うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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夜光

 陽も暮れはじめた道すがら。騎乗したウマ(ウォプタル)の上で揺られつつ、ベナウィはコゥーハへの訊問を続けているものの、進捗具合は芳しくなかった。

「ですから。自分は何も憶えていないと」

 ウマ(ウォプタル)に揺られながら、コゥーハは眉間の皺を更に深める。

「本当に、です。自らの不注意によって気絶させられた時から」

 話が廻る事、四回。先刻の出来事について、全く憶えていないという一点張りをコゥーハは貫いている。気絶してから、ベナウィの上で目を覚ます時まで全く記憶に無い、先の戦で犯したチェンマの一件も記憶が曖昧である、と。

 本当ですか? ベナウィが問う隣で、コゥーハは苛立ちを露わにする。

「いい加減にして下さい。自分が、嘘を吐いていると、そう仰りたいと?」

「ええ」

「信用なりませんか」

「当然です。過去における自分の行いを振り返っては如何ですか」

 しばし考え「いえ、自分は至って正直者です」と宣言したコゥーハから、ベナウィは目を逸らす。過去に何度……文字通り吐いて棄てて来た、得も言われぬ疲労を今回も落とすも、心配そうに頭を摺り寄せてきたベナウィの白いウマ(ウォプタル)――シシェを優しく叩き、微笑した。その様子にコゥーハはそっぽを向き、不機嫌そうに一本の……普段通りの尻尾でウマ(ウォプタル)の躰を叩く。

「貴方こそ。先程の一件で自分に何か隠している事がおありでは?」

「それは」

 口を噤んだベナウィに、ほほう、とコゥーハは頬に指を当てる。

「まさか。あの状況で犯したとか言うのでは、ありませんよね」

「侵す? ああ、彼の地へ足を踏み入れた件に関しては、聖上から聞いたのではありませんか」

「――……」

 左様でしたね、と両耳を下げ、コゥーハは前を向く。面白くない、というよりは気が抜けたような眼差しの先へと、小さく息を吐いた。

「この落ち着きぶり……いよいよ、皇城内に広まりつつある、男色という噂は――いえ」

「……?」

 自分は確かめたくない、などと真剣な面持ちで呟く相手をベナウィは問い正すが、此処からは徒歩でお願いします、とコゥーハは遮り、足を止めた。同時に、ベナウィの命令で足を止めたシシェがベナウィの方を向き、独特の甲高い声で小さく鳴いた。

『キィ~……』

 ウマ(ウォプタル)には、人の言葉や心情を汲み取る事はできないと謂うのが一般的な見解である。が、長年共に過ごしてきた仲もあってか、シシェはベナウィの心情を察して動く節がある、とベナウィは思っている。先程の頭を摺り寄せる行動も、ベナウィを慰めるかのようであり、今回もベナウィを慮っての事なのかもしれない、とベナウィはシシェを撫でようと手を伸ばす。だが――

 鞍から降り、シシェへと伸ばしたベナウィの手が硬直する。

 コゥーハという対象に振り回されている事に心配している、と思いたかったが、つぶらな黒い眼が訴えるものは異としている、とベナウィは目を丸くする。悲しみ、同情、憐み――幾つもの感情を含めた潤んだ瞳はベナウィの全てを、そう、たとえベナウィが如何なる職業または変な趣味趣向の持ち主であろうとも。総べてを受け入れ決して離れないと、意思を示すようにシシェは見据えている。その様は強い視線に表れているものの、同時に殺気に近い眼差しには頼もしさや嬉しいというよりは、微妙に危うい……達観とは違う、迫力ある空気を漂わせる。

「シシェ?」

 シシェは何か勘違いをしているのではなかろうか。ならばしっかりと訂正する必要があるが、一体何をどう訂正すれば良いのだろう。焦りを含むベナウィの声に、シシェは返答しない。代わりに、鞍から降りたコゥーハが微笑する。

「シシェは仰っています。女官達の好意を踏みにじる奴はウマ(ウォプタル)の足に蹴られて死ねば良いのです、と」

「少なくとも。貴女から不満の意は読み取れました」

「あまりにも。あまりにも女性に興味が無い貴方の将来が心配なのでしょう」

 別に興味が無い訳では……。否定するベナウィに、コゥーハは手を振って相槌を打った。

「シシェのためにも、早くイイ人を見つけて婚姻をされては如何ですか」

「……。許されるとでも?」

 唇を噛んだベナウィに、冗談ですよ、とすぐさまコゥーハは付け加え、泥濘んだ足元と水溜りに気を付けるようにと注意を促しながら坂を上っていく。

 重い空気に張る緊張に、手綱を握り締める固い感触、ひたむきに歩く二人の間に会話は無い。微風に揺られる木々のしなりが聞こえる程に静かな中、僅かに漂う煙で包まれていく周囲を踏みしめていく。やがて坂の終わり付近で立ち止まり、真下を眺めながらコゥーハはおもむろに口を開く。

「火事では、御座いませんよ」

 現在も黒焦げの瓦礫が散乱し、全半壊した建物が残されている集落。人々が集うその中央で、井桁状に組まれた巨大な焚き火が神々しく佇んでいる。入れられていく木簡一つ一つに応えるように躰を傾け、天高く煙を伸ばしていく。茜色に染まりつつある空へ、届かぬ高さで輝く星々へ、地にいる彼らの想いを飛ばすように。

 チェンマ独特の風習でして、とコゥーハは小さく俯く。

「法要の時期、主に死んだ方々を常世(コトゥアハムル)へと送るためのものです。煙は彼の地への道標となり、想い人へ綴った木簡をくべると相手に届くという。行われるようになった時期や何故この地だけに残っているのかは不明ですが、少なくとも村長(むらおさ)の家に残っていた文献によると集落が出来た当時から――」

 頼んでもいない説明を早口で並べるコゥーハの頭に、ベナウィはそっと彼女の外套へ手を伸ばした。顔を覆うほどにしっかり被せた頭を下げさせ、陰が差した水溜りへと視線を向ける。立ち寄らないのか、とベナウィは言わない。緑色の服のから覗く包帯や窄める肩、薄く光る顔の肌色や額に貼りつく前髪――腕を組み、小さく震える背中……何より幾つもの波紋が浮かぶ水面が、適切ではないと判断させる。ただ、この言動が適当だとも思わない。

「彼らに見せる顔ではありません」

 全くです。とコゥーハは震える声で嗤う。

「ひどい御仁だ。肩さえ貸して頂けないとは」

「……」

 ならば、どうして欲しいのか。言うように肩を貸せというのか、あるいは共に集落へと行けば良いのか。ふいに出てきた冗談も問いも、声にはならなかった。仮に尋ねたとして――そこまで及んだところで、ベナウィは強制的に思考を遮断した。

「ええ。全くです」

 強く押しつけた手を振り払われ、ベナウィはコゥーハから距離を取った。かさりと揺れた後方の茂みを一瞥し、シシェの手綱を引きつつ坂を上り切った。直後、視界に入ってきた明かりに手で目を覆う。

 独特の青白い光――発光石の光の正体は、小高い丘のすぐ側にある小さな洞窟である。しかし最初こそベナウィが驚いたものの、微かに明滅する光は明るく感じられない。むしろ慣れてしまえば皇城の廊下にある灯よりも頼りなく、仄かに薄暗い様は神秘的というよりは一種の不気味さを誘発させる。

 まるで、常世(コトゥアハムル)へと繋がっているかの如く。

 あながち間違っていませんが。とコゥーハは付け加え、立ち止まっているベナウィの隣を通過していく。光に照らされるその姿は、いつも通りの……踵を少し浮かせたコゥーハである、などと心中で思いつつ、ベナウィは後に続いた。

 少々お待ち下さい、と入口前で停止したコゥーハに、ベナウィは眉を上げる。相手の懐から取り出された水で満たされた硝子製の透明な小瓶に、岩壁に埋まっている小さな発光石を入れる様に、そっと指輪をしまう。

 ぽうっ、と水中に浮かぶ発光石の欠片。指の一関節よりも小さいというのに、瓶の中から発せられる輝きは凄まじい。さながら皇城の廊下と同等の明るさは印象的ではあるが、同時に自身の命を削っている刹那さ、儚さ帯びる光が胸を打つ。

 発光石は水に接する面積に比例して輝きが増していくが、その輝きを放つ時間……寿命が短くなっていく。また希少な鉱石の一種であるため、コゥーハが行ったような使い方が普段なされることはあまり無い。

 そう怪訝なさらないで下さい。とコゥーハは瓶の栓を閉める。

「はっきり言って売り物にならない大きさですから。こうやって使ってあげる事も、よろしいのでは、と自分は思いますよ」

「……」

 愛おしそうな目で見つめつつ、コゥーハは僅かに光る手を伸ばした。その先へとベナウィは目をやった刹那、感嘆を漏らす。

「これは」

 綺麗でしょう。と、コゥーハは目を細める。

「これと同じ。それよりも小さな……砂粒に近い大きさの、発光石の欠片ですよ。地下水が僅かに染み出しているためか、こうして光っているのです」

 ヒト二人程の高さしかない隧道、その壁は無数の淡い光に包まれていた。しかし特徴的な光は一面を覆っているにしては弱々しく、逆に言えば不躾な光ではない。陽が照らす暖かみも、火が放つ強さもない、月とは異なる流麗かつ神秘的な白色――天井、左右、踏みしめている地をも輝きを放ち、さながら夜空を彩る星々が集まる川の如く、常に趣を変化させていく。二人の視線の先、仄暗い先、ずっと先まで絶え間なく続く。

 仄かに漂う水の香りが充満した空気を吸い込み、コゥーハは手元の灯りを掲げながら一歩踏み出した。

「シトゥンペの道。真っ直ぐに伸びるこの隧道を、自分はそう呼んでいます」

「精霊シトゥンペ……人に降りかかる災いを知らせ、祓うモノと謂われる存在が通る道、ですか」

 通過して行く際に目にする複数の道、光る隧道とは様形の異なる暗い影に沈む先を眺めるベナウィに、コゥーハは簡単な説明を始める。

「御存じかと思いますが。昔は――六、七十年前でしょうか。丁度、大陸全体が東西に分かれて戦った、いわゆる『先の大戦』当時は未だ採掘が行われていまして、その坑道跡です。現在の作業方法とさほど変わりませんが、当時は非常に危険な中で作業していたそうです」

 側に棄てられている錆びついた発掘道具を手に取るベナウィに、気を付けて下さいませ、とコゥーハは光を掲げる。

「暗い中の作業です。壁一面に輝くこの灯りは、彼らの希望となっていたのかもしれません。実際にこの道の地盤は固いようで、崩落の危険はなく――あぁ、そっちへ行くと、死にますよ。黒い"アレ"の吹きだまりです」

 強い力に引き戻され、ベナウィは濃い影から足を離した。同時に小さな石が地面を撥ね――暗闇の先へと消えたその音が二回で途絶えた事に、くっと口元を結んだ。

 幾つか崩落した箇所が御座いまして、と微笑みながら進むコゥーハに、最初に言って下さい、とベナウィは肩を下げる。その後も、同じ体を取る相手に呆れながらも再三に渡って注意を促しつつ、輝く道とその他の道を観察しながら歩いていく。

「この一本道は、他と違う印象を受けますが」

「やはり気が付きましたか」

 やはり? と問うたベナウィに、いえ、とコゥーハは首を振る。

「この道は坑道の中でも一番古い。そしてこの道自体は、チェンマの人々が作った道ではありません」

 薬草等の資源が豊富なこの山は森の神(ヤーナゥン・カミ)が住まう土地として南の集落の人々から崇められている。故に神聖な土地として立ち入りが制限されていたためにほぼ未開の地、開拓当初もおよそ人が住めないと謂われてた場所であった。しかしとある商人が薬草採取のため山に入った際、コゥーハ達が通っている隧道を発見した。

 偶然、らしいですよ。とコゥーハはやや不満そうに付け加えた。

「それが。約百五十年前の話です」

「……この道は、百五十年前より以前にあると」

 仰る通りです、とコゥーハは笑みを引っ込めた。

「その後。調査の末に鉱脈が見つかり、当時の藩主――後の初代ケナシコウルペ(オゥ)の命により開拓が始まった。鉱脈を見つけた恩賞として商人は地位と土地を与えられ……それがカナァン様の先祖にあたる人物であり。坑道となったこの地で働き始めた彼らがすぐ側に住み始めたことが、現在のチェンマの前身です。まあ、鉱物と薬草の乱獲で自分達の首を絞めていった事は、また別の話ですが」

 自嘲の混じる笑いを押し殺すように、コゥーハは説明を続ける。

 何故、誰も住まない土地に大きな道があったのか。誰がこの坑道を作ったのか。当時の学者はこぞって調査研究を始めた。あらゆる資料が発見され、そして過去の文献等を照らし合わせた結果、一つの仮定が導き出された。

「それが――」

 隧道の出口付近、天井が最も高く開けた場所。吹き抜けていく風を背に、コゥーハは灯を掲げた。

「『先の大戦』勃発以降、予算などの理由から調査は中止となり、現在まで放置されてきたためか風化が激しいですが。これは、確実に集落の遺跡です」

 人が住んでいた。未開の地ではなかった、と。呟くベナウィにコゥーハは肯定する。

「残念ながら、年代までは特定できていないそうです――おっと」

 これ以上は。とコゥーハは灯りを引っ込める。今にも消えそうな灯りを見つめ、「ありがとう」と呟き懐へとしまっうと、未練がないかの如く顔を上げる。

「この遺跡と同じく。ひっそりと隠れるようにある遺跡が、大陸の数か所で存在します。洞窟の奥、木々が生い茂る森の奥深く、何も存在しない荒野の真ん中、などなど……しかしそのどれもがほぼ同じ形状――例えば、少々見えにくいですが、そこの入口を起点にして真っ直ぐに伸びる大通りと、延長線上に存在する巨大な建物があった跡。等々。他にも同じ特徴を持つ出土品が発掘されております」

「この遺跡も、それらを作ったとされる同じ種族が作ったと?」

 あくまで可能性ですが。コゥーハは笑い、分からないことは沢山ある、と話を続ける。

 ベナウィの言った通り、単一種族だったのか、複数の部族からなる一団だったのか。彼らの目的は何だったのか――集落があった当時の技術では最先端を誇る技術を有する道具が発掘されていることから、各地に点在していた技術者集団が作ったのだという説。様々な種の楽が発掘されている点から、大陸を放浪する巨大な楽団の一つだったという説。オンカミヤムカイの流れを継いでいないと思われる独特の紋様が刻み込まれた装飾品……具体的に言えば儀式用と思われる鈴や刀剣が全ての遺跡が発見されている点から、大神(オンカミ)ウィツァルネミテアとは別の神を信仰する独自の神を同時に信仰していた宗教集団だという説。

 最後の説は一部の学者の極論でしたね、とコゥーハは微笑した。

「ウィツァルネミテアを禍日神(ヌグィソムカミ)とし、大いなる父(オンヴィタイカヤン)大神(オンカミ)として信仰している単一種族國家――クンネカムンとの関連性は、資料の少なさもあって不明です。しかしクンネカムンで多く見られる独特の建築様式を資料で拝見する限り、これらの跡から想定される建築物の様式とはおよそ似つかぬ点が多いため、関連性はない、と自分は思っております。尚、高地に住むエヴェンクルガ族の里であったという説もありますが、義を重んじる彼の種族の方々からの証言から、こちらの線はほぼ零に近いです」

 ただ。一息を入れて、コゥーハは眉を上げる。

「彼らのことを総称して。”シトゥンペの民”と、学者の間では呼んでいます」

 シトゥンペ。彼の名を付けた道へと戻り、コゥーハは瞬く天井を仰ぐ。

「精霊シトゥンペは滅多な事がないと姿を現さないと謂われていますから。また、先程申し上げた儀式用の鈴というのがシトゥンペの鈴。現在も同様、祭事の際に使用され、ごく一部の地方では厄除けの御守りとして身に付ける、あれです。そして、一番不思議なことは――」

 二人の後方で小石を踏みしめる音が響き、二人はすぐさま振り返る。うっすらとした光に包まれた先で人影が動いた事を確認し、ソレが隠れた岩の塊に向かってコゥーハはそっと問いかけた。

「何の御用がおありなのかは解り兼ねますが。いい加減、出てきては頂けないでしょうか」

 洞窟に入る前から付けられていた事は、ベナウィ達は薄々感づいていた。しかし殺気は一切感じられず、足音も小さかった事から森に棲む小動物だろう、と放置していた。だがここへ来て大きな動きを見せた相手に、二人は緊張を走らせる。片方は左手を刀に乗せ、もう片方は懐の灯りを再度持ち出そうとした刹那。音にびくついたのか、裏返った声が上がった後、岩陰から相手が右半身を覗かせた。

 灰色の耳をした、この近辺では別段珍しくも無い至って普通の少年だった。多少……少々負けん気の強そうな印象も受ける、とベナウィは心中で評するが、その丸くて黒い瞳は怯えている。岩にしがみつく様も瞳に違わず震えており、彼の見つめる先はただ一点。ベナウィではない、もちろんウマ(ウォプタル)でもない、黒い目を丸くするコゥーハを。

 困ったように眉間を掻き、コゥーハは少年からそっと視線を逸らそうする。が、すぐさま耳を上げ、金色に光る強い目で相手を見据える。

「いけない! そこは"アレ"が――!」

 コゥーハの行動に、一切の迷いは感じられなかった。ウマ(ウォプタル)の嘶きが反射する薄明かりの中、十数歩もある距離を一気に詰め、ほぼ同時に崩れた少年の足元へと左手を伸ばす。投げ出された相手の片腕をしっかりと掴み、空いている右手の指を岩肌へ突き立て、辛うじて少年の落下を食い止めた。

「駄目です。こんなところで、もう誰も、誰も――」

 岩に滴る血も、懐から落ちた発光石も、細かな石の落下音が聞こえない程の奈落さえ彼女には見えていないようだ、とベナウィはコゥーハの右手を取る。決意は固いのかあるいは必死が過ぎるのか、取った彼女の手の握力は凄まじく、ベナウィの……何より少年の顔を歪ませる。

「いっ、いたい痛いイタイいたい姉ちゃん痛いってぇ――!!」

「っ。も、申し訳ありません。引き揚げますので、いま少し我慢して下さい」

「ヤダ、ヤダやだヤダって! んの前に腕がもげるってぇ!」

「そ、そう足を振られては」

 焦りの見える声を上げるも、コゥーハやベナウィは冷静だった。適した機会を見逃さず、コゥーハの腕力もあり一回の合図で引き揚げる事に成功した。とはいえ、相応の力を要したこともあり、二人は少年と共に座り込む。突然咳き込んだベナウィを風邪かとからかいながら、コゥーハも乱れた息を整えていく。

「お怪我は、御座いませんか。腕が痛むようでしたら応急処置を」

 少年に問いかけたコゥーハの声は途切れる。理由は単純で、少年がコゥーハから距離を取り、立ち上がったベナウィの後ろへ隠れたためである。どうしたものか、と苦く笑うコゥーハの正面、抱き着かれた片足をぐいぐい押されながら、ベナウィは少年を諭すように背中を叩く。

「手を離しなさい。彼女に用があったのではありませんか」

「ヤダやだっ、だって怖いし。そうだ、ひもにーちゃん代わりに伝えてよ」

「ひ、ひも――」

 ひどく心外な少年の発言に、ベナウィは絶句した。が、事の重大さに顔を青くし、押し寄せる焦りと恐怖を振り切るかの如く、彼の言葉を全力かつきっぱりと否定する。

「いえ。断じて、自分は、()()ではありません」

「えー。なんだよ。ひょろっとして紐みたいだから、紐にーちゃんでいいじゃん」

 自分の抱いた意味と異なっている事に安堵するも、いけません、とベナウィは声を荒げる。隅で腹を抱えているコゥーハなど眼中にも入らず、誤解を解くべく言葉を積み立てていく。

「不適切な言葉はあらぬ誤解を生じさせる原因です。貴方、名前は?」

「ん。トペニ、だけど」

「良いですか、トペニ。そもそも、ひもという言葉の意味は幾つかあり――」

 そこから話を始めるのですか、と呻くコゥーハの呟きは、洞窟に反射するベナウィの声に掻き消された。最早、焦燥しきった顔で説明を行うベナウィを止めるものは誰もいない。冷静で、寡黙で、時に女性の笑顔を誘う甘い微笑を浮かべる彼など何処にもいない。己の沽券のためだけに、ただただ必死に、目の前にいる少年に向かって熱く語る彼しか其処にはいない。

 少年――トペニは最初、つまんないと言わんばかりの顔で耳を下げていたが、相手の熱意が伝わったのか、やがて真剣な面持ちで耳を傾けるようになった。

「おお! なるほど! つまり」

 全力を尽くし、ほっと安心したベナウィの隣で、トペニはくっと胸を張り――

「つまり! 紐にーちゃんじゃなくて、ひもじぃってことなんだな!」

「――……」

 ベナウィが積み重ねた説明を、一瞬にして徒労へと変化させた。

 自分の説明のどこがいけなかったのか、幼い少年相手に難しい言葉や回りくどい表現を使用してはいなかっただろうか、そもそも自分の話を聞くという態勢に相手を促す事を怠ったのではないか……この上なく重い疲労と、何処にもぶつけられぬ敗北感、そして彼に正しい言葉を伝えることができなった己の不甲斐無さがベナウィを俯かせる。そんなベナウィからトペニは手を離し、キラキラと輝く目をシシェへと向ける。

「うおおぉ! すっげえこの白いウマ(ウォプタル)超カッコイイんだけど! ひもじぃ、触ってもいいだろ?」

「触るのは構いませんが……いえ、ですから私は決して――」

「解ってるって。ウマ(ウォプタル)は父ちゃんの手伝いで世話してたし、人様のウマ(ウォプタル)に絶対乗るな、って父ちゃんとの約束――」

 一瞬、俯いたトペニの瞳が悲しそうに揺らぐ。が、すぐに明るい笑顔へと戻り、抱き着くようにシシェの躰を撫でる。

「シシェってんだろ? なあシシェ。ひもじぃの事は好きか?」

『キィキィ』

「そうか、ひもじぃの事が好きなのか!」

『キィ~』

「好きか、そうかそうか! ……って、言ってんよな。うん、嬉しそうだし。いい御主人に出会えて良かったな、うん!」

 緊張が取れつつあるのか、声を上げて笑うトペニにベナウィは小さく微笑し、彼の問いに肯定するように鳴いたシシェの様子に安堵の息をついた。しかし、その奥でほんの微かに引っ掛かった疑問は、再びベナウィの心情を掻き乱すきっかけとなる。

 シシェは。ベナウィの事を()()だと思っているのではなかろうか、と。

 いや、そんなはずは。とベナウィは目を固く閉じる。共に訓練を行い、幾つもの戦場を駆けていた相棒(ウォプタル)である。武人と思われるこそすれ、遊び人に近い人間だとは思われない姿を見せてきたと自負している。しかしながら、洞窟を抜ける前に向けられた瞳や、先程のトペニとのやり取りの中でシシェはベナウィが彼のような存在である事を否定しなかった事が――否、そもそも、ウマ(ウォプタル)に人間の言葉自身が理解できる知能を有しているとは思えず……等々。是と非が互いに衝突しては覆いかぶさり、ぐるぐると思考が廻る回数に比例して、ベナウィの額の温度が上がっていく。

「あ、頭が……」

 ふらつく頭を押さえたベナウィに、「やはり風邪なのでは?」とコゥーハは心配の声を掛けつつも、嫌味の残る笑みで茶色の保存食を差し出した。

「干しモロロです。お食べになりますか?」

「聖上には申し訳ありませんが。明日にでも復帰し、一刻も早く教育の必要性を皆に説かなければ……いえ、その前に早急に彼とシシェの誤解を解くことが先決では――」

「おや、食いつかない程にお取込み中のようで。一知り合いと致しましては、これを機に貴方の指導方法を見直す事を切に願いますが、と、重症ですね」

 コゥーハに軽く肩を叩かれ、ベナウィははっと息を呑む。目の前でモロロを振る相手を毅然とした態度で断り、ウマ(ウォプタル)を触る少年を眺める。

「彼と知り合いでは」

 さあ。とコゥーハは人差し指で頬を突きながら、解りやすい嘘を吐く。

「全員を憶えられる程、自分の記憶力はよろしくありませんので。それに」

 顔から手を離し。コゥーハは曇った黒い目で、シシェと戯れているトペニを見つめる。

「これ以上。私に関わる事は、彼にとってもよろしくない」

「……」

 気を取り直すように息をつき、コゥーハは目を細めた。普段と変わらぬ、少々の腹立たしさを誘う笑みを浮かべつつ。

「私の事を怖がっているようですので。貴方を好いている様子ですし、誤解を解くついでに送り届けて頂けると助かるのですが」

「…………」

 手の平で目を覆い、完全に沈黙したベナウィにコゥーハは小さく息を吐いた。

「ふむ。到着する前に、ひもじぃの精神が持ちませんか。では、義叔父上に頼みましょうか」

 ベナウィの厳重な抗議――無論、トペニが誤解している一件についてである――を笑って軽く流し、出口も近いわけですし、とコゥーハは遠回しに二人を誘導した。道の終点を通過した後、天を仰いだ状態で静止する。

 月明かりが照らす広い場所――先に見える小さな倉庫のような建物や、隣に佇んでいる黄色の花をつけた低木、集落が一望できる高台の雄大さや、すっかり日が暮れ星々が瞬く空は別段珍しいものではない。しかしながら、数歩先から広がる紅紫色一面の花畑は綺麗や穏やかを通り越し、不思議な雰囲気であるとさえ思えてくる、とベナウィは息を呑む。当然、咲き誇る花は一種類……ベナウィの持ってきた花と同じ種類、墓碑に供えられる事の多い、常世(コトゥアハムル)を連想させる花のみ。月明かりに照らされ、揺蕩う様は見るものに異様さを与え、洞窟の入り口で抱いた感想と同じ物を思い起こさせる。

 まるで、この世(ツァタリル)ではないかのように。

 群生地でして。と、空を見上げたまま答えたコゥーハに、ベナウィは眉を上げた。目を向けたその彼方、雲の無い夜空へと、煙が一本伸びている。しかし集落で見た物よりは明らかに小さく細長く、頼りないというよりはむしろ、集落の炎に交る事ができないという寂しさが滲み出ている。パチパチと木々が燃える音や匂いが孤立感を助長し、視線を下げるベナウィの胸を突く。

 建物のすぐ側、低木とは反対の位置に、焚き木へと木をくべる男の姿があった。ベナウィよりも若干背丈が低く痩身だが、くすんだ緑色をした上等な羽織のためか貧相さはあまり感じられない。手元にある杖や、コゥーハの呼びかけに答える様子が落ち着いている事からしてある程度の齢を重ねているようにも見受けられるが、後方へと撫でつけられた灰色の短髪に、茶色の長い両耳、瞳の色が見えない程に細い目がある肌の具合からして、ハクオロの推定年齢よりも若干高い位の年齢ではないかと、ベナウィは推測している。

 彼が。コゥーハのいう義叔父なのだろう。二人のやり取りからそうベナウィは予想し、故に、若干の動揺を抱かずにはいられなかった。

 ベナウィは、男との面識があった。

「チキナロ……」

 名を呼ばれ、男は――チキナロは、驚いたようにその片目を大きく見開いた。が、咄嗟に柄へと手を掛けたベナウィに微笑み、すっと黒い目を隠した。

「これはベナウィ殿」

 御健勝そうで何よりであります、ハイ。と軽く挨拶をする様子は、過去に何度か接した態度と何ら変わりない、とベナウィはくっと口を結ぶ。金銭相応の品物を手広く扱う、一介の商人その顔……強いて言えば、手元に商品や目録が無いという点ぐらいなものである。だが、ならば何故、先程走った緊張感は何だ、と後方で手汗を拭う。

 商人は往々にして危ない橋を渡る事もあるため、護身術を持つ者は少なくない。彼の持つ杖も――おそらくだが、地を突く音や()()()足の引き摺り方からして、仕込みであろうが、警戒されたにしては走った殺気は普通の商人が向けるものとは一線を画していた。何より……ベナウィだけではない、ハクオロが一目置きかつ時折依頼をする人物の一人でもある商人であるからにして、改めて身辺調査及び警戒する必要があるのかもしれない、とベナウィは振り返りながら、チキナロを見据える。

「そ、その様に警戒されましては……その、こちらと致しましても……」

 怪しさの混じる声で手を組むチキナロとそれを睨み続けるベナウィをコゥーハは交互に見渡し、軽く首を傾げた。

「おや。もしや、お知り合いで」

「ええ」

「それとも。自分の元義叔父である事が、意外でしたか」

 いえ。とベナウィは断言した。じとっとした目で息を吐き、二人に共通する耳と胡散臭さが漂う細長い目を見つめながら。

「全く」

 その物言いが妙に腹が立ちます、と口を尖らせるコゥーハを無視し、ベナウィは肌寒い風で髪を揺らした。




補足:
・過去の後書きに書かせて頂いた事を繰り返す形になりますが……(これまでに出てきた原作キャラの中で)チキナロの容姿のみアニメ版準拠となっております。が、杖所持の部分はPSP版から引っ張ってきております。
・発光石の特徴、並びに『先の大戦』等々、過去の出来事が起こった時期(本編から何年前、など)については全て独自設定ですので、何卒ご注意ください。
・原作キャラの年齢(某キャラの見た目年齢以外)は不明ですので、作者の主観となっております。ご注意ください。
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