく、(オゥルォ)たる人物(だれか)である、と」

「んなことは決して――!」

 力の入った声にコゥーハは片膝を浮かせ、クロウの口元に指を押し当てた。黙った相手を鋭い目つきで見据え、次の言葉を確実に断った。

「副長がそうお思いでも。隊長が同じようにお考えとは限りませんよ」

 指が離れると同時にクロウは小さく息を吐き、胡坐を掻き直すコゥーハを一瞥する。

「姐さんは。大将が器ではないと」

「不毛な話をしたいなどと、本当に副長らしく御座いませんね。(オゥルォ)ではない者の(オゥルォ)たる器があるか否か、などという馬鹿げた話をして如何ほどの価値があるというのですか。酒の肴はおろか、暇潰しの価値も御座いませんとも。仮に行ったところで平行線、結果はみえております」

 心底呆れたように肩を下ろし、コゥーハは床を見つめる。胡坐の中心で手を組んだその真上から、青白い光に潤む墨色の瞳を、呟くような質問と共に落とした。

「万一……いいえ、もし仮に隊長が――ベナウィ様がお立ちになり、前(オゥ)を討てと仰ったら、副長は命令に従っておいでになりましたか」

「当然」

 迷いのまもなく、クロウは肯定した。

「さっき言った通りッスよ。大将しかいないってね。それで討死にしようとも、討った後で自分が処刑なり自害なりって事になっても、胸を張って死んでやりますよ」

 罪の重さってやつが解らんからかもしれないし、大将が全部責任取ってくれるって考えがあったかもしれないが。そう付け加えた後、クロウもコゥーハが見せたような呆れ顔で手を振る。

「それこそ不毛な話ってモンでしょ。コゥーハの姐さんらしくもない」

「確かに、仰る通り不毛でした。申し訳ありません。どうも上弦の月が昇る夜は、新月の時とはまた違った形で私の思考を狂わせるようで」

 完全に雲から抜け出し始めた半月が、コゥーハの顔を徐々に照らしていく。淡い光に包まれる穏やかな横顔は、普段から周囲に見せている顔とは全く違う。口元を翳す片手は嫋やかであり、薄く濡れた紅唇は艶やかに輝く。降り注ぐ月光を一心に受け止めるかの如く佇む瞳にクロウは一瞬呆けたが、静かに向けられた微笑みに対して目を逸らして酒を呷る。

「んなことより。今日は姐さんが色々答えてくれるって話でしたよね?」

「左様でしたか?」

「また誤魔化すんスか? もうその手は乗りませんぜ」

 おやおや。とコゥーハはニヤニヤと笑い始めた口元を隠す。その目は、普段の調子とほぼ変わらない。

「話すまで帰さないと。積極的ですねぇ。お布団も御準備済みですか?」

「んなわけあるかっ。つか、そんな意味じゃねえ!」

 尚も意地の悪い笑みを浮かべるコゥーハから目を逸らし、クロウは肩を下ろした。

「あー……大将がああも邪険にする理由が、解った気がする」

「邪険にしても構いませんよ」

「いんや。実戦で何かあったら困るから、やめておく」

 クロウは自身の徳利を手に取り、ゆっくりと酒を注ぎ始めた。

「……わざと。巫山戯(ふざけ)ているんですかい?」

「まさか。自分はいつでも本気ですよ」

「本気で巫山戯(ふざけ)ている、と」

「まさか。いつでも、誰であろうと、本気で接していますよ。……自分も色々と変わっていますからね。誤解されやすいのは認めますが」

 どうか御内密に。前置きし、コゥーハは指輪を外しつつ目を固く閉じる。一呼吸した後に外した指輪を真上へと弾き、開いた瞳を相手へ向けた。

 丸くなったクロウの黒い瞳に、独特の金色が映り込む。

「その眼の色――」

「不気味ですか」

 いや……。と小さく否定したと同時に、降ってきた指輪がコゥーハの手の平へ収まる。目を閉じつつも慣れた様子で指輪を同じ位置へ嵌め直し、姿勢を正すと共に両眼を――墨色の目を相手へと向ける。

「副長。嘘はいけませんよ、嘘は」

「嘘じゃねえ。ただ、あの時と……初めて会った時と同じで、ちょいと驚いただけっすよ」

 そう、驚いただけで、と言いつつも。姿勢を正し、クロウはコゥーハに纏わる噂を端的にぶつけた。対してコゥーハは話を無言で聞いていたが、堪え切れなったのか、話の途中で盛大に吹き出した。

「"未来が見える"などいう、大層な事は私にはできません。ただ"ヒトに宿る神が見え"て、"誰が近々死ぬのかが解る"。ついでに、片手で易々と殿方の首をへし折れる程に"力が強い"事と、二度見れば九割を覚えられる程度に"記憶力が高い"。そう、ただソレだけ」

 それだけって、と顔を引き攣らせたクロウに対して、ああ、とコゥーハは苦笑する。

「大丈夫ですよ。副長が近々死ぬなんて事は、お酒を一升飲まされてお倒れになっても、ありえませんから。なんでしたら、保証しますよ」

「ほ、保証されてもなぁ」

 困惑するクロウをよそに、コゥーハは水面をじっと見つめる。

「一つだけ申し上げるとすれば。これらの"能力"は奇異にみられる事が多いため、できるだけ隠したいと思っていることです。これ以上の詳しい事は隊長か、聖上にお訊き下さい。口が軽くなる薬を御所望なら、方薬致しますのでいつでも仰ってください」

「んなもんはいらねーよ。大将が駄目でも、総大将なら姐さんがそう言ったって一言とコレ一本で十分」

 徳利を振りつつ、クロウは杯の中身を呷り笑った。そして再び杯を満たし始める。

「姐さん」

「何でしょうか」

 床に置かれたコゥーハの剣を一瞥し、クロウは小さく息を吐いた。

「何で。此処にいるんすか」

「副長と飲みたかったからですよ」

「んなことを訊いてるんじゃないですって」

「答えは同じですよ。副長」

 溢れた杯を微笑しつつ、コゥーハはそっと布を相手へ差し出した。

「辺境の長閑な集落にいようが、戦場の中心にいようが。この世(ツァタリル)である以上、大陸の何処にいようが"アレ"――"神"は見えます。ヒトがほとんど立ち入らない僻地にいけば、とも昔は思いましたが、自分がヒトの身である以上、ヒトのいない土地で暮らすことは不可能。ならばさっさと野垂れ死ねば楽なのでしょうが。……物好きがいましてね。私が死ぬと悲しむ人もいるみたいで。正直、自分は涙というものに弱い生き物でしてね。なかなかくたばることができずに、ずるずると時は流れ、今に至ってしまいました」

「物好きって」

 まさか。とコゥーハは肩を竦める。

「隊長ではありませんよ。女性を泣かせることはあっても、あの隊長自身が泣くところなど、想像できますか?」

「一回だけ――……。いや、できやせんね」

 一度は泣かせてみたいものですが、とコゥーハは顔を上げる。

「育ての親と家族……養母と養弟。時折気を掛けて頂く義叔父の真意は解り兼ねますが。現在は――そうですね。エルルゥ様。恐れながら聖上も、あるいは。御二人は推測、ではなく希望に近いでしょうか」

「……」

「だから此処にいる、では、納得されませんか。確かに、武官ではなくとも良い。文官としてエルルゥ様の補佐をする方が、死亡する確率は確実に低いし、"見える"ものも少ないかもしれない。希望を出せば、聖上も――隊長もすぐに対応して頂けるでしょう」

 杯を掲げるような仕草を右手で行いながら、コゥーハは話を続けていく。

「しかし。誰に似たのか、自分はいつまでも我が儘な子供でしてね。許される範囲で、やりたいことを好きに勝手にやり生きたいのですよ。文官なんて退屈でしょうよ。一日中書簡と向き合い、時にはありとあらゆる言葉を尽くし、聖上を好ましく思っていない方々に法案の内容を理解させ、屈服なり妥協なりさせるなんてこと。嫌ですよ。だったら日々訓練を行って。副長みたいな強い御仁と手合わせをし、好きな酒を酌み交わしつつ馬鹿騒ぎをして。戦ではそんな方々と共に駆け。愛するもののため、何度も聞かされた甘く綺麗な理想のために、今度こそ身体を張って守って死にたい」

 高い位置にあるコゥーハの右手が、更に高き頂へと――流麗な月へと向いた。顔に掛かる影に構うことなく、さながら掴み取ろうと足掻くかの如く、一直線に伸ばされる。

「憧れだったのですよ。檻の中の生き物の、大きな、過ぎた憧れ」

 掴もうとした右手は空をきり、コゥーハの膝上に落下した。その様子をまるで他人事のように笑いながら、コゥーハは肩を上下させる。

「聖上は凄い御方ですよ。まさか女性兵士の登用可能兵種を広げる改正法案を通してしまうとは。前例が無い訳ではありませんが、東方諸國においてはかなり異例だというのに。一体どのような文言で反対勢力を丸め込んだのか」

「全くだ。総大将がタダものじゃねえってのには、納得する」

 一体何者なのでしょうか、と呟いたコゥーハに、クロウは杯を突き出した。

「姐さん」

「何でしょう」

 そう疑問を口にしつつ、コゥーハは差し出された盃を受け取る。しかし、手に収まるソレを口に近づけることなく胸の前で静止させた。

「…………」

 再び蟲の音が広がり始める中。くっと眉を上げ、きっと唇を結び、考えるように瞳の奥を揺らすコゥーハ。そんな相手をじっと待っていたクロウだったが、長い沈黙を経て微動だにしない様子に、小さく溜め息を吐いた。

「そんなに深く考えないでくださいって。どうしたって、俺は怒りませんから」

「……本当に。面白い御方ですのね。そして、女性にお優しい」

 虚を突かれたようにクロウは身体を引いた。その側でコゥーハは盃を天へと掲げ、笑うや否やな一気に呷った。ふっと息を吐くと同時に盃を返し、微かに赤くなった頬を掻きながら目を細めた。

「クロウも如何ですか? まだまだお酒はございますよ」

「あ――」

 硬直していたクロウの手が緩んだ。

「あぁ」

 二人が話始めてから最も小さく、低い、しかしはっきりとした返答が、クロウの口から置かれた。満足したようにコゥーハも笑い、僅かに耳と尻尾を上げながらコゥーハは徳利へと手を伸ばす。

「他に訊きたいことはおありですか? 今ならお酒のせいにして、出来うる限りの事はお答え致しますよ」

 そうッスねえ。と、クロウはしばし考え、やがて思いついたように声を上げた。

「コゥーハの姐さんって、いくつなんですか?」

「……先程の言葉を取り消してもよろしいでしょうか。そんな失礼な方だとは思いませんでしたもので」

「あ、や――」

 慌てたクロウに目を細め、冗談です、とコゥーハは徳利を傾ける。

「隊長よりも年上ですよ。ひょっとすれば、聖上の見た目よりも」

「総大将の歳って、解らないんじゃなかったでしたっけ? 記憶無いし、仮面は外れないしで」

「二十七、八でしょう。躰つきから、自信はございます」

「仮にそうだとしたら」

 思考を巡らすこと一拍。水面に映るクロウの表情が驚きで満ちた。

「うぇ? え?! まさか、みそ――っぐ?!」

 クロウの口を強引に塞ぎ、上目づかいで唇を舐めるコゥーハの瞳が鋭く光る。

「駄目ですよ。それ以上口にしては」

 ささ、どんどんお飲み下さい、と酒を酌み交わす隊長達の夜は、どんどん更けていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。